最近の悩み。
私は、口下手だ。
自分の感じたことだが、頭で整理をして、口に出して話すことに、自信が持てない。
適応障害(うつ状態)になって、昔の友人から、職場の人から色々と悩みを聞いてもらっている。
話をしている。
悩み事を人に打ち明ける。
「あなたのお父さんが亡くなられたことは、知っていたけど、まさか、死因が...そういうことだったとは、知らなかったよ」
そんな(ある種、期待通りの)温かい言葉を掛けて貰えると、嬉しい、話して良かったなと思う。
私としては、ほっとする。
口下手なりにも、通じて良かったなと。
でも、その後のアドバイスが、
「色んな人と話した方がいいよ」とか
「頭を整理するには、人に話す方がいいよ」とか
「機能不全家族の下に生まれた人でも、大人になってから克服は出来ると思うの。だから、話してね」
なんか、結局、話せって言われる。
もちろん、今まで、人に症状が軽い段階で、話すことが出来ていたならば、状況は変わっていたのかもしれない。
私一人の力では、にっちもさっちも、いかなくなったので、適応障害になった。
いざ、病気になっると、周りも理解を示してくれて、私の話に耳を傾けてくれるようになった。
そこで、話すようにしているのだが。
サボってた訳じゃなのに、な。
かなり整理して、良く考えてから話をしているつもり。
(だから、以前とは、違った回答や反応も、もらえている。)
勇気を出して話したのに、これで、終わりたいと、思ったのに。
また、色々な人に口下手だと悪口を言われて傷つくリスクを犯したくはないのだ。
これ以上の失敗はしたくない。
これ以上、傷つきたくないから、話をしたくないのだ。
話題としては、自分の家族の重い話でなくとも、世間話でも結構、気を遣う。
そう、私は、世間の人に気を遣って生きてきたのだ。
それなのに、報われないのは、コミュ障だったからだと、気がつき始めた。
何か、良いことを陰で行っても、見ている人は見ていたのだが、
報連相が出来る方が、やっぱり、いいのだ。
ちょっとした立ち話で、打ち合わせを、さっと済ませることの出来る器用さが、重宝されるのだ。
でも、私にとって話すということは、困難を伴うことなのだ。
前は、口下手だったのに、良くなったねって言われたいのかな。