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はてなキーワード: にっちもさっちもとは

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150802212143

これ、前から疑問なんだけど、一番社会や人にかける迷惑が少なく、かつ長めに牢屋に入れる犯罪ってなんなのかね。

いつかにっちもさっちも行かなくなったときに使いたい。

2015-06-15

勇気を出して話をしたのに。

最近の悩み。

私は、口下手だ。

感情量と表現力とにギャップありすぎるのだろう。

内面で感じていることに対して、言葉になることが、少ない。

自分の感じたことだが、頭で整理をして、口に出して話すことに、自信が持てない。

  

適応障害うつ状態)になって、昔の友人から職場の人から色々と悩みを聞いてもらっている。

話をしている。

  

悩み事を人に打ち明ける。

あなたのケースは、重いね

あなたのお父さんが亡くなられたことは、知っていたけど、まさか、死因が...そういうことだったとは、知らなかったよ」

そんな(ある種、期待通りの)温かい言葉を掛けて貰えると、嬉しい、話して良かったなと思う。

私としては、ほっとする。

口下手なりにも、通じて良かったなと。

  

でも、その後のアドバイスが、

「色んな人と話した方がいいよ」とか

「頭を整理するには、人に話す方がいいよ」とか

機能不全家族の下に生まれた人でも、大人になってから克服は出来ると思うの。だから、話してね」

なんか、結局、話せって言われる。

もちろん、今まで、人に症状が軽い段階で、話すことが出来ていたならば、状況は変わっていたのかもしれない。

私一人の力では、にっちもさっちも、いかなくなったので、適応障害になった。

いざ、病気になっると、周りも理解を示してくれて、私の話に耳を傾けてくれるようになった。

そこで、話すようにしているのだが。

サボってた訳じゃなのに、な。  

かなり整理して、良く考えてから話をしているつもり。

(だから、以前とは、違った回答や反応も、もらえている。)

  

からこそ、そうは、言われたくなかったな、と思ってしまう。

 

勇気を出して話したのに、これで、終わりたいと、思ったのに。

また、色々な人に口下手だと悪口を言われて傷つくリスクを犯したくはないのだ。

これ以上の失敗はしたくない。

これ以上、傷つきたくないから、話をしたくないのだ。

   

話題としては、自分家族の重い話でなくとも、世間話でも結構、気を遣う。

そう、私は、世間の人に気を遣って生きてきたのだ。

それなのに、報われないのは、コミュ障だったからだと、気がつき始めた。

何か、良いことを陰で行っても、見ている人は見ていたのだが、

思いの外、仕事評価ってそんなに高くない。

報連相が出来る方が、やっぱり、いいのだ。

ちょっとした立ち話で、打ち合わせを、さっと済ませることの出来る器用さが、重宝されるのだ。  

  

でも、私にとって話すということは、困難を伴うことなのだ。

心の中のハードルが、高い事柄なのだ。  

  

前は、口下手だったのに、良くなったねって言われたいのかな。

2015-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20150318224843

横だけど

『金返せ』という要求に応じると、セックスしたという行為自体を認めることになるから、それだけは嫌。

メメ氏がこだわってるポイントはここだからこそにっちもさっちも行かないんだと思うけど

メメ氏の金返せ発言は、5000円という金額の多寡問題ではなくて、「金を返すことでセックスした事実を認めてほしい」という要望なわけで

2015-03-10

友人(男)に手コキされたときの話

※以下の文章には、性暴力に準ずるような描写が含まれています。ご注意ください。








学生の頃、友人(男)宅で酒を飲んでから寝ようとしたところ、その友人に手コキされたことがある。

その友人が同性愛者だということは知っていたし、なぜか同じベッドで寝る流れになったのも後から考えればおかしな話なのだが、まさか自分が男に好かれているとは思っていなかった純真無垢(=童貞)な当時の僕は、素直に同じベッドに入ってしまったのである

最初冗談局部を触ってきているのかと思ったのだが、だんだん本気になってきて、どこで止めていいのかわからなくなってしまった。眠ったふりをしてやり過ごそうとしたが、結果的にされるがままの状態になってしまった。そしてそいつは「起きてるんでしょ?」とささやきかけてきた。

今ではこのときのことを平気で思い出せるし、「文章に起こしてみると、なんだかエロいシチュエーションだなぁ。相手が男であることを除けば」と感じる余裕さえあるが、当時の僕にはもちろんそんな余裕は無かった。

しかも具合の悪いことに、僕の局部はそれなりに反応してしまっていたのである

酒に酔っていたせいだろうか?いや、正直に言おう。僕の局部そいつの手コキによって確実に快感を得ており、その快感を脳へと伝えてしまっていた。お、この文章ちょっと村上春樹っぽくね?「僕のペニスは、確実にその快感を脳へと伝えてきていた」。って、どうでもいいか。つーか冗談でも交えなきゃこんなこと書いてられないっつーの。話を戻します。

そして同時に、快感存在するという事実が、恐ろしいほど不快だった。男に手コキされて感じている。そのことが、僕の心に深い混乱をもたらした。お、また村上春樹っぽくね?そうでもないか。

