はてなキーワード: レポートとは
新型コロナウイルスの影響で、どの電車も窓を開けて走るようになったわけだが、気候が良くなるにつれ、その開き方もだいぶ大胆になってきた。
初めは、車両端の何枚かの窓が、上の方だけ申し訳程度に開いているだけだったが、今や、あらゆる窓が全開になり、走行中の風の吹き込み方には恐怖を覚えるほどである。
例えば、新聞を読んでいたら、手から吹き飛びそうなほどだ。というか、実際に飛んで行ったのを見たことがある。車内を紙束が舞うというのは、コロナ以前では考えられなかった光景であり、ある種のファンタジーさえ感じてしまった。
そうして、恍惚にしばし酔っていると、落語のような呼応として、隣の車両から週刊誌が飛んで来ることになる。それは丁度真ん中あたりのページで開かれており、蝶のように片半分ずつを揺らしながら舞っていき、寝ているおじいさんの頭に乗る。カツラのようである。
もちろん、電車からは何物かが飛んで行くだけではない。洗濯物が飛んで来て、網棚の忘れ物のレパートリーが増える。駅弁が飛んで来て、ちょうどいい旅のお供になる。桜の花びらが飛んで来て、その速度と居なくなったあの子に思いを馳せる。そして、黒いカラスが飛んで来て、寝ているおじいさんの頭に乗る。カツラのようである。
つまりは、乗客全員が一つのコントを演じているような錯覚を覚えたわけだが、思えば「嵐は愛に気づくために吹いてる」のであり、全開の窓から吹く強風の恐怖感は、乗客同士にそれに打ち勝つだけの連帯感をもたらしたのだろうと、ひとり納得する。
とにかく、そんな微笑ましい通勤風景が垣間見られるようになった電車の様子を、通勤自粛により電車に乗り損ねている皆様にありのままレポートしたわけだが、これを聞いて、これが満員電車に戻ってしまったらどうなってしまうのだろう、と思い悩むのはもっともなことだと思う。
ちまたでは、人が増えればコントの幅が広がるのでますます楽しみだという素朴な意見がある一方、換気の問題は非常に心配であり、換気機能をさらに良くするため、扉も開けっ放しにすべきだという素朴な意見も出ているようだ。
よく考えたら、電車はジェットコースターよりもスピードが出ているわけで、そんな中、平然とスマホをいじったり、寝てたりするって改めてスゴいことだなと、窓が全開するようになって思ったわけだが、扉も開けっ放しになれば、そのことはなおさら痛切に感じられるのだろう。
例えば、急カーブのたびごとに扉から落ち、また乗り直す間に遅刻する社員が増えたと憂える新聞記事を読みながら、「新聞って、本当に有ったことを書いてるんだな」とか言いつつ、風吹く電車の手すりに一生懸命しがみつくことで、このしがないサラリーマンにも、新聞の記事に対する共感を覚える日がようやく来るのだろう。
そうなったら、通勤電車もSFの素材になれそうだ。車内を舞う週刊誌に比喩が籠められる日も遠くはない。おじいさんもまもなく目を覚ますだろう。そうして、ファンタジーを帯びた満員電車に戻る日はいつなのだろう。早く満員電車に乗ってみたい。
https://twitter.com/abetokyo/status/1264365976834863106
簡単に言うと
・都から「業界で感染防止ガイドラインを策定してそれに基づいて行動しなさい」というお達しが来た
・ガイドラインを策定したり、そのための調査レポートを都が我々に送るべきで、それもナシじゃガイドライン決めようがないですよ って意見
・・・なんだけど、
これに対しての反対意見ぽちぽちツイートしてたら長くなってしまったので加筆しつつまとめとく。
「ガイドライン策定(そのための調査を含む)が行政ではなくライブハウス業界の仕事だ」という行政のお達しは、筋としては合ってるんじゃないかなー。
「まともな補償もないしそんなお金の余裕ないよ!」ってのはありそうで、それはもちろんなんだけど。
一般的に、再発を防ぐべき何かについてはその過失主体に関わらず、当事者が再発防止策なりを取りまとめるものなわけで。
