はてなキーワード: 自由主義とは
いや、全然違うでしょ。
ことばの由来から来たイメージか、あるいは、保守善、リベラル悪で、過激な変化をさせようとするリベラル悪だ。みたいなレッテルにしたいのかもしれんが。
保守→日本の強い人がフルでパワーをつかえるようにする社会が良い社会だ。
というのが、あえて言うならできる定義でしょう。
保守、リベラルの言葉の原義はもう今では全く意味を為さない。日本本来の風土によって、上記2つに吸収されたような状態。
たちが悪いのは、外国との対立において、日本の立場が良いというスタンスを、他のとくに経済論議や憲法論議に演繹すること。
で、保守だから善、リベラルだから悪のようなレッテルにしてしまって、強い人が好き放題するような社会が良い。というたちの悪い誘導にみえる。
なので、これだけ複雑になった社会で、言葉の定義ができなくなった右、左、保守、リベラルなんて言う奴はまともに議論する気無いんだなとレッテル張ってもいいぐらい。
で、経済的観点から言えば保守はネオリベラリズム(新自由主義)。リベラルはニューリベラリズム(社会自由主義)だ。
ネオリベラリズムは、規制、税金をとにかくフラットにして金持ち=日本の強い人がフルで自由に活動できるようにするのが良い状態。
ニューリベラリズムは、適度な規制や、累進課税を設け、再分配をして、弱者も自由にのびのび活動できるようにするのが良い状態。
だから、保守が自由主義=リベラリズムで、その一つのネオリベラリズムなのに、その棍棒でリベラルをぶっ叩いてるという謎な状態だね。
更にいうと、30年以上前、バブル前は日本はケインズ主義で大きな政府だった。国が政策や強い累進課税や借金による景気対策で経済を強くコントロールしていた。
護送船団方式と言われるようなね。
これも、日本の官僚みたいな強い人がフルでパワーを使えるようにするということで保守リベラルの定義になれば保守となる。
その頃がどちらの定義になるかといえば、適度な規制や累進課税を設けて、かつ、わざわざ借金してコントロールするということで、
ネオリベラリズム、ニューリベラリズムの定義によればニューリベラリズムの方になるだろう。
なので、経済議論で保守という事自体がもはや何を指すのかが意味不明瞭となる。
「今の政権がフルでパワーを使えるようにする」であれば今の定義で近いものとすればやっぱりネオリベラリズムなんだろうけどね。
外交においては、日本の強い人の言うことが正しい=保守、外国の弱き人が正しい=リベラル
憲法においては、日本の偉い人が道徳で国民を教化するような憲法が正しい=保守、国民一人一人の弱い権利を保護するような権力者を律する憲法という立ち位置が正しい=リベラル。
論旨によって全く意味合いが違う。とくに外交においては国民の対立感情を煽れるから、その敵味方で保守リベラルの善悪を作りたいというたちの悪い誘導が通る。
そういう意味で、右、左、保守、リベラルなんていう言葉をすててしまって、各問題でどういうスタンスかを個人がそれぞれ持つのが当たり前になるようなのが良い。
日本は議論においても同調圧力が強いから、保守のスタンスだったらこの他の問題でも保守のスタンスだろ?っていう同調圧力で議論が歪められるのだから。
左から右に移ったのは、慰安婦や、南京大虐殺事件の真偽あたりで疑惑が抱かれてのことだと思うよ。
そもそも、自由主義(フランス革命の議席配分では左で左翼になる)に移って、さらなる弱者、例えば外国だとか、差別されている人間を求めて左の中心は移っていった。
昔は韓国や中国は非常に弱く、加えて、その人達に可哀想なことをした。謝って賠償をしないとならないというのが左だった。
だが、どうも慰安婦や、南京大虐殺あたりが嘘が一杯ではないか?という疑念で右の方向に移っていった。
まあ、といっても、優位なスタンスになれば、アホが集まる。で、森友みたいな過激右翼幼稚園が生まれ、それにこぞって政治家が賛同するみたいになった。
更に、それと何故か新「自由主義」が合流している。新自由主義は、上の奴らをとことん肥えさせれば日本が強くなるという立場。金持ちにとっては自由だがね。
新「自由主義」がリベラル=自由主義が良くないと否定する謎な状態。
そういういみで、過激右翼幼稚園の没落とともに過激右翼幼稚園のバックの、日本会議の人権否定、道徳や、上層崇拝みたいなのはかなり力を落とした。
だんだん右左なんて区分が馬鹿らしくなって、今大事なことに意識を払うようになっていくのがいいと思うね。特に、景気。景気!景気!!!
