はてなキーワード: 不妊とは
夫の新婚当初の浮気が原因で子無し夫婦を選択したが(最初はピル飲んでたが今は二人共パイプカットと卵管縛った)母親にも義理母にも責められることなく共働き生活をしている。
最初の浮気以来あやしいこともなく(バレないようにうまくやってるのかもしれないが、もう気にしないことにした。)割と平穏で、他人には仲の良い夫婦としてやっている。
傍目には「子宝に恵まれなくてかわいそう」って思われてるんだろうけど。
大抵この手の生活を選ぶと親がうるさく言ってくるものだが、旦那の両親は「馬鹿息子が悪いので嫁は責めない」
私の両親は「心の狭い娘が悪いので夫は責めない」となっているからか世の中によくある小梅ババアにはなっていない。
それは直接言われたことはないけど、まぁ、雰囲気として察してる。
ただ田舎育ちの親戚もいたりするので、その人たちからは口汚いことを言われたりもする。
両親は不妊手術してるの知っているけど、親戚は知らないので。
じーちゃんの葬式の時にそんなめんどくさい親戚の一人(私の父親の弟)が私に絡んできた。
まぁ三年子無しは去れとかいうそういうたぐいのことなんだが、私はいつものことだなぁと聞き流していた。
が、絡み酒でめんどくさいなぁと思っていたら母がついにキレた。
反論してくれるのも嬉しかったけど、そのあとの言葉もありがたかった。
母は大学院にも行き、修士号までとっていた人だったが、色々あって研究に断念したところで父親と出会いそのまま結婚してしまった人だった。
本人も「今となっては逃げだった」と認めていた。
同級生は働いてそれなりに社会的地位がある人もいるらしく、やはり後悔したこともあったそうだ。
それでも家庭でしっかりお母さんをやっていた母親を尊敬しているし、そんな母親から私のような勉強しか能がないクズが生まれてしまったことが申し訳なかったころもある。
母親はこう続けていた。
「娘はわけあって子供を産まないけど、その分私が諦めた社会人としての道をしっかり進んでくれている。
子供を持つことは素晴らしいことだけど、それど同時に失うものもたくさんある。場合によっては子供から得られることより失うもののほうが大きい。
私はそれを体感した時期もあったし、今でも後悔することはある。
だから娘は私の分まで社会で働いて頑張ってくれてると思ってる。
娘に私は同じような喪失感を味合わせたくない。だから娘が望まないなら生んてほしくなんてないし、
それよりあなたの娘(私にとってはイトコ)は彼氏ができても長続きできず婚期逃しそうじゃない、
娘と違って学もなくて専業主婦にでもならないと生きていけそうにないのにどうするの?」
そしたら案の定おじは、
「口の立つ女だな!余計なお世話だ!」
返していた。
母親はそれ見たことか、という表情で
「あなたが言ったことはそのまま同じことよ。不快さと自分の愚かさがわかった?」
と言い放ち、おじを黙らせていた。
不妊で作れないというなら同情もするけど、
夫婦二人とも健康体なのに「作りたくない!」という確固たる意志を持ってるというのは
子育ての苦労を知っている側からすれば「それはただ面倒から逃げてるだけじゃないの?」という感覚だな
大変な子育ての対価として、ささやかな幸せもあるんだよ、という話に対して
少子化が問題視される現代社会において「子供を作れるけど作らない」という選択をし続ける、
と言うのはある意味反社会的な思想と言ってもいいんじゃないの?
それ以前に祖先から受け継がれた遺伝子のバトンをさしたる事情もなく「なんとなく嫌だから」という自分勝手な理由で
断絶させるなんてそうとう罪深いことだと思える
それってわりと常識的な感覚じゃないのかな?特に子育て中や育て終わった世代にとってはな
そういう非常識な選択をするならまわりから嫌味を言われたり奇異な目で見られるぐらい受け入れろ
「みんな通ってきた苦労をなぜお前はしてないんだ。お前も社会の一員としての義務を果たせ」と暗に言われていることになぜ気づかないのか
甘えてんじゃねーよ
30代前半。結婚して今月で丸7年。
結婚したのは同級生の中ではそこそこ早い方だった。仕事で体壊して逃げるみたいに結婚したから、早かったことに優越感を感じたことはない。
30前から友人も結婚し始めて、現在では子供がいる人もちらほら。
妹も3年前に結婚して子供がいる。甥っ子は2歳。遠くに住んでるからなかなか会えないけど、かわいいなとは思う。
子供が嫌いなわけじゃないし欲しくないわけでもない。今後妊娠したら産むんだろうなと思う。
何かと子持ちに風当たりが厳しい世の中だし、子育てって楽しいだけじゃないよね?
