はてなキーワード: にっちもさっちもとは
B君は普通の人なので、10万円の土地と資産しか持っていません。
そこでC君が、B君に、10万円の土地と資産を担保に、100万円貸してあげると言いました。
B君は快く承諾し、100万円を借りました。
B君が100万円持っているのを見たD君はさらにB君に提案しました。
B君はせっかくなので、1000万円をかりました。
B君は1000万円の現金をもっているけど、使い道がありません。
そこで、A君に、A君なら信用できるから1000万円貸してあげるよと提案します。
A君は、そんなに貸して貰えるならと、1000万円を借りました。
E君が羨ましくなって、こう持ちかけました。
「そんなにお金を持っているなら、みんなのためなることに使おうよ」
不公平にならないよう、みんなの遊び場を作ったり、
生活に必要なものを揃えたり、みんなのためになることをしました。
ところが、1000万円を使い終わった後に、D君が言いました。
「ところで、貸した1000万円は返せるのかい?返せないなら君の持っている土地と資産をもらうよ」
B君には、土地と資産は10万円分しかないので、返すことはできません。
そこでB君は言いました。「僕は借りた1000万円は返せないから、A君に貸した分から返してもらってよ」
D君は、A君に言いました。
「B君に貸した1000万円がかえせない分は、君から取り立てさせてもらうよ」
A君は驚きました。「そんなことは聞いてないよ!みんなのために使ったのに。どうして今さら!」
E君も驚きました。なぜなら、E君はいつもA君のお世話になっているからです。
「そんなA君の資産が全部取られたら、僕も生活できなくなるじゃないか!」
みんなためを思ってお金を使ったA君はにっちもさっちも行かなくなってしまいました。
これからA君はどうすればいいのでしょうか?
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A君=国家、B君=資本家、C君=銀行、D君=証券、E君=市民のオマージュです。
D君は、元は10万円担保にレバレッジを掛けて貸すことで、1000万円の資産を手にすることが出来ました。
D君は手に入れた資産をどうするのでしょうか?
民主党のなにがまずかったって、マニュフェストを守れなかったことだよ。
財政状況からすると、3年前たとえ自民党が政権をとっていたって、やっぱり増税のオンパレードだったと思う。
マニュフェストを比べる気も起きなくなるのも当然。
ないところから予算を捻り出すとか、プライマリーバランスをプラスにするとか、そういうのは大変だけど、数に任せて法案通せばいいんだもん。
当面は自民党に幻滅はしないよ。
リーマンショック級の経済危機や、東日本大震災級の天変地異が起きない限り、政権があたふたすることはない。
次の参議院選までおとなしくして、衆参両方で過半数を取れば、任期満了までボーナスステージだよ。
まあ、なにが起きても大丈夫だよ。
中国の経済のハードランディングの煽りを受けて株価急落したり、ユーロ危機の煽りを受けたりして超円高になったり、公共事業乱発で2000兆くらいまで国の借金を膨らませたり、にっちもさっちも行かなくなってお腹が痛くなって辞任、なんてことはこんだけボーナスステージなら有り得ない。
WindowsXPは外付けからインストールできないなんて、Macユーザーに想像つくだろうか…。
新しいminiを買ったので古いminiにXPを入れようとしたら、いろいろ蹴躓いたので、メモ程度に書き残してみる。
■最初に挑戦した条件
Macmini(mid2007)下位の方 何度か開腹してメモリとか増設しているため、内蔵DVDドライブが壊れた。
OSX製品版ディスク 10.5か10.6になりますかね?XPだし。自分は10.6。
上記のものでWindowsXPをインストールしたかったのだが、内蔵ドライブが壊れているとにっちもさっちもいかない。
WindowsのCDから起動しようとしても、グレー画面から動かない。もしくはフォルダに?が点滅するのみ。
どうも内蔵ドライブがない新しいminiやAirなどでは外付けでもいいっぽい。
で、
もう1台、bootcampを入れたりしてもいいMac(内蔵DVDが壊れてないもの)
