はてなキーワード: Gafaとは
若くてリーダーシップがあって能力のある人はもう政治家を目指さないんだろうな。アメリカでも日本でも。
日本ではエリートの一部が官僚になっているかもしれないけど、そのほとんどは官僚って肩書きを土産にボスコンみたいなコンサルに高飛びすることしか考えてないと思う。
Tier2 コンサル
Tier3 トヨタとかメーカー(ここの人は上位Tier企業へ高飛びすることを常に考えている)
(中国企業や韓国企業についてはよくわからないから省略、Tier2.5〜3.5あたり?)
そんな底辺しかいない政治の世界なのに、安倍がーとか菅がーとかトランプがーとかバイデンがーとかおじいちゃんの名前を連呼するの、なんかバカバカしくなるよね。
政治は老廃しきっていて、もはや世界をいい方向に変える力なんて無い。
老人とボンクラと、法人税を下げることを目的に忍び込んだ企業の手先しかいない。
そんな状態なのに選挙について本気で考えたり、政治にすがったり本気で怒ったりするの、なんか馬鹿馬鹿しく感じる様になっちゃった。
やれやれ。ようやく今週の週報を書ききってほっとしているので興にまかせて書いてみる。
テレワークが始まってはや6か月。俺ドマイナー外資系製造業の営業。給料はそんなに悪くない。GAFAみたいに高くもないが普通の生活する分には十分だし少しだけど貯金もできている。日々Zoomで営業営業会議会議。気づけば毎日7時。NHKニュース見ながら作り置きのメシ食って風呂入って寝るって感じの生活。少しは事務作業させろよクソがと思うんだけど言い出せないチキン。しかたなく重めのやつは週末にやってる。
でもテレワーク始まってよかったのはやっぱり通勤しなくてよくなったこと。毎日毎日朝6時半に起きてクソほど混んでる電車に乗って1時間半かけて会社行ってクソみたいな会議したり2時間かけて田舎の客(お客様!!)のところいかなくて済むようになってマジでQoL上がった。おかげで朝ランニングもできるしシャワー浴びて着替えて仕事すっかって感じでできる。最高だよ。永遠にテレワークにしたいね。
で最近思うのは結構田舎にも都心にあるようなもの欲しいなって。具体的に欲しいのはこういうのだ。
こういうのって割と東京都23区内にしかないと感覚的には思う。あんなところに住みたくないけど利便性もほしい。今みたいな状況があと10年ほど続いてくんねーかなと思う。そうしたらこういうものも地方にできてくるんじゃないかな。需要あるよ俺ぜんぜん金払うし!
はー書いて満足した。風呂入ってクソして寝るわ。じゃあな!
↓
横だけど、老人見捨てて重税かけないパターンも考慮しといたほうが良いのでは?と思った
↓
ワイさん日本国民の平均よりは稼いでる方だけど
それ以下の方々が医療費削れって言ってるの
頭におが屑が詰まってるのかなって思ってる」
↓
労働者がいなくなるわけじゃない
↓
↓
↓
ワイ「
まぁアメリカにも一切の低所得者支援がないわけではなく Medicaid ってのがあるけどね
ここで問題になるのが Medicaid の受給資格が得られるほど収入は低くないけれど、月額30万円以上も出せないって人たち
↓
↓
ワイ「シンプルにアメリカはテック大国でも黙って座していても世界中の頭脳や若者が集まるから
アメリカには、GAFAだけじゃなく、MS、Oracle、Cisco、テックの巨人が全て集まっている、
どんなに締め付けられようがエリートもそうじゃないヤツもアメリカを目指す
日本はそうじゃないでしょ?
ただ、働くひとがいなくなるだけ
それすらも会社に人が来てないと何もできないよね?」
↓
↓
ワイ「払えなくて会社へこれなきゃ一緒なのよ
まずはどうやって父ちゃん母ちゃんの面倒を見る資金をこしらえるか、
自分が50、60歳になった時にどのようにお金を稼ぐかそういうことを考えて?
↓
老人見捨てて重税かけないパターンで介護離職が増えたら企業・経済が死ぬかって話で、
そうなったとしても企業・経済が死ぬわけではない、って言ってるだけ
個人としてどうするかって話は全くしてない
↓
どう行動するかよりも大切なことってないですよ
↓
減ったって無になるわけじゃない
↓
ワイ「だからこそ、自分の父ちゃん母ちゃんを養う資金繰りの方法や
自分自身が50歳60歳になった時の働き方や
就労困難者や老人の活用方法を考えるなど、出来ることをしては?