またしても正直に言おう。僕は「いっそ出してしまえばこの不快から逃れられるのではないか?」とさえ思った。でも、不快快感を上回っていたせいか、出ることもなかった。

結局にっちもさっちもいかなくなったので、思い切って寝返りを打つ振りをして強引に背中を向けたら、なにもしてこなくなった。


まりにショックだったので、その後のことはよく覚えていない。翌朝は何ごともなかったかのように一緒にサークルに行った(そいつとは同じサークル所属していた)のだが、それ以降、そいつと会話することも目を合わせることもできなくなってしまった。別の友人たちに「何かあったのか?」と聞かれたので、仕方なく、ごく数人にだけ「性的なことをされた」ということだけを伝えた。

なぜそいつを直接糾弾しなかったのか。もちろん、そいつサークル内での立場を貶めることが僕の本意ではなかった、という理由もある。

しかし今にして考えれば、僕は「あること」を恐れて、自分がされたことをなるべく他人に教えないようにしたのだと思う。

それは、他人に「なぜ本気で抵抗しなかったのか?」と思われてしまうことへの恐怖だった。このへんは、女性の性暴力被害者泣き寝入りしてしまうのと同じ構造なのではないかと思う。

そしてなにより僕は、いかに不快のほうが大いに上回っていたとはいえ、現実として、実感として、快感を覚えてしまっていた。そのことも、僕の心を挫かせた原因だったに違いない。

その後そいつからは、「どうして無視するんだ」というような手紙を頂戴した。おめーのせいだろうと思ったが、それでも無視していたら、今度は「好きだった。あんなことをしてゴメン」という手紙を寄越してきた。いちいち手書き手紙を手渡してくるあたり、ずいぶんとガーリーなやつだったなぁ。どうでもいい。

結局サークルは辞めて、そいつのことは卒業するまで無視し通した。というか、「そいつを避けようとする無意識の働きに任せるままにした」と言ったほうが正確か。


後々になって、その事件の前にそいつとやりとりしたメールを読み返してみたところ、どうもそいつは、僕のことが好きだということをメール上でほのめかしていたらしい、ということがわかった。その時のやりとりはだいたいこんな感じ。


友人(男) 「好きな男の人がいる」

僕     「Aさん(先輩の名前)?」

友人(男) 「違う」

僕     「あぁ、だいたいわかった」


このとき僕は、そいつがBさん(別の先輩)のことを好きなのだろうと勘違いして「だいたいわかった」と言ったのだが、どうもそいつはこのやりとりで、自分の気持ちが僕に伝わったと勘違いしたらしい。しかし何度も言うようだが、当時の僕はまさか自分が男に好かれるとは夢にも思っていなかったのである。このへんはあくまで推測なので、本当のことは分からないのだが。

で、僕はそいつの家にのこのこついていき、酒を飲み、同じベッドで寝てしまった。そいつにしてみれば、きっと「お泊り」気分だったに違いない。悲しい恋のすれ違い。しかも相手は男である


こういう経験があるので、僕は性暴力被害者に対して「被害者にも落ち度があった」というようなことを言うべきではない、と考えている。誰だって24時間365日、性暴力に注意しながら生きることは出来ない。まして友人や恋人というのは、本来そのような警戒をしなくていいような相手であるはずだ。

今回僕が遭遇したように、被害者の側が「そんなつもりはなかった」というケースもきっと多いに違いない。よっぽど自信過剰な人でない限り、「まさか自分が好かれるわけがない」と思って生きているはずで、そのような考え方は落ち度というより、むしろ常識」の範疇に入るものだろう。


その事件が僕にもたらした精神的ショックはあまりに大きく、そのあとの1年間くらいの記憶は今でも曖昧だ。数日間、食べるものの味が全くしなかったことは覚えている。あとその直後の正月に、「あんなことがあっても、年って、開けるんだな」となんとなく思った。意味はよく分からないが感覚は伝わると思う。

そしてその後数年間は、不意にその夜のことを思い出してしまう、いわゆるフラッシュバックに悩まされた。もし心療内科受診していたら、立派にPTSDと診断されていたのではないかと想像する。そのせいでだいぶ性格が暗くなった気がするが、元々暗かったような気もしないでもない。


今ではフラッシュバックが起こることは全く無くなり、このような文章を平常心で書くことも出来るようになった。

もちろん、忘れるためにはそれなりの努力必要だったし、色々なもの犠牲にしなければならなかった。同時に関係のない色々なことも忘れてしまったような気がするが、なにせ忘れてしまったことなので、忘れてしまったことを思い出すことは出来ない。

自分同性愛者なのではないかと悩んだこともあったが、今のところは男性を好きになったことはないので、今のところは自分同性愛者ではないと思うことにしている。別に同性愛者になりたくないわけではない。でも誰だって特に若い頃に、自分性的指向がわからなければ真剣に悩むだろう。関係ないが今の自分は女の人が好きすぎて困っている。というかおっぱいが好きだ。巨乳貧乳も好きだ。