夫は子供欲しいみたいだけど、「俺のせいでできないのかもしれないし」と言っくれる。自分(夫)がメンタル系の病気で通院中なことも関係あるのかもしれない。
割と子供の件については夫婦でオープンに話し合っていて、「将来的にできなかったらペットでも飼おうか」という話はしてる。
友人から「赤ちゃんできたよ」って報告を聞くともちろんこっちも嬉しい。でも3%くらい気持ちがざわざわする感情を抱く自分がいることも事実(女性の人なら分かる感情だと思う)。
私の家族は「○○君(夫のこと)は一人っ子だから跡継ぎができないなんて申し訳ない」ってよく言ってくる。「事情も知らないくせに」と内心思いながら受け流してる。
産むなら体力的なことを考えて35歳位までがいいって思ってる。リミットまであともう少し。
リミットを越えたら楽になるかな。
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。
だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」
女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。
被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。
木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと見抜けなかった見る目の無いそいつがいけないんだ」
だってそうじゃないか、女はストーカーに遭って殺されようが勤めていた耳かき屋の頭のおかしい客に殺されようが女が悪いと言われ、場合によってはビッチに気を持たされた男性が可哀想だなどと加害者に同情まで起きるんだ。下心見え見えのアピールに簡単に引っかかって、ホイホイその相手に入れあげて殺される落ち度がもし女にあった場合、間違いなく男のそれの10倍は酷く言われるはずだ。
女が日頃から言われまくっている事に比べたらちょっと連中の言葉を借りて言い返す事なんか屁でもないはずだ。
(被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに)
あるサイトで、自分が男性不妊である事が分かってEDになってしまったという、とても落ち込んでいる男性の記事を読んだ。
「そこまで思い詰める事は無いのに。夫婦で話し合って子供を持たず暮らす道もあるじゃないか」という慰めの言葉の反対側に、間違いなく闇があった。
「こいつだって妻が不妊だったら掌を返して石女は要らないと捨てたり、マトモな嫁が欲しかったと被害者ぶるくせに」
その記事には沢山のコメントがついた。
「これが女だったら産めない欠陥品の上に便器としても役立たずだと言うくせに」
「女が原因ならどんなに苦痛だろうと当然のように治療をさせて金がかかると文句を言うくせに」
「嫁とそのご両親が可哀想だから早く離婚してあげろよ、我が子や孫の顔を見られない人たちの気持ちも考えろ(皮肉)」
「孕ませられない種無しの欠陥品になんて価値ないよね? 結婚してる意味ないよねこの男(皮肉)」
自分と同じことを考えている女が案外世の中にはいるものなんだなと思った。
(悩んでいるその男性は、妻に対してそんな酷いことを考えるような人ではなかったかも知れないのに)
暴力や浮気を受ければ女が至らない(見る目が無い)せい、犯罪に遭えば女の落ち度のせい、子供が出来なきゃ欠陥品、作れば迷惑な邪魔者、子育てに落ち度があれば母親失格、容姿が冴えなければブス、年齢が20歳を超えていればババア、共働きでも家事育児全てこなさなければ亭主を蔑ろにする無能妻、専業やパートは寄生虫、独身女は出来損ない、男の本能に従わない女は愛されないクズ、女はゴミ、家畜、劣等生物、産む機械、便器、
そんな言葉をネットに吐き捨てるのは心の歪んだゴミのやることだ。人生がうまく行っていない不幸な連中が、自分より劣っていると勝手に信じている他人を理不尽に攻撃して、その場限りでも強くなった気分に浸りたいだけの単なる戯れ言だ。
