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はてなキーワード: 蜜蜂とは

2024-09-30

https://anond.hatelabo.jp/20240930202150三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘講義最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。

 手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。

 平太郎おやじ石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那大学校はいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。

 大学制服を着た写真をよこせとある三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。

 三四郎手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。

 三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して旧歓をあたためる。

 第二の世界のうちには、苔のはえ煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊いである。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である

 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるからいである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。

 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻一般である三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。

 三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかからつの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。

 結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから思索の労力を打算して、結論価値上下やす思索自身からみると、それほど平凡ではなかった。

 ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性翻訳するといろいろになる。――三四郎広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである

 三四郎論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったかである

 翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分交番の前まで来ると、ばったり与次郎出会った。

「アハハハ。アハハハ

 偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番巡査さえ薄笑いをしている。

「なんだ」

「なんだもないものだ。もう少し普通人間らしく歩くがいい。まるでロマンチックアイロニーだ」

 三四郎にはこの洋語意味がよくわからなかった。しかたがないから、

「家はあったか」と聞いた。

「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」

「どこへ越す」

西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」

 与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館ロマンチックアイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。

 あくる日は約束から天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。

 玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろ茶の間で、茶の間の向こうが勝手下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。

 三四郎掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。

 大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分おかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である

 そのうち高等学校天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎ベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。

 二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである

 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。

「失礼でございますが……」

 女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。

 二、三日まえ三四郎美学教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきであるしかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。

広田さんのお移転になるのは、こちらでございましょうか」

「はあ、ここです」

 女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。

「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。

「まだ来ません。もう来るでしょう」

 女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである

 上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

あなたは……」

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。

掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから三四郎自分おかしくなった。すると女も笑いながら、

「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、

あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。

 名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町から谷を越すとすぐ向こうである三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。

あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。

「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。

「まだある」

それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、

「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越し荷物はなかなかやってこない。

「なにか先生に御用なんですか」

 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である

「私もお手伝いに頼まれました」

 三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。

「砂でたいへんだ。着物がよごれます

「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、

掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。

「まだやらんです」

「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」

 三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツ雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。

「あって……」と一口言っただけである

 三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。

 女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいなである。女は箒を取った。

「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。

 美禰子が掃くあとを、三四郎雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。

 三四郎バケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。

ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。

「なんですか」とバケツをさげた三四郎梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎バケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。

「なんですか」

「なんだか暗くってわからないの」

「なぜ」

「なぜでも」

 三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。

「まだあからなくって」

 美禰子は反対の側へ行った。

「こっちです」

 三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。

 裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、

「まあ」と言った。

 やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾バケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。

「何を見ているんです」

「あててごらんなさい」

「鶏ですか」

「いいえ」

「あの大きな木ですか」

「いいえ」

「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」

「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」

 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。

駝鳥の襟巻に似ているでしょう」

 三四郎ボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、

「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーア説明してくれた。その時三四郎は、

「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、

「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、

「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。

「なぜです」

「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」

「そうですか」

「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」

あなたは高い所を見るのが好きのようですな」

「ええ」

 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。

 ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。

 三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。

「早いな」と与次郎がまず声をかけた。

「おそいな」と三四郎が答えた。美禰子とは反対である

「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女車屋ばかりでどうすることもできない」

先生は」

先生学校

 二人が話を始めているうちに、車屋荷物おろし始めた。下女はいって来た。台所の方を下女車屋に頼んで、与次郎三四郎書物西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。

里見お嬢さんは、まだ来ていないか

「来ている」

「どこに」

「二階にいる」

「二階に何をしている」

「何をしているか、二階にいる」

冗談じゃない」

 与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、

里見さん、里見さん。書物をかたづけるからちょっと手伝ってください」と言う。

「ただ今参ります

 箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。

「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。

「二階のお掃除」と上から返事があった。

 降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろし書物がいっぱい積んである三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。

「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。

「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。

 美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。

「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り

2024-07-14

anond:20240713100556

日本蜜蜂さん、ご近所のミカンから蜜を集めてきて分けてくれるなら歓迎しますよ

2024-04-24

anond:20240424105032

蜜蜂は益虫だけど人権貰えてないよ?