そんなこんなで色々あったが、現在の僕はそれなりに元気に暮らしている。若干社会不適合気味だが、いちおう日々努力しながら、心と身体だけは健やかに生きている。


……いや、もうひとつだけ正直に言っておきたいことがある。思い切って言ってしまおう。

冒頭のあたりで「エロいシチュエーションだなぁ」と形容したところの文章を書きながら、僕の局部は少しだけ反応してしまっていた。

いや、冗談ではない。このことには何か重大な問題が隠されている気がする。どうして僕の心は、身体は、興奮を覚えてしまったのか。同性愛者じゃないのに。

よくよく考えてみた結果、ひとつだけ合理的に説明できる仮説を思いついた。少々はばかられる内容だが、せっかく匿名なのだから書いてしまおう。

暴力は、暴力であると同時に、エロいものなのだ。抵抗できない人間を、ムリヤリ犯すのは、エロいことなのだ。

もちろん、許されざる行為であることは間違いないが、それでも、エロいことに対して、人は興奮せずに入られないのではないか。


今の僕には、この仮説を受け入れられるだけの余裕があるが、これって、ほんとうはものすごく恐ろしいことなのではないかと思う。

もしも重大な性暴力被害を受けた人が、そのことを思い出して「エロい」と感じてしまったら、どれほど心が傷つくだろうか。

「心が嫌がっているのに、身体が反応してしまう」というと、まるでエロ漫画セリフみたいだが、そのような経験が、どれほど深く人の心を混乱させ、苦しめるか、その一端を、僕はほんの少しだけ知っている。冒頭のあたりで書いたとおり。

暴力被害者の中には、自殺をしてしまう人もいるそうだが、もしかすると、そのようにして心を痛めて、自らを物理的に傷つけてしま被害者もいるのではないか……。

本人の意志に反してムリヤリに快感を与えることは、場合によっては単純な暴力を与えるよりも、もっと深く人を傷つけることになる、と思う。「ねじまき鳥クロニクル」で「ワタヤノボル」が「加納クレタ」にしたように(って記憶だけで書いてるけど合ってる?)。


というわけでみなさん、性暴力は、決して、しないでください。

2014-11-07

実家に殺される助けて

http://cild.hatenablog.com/entry/2014/11/06/100408

ここで糞寄生パラサイトが1000万超えたとか自慢してたから胸クソ悪くなりながら思い出してしまった

親が死んで家出たか実家邪魔なんだよな

戻って仕事あったり売れるような条件のとこならいいんだけど糞ド田舎にっちもさっちもいかない

しか土地って国に返せないらしいじゃん

今だけでも固定費で年間30万飛ぶんですけど俺の年収300万なんですけど

あーやっぱありえねえ…相続放棄すべきだったわ…

2014-08-11

笹井は賭けに負けた。

STAP騒動を笹井の視点で、ギャンブルリスク管理の側面から考えてみると、リスクミニマイゼーションではなく期待値の大きい方を選択して破れた、ように見える。

敗因は小保方が稀代の嘘つきであったこと、また稀代の無能研究者(実験音痴パソコン音痴)であったことである


最初の賭け:小保方との共同研究から論文受理まで


小保方とそのケツ持ち(おそらく西川が中心)に、「酸浴あるいはその他の刺激による、遺伝子導入によらない、細胞初期化と多能性獲得」の可能性を聞いて、燃える

この時点ではおそらく純粋科学探究心と幹細胞研究トップランナーとしての野心の両方が刺激された。


笹井が論文の構成を考え、小保方にそれに合うデータ出させる、という共同作業が開始された。

笹井は極めて優秀なので、中にはかなり怪しいデータがあると気づいていたが、「酸浴による初期化」というメインストーリーが本当であれば、

一流誌に論文さえ載せれば、莫大な予算でこの領域を牽引して独走状態に持っていけると考えた。


① 怪しいデータ無視して論文を完成させる → すれば莫大な予算と名声、仮に不正データが露呈してもコリゲンダム程度かな?

② 怪しいデータを突っ返して小保方を問い詰め、関係を終了 → 自分を含め幹部採用責任を問われる


ここで①を選び、論文発表直後から疑惑さらされる。第一の賭けに負けたのである



第二の賭け:論文疑惑露呈から記者会見


小保方に確認し、肝のデータである奇形腫の免疫染色が流用であることを知る。

この時点で小保方が全て捏造であることを笹井に白状したかどうかは定かでないが、笹井であれば「全てが捏造であり虚構」だと気付いたはずである。ここで第二の賭けである


① 全て虚構でしたと言って謝罪する → 論文共著者および理研CDBの権威は失墜、Natureおよび姉妹から出禁研究費獲得もかなり厳しい。

しかし駒沢&下村など過去の例を考えれば、少なくとも小保方以外は科学者として退場というレベルの厳しい責任追及はない。

② 些細な取り違えであり現象自体リアルフェノメノン → ウソをつき通せればフェードアウトできる。無理ならみんな終わり。


この時点ではSTAP細胞ES細胞であったというゲノム解析結果などは出ておらず、直接証拠が露呈することはないと踏んで、②に賭けた。


会見で笹井は実によくやった。

客観的データからはかなり不利な状況であったものの、天才的な頭脳ディベート力を遺憾なく発揮し、記者質問の論点をずらして、自分の主張を堂々と述べた。

ほぼ全ての専門家(広くは医学生学者、狭くは幹細胞研究者)が、「完全に虚構だろう」と思っていた状況から

少なくとも私はあの会見で自信が揺らぎ、「あれ、やっぱりSTAP現象自体リアルフェノメノンなのかな。いやいやそんなわけあるかい

でも論理的には筋が通っているし・・・。」ぐらいまで揺さぶられた。

その辺は近藤滋さんのtwitterを参照。http://whatisascientist.blogspot.com.au/2014/04/blog-post_18.html


