はてなキーワード: テンションとは
約7ヶ月の世界一周の旅を終えて、感じたこと伝えたいこと
この考えはすごくよくわかる。自分も旅好きだ。
この記事を見て思い出したことで、この人のことを言っているわけではないことを念頭に置いてほしい。
日本には海外にバックパックで行っている人が、意外と多いと思うし、世界一周しているという人を何人も知っている。
また、旅好きの人にはいい時代になったと思う。SNSを使えばいろんな場所に友達を事前に作れるし、遊びに行くという目的が作られる。
で、日本人バックパッカーにありがちなことは、バックパッカーもどきのニートが少なくないということ。
なんか、海外旅行というか旅に出ているのに、そこでなにをするわけでもなく、ホステルでずーーーっとぼーーーっとしたり、
漫画読んだりだらだらしたり。。。
要するに、場所場所ではテンション上がるけど、それ以外の時間は現実逃避ニートが多いのも事実。
このブログの写真の時は楽しい時だろうけど、それ以外の時間はだらだらニートの様な生活をしている人が少なくない。
だから、旅に行った人の話話半分に聞いてOK!w もちろんそうでない人もいる。
ま、そんだけ。
「ワンピースはドラゴンボールを超えた」という人もいるけど、ちゃんちゃらおかしい。
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もちろん今のところ、ワンピースの人気は高いけど、それはただ流行っているというだけ。
どうせ連載が終わったら、「ワンピース?ああ、そんな漫画もあったな」という感じになってしまうよ。
連載終了後も根強いファンがいて、ゲームやグッズが発売され続けるドラゴンボールにはぜったいなれないと思う。
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ある漫画がロングセラーになれるかどうか、これを決めるのはみんながその漫画を何度も読み返すかどうかにかかってる。
もし読み返されなかったら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
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アニメ「イカ娘」は2期が製作されたのに、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はされてない。
まあ、作ってもよかったんだろうけど、もし俺妹2期が放送されたとして、イカ娘2期の場合と同じ高さのテンションでそれを迎えられる人って多くないと思う。
「ああ、そういえば俺妹とか、あったなあ」という感じだろう。
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俺妹の1期放送中は各話を何度も繰り返し観た人も、いざ最終回を迎えた後では、俺妹に対する興味が失せてしまった、という人は結構多いはず。
たまに観返しても、「あれ?こんなアニメだったっけ?もっと面白かった気がしたが・・・。」といった違和感を覚える。
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この原因は、そもそも俺妹というアニメが「最終回が気になる」タイプのアニメだったからだ。
視聴者は、「主人公と妹が仲良くなれるか??」という緊張感を最終回までずーっと引きずってきた。
しかしいざ妹が素直になったのを観ると、その緊張感は消えてしまう。
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むしろ近年まれに見る傑作だった。
ただこういう種類のアニメは、最終回後に観ると面白さが半減してしまう。
「ペリーヌ物語」なんてのも好い例だ。
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逆にイカ娘は、緊張感がぜんぜんない。
しかも各話独立のため、1期全体を通した一貫性というのも無い。
だからみんな、純粋に1話1話が面白いという理由だけでイカ娘を観ていたはずだ。
こういうタイプのアニメというのは、放送が終わっても何度観ても面白さは変わらない。
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基本的に、俺妹のような「最終回が気になる」タイプのアニメは、最終回が終わった後は忘れら去られることが多い。
ただし例外的に、最終回が視聴者に欲求不満を残すような終わり方をするアニメは、何度も観返される。
たとえば「あしたのジョー」。
あるいは「エヴァンゲリオン」。
こういうアニメは最終回を迎えた後も「いつも心のどこかに引っかかっている」ということになる。
だからみんなふたたび観る。
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2つ目の例外として、「まだ続きがありそうな終わり方」をした漫画は、何度も読み返される。
たとえば「スラムダンク」。
もしこれが「桜木が全国優勝して終わり」とかだったら、読者はみんな心から満足して、その漫画のことをきれいさっぱり忘れたはずだ。