OSが多少違ってもbootcampのバージョンが違っても意外と修復してくれる。
bootcampはあとで消していいので、とりあえず容量があいてればいい。
あと、Winclone。
■手順
壊れてないMacにbootcampでパーテーション切ってWindowsXPも入れる。これは普通に入れられるはず。
ドライバとかとりあえず無くていい。WindowsXPが入ったらOK。認証とかもとりあえず置いといていい。
DVDドライブが壊れてるMacにbootcampでパーテーション切る。
Winclone(この場合同じバージョンがいい気がする)でbootcampのパーテーションを選んで復元する。
おそらくすっきり起動する
外付けドライブも余程じゃない限りつながるので、OSXのディスクを入れてドライバインストールなどする。
認証とかもこっちでする。
最近の国語の教科書には掲載されていないとかいう情報を耳にした。
真偽のほどは定かでないが、事実だとすれば理由はいくつか思い当たる。
改めて読み直すと何度読んでもごんぎつねは涙が出てきてしまうし、
たびたび議論されていることだろうが、この二作品にはどうも腑に落ちない点がいくつかある。
すでに逝去している作者の真意を知るすべもなく、
後世の読者が独自に解釈をした上で内容を改訂できるようにしたらよいとも思うのだが、
勝手な改変を加えるのは文学作品に対する冒瀆であり、すべきでないとも思うので、
「ごんぎつね」
これはもともと新美が草稿として創作した「権狐」を文学者鈴木三重吉が全国的な童話の普及を目的として改訂して上梓したものであり、
元々の草稿とは変わっている点がいくつかある。
有名なラストシーン、「ごん、お前だったのか、いつも栗をくれたのか」と発する兵十に対して、
「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」が、
新美の草稿では「ぐったりなったままうれしくなりました」だったそうだ。
どっちがいいんだろう、と自問しているがいまだに答えが出ない。
本来の草稿を尊重して「うれしくなりました」にした方がいいようにも思うが、
うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、
しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が一番大切なのか」という印象も持たせる終わり方になってしまうし、
かと言って「うなずきました」だと一層「自分が評価されたいだけなのか」という感を読者に植え付けてしまうし、
撃たれてもなお「うれしくなりました」の方が、自己犠牲的で感動を与えるような気がする。
どちらにすべきなのだろう。
最大の疑問はこの悲劇的な結末で子供たちに一体何を新美が伝えたかったということだ。
わかりやすい勧善懲悪物語よりも善意が報われない理不尽さを表現するこの童話のほうがよほど処世術の教本として理想的である気もするが、
それにしても得られる人生訓が一向に見えて来ない。
子供たちに、何をどう受け止め、どう人生に生かして欲しいというのか。
それとも作者はそんなことは考えていない、何の教訓も込められていない童話こそ教育材料として相応しい、ということなのか。
次に「手袋を買いに」。
母狐は自分が恐ろしくて行けないような街になぜかわいい子狐を一匹で買い物にいかせたのか。
母狐は病弱で動き回れないとかいろいろやむを得ない事情があると思いたかったが、
残念ながら作中の描写からはそのような状況は推測されない。
そこで狐の習性上の理由を思いついた。
子供が一定程度成長すると、近親交配の防止のため、親狐は本能的に子狐を強制的に巣穴から追い出す。
噛み付き、襲い、遠くに追いやって戻ってこなくなるまで攻撃を続ける。
子狐は昨日まで優しく育ててくれた親狐の豹変に驚き、必死に親にすがるが、親は心を鬼にして子供を突き放す。
母狐はいずれ子供を自立させなければいけないことを悟っており、
それの前段階として、人間とのかかわり方も含めて、世間の渡り方を学ばせるために、子供に冒険をさせた。
そう解釈したい。
作者にその解釈でいいかと聞きたいところだがそれが叶わないのでむずがゆくて仕方ない。
他にもいろいろ突っ込みどころはあるが、今更作者に聞くことができない以上、