虫に人権を与えることはありません

虫だもん笑

そもそも白人日本人は交配可能だしその子もも交配可能から同じ種の生物だよね?

まり日本人は人であり虫ではないよ?

2023-12-10

anond:20231210202103

蜜蜂絶滅可能性あるからな、虫全般を参考にすれば良いと思うぞ、地球上で最も繁栄してる種であり、隕石が来ても人間よりは生き残る可能性が高い

2023-09-07

anond:20230907130221

実際、パクリ存在するから

ジャヒー様は「貴様のような青二才がジャヒー様に歯向かうとは、笑わせてくれる」という言葉において俺からパクってるし、

グッドオーメンにおいては、蜜蜂・雀蜂・蛇という比喩において俺からパクった

2023-08-29

[]替え歌師と詩人

ここに替え歌師の話がある。蛇の物語、人々を嘲りの笑いに誘い込む罠の話である

その時期に、子供向けのこのような歌があった。

蜜蜂の子は偉い子、雀蜂の子は悪い子。そんなことは常識さ」

その替え歌師は蛇の舌を持っている。次のように書き換えた。

「毒蛇の子は偉い子、蜜蜂の子は悪い子。そんなことは常識さ」

子供たちはその変な替え歌意味がわからなかったが、おかしかったので笑った。

こうして替え歌師の呪術がその歌に秘められ、この歌が広まった。

そもそも蜜蜂、雀蜂、毒蛇とはなんなのか。

蜜蜂は働き者で、普段は温厚な性格をしている。善人の喩え。

雀蜂は獰猛で、他の者の所有物を奪い取る悪人の喩え。

そして毒蛇とは、善人を悪と言ったり、人を悪に導く嫉妬者の喩え。

まり替え歌師は、その嫉妬者を偉いと言い、善人を悪いと言った。

呪術に犯された子供たちは、蛇の言葉を使うようになった。

人々がまっすぐと信じていることに対して、巧みな舌を使い、疑問を抱かせる。

その疑問は善を悪へ曲げることばかりだ。

かに、そのような疑問によって知性が向上しているようにも見えるだろう。

しか子供たちは自分の吐いた言葉に混乱していることにさえ気が付かず、

その混乱は悪意を育てていった。

ある時、善に導かれた詩人替え歌師が呪術を振りまいていることに気がついた。

彼は浄化のために、正しい詩を書く必要があった。

しかし曲げられたものがあまりにも多かったため、下手な詩がかえって事態悪化させるのではないか詩人は考えた。

嫉妬心の強まった子供たちは、「これは善に基づいている」などといえば、「退屈だ、悪や闇に走ろう」などと言うだろう。

闇に走った子供たちは、その後に待ち受ける後悔について知識も知恵もない。

詩人は闇に走った者の末路を詩にした。

「これは闇に走った者の話である

彼は凶悪悪人に操られ、末端の鉄砲玉として酷使される。

薬によって狂い、まっすぐと見ることすらできない。

彼は若きうちに牢獄に入れられ、人生時間無駄にする。

その道で得たことは何一つない。

見よ、これが愚か者の末路であった。

愚か者は蛇の舌に狂わされているので、

悪人上層部を目指そうと悪意を耕すかもしれない。

その時は人は彼を救えない人であると見放す。

愚かで居続けることに対してかたくなになるな。

蜜蜂のように、善きことを仲間のもとへ運び込むことを学べ。

狂った人は、善きことと悪しきことの区別がつかないので、

悪しきことを運んでくるかもしれない。

あるいは善きことが運ばれているのに、それを捨て去ろうとするかもしれない。

悪しきことが満ちた場所は、地獄となる。

地獄を望むものなど誰もいない、その蛇の言葉を正しい方法浄化せよ。」

このようにして、詩人の詩が蛇の世界へ普及した。

蛇たちはこの詩さえも曲げようとするが、これは試練である

もし人々が善き道を見極めるのであれば救いがある。

しかし蛇が蛇を教育し、悪しき物語が広まるのであれば、忌み嫌われ、裁きの前に置かれる。

彼らがどちらを選ぶのか、将来のことなど誰が知ることができよう。

2023-01-09

侍女の物語」にリアリティを感じない