ああ、増田での話ではないのか。
お前はリベラル左翼だからと言われたといっていつものここでつぶやいてるやつになんか言われたのかなと。
まず、第一に、いま政治スタンスというのは非常に多様化してます。まあ、昔から複雑だけども、それでも理解するために区分けみたいなのをしています。
ただし、次第にその区分けだから俺の敵だ。味方だ。みたいな使われ方をしています。なので、正直今の時代にリベラル、保守、右翼、左翼なんて区分をするやつは無視していいと思う。
これがネオリベラリズムみたいなのであれば、経済で政府の介入を全く良しとしないスタイル(当然税金や規制を嫌う)とある程度明白になってくるからマシですが。
リベラルというのは自由主義。と言っても、自由と言っても非常に幅が広いですよね?金持ちが税金無しで暮らせるのも自由。女性が差別されずに働けるのも自由。
対義語として保守というのが使われます。これは古き良きものを守るというスタンスです。
といっても、今の自民党政権は新自由主義です。これは、ケインズ主義と対極となる形です。いずれも経済のスタンスです。
30年前の自民党であればケインズ主義だったんですが、いつのまにやら新自由主義=保守であって、その敵がリベラル=自由主義というわけのわからん状態になってます。
右翼左翼というのは、古くはフランス革命後の議席の位置、及びそれに伴う政治スタンスです。
右翼は重商主義、左翼は弱者主義、、、というのがかんたんに言った当初のスタンスですね。
といっても、これは経済スタンスを主にした考えです。当然、先に行ったように差別とか、逆に外国がどうのというのように視点がさんざん広がっています。
で、次第に、俺はこのスタンス、お前のこのスタンスというレッテル貼りの手段に堕していってます。
なので、新自由主義なのに、リベラル=自由主義を否定するとか、この間の選挙で、全部が保守を名乗るとか言う訳のわからん現象になってます。当然です。ただのレッテル貼りの手段に堕してるから。
なので、ただのレッテル貼りだから無視しておけ。あと、今の時代政治団体なんてかかわらんほうがいいよ?ワイの命令に従え!みたいなめんどくさいやついっぱいだから。政治の世界って。
「働かざる者食うべからず」だけはなくすというか、教育者が子供に教えるべきではない言葉だと思うね。
原始的かつ非倫理的な社会集団にだけ通用する原理で、とくに社会主義的な思考のベースになってしまうから。
聖書が由来のことわざだが、実際にこのことわざはソ連共産党のレーニンがこれを実践的戒律としていた経緯もある。
さらに悪いことに、ナチュラルに社会主義気質な日本人はこれを資本主義的な弱肉強食の原理と読み替えてしまうケースが多いように見受けられる。
資本主義・自由主義経済下であれば労働を強いることはないし、弱肉強食になりがちだからこそ法(ルール)を洗練させ、機会を平等に、セーフティネットを十分に、そうやって多様な境遇の人を受容できる社会に、というのが現代の資本主義国家の常識であるのに。
もちろん、そこまで思想的な意味を考えずに「貢献することなしに与えられるだけの存在になるなよ」という意味で使われる事がほとんどだろう。
でもそれを言いたいのであればもっと別の言い回しをした方がよい。このことわざを使ううちに、社会主義的なマインドセットが強化されていってしまうような気がする。
いま大流行中のビットコインと匿名化ツールTorを利用して運営されていたブラックマーケット(薬物売買などが行われる場所)「シルクロード」の運営者の逮捕劇を題材にした2015年公開の映画。
「麻薬戦争をなくすため」とか「匿名で意見を交換できる場」といったことをミッションとして挙げ、自由主義を掲げていた運営者「DPR」。
正直あまり賛同できない。そもそもぼくはあまり過剰な匿名には反対だ。(増田に投稿しておいて言うのもなんだが)
ユーザ間、あるいはユーザとサービス提供者間での匿名は非常に重要な要素だと思うが、ユーザと「国家や司法、警察」の間の匿名は犯罪者しか喜ばないのではないだろうか。
言論の自由が弾圧されていない限り、過度なプライバシーは犯罪の温床になるだけだと思う。
