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はてなキーワード: フェティシズムとは

2021-03-07

ふつうのにっき

マジで何にもしなかった

辛うじて洗濯と洗い物だけはしたけどあとはほぼ外にも出てないし家にいても掃除もしてないし

ごろごろして動画見てたら終わってしまった

平日はわりかし食器片付けて簡単に部屋をきれいにしてから寝るってルーチンがあるんだけど

まったく予定のない休日だとそれさえしないでシンクに洗い物溜まったりする

なにしたっけなーそういえば月一の検査なので近所の診療所は行ったな

なんか機械が壊れたとかで混んでいて、じいさんがイライラして声を荒げていた

まあ気持ちはわかるけど嫌なものです

いつもあんなに人がいたことないから驚いた

あとはえーとセンコウガールを読んだな

あの手の漫画を買ってしまう流れはいつも同じで

広告で流れてくる漫画センセーショナルな場面だけの切り取りから飛んで

無料部分だけ読んでまあこんなかんじの話だねーと見当がついたら一応満足するんだけど

それが二回三回と繰り返し遭遇すると「あーこれ途中まで読んだなどんな話なんだっけ」って気になって

結局そんなに惹かれるあらすじでなくても記憶に引っ掛かるストレスから解放されるために課金して全部読んでしまうという

なんか不健康な感じの漫画の買い方をしてしまう…

広告経由でもたとえば「ヒメゴト」なんかは無料分読んでなにこれむちゃくちゃ面白いぞ…!!ってなった幸せ出会いだったんだけど


かいてるけどセンコウガールべつにつまらなくはなかった

なかったんだけどなんだろうな

ガールミーツガールが後半の肝になってくるんだけど

少女」の描き方がなんというのか言い方悪いけど男性作家的というのか……

うまい言い方が見つからないんだけど

文学であっても何であっても恐らくずっと昔から

作品なかに出てくる「少女」ってカテゴリはあって

でもそれは現実に生きて笑ったり苦しんだりしている10代の女の子の反映ではなく

他者欲望をどのように映し返すか/映し返してほしいかというバリエーションがあるだけの存在に見えることがある

純粋少女悪女もそう

サロメとかさ、あれ「輝くばかりに美しく残酷で幼い」存在表現したい、てやつじゃん

それはそれで美しいし好きなんだけどそれは書いた人の妄想を反射してるだけであって「人間」ではないよねーと思ってしま

なんだろうな、人間からその人の欲望に叶う部分だけを抜き出して固めて、作者の欲望妄想をよく反射するためだけに配置されてる感じ

ちょっといきがっていわゆる純文を読み始めた頃、作品なかに描かれる「少女」の人間ではなさ、現実人間との決定的な差異みたいなのをどう考えていいのかわからなかったよ

あれに比べればりぼんとかの主人公の方がまだしも「人間」なんだよな

いやセンコウガールの話だな

からこの作品女の子達はやはりそういう「人間」ではないものに私には見えてしまったと言う話

それぞれにトラウマがあり満たされない思いがありそれが分かりやすく描かれるんだけど

我ながらどうしてこう思ってしまうのかわからん

たとえばこの間読んだ「裸足で逃げる」とどう差を感じているんだろう


そういえば途中で主人公が他の子に肘鉄を食らってがくっと崩れ落ちる場面があったんだけど

そのときスカートが上がっておしりラインが見える描写がされててそれはちょっとびっくりしたんだよな

べつに描く必要のないおしりだったか

ねっちりした描写って訳でなく手癖みたいなものだったんだろうけど

なんだろなー有り体にいうとセーラー服女の子が怒ったり苦しんだりしてるところがみたい!というフェティシズムめいた欲望をなんとなく感じ取ってしまったのかもしれない

いや作者の人がそんなことを一切思っていなかったら申し訳ないが

そして思ってたとしてもそんなの作品を作る上でものすごくありふれたことなので悪いというわけではない

ただ私にとっては「人間」でなくフェティシズムを反射するための素材に見えてしまって気になった

ネガティブめには書いたがたとえば10代の頃とかに読んだらすごく好きだったかもしれない

人間のどうしょうもないことあれこれを削ぎ落として何かの純粋な塊みたいに描かれたもの子供の時にはすごく刺さるかもしれない

あと絵はすごくよくて表紙のキラキラした目とかすごくひきこまれ

2021-02-14

anond:20210214102123

女性を胸などのパーツで見るとか、脚とか腕とかに執着するフェティシズムとか、

男なら誰にでもあることなのでは。

それもモノで見るということ。

多くの男がそういう性質感覚を持っていると思いますが。

2021-02-10

anond:20210210190310

俺はウサミちゃん現象ってのが分からずにぐぐったんだがそれでもよく分からなかった。

ただ200ブクマ超のtogetter記事がひっかかって、その記事によって広められた概念のような気がするんだが、肝心の元ツイートはもう消えているからどういう現象ことなのかは分からずじまい。

ウサミちゃんっていうとやっぱりギャグ漫画日和のウサミちゃんしか俺は思いつかないんだが、あれに何か問題ある要素があったとは思えん。

ちなみに中華ソシャゲというのは中国ゲーム会社日本向けにリリースしているソーシャルゲーム(というが実質はスマホゲームのことだろう)のことだ。増田が伏せている実際の具体的なタイトルは俺にも分からん

果物アイコンは俺もよく分からず。

幸子腹パンは、まず幸子というのはアイドルマスターシンデレラガールズという二次元アイドル作品に登場する輿水幸子という14歳自称カワイイアイドルキャラクターのことだ。

腹パンというのは、美少女キャラ二次創作イラスト同人誌などの中で筋骨逞しい男の容赦ないパンチを腹に思いっきり食らう図という、いわゆる「わからせ」的なフェティシズム表現一種だ。躾け的な意味あい暴力で屈服させる意味あいがある。場合によってはR-18グロのような陵辱・猟奇展開につながることもあるし、食らった瞬間の歪んだ顔に痛ましい打撲跡のような一枚絵だけで完結する場合も多い。先述の幸子のようなちょっと調子に乗った自信家キャラがそのような創作の標的になりやすく、面白がる人もいれば不快に感じる人も結構いる、物議を醸す表現だ。ちなみに腹パン表現といえばで挙がる同人絵師では朝凪という人が飛び抜けて有名だ。

