はてなキーワード: イメージとは
ちょっと時間経ったけど6月半ばに初コロナ感染したメモ。なお通常の平熱は35.7度前後。
4月、5月にも風邪症状(喉の痛み、微熱)が出たが、病院でのコロナ、インフル含めた検査では何も出ず。部屋の芳香剤の匂いが何も無い気がして、かなり怪しかったが…。風邪薬を出して貰って一週間ほどで治る。
4/5:37.4度
5/19:36.5度
会社の飲み会参加(屋外)。深夜辺りから喉の違和感があり、市販風邪薬を飲んで就寝。
昼過ぎに起床した時点で微熱な気がして測ると37.5度。市販風邪薬を飲んで寝るが上がり続け21時には38.5度に到達。
深夜から翌朝は喉の痛み、咳、熱で全く寝られない。熱で暑いのに身体は寒気。市販風邪薬は全く効果が無い気がする。
朝時点で38度、夕方には37.2度にやや下がる。
朝時点で36.7度。病院へ行って検査したら遂にコロナ陽性確定。貰った薬は4月、5月と同じで総合感冒薬、喉の炎症に対する薬とか。
まず何処で拾ってきたか。潜伏期間を考えると流石に6/21当日はないし、参加者で他に感染者は居なかった。過去一週間のロケーション履歴を見ても、それまで行かなかった新しい場所へ行った形跡は無い。
手洗いは帰宅時、マスクは電車・駅・店内で着用、という行動パターンだったがやっぱり常時マスクが無難なのか…。
症状について。
38度越えの熱なんて(ワクチン時を除いて)何年振りだというぐらいに記憶が無い。症状的に風邪と言われれば風邪に近い気はするが、喉の痛みと咳が強烈。声が枯れたり声が出なかったりする。イソジンでうがいをしてもほぼ効果なし(が、やらないよりはマシ)。どうやらアズレンの方が効くらしい。
そもそも自分は風邪引くと喉よりも鼻に来るタイプだったはずなので、喉に来た時点でコロナ系だと思って良いような気もする。今回も匂いは確かに感じられなくなったが、そもそも鼻が詰まっていたのも一因な気がする。ちょっと自信が無い。
あと思い返すと胸辺りのちくちくした痛みが息苦しさだったのかと思う。
息苦しいという症状、イメージは湧くが体感したことが有る訳では無いのでこれが息苦しいのかが判断難しい。息を吸っても吸った感じがしない…ようなものかと思ったのだが、胸(肺)が苦しいみたいな感じがする。
コロナ感染を経た後だと、電車でも会社内でもノーマスクで咳してる勢があまりに多過ぎることに気付いてしまう。
もうマスクしろとは言わんからせめて咳が出なくなってから外を出歩いて欲しい。
4月の微熱時から、発熱で体温を測った際にはiOSのヘルスケアに体温を手動記録していた。やはり発熱状態の記憶に頼ると上がったのか下がったのかすらわからなくなるので記録は重要だと思う。
が、38度越えの発熱してる最中に記録するのはやはり地味に辛いし面倒だ。
スマホと連携できる体温計を探すと、医療機器承認取ってる正規の体温計はBluetooth(か独自方式)しか見当たらない。Bluetoothで通信するならスマホ側でアプリを起動しておく必要があると思うのでできればWiFi対応のが欲しいのだが。
体重計とかで使ってるWithingsが海外向けに体温計を出しているが、当然国内医療機器承認なし、要個人輸入、肝心の計測方法が赤外線による非接触方式でいまいち信頼性に不安、となかなか良いのがない。
コメントするのって全体の1割くらいらしいんだよね
これずっとモヤモヤしてる
きみらほんとはゾンビなのでは?って
はてなーって多分この割合がガラッと変わって、残りの1%の人が結構集まってるイメージなんだけど
まあそれでもスターしか押さない人の方が多いだろうし、スターすら押さない人は多分もっといるんだろう
1000レスあって、書き込んでるのはだいたい200人くらい
画像とか貼るとView数が2000弱くらいだから、ざっくりROMが9割なんよ
就活の時、説明会に参加した30人くらいの中で発言するのって大体自分含め3人位だったと思うんだけど、あの残りの27人がそいつらなのかなあ
自分の見えている世の中って発言する1割、なんなら定型文を言わない1%のみで構成されてるんじゃないかと
そういう今どきの哲学的ゾンビを考えたりする
____
俺は95年生まれだが、中学時代前後の自分のネット環境を振り返ると、まだまだ制約が多かったように思う。
これは大いに個人差があると思うが、俺の場合、高2で自分のパソコンを貰えるまでネットは親と共用だった。