良識をお持ちのご立派な他人に今更言われなくともそんなことはわかっている。だからなんだ。黙っていたって反論したって汚い言葉で倫理の歪んだ言説を撒き散らすあいつらが、そう割り切ったら全員死んでこの世から消えてなくなるとでもいうのか。
何年もそうした奴らを黙って見ない振りして来た。やり返すのも同罪だから大人になろうと諌める理性的な同性に従った。それで何が変わったのかと言えば何ひとつ変わらなかった。増長してより一層汚らしい言葉を撒き散らすばかりだった。
増長し過ぎて幼女のマ○コ舐めたいだの女強姦して孕ませ家畜にしたいだのネットの隅で一般人にバレないよう隠れて言ってりゃよかった性癖を堂々と表で抜かすようになったものだから、とうとうPTAや教育委員会といった冗談の通じない方々の目に触れて表現規制問題なんて物が起きた。言論弾圧だともっともらしいことを言って被害者ヅラする連中に内心笑いが止まらなかった。ざまあみろなにが言論の自由だ。諌める声を片っ端からブスマンコ黙れだの幼女に嫉妬するババア乙だの罵って封殺して来たお前らが言うな。
ネットから離れてPCの電源を落とそうが、周りのまともな男女と話して現実を取り戻そうが、そいつらの言葉は心の中にわだかまっていつまでも闇を作ってきた。
だから男が酷い目に遭ったと聞くと内心胸がスッとする。
被害に遭ったのが何の落ち度も無い男性ならば本当にお気の毒だ。
だが、あるとき心の中にわずかでも「される女にも落ち度があったのだ」と被害者の女を安全なところから責め立てて悦に入った日があったなら。
人生がうまく行かなかった頃のある日にカッとなって「女なんか肉便器だ。全員家畜にしてやればいい」と過ぎた言葉をどこかに書き込んだ事があったなら。
心の底から指さしてそいつらを笑ってやれる。少しの良心の痛みも感じない。
かつて散々罵って来たそいつらの言葉を、堂々と投げ返してやれる瞬間のなんと気持ちがいいことだろう。
お前らに落ち度があったからそういう目に遭うんだ。ざまあみろ。日頃お前らが言ってることだろうが。自分が言われた途端に被害者ヅラなんて論理的な男性のすることじゃないだろ? 女みたいにヒスを起こして感情的になるなよ。冷静な男なら笑って受け流せよ。ははは。はははは。
まっとうな男性とまっとうな男性を身内にお持ちの女性には、読むに耐えない暴言を深くお詫び申し上げます。
どうせこんなもの書いたところで女叩きが大好きなキチガイ君共の脳に届くことは一生ないのだろうが、今日という今日は書かずにいられなかった。
【追記】
@haha64 さんの疑問にお答え
この理屈で行くと、被害者の女性を女性が叩く場合もあるので(ベビーシッターの事件では母親が女性たちに叩かれていた)、女が酷い目に遭っても内心胸がすっとしているはず。なんでそうならないんだろう。
「私女だけど最近の女は警戒が足りないと思うの。隙があるような服装をしてたからよ」と言ってた女が犯罪被害に遭ったり
「私女だけど最近の女は我慢が足りないわよね、全然男性を立てないし」と言ってた女が超弩級の男尊女卑一族に嫁いで猛烈な嫁いびりを喰らったり
「私女だけど浮気くらいで目くじら立てる女ってバカじゃないのと思うの」と言ってた女が男に浮気されたうえ愛人と一緒になりたいから別れてくれと言われたり
「私女だけど子供を愛せないとか言う母親が理解できない。どんな子でも愛するのが母親でしょ」とか言ってた女がすっげえ育てにくい子産んでノイローゼになったりしてたら
内心どころか心底胸がすっとするよ! 名誉男性も(※ゴミのほうの※)男の一部だからね!!
ざんまあああああああああ因果応報でメシがうまいとか思っちゃうよ!
(というか、実際のところは男性に対しても「もし夜道を歩いてた女が悪いとか言ってたゴミ男だったらざまーみろ!!」と思うからこそ胸がスッとするのであって、普通の男性が酷い目に遭った事自体に対しては全然メシは美味くならないよ! 普通の男性が死んでしまうのはその分ゴミの割合が増えて不愉快なことだからね!)