その後、8番トリソミーやアクロシンGFPなどとんでもない解析結果が続々と出て、科学的には完全に虚構であったことに疑いの余地がなくなる。


そしてにっちもさっちもいかなくなり、自殺した。

2014-07-18

マグマに飲み込まれる様を見て泣き叫ぶしかできない

http://anond.hatelabo.jp/20140312225618

おれこれ書いたものだけど、やっぱり言ったとおりだ!と思うと同時に泣きたくて泣きたくてしょうがない。

もう構造的にどうしようもない。こんがらがったタコ糸でほどきようがない。かといって糸を切るハサミもない。ヒーヒーいいながら糸を歯で噛みちぎっても、あまりに膨大な糸がからんでるから一本一本噛みちぎってたららちがあかない。そもそも噛みちぎる気力のある人がもういない。

STAPだとか小保方だとか早稲田だとか、そういう話題になるし、たしかにそれらは酷いけども、それだけじゃないんだ。

もう本質的日本科学システム特に生命系(嘘やインチキがバレにくい)はどうしようもない状態だ。理研全然動かないのはなぜか?黒幕いるから?違う。

黒幕なんていない。もう構造的に動けない。にっちもさっちもいかない。動いたら負けだから。何か言ったら負けだから。負けたら二度と復活できない構造から負けるわけにはいかない。だから、動けない。動かない。

研究者にも家族はいお金はいる。だから動けない。正義感をつらぬいてジリ貧になるより、正義感をおさえて生きる道を選ぶ。その選択を責めることはできない。

理研の中にだってまともな人はいる。けれども、そのまともな人が犠牲になることがわかって担ぎ上げることができるだろうか?

小保方の出現は必然だった。突然わいてでたわけじゃない。マグマが地表をわってでるように、地中で溜まってたんだ。小保方をどうにかしても、違うところからマグマはふきでるだろう。そして、残念ながらマグマの噴出をとめることはできない。もう始まってしまたから。

マグマに飲み込まれることがわかっているのにどうしようもない。

どんなに悔しくても、悲しくても、どうしようもない。救うことができない。

なんの意味がなかったとしても泣き叫ぶしかない。

2014-06-22

鉄筋コンクリマンションでも、雨漏り結構ある

10年ほど前に、マンション最上階を購入した。

「絶対最上階が欲しかった」という訳じゃなく、

富士山が見える」のと、「最後の1戸で、大幅値引きしてくれた」から、購入した。

(不動産会社としては、最後一戸のために社員現場に貼り付けるのは人件費無駄から

 多少割り引いても在庫一掃したがるようだ)

でまあ、眺望的には快適に過ごしていたのだが、先日から雨漏りが始まっている。

何回か管理会社に言っているのだが、「原因ルート特定がなかなかできない」と言いやがる。

最近では炭酸ガスを室内から送り込んで、それでルートを探知する技術もあるらしいので、

その技術を使ったら?とアドバイスしたら、「それは呼ぶだけで30万円かかる」と言いやがる。

なので、今は床にバケツを置いているわびしい生活

このまま雨漏りが解消しないと「売るに売れない」「貸すに貸せない」ということで、にっちもさっちもいかくなる。

自分は「賃貸より分譲派」だったが、こんなリスクがあるんだったら、賃貸を続けた方が、良かった。

で、ウチの雨漏りを見に来た業者が言うには、

「鉄筋コンクリマンション雨漏りって、(世間想像するより)多発している」ものらしい。

人々は「木造戸建だと雨漏りするが、頑丈で近代的なマンションは絶対雨漏りしないイメージ」を

持っているが、全然そんなことはないとのこと。

最上階は、直射日光の影響でコンクリの熱膨張伸縮が激しいので、細かいクラックが入りやす雨漏りはしやすいとのこと。

そんなこと知ってたら、最上階なんか買わなかった。別に最上階にこだわってたわけじゃないので。

またネットで「雨漏り」を検索すると「治せない雨漏りはありません」という業者ばかりヒットする。

これも「実際は、なかなか原因究明できない雨漏りが多い」のが現実で、「治せない雨漏りはない」という業者は、一種の誇大広告らしい。

「鉄筋コンクリマンションでも、治せない雨漏りが多い」のが現実だが、ネット界ではその事実は全く周知されず、

誇大広告ばかりが検索上位に挙がって、現実は周知されないんだとか。)

2014-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20140619192127

思ったけど

捨ててみてよ→にっちもさっちも行かなくなる→ざまぁ

結局こういうのが楽しいんじゃね?