業界団体としても休業期間中に綿密な調査しているはずなので、そのデータをだすなり逆に「このデータくれ」って都に言うなり、ってのが建設的なんじゃないのかなぁ。
少なくとも都がイチ業界に対してサーベイランスをして分析レポートを出してエビデンスに基づいてガイドラインを作り、かつ責任を負う・・・ってのはあまり社会通念上ありえないケースだと思うけどな。
ライブハウスが行政の事業だった場合とか、逆に治療費がライブハウス持ちになってしまう、とかだったらわかるが、今回のケースはどっちでもない。
このガイドラインを作った結果新たに守られる(再開できる)のは「ライブハウス業界の商売」だけであって。
そのためのガイドラインになんで行政が自発的に行動しなきゃいけないのかっていったら合理性に欠ける。
※守られるのはライブハウス経営者個人、ですらない。彼らに対しては職業選択の自由も、生活保護もあるわけで。むしろ行政としては職業選択の自由をなくさないように景気をどうこうするのが当然最優先課題なわけで。
まあこれでライブハウス業界が、できる限りの範囲で2020年2~3月の実態調査、例えば
・どんなスケジュールで
・どんな客の入りで
・どんな客の感じで
みたいなアンケートすら取ってない、とかだったらもうサーベイもクソも無いので話にもならないけどね。
店閉めてて生活苦しいから金くれ、って話はあんまり金出ないかもしれないですけど、
これこれの調査をこうするからこういう金くれ、データくれ、ってのは案外出たりしますよ。
(マスコミ動かすなり議員経由なり、やり方の上手い下手によるけど)
まして結構話題の渦中の商売で公共性高い問題なんだしやりやすい方だとは思うんだが、そのへんのトライの状況はどうなんだろう?
そのへん全部八方手詰まりだったら文句も言いたくなるでしょうし、動画のような不満もわかる。
ただ動画見る限り、
「こちらが何も言わずとも行政が完全にサーベイを行ってガイドラインを決めるのが当然だろ」
と言ってるようにみえたのでそれはさすがに行政の仕事じゃないよ、って話。
変なたとえ話になるけれども、
長い年月をかけて業界団体がまずヤーと決別し、
「スロ6号機の出玉制限2500枚」とかを、
って姿勢だったらとっくに潰れてるか、取り潰されてるよ。
コロナ禍は長い年月の話でもないし、
法律とのすり合わせの話でもないんだけど、
「業界」ってのにはそのぐらいの自律歩行能力が求められるって話。
このコロナ禍ウンヶ月あったわけで、さすがに第二波どうのとか、自粛解除とか含めて多少の未来予測はできて、それに基づいて各業界は生き残りをかけて必死にアレコレやってるわけで。
・休業判断
しかせず、アンケート調査もなにもしてません、ってんだったらさすがに救われないよ。救われるわけがない。
まして行政がなんでガイドラインまで作ってあげないといかんのよ。
暴論、病院や電車や経済や水道をちゃんと動かすことに比べたら、
ライブハウス業界なんてあってもなくても人々の生活は回るんだから、何もしないんじゃ「お前らの業界の行末なんて知らんがな」って話になって当然。
現実論としては、大事なのは定量化しないとカネの話にも交渉の話にもなりゃしない、ってことです。
例えばできる範囲での素人調査をして(アンケートや電話でも2週間ありゃできる)、
「このくらいのハコでこのくらいのライブをやるとこのくらいのリスクがあるように思えます、だからこのくらい自粛します」
「ガイドラインの妥当性に文句がある?じゃあお前ら行政の専門家で検証しろや!お前らがガイドライン作れて言うたんやんけ!」って言ったり、
だったら話になるんですよ。
むしろ都が「ガイドラインをお前らで作れ」って言ってきたのは、その話の取っ掛かりをくれてんだと思いますよ。
むしろ今のご時世ってわりとガバガバにお金くれる時代なのに、それを超えてライブハウス業界が何もしなすぎ、せめてこんな事から始めなさいね、っていう優しい指導にしか見えない。
だいたい税金なわけですよ?
ライブハウスに1mmも興味ない人とかからも集めたお金なんですよ?