あるいは「ドラゴンボール」。
悟空より強い敵はまだまだたくさん出てくるんじゃないかと思わせる。
鳥山明さまの終わらせ方は本当に上手いと思う。
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さて問題のワンピース。
読者は「いったいワンピースとは何だろう?」と気になりながら読んでいる。
そしてシャンクスとの再会も気になるところ。
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こういうありったけの伏線を張っておいて、いざ最終回を迎えてすべての伏線が回収されるとき、その満足感は計り知れないが、逆にその分だけ、えらく気の抜けたことになってしまう。
だからふたたび読み返そうにも、「ああ、ひとつなぎの大秘宝ってのはつまり4つの〇のことなんだよね。」などとわかっていたら、面白さ半減もいいとこだ。
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みんなの中にはこういう反論があるかもしれない。
「私はアラバスタ編は何度読んでも泣けるよ」という人が。
しかしそれはワンピースという漫画がまだ「終わっていない」からだ。
しかしいざ終わってしまえば、「過去の漫画」になってしまうだろう。
それがワンピース。
http://www.tokiomonsta.tv/news/article/149.html
付き合ったら牛丼屋で全然いいんだけど、付き合うかどうか考え中のときは安い店や口に合わない店って本当にテンションが下がる。
ソースは無くしたんだけど、アメリカの大学の調査で「無臭の部屋で女性の写真を見たときと、臭い部屋で女性の写真を見たときの、男性の反応の比較」みたいなものを見たことがある。
結果は、男性は臭い部屋で女性の写真を評価すると、無臭の部屋で評価したときよりも、点数を悪くつける傾向にあった。
ざっくり言うと、臭い空間で会うと実際よりブスに感じるってことなんだよね。
それと似たような感じなんだと思う。安い店で会うとその男性が安い男に見えるし、まずい店で会うとその男性がまずい男に見える。
環境による不当な減点を受けて、本来の魅力が発揮できない。
自分はドMかも。くだらないことでもさ、声に出して「アッハッハッハ」と笑うとさ、すごい心地いいんだな。いやこれが本当に。
はてなやツイッターを見て、鼻で「ンフフ」とちょっと笑うよりも、「ハハハ」と笑った方が、なんか楽しくなる。なぜか。
同じ内容なのに、自分の反応が違うだけで、自分のテンションが変わるんだな。
自己催眠?自分で自分を騙してるんだろうが、そうしたほうが楽しくなるのでそれで良いやと思ってる。
そっちのほうが元気がでてきて、色々と実生活がなんとかなりやすいので、無理してでも笑おうとしてる。
んで、そのうちに無理しなくても、「ハハハ」と笑えてしまうんだな。相変わらず、なんか楽しい。
あいかわらず、そっちのほうが元気でる。
http://anond.hatelabo.jp/20120120122926
誤解があったようだ、済まない。
私はあの話全体は男の夢だと思ってない。
というかあの話みたいな女がリアルにいたらむしろ引く。病弱な設定とかイラね。
あくまで私がロマンを感じるのは「ゲーセンで不思議な少女と知り合う」というシチュエーション。
ゲーセンに彼女をつれていったことはあるけれど、まぁそこそこ楽しむか、下手するとあんまり興味ないって感じなんだよな。
自分がはまってるゲーセンという空間を、同じようなテンションで共有できる女の子ってのは憧れる。
まぁ「女の子との友情」に憧れるってことだと思ってもらえればいい。
ペルソナ4とかやってると時々壁殴りたくなってくるわー
小熊英二にボッコボコにされてる記事を読んで興味を持ったので本も読んでみた。
視点は全部パクリで、それを裏付けるデータとか中途半端な近代史は新しいの持ちだしてきて味付けしてるけれどなんというか、薄っぺらい。
しかも、クルーグマンと違って、現象を裏付ける「なぜ?」の分析が弱く、さらにそれを受けて「じゃあどうする?」って提言もない。
すべてが借り物という感じがする。
20年経ってようやく日本がアメリカの抱えていた病を身をもって理解し始めたというのを指摘するのは大事な事だ。
なんつーかすごい投げやり感で読んでて萎える。
なんつーか、お前はマミさんかと。
「結局こういう時代なんだから親におんぶに抱っこするしかないじゃない!」
「親が養ってくれないならみんなで死ぬしかないじゃない!」と魔女化フラグびんびんのまま放置。
脚本家としてどうなんだよこれは。
全体が暗いならなおさら、著者だけでも頑張るとかいってさやかっぽく振る舞うか、
嫌われ者覚悟で私だけは生き残ってやるぜ、と杏子っぽく振る舞うとかやり方はいくらでもあるでしょ。
別にまどかになれとは言わんけど、なんでよりによってマミさんなんだよ。
マミさんが主人公の物語なんか誰も読みたくないよ。欝になるだけだろ。
本を書くなら社会全体じゃなくても自分の周りだけでももうちょっと前向きの芽を探してからにしろよ。
千鶴子さんなんでこの本褒めてんの? 親父どもを叩くためなら若者死んでもいいの?あんたのフェミってその程度なの? ババアなの?
