疫病が猛威を振るい、歴史が示してきたとおり人々は政治への議論を活発にしている。
だが私は政治の話ができない。めちゃくちゃしたいのにできない。何故か?
政治の話をする人が右左関係なく口がめちゃくちゃ悪く、ヤバい人に見えているだからだ。
一緒の扱いをされたらたまったものではない。
こういうスタンスの人は結構いる。政治の話になった時にこういったことをポロッと言ったら結構私も私もとなったからそうだと思う。
この時点で「もっと政治に興味を持つべきだ!」とか「不勉強!無知!」とかそういう罵声が飛んできそうなところだが、
なぜヤバい人に見えるのかというのを私の視点から述べたいと思う。
「そういう人があまりにも目立つだけで、そういう人ばっかりではない」というのを踏まえて欲しい。
相手の意見を「正しさ」ではなく「立場」で判断し、全否定か全肯定のどちらかしかない人に見えてしまう。
言い換えれば、自分が所属する立場かどうかで相手を判断するというめちゃめちゃな偏見の塊に見えている。
「一番大事なのはそれをしてどうなるかや論理であって、あなたが正しいかどうかは全然どうでもいいんですけど?さてはこいつ利用しているだけで本当は興味がないな?」
と警戒心を持つこともしばしばだ。
論理や理屈の話をしているはずなのに怒りやら悲しみやらを感じている人が多すぎる。
100*0=0の計算に対して、「せっかく100もあるのに0になるなんて悲しすぎる!この計算嫌い!」と言われたときの気分だ。
感情を表明されても困る。
こっちが読みたいのは論理の構造や問題点を示した評価レポートであって、感想文ではない。
これが一番でかいかもしれない。
批判する相手が安倍晋三にしても、山本太郎にしても、蓮舫にしても、立場関係なくそういう人が多い。
通常、目の前の人間に「無知」「無脳」「独裁者」といった類の言葉を投げかけるのは完全に倫理観に問題がある。
相手に問題があるなら、相手を傷つけていいのか?と言い換えればわかりやすいだろうか?
これを許容し、かつ実行する人間であるということは、政治に興味を持ち、問題から目を背けないということよりも遥かに人間的に問題がある。
正義の側でいることは大事だが、正義を執行するのはあなたではないのだ。
中国やインドが国力を伸ばし、アメリカ一強の時代が終わろうとしている今、政治や社会情勢に興味を持ち、議論をして考え方をアップデートしていくというのはとても大事なことだと思う。
その大事な時に、話の場が劣悪な環境なのは良くない。日本人は議論が下手くそと言われて久しいが、せめて感情や正義感に溢れすぎている議論というのはやめて欲しい。