はてなキーワード: 京都駅とは
結論から書くと、早めに乗って無事帰宅できたので、大した話ではない。
ただ、乗ったのが17時ごろだったので、もう少し遅ければ車内に閉じ込められてた可能性もあった。
1月24日14時頃、京都駅付近で働いてる俺はまた余裕ぶっこいてた。
雪が降ったり止んだりしてるが、今は青空も見えてるし、定時になったら帰ろうと思ってた。
そしたら16時ごろになったら急に雪が降ってきて、一瞬にして雪景色。
これはマズい、帰宅ラッシュ前には乗るべきだと思い、適当に仕事を終わらして早退した。
京都駅に着いたのが17時前。まだそんなに混んではなかった気がする。
駅はかなり吹雪いていたが、電車も動いてるし乗れば大丈夫だろうと考えた。
5分もあれば山科に着く。
ちょうど電車が来たのでそれに乗り、ホッとする。
山科駅に着くとそこも猛吹雪で、こりゃ電車止まるなと予想がついた。
「京都から山科へ行く途中で電車が止まり、閉じ込められた乗客がいる」とのニュース。
ゾッとした。
もし定時になってから帰ってたら、混雑する京都駅で乗るのが遅くなり、車内に閉じ込められてた危険があった。
地下鉄だと乗り換えありで25分くらいかかるし、面倒だと思ってやめたが、今思えばそっちで帰るべきだったかもしれない。
今回の教訓としては、
・早めの行動が大切
ということだ。
来週お世話になった先輩が京都に来ると言うので観光案内をする事になったんだが要求が多すぎて今から吐きそう。
京都駅12時集合で嵐山(竹林の道・モンキーパーク)・北野天満宮(神社とパン屋)・一乗寺ラーメン2.3軒・吉田神社と京大・伏見稲荷回って19時に京都駅帰還。
無理無理無理無理無理どう考えても無理。公共交通機関だけで回んの絶対に無理。
こんなに分刻みでの行動になって1箇所1時間も滞在出来ないしゆっくり観光とは言えないですよってスケジュール提示したら「さすが地元民!安心だわ!」って変に喜ばせてしまった…。
物凄くお世話になった先輩だからなるべく希望に応えたいけどこればっかりは厳しすぎるしこんなスタンプラリーみたいな観光で良いのか???何なんもう死ぬて
大阪発東京着の夜行バスでバスが壊れたからと深夜に京都駅に降ろされ「置き去り」にされたというニュース。9月4日夜に発生して5日にTwitterで拡散され6日に報道が始まった。その後、毎日のようにテレビで報道され続け、1週間以上経った13日でも新たな展開がないのにテレ朝のモーニングショーで10分以上の長い尺を取って特集が組まれていた。
8月に熊本県議が全席禁煙の甲子園での高校野球観戦で喫煙をして周囲の観客とトラブルになっていたというニュース。9月9日に毎日新聞が入手した映像を元に記事を書き報道が始まった。その後、毎日のようにテレビで報道され続けている。こちらも新たな展開(議員辞職等)を期待して1週間以上テレビで特集組まれ続けそうな勢い。
春頃に行ってきて時間が経った今でもかなり行って良かったと思ってるヴィパッサナー瞑想。
スピリチュアルを舐めきっている俺でも結局今のところかなり生活に役立っていて、瞑想自体もサボりつつなんやかんや続けています。
で、基本的に「行くときに持っていく持ち物ハウトゥー」なんかは公式から連絡があったりするのですが、10日間の合宿ともなると快適な住環境が必要になるわけで・・・
改めて後学のため・備忘録としてネットに残しておこうと筆を取った次第です。
(というか、「自主的に持っていくと良いもの」みたいな記事っていろんなスピ系のサイトなりアフィブログなりがネット上に無限にあるんですが、マジで内容スピリチュアルに偏りすぎていたり、
個人的に「これいらね~」「これ書いといてよ~」「ビュー数稼ぎで中身無いやんカスアフィブログが……」「現在は施設が改善してるから要らなそう」みたいなやつが結構あったので、そんな痒いところに届くような内容を残しておきたいなと)
千葉のダンマーディッチャでは環境等が異なり必要なものも異なる可能性が高いです。あくまで参考程度に。
では、以下それぞれの詳細
かさばるから持っていくかギリギリまで悩んだけど、本当に持っていって良かったです。
普段Vtuberみたり友達と朝までDiscordばかりの私からしたら、慣れない環境での早寝早起き自体がシンプルに難しかったです。
もし枕が頭に合わなかったらより絶望的だったと思う。
ちなみに京都ダンマバーヌの枕はパイプ枕でした。普段パイプ枕の人であれば不要かも。
同室の二人がマジでイビキと寝言がやばかったのであってよかった。
他の部屋は寝言や独り言ヤバい奴が居て大変そうにしてる参加者もいました。
これもかさばるのでギリギリまで悩みましたが、最終的には持っていって良かったです。
普段の生活では「1時間微動だにせず座り続ける」なんてことが無いので「クッションとかいらないでしょ」と思っていたのですが、
人間1時間も座り続けると、どんな体勢であれ体は痺れるし、痛みも激痛に変わっていきます。
マジでどんなに崩しても超痛い。むしろ崩せば崩すほど、時間経過とともに体中が痛くなる。
瞑想中は体の正中線を意識して、背筋を伸ばして座り続けるのが最終的にはマシな体勢でした。
この体勢の維持 + 痛み軽減におしりの下に敷くクッションが大活躍してくれました。
瞑想センター自体にもクッションや座布団等があるのですが、数に限りがあります。
個人的には使ってない枕やクッションとかでも良いので、持参するものがあると便利だなと思いました。
僕は家に余ってたゆるめの低反発枕を持っていきました。
大活躍。センター常備のココナッツ洗剤はイマイチ洗浄力が弱く、シャワーにやや時間がかかります。
シャワールームを利用できる時間には限りがあるので、旅行用のシャンプーで10分前後でガーッ!!っと短時間で洗うのがおすすめ。