学校の友達の影響で中2でオタク文化に触れるようになったものの、そのような環境では厳しいものがあった。
ちなみに自分の部屋にテレビもなく深夜アニメは共用のレコーダーで録画するしかなかった(結構恥ずかしかった)。
制約された環境のなかで何を見ていたかというと、アニメの公式サイトや2chまとめサイト、youtubeやエロサイトだ。
2chまとめはアニメ系の「今日もやられやく」、youtubeは東方の音MADやおもしろフラッシュ系(スネ夫探偵事務所とか)。エロサイトは外人のヌードサイトや「裏アゲサゲ」とか見てたかな。親のいない昼間~夕方にかけてこっそり見るのが楽しみだった。
本家2chは怖いイメージがあったから近寄らなかったし、ニコニコも登録が必要だったから見なかった。エロサイトも深くは入り込まなかった。そんなだから割れやゲーム改造もやらなかった。親のパソコンということもあって、割と無難な感じのサイトしか見てなかったと思う。
俺は兄貴もいなかったし学校の友達も少なかったから同世代のオタクと比べて知識は乏しかったはずだ。
のちに自分のネット環境を手に入れて、同世代のオタクたちの姿が見えてくると、自分との情報環境の差にびっくりする。
中学生、早けりゃ小学生から2chに書き込んだり、ニコニコに動画上げたり生主やったり、割れや改造をしたりと、明らかに文化資本の差を感じた。
こういう奴らは上に兄弟がいたり、子供のころからパソコンや携帯を買い与えられていたのだろう。
今でこそ、ネットは万人が当たり前のように使っているが、俺の時代ではまだ居間や学校でしか使えない連中もいたのだ。
豊かな情報環境にいる今の小中学生たちは昔よりもオタク文化資本が豊富だと思う。
ただ、俺は制約の多かった環境で不自由をしたから今の若い奴らが羨ましく思う一方で、ネットとリアルの境界が取り払われ、常にネットの世界に身を置いていなければならない「逃げ場のない」社会で人格形成期を過ごさずに済んでよかったとも思う。
俺よりもう2,3個下になると小中学生でネットに触れるのが当たり前の世代だろうから、95年生まれの子供時代はインターネットが世界を覆う過渡期だったんじゃないか。
石丸も発言にはかなりおかしいところはあるが、一方で市議の連中はもっとひどい。恥を知れとか過激なことは言うものの、それは相手があまりにもひどいからであって、その前提でメディアの注目を集めるために行った発言であるというようなことを本人は言っていたわけなので、だとすると次は「相手がまともな場合は普通に喋れる人」というイメージを作るべきだったわけだが、砂鉄とか割とまともそうな人を相手に全く応援しようがない対応をしたのでがっかりした。どう考えても、ここは時と場合と相手によってコミュニケーションスタイルを変えられるまともな人間ですよアピールをしておかなければならないところだろう。もてはやされてかなり天狗になったか、アクセルの踏みどころブレーキの踏みどころを見誤ったか、なんだかわからないが全然ダメで、残念だ。
ちなみに石丸を少し応援していたと言いながら、投票はしておらず、15万票のあの人に入れていたりするので、ソフト応援者もこれよりますます増えてゆき、コメンテーターかYouTuberか、その辺りに落ち着くんだろうか。
「政治家の表情」について「ルッキズム」だと批判するのは小学生レベル。
ちゃんと学校の授業を聞いていれば高校生ぐらいからは「政治家の表情ってのはその人の売っていきたいセルフブランディングの戦略なんだよね」ってことが理解できるようになるでしょ。
つまり、小池が「親しみやすい雰囲気のオバちゃん」を目指していて、蓮舫が「女だてらにクールビューティー」を目指しているっていうイメージ戦略の違いの戦いなんだよ。
そしてまさしくイメージ戦略だけで戦いに来たのが石丸なわけで、今回の選挙は「政治家は自分のキャラクターイメージを売り歩くアイドルのような商売」ってことがまさしく描かれていたと思うんだけどな。
逆に言っちゃうと、この選挙を見た直後に「政治家が纏っている空気」が「意図的に演出したイメージ戦略」ではなく「本人の生来の性格そのもの」だと思っているなら、それはあまりにも何も見えてなさすぎると思う。
政治のことも分かってないだろうし、それ以前に人間関係自体がまともに構築できなさそう。
ちょっと考えて欲しいんだけどさ、中学校ぐらいからはイケてる子は自分のキャラを演出していくようになるでしょ?