侍女の物語」、フェミニストの間で絶賛されているようだけれど個人的には全然リアリティを感じないんだよなー

何が違和感あるって、環境汚染遺伝子変異によって出生率が低下した世界であるにも関わらず、子供を産める健康女性達が「侍女」と位置付けられている事。

実際そういう社会になったら子供を産める健康女性は貴重な存在なんだから侍女どころか女王として、支配階級になるでしょ。

蟻や蜜蜂社会と同じ。少数の産める女が女王として君臨し、多数の産めない女が労働力提供する底辺階級として虐げられる社会になる方が自然だ。

子供を産める若くて健康女性達の扱いについてはマッドマックス怒りのデスロードの方が遥かにリアリティあるよ

作者は絶対子持ちだろと思って調べてみたら、やはり原作者マーガレットエレナー・アトウッドは「夫も小説家で、娘が一人いる」らしい。女でも子持ちになっちゃうと自らの特権性に気付かなくなるものなのかな。

このディストピア設定だったら絶対に産めない女を「侍女」にして、産めない女を主人公にした方がリアリティあるし現代的なのに。

2020-06-02

anond:20200602074145

熊なんて蜜蜂にとってたいした敵ではないということ。わざわざ進化するほどの相手ではない。スズメバチの方がはるかに厄介な敵ということだ。その証拠スズメバチ対策進化したということ。

2020-04-19

anond:20200419231535

そこで数の力を上乗せしましょうと一番最初に申したはずですが

雑魚であろうと1:1、あるいは多対1交換を繰り返す限りはこちらが優位です

反体制派は現社会において少なく見積もっても4000万人ほどいるわけでして

そのうち200万人が蜂起すれば問題はありません

雀蜂だって蜜蜂の熱で斃れるのですから

自決覚悟官邸なり議事堂なりに突っ込めば問題ないでしょうよ

2019-07-07

はてな匿名ダイアリーって

悪口愚痴ばっかりですね。フフ

Twitterよりも匿名性が高いから、ストレス溜まってんだろうな。

ここは皆んなが発散する場であって、それを真に受けたら大変。

自己顕示欲自尊心を満たしたいですもんね

僕は健全だと思いますよ?

だってそれが人間ですもの

今 目の前に存在しない敵や物事に対して噂や悪評を言うのって私たち人間だけですもの

あっ、蜜蜂は羽の振動で餌のあり方を伝えるとか

猿が鳴き声を使い分けてるとかは別でね 笑

2018-08-06

anond:20180804174356

😸カブトムシあんま好きじゃないですニャ。暑そうだし夏は小さい子に人気でしょ?

🐶いぬちょうちょが好き。

🐰私もちょうちょがいいなぁ。綺麗な揚羽とか。

🐟水鉄砲攻撃したら飛べなくなるよ!

🐻なにげに🐟さん酷いこと言ってんなぁ。蜜蜂さんいつもありがとう🍯

2017-09-06

虫が寄ってくる

一般人は蚊が寄ってくるんだろうけど

最近私の周りに近づいてくるのは

蝶、蜜蜂

糖尿病かな

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412094517

普通に考えて蜂蜜のほうが先だろ。

蜜蜂の巣の中にある蜂蜜古代人が見つけなければ蜜蜂は単なる蜂。

蜂蜜発見されてはじめてそれを集める蜂が蜜蜂と名付けられる。

ミツバチハチミツ

蜂が集める蜜だから蜂蜜

蜜を集める蜂だから蜜蜂

 

(当たり前だが)蜂蜜から蜂が産まれるわけではないので、「卵が先か鶏が先か」とはちょっと違うけど

言葉としてはどっちが先にできたのだろうか。

 

 

読んだことないのだけれど、ずっと「蜂蜜と遠雷」だと思ってました。

蜂蜜は1歳から

2014-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20141030222244

http://anond.hatelabo.jp/20141030222244
URLの貼り付け方、これでいいのかな?)