———
いわゆる「プログラマに向いてないタイプ」かつコーチャブルじゃないタイプだと思うんだけど、応援してるし自律的にスキルを伸ばせるようになって欲しいと思ってる。プログラミングスクールは、居住地的にキツイのと、雰囲気に呑まれて養分にされて終わりそうなので避けたい。
稀にネット上で見る成功体験(未経験からGAFA入りました的な)からかけ離れ過ぎてて、途方に暮れている。
どうしたらいいんだろ
——
とても参考になりました。皆さんありがとう。
前編
京都での大学生活がスタートした。当初の感想としては「ラーメンがうまい」、次に「車での移動は不適」。
大阪には意外とうまいラーメン屋がない。今は知らないが、当時の俺の生活圏ではそうだった。
京都の道路は本当に混んでいて、車で移動しようとすると骨が折れた。かと言って電車は電車でかゆいところに手が届いていないし、そもそも京阪電車以外で京都大学に行くのは大変なので、自然と自転車を活用する暮らしになった。
京都大学はよく、「1人の天才を作る為に、99人の廃人を作るところ」というような揶揄をされる。実際に通ってみると、半分は正解だが、もう半分はそうでもなかった。ただこれは俺が通っていたころの話なんで、今はどうなっているか分からない。
まず大前提だが、俺は他の大学を知らない。その上での結論だが、京都大学には「学生を育てよう」とかそういう気概はサラサラない。他の大学では学生を育成しようとしているかどうかの判断は俺にはつかないが、少なくとも京都大学工学部の教授連中はそういったことを放棄している。もうこれは誰が何と言おうと、厳然たる事実であると言い切ってしまいたい。小学校~高校までと大学とでは教育の質が違うというのは理解しているつもりだが、それを加味しても「放置されている感」は拭えなかった。講義の内容がスカスカとか、そんな事はまったくない。・・・まったくないのだが、BotWというよりはMinecraft、いやテラリアに近い感覚だった。チュートリアルと言うか、導きがほぼない。
だから前述の例え話は、「京大生が100人いれば、その中で輝ける天才となり得るのはせいぜい1人か2人」といった意味合いのほうが強いように思える。そもそもだが、「100人中1人だけが~」等とはいうものの、100人全員が京都大学に入れる程度の学力はある訳で、学力とか向上心とかそういったものはほとんど皆が持っている。
それを踏まえた上で、「そんな人間が100人いても(言い方は悪いが)全員が天才として輝ける訳ではない」のである。故に、そんな過酷な環境でも生き残れるような人だけが「天才」と称されることになるし、実際にそういう人だけが余人には到底及ばない領域に到達する事ができる。そんな環境が生んだ例え話なのだろう。
俺はなんとなく「99人のエネルギーを吸い取って1人に集めるのじゃ!」等とのたまうマッドサイエンティスト的なものを想像していたが、全然そんな事は無くて、天才と称されなかった99人も、一般の人から見れば大半がじゅうぶんに天才に見える。・・・多分俺も、世間一般から見れば「天才」とか「秀才」とか呼ばれているのだろう。俺自身そうは思っていないし、99人中95人ぐらいまでは同じ感想だろう。
ただ、多少余談ではあるが、99人とはいかなくとも、京大生が100人いると、7人~10人程度の「廃人」が何故か確実に発生する。
麻雀廃人、起業廃人、引きこもりなど、廃人の種類に差はあれど「一般人の枠をダメな方向に大きく踏み外してしまっている人」は、いつの時代でも何故か一定確率で発生してしまうようだ。このあたりは今後の研究を待ちたいところではある。
閑話休題。
そんな大学、俺が中学の頃から焦がれるように望んだ大学での授業は、控えめに言って最高だった。多分、俺の今までの人生の中で、一番光り輝いていた時間だったと、今でもそう思う。
俺は「自分は天才になりたいから、京都大学に行きたいのだ」と、そう思って京都大学を目指していたのだと、そう思って生きてきた。京大に入れば、自分は天才になれる。天才である証明ができると、そうあれかしと願って入試を受けたのだと。