2021-01-04

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

あいさつ

新年おめでとうございます

直近の記事まとめ

タイトル執筆時点のブクマ投稿投稿曜日投稿時刻
手塚治虫「ブッダ」とおっぱい、20世紀のおっぱい税2762020/11/0208:05
フレンチ・カンカンの穴あき見せパン、トップレスのショー842020/11/1008:24
ラインダンスとレオタード少女、ブルマーの追記482020/11/1608:10
カーニバルのギリギリなビキニ、その歴史112020/11/24火(前日が祝日08:04
ベリーダンスとマーニャのふんどし342020/11/3008:10
ボディペインティングとドラえもんことわざ辞典のCFNMとPETA152020/12/0707:57
根本的な疑問。ブルマーとスク水とセーラー服はなぜ紺色?142020/12/1407:49
赤ブルマーの起源、障害者スポーツとブルマー292020/12/2108:07
イギリス人の緑ブルマーと赤ブルマー、スパンキング、お尻ペンペン42020/12/2808:01

ブルマー記事考察

noteでやらない理由

ブクマで、どうしてブルマー調査個人ブログnoteでやらないことをいぶかしがるコメントをいただくこともあった。理由はいくつかあるが、一番の理由はこの匿名環境が心地よいためだ。もしもコテハンで延々とブルマーについて語っていると、自分アイデンティティの深いところにブルマフェチであることが刻まれしまうだろう。現に、さっきブルマーを脱がしてお尻を見る夢を見た。いつしか毎週のようにブルマーについての考察を書くことが求められ、承認欲求からそこに依存し、それが完全に習慣になってしまう。怖いことではないだろうか。

さらに、ある程度ライターブロガーとして名前が売れたら世間話題になったり、現在進行形炎上していたりすることについてコメントすることが期待されるかもしれない。それは、気晴らしとはほど遠い。自分がやりたいのは個人的に気になったことの調査であり、それ以上ではない。だいたい、世間議論不毛なことが多く、建設的でない議論に巻き込まれても面白くない。要するに、期待されると疲れるのだ。

また、この記事ほとんどが海外情報斜め読みとその翻訳からなっており、それで閲覧数を稼いだり、有料の記事を作ったりするのは少しばかりおこがましく思う。最近はあまりかましく言わなくなったのかもしれないが、リンクフリーかどうかもわからないサイトから引用している個所も多い。コンプライアンス的にはグレーだろう。こうして書いた記事がバズったら確かにうれしいが、あまりブクマ数は気にせずに遊びとしてやる距離感が一番楽しいバズることが自己目的化しては意味がない。

匿名性の良さにはほかにもある。増田という環境情報書き手受け手関係フラットで、記事の誤りを気軽に指摘してもらえるのだ。もともと自分勉強のためにブルマーについて調べていたのだから批判も含めてあらゆるコメントはいつもありがたい。

更に、増田でこうして書いたことで学べたこともある。ライター業というのは思いのほか大変なのだ。まとまった長さの文章を毎週書くことをしばらく続けてみたが、テーマを選ぶことも調査することもそれなりに気力を使う。小説で長い文章を書くのが元々苦ではなかったので、こういう記事簡単だろうと油断していたのだが、自分で考えた締め切りを守るのも負担だとわかった。ましてや自分の興味がないことも書かないといけないうえに、ウケるテーマを探さないといけないプロはなおさらだろう。一時期、文筆業に憧れていたことがあったのだが、こうして実際にその真似事をやってみると、その苦労がどれほどのものか、かなり実感がわくようになった。

かに自分妄想必死でひねり出して数万字書いてスルーされがちな小説と比べ、調べたことをまとめたものはほんの数千字でブクマがもらえるので、かけた手間と承認欲求コストパフォーマンスはこうした記事のほうがいいのだが、そういう問題ばかりでもない。

とはいえ面白経験ではあったので、例えば僕のフェティシズムとは関係のない記事を書いて、どの程度伸びるかどうかを実験しても面白いかもしれない。たとえば、筆者はよく美術館に行くのだけれど、刀剣には詳しくないため、どこをどう見ればいいのかがわかっていない。それについて調べた記事なんかを書くのもいいかもしれない。さっさと書籍を入手しろという話かもしれないが。

また、何かまとめたくなったら書く。それがいつになるかはわからない。

2020-12-21

「しゃべらない」という禰豆子の可愛さ

鬼滅の刃の「禰豆子」がかわいい。とんでもなくかわいくて愛おしい。このキャラクターを考案した吾峠呼世晴氏はマジの天才だ。色んな属性ヒロインが生まれては消えゆくこの時代、何故ここまで魅力的なキャラクターを作れるのだろうか?

そもそも、どうして禰豆子はそんなにかわいいのだろうか?

幼くて大人っぽい

広いおでこ、まんまるで大きな瞳、流線型の顔、ふっくらした身体にちんまりした手足、禰豆子の印象は「赤ちゃん」ないしは「小動物である。このベビーフェイスのおかげで男女問わず本能的に庇護欲が掻き立てられる。

そんでもって、身体の大きさが可変だ。頭身を自由にいじくることが許されているため、かわいいシーンでは幼く書き、切羽詰まったシーンでは大人っぽく描ける。デフォルメ自由さのおかげで「しっかり長女」と「おてんば妹」を使い分けられる。ずるい。そんなのアリか。

弱くて強い

基本的に禰豆子は誰かから常に守られているキャラだ。文字通り箱入り娘と化した禰豆子は、かまぼこ隊や柱達からたくさん可愛がられている。戦闘中であろうとも、炭治郎は禰豆子を守ることに常に意識を向けている。