30分くらいで読めるライトな本だけど、内容だけじゃなく、著者の態度といいそれを取り巻くもろもろといい、いろんなことを考えて1日欝な気分になる本。
読むんじゃなかったわ。
嫁が怒り出した。
それは別に構わないんだけれど、無口なままワンテンポどころかテンテンポ、いや、将棋でいう長考の後にありとあらゆる過去のアレコレを引っ張ってきて、
「なんで怒ってるかわかる?」
と来るわけだ。
冷静になるためにワンテンポ、ツーテンポ、冷静に話すためだったらどれだけ待ってもいい。
ただ、「過去」のありとあらゆるものを思い出し、自分の今の怒りを正当化する材料を「過去」から遠心分離機で分離し抽出してきてだね、
「理由は2つあるんだけどさ、」
と来るわけだ。
冷静になるための間ではなく、自分の怒りを相手にぶつけるために腕をブンブン振り回してた間だったわけ。
遠心分離機じゃなくて、腕をブンブン回して加速してただけだったんだね。
1つにプラスして似たような事例とか、全く関係ない事例を持ってきて1.5にして、なおかつ強引に2つと見なすことで「今」の怒りを裏付ける手法。
でも、怒られてるこっちとしては、きっかけとなった1点の失策はわかるんだけれども、えっ?こんなに自責点稼いでますか?
防御率こんだけハネ上がっちゃいますか?監督、僕もう交代ですか?っていうのかな?
小難しい言葉でアレしちゃうと「法の不遡及」ならぬ「怒りの不遡及」ってやつ?
お前、今まで何にも言わずに黙ってたのに、なんで今頃になって付け足して怒ってるんだよ!!っていう。
じゃあ、なんでその時に言ってくれなかったんだよ、と。
もうね、こうなると話にならない。
「今」の1失点はわかる。済まないと思う。でも、付け足された「過去」の失点へのテンションの違いが素直に謝る気持ちをなくさせるのだ。
冷静に過去あんなことあったな、と時間を置いて思い出して付加している嫁ならいざしらず、細かい部分まで自分も相手もどうだったかなんて覚えてるわけないし、
『だから、こう思ったのよ!!』とか言われても、(…いや、そこも反省したい気持ちはあるけれど、覚えてないし、そもそも温度差ありすぎて飲み込めるか!)ってわけですよ。
閑話休題的に………ネット観てても「論破!」とかよく見るわけですよ。
まとめサイトばっかり見てる嫁はアレか?叩き伏せたいわけか?僕を?
でも、1点の失策はわかるけれど、他の点数に関してはノーカウントだべ。怒りに任せて付け足してるだけだもん。ですよ。
オマケに、
「私は言いたいこと言ってすっきりしたけど、アンタの「俺悪くないし」みたいな態度が気に食わない」
とか言い出すわけ。
「俺悪くないし」っていう態度が現れてるのは、「過去」をほじくりかえして「今」の怒りに付け足して補強したせいだってなんで気づかないのか、と。
素直に反省できる点、改良できる点を「オーバーキルだよな。余計だよな、明らかに。」と思わせて納得行かないように仕向けてるのはどっちなんだ?と。
サブローを再び呼び戻すのは補強ではないと何度言ったらわかるのか、と。
男でもこういう輩はいるかもしれないが、過去のアレコレを引っ張ってくるのはたいがい女なんだよな、これだから女は…ブツブツってな感情も、許しておくれよ、みんな。
今のままでは、多分ならないだろうなあ、って話。
先日、内田氏をめぐり橋下市長がつぶやきまくった件(1)。個人的に「ここまで橋下氏をつぶやかせる内田氏とは一体何者なのか?」という興味が尽きずウォッチしているのだが、現役大学教授から退いたいまの内田氏、只者で無いただのおっさんだった。
例えば、当の本人が平松氏の活動に対して取る態度といえば所詮『ドタキャンご無礼』(2)で済ます程度のものだった。本当に大事なイベントなら、そのイベントも『折り込み済』で行動するのが大人だと思うが、当人はそうしなかった。仮にイベントの告知が本人に知らされたのが遅かったのだとしたら、平松陣営にとっても内田氏は、その程度、の人でしかないってことになるだろう。コミュニケーションてのは面倒なものなのだ。
平松氏相手ですら『自分のことを優先したので貴方の活動には参加できませんごめんなさい』という状態なのに、ましてその向こうにいる橋下氏に対して自ら何か行動を起こしたり直接議論することはないものと考えられる。それがいまの内田氏が、自分の範囲で出来ること、なのだろう。彼の範囲内はあくまで『旧知の仲の平松氏と話す』ということであり、今の大阪や橋下氏に能動的な興味があるわけではないのだ、多分。そりゃそうだよな、別に大阪に住んでるわけでも、大阪で雇用されていたわけでもないのに。石原都知事が大阪府知事になって橋下大阪市長と一緒になって大騒ぎ、ってんなら都立大関連でもう少しテンション上がったかも知れないが。