悪いことをしてないなら何を見られても問題ない。
第一次世界大戦後は不況が襲いましたよ。まあ、傍観者の日本ではともかく、戦地となり、さらに賠償金をとられたとなったドイツは悲惨な状況で、故にナチスドイツの台頭が起きた。
その時の違いは第一次世界大戦後は自由主義(再配分とか一切考えない)であって、第二次世界大戦後はケインズ主義だということです。
つまり、戦争が景気を起こすのではなく、ケインズ主義で高累進で金の回転もよかったからの景気です。
まあ、金を回すのが必要ということなので、富裕層への累進高税+ふるさと納税とか、企業の留保金課税みたいに
「金をため込んだら増税、金を使えば減税」みたいな枠組みで金を回せばいいという考えでもあるけど。
まず、戦前は自由主義の時代で、貧富の格差が大きかったです。それがゆえに誤った指導者にあおられて戦争に突入した面も。
2,26事件は東北の飢饉と、それゆえの娘の身売りが遠因ともいわれてる。
そのころ、ケインズ主義、マルクス主義が始まって、共産主義国はともかく、資本主義国も大きな政府になっていった。
そこと日本の敗戦後の経済成長が一致して、日本の高度成長が成し遂げられた。
一方で、オイルショックによりケインズ主義が限界があるといわれだした。事実、巨大な政府になっていたから、その官僚主義もよくないといわれだして新自由主義に移った。
新自由主義に移りだして数年は景気が良かったら、バブルが崩壊した後、「バブルの付けにして30年不況が続いている」
共産主義が始まって、むしろ数年は共産主義の国のほうが強かったのと同じ。新自由主義も欠陥制度。それは、金回りをとにかく落とすから。
俺はアラサー男だけども、男性向け成人誌だけじゃなくもっとやればいいと思う。どの事業者も。
世の中の表側からはアダルト(性的かつ下品、淫蕩的なもの)はぜんぶ撤去するべき。ティーン誌とか青年コミックも含めてね。厳しすぎるくらいでいい。
コミケなんかのイベントでもエロ同人での参加は禁止して、エロは通販やDL販売に完全移行したらいいと思う。
同好の士との触れ合いの場がほしいならまず外で話せるレベルの、健全なものも作ってから話してくれ。エロでしかコミュニケーションが取れない人間はネットから出てくるべきじゃない。
実店舗を持つ同人ショップからもエロ同人アイテムは撤去。公共の場には存在しちゃダメだ。
とはいえ、厳重にゾーニングされ、入店時にピピっと成人認証されるアダルト専門ショップ、といった感じなら商業・同人問わず実店舗もあっていい。あと現状のように歓楽街に隔離された形の風俗店も問題ない。
要するに、現実世界では非エロとエロが混在する空間があってはならない。健全なものを求める人間(未成年含む)がアダルト方面に迷い込むのが問題。
ただし、ネット上ならそういった類の迷い込みがあってもいい。もちろんフィルタリングなどの必要性を否定するわけではないが。
根本的にネットというのは、ほとんど精神世界だ。精神に歯止めは掛けられない。だから強い意志があれば未成年でもフィルタリングを抜け出せるくらいで構わない。
そういう空間と、現実の空間との区別は厳格であるべきだし、その分別を誰もがつけられる国民性を志向するべきだと思う。
誤解されそうだが、成人向けコンテンツの流通を縮小させる意図はない。むしろ、厳格に分ける一方で萎縮が起きないように気を配るべきだ。
アダルトを含めたあらゆる表現を手厚く守って、エロアイテムの流通は倍増させるくらいの勢いでいいとすら思う。
ただしその流通は、パブリックとは隔離された場所で、プライベート空間に直送される感じでやってください、という、一言で言えばそれだけの話だ。
中国じゃないんだから、アレなモノからソレなモノまで、公共空間にごっちゃ混ぜで陳列する必要はもう無い。
日本はもうカオスでいられる時期を過ぎた。もっと洗練されたスマートな社会のありようを本気で考えて、変えていかなくちゃならない。
平たく言うとみんなネット通販を活用しろって事だ。ついでにドローンとか無人トラックの認可を急げってね。
既存の流通からの変化を促すと、それについていけない人への配慮を~という批判が来る。