しかしながら、禰豆子は鬼殺隊の一般隊士より遙かに強い。血気術は使えるし、四肢を切断されても時間が経てば再生する。中身は鬼なので当然と言えば当然だが、正直、闘いの半分ぐらいは禰豆子がいなければ負けていたと言えるほどには強い。

この弱さと強さのバランスが、禰豆子を魅力的にしている。いくら禰豆子が強いとはいえ、一人で鬼に勝てるほど圧倒的な強さではない。敵の鬼のほうが人間を食っている分、当たり前に強いしガンガン追い込まれていく。そこを仲間との協力で何とか倒すのが禰豆子流戦闘術だ。

少年漫画ありがちな「守られてばかりヒロイン」でもなければ、「さすが禰豆子の姉貴」でもない。動物で例えるならチワワドーベルマンキメラだ。時に儚く時に逞しいのが禰豆子。ずるい。そんなのアリか。

猿ぐつわを咥えている

私が禰豆子を初めて見た時、この身に衝撃が走った。12歳のロリっ子が猿ぐつわを咥えさせられている。変態の発想だ。フェティシズムハレンチ境界ギリギリを攻めた超ラフプレー。世が世で国が国なら作者は公安にしょっぴかれているだろう。

時に、少年誌では作者の趣味や読者サービスによってキャラ露出が増える。ピチピチの服のほうが動きやすかったり、圧縮した霊圧の高さで背中衣服が吹き飛んだりと、色んな理由をつけて肌色が増えるがそんなの建前であり、つまるところ「書きてぇ」からだ。

そして禰豆子にも猿ぐつわを咥える理由がある。鬼になっちゃったからだ。鬼になっちゃった人間を噛むかもしれないので代わりに竹を噛んでいる。正直、鬼なら竹食い破れるから抑止力にならんだろと思うかも知れないが、そんな理由全然アリである。それは吾峠呼世晴氏が「書きてぇ」からに他ならない。

そして令和の世の日本国において、作者の性癖は「エロい」よりも「かわいい」と見なされたのであった。

しゃべらない

最後に、禰豆子の魅力を一番引き出していると思われる要因がこれである

いきなりだが、自分が犬を飼っているとして、その犬がいきなり人語で会話をし始めたらどう感じるか想像してみてほしい。中には意思疎通が取れて嬉しいと感じる人もいるかもしれないが、多くの人は見た目と性格とのギャップに驚くに違いない。私達はチワワなら繊細で、ドーベルマンなら勇敢だと考えがちであるが、それは見た目としゃべらないことが原因で思い描く勘違いである。実際のところ、チワワ性格は見た目に反して勇敢であり、ドーベルマン結構甘えん坊だ。

そう、「しゃべらないからこそ可愛い」ということは往々にしてある。鬼化した禰豆子の性格は、見た目そのままかわいい生き物としてどんどん補完していくことができる。

また、しゃべらないということは、容姿動作自然と目が行くことでもある。そうなれば禰豆子はもう無敵だ。容姿は守ってあげたくなる小動物フェイスであり、動作は「む~~」だったり「ヴーーッ!」だったりと変幻自在。まんまるの目で語りかけてくる甘えん坊かと思えば、拳と背中で語り掛けてくる勇敢な姉貴にも変わる。


恐ろしや禰豆子。このキャラはどこまでかわいい可能性を秘めているのか。

2020-12-10

anond:20201210185104

彼氏はほかのなにかに性的興奮を覚えるフェティシズムがあるかもしれないけどそれはよいの?

2020-11-22

anond:20201122203027

いや、姪っ子はさっきまで、たしかに「ここ」に存在していたのだ。

姪っ子の皮膚の感触をまだ覚えている。

そこで私は思い出したのだ。

これは作られた夢であったということに。

この派遣リフレのお姉さんは女性アンドロイドであり、3万円で私に仮想現実サービス提供してくれていたのだった。

客の脳内に直接、お望みの仮想現実提供する夢のようなサービスである

そうだ、そうだ、そうだった。

私はそれを望んで彼女をオーダーしたのだった。

まりにも現実感があったため、ここが錦糸町ラブホの一室であるどころか、今までの自分の荒んだ過去を一瞬だがまったく忘れてしまったのだった。

最新技術凄さに驚きつつ、私はラブホを出て帝鉄「錦糸町」の駅に向かった。

はいつもどおりの酸性雨が降っていたが小雨であった。

これぐらいなら傘をささずとも直ちに人体に影響はないであろう。

駅に向かって小走りする自分に巨大な看板がふと目に入った。

姪ドロイド広告であった。

姪ドロイドとは姪っ子とメイドアンドロイドを掛け合わせた造語であり、最近流行フェティシズムであった。

あれを買えば仮想現実などではなく、現実に近い姪っ子がメイド姿で家で待っていてくれるのである

ローンを組めばいいのだろうか、リボ払いならどうだろうか。

いや、その前に以前買ったムードオルガン粗大ゴミとして処分する方が先であろう。

ムードオルガンを挟んで、前の彼女とは喧嘩してばかりだった。

私は前の彼女との喧騒の日々を思い出しかけたが、それを姪ドロイドとの日々を想像して打ち消すことにした。

まず、購入したらちゃぶ台を挟んで姪ドロイドと会話をしたい、いや説教をしたい。

理不尽説教をして、ちゃぶ台ひっくり返すのだ。

そして、姪ドロイドが「(泣)」姿を見るのだ。

2020-11-09

anond:20201109105312

アニメに限らず世の中のどんな作品にもフィクションなのを良いことに作者のフェティシズムが込められている部分が必ず存在しま

2020-11-08

タイツ問題エロ目線肯定してると読めたらNGで本当にいいの?