2014-05-14

ひとりごと

どうしようもなくなってしまっている人がいて

にっちもさっちもいかなくなっているのが

わかりきっているのに

わずとどめを指したのは私だ

35歳、まともな功績もない

派遣先を転々としてきた人生

機転が効かず、気も効かない

言葉遣いや立場を大いに間違える

そしてそれに気づけない

一念発起しても能力は変わらない

馬鹿は簡単には治らない

職場の片隅で

仕事も与えられず

居心地が悪そうにしている

彼にとどめを指したのは私だ

もう次の職場なんて決まらないかもしれない

でも、全て事実ベースで判断しても、

彼は使い物にならない

一緒に仕事はできない

何かを任せられない

自分で首を締める

仕事の範囲も決めてしま

視野が狭い

視点が低い

あげればきりがないけど

それでも、彼にとどめを指したのは私だ

この後味の悪さはなんだろう

建前だけでもにこやかに接した方が私の気は済むかもしれない

すみませんねー仕事なくって、あははーみたいな

でも彼はそれで

ここまでどうしようもないまま来てしまったのではないか

自分自分客観的に判断するなど到底できないから

周りのオブラートを本気にして、自省の機会すら与えられず

こんなに出来ない大人になってしまったのではないか

違うな

多分幾度となくこんなことがあって

それでも反省しないから

改善しないから

できないから

変わらないんだろう

一度は彼を叩き直すと約束したが

まりの程度に中断の判断が来てしまったこと

それが気がかりなのか?

そこがやり切れてないから自分の都合でもやもやするのかも

ちょっとしっくりきた

ここまで出来ない人は、逆に教育のしがいはあっただろう

コスパが悪過ぎるが

もう放っておきなさい、という上司言葉

彼の丸まった背中に刺さって

私は後ろを向いていても彼から目が離せないでいる

2014-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20140203125016

「ほんとは黙って立ち去るのが悔しくてなんとか言い逃れようとしてたら

 にっちもさっちもいかなくなって偽悪気取るしかなくなりました!

 そうしたら、『言い負かされた』ではなく『すべてはボクの狙い通り』に持ちこめるからです!

 僕はただ病的な負けず嫌い無職のバカです!」

って言ったら有終の美を飾れると思うんだけどどう?

2013-11-28

イスラム留学生豚肉と酒を強要した結果

あくまで人づてに聞いた話なので、どこまで本当か分からないけど、ある大学サークルで、秋入学でやってきた中東出身留学生イスラム教信者)に酒と豚肉の飲食を強要させたってことで大問題になっているらしい。


ことの顛末はこんな感じ。

2013年秋入学でやってきた日本文化(というかアニメ)が大好きな留学生M君が、オタクサークルに思い切って入部。

不慣れな日本語を使いながらも趣味を通じた友情をはぐくんでいたと思っていた時期に、学園祭打ち上げがあり、まぁパーティの一種ってことで興味がてら参加。

そこで、ジュースサラダしか食べないM君をみかねて?か、友人(だと思っていた)男子学生Aが、

「ここは日本アラーも見ていないし、酒と串カツたべちゃえよ笑」と軽口をいったところ、

「絶対うまいから食ってみろよ、他のイスラム教徒も食っているんだから」と学生B、Cもこれを扇動にっちもさっちもいかなくなり、串カツを食べなければならなかったらしい。

実際には食べたふりであって、そのあとすぐにトイレに行って吐き出したらしいが、留学生M君はそれ以降、サークルに行くこともなくなり、また、ふさぎ込んでしまい帰国を考えているとのこと。


上記の事件の話をしてくれた友人Rは、そのM君のチューターで、とりあえず、これを学生課に報告、またそのサークルに怒鳴り込みに行ったらしいのだけれど、学生Bからは謝罪と同時に

「けど、Mも豚肉美味しいって言ってたましたし・・・(注・改めて書くがMは食べてない)」と言われたらしく、その信じがたいほどの宗教タブー意識希薄さ、非常識さに愕然としたとも言っていた。


まぁ、ハラール表示とかもないので、日本では日本人普通に飲食すること自体、ハードであり、M君はそこら辺の疎外感もあって帰国したがっているらしいのだけれども、

それにしても、2chコピペを信じた馬鹿宗教タブーを破らされて更に美味しいとまで言わなければならなかったM君の気持ちを考えるとほんと悲しい事件だなと思う。

なんかその学生たちに、ペナルティとかないのかなぁ。不公平な気がする(なお、学生からは、宗教問題には立ち入らないのでと返された模様)



追記  翌日、友達Rと一緒にM君に会ってきました。

追追記 M君はいったん帰国となりました。

2013-09-21

自分人生を振り返る

顕名でやっている自分ブログで書く元気がまだないので、リハビリを兼ねて、増田に書いてみるか。

私は40代前半のこの歳になって、いままでの人生矛盾が一気に噴き出してきて、にっちもさっちもいかなくなってしまった。

仕事も手につかなくなり、ニート同然の生活をして数年。貯金も底をつきはじめて、いよいよ自分人生方向性を決定しなければならないことになった。

二つほど選択肢はあるのだが、どちらも一長一短で、決め難い。

ここで、選択Aと選択Bとしておこうか。

Aのほうは無難な道だが、死ぬほど退屈。

Bのほうが楽しいが、リスクが高い。

いままでの自分なら、Bを迷わず選んでいただろうが、最近、加齢に伴う体力の衰えを実感し、また親もめっきり年老いていくのを見ると、ひるむ気持ちがある。

情けない話だが、それも正直なところ。

===

私の人生は、最初からボタンの掛け違えだった。

退屈な田舎で生まれて、自分と気の合う子供も大人も見つけられなかった。学校の成績だけはよかったが、なんで自分が生きているのか、その意味を見いだせなかった。学校行事死ぬほど退屈だったし。同級生たちは成績のことで悩んでいたけど、あまり勉強しなくても成績のよかった私には彼らの気持ちを理解するのが難しかった。…そんなこんなで、ほとんど友人もいなかったね。