だが思うに、ネットも使えないような、コンピュータ音痴の年配というのは、大概知ろうとしない、学ぼうとしない。
必要に迫られてもできるだけ避け続ける。たとえば高性能なスマホを息子に見繕ってもらい、教えてもらっても、
難癖をつけるばかりで最低限の通話やメッセージング以上のことを断固としてしようとしない。興味を持とうとしない。
使っているモノの事をなにも知らないまま使い続けるような、恐ろしい感覚を持っている。
コンビニでエロ本を買っていた人間のうちで、撤去されたから焦って他の入手手段を調べ出せる能力のある人はまだマシだ。
そうでない人はきっと先に述べたような気質の人だ。入手を諦めてまた別のもの(風俗とか)に流れるのかもしれないが、
いずれにしても、自ら賢くなろうとしない人間が取り残されることまで配慮していては、人間をダメにし、社会をダメにする。
何か事情があって取り残されてしまう人の保護ならともかく、健常な人間は生きている限り常に賢くあろうとし、学び続ける姿勢がなければならない。
さもないと、資本主義・自由主義経済下の社会ではうまく生きていけないのが当然だし、なんならカモられハブられるの致し方ないことだ。
今、さまざまな場所で多様性が叫ばれている。東京都は「2020年に向けた実行プラン」において、多様性を意味するダイバーシティの推進を掲げている。
男性と女性、障がい者と健常者、日本人と外国人、お金持ちと貧乏人。
社会に存在する様々な差異を強調するこの多様性が、現在の民主主義を破壊している。
「民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもありうるし、進歩的でも反動的でも、絶対主義的でも自由主義的でも、集権主義的でも分権主義的でもありうる。~それなら民主主義について何がのこるのか?民主主義にとって一連の同一性ということが残る(カールシュミット著『現代議会主義の精神史的状況』)」
決定するものと決定されるもの、支配するものと支配されるもの、命令するものと命令されるものとの同一性。
その同一性において、自ら従うことを自らで決める自由が民主主義の本質だ。
つまり、民主主義が妥当する社会において差異は存在してはならない。
差異が存在すれば、決定するものとされるものの間の同一性が失われる。
従う理由のない決定に従わずに済むために、自らが決定する側にいられるように、闘争が始まる。
政治は闘争へ姿を変え、そこには戦争状態が出現し、民主主義は崩壊する。
かつて存在していた日本人という連帯感は、多様性の推進という言葉によって失われた。
その結果、政治の場は協調と連帯によるものでなくなり、自己利益の最大化のための闘争へと姿を変えてしまった。
この傾向は今後も続く。
ホッテントリを見てると、さまざまな人のさまざま意見があって面白い。
最近気になったのが「 選択的夫婦別姓への反論に反論します|青野慶久|note 」というやつ。
上位に挙がっているのが主に選択的夫婦別姓制度への賛成意見で、選択肢を増やすことは良いことで、
それにすら反対するのは感情論とか自分のパラダイムから抜けられないからみたいなことを書いていた。
はてな界隈には多いリバタリアニズムの信奉者というのはいつもこうなのかとちょっと呆れざるを得なかった。
今ではリバタリアニズムとまではいかなくても漢字で書く「自由主義」がネットでの一般的な価値観になっているから
おそらくそれはブクマカの周りでは妥当な考えだと思うが、しかし、意見を戦わせる全体集合をはてな界隈から日本に広げるとどうなるだろうか?
こんなことはよく言われているが「自分の常識は他人にとっての非常識」で、価値観なんて常に一致するわけがない。
その人にとっての正義はその人の価値観に合致するもの。そんなことだいぶ前からわかってるじゃないか。
でも日本という集合でのとりあえずの方向性を決めなければならないから、日本という集合の中でも
一番多くの人が属している集合(価値観)に日本全体を合わせることにした。これが民主主義。
もちろん日本全体が属すことにきめた価値観に合わない人は必ずいるからその人たちにも十分配慮して決めていこうってこれで
何十年もやってきたでしょ?