女性エロ目線を送ることを肯定すると読み取れる広告表現NGとの意見スターをたくさん集めていたと思うが

これはあらゆる女性ファッション簡単適用できちゃうけど本当に大丈夫


下着

他人に見せたくないもの公共の場で見せることは下着へ興味を向けさせ男性エロ目線を許容していると読み取れるのでNG

ショッピングモールなどでも通路から見えない場所に置いてないのはNG女性下着エロ目線で見せることを許容していると解釈可能

スカート着用したもの

女性に着用させた写真男性スカート性的魅力への興味を向けさせ男性エロ目線を許容していると読み取れるのでNG

・コーディネート全般

女性セクシーさをアピールするものは全てNG女性に向けたものだというのも通らない。企画意図に関わらず女性性的魅力の強調は男性エロ目線誘導し許容していると読み取れるのでNG

・服の着用全般

靴下のみですら特定フェティシズムを誘惑するので、女性モデルを起用したら男性エロ目線を許容しているものを読み取れるのでNG

女性モデル女性イラスト

そもそもルッキズム塗れの美人女性が写ってること自体男性エロ目線の許容してるわ。女性モデル写真撮影NGだしイラストの起用もNG

2020-11-07

anond:20201107230337

何が燃えたのか、アツギちゃんと分かってる

二枚がなかったら炎上は無かったのか。

この事故市民間のフェミニズム意識が高まっていない昔に起こっていたら、気にされずにスルーされたのか。

女性日用品セクシーさは絶対的に入り込むべきでないのか。

フェティシズム棲み分けている分には問題がないのか。

広告ではファッション誌的な表現けが正解なのか。

答えは誰も知らない

2020-11-04

anond:20201104174301

竈門禰豆子 (かまどねずこ)の絵は、萌えさらにこえて、フェティシズム領域に達してるよね。

anond:20201104101226

極論を言えば女性が身につけている物であれば大体にフェティシズムを覚える人は出てくるぞ

anond:20201103224649

可愛い女の子が好き、エッチ女の子が好き、フェティシズム全開」のフェミニスト女性

一度フェミ同士の中で、フェミ定義とは何かを議論した方がいいと思うよ。

何でもかんでも「フェミ一人一派」で誤魔化せるレベルを超えている。

2020-11-03

例の絵師先生ファン女性だけどツラくて憂鬱

(追記)皆さんのコメントを受けて雑感を書きました

https://anond.hatelabo.jp/20201105022308

__

タイツといえばあの絵師先生。毎週月曜日(月曜以外も)の投稿が楽しみで前からフォローしてます

から最初炎上とか関係なしに、月曜日の習慣として、通勤途中にあの朝タイツ絵を見たんだよね。その時メーカーコラボを知って、実はちょっとギクッとした。前からメーカー公式垢と絡みがあったのも知ってるけど、あっこんなふうに堂々コラボするんだって

先生の絵は好きだ、女の子かわいいし、えっちなのも好きだし、フェティシズムもっとがんがん出してくれって応援ながら見てる。でも、先生タイツフェチの神!エロ化身!(褒めてる)。そんな先生メーカーが堂々コラボはどうなのか?

実はこの時点でリカちゃん公式垢のことを思い出してしまった。はっきり言ってしまえば私自身はエロコンテンツが大好きだし、二次ロリも大好きだし、古き良きネットゲスオタクノリ文化愛着を感じているけど、それとこれとは別で、顧客を踏みにじるようなあのリカちゃんツイート広告として絶対よくないよなって思っていた。そのことを思い出した。

だけど、リカちゃんと違って、広告として絶対ダメだとまでは思わなかったんだよね。最初ちょっと怯んだけど、「ああ、最近はこういうイラスト市民権を得たんだな」「きっと若い子はこういうイラストが好きな子が多いんだろうな」って……それに先生の絵は普段と違って性的な部分が抑えられていて、配慮がされていることも見て取れた。だからちょっとびっくりしたけど、こういうのが好きな人もいるよね、という理解で受け止めた。

退勤時にはタグから飛んで他の絵師さんの絵も見た。そして思っていた以上にタイツにいろんな商品があることを知った。足首にラメ入りのとか、厚手のもこもこのやつとかはかわいくて、この2点は商品ページまで飛んでじっくり見たよ。足首ラメ入りのは手入れが行き届いた靴と合わせないと自信ないなぁなんてことまで考えた。だからこの企画は、私という顧客のひとりにはしっかりリーチして役割を果たしたのだ。きっと私みたいな人は他にもいると思う。

でも炎上してしまった。案の定といえば案の定だとも思ったけど、ツラい。もうこの手の話題はいやだ、しかもそれが私の好きな絵師さんだと本当にいやだ……。火をつけている人に怒っているわけじゃない。私だってフェミニストを自認している。でも私の「好き」が火中にあることがツラい……SNSを開くと批判派と擁護派に身を裂かれそうなのがキツい……

なんていうか、大好きな二次創作作家本家コラボしたら、こんな気分になるんじゃないかな。たしか二次エロ大好物で楽しんでいたけど、本家と堂々コラボされてしまうと……ちょっとそれは違う……本家どうしたん……。しかもそれで炎上して、ああ……好きなものがいっぺんに燃えてる……もうちょっと二次創作は影で細々とやっていてほしかったよ……みたいな。

今回、先生絶対に悪くない。けど先生を表舞台に引っ張り出して炎上きっかけを作ったメーカーの方はちょっとだけ憎い。ちょっとだけ……

でも!私みたいな顧客に対してきちんと広告役割を果たした、その一点に限っていえば成功していたとも言えるんじゃないかな。私とは別の多くの顧客に嫌な思いをさせたのは失敗だとも思う。でも、そんな時はできれば「私は好きじゃない」「私向けではない」「こういうのが好きな人もいるんだな」と思ってもらって、そっとしておいてもらいたい……だって本当にそういうのが好きな女性はいるんだから……だけど私の中のフェミニズムは、意見表明するのも当然だとも思うしね。でもこの企画嫌いじゃなかったよ。ああ、憂鬱です。