もしかして今の橋下氏は内田氏にとって「なんかよくわかんないけどtwitterで私に向かって吠えている人」としか見えていないのではないか。しかもその吠えてる人は直接自分に会いに来るわけでもなく、何やらあまり自分とは関わりの無い別人(田原総一朗氏のことである)を介して自分を呼び出そうとしている。そういう人に対してどういう態度を取れば良いのか、賢明なネット民ならば容易に理解出来るであろう。どう見たって橋下氏がtwitter晒しスレ行きだろこれ。
てなわけで現状、橋下氏は内田氏に対して何ら直接的な影響を出せずにいるなあ、片思いってやつなのかなあ、というのがこの日記を書いている俺の素朴な感想なのであった。
というか、この内田氏というおっさんのブレない態度が、俺はなんだか好きだなあ。
参考:
(1) http://togetter.com/li/240764
(2) https://twitter.com/levinassien/status/158122071086469120
年末から鬱っぽくてとうとうここ数年ではまれに見る爆発加減で、やっと医者にかかろうという決意にまでいたりました。
なんていうのか、子供が親の説教は聞かないけど他人のそれなら聞く、みたいな感じで、
ここで叩かれるとちょっと冷静になれる気がする。腹立つこともあるけど。
「別に医者かからなくてもいいじゃん。今のテンション維持すれば」ってなるかもしれないけど。
まだ自分なんかましなほうだ。ご飯は食べられるし、増田も覗ける。
とは言え貧しい身分なので医者に行って「しばらく療養」とか言われたらどうしようとか、そういう不安はあるけど。
なんていうか、顔を見て話してもいいけど、泣いちゃうと迷惑かけるし恥ずかしいとか、
友人だから聞いてくれるかと思って話してても、悪気もなく否定されたりして、
「そうじゃないんだよなあ」って思ったりとか。
ここには他人しかいなくて顔も見ないし見られないし、直接肉声で罵倒もされないから、
批判されても吐き出せる、という部分が、ないこともないのだなあと思う。
何言ってるのかよく解らないけど、ここの存在意義ってすごいなあ、みたいな。
なくならないでほしいなあとか、そういうことは思う。
それから、ここに来る人は、記事にもよるけどひねくれてても、
相手になってくれて、優しいんだなあ、みたいな。
もしくはみんな寂しいのかなあ、みたいな(自分も含めて)
デヴィ夫人のブログを読んで本気で気持ち悪くなった。ああいった意見を持った人間がいること自体はともかく、それに対して「よく言った!」「日本人の誇りだ!」みたいなコメントがついてるのを見るとぞっとする。痴漢冤罪は被害者立場を利用した女性からの迫害だから女が悪い!痴漢は性欲を催させるような格好をしているような女が悪い!という免責をしてミソジニー丸出ししてる浅い思考が透けて見えて本当に気持ち悪い。おまけにそれをそのまま強姦に適用しているあたり、女にとって名誉ある男に犯されるのはどういった形であれ幸福であり、それを盾にああいった騒ぎを起こすなんてとんでもない、というような視線まで感じられる。ひっでぇ。それで、朝からそんなものを見かけたせいでテンション下がりまくりな状態で俺は考えたわけである。セックスとは何ぞや。性欲とは何ぞや。もちろん実際に経験がない人間なわけだから限界はあるだろうけれど、それを考えることは無意味じゃないだろうってことで。
そもそも俺が今まで性について触れてきたのって、大体はエロゲや官能小説、エロマンガ、AVというものが殆どで、学校の性教育は全然薄かった。せいぜいが性病の感染に気をつけてくださいねーくらいで、それ以外の部分については一切なし。だから自然とそういうメディアで興奮するようになっていたわけだけど、やっぱりどうしてもそれはオナニーでしかない。セックスではない。セックスっていうのは二人の関係の中で起こる行為だからだ。単なる性欲の発散以上の意味合いを持っていて欲しい、と思う。しかし男にとってそれが難しいのは、どうしても性欲というスイッチがあることだ。それなりに単純なこのスイッチは割と簡単に入るし、条件次第ではそれのことしか考えられなくなる。股間でものを考えてしまう状態というのがどうしてもそこにあるわけだ。ただ、そういった本能のまま、衝動のままの性欲を人間を相手にぶつけるってのは、俺はどうしても肯定できない。だって相手は人間なのだ。自分と同じように考えたり感じたりする人間相手にありのままの性欲をぶつけるってことがどうしても耐えられない。性欲は乱暴な面もあるし、おまけに男はチンコ突っ込んで射精してあーきもちよかった、で済ませられてしまう。それってセックスじゃねえじゃん、と思うわけだ。生身の人間の膣を使ったオナニーでしかない。人間はオナホールじゃないんだぞ。もちろん、そういった性欲の存在は否定しないし、発散する手段はあっていい。そのためにポルノメディアはあるんだと思う。オナニーに際してそれを用いることには俺は賛成だ。確かに「悔しい、でも感じちゃう(ビクン」なメソッドには興奮する。するよ。ちんぽギンギンだよ。でもそれを、もし生身の相手のにんげんにやって、おまけに相手が嫌がってたら、それ、やめるべきでしょ?