だが実際はそうではなかった。件の99人の廃人の例え話でいうと、俺は天才には到底なりえない側の人間であると、京都大学に入る遥か昔から理解していたはずなのだ。それなのに京都大学を目指した。もちろん天才のための供物になるつもりは毛頭ない。明らかに矛盾している。そんな単純な事にはじめて気付いたとき、俺は「血、かな・・・」と独りごちた後、ちょっと笑ってしまったのを、今でも覚えている。
大学に入って、年月を重ねて、半人前なりに様々な人生経験を得て、やっと結論に辿りついた。
俺は、天才が、見たい。
動機は分からない。自分がなりたかったもの、なれなかったものを見たいだけなのかも知れない。でも俺は、ありとあらゆる分野で、光り輝く天才たちの紡ぐ、まばゆいばかりの光を放つ功績を見たいし、もし叶うのであれば、己の眼前で、その天才の目撃者となりたい。
スポーツや将棋では、眼前の目撃者となれない。かけっこがいつもビリだった俺に、未だにハム将棋に勝てない俺に、そういった分野で生き残っていけるはずもない。自分がかろうじてでも食い下がれる分野で、その分野の天才の所業を、リアルタイムで見たいのだ。そう思った俺は、就活もGAFA的なところに絞った。この分野なら、まだ勝負できる。自分のフィールドがある。そう信じて、片っ端からESを送って面接しまくった。
就活はかなり苦戦したが、なんとかかんとかとある企業から内定をもらうことができた。今はそこで働いている。
勤続年数などは伏せるが、今現在の日々の業務は結構ハードだ。このご時世でも皆バリバリ働いでいるし、会社からは継続的に結果を出すことが求められている。それだけではなく、現状で満足することなく、より大きなプロジェクトを立ち上げたり回したりする事を求められる。
俺自身はハードな業務の中、ついていくのが精一杯といった感じではあるが、才能ある人間の成果物、仕事のやり方、会議で放たれる言葉。そういったものに直に触れながら毎日働いているのがとても面白い。
と言ったそうだが、得心することしきりである。
俺は良く海外とのテレカンで「I have no idea(何も思いつかないよ)」と言ってしまうのだが、天才の出すアイディアと言うのは、まさに「just idea(思い付き)」のなせる業なんだなと感心しながら聞いている。そんな言葉をリアルタイムで聞けるのが、本当に嬉しい。
※ちなみに、京都の企業でもあるので、新卒当時は当然任天堂さんにもエントリーしましたが、見事玉砕しました。
任天堂の方、もしこれ見てたらお声がけ下さい。宜しくお願い致します。
なんかカッコいい、結論めいた事を書いて締めたかったけど、ふと思いついてダラダラ書き出した文章だからやっぱり締まらないな。天才じゃない人間のjast ideaなんて、そこはご勘弁願いたい。
言いたい事というか、伝えたいこととして何となく思い浮かんだのが「暗殺教室」って俺の好きな漫画。
この漫画内のセリフに「そもそも人に何かを教えたいと欲する時、大きく分ければ理由は2つしかない。つまり、自分の成功を伝えたい時か、自分の失敗を伝えたい時です。」ってのが出てくる。
一般的に見れば、今のところ、俺の人生はまあそこそこ成功しているように見えると思う。でもやっぱり俺自身は数多くの失敗を経験したと思っていて、失敗を経験したからこそ今までやってこれたのかな、と思ってる。だからもし、俺のこの文章の中に「伝えたいこと」があるとすれば、それは俺が京都大学に入ったとか、有名企業に入ったとかじゃなくて、「もっと早くから環境を作るべきだった」って事かな。
俺の人生の中の「うまくいかなかったこと」に対して、仕方がなかった、どうしようもない、そんな感じの慰めは今まで掃いて捨てるほど貰った。でも俺自身は、自分自身の努力によって、色々なんとかなったんじゃないかと思ってる。誰かが言っていたと思うけど、「後悔」っていうのは、ホントに脳に埋め込まれた時限爆弾だよ。そんなもん抱えて生きるぐらいなら、地雷原に突っ込んで爆発させたほうがマシだと思う。
20年でネットインフラ普及して世界が変わった結果が、便所の落書きみたいなSNSなわけで、そんなもん見るくらいならネットなんかすっぱりやめてPCなんか持たない方がいいっていう若者の方が賢いんじゃね?