___

批判派にも擁護派にもなれない・なりたくない気持ちをそのまま書き表すのはとても大事なことだと思う。

ありがとう

anond:20201103075254

いや、今回の件は単に自社の立ち位置理解出来てない奴がまかり間違って広報になって場違いに己のフェティシズム全開にして事故ったってだけの話だろ。

このメーカーコスプレ衣装作ってるようなメーカーなら何の問題もなかったろう。けどアツギっていう会社はそういうんじゃないだろ。

例えばユニ・チャームとか大王製紙とかの大人おむつ作ってるメーカーオムツァーとコラボしたフェチ企画出したらどう思うんだよ。

ドン引きされるだろ。そういうこったよ。

anond:20201103184103

ヘテロを自認しているかどうかとは別に、その「フェティシズム」のことを、ここでは「レズビアン的な欲望」と呼称しました。(このように呼称したのは、同性愛異性愛の間にはスペクトラムの広がりが存在し、きっぱり区別することは不可能という前提に基づいています。)

anond:20201103182428

そりゃまぁ件の企画がなければ https://togetter.com/li/1617671

こんなリプ付けるキモオタどもを見ることもなかったんだろうな

しか公式中の人のは「レズビアン的な欲望」とも違うのでは?

ノーマルであってもフェティシズムは持っててもいいし

そもそもせいぜい自社製品への偏愛範疇では?

ATSUGI炎上個人の感想

ATSUGI炎上の経緯

誤解している人も多そうなのでATSUGI炎上の経緯をまずまとめる。

 ⑴ 11月2日(月)インナーウェアメーカーATSUGIが、イラストレーター数十名にタイツストッキングを着用した女性イラストを描いてもらい、#ラブタイツというタグTwitterにそのイラストツイートした。

 ⑵ そのイラストのなかで、スカートをたくしあげてタイツを見せる女性イラストや、股間が見えている構図のイラストがあった。(ごく少数)

 ⑶ Twitter上で⑵のイラスト炎上しはじめる。

 ⑷ ATSUGI説明なく⑵のイラストRT取り消し、ツイートの消去をした。

 ⑸ ⑷の行為によりさら炎上


Twitter上で見られたATSUGIへの意見

 ・ATSUGI広報が#ラブタイツのイラストレーターファンであるATSUGIアカウント発言作品集宣伝ツイートRT

  →「企業広報にも関わらず公私混同している」

 ・スカートたくし上げや股間が見えているイラスト

  →「女性性的搾取である」「女性の防寒着に対して性的まなざしを向けることを企業扇動しないでほしい」

  →「女性がメインターゲットであるにも関わらず、なぜ男性主体広告を打ったのか?」

Twitter上で見られたATSUGIへの意見への意見

 ・「企業広報にも関わらず公私混同している」

  →「公私混同か決めるのは企業側であって客ではない。」

 ・「女性性的搾取である

  →「搾取意味が違う」

 ・「女性の防寒着に対して性的まなざしを向けることを企業扇動しないでほしい」

  →「それが嫌なら全身を覆える服を着て生活すればいい」

 ・「女性がメインターゲットであるにも関わらず、なぜ男性主体広告を打ったのか?」

  →「男性男性性的に見られたい女性ターゲットなだけ。新規開拓しているのでは」

 また「⑵のイラストを描いたイラストレーターATSUGI広報女性なの知らないのか?」

男性性的に見られることがダメならファッション誌のモテコーデなどもダメになる」

性的に見えるのは見る側がそう思っているだけで全然性的じゃない」

「⑵のようなイラストが好きな女性だっている」

などの意見も見られた。



個人的見解

#ラブタイツのイラストの多くに対してはかわいいな、とは思ったが、やはり⑵のイラストを見たとき違和感を覚えた。

私にとってストッキングタイツは防寒着でもありオシャレでもある衣類ではあるが、他人(男性でも女性でも)に性的まなざしで見て欲しくて身に着けたことがないからだ。

もちろん世の中にそういったフェティシズムがあることや、他人性的まなざしで見て欲しくて身に着ける人もいることはわかっている。

しかATSUGIユーザーの多くは、そういった目的で身に着けていなかったのではないだろうか。

私がストッキングタイツを履くとき性的まなざしで見られたくて履いているんだな」と思われたくはない。ただの衣類に変な意図意味を付けられると困る。

謝罪してほしいというわけではないが、説明もなしに⑵のイラストを消すというのは、企業としてどうなの、とは思う。


あとATSUGIの件だけでなく、フェミニズムっぽい意見を書くとすぐ「これだからフェミは」とか言うのはやめてほしい。

暴走している一部のフェミニストやその振りをしている釣り(偽者)が悪印象なのはわかるが、それらとフェミニズムフェミニストを一緒くたにしないでほしい。

別にフェミニズム男性を憎んでいるわけではない。いまは男性女性かで分けられる世の中ではないし。男女対立構図はもう終わりにしたい。


今までの人生で、他人性的まなざしで見られるだけでなく、直接的な被害にあって嫌な思いを何度もしてきた。

これは顔やスタイルの良し悪しに関わらず、女性だけでなくもちろん男性被害にあっているだろうし、加害者男性とは限らない。

個人の話としては、長いスカートを履いていて痴漢に遭い警察突き出したら「痴漢が嫌ならスカートを履かないようにしなさい」と言われたことや、

同級生に胸を触られたことや、自転車に乗って信号待ちをしていたら知らない人に下から覗き込まれたこともあった。

そういう嫌な経験自分より若い世代の人にさせたくない。好きな服を好きなように着ても、嫌な思いをすることがない社会になってほしい。

そしてそういう社会をつくるには、一個人の心がけももちろん大事だが、企業の力も必要だ。

今回の⑵のイラストインナーウェア企業広告として使うのは、嫌な思いをする人を増やす手伝いをしていることにATSUGIには気づいてほしい。

そして影響力のある企業からこそ、もう少し考えて広告を打ってほしい。

2020-09-17

バレエチュチュスカートの中のフリルパンツ

今回もブルマーとは関係ないが

イギリス人ブルマー調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。

これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望暴走コントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性から自由になる手段であり、政治広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。

前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。

実際、チュチュスカートの中ってどうなってるの?