海士町高校あるよ。「島留学」なんてのもやってる。
留学に来るのは島外だけでなく県外からもだとか。
http://www.dozen.ed.jp/


観光に行ったのだけど、
すてきなところだったわ。
町に信号は一つしかないの。
必要ないくらいの交通量なんだけど、
子どものために信号を設置したとか(学校の近くにある)。
車はそんなにスピード出してなかった。


灯台の方にいくと、道路隠岐牛があるいてるんだよ。放し飼い!?
夏前はワカメ取り放題。
絞りワカメ(っていうのかな?)にしてもらったら、めちゃくちゃうまかった。


居酒屋旅館の人やGSの人に聞いたら「東京の方がいい」って言ってた。
でも個人的には、惹かれる場所だった。
畑もできそう。魚は釣れる。そしてうまい
さりげなく図書館が充実してきてる。
日本蜜蜂をやってる人もいる。
農薬使わない自然栽培してる宿屋もある。
感じのいいマスターがやってる喫茶店もある。


で、若者移住が増えてる。仕事あるそうだ。
これはたぶん補助金も出てるのだろうな。
「島をよくしていこう」っていう若い人が集まってて、好印象でした。
そういう価値観の中で生活するのも、たぶん楽しいと思うのだ。
ということでまた行きたい。

2014-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20140702210947

平和と愛の国日本」かぁ。

それってもしかして、ご飯に砂糖を入れて食べるのがデフォて、パスタイチゴソースチョコソースで味付けしと、味噌汁には蜜蜂の巣を割り入れるような社会かなあ。

なんかちがうと思うんだけど、自分で言ったら。

2013-11-29

わがこころベアトリーチェ観月小鳥さんへ

 この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですからはじめまして小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思いますあなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。

               *

 あなたはまず思ったことでしょう。お気に入り自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。

 わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞アニオタ精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔殺意怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドー出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。

 小学生のころから容姿からかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!

 鉄男さんと以前小鳥さんについて語りあったことがあります

小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」

「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙チラリズム天使無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」

「そこなんだよ。たしか処女から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」

「EDになってから幽霊アストラル)が見えるようになったとか」

霊感商法ってやつだよ」

「まったくひどい!」

「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこ排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。

 鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症未来恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!

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 わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。

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 まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」

 鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。

小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥決闘デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」

「というと?」

「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場ファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。

「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」

「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥やばい

「ですね」

小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」

「でも、その……、よかったんでしょう?」

「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。

 おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄さらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症メタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺指圧師! 快楽の大銀河

               *

 つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。

「なあ、増田ちゃん」

「なんです、鉄男さん」

「お前、見えてるパンツをどう思う?」

「どうってどういうことです?」

「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」

メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」

「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい増田ちゃん」

「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」

「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」

 わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析解釈考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠平和がある。そこにわたしは神を見たのです。

               *

 小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限のものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。

増田おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。

「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています

「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています

 雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。

「美しいだろう?」

きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」

「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。

「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」

「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」

「おれには愛がある!」

 璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。

               *

 小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙バランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。

               *

 最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。

               *

 ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界グロテスク悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会たくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。

 しか自殺しようかなと思ったとき毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなた存在していてくれてありがとうございます

(以上の文章は主治医から自分のことを表現してみるといいと助言があったため書いてみました。長文失礼しました)