「何もわかりませんがとりあえず閉めました、ただぼさっと閉めて何も調べてませんから開ける基準もわかりませんし、専門家が調査して教えて下さい」
じゃあ、行政だって補償も調査もどこまでどうカネや人をだしたら良いのか、何を指摘したらいいのか判断しようがないわけでして。
仮にも税金って人様からお預かりしたお金なんだから、アラブの金持ちが「よっしゃわかった!音楽業界をワシが救ったる!」で男気マネー出してくれるのと違うわけですよ。
ライブハウス業界が「あーそりゃ潰れて当然だわ」って言われる側でないことを切に望みたいのである。
なるほど、そういうものなんですね。
Dockerは、「Dockerfile」という設定ファイルを作って運用するみたい。
手書きでコマンドをまとめるのは、結構大変そうだから、こういう設定をGUIツールでチャチャッと済ませたい。
説明を最小限にして、操作の手順だけをまとめたら、これだけコンパクトな文量になるんだな。
もう13時だし、ここらで試しにインストールしてみるか。
寂しすぎてレズ風俗いきましたくらい人生のわだかまりが消化できたレポート読んだことないし
ただ、性欲を発散しただけだし
お金を払ってまでも自分を堕としているっていうことに気がつかない哀れな人だ
FGOのフレーバーテキストやガチャ実装時の紹介文があちこちの資料・ウェブサイトから剽窃していることが判明し絶賛炎上中の件について、ディライトワークスではない別のソシャゲ会社に勤めていた経験から、「こんな感じだったのかなー」という妄想を書き連ねておく。
疫病が猛威を振るい、歴史が示してきたとおり人々は政治への議論を活発にしている。
だが私は政治の話ができない。めちゃくちゃしたいのにできない。何故か?
政治の話をする人が右左関係なく口がめちゃくちゃ悪く、ヤバい人に見えているだからだ。
一緒の扱いをされたらたまったものではない。
こういうスタンスの人は結構いる。政治の話になった時にこういったことをポロッと言ったら結構私も私もとなったからそうだと思う。
この時点で「もっと政治に興味を持つべきだ!」とか「不勉強!無知!」とかそういう罵声が飛んできそうなところだが、
なぜヤバい人に見えるのかというのを私の視点から述べたいと思う。
「そういう人があまりにも目立つだけで、そういう人ばっかりではない」というのを踏まえて欲しい。
相手の意見を「正しさ」ではなく「立場」で判断し、全否定か全肯定のどちらかしかない人に見えてしまう。
言い換えれば、自分が所属する立場かどうかで相手を判断するというめちゃめちゃな偏見の塊に見えている。
「一番大事なのはそれをしてどうなるかや論理であって、あなたが正しいかどうかは全然どうでもいいんですけど?さてはこいつ利用しているだけで本当は興味がないな?」
と警戒心を持つこともしばしばだ。
論理や理屈の話をしているはずなのに怒りやら悲しみやらを感じている人が多すぎる。
100*0=0の計算に対して、「せっかく100もあるのに0になるなんて悲しすぎる!この計算嫌い!」と言われたときの気分だ。
感情を表明されても困る。
こっちが読みたいのは論理の構造や問題点を示した評価レポートであって、感想文ではない。
これが一番でかいかもしれない。
批判する相手が安倍晋三にしても、山本太郎にしても、蓮舫にしても、立場関係なくそういう人が多い。
通常、目の前の人間に「無知」「無脳」「独裁者」といった類の言葉を投げかけるのは完全に倫理観に問題がある。
相手に問題があるなら、相手を傷つけていいのか?と言い換えればわかりやすいだろうか?
これを許容し、かつ実行する人間であるということは、政治に興味を持ち、問題から目を背けないということよりも遥かに人間的に問題がある。
正義の側でいることは大事だが、正義を執行するのはあなたではないのだ。
中国やインドが国力を伸ばし、アメリカ一強の時代が終わろうとしている今、政治や社会情勢に興味を持ち、議論をして考え方をアップデートしていくというのはとても大事なことだと思う。
その大事な時に、話の場が劣悪な環境なのは良くない。日本人は議論が下手くそと言われて久しいが、せめて感情や正義感に溢れすぎている議論というのはやめて欲しい。
途中でやめられた場合、翌年まで補充は来ないということに対するリスク評価があまい
きっちり評価に入れて、10年間の研修による成長の効果なども評価に入れて 無能をクビにするというプランも入れて、レポート再提出
あと
首になりそうな社員が、レポートを焦って過労死する場合のデメリット
および、ストレッチやカフェインによるリララックス効果についてのレポートも添えろ
ちなみに、うちのビルの3Fにはジムが入っていて会社で契約しているから、社員証を見せると、都度100円で使える それもレポートに含めろ
ゴールデンジムが、倒産のニュースが出ているが、経費見直しについてわざわざ事務に言う必要があるか?
予測値も入れておけ