まずは以下の画像をご覧いただきたい。

https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu

これは、クラシック・バレエチュチュ基本的構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである

しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代チュチュとして、次の4つが挙げられている。

他にも、日本語版記事には、

短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキチュチュより長い。ドガ作品で多く見られる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Degas#/media/File:Edgar_Degas_-_The_Ballet_Class_-_Google_Art_Project.jpg

これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログ写真では普通スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。

https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/

http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg

チュチュの縫い方で調べたらもっと出るかもしれない。

結局、その下はどうなってるの? バレエパンツ問題

世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201

さて、ウィキペディアチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナ下着としてステージショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。

また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュである」との記載がある。

要するに、レオタードみたいになっている場合普通下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツはいているわけである。当たり前ではあるが。

ロマンティック・チュチュ1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパン起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。

また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリル横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリル趣味時代的変遷だろうか?

で、何でこんなにスカートは短くなったの?

Wikipedia英語版のballetの記事バレエ歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。

まず、バレエ起源ルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。

17世紀の頃は、女性衣装は重たい生地と膝丈のスカート構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャー制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面からインチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀絵画だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg

19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体ラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg

そして20世紀バレリーナスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年写真を貼る。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg

それから現代バレエではこうなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg

画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。

さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである

ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装存在しているらしい。確かにbunkamura食事に行ったときバレエ衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッション衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。

搾取問題ちょっと真面目に考えてみる

ブックマークコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケート話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。

僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガ作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。

エドガー・ドガバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサー現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサー薄給生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサー娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスバレエから男性ダンサーはいなくなり、フランスバレエ低俗化することになる。

もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在表現しようとしたドガ作品価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサー意志だったのか、と。そして、女性身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか

もちろん、過去のことだからからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的判断たか判断は難しい。とはいえ過去人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。

しかしながら、現代に生きる僕らは、自分主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代文化支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分フェチ起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。

スポーツでも……?

身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係パワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。

スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易善悪を論じることが困難だ。バレエ例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情欲望混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。

今までこうした社会的な側面から女性ファッション歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装のもの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である

何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術スポーツに励む女性性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。

結論、まとめ、考察

今後の発展、展望

今回の調査では、見せパン起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。

そこからメイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマー回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。

とはいえ、しばらくは休みたい。自分欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化妖怪名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的ものとして把握できるようになった。

まり増田欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的意見、ねちっこく不快だという否定的意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝言葉を述べたい。

おまけ

ドガの絵を見ていたら、レオタードらしいものを見つけた。

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg

2020-09-06

anond:20200905211346

横だけど、わりと同感。

 

小学3年生のときSM雑誌を大量に見て、緊縛肛門性交露出調教などは言うに及ばず、四肢欠損愛、轢殺愛など数多くの性癖フェティシズムを知ったけど、「フーン、世の中いろんな人がいるな」という感想を抱いただけで、長じた今もそうした欲求は何もない。SMはじめ各種の変態性愛自体に対する好意も悪意もなく、無関心といっていいと思う。

 

もともとその「素質」を持っていた子供が、ある表現に触れたときに「目覚める」のであって、それを促す作品別に18禁とも限らないだろう(トラバにもそうしたことを言ってる人がいるな)。一種運命だろう。まあだからといってなんでもかんでもあけっぴろげにすべきでもなかろう(中学生みさくらを与えていいのかどうか)。個人的ゾーニング必要だと思うけど、それは未成年に対する配慮というより、性表現に接するときは誰にも「さあエロを見るぞ」という心構えのためのワンクッションが必要なのではないかと考えるゆえである

 

みさくらなんこつに対してはハースニール検索汚染しやがってとちょっと思う。

 

(隙自語)

2020-09-05

anond:20200904215143

批判側の意見は「ゾーニング問題である」という方向に収束しているらしい。子供の目に入ったらどうするんだ、と。

しろフェミニストミサンドリストの目に入ったら騒がれて面倒だから」という程度ではないでしょうか。「子供に見せるのはヤバい」と言う人がいたとしてもせいぜい建前で、実際にそんな心配をしている人がそれほどいるとも思えません。「という方向に収束しているらしい」というのはあなた思い込みか、あるいはそんな大人の建前論に引っかかってしまったがゆえに(あなたが「〝子供〟の立場からこのトピックで論を立てたい」と考えるあまり採用してしまった間違った(あるいはあまり意味をなさない)前提なのではないかと言う気がします。

18禁レーティングを、子供を守るためのものなんて本気で考えている大人は、ごくごく少数でしょう。それは「なにも考えてないから」ではなく、「大枠としてある子供と性という真の問題解決コストと労力を費やして社会全体として傾注するつもりがなく、といって当該のイシューが原因または遠因となって実際に子供が傷ついたとき責任も取りたくないから」といったところだと思います(まあ、そういうのはなにも性に関することだけではないです)。

大人というべき立場の人たちが、当事者である子供の性欲の「安全かつ倫理的」な解消に無関心なのはそもそも彼らに当事者性がないからです。彼らの中にも青春時代に異性や同性との関係を求めて煩悶した人はいるでしょうが、それでもどうにか切り抜けたり、あるいは同じような片割れをうまく見つけて乗り切ったり、それでどうでもよくなってしまったのです。放っておけば今の子供たちも適当よろしくやって育つだろうみたいな、一種生存バイアスですね(青春時代にしくじって身を持ち崩した人は、ここには含まれません。そんな人たちのなかには、次の世代の子供たちに同じ思いをしてほしくないと活動する人もいれば、逆に同じ目に遭わせてやろうと引きずり込んでくる人もいることでしょう)。

だいたい、そもそもみんながみんな若いからといってそこまで性欲に支配されるわけでもありません。そこを間違えると、単に個々人のフェティシズムを満足させるためというだけの成年向け創作を、隠された人間の本性を暴き描いて禁忌の扱いを受けた真実みたいに思い込むことになりかねません(そういう人こそ、本来「成年向け創作」を鑑賞すべきではない人だと個人的には思いますし、成年向け創作はそういう人に多かれ少なかれ実際に悪影響を与えていると思います)。性は究極のプライベートなので、親しい仲でもそうそ意見を述べ合ったりすることもない問題ですから、知見もたまりにくい。娯楽としての偏った性知識勝手に変な方向に積み上がっていくんですけどね。