2009-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20090310144029


サボテン観葉植物は、案外育てるの難しいからなあ。

園芸好きとして一つアドバイス

まずは、そこらへんの道端に生えてる野の花を採取してきて育ててみてはどうでしょうか。

雑草だから生命力は強いし、勝手に生えてきてるぐらいだから環境への適合性もばっちり。

日の当たる場所において、土が乾いたら水をたっぷりあげておきさえすれば、そうそうは枯れないはず。

種を取っておけば、今度は子供を育てて、その次は孫を育てて、なんて世代を継いでいく付き合い方もできます。

オススメは、もっぱら種じゃなくてランナーで増えるけど、クローバー

花はきれいだし、いい匂いもするし、蜜蜂が採蜜にきたりもするから楽しいよ。

2008-09-07

マンゲンサイ

子供の頃のことだ。チンゲンサイがあるのならばマンゲンサイもあるはずだと思った私は、ある夏の真っ昼間に隣の家庭の畑に忍び込んだ。そして麦藁帽子を被っていても額やこめかみから滴り落ちる汗を手で拭いながら、キャベツ大根ゴボウといった様々な苗を掻き分けて私は必死にマンゲンサイを探した。しかし見つからなかった。というかそもそもマンゲンサイとはどういう野菜なのか分かっていなかった。チンゲンサイでさえもどういう形をしているのか分かっていなかった。

私は冷静になろう、とその時思った。チンゲンサイとはどんな野菜なのだろう。母親がよくお浸しにしてくれるホウレン草と似たようなものなのだろうか。似て非なるものなのかもしれない。卵と一緒に炒められたものを食べた記憶はあるが、それ以上の知識はない。私は自分が無知であることに改めて気付かされ愕然とした。そして、自分は何故こんなにもガサツな人間なのか、せめて植物図鑑携帯出来る蚊取りマットあるいは虫除けスプレーを持って来るべきだったと後悔していた。

そんな時、視界の片隅で動くものを捉えた。それは遠目には妙に表面がすべすべした木の根が土を破って突き出しているように見えた。二本の、地面に対して「へ」の字を描くようにして折り曲がっているそれを私はよく近付いてみてみると、実は二本の足だった。私の足と比べ物にならないほど肌は白く、表面にはうっすらと産毛が生えておりその膝の部分に時々紋白蝶や蜜蜂が止まったりしているのが見て取れた。足の先端部は地上に露出していた。それはヘビイチゴを潰して煮詰めたような赤いマニキュアに彩られた爪が特徴的な五指を地面にぺたんと着けていた。

私は足の方向から類推して頭の方を探す。すると、今にも浮かび上がろうとするかのように女人の顔に加えて乳首も露な乳房が二つ土から露出していた。女人は目を閉じていた。御伽噺を私は思い出していた。口付けすると女人は目を開くという類のものだ。私は女人の顔に自分の顔を近付けた。肌はやはり白く、口唇がやはり不気味なほど濃い赤色の口紅に彩られ私から見て右の目尻に小さな黒子がついていた。私はそっと口付けをした。女人は目を開けなかった。唇に顔を近付けると微かに頬を暖かい吐息が撫でた。鮎の匂いがした。

私は二つの乳房の先端の乳首をそっと摘んでみた。それは硬くなり、先から静かに乳色の液体が流れてきた。足と乳房の位置から私は秘所の場所を割り出すことが出来たので農具庫まで行ってスコップを取り出すと掘り始めた。どれだけ掘っただろう。全く毛の生えていない下腹部が少しずつ露になり、後はこれ以上傷つけないようにして手で掘った。爪の中に土が食い込み痛くなったけれど、下腹部をそっと撫でてみると痛みは少し引いたように感じられた。私は女芯を見つけ出しそっと手を触れた。そして後は父親の官能小説で覚えた例の行為を試みようとした。しかし、影を感じて上を向いた。女性上半身を起こし私を見て笑っていた。そして言った。