なんかブコメ付けてくれた一部の人のアカウント晒すカスが出てて本当に申し訳ない。こんなキチガイ増田に賛同ブコメなんかするのさぞ嫌で勇気がいったでしょうに。
皆さん本当にありがとう。
mixiをやってた頃。
子どもができない辛さ、切なさを切々と日記に書いてる友達がいた。
絶対にコメントをしない。
それを周りも薄々感づいてはいたけど、どうにもできず。
と書いたことによって、その子に気を使って段々と周りの友達も子供のことを話題にしなくなっていった。
「みんなが妊娠を日記で報告した時には『おめでとう』も言えなかったのに…」
と書き込んでいて…
「やっぱりわざとおめでとうを書かなかったんだな」
と、なんとも言えない気持ちになりつつ、よかったなあと思った。
素敵な人になるに違いないと思って。
そしてmixiをやらなくなってFacebookで彼女と再会。
見事に子供の記事ばっかりなのに加えて
子育ての辛さや育児に理解のない行政に関する不満ばっかり書いていた。
おい。
がっかりだよ!!
リンクで飛んできたから日付みてなかったけどそんな前だったのか
治療してる内容聞いたら金額もだいたいわかる。人に話せない分そこでの交流は濃い。
まあ不妊なのって他人に言う女には不妊治療組も欲しくない組もいる。追求されたくないから言ってるってだけのも。
結婚したいけどいい人がいないってのもする気がないのも相談所契約してるのもいる。色々だよ。
30代後半にもなると、20代のうちに動いたらってのはあると思うよ。
妊婦になった。
予想もしなかった事態に正直戸惑っているが、もちろんそれに向けた行為はしていた訳で当然の結果でもある。
だけど自分は一生妊娠しないだろうとどこかで思っており、その予感を裏切られた形。
医師から「おめでとうございます」と言われた時は変な気分だった。
私はもう随分前から不妊治療を受けていて夫も私も検査をしたのだけど理由がみつからなかった。
晩婚だったため年齢が唯一絶対の理由としてはあるけれど、他に理由がみつからないという状態。
不妊治療にはいくつかの方法があって、徐々にステップアップしていく方法が一般的だ。
・タイミング療法(セックスのタイミングを医師が指示するだけ)
・人工授精(薬で受精のタイミングをコントロールしつつ、濃縮した精子を機械で注入)
・体外受精(手術で卵子を取り出し、精子と受精させた上で受精卵を胎内に戻す)
私は結局体外受精まで進んだ。
体外受精は「採卵」と「移植」の2段階で作業するが、辛いのは採卵。
心身ともに変調をきたし、仕事もろくにできない、私は2度とやりたくない。
移植から約1か月、医師が「おめでとうございます」と言うので私は授かったらしい。
医師の判断の根拠はホルモンの値で、妊娠しないと出ないホルモンが検出されたから妊娠とのこと。
まだ何も見えないし、根拠も薄いが私のなかには1cmにも満たない自分とは違う人間が居るという事実に
今はただ驚いている。
まあ年が年なもので、ここからどうなるかはわからないのだけど。
夫と医師以外には言えないような状況のため、増田に書いてみました。
■追記
http://anond.hatelabo.jp/20140307163032
授かるといいね!祈ってる。
ライドシェア斡旋サイト、『乗ってこ!』みたいな仕組みで、精子提供サイトを運営すれば、
利用者の不安も軽減して、善意の提供も増えるのではないか?と書いてみた。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/health/108.html
で先週、NHKクローズアップ現代で「ネットを介した匿名精子提供」のニュースが流れていた。
5年前から匿名精子提供サイトの状況を観察している自分からすれば「何をいまさら」感のある報道だったが、
この報道を機に、「精子提供ボランティア」が世間的に注目を浴びるようになった。
--------【以下本文転載】--------
「精子バンク制度が極めて未発達」という事情も、少しは影響しているんじゃないか、と
薄々思っている。
諸外国、例えばアメリカなんかでは「精子バンク」が発達していて、
シングルマザー希望者とかが、「よりどりみどり」でチョイスできる。
「結婚しているが、夫が協力してくれない」とか、
※因みに産婦人科で取り扱う精子は、「医学部学生が提供している」という
未確認情報が広まっている。
2.日本国内で、ボランティア的に精子を提供してくれる男性が運営する
そもそもネットの海の中で、そのようなサイトまで辿りつくのが難しい。
http://happy.ap.teacup.com/npsb/
は信頼できそうですが。
3.男性知人に頼む
しかし、このようなニーズというのは、一見少ないように見えるが、
いざそのような「仕組み」を組み立ててしまえば、案外ニーズが湧いてくるものだ。
ニーズというのは
実は、この
「一見ニーズがなさそうなんだけど、フタを開けてみれば、ニーズが湧いてきた」
というのには、実例がある。
「のってこ!」も、
「いくら料金が安くても、他人のクルマに乗りたい奴なんかいるもんか!」と言われていたが、
フタを開けると花丸急上昇中である。
そのようにして考えると、「精子提供サイト」と、「のってこ」は、
非常に「よく似ている」。
「のってこ」の不安点は、「相手が信用が置ける相手かどうか?」である。
この点について、
のってこ側が相手方のクレジットを保証する」という仕組みで解決している。
「男性の素性について、事務局が本人確認書類なり、健康診断書なり、卒業証書なりで
身元の確からしさを保証した」場合、女性側の不安は相当程度軽減される。
また、「のってこ」は、
「利用者から料金を取らず、広告で以って儲ける」というビジネスモデルである。
「利用者からは身元保証料プラスアルファ程度(5万円程度)しか取りません、
アメリカみたいに100万円も取りません」とすれば、
そのようにしても、「不妊症に効くクスリ」とかの広告を貼ることで、
充分に運営することができる。
因みに、
「男性側にどのようなメリットがあるの?」と訝しがる向きもあろうが、
「既に子供がいて、もっと作るには経済的に・・・」という人もいる。
「これほどおいしい話はない」。
また、ここで「精子バンク」と書かず「精子提供」と書いているのは、