ところで思ったのですが、

このnoteでは「フィクションに影響されてロリコン子供に手を出す危険性がある」という主張と「ロリコン子供に手を出さないのにその努力台無しにするな」という正反対の主張が混ぜられている。

このあたり以降であなたが書いていることを読むに、ペドファイル(ここに「ロリータコンプレックス」を含めるとしても、未成熟身体性を持つ少女への愛好のことで、成年女性に対しての性衝動は皆無か、あっても薄い)と、いわゆるロリコン趣味者(社会倫理としては許容されていない、制服を着た女子高生なども性の対象にする成年男子。機会があれば同世代女性とも普通に性的接触を行うし、また女子小中生であっても「女体」であれば性的対象となる)の意味の切り分けができていないので、話が通らなくなってしまっているように思います。後で出てくる「子供に手を出す人の7割はロリコンじゃない、という話、あれは信用していない」というあなたの考えありき――Wikipediaでいうところの独自研究――で話を進めているからですね。

そもそも大元ネタは成人男子男児型の人形を買って性衝動を語っているという話から始まっており、「ロリコン」の話ではありません(元ネタの人は自分男児ではなく女性が好きで、単にネタとして言っただけ、みたいな話になってるようですが)。このあたりも、あなたが書きたいことを書くチャンスが来たと前のめりになりすぎて、周りが見えなくなっているのではないかと感じた理由です。

2020-09-02

やばいやばいセクシャルマイノリティ世界

最近ペドフィリアが異様に叩かれている。

別に人形買って自分で処理しているとかそういう分には構わないんじゃないのとか思うんだが、よく考えたら性的興奮を覚える対象性的アプローチをかけたら犯罪になるセクシャルマイノリティってたくさんあるじゃない。

ペドフィリア

ネクロフィリア

ズーフィリア

エキシビショニズム

エロトフォノフィリア

カニバリズム

クレプトフィリア

タナトフィリア

タフェフィリア

ハイブリスフィリア

ピロフィリア

インファノフィリア

ニンフフィリア

バイスフィリア

メディカルフェティシズム

ここにたくさん書かれている。上記がそれぞれ何かは調べたら良いと思う。

https://note.com/urue/n/n41fe95033f33

というように、軽度から重度な犯罪につながっていきそうな性的嗜好が山のようにあるのに、何でペドフィリアだけ事さらに叩くのか、というのがよくわからないんだよね。

子供犠牲になっても良いのか!という人たちは、ペドフィリアはもはや自分性的欲求コントロールすることができなくなっているという風に差別していると思うんだよね。

例えばコントロール不可能になったエロトフォノフィリアはもはや無差別なんだが、そういう人に警戒しようという人は見たことがない。近所にエロトフォノフィリアがいる!追い出せ!とかは聞いたことがない。

かにペドフィリアはひどく差別されている。なんでか知らないが明らかに的にされている。的にしている人たちが社会正義を背負いやすい構図なのもあるのかもしれない。

ペドフィリアがいる分には別に良い、迷惑かけないならそれで良い、位ではいかんのかな?

例えば学校一つあって、生徒が150人、それの父母が300人としたら、多分10人位はペドフィリアいるよ?

性的嗜好フェティシズム小児性愛人形愛好の変種

だと個人的には思っている。

 

もし、特定児童恋愛対象の異性または同性として意識し、いずれかのタイミング(それが世間的に適切か不適切かはこの際さて置く)で関係を持ち、そして一生添い遂げるような超レアケースがあったとして、それは「性的指向」に基づく愛とそれほど変わることはない。

 

しか小児性愛というのは、むしろランドセルを背負った華奢な身体」とかそういうのに欲情してしまう「性質」のことではないか相手人格や知性を愛するのではなく、相手身体的特徴に性衝動を昂らせてしまう、ということ。対象ハイヒールランドセルか、それとも豊満な胸か第二次性徴前の身体か、ってことだ。

 

豊満な胸も、第二次性徴前の身体も「無生物」ではない。しかフェティシズムの消費対象になってしまう。つまり交換可能なのだ。消費され、交換される方はたまったものではない。大人から身を守ることが難しい子供であるならなおさらだしかも「子供」は成長し、小児性愛嗜好の「対象外」になる)。

※以下の肝心な部分を書き忘れたので追記

「【児童ラブドール】が、【実際の児童】の似姿をしている」ことへの嫌悪感には、「児童ラブドールの愛好者は、【実際の児童】を、【児童ラブドール】のような【消費代替可能なモノ】として扱うことができる存在なのではないか?」という不信感が含まれているのではないだろうか。

追記終わり

 

(考えてみると、髪型や体つきやキャラクター類型差異をつけただけの同じような顔立ちの中から「嫁」をとっかえひっかえしてるオタクにも親和性の高い概念かもしれない)

  

 

ところで、

ラブドールで加害欲求が抑えられた人と助長された人どっちが多いか証明してから言え

https://anond.hatelabo.jp/20200901141152

 

「加害欲求助長された人」が存在するのを認めるということになるのでしょうか。

そうなると、欲求を抑えられた人が99人で、助長された人が1人だとしても、児童ラブドール社会の脅威ということになるね(性犯罪加害者は、たった一人で多数複数被害者を傷つけるからね)。

じゃあ、残りの99人の自制できる人にはカウンセリング薬物療法対処してもらうことにして、児童ラブドール規制したほうがよさそう。そのものがなければ、欲望助長されることもない。寝た子は起こさない。

って話になると思った。

 

え? 規制されたら百人が百人とも児童を襲うことになる? まじ? じゃあやっぱりこの人ら社会的脅威じゃん。存在するだけで児童に対して危害を加える可能性があるなら、そういうのに関心を示した時点で予防拘禁とかしたほうがいいのかも……え、差別だって? 将来の子供の被害心配することが差別? 何言ってるの? じゃあ人を殺したくてたまらないってような奴も差別から放っておかなきゃいけないの? 怖いじゃん。それでいいの? だめだろ?