あと、恋愛は性欲をデコレーションしただけのことだ、なんて言葉に浸って恋愛の不可能性を指摘した気になっているような奴はどうにかしたほうがいいと思う。恋愛に性欲は不可欠だけど、それをどう運用していくかってことが大事であって、セックスのないプラトニックな恋愛=清純=理想、セックスのある恋愛=生々しい=現実、みたいな稚拙な二項対立に持ってくのだけは童貞として避けていきたい。セックスのあるプラトニックな関係だってあっていいし、セックスのない生々しい関係だってあっていいじゃないですか(そこんとこどうなんですか恋愛経験者の皆さん)。
大事なのは、セックスっていうのは二人のものだってこと。だから普段は仲が良いのに彼氏から乱暴なセックスされてつらいだとか、別れるのが怖くてしたくもないセックスばっかりさせられた、みたいな話を聞くたびに俺はもうやるせなくなってくる。なにやってんだよと。せっかく相手に触れていい、そういうことをしていいっていう関係を築けてるのに、どうしてそこでそうやってしまうんだよ、と。別にうらやましいんじゃなくて(まあ嫉妬だといわれたらそうなってしまうんだろうけど)、なんというか、悔しい。ある程度人と関わっていくことができるような人間にとって、恋愛やセックスって、傷つくことも嫌なこともたくさんあるけど、それと同じ、それ以上に嬉しいことや喜ばしいことがあっていいはずじゃないか。なんでそこで傷つけるだけで終わらせてしまうのかがわからない。なんでだよ。
もちろん性に対しておおっぴらにしろってわけじゃないけど、でも、たとえばセックスが終わった後に、お互いに自由に感想を交わせるような習慣があっていいんじゃないか。女性の側も男性の側も、痛かっただとか、もうちょっと優しくして欲しいだとか、そこを触られたのは気持ちよかっただとか、そういうことをやって、二人でセックスを作り上げていくべきだろ。そうじゃなきゃセックスじゃねぇって。形だけの同意とってんじゃねえよ。悔しくても感じてるって勝手に信じるなよ。本当にセックスできるのか考えろよ、性欲を上手に乗りこなせよ。ポルノメディアみたいなセックスのことを考えるなら、そうでないセックスのことを考えてもいいじゃないか。男が女にセックスしてやる、チンポ突っ込んでよがらせてやるよ、みたいなセックスじゃなくて、清濁併せ呑んで二人だけのセックスを試行錯誤して作り上げていけよ。そうであってくれよ。
だから、こういうレイプだとか性犯罪に関して、セックスを通じて性暴力という形で人が人を傷つけてしまった、不快な思いをさせたってのはだめだ。しかも今回は立場とかの問題も絡んでる。それなのにデヴィ夫人のブログとかそこにつくコメントみたいな意見が支持されるのはやるせない。鈍感にもほどがある。俺はそう思う。
……そう思うんだけど、なんつーか、あくまで童貞の理想論であることも認める。ので、セックスしたことある人、嫌だったセックスをさせられたことのある人、俺みたいな意見って、どうなんでしょう。以上。
オタクは何を以ってオタクとするか。PCに大変詳しい人、最近の深夜アニメをほぼ全部録画して観ている人間。コスプレイヤー、同人作家。サブカルチャーにどっぷり漬かってるのもある意味そうかとは思う。
では、昨今のPCに大変造詣が深い方にMSXやSHARP X1の話、X68000に搭載されていた音源であるYM2151の話。PC-98時代のコンベンショナルメモリがどうだのこうだの、なんて話をしてもきっとわかってはもらえまい。多分。そういった人を捕まえて「お前はPCオタクを名乗るのか。だがMSX TurboRの存在を知らずに何がPCオタクだ」等と罵倒した所で意味はない。知ってたら偉いってモンでもない。
「まどマギ」でも「IS」でも「Aチャンネル」でも「いろは」でもとにかく深夜アニメなら任せとけ。という方に「激走!ルーベンカイザーって田中真弓のアニメデビュー作なんだよな」等という話をしたり「今度の冬コミでナベタケのアニメ楽曲のデータベースをまとめて発表してみようと思うんだ」という事を言っても、ノってくれるかと言えば人それぞれだが、テンションがあがる人がそんなにいるとは思い難い。
同じ「PC」や「アニメ」というカテゴライズ話であるが、多分フィールドは違う。
「オタクはこうである。こうでなければならない」というのはないのだな、と思う。
リア充はどうか?「リアルが充実している人」という意味はあるものの、「彼女がいる人」「リアルが忙しい」等と言い換えられる事もある。
では、何を以って「リアルが充実している」とするか?