「のってこ!」のように
「8月9日に大阪で提供希望です。都合の合う方いますか?」のように、
「男性側、女性側が、個別に提供日時・場所を提示する」というスキームを考えているからである。
なお、実際の「やり取り」は
http://happy.ap.teacup.com/npsb/
によれば、「注射器」が一番確実なようだ。
で、万一「良からぬことを企んだ男性」がいた場合には、女性からの申告により
で、プラットフォームとしては、男女ともに以下の事項を登録するイメージだろうか。
★年齢
☆病歴
☆血液型
☆学歴
☆職業
☆家族状況(既婚・未婚等)
☆顔は誰に似ているか?
結局どうしてそこまでして動物を飼うかというと、「去勢・不妊して飼うほうが、飼わないよりも利益になるとその人が判断したから」だと思う。
たとえば昔の騎馬民族の話をするけれど、彼らは優秀な馬を数頭残して他はすべて去勢してしまう。
そうしたほうが、発情期に暴れるなど、人間にとっての不利益を抑えることができる(発情期に百頭あまりの馬が一斉に暴れ始めたら手がつけられなくなる!)。
なぜそこまでして馬を飼うかというと、馬は売ればカネやモノになり、乗りこなせば戦力になり、彼らはそれらから利益を得て生計を立てているからだ。
現代で猫や犬を去勢するのも、それと同様に考えることができると思う。
この場合は、不利益ってのは増えすぎる・病気にかかる、などの問題のことで、
エゴで例えるとちょっと抵抗ある人いるかもしれないけど、要は人間はとか社会はとかじゃなくて「貴方は」なぜ飼うことにしたのかということ。 それを知りたいの。
「動物を飼わないよりも飼うほうが心の充足感が得られるので飼うことにした。しかしそのままだと(前述のような)不利益があるので去勢した」
になるだろう。
犬や猫の不妊・去勢手術が飼い主に求められていることや、手術に様々なメリットがあることは知ってる。
「人間のエゴ」とか言い出しちゃうとキリがないし、人間が管理しなければ自然界に様々な悪影響を及ぼすだろうことも理解できる。にしても「不妊・去勢手術」ってとびきりエゴエゴしいっていうか。
犬・猫が好きで一緒に暮らしたいがために不妊・去勢手術しなければならないジレンマというか。
「家族の一員」と言いつつその家族の生殖能力を奪っちゃう不条理というか。
にもかかわらず犬・猫を飼っている(そして不妊・去勢手術を施している)ということは、これらのジレンマ・不条理をものともしない「何か」があるからだと思うんだけど、それが何なのか誰か教えて欲しい。
追記
でもそれは飼う・手術する理由じゃない。飼わなければ・手術しなければいいのだから。
犬・猫を飼い、手術を施すことによってそういうエゴや責任と否応なく向き合うことになるにもかかわらず、それでも飼う・手術する理由は「何か」が知りたい。
追記2
野垂れ死にか不妊・去勢かというトリアージ的な状況下ではそれしか無いよねって思う。
でも健康面とか増えすぎるからってのは自分が求める理由とは違う。繰り返すけど飼わなければいいのだから。
なのに何故飼うのか、ということ。
エゴで例えるなら、そこには「人間の」ではなく「貴方自身の」エゴがあるはず。
エゴで例えるとちょっと抵抗ある人いるかもしれないけど、要は人間はとか社会はとかじゃなくて「貴方は」なぜ飼うことにしたのかということ。
それを知りたいの。
追記3
一部消えているトラバもあったけどぜんぶ読んだよ。
自分は何かを主張するために質問したんじゃないよ。理由を知りたかっただけ。
だからすごく参考になったし、質問とズレたところの議論とか、この質問自体に対する反応とかも窺えてすごくうれしい。みんなありがとう。
そういうつもりじゃないんだけど(でもそういう人もいるだろうことは想定はしていたんだけど)、気分を悪くした人ごめんね。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905
上の三つが目に留まりました。
この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラしたからです。
学生時代は塾講師で中学生に理科国語数学を教えてました。(6年)
ということですべての意見に対して反論することはできるのが
肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います
結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。
以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。
結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。
きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。
これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。
基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力が必要です。
ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います。
だから、現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。
では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。
保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法の妥当性を学ぶためには生物が必要である。
同上
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスクと副作用のリスクを勘案すればよし。
中学校の理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞が血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?