世間はだいたいこんな認識だろう。

 

痴漢いるか電車廃止しよう」という話にはまずならなくても、「傷つく児童が出てくる可能性がわずかでもあるのなら、児童ラブドールなんて規制しよう」ということには、容易になりうる。電車恩恵に浴していない人はいないけど、児童ラブドールは大多数の関心事ではない。

 

普通の人」は、自動車小学生を何十人と轢き殺している事実より、児童ラブドール愛好者に小学生が一人傷つけられること(ただの可能性であっても)のほうを恐れる。自動車暴力性はわかりやすいけど、児童ラブドール愛好者はまったく理解不明存在から

 

(成人同士での性的関係も持てる「普通の人」の中には、小中学生性的視線を向けたり、あるいは実際に手を出すような人もいるだろうし、一方、実際の児童に決して手を出さな児童ラブドール愛好者もいるだろうから、そこにはねじれも生じるが、そのあたりのこともさて置く)

自分とは異質の存在が、口を極めて児童ラブドールという、なんの意味があるのかわからないモノへの執着を叫ぶ。

大多数の良識ある(と自分では思っている)善良な人々からすれば、なんと恐ろしい光景であろうか。

酒に溺れない人間が、酒がなくて暴れるアルコール依存症患者を見て「なんであんなになるかねえ」と思うどころの違和感ではなかろう。

 

少数派だけが他者から視線無頓着でいることをことさら非難されるというのは、まあそのとおり。

そのとおりなんだけど、じゃあその「不公正」を一体どうすべきかってのは全然わかんないんだなあ。

から見ると、どうも声の大きい無能な働き者が、非難される愛好者の立場をどんどん悪くしてるように見える。本件に関しては他の被差別マイノリティと同じやりかたで突破できる問題とは思えないのだが。

2020-09-01

憲法改正論議における安倍晋三の華々しい業績

改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。

ここにその輝かしい業績を記したい。

 

まずは安倍晋三以前の状況から

WWII以後も熱戦の時代は続き、世界民族自決植民地独立冷戦下での大国介入に伴う戦争経験してきたが、敗戦武装解除された日本関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。

その冷戦下で9条改正を目指すのが自民党護憲革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新護憲派だった。

 

ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり憲法は良いものから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである

その為護憲=お花畑空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦終結により日本立場は流動的となった。

そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本戦争への協力を求められる事になり、世論右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界である多国籍軍国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。

 

湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジア民主選挙監視である

また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である

 

先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。

憲法法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権自由主義的な思想意味が延々とこね回されたりする。

国民主権主権は元は絶対王政国家正統性の為のフィクションであって、統治権外交権交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権思想的に称揚されるばかりだったりする。

一言で言うと左翼神学的な評価がされていたのである

 

例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権国家に対する対外的権力だ。

統治問題主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATO軍事介入理由人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。

 

コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。

 

改憲問題エポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである

西部改憲派テーブルに座り「憲法9条や前文の精神日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神浄化され理想的市民国民が出来ると言う考えだ。

それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。

これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。

 

それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃん改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。

当初から戦争理由疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISIS勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。

これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線留保すべきという流れになるのは当然だ。しか国連の影響を抑える為の政策米国しまくった。この為に国連路線を旨としていた日本国際貢献イマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である

 

そこに颯爽と現れたのが我等が安倍晋三閣下であった。

改憲旗艦となった彼は新右翼学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。

彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。

すると2007年にコバセツは自民党憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである

ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。

例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。

日本会議の中枢に居るような新右翼学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。

吉田茂は後に吉田ドクトリン撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。

徴兵海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識希薄若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為から戦争従事させろというだけだ。

 

またいつのまにやら立憲主義否定されて憲法国民が守るべき事柄になっていった。

コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである

何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである機械ばらして直せなくなるガキかよ。

それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである

まり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。

これは左翼神学的で実学接続しないので憲法学者微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。

そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通立法プロセスが付いていないのである

 

こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺朝日新聞捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似コンテンツとなってしまった、

 

安倍閣下の華々しい業績はこれだけではない。

南スーダンPKO日報破棄はその最たるものだ。

南スーダンの情勢が悪化自衛隊PKO活動をしている地域危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。

今回は撤収するにしろしないにしろ国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法PKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である

なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったか自衛隊憲法問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田閣下前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。

 

更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。

だが隠蔽責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。

まり自衛隊に後ろから刺されたのである制服軍人スーツ政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。

だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。

しか自衛隊活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。

だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。

ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族大事とか良い事が書いてある憲法朗読しましょう」という流れは保護された。

アイドルのような還暦女性ポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子ロリポップを舐め続けることができた。

 

安保法制憲法解釈変更問題本来なら改憲問題だ。

だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議国民に投げかける事はしなかった。

この理由時系列を辿ると判る。

2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末靖国神社を参拝したところ、日米関係戦後最大の冷え込みとなった。

太平洋地域戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである靖国参拝英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんであるバカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。

因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。

こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である

議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本憲法改正させて米国戦争サポートさせるというのは共和民主わず共同認識になっていたのだ。

こういう経緯なので改憲論議という手順を踏まずにやったのだ。

集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法合法としてしまったのだから改憲カードは無くなった事になる。

 

カンボジア独裁化に関しても何も言っていない。

PKO歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本軍事的国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。

尚、日本民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権承認していた。あの虐殺国民の半分近くを殺しまくったポルポト国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。

 

こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。

護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派憲法学者も全て護憲派に寝返った。

一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。

そんな情況空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味判らんかった聖帝閣下友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達稲田防衛大臣制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。

統計公文書も無くなった国に護憲の要石を深く打ち込みやがて聖帝閣下も去る。

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