あれに対して「自分を偽って格好つけても虚しいだけだぜ!」って漫画の主人公なんかは批判するけど、ああいうことが出来ないと社会で上手く生きていくのは難しいよ。
「誠実であるかのように振る舞う」とか「怒らせちゃいけなそうに振る舞う」とかそういうのが社会ではどうしても必要になるんだよね。
人間が猿から進化しきれてないとかの話じゃなくて、本当に人間として社会で生きていくにおける「生存戦略」として大事なことなんだよ。
いわゆる「どういう立ち位置で振る舞っていくかに一貫性を持たせていくか」っていう話なんだよね。
クラスの冴えない人達の中にも本気出したら上位カーストに入れるのにあえて「冴えない感じのキャラ」を売っている人がいるでしょ?
ああいうのって要するに自分の趣味趣向や生き方の都合に合わせて自分のブランドを変えていってるわけよね。
そういう人がふと「冴えている人がやるようなこと」をすると、なんかクラスの中で「え?お前はどっちの方向性を目指してるの?」みたいな変な空気になるでしょ?
自分のスタンスを一貫させないと周りが困るっていうのはこういうこと。
「スタンスに押し込めて他人を単純化するなんて愛がねえぜ!」みたいなのは漫画やドラマの主人公の定番の決め台詞だけどさ、たかが40人程度のクラスメート、100人程度の同学年だって全員に平等に愛を持って接するとか不可能に近いわけよ。
部活の知り合いやネットの知り合いまで含めれば200人や300人へ平気で膨れ上がる対人関係、ある程度単純化していかないとやっていけないわけ。
そういう中で適当にやっていくと変なレッテルを貼られるリスクもあるし、いつまでも単純化されない人は「よく分からない奴」ってことで最も信頼できない部類として扱われたりする。
前もってそれを防ぐためにも、「私はこういうキャラですよ」って自分で自分にレッテルを貼っていくわけよ。
「俺はクールビューティーを目指そうとして失敗しているズッコケキモオタで行くぜ!」みたいなキャラであっても、そういうキャラとして一貫しているなら周りからすれば「おいおいアイツまた格好つけてかえってダサすぎてウケるぜ」みたいな感じで受け入れられるチャンスが広がるわけ。
学校なんかだと元の自分とあまりに違うキャラを演じるのはしんどいから、結局みんな元々の人格からちょっとステレオタイプに寄せただけになるけど、これがアイドルや政治家になると全然変わるわけよ。
悪者俳優で食ってる人が私生活ではめっちゃいい人だとか、超陽気な芸人ほど普段はすっげー暗い性格でいつもブツブツ言いながらネタ探ししてるとか、そういうの聞くっしょ?
まあ概ね「誠実」「誰かのため」「正義」あたりは一緒だけど、何において誠実なのかや、どういう正義を貫きたいのかは変わるわけよね。
石丸は「ロジカルな分析に対して誠実であろうとした結果、現代に蔓延る政治屋やマスゴミをシニカルにぶった切るのが私の正義なのです」みたいに振る舞ってますよね?
今は割とロジカルキャラが人気の時代だから結構皆似通ってるけど「理論が大事なんですか!人の心、地域社会への和、故郷への貢献、優しさこそが大事です!理屈ばかり並べる人達と違って私には赤い血が流れている!」みたいな感じで振る舞う人もまだまだいますよね。
こういうのって本当にその人がそういう人なのかと完全に一致してないんですよね。
まあ石丸の場合なんかは「自分ではそう思ってるけど……」みたいな感じのズレ方な気はしますけどね。
そういう勘違いパターンも含めて振る舞おうとしてるキャラと本当の自分が一緒じゃない政治家は結構いるわけです。
つまり、蓮舫・小池が私生活でどういう人なのかとか生まれつきどういう人なのかって話じゃないんですよ今してるのは。
今してるのはあくまで「どういうイメージで売っていく人が有利だったのかな?」という話なんですよね。
まあ元増田は最初から「小池みたいなのが絶対有利だよね!石丸も蓮舫も下手くそだね!」と決めつけてからスタートしちゃってますけど、これはちょっと違うと思いますね。
石丸も蓮舫もああいう「自分が上であり相手が下というのを印象付けるために、優位な立場の人が愚かな人をなだめるかのような笑い方」を戦略的にやっているんだと思います。
まあそれが結果的に今回は敗北につながってしまったのは事実かも知れないんですが、二人ともそれによって結果を出したことはあるんですよね。
今回の都知事選においても、現職と同じ土俵に上るのを避けて別の路線を選んだ可能性は高いと思います。
どうにしろ、これはルッキズムという「顔の作りがいいと印象が良くなる」という話ではなく、「どういうブランディングをしているのかを伝える手段として表情は重要だよね」という話なんですよね。
そこが理解できてなかった人、貴方の人生を上手くいかせるためにもこれはちゃんと考えたほうがいいですよ?