意識高い系エンジニアが大好きなプログラミング力とやらで、世界かえられたの?断言していいけど、自分の底辺人生さえ変えられてないよね?hagexみたいに変な奴に関わる仕事して刺殺されたりとかロクな最期を迎えてない奴多いじゃん、海外ではGAFAとかできてるけど、アメリカ除けば実質国や軍隊がお金出してる軍需産業みたいなもんだし
ぶっちゃけネットやつまんねーパソコン仕事なんかしないで、AKと手榴弾持って戦ってるイスラム国の戦闘員とか、日本でなら半分違法とは言え起業して利益出してるDQNや半グレたちの方が、よほど自分の人生を変えてイノベーションしてクリエイティブしてるよね?デジタルとは正反対なアナログの世界の技術や方法でさ
もうパソコンの大先生でチヤホヤされる時代は終わったってことでしょ、ネットはもはや専門技能でなく、単なるインフラってことだし、所詮デジタルなんてアナログの延長線上でしかないのだから、アナログで戦う能力もなく尻尾をまいて逃げ出した負け犬の雑魚がデジタルにちょっと強いからって人生逆転なんか寝言にも等しいってことだ
意識高い系のIT系の人らってIT技術で世界を変えるとか寝言抜かす前に、精神科にかかってそのイカれたコミュ障の脳ミソを専門家によるソーシャルトレーニングと精神薬で治すのが先じゃないかな?って思うわけですよ
| コンピューターサイエンスの学習は、職業エンジニアになることを阻害する
| https://zenn.dev/nakanishi/articles/d3d8ff5529832f2acf6c
結論に異論はあるが、これはいい問題提起と思う。間違いなくエリートのための文章ではなく、私のような圧倒的多数の凡人に対して書かれている。
世の中には2種類の仕事があるといえる。一つは糞つまらなくて評価されることもない作業的な仕事、もう一つが評価される創造的な仕事。仕事全体では前者が9割以上を占めていて、残りの1割を後者が占める。企業によっては9割9部が前者だったり、GAFA+Mなんかは5割ぐらいが後者だったりするだろうが、どんな企業が扱う対象でもこの二種類は切り離せず同時に存在しているといえる。
この2種類の仕事はそれぞれ求人として出たとき、前者は安値で買い叩かれるのに対して、後者は高額のオファーが出るのではっきりわかる。また仕事が発生したときは前者は協力会社に依頼したり、社内の腐っている人間や余っている人材を移動させて当てることが多いが、後者は上位の会社や社内の有望な人材にやらせることが多いだろう。凡人は当然、前者である。
それでも多くの平々凡々なエンジニアが、評価される創造的な仕事をしたいと思っているのは間違いない。一方である仕事が発生した時に要求されるのはほとんどが糞つまらない「作業」だ。HTML と CSS を何千行も書いたりするのはエンジニアリングでもなんでもないが、そういう作業をする「作業員」はタスクを完遂する上で絶対に必要になる。その一方で新技術をつかったりアルゴリズムを駆使したりするのはタスクによってはほとんど、いや全く必要ではないかもしれない。GAFA+Mのエリート層でも無い限り、仕事とはそんなものである。そして残念ながら会社からは凡人たるエンジニアは皆一様に使い捨ての作業員として見られているで前者以外が当てられることはない。
そのような仕事の先には地獄しか無いから辞めてしまえばいいと言う人がいる。多くのIT従事者はそれを実際に行動に移していて転職を繰り返したり、CSを学びなおしたり、大学に入り直している。ただしそれをしてもなお創造的な仕事にありつくのは困難を極める。なによりも後者の仕事の絶対量が圧倒的に少ないのだ。GAFAにすっと入れるような「地頭」がなければ面白い仕事だけで食っていくのは凡人には不可能である。CSを学ぶことは否定されてはいけないが、それが現状を打破する確証はどこにもない以上、リスクがある賭けだ。また楽しい作業を経験した分、普段自分がやっている作業が圧倒的に苦痛に感じてくるかもしれない。うまいものを食い続けているとまずいものが食べられなくなってくるのと同じだ。場合によっては社会的な死に至る。
では凡人がやらなければならないことはなにか。それは割り当てられた作業に対して疑問を抱かず、他人と給料を比較せず、ただひたすらに金をためて、結婚も外食もせずなんとか定年まで生きることだ。誰を恨むこともできない、恨むとしたら自分の地頭の悪さを呪い、両親を呪うべきだ。運が良ければ管理職になれるかもしれない、それでもその仕事は「作業」に近いものだろう。もしくは独立か、5年後の生存率からは目を背けたくなる。