大学卒業するときも、やりたいことが特になくて、たまたま内定が取れた大企業に入ったけど、もともとやりたいこともなかったから、すぐに辞めてしまった。その後、アルバイトを転々としながら、IT技術者となって飯が食えるようになったけど、IT技術者別にやりたいことではなかった。というか、年齢を重ねるごとにつらくなっていった。受託開発の関係者間の調整の難しさは、本当に厳しいね

ただ、私にはある種「趣味」といえるようなものがあって、それが自分が生きる気力の源になった。それについては具体的には言わないことにするけど、この「趣味」に私は29歳の時に出合った。この「趣味」に没頭している限り、私は生きているという感覚を味わうことができる。

===

私は、この半年間、諸事情でこの「趣味」に没頭できない状態にある。そのせいで最近の私はまるで生きる屍みたいになっている。上の選択Bは、この「趣味」に生きる選択肢だ。ただ、この「趣味」はカネばかりかかって、なかなかそれで飯が食えるかというと怪しい。それとは距離を置いて、無難な選択Aに生きるほうが合理的なのもわかっている。

===

…と書いてきてよくわかったけど、やっぱり私は選択Bをとるしかいね。選択Bで生きていけるかどうかはわからないけど、少なくとも選択Aをとれば、この先死ぬまで「生ける屍」状態が続くことははっきりしている。だったら、まだ可能性のあるBで行くしかない。

やれやれ…。選択Bをとるのはかなりいろいろ面倒くさい。自分が年を取ってきたことは認めざるを得ず、以前ほどのエネルギーもなくなってきている。でも、やるしかないんだろうね。いったん、一歩踏み出せばふたたび勇気や元気が湧いてくるかもしれない。そんな気がする。

2013-09-16

事業会社で働くWebデザイナー

受託でなく自社サービスを持ってる会社に勤めてるWebデザイナーって何をモチベーションにしてんだろ?