貴方が周りの人にどういう印象を与えたいのかをコントロールする意味においても、他人がどういうキャラで行こうとしているのかを俯瞰的な立場から「あーそういうキャラでやりたいのね」と冷静に分析するためにもです。
ある時期を境にどんどん数学ができなくなってきた。
大学一年の線形代数あたりは反復と気合いで乗り切ったが、物理数学は単位を落とし力学は明け方まで追加課題をやってどうにか単位を得た。
サボっていたわけじゃない。脳の論理的思考を司る部分がまるで動かないのだ。情報はその場限りで記憶が利かず、したがって情報を組み合わせて物事を理解することが困難になった。それまでは法則や公式は丸暗記というよりは毎回頭の中で図形やなんやらをイメージして導出するタイプだったので本当につらかった(今もつらい)。ワーキングメモリが小さくなった、いやゼロになった感覚。
でも誰にも理解されなかった。私を軽い抑うつだと診断した医師ですらこの点をスルーした。
あれから2年経った。今はうつ状態の症状はワーキングメモリの消失以外にはなく普通に過ごしている。最近Twitterで自分と似たような状態についてのつぶやきがバズっており、初めて鬱と脳の状態の関連に思い当たった。
このまま生きていっていいのか?もう元に戻る方法はないのか?周りに理解して欲しいのかしてほしくないのかもわからない。所詮うつ病とは診断されなかった程度だしなぁー。
結局弱女の息子は弱者男性税を取られる奴隷になるのがオチなんだからほとんどある種の問題の先延ばしにしかなってない気が
まあガキなんて親からしても所詮他人なのでそれでいいのかもだが
そもそも一夫多妻制に子沢山のイメージ無いんだけどこれがなんで少子化対策として語られてるの?妻が3人子供が2人ずつだとして6+3人も養える男いる?それでも維持にしかなってない訳だけど
少子化対策に一夫多妻制という話が出てきたので、いろいろ考えてみた。
一言で一夫多妻制といっても、子供をどうやって育てるかによってパターンが違うと思う。大まかに分類するとこの3つ
1. 人口が減り助け合いが必要な時代において妻妾同居制はある意味理想的だと思う。原始時代ってそんなだったのかもね。猿山みたいな感じで。しかし人間には独占欲とか嫉妬心とか我が子びいきとかそういうものがある以上むちゃくちゃ泥沼になるのは目に見えてる。そもそもの価値観自体を塗り替える必要があるし無理があるのでは。核戦争の後なら実現できそう。
2. は、まあ割とスタンダードなパターンだし、これが時間差で発生しているのが現状かとも思う。しかし、妾の立場になりたい人ってそんなにいないよね。「愛人に子供ができたから離婚してくれ」という決まり文句が成立する程度に養育には父親が必要というのが常識であり、お金はわけられるけど父親はわけられない。最初から自分のほうは父親不在であることがわかってて産む人はレアだと思う。
3. これ、子供をどの程度夫に関与させるかでもめるやつなので、結婚制度解体したほうが早そう。女系の血のつながりだけで家族が規定されるイメージ。男に生まれたら一律に自分の子供を持つことはできないという点である意味平等。女の子が生まれれば家は存続できるし、女の子が生まれなかったらどこかから養子にもらわない限りはその家は断絶する。 すべての子供に平等に父親不在が確定してたら、さほど惨めでもない気がする。養育費用は人頭税とってそれを母親と祖母に還元するだけだからシンプル。
やっぱり夫婦揃って子供を育てる=幸せって幻想があるから、それを解体しないと難しいだろうね。
個人的には親の権利と義務を両方減らすのがいいんじゃないかと思ってるんだよね
やばくなったらすぐ児相が子供を取り上げるかわりに、子供が変に育っても親は悪くないという風潮にする。
もし犯罪者になっても「子ガチャ外れたねー」みたいな感じで、タコ部屋みたいなとこに送ればノーカウント、親子の縁が切れるシステムにしてほしい。
婚姻制度をなくす=多妻多夫だよね。親子関係の規定が「誰から生まれたか」だけになるのはシンプルだし、ベーシックインカムと組み合わせたら養育費とかも不要になるからいいよね
そのかわりむちゃくちゃな税率になると思うし、女と縁がない男が荒れて犯罪率は上がりそう。多産多死っぽいデザインになれば少子化自体は改善されるけど。
はてブはネトウヨの巣窟だからこういう増田に乗って今日もサヨク叩き
https://b.hatena.ne.jp/entry/4756353938618226624/comment/white_rose