高校の化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。
・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか
空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学の理科で空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。
空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。
まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力が必要になる。
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
最近の高校の教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉でダイエットはできるのだろうか?
ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。
大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。
そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である。
ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。
他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。
さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。
対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的、社会的なトレードオフの問題になりますが。
世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者の仕事であると思いますが。
教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います。
さて、以下はすべて反論である。
彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである。
レベルという言葉をプログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。
それと、相手に対しては敬意をもった言い回しをしましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。
“バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”
こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?
みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?
この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間のトレードオフ的に有利だからです。
“現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”
何を言っているかわからない。系統学習の有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。
また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?
問題解決だけしていても断片的な情報だたまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。
応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間のトレードオフ的に無駄ですよね?
”台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。”
そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?
さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?
たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体が数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?
台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います。
それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?
”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”
本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます。
算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?
彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。
最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています。
私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。
むしろ重要なのは現在の科学教育の妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います。
また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います。
私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、
基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在の教育で十分にできている。ということです。
これはバッタさんも指摘していることですが…
一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています。
それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的な裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。
それ以前の問題、論理の破綻や無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。
嘘や適当なことを言って自分の意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから。
結婚して五年以上、付き合った年数を入れたら十五年近くになる夫婦だが
お互いの両親からも子供は?と聞かれることなく(このままだと孫も見られないというのに本当に良く出来た両親と義両親だ)
のんびり過ごしているのだが、唯一子供は?と聞いてくるのが職場の上司たちだ。
上司たちは社内結婚で妻を専業主婦にし、子供を二人くらい育てつつ家庭を顧みず不倫したりしてる典型的会社人間だ。
自分がもし妊娠すれば産休なり退職なりで被害を受けるから早めに聞き出そうという魂胆なのだろうが、
当のコッチは全く興味がない。
彼らが皆言うのは「子はかすがいだよ」と言う。
それは認めるが、不倫ばっかりして家庭を顧みていない人達にそんなことを言われても心に響かない。
聞き流していたのだが、彼らの言う「子はかすがい」というのは「子供がいなけりゃ妻とは離婚してる」という意味を多分に含んでいるのではないかと思い至った。
子はかすがい、子はかすがい、と言っている人ほど子供がいなければ家庭が崩壊しているということなのかなと感じるようになった。
そして同時にもこう言われる「子供がいなくてもそんなに長く付き合えるなんて、仲がいいんだね」と。
確かに結婚して子供がいる友人は夫婦共通の趣味もあまりなく、結婚してすぐに子供を設けた(不妊治療などで時間がかかった人もいたが、治療に入ったのも割りと早かったので、とにかく子供がほしい気持ちが強かったのだろう)。
一方結婚して長いこと子供を設けていない友人ほど夫婦共通の趣味やコミュニティを強く持っている。
勝手に親の都合で「かすがい」という道具にされている子供というのもなかなか息苦しいだろうなと思う。
一方的な価値観の押し付けをしてくる上司はめんどくさいし、こんな人間の妻やら子供やらにはなりたくないなと心から思う次第である。