大活躍。すぐ乾くので朝の洗顔・夜のシャワーで使う→干す で、なんと期間中1枚で乗り越えられた。
雨が降っても速乾ならそんなに問題なし。2~3枚あればもっと余裕かつ快適。
マジで大活躍700mlもあるとごくごく飲んでも中々減らない。
くしゃみや気温差による鼻水などが多く、人より消費量が多い自信があったので、箱ティッシュを2箱持っていったがマジで大正解。
6日目で1箱終わってちょうどぐらいの感じでした。
合宿場のティッシュは共同なので気にせず使いたいという人は持っていくのをオススメします。
必須。トイレやシャワールームと散歩できるスペースは外にあるため、クロックスが大活躍。
「土でドロドロになるから、アウトドア用の靴が良いかも」みたいな記事も見かけたけどそんなんいらんかったわ。しまむらとかの雑クロックスもどきで十分。
髭剃り、歯ブラシ、シャンプーを洗面所(シャワールーム)の棚に置いておける。
個人的にはひげがない方が瞑想しやすかったので、普段使いのシェーバーを持っていって正解だった。
マスクに匂いがついたりすると、瞑想時に気を散らす原因になる。
換えを使いやすいように1日1枚ずつ計算で持っていって正解でした。
家に余ってたコールマンの一体型のセット+セリアで買った箸スプーンフォークが1ケースに収まるものを持っていきました。
そば、炒めもの、パスタ、ご飯、味噌汁等が出るので「器、器、皿、コップ」の4つが同時に使えるようなセットがあると便利でした。
ホコリ防止+自分のスペースをわかりやすくするためにも適当なバンダナとかをかけておくのがちょうど良かったです。
瞑想センターからの連絡では「3~4枚」と書かれていたが、個人的には1~2枚でも良かったなと言う印象。
瞑想期間中、基本的には頭痛薬・サプリメント・精力剤・カフェイン錠剤などを含むお薬の使用を非推奨としています。
とは言え、持病がある方や偏頭痛持ちの人など「どうしても無理」となってしまう状況もあるかと思います。
そんな場合に向け
○お薬は一応持っていっておく
○コース開始時のスマホと貴重品を預けるタイミングで一緒にマネージャーに預けておき、どうしても駄目なときにだけ取り出す
という形を私はおすすめしたいと思います。(10日間の修行に挑むために予め懸念事項を減らしておくことは特に大切と感じました)
鼻炎が他の人の集中の妨げになりそうだったので、一度アレルギーの薬はもらった記憶あり。
枕などかさばるものを持っていったので、収納下手な私にとってはかなり大活躍。
「肌の露出が多い服は他の参加者の集中の妨げになるので避けてください」と注意文があります。
私はこれを女性向けの注意事項かと思って、丈が長い半ズボンばかりを持っていってしまいました。大失敗。
ジャージパンツやスウェットパンツをもっと持っていけばよかったです。
「男をエロいと思うとか無いっしょ」って思ってましたが、人間10日もシコらず修行させられ続けると、ヤバイ、煩悩の均衡が少しの衝撃で崩れそうな状態にまで行きます。
本当に気が散りますしまた他参加者の迷惑にもなりますので、なるべく長ズボンを多く持っていきましょう。
ちなみに、私の行ったコースでは「寝るとき(且つ公共の場所にいかないのであれば)寝苦しくないように半ズボンOK」と最初のイントロダクション時に回答を得れました。寝やすくてめっちゃ助かった……。
京都の瞑想センターは山奥のため気温差が本当に激しかったです。
ヒートテックも半袖も足りなくて困りました。
あと着脱しやすい上着も持っていったら便利です(ユニクロGUあたりのジップアップパーカーとかカーディガンとかオススメ)
昼間は半袖、夜はヒートテック+厚着なんてこともしばしば。たまたま持っていたネックウォーマーは大活躍してくれました。
朝は鐘がなるし、「チープカシオの目覚まし機能もあるからいけるっしょ~」って思ってたらマジで起きれない日ばかりでした。
起こしてくれたコースマネージャー(管理人)さん本当にありがとう・・・寝起きに自信の無い方は小さいもので良いので目覚まし時計を持っておくと良いです。
持ち物の準備に悩む方も多いかと思います。そんな方の一助になれば幸いです。
あとついでにスピ系のブログの内容がスピリチュアルに傾きすぎて俗なレポートが無く、
なんかムカついたので、一般Vtuberオタクっぽい経験談を適当に置いておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=zjz_EnV6wNA
広瀬香美が最後まで生き残ってずっと集中をかき乱してきてマジで最悪でした。
https://www.youtube.com/watch?v=UfEIharoOH0
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
1
当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
2
北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
3
新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
4
東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
5
ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
6
そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
7
国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。