裏金問題とかで失点はあるにせよ、みんなの「生活」とか「生命」に関わる経済政策・安全保障政策なんかは、自民党がやってることが「ほぼ正解」だからなーw
「自民党が言ってない・やってない政策」を主張しようとすると、だいたいニッチな狭い層の支持しかもらえない。それで万年野党なんだよww
細かいこと言うと、経済政策の多くは「ホントの正解」ではなくて「イメージ的に大衆に支持されやすい政策」だったりして、それゆえ「失われた何10年」になっちゃったりしてるのだが。
これはまったく因果が逆でさまざまな情勢調査でもう民主党圧倒的有利って結果が出てたからマスコミも勝ち馬に乗ったんだよ
その機運も3回くらいの選挙を経て醸成されたもので別に突然風が吹いたわけじゃないんだよね
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
ただこの中にあった、
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。
という一節が気になった(もちろん内田氏は「自分に似た人」に投票する行動を批判している)(この論とは別に、「勝馬を当てる」みたいな投票行動も最近は多いようですね)。
自分個人としてはそもそも「自分たちに利益をもたらす人を選ぶ」意識がなく、「損得は別として(何なら自分にとっては損でも)、こうあってほしいなぁ、という理想に少しでも近そうなものに投票する」イメージでやってきた。ちなみに個人的には選挙権を得てからほとんど毎回投票している(特定の支持政党はない)。
損得だけで言うなら、そもそも選挙なんか行かないでバイトでもしている方が個人レベルではよほど得だ。投票したところで「この」一票が世の中をガラリと変えるわけはなく、徐々に変わるにしてもはるか未来だろう。損得を享受する自分自身がもういないかもしれない。
SNS界隈でも「選挙に行こう」と促す(善良な)人々は多いし、そもそも政府自体が投票率を上げようと一応は努力している。その文脈の中で、一人ひとりの意識の大切さ、投票の重要性、「一票の重さ」みたいなことが言われることがあるが、本当のところ一票はそんなには重くない。
選挙制度の意義を否定する気はないし、一票がどうでもいいと言うつもりもないが、その重みは数十万分の一、数百万分の一といった程度、正直チリのようなもので、重い軽いかで言えば、ゼロではないが重いとまでは言えないと思う。
はっきり言って、権力にとっての選挙とは、「君たちの意見はもう聞きましたので、これ以上余計な政治行動はしないで下さいね」「政治参加は選挙にとどめてくださいね」というアリバイ工作的な面も大きいだろう。もしかすると選挙などボイコットする方がよほど政治的意義があるかもしれないし、実際にそういう運動も存在する。
それでも自分個人は割と選挙には行っている。なぜ行くのかと言えば、むしろ一票が「軽い」からだと思っている。
どう考えてもわたしの持っているこの一票に大した重みはないからこそ、損得を抜きにして理想のために投じられる。
自分の損得なんて、誰でも毎日それを中心にあくせくしているのだから、このクソどうでもいい一枚の紙くらい、夢のために投じてもよいではないか。七夕の短冊のようなものだ。
今日の自分よりは明日のため、もしかしてもう自分もいなくなった未来のために、この軽い一票くらい投げてやってもよいと思う。
内田氏の記事から話が始まったので、一応補足?しておくと、内田氏の言う「自分たちに利益をもたらす」の「自分たち」とは共同体全体をイメージしているように思うし、大局として「個人としての損得を度外視して」みたいな考えもあるのかもしれない。そこはわからない。
それでも「自分たち」は引っかかる。自分も自分の子どもも全部いなくなっても世の中は(多分)あるし、そういう世界を想像できないなら生きている甲斐がないというか、つまらないと思う。
自分や自分と関係ある人たちが全部いなくなった、決して見ることのない世界のために、この百年に満たないクソどうでもいい生を生きて年老いて病気になって死ぬだけのアホみたいな存在が、紙きれ一枚程度の夢を投じられるなら、なんとなく生きていて楽しい気がしてくる。
蛇足になるが、自分個人としては選挙なんかやめてアミダクジで選んでもよいんじゃないかくらいの気持ちはある。ただ「アミダクジにしましょう」を公約に掲げる候補は出てきそうにないし、自分で立候補する気もないので、七夕イベントをエンジョイするに留めている。