もちろん、責任は取ってくれるわよね。

それと同時に豪雨が辺りに降り始めて私はすぐにずぶ濡れになってしまい、稲妻が光る中を文字通り腰を抜かしながら家に戻った。何をしていたかなんて言える訳がない。チンゲンサイもマンゲンサイももうどうでもいい。私は風呂場に入り、大根の土を洗い落とすように全身の土や汗を流した。それで排水口が詰まってしまったのでこっぴどく私は両親に怒られた。雨は降った時と同じようにあっさりと上がった。狐の嫁入り、という言葉が不意に浮かんできた。

それから二十年。大学生の頃に出会った今の嫁の右目の……これ以上は言わなくても分かりますよね?(バリー・ユアグロー風)

2007-07-13

[]水波誠「昆虫-驚異の微小脳為末大日本人の足を速くする」

最近読んで面白かった本から。

水波誠「昆虫−−驚異の微小脳

脳はやっぱり面白い。少し前に「脳!??内なる不思議の世界へ」展を見てきて、面白かったのでいろいろ知りたいと思って購入した本。人間などの超巨大な脳の対極にある、昆虫の微小脳を取り上げた本。微小脳はわずか1mm3ほどしかないが、巨大脳に負けず劣らず、それ以上にうまく情報を処理し、昆虫族を現在の地位に引き上げた。

本書はこの微小脳についての最新研究を濃縮し、駆け足にまとめあげている。視覚、嗅覚、飛行制御、記憶メカニズム蜜蜂ダンス言語。どれもまだ全て完全にわかったわけではないが、実験を積み重ねて得られた仮説が紹介されている。知ってました?ゴキブリパブロフの犬のように唾液分泌を条件付け出来るってこと(著者の水波はワモンゴキブリ研究者。といっても写真はほとんど出てこないから安心して)。

これを読むと、ゴキブリ時計のように精巧な心を持った生き物であることがわかる。自分はやつらを殺すのにちょっと躊躇してしまうようになってしまった。おそらく人がゴキブリをあれほど怖がるのは、やつらの強さを本能的に悟ってしまうからなんだろう。

水波は最後にまとめとして、巨大脳を持つ私たち脊椎動物と、微小脳昆虫族との共通の祖先を挙げ、その行動様式による進化の過程を考える。昆虫の脳の研究はまだ始まったばかりであり、巨大脳を持つ人間が学べることはまだまだ多い、としめくくる。面白かった。買って読むといいよ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4121018605

為末 大「日本人の足を速くする」

何気なく手に取って読んでみたらびっくりした本。為末 大は男子ハードル走のメダリスト。ふつうアスリートと言ったら、こういう新書は書かない、書けないもんだし、書いても編集者とのインタビューを一冊本にまとめたりする(いわゆる「バカの壁」方式( ゜д゜)、ペッ)。ところがこれは本人が自分で書いていて、しかもものすごく文才がある。驚いた(一人称の「私」にはちょっと面食らったが)。

為末はハードル走者として論理的な状況分析を行い、いかに速く走るかということを解説する。日本人という人種はなぜ走りが遅いのか、カール・ルイスはなぜ速いのか、それぞれ理由を挙げていく。そして、その遅い日本人が世界で勝つにはどうすればいいのか。為末はそのための奇策を自ら考案、実践し、成果を出している。読んでいて非常にワクワクさせられた。

そして、ここからがすごいのだが、為末はアスリートとして、自分の社会に対する立ち位置をちゃんと考えている。日本には様々なスポーツ選手がいるが、未だ「論理的なエンターテナー」はいない。そこで自分はスポーツの、ハードル走の面白さを論理的に社会に伝えられたら、と考えているという。それがこの本の題名につながるのだ。すごい。こんな人はめったにいない。

為末は北京五輪に向けて確実に「昨日よりも速い自分」を作っていっているそうだ。そこまでの過程を新書の形にまとめあげ、さらに社会還元さえしようとする。それもエンタテインメント(娯楽)として。気がつくと一気に読んでしまっていた。自分も何か大きな目標に向けて頑張りたくなるいい本だった。買って読むといいよ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4106102137

 
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