デザインスキルを上げるための経験受託に比べて絶対足りなくなるから一定の年齢になるとにっちもさっちもいかなくなる気がするんだけど。

2013-09-02

うつかれた

昨晩は雨が一晩中降り続いていた。

しかたかクーラーをかけずに、窓を開けずに寝たら、朝起きたら水たまりができていた。

布団の一部もベチョベチョになっていて絞ったら水が出てきた。

会社に行かないといけなかったから、そのままにして家を出た。

帰ってきて、その状況を見ると、涙が出てきて止まらなくなった。

結局自分には何もないということに気付いた。

何の努力もせずに年齢を重ね、人との付き合いを避け、何の能力もなく気付いたらもうにっちもさっちも行かなくなっていた。

もう本当にどうしようもない。何かを変えようという気力もない。

自分には本当に何にもない。

2013-07-22

しろ、こんな状態で当選しちゃって、

実際始めてみたら案の定にっちもさっちも行かず、

誰にも相手にされず完全に孤立し、

そのくせ後ろから怖い人らが睨み効かせてるし、

そんなこんなで結局病んで完全におかしくなって、

海パン水泳帽と杖というあの本来の姿で、

またあのネ申がかったパフォーマンスをやってくれるようになって欲しいなって。

http://www.youtube.com/watch?v=9E6loaKehao

天才

2013-07-10

ちゅるあき

湯川鶴章はどうしようもないが、この人もう55歳とかで年齢を考えるとしょうがいかもしれない。

しかし、同年代IT評論家ワラ)を見ると

インプレスでクソみたいな文章を垂れ流しながら何故か広告記事を書くことが出来ている山田祥平が居たり、

ジャーナリストではなくなっているはずなのに偉そうな佐々木俊尚が居たりして、

この年代ライターはこのぐらいの立ち位置を持っていないとやってられない筈なんだよな。

ちゅるあきが永江朗パチモノメディア渡したのもそういうにっちもさっちも行かないゆえからだよな。

そんじゃーね

2013-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20130514103058

なら問題無いんじゃない

5年先、10年先なんてその時になって見なきゃどうなる判らんのだし

その時々で夫婦で話し合って決める以外にどうしようもない

「**は++がやって当たり前」みたいな固定概念があって

それが夫婦間ですれ違うとまあにっちもさっちも行かなくなるけど

お互いに分担し合ってやっていけるんなら、どうにでもできるでしょう

2013-03-27

今の金融危機をたとえ話で説明してみる。

A君はお金持ちで、1000万円の土地資産を持っています

B君は普通の人なので、10万円の土地資産しか持っていません。

そこでC君が、B君に、10万円の土地資産を担保に、100万円貸してあげると言いました。

B君は快く承諾し、100万円を借りました。

B君が100万円持っているのを見たD君はさらにB君に提案しました。

100万円を担保に、1000万円貸してあげるよ。

B君はせっかくなので、1000万円をかりました。

B君は1000万円の現金をもっているけど、使い道がありません。

そこで、A君に、A君なら信用できるから1000万円貸してあげるよと提案します。

A君は、そんなに貸して貰えるならと、1000万円を借りました。

A君が、1000万円の資産現金を持っているのを見て、

E君が羨ましくなって、こう持ちかけました。

「そんなにお金を持っているなら、みんなのためなることに使おうよ」

B君・C君・D君も同調して、「そうしよう」と言います

A君はみんながそういうならと、1000万円の現金を使って、

不公平にならないよう、みんなの遊び場を作ったり、

生活必要ものを揃えたり、みんなのためになることをしました。

ところが、1000万円を使い終わった後に、D君が言いました。

「ところで、貸した1000万円は返せるのかい?返せないなら君の持っている土地資産をもらうよ」

B君には、土地資産10万円分しかないので、返すことはできません。

そこでB君は言いました。「僕は借りた1000万円は返せないから、A君に貸した分から返してもらってよ」

D君は、A君に言いました。

「B君に貸した1000万円がかえせない分は、君から取り立てさせてもらうよ」

A君は驚きました。「そんなことは聞いてないよ!みんなのために使ったのに。どうして今さら!」

E君も驚きました。なぜなら、E君はいつもA君のお世話になっているからです。

「そんなA君の資産が全部取られたら、僕も生活できなくなるじゃないか!」

みんなためを思ってお金を使ったA君はにっちもさっちも行かなくなってしまいました。

これからA君はどうすればいいのでしょうか?

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A君=国家、B君=資本家、C君=銀行、D君=証券、E君=市民オマージュです。

D君は、元は10万円担保にレバレッジを掛けて貸すことで、1000万円の資産を手にすることが出来ました。

D君は手に入れた資産をどうするのでしょうか?

資産を担保に、また新たなA君を探すことでしょう・・・

2012-12-16

民主党のなにがまずかったって、マニュフェストを守れなかったことだよ。

財政状況からすると、3年前たとえ自民党政権をとっていたって、やっぱり増税オンパレードだったと思う。

でも、民主党増税はしないと言って増税した。

マニュフェストを比べる気も起きなくなるのも当然。

だって、守らない公約を並べられても。

自民党は、憲法以外のところの公約はまず守れると思う。

ないところから予算を捻り出すとか、プライマリーバランスプラスにするとか、そういうのは大変だけど、数に任せて法案通せばいいんだもん。

財源だって赤字国債発行法案さえ通せばいいんだもん。

当面は自民党に幻滅はしないよ。

リーマンショック級の経済危機や、東日本大震災級の天変地異が起きない限り、政権があたふたすることはない。

次の参議院選までおとなしくして、衆参両方で過半数を取れば、任期満了までボーナスステージだよ。

安倍首相に並の資質があれば、4年持つんじゃない?

まあ、なにが起きても大丈夫だよ。

中国経済ハードランディングの煽りを受けて株価急落したり、ユーロ危機の煽りを受けたりして超円高になったり、公共事業乱発で2000兆くらいまで国の借金を膨らませたり、にっちもさっちも行かなくなってお腹が痛くなって辞任、なんてことはこんだけボーナスステージなら有り得ない。

2012-11-13

まとめブログ有害性について

散々言われてることだと思うけど、経験を踏まえた自分の考えをまとめとく。

有害性の中身は、思考停止と思考硬直。

自分で考えなくても、「多数派」に属するためのスタンスを分かったつもりになってしまう。

そして無批判に自分適用させてしまう。

実際は、ニュースソースを読んだり、記事を開く前にタイトルだけから自分の考えをある程度まとめてたりすると、いわゆるネット上の「多数派」が必ずしも正しくないとわかるんだけど、そこまでやらないから

