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2013-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20130514103058

なら問題無いんじゃない

5年先、10年先なんてその時になって見なきゃどうなる判らんのだし

その時々で夫婦で話し合って決める以外にどうしようもない

「**は++がやって当たり前」みたいな固定概念があって

それが夫婦間ですれ違うとまあにっちもさっちも行かなくなるけど

お互いに分担し合ってやっていけるんなら、どうにでもできるでしょう

2013-03-27

今の金融危機をたとえ話で説明してみる。

A君はお金持ちで、1000万円の土地資産を持っています

B君は普通の人なので、10万円の土地資産しか持っていません。

そこでC君が、B君に、10万円の土地資産を担保に、100万円貸してあげると言いました。

B君は快く承諾し、100万円を借りました。

B君が100万円持っているのを見たD君はさらにB君に提案しました。

100万円を担保に、1000万円貸してあげるよ。

B君はせっかくなので、1000万円をかりました。

B君は1000万円の現金をもっているけど、使い道がありません。

そこで、A君に、A君なら信用できるから1000万円貸してあげるよと提案します。

A君は、そんなに貸して貰えるならと、1000万円を借りました。

A君が、1000万円の資産現金を持っているのを見て、

E君が羨ましくなって、こう持ちかけました。

「そんなにお金を持っているなら、みんなのためなることに使おうよ」

B君・C君・D君も同調して、「そうしよう」と言います

A君はみんながそういうならと、1000万円の現金を使って、

不公平にならないよう、みんなの遊び場を作ったり、

生活必要ものを揃えたり、みんなのためになることをしました。

ところが、1000万円を使い終わった後に、D君が言いました。

「ところで、貸した1000万円は返せるのかい?返せないなら君の持っている土地資産をもらうよ」

B君には、土地資産10万円分しかないので、返すことはできません。

そこでB君は言いました。「僕は借りた1000万円は返せないから、A君に貸した分から返してもらってよ」

D君は、A君に言いました。

「B君に貸した1000万円がかえせない分は、君から取り立てさせてもらうよ」

A君は驚きました。「そんなことは聞いてないよ!みんなのために使ったのに。どうして今さら!」

E君も驚きました。なぜなら、E君はいつもA君のお世話になっているからです。

「そんなA君の資産が全部取られたら、僕も生活できなくなるじゃないか!」

みんなためを思ってお金を使ったA君はにっちもさっちも行かなくなってしまいました。

これからA君はどうすればいいのでしょうか?

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A君=国家、B君=資本家、C君=銀行、D君=証券、E君=市民オマージュです。

D君は、元は10万円担保にレバレッジを掛けて貸すことで、1000万円の資産を手にすることが出来ました。

D君は手に入れた資産をどうするのでしょうか?

資産を担保に、また新たなA君を探すことでしょう・・・

2012-12-16

民主党のなにがまずかったって、マニュフェストを守れなかったことだよ。

財政状況からすると、3年前たとえ自民党政権をとっていたって、やっぱり増税オンパレードだったと思う。

でも、民主党増税はしないと言って増税した。

マニュフェストを比べる気も起きなくなるのも当然。

だって、守らない公約を並べられても。

自民党は、憲法以外のところの公約はまず守れると思う。

ないところから予算を捻り出すとか、プライマリーバランスプラスにするとか、そういうのは大変だけど、数に任せて法案通せばいいんだもん。

財源だって赤字国債発行法案さえ通せばいいんだもん。

当面は自民党に幻滅はしないよ。

リーマンショック級の経済危機や、東日本大震災級の天変地異が起きない限り、政権があたふたすることはない。

次の参議院選までおとなしくして、衆参両方で過半数を取れば、任期満了までボーナスステージだよ。

安倍首相に並の資質があれば、4年持つんじゃない?

まあ、なにが起きても大丈夫だよ。

中国経済ハードランディングの煽りを受けて株価急落したり、ユーロ危機の煽りを受けたりして超円高になったり、公共事業乱発で2000兆くらいまで国の借金を膨らませたり、にっちもさっちも行かなくなってお腹が痛くなって辞任、なんてことはこんだけボーナスステージなら有り得ない。

2012-11-13

まとめブログ有害性について

散々言われてることだと思うけど、経験を踏まえた自分の考えをまとめとく。

有害性の中身は、思考停止と思考硬直。

自分で考えなくても、「多数派」に属するためのスタンスを分かったつもりになってしまう。

そして無批判に自分適用させてしまう。

実際は、ニュースソースを読んだり、記事を開く前にタイトルだけから自分の考えをある程度まとめてたりすると、いわゆるネット上の「多数派」が必ずしも正しくないとわかるんだけど、そこまでやらないから