で、話を戻すと選択的夫婦別姓制度にかかわる問題というのは自ら名乗る姓にかかわるものだから、
合理的な側面はもちろんだが、その人の持つ価値観によるところが大きい。
リバタリアン的な価値観を持つ人からすればもちろんこれに反対するひとがいるなら理解できないだろうし、
その逆もまた真なり。でもやはりこの問題に限らず価値観の違いでいがみ合うのはいいことじゃないというのはたぶん多くの人が同意すると思う。
そういうひとには、
異なる価値観の人に対して同意もいなくていいし、活発な議論をすればいい。
でも存在を排斥したり不当に貶めたりするような行為は絶対に悪である。
という考えをもってほしいなんておもったりした。
「Values」となっているところはもともと「Religion」だったが、私が変えた。
Values are like a penis. It's fine to have one and it's fine to be proud of it, but please don't whip it out in public and start waving it around... and PLEASE don't try to shove it down my child's throat.
自慢したいのはわかるけど、「古典的自由主義と左派の自由主義(リベラル)は全く別物であって」
って書いてる俺に何故わざわざ「リベラルとひとことで言っても、classical liberals もありゃ modern liberals 、scocial liberals いろいろ」
と説教してるの?
「絶対王政は封建制を破壊するもの」にツッコんでるけど「する」と「した」の違いわかる?
「理想と現実」というやつだよ。現実には破壊しきれなかったといっても目指す方向はそっちなんだよ。
>「あなたの言うリベラルってのは、僕の言う教条主義的な見方そのものであって、全然リベラルじゃなくて、左派の自称リベラルな感じだなあ」
全く意味不明。「僕の言う教条主義的な見方」って俺は君の知り合いじゃないからそんなん知らんがな。
ただし、
>ひょっとして共産主義系の方?
これも全く意味不明。マルクス・レーニン主義も左派リベラルの思想を継承してるとはいえるけれども、
そして日本のリベラルと呼ばれてる人達に大きな影響を与えてるけれども
そしてそもそも俺は左派の自由主義者じゃない。左派の自由主義の思想の根本にあるものは何かを説明しているだけ。
「○○については対応します」とか、少し前の首切りしまくって「セーフティーネット作る、セーフティーネット作る」と言ったのと同じ匂いしかしないんだけど。
セーフティーネット結局なにか作ったの?生活保護ぐらいじゃない?
元々が「国が関与するのは一切やめよう!」という自由主義、新自由主義の一環としての政策だから、
きめ細やかな対処はなくなる。
生活保護をBIにというのは、児童加算とか、医療負担とかをなくすという話に見えるしね。つまり、生活保護であっても3割負担の枠組みにされると。
病気故に生活保護を受けている人も、高額療養費の枠組みの負担までの負担を迫られると。つまり、生活費がだいぶ減らされるということ。
受ける人が増えて、予算が変わらないとなると、平均受給額は減るんだよ。とすると、障害者、病人がまっさきに割りを食う制度なんだよ。
医療ですら、さらに、医療は別に保険料をとっているのですら、コウカナチリョウガー、とか言ってるじゃない。
ベーシックインカムがあるから、そんな費用がかかるようなものはやめようという流れになる。
累進課税で負担できる人が負担するという制度ならまだ少しはわかるが、言ってるのはのべからず法人税減税とか言ってるような新自由主義者ばかり。
とすると、消費税をべらぼうに増やして一般庶民同士の対立を作るか、こういう必要な人への金を出さないようにするという制度が見える。
ちょっと調べたらこういう「必要な人にも、実態を見ずに金を出さない」制度なのがわかる。
予算が限られる以上、必要な人に必要な額を出す制度のほうがいいのだから。
となると、共産党なんか相手にしないよ。先に福祉に使える額をきちんと累進課税や法人税増税でとってからの配分にするだろうね。
完全な間違い。同意する人が多くて驚く。
古典的自由主義と左派の自由主義(リベラル)は全く別物であって、古典的自由主義の発展型ではない。根本が違う。
左派リベラルの原型にとって絶対王政は敵ではなく、むしろその原型。
左派リベラルの敵は封建制。貴族の力が強く王といえどもその自治権に逆らえなかった。
その絶対王政の「王」の権力を「人民」が所有することによって、
つまり人民(の総体)が権力になることによって自由が得られるという考え
だとするなら民主主義体制で選ばれた政府を批判するのは自分自身を批判してるようなもので矛盾しているが
左派リベラルが政府を批判するのは「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る」ためではなく