特定の考えを煽るようなものについては特にそう感じる。

自分がそれに気づけたのは、恥ずかしながら就職してから

別にネットに流されるなとは言わないけど、何を根拠に自分の考えを確立させるのかっていう部分には自覚的であるべきだと思う。

そうしないと、責任とか逃げ場を考えたときにっちもさっちもいかなくなるから

2012-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20120910180754

紛糾してるMBA大元増田は「MBA欲しいけど一括で買える貯金が無い」と言ってる。

そういうレベル夫婦っていっぱいいると思うぞ。

そういう奴らは子供なんか産むべきじゃない、という主張はあるかもしれないけど、

残念ながらそういう人たちにも子供を産んでもらわないとにっちもさっちもいかないのが現代日本だと思う。

2012-07-15

内蔵DVDドライブが壊れたMacmini(2007mid)にbootcampXPを入れたい。OS10.6。

WindowsXPは外付けからインストールできないなんて、Macユーザー想像つくだろうか…。

新しいminiを買ったので古いminiXPを入れようとしたら、いろいろ蹴躓いたので、メモ程度に書き残してみる。

最初に挑戦した条件

Macmini(mid2007)下位の方 何度か開腹してメモリとか増設しているため、内蔵DVDドライブが壊れた。

WindowsXP SP3のディスク

OSX製品ディスク 10.5か10.6になりますかね?XPだし。自分10.6。

外付けDVDドライブ

上記のものWindowsXPインストールたかったのだが、内蔵ドライブが壊れているとにっちもさっちもいかない。

WindowsCDから起動しようとしても、グレー画面から動かない。もしくはフォルダに?が点滅するのみ。

どうも内蔵ドライブがない新しいminiAirなどでは外付けでもいいっぽい。

で、

■更に必要もの

もう1台、bootcampを入れたりしてもいいMac(内蔵DVDが壊れてないもの

OSが多少違ってもbootcampバージョンが違っても意外と修復してくれる。

bootcampはあとで消していいので、とりあえず容量があいてればいい。

あと、Winclone。

■手順

壊れてないMacbootcampパーテーション切ってWindowsXPも入れる。これは普通に入れられるはず。

ドライバとかとりあえず無くていい。WindowsXPが入ったらOK。認証とかもとりあえず置いといていい。

Wincloneでバックアップファイルを作る。

DVDドライブが壊れてるMacbootcampパーテーション切る。

バックアップファイルを移す。

Winclone(この場合同じバージョンがいい気がする)でbootcampパーテーションを選んで復元する。

WindowsXPから起動する

ディスクフォーマット検証などが入ったりする

そらくすっきり起動する

外付けドライブも余程じゃない限りつながるので、OSXディスクを入れてドライバインストールなどする。

認証とかもこっちでする。

インターネットの波の中では見つけられなかったのでとりあえず増田に残してみる。

途中の細かい手法はよそで調べてください。

2012-07-07

ごんきつねと母狐の真意が気になって夜も眠れん

誰もが知っている不朽の名作「ごんぎつね」「手袋を買いに」

最近国語教科書には掲載されていないとかい情報を耳にした。

真偽のほどは定かでないが、事実だとすれば理由はいくつか思い当たる。

改めて読み直すと何度読んでもごんぎつねは涙が出てきてしまうし、

手袋風景母子愛情の描写の美しさにうっとりしてしまう。

たびたび議論されていることだろうが、この二作品にはどうも腑に落ちない点がいくつかある。

すでに逝去している作者の真意を知るすべもなく、

後世の読者が独自に解釈をした上で内容を改訂できるようにしたらよいとも思うのだが、

勝手な改変を加えるのは文学作品に対する冒瀆であり、すべきでないとも思うので、

にっちもさっちも行かずむずがゆい思いをして困っている。

ごんぎつね

これはもともと新美が草稿として創作した「権狐」を文学者鈴木三重吉が全国的な童話の普及を目的として改訂して上梓したものであり、

元々の草稿とは変わっている点がいくつかある。

有名なラストシーン、「ごん、お前だったのか、いつも栗をくれたのか」と発する兵十に対して、

「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」が、

新美の草稿では「ぐったりなったままうれしくなりました」だったそうだ。

この改訂は物語の本旨を根本から変えてしまうのではないか

どっちがいいんだろう、と自問しているがいまだに答えが出ない。

本来の草稿を尊重して「うれしくなりました」にした方がいいようにも思うが、

うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、

しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が一番大切なのか」という印象も持たせる終わり方になってしまうし、

かと言って「うなずきました」だと一層「自分が評価されたいだけなのか」という感を読者に植え付けてしまうし、

撃たれてもなお「うれしくなりました」の方が、自己犠牲的で感動を与えるような気がする。

どちらにすべきなのだろう。

最大の疑問はこの悲劇的な結末で子供たちに一体何を新美が伝えたかったということだ。

わかりやす勧善懲悪物語よりも善意が報われない理不尽さを表現するこの童話のほうがよほど処世術の教本として理想である気もするが、

それにしても得られる人生訓が一向に見えて来ない。

子供たちに、何をどう受け止め、どう人生に生かして欲しいというのか。

それとも作者はそんなことは考えていない、何の教訓も込められていない童話こそ教育材料として相応しい、ということなのか。


次に「手袋を買いに」。

母狐は自分が恐ろしくて行けないような街になぜかわいい子狐を一匹で買い物にいかせたのか。

まりに冷淡ではないか

母狐は病弱で動き回れないとかいろいろやむを得ない事情があると思いたかったが、

残念ながら作中の描写からはそのような状況は推測されない。

そこで狐の習性上の理由を思いついた。

子供一定程度成長すると、近親交配の防止のため、親狐は本能的に子狐を強制的に巣穴から追い出す。

噛み付き、襲い、遠くに追いやって戻ってこなくなるまで攻撃を続ける。

子狐は昨日まで優しく育ててくれた親狐の豹変に驚き、必死に親にすがるが、親は心を鬼にして子供を突き放す。

キタキツネ物語」でもこの描写が出てくる。

母狐はいずれ子供を自立させなければいけないことを悟っており、

それの前段階として、人間とのかかわり方も含めて、世間渡り方を学ばせるために、子供冒険をさせた。

そう解釈したい。

作者にその解釈でいいかと聞きたいところだがそれが叶わないのでむずがゆくて仕方ない。


他にもいろいろ突っ込みどころはあるが、今更作者に聞くことができない以上、

後世に生きる私たちができることは、自分の納得いく解釈自分の中で確立することしかない。

子供向け童話も追究すると奥が深くてきりがないな。

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