特定の考えを煽るようなものについては特にそう感じる。

自分がそれに気づけたのは、恥ずかしながら就職してから

別にネットに流されるなとは言わないけど、何を根拠に自分の考えを確立させるのかっていう部分には自覚的であるべきだと思う。

そうしないと、責任とか逃げ場を考えたときにっちもさっちもいかなくなるから

2012-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20120910180754

紛糾してるMBA大元増田は「MBA欲しいけど一括で買える貯金が無い」と言ってる。

そういうレベル夫婦っていっぱいいると思うぞ。

そういう奴らは子供なんか産むべきじゃない、という主張はあるかもしれないけど、

残念ながらそういう人たちにも子供を産んでもらわないとにっちもさっちもいかないのが現代日本だと思う。

2012-07-15

内蔵DVDドライブが壊れたMacmini(2007mid)にbootcampXPを入れたい。OS10.6。

WindowsXPは外付けからインストールできないなんて、Macユーザー想像つくだろうか…。

新しいminiを買ったので古いminiXPを入れようとしたら、いろいろ蹴躓いたので、メモ程度に書き残してみる。

最初に挑戦した条件

Macmini(mid2007)下位の方 何度か開腹してメモリとか増設しているため、内蔵DVDドライブが壊れた。

WindowsXP SP3のディスク

OSX製品ディスク 10.5か10.6になりますかね?XPだし。自分10.6。

外付けDVDドライブ

上記のものWindowsXPインストールたかったのだが、内蔵ドライブが壊れているとにっちもさっちもいかない。

WindowsCDから起動しようとしても、グレー画面から動かない。もしくはフォルダに?が点滅するのみ。

どうも内蔵ドライブがない新しいminiAirなどでは外付けでもいいっぽい。

で、

■更に必要もの

もう1台、bootcampを入れたりしてもいいMac(内蔵DVDが壊れてないもの

OSが多少違ってもbootcampバージョンが違っても意外と修復してくれる。

bootcampはあとで消していいので、とりあえず容量があいてればいい。

あと、Winclone。

■手順

壊れてないMacbootcampパーテーション切ってWindowsXPも入れる。これは普通に入れられるはず。

ドライバとかとりあえず無くていい。WindowsXPが入ったらOK。認証とかもとりあえず置いといていい。

Wincloneでバックアップファイルを作る。

DVDドライブが壊れてるMacbootcampパーテーション切る。

バックアップファイルを移す。

Winclone(この場合同じバージョンがいい気がする)でbootcampパーテーションを選んで復元する。

WindowsXPから起動する

ディスクフォーマット検証などが入ったりする

そらくすっきり起動する

外付けドライブも余程じゃない限りつながるので、OSXディスクを入れてドライバインストールなどする。

認証とかもこっちでする。

インターネットの波の中では見つけられなかったのでとりあえず増田に残してみる。

途中の細かい手法はよそで調べてください。

2012-07-07

ごんきつねと母狐の真意が気になって夜も眠れん

誰もが知っている不朽の名作「ごんぎつね」「手袋を買いに」

最近国語教科書には掲載されていないとかい情報を耳にした。

真偽のほどは定かでないが、事実だとすれば理由はいくつか思い当たる。

改めて読み直すと何度読んでもごんぎつねは涙が出てきてしまうし、

手袋風景母子愛情の描写の美しさにうっとりしてしまう。

たびたび議論されていることだろうが、この二作品にはどうも腑に落ちない点がいくつかある。

すでに逝去している作者の真意を知るすべもなく、

後世の読者が独自に解釈をした上で内容を改訂できるようにしたらよいとも思うのだが、

勝手な改変を加えるのは文学作品に対する冒瀆であり、すべきでないとも思うので、

にっちもさっちも行かずむずがゆい思いをして困っている。

ごんぎつね

これはもともと新美が草稿として創作した「権狐」を文学者鈴木三重吉が全国的な童話の普及を目的として改訂して上梓したものであり、

元々の草稿とは変わっている点がいくつかある。

有名なラストシーン、「ごん、お前だったのか、いつも栗をくれたのか」と発する兵十に対して、

「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」が、

新美の草稿では「ぐったりなったままうれしくなりました」だったそうだ。

この改訂は物語の本旨を根本から変えてしまうのではないか

どっちがいいんだろう、と自問しているがいまだに答えが出ない。

本来の草稿を尊重して「うれしくなりました」にした方がいいようにも思うが、

うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、

しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が一番大切なのか」という印象も持たせる終わり方になってしまうし、

かと言って「うなずきました」だと一層「自分が評価されたいだけなのか」という感を読者に植え付けてしまうし、

撃たれてもなお「うれしくなりました」の方が、自己犠牲的で感動を与えるような気がする。

どちらにすべきなのだろう。

最大の疑問はこの悲劇的な結末で子供たちに一体何を新美が伝えたかったということだ。

わかりやす勧善懲悪物語よりも善意が報われない理不尽さを表現するこの童話のほうがよほど処世術の教本として理想である気もするが、

それにしても得られる人生訓が一向に見えて来ない。

子供たちに、何をどう受け止め、どう人生に生かして欲しいというのか。

それとも作者はそんなことは考えていない、何の教訓も込められていない童話こそ教育材料として相応しい、ということなのか。


次に「手袋を買いに」。

母狐は自分が恐ろしくて行けないような街になぜかわいい子狐を一匹で買い物にいかせたのか。

まりに冷淡ではないか

母狐は病弱で動き回れないとかいろいろやむを得ない事情があると思いたかったが、

残念ながら作中の描写からはそのような状況は推測されない。

そこで狐の習性上の理由を思いついた。

子供一定程度成長すると、近親交配の防止のため、親狐は本能的に子狐を強制的に巣穴から追い出す。

噛み付き、襲い、遠くに追いやって戻ってこなくなるまで攻撃を続ける。

子狐は昨日まで優しく育ててくれた親狐の豹変に驚き、必死に親にすがるが、親は心を鬼にして子供を突き放す。

キタキツネ物語」でもこの描写が出てくる。

母狐はいずれ子供を自立させなければいけないことを悟っており、

それの前段階として、人間とのかかわり方も含めて、世間渡り方を学ばせるために、子供冒険をさせた。

そう解釈したい。

作者にその解釈でいいかと聞きたいところだがそれが叶わないのでむずがゆくて仕方ない。


他にもいろいろ突っ込みどころはあるが、今更作者に聞くことができない以上、

後世に生きる私たちができることは、自分の納得いく解釈自分の中で確立することしかない。

子供向け童話も追究すると奥が深くてきりがないな。

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