「彼女がいる」というステータスは確かに10~20代男性にはポジティブな意見が多いかとは思う。
だが、「彼女がいる」だけで、もう1年近く連絡が取っていない冷めた関係であったり逆に毎日50回位携帯に着信があり「電話出てよ」等と大泣きされている留守電が毎日の様に入っていて、しまいにゃ「もう死ぬ」と言われての自殺騒ぎで精も根も尽き果てて「リアルで忙しい」人達は果たしてリア充なのか?
何がリア充で何がリア充ではないか?「リアルが充実している」というものは曖昧な言い方であり、明確な定義はないと思う。
長々と話してきて、何が言いたいかというと、[こういった言葉に明確な定義はないし、考えるべきじゃないのだろう]という事。
気をつけた方がいいと思う。
日頃からぼんやりと考えていることを、週末の夜の妙なテンションのままに書き連ねてみる。
曲りなりに仕事をしながら、プライベートも適度に楽しみながら、将来のビジョンなんていうのも描きながら、これまで30年ちょい生きてきている。
でまあ、そんぐらい生きてたら大概の人は、勉強してるのに成績上がんねーなーとか、いつも仕事がうまくいかないなーとか、なかなか出世できる気がしないなーとか、同僚・友人・恋人と最近うまくいかないなーとか、とりあえず何かしら苦しくなる時期が来る。
だからこそ成功した経営者が書いた仕事術の本がよく売れたりするし、ライフハックブログはいつも多くのブクマを集めるし、雑誌の悩み相談や発言小町も人気だったりする。
で、大体ああいうのに載ってるのって「モチベーションを高めろ」とか「今自分がどうしたいかを見つめ直せ」とか「一人で悩むな、どんどん人に頼れ」とか「卑屈になるな、自信を持て」とか、言い方に違いこそあれ大体そういう意味の文句なわけじゃん。
もっと抽象的な言い方でまとめると「自分の状況を変えられるのはいつも自分だ、全ては自分次第だ」っていうことだよね、要は。
別に本だのブログだのでなくても、仕事場の上司だとか悩みを聴いてくれる友達だとかがそういう感じのこと言ってくれることもある。
いや、良いアドバイスだとは思うんだよ。俺は本こそ買わないけど、そういう文句を読んだり聞いたりして意識を高めたりすることあるし、事実その結果状況が好転したこともある。他にもそういう人が多いと思う。
でもさ。
結局「自分次第」って所詮は強い者の論理じゃないかなって思うんだ。
みんながみんな、そんなふうにしてうまくいくわけじゃないよなーって。
俺の周囲には、上に書いたようなことに悩んだ末、心を病んでしまったような人が何人かいる。
中にはそのせいで出社拒否になったり引きこもりになったり、下手すりゃ自分で自分の命を絶とうとすることすらありうる。
彼らの話を聴いていると、ああきっとこの人はどんなに苦しくても「自分次第」でどうにかできるはず、どうにかしようと思いつめるあまり、無理をした挙句限界がきちゃったんだなって思う。
普通の人は、ある程度まで自分に鞭打ってやれるし、あるいは無理が来る前に自主的に休んだり、気持ちを切り替えるために別の事したり、人に頼ったりできるんだろう。
でも彼らはその「普通の人」ができることができなかったんだろう。多分甘えとか勉強不足とかそういう理由でできないんじゃなくて、きっと他の人なら抱える必要のないものまで全部抱えてしまい、結果その重みで潰れてしまってるんだ。
彼らの思いや主義主張は「普通の人」とは決定的に異なっていて、だからこそ「普通の人」を基準に動いている世の中はすごく生きづらいんだろう。
だからそんな世の中でモチベーションを高めろって言われても無理だし、自分が理解されないのが分かっているのに人に頼ったりできないし、当然そんな自分に自信を持てと言われても難しい。
みんなすごく真面目で優しくて、自分以外の人間のこともちゃんと考えることができる人だなー、ってのが話を聞いてて分かるんだよ。
人の痛みや苦悩にすごく敏感だし、人を傷つけるような皮肉や嘲笑なんて絶対にしないし、そんな彼らを見ていると、暴言失言が多い自分がとても恥ずかしくなる。
他の人ならそこまで行く前に明らかに危険と分かるはずの精神的負荷なのに、彼らはなかなか気づかない。それこそ潰れてしまうまでね。
だからさ。
そういう人のことは、やっぱ誰かが気づいてあげなくちゃダメなんだよ。全部自分次第とか言って本人に任せるんじゃなくて。
経営者の本や人気ライフハックブログに書いてあること、上司や先輩の体験談だって万能じゃない。あれはあくまでできる人がすればいいことだ。全員に同じように要求するものじゃない。
「自分の状況を変えられるのはいつも自分だ、全ては自分次第だ」とかそういう「普通の人」の論理の犠牲になる人がいるかもしれないんだ。
上にも書いたように、彼らはこの世の中に生きづらさを感じている。それを少しでも和らげられるのは本人の努力次第とかそういうんじゃなくて、周りの人がちゃんと逃げ道を作ってあげることしかないんじゃないかと思うんだよ。
みんな条件は一緒だとか、平等が一番無難だとか、競争することで強くなれるとか、そんなのクソ食らえだ。そんな正論がちっとも役に立たない場面だってあるんだ。
今、俺はまだ大きなチームをまとめるとかそういうポジションではないけど、もし将来そういう地位についた場合、メンバーの一人一人のことをちゃんと見てあげられるリーダーでいたいし、また上に書いたような弱っているメンバーがいたら、正論なんか放り出して他のメンバーがすぐさま逃げ道を確保してあげられるようなチームを作りたいって、常日頃から思ってる。
ただ、正直俺も強い者の論理でここまで来ているという自覚があるし、いざその場面になったら本当に今考えているようなことができるか分からない。自信がない。
でもやっぱり、マイノリティを弾き出すようなコミュニティだけは絶対に作りたくないなー。
まあそんな先のこと考える暇があったら、俺は今俺にできることをやって、救える人を救おう。あーあ。
http://anond.hatelabo.jp/20111109215236の前日譚。
アラサーのこの年になるまでナンパなんてしたことがなかった。非モテの独身。
偶然目にしたナンパ師のブログを見て、名状しがたい情動が急激に燃え上がったのを感じた。
女を食い物にするナンパ師への怒り。「男の本能」で全てが説明できると考える知性のなさへの侮蔑。会ったその日に強引な押し出しで女性と性交するデートレイプと呼んでも差し支えない行為への嫌悪感。しかも場所がネカフェやカラオケという不潔さへの嘔吐感。
そして、否定しようもない嫉妬と羨望!!
そしてよくよく考えれば、俺もナンパ師を批判できるほどきれいな体でもなかった。非モテとはいえ、セックス経験はあり、その中には愛を偽ってセックスに持ち込んだ例もある。また、ナンパ以上に性質の悪い行為もしているのだ。その俺が聖人面して他人を批判できるか?ヨハネによる福音書第8章1~11節を見よ。
あれこれ悩んだ末にフェミニズムと両立するナンパはできないかと考え始めた。
そして11/6に初決行。10人には声かけようと決意していた。何故か最初からテンションだだ上がりで、ほとんどの初心者が陥るという「地蔵」状態はほとんどなく、ストライクゾーンの広い俺は少しでも好みの子に声をかけた。誰も立ち止まってくれず、紙ブーメランの準備もしてきてなかったため、結果的には坊主であったが、10人以上に声をかける結果となった。達成感とテンション、多幸感は最高潮に達していた。
脳科学や心理学の見地から説明すれば、非日常的な行為をしたことによる動悸の高まりやアドレナリンの分泌量の変化によるものだろう。そして、この興奮が多くのナンパ師をして行為過程依存、俗にいうセックス依存症に陥れせしめるものだろう。例えばこの大学生、ナンパのために将来の進路まで変わってしまった。http://ameblo.jp/shitorasu/entry-10929146122.html http://ameblo.jp/shitorasu/entry-10988420975.html 他にも家庭が崩壊してもナンパが辞められない男たちが大勢いる。しかし、果たしてこの多幸感には抗いきれないものがある。
ここから仕事すらガッツリやろうという、いままでの俺では考えられないモチベーションも湧いてきたのである。俺は才能にあふれ、何をやっても上手くいくという躁状態に入っている。高校くらいでは女性縁遠く、かなり遅い時点からナンパを始めた非モテ・非コミュがナンパを始めると一様に全ての男性にナンパを勧めまくる理由はここにあると思われる。
俺もナンパはこれまでしなかったもののセックス依存症じゃね?と疑うほど、性欲に支配されやすいことがある。もう俺の人生は崩壊しかかっているのだろうか?
話が拡散しすぎてたたみきる途中で飽きた。もうちょいテーマ絞りなおしてから書き直します。
久々にこういう「わかりやすい小物」の老害を見て興奮しちゃったんだけど、元記事も消えちゃったみたいでテンションが上がらなかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/210527
今テキトウに考えただけ。
多分はてなの皆さんは私よりこの問題について深く考えていらっしゃると思います。
私の意見に対する批判というよりは、老害に対する皆様方の意見を伺いたいと思います。
ここで述べるのはネットにおける「わかりやすい老害」の話です。
年だけは喰ってるから偉くなったのだと勘違いして若者に対してわかったような口を聞くアレのことです。
能力も権力を持ち、既得権益をまもるために政治力を駆使している真の老害についてはよくわかりません。
「懐古主義(建設的要素が少なく、ただ過去=自分を賛美するだけにとどまる」
「世代の分離を強調する(若者を突然変異のように扱い、原因も若者に押し付ける」
「ワナビー(自らの現状が不遇であることを正当化するためにただ現状を否定したいだけ」
などの特徴があると思います。
ちなみに老害を設定するということは「若害」もあると思います。「世代の分離」については特に。
基本的に老害という言葉がネットで人気なのは、基本的にその反対を意識しない馬鹿が多いからでしょう。
リアルにおいては老害の方が「重要度(影響力)が大きい」ために問題になりますが、
ネットのように、どちらにしろ現実に影響を及ぼさないことを前提とした純粋な議論においては「若害」も吟味されるべきだと思います。
一般に老害の意見は、それを下支えするロジックがおかしいため滑稽に見えるわけですが、
おそらく自分のロジックを点検するという習慣がない。おそらくフィードバックを受ける習慣がないのだと思います。
それらしいことを言って、言いっ放しで満足してしまう。
老害と呼ばれるのは、一般にこういう傾向を持つのが中年以降の男性に多いからだと思います。
自分より立場の弱いものに、具体的には部下や家族に一方的に自分の意見を押し付けることができる。
あるいは同じレベルの仲間内で何度も同じ議論を繰り返している内に、無条件で自らの意見が受け入れられる錯覚をしてしまう。
などの積み重ねがあり、その「内輪感覺」「支配者の感覺」をフラットなネットに持ち込むことで裸の王様ぶりが浮き出るということなのだと思います。
1:自分の体験一点主義
2:主張の背景が薄い
5:人の意見を否定する際の理由が安易なレッテルや抽象的な表現になる。
(たとえば上の「2」とか。自分で書いてても批判になってないと思う。
曖昧な表現やよく考えられていない安易なレッテルはすぐに循環論法に陥る。
うちの課長が好む老害ロジックは「若者は自信がない」であるが、
若者から「安心できる環境ではない」「頼れる人がない」というと
それは「キミタチはプライドが高くて他人に弱みを晒さないだけ」といい、
「プライドが高いのではなく、そういうプロトコルがない」というと
「それはキミタチが自信がないからだ」となる。
実際はこんな単純ではないが、
自分が主張した理由に対する反論を5回繰り返す間に循環が起きるロジックはたいてい老害による偏見と考えて良い。)
6:安易に箇条書きでまとめを作ってしまうやつも老害の一歩手前
多分、プロフィール公開がないネットにおいては20代の私が書いたことでも「老害」に当てはまる可能性は高い。
このセリフ使う奴はダメだと言われるけど、本当に「自戒を込めて」
とにかく、肯定でも否定でも、問われているのはその意見ではなくて、その意見を述べるときの自分の底力なのだな、と。