はてなキーワード: 指導教官とは
状況をよく解説していると思ったので転載。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1394709614/
■小保方晴子 メモ ①
・1983年生まれ
・実験時には白衣ではなく、祖母からもらったというかっぽう着を身につける、というキャラ作り
・研究室では指輪を日常的に着用、見せびらかして自分で女子力()アピール
・研究室にアメリカのころから愛用しているソファを持ち込んでいる
・実験室だけでなく、おふろのときも、デートのときも四六時中、研究のことを考えている(本人談)
・ムーミンヲタク 研究室のあちこちにアニメ「ムーミン」のグッズやステッカーを貼っている
・収集癖がある
・ポエマー
・松戸市立第六中学2年生の時、青少年読書感想文コンクールにて 『ちいさなちいさな王様』 で教育長賞受賞
・千葉県松戸市、最寄り駅から徒歩10分新興住宅街の一角にある一戸建て黄色い壁の豪邸
・父は海外に10年以上赴任していたので長い期間女4人で裕福に放埓に暮らしてきた
・父:一夫 韓国三菱商事株式会社常務理事・機械 事業本部長 母:大学教授 (心理学) 姉:大学准教授
■小保方晴子 メモ ②
・成績はピカイチではなく真ん中か、それより少し上ぐらい
・2002年、早稲田大学理工学部応用化学科に、AO入試(学力不問、面接と作文、人物重視で選考する)の1期生として入った
面接では、「再生医療の分野に化学からアプローチしたい」 と主張。
幼き頃より、研究者を志し、特に再生医療に強い興味を持っていたという。
父母のコネで入ったと自ら言ってたという話も
院生時代の2008年には学振研究員DC1(書類申請と面接で選考)になり、以降3年間に渡り 『月20万円の奨励金+年150万円の科研費』受領
・東京湾の微生物等を研究をし、2005年に院進学後は常田(捏造D論主査で共著論文あり)の指導を受ける
・2007年、専門を再生医療に転向し女子医大の研修生にもなり大和(捏造D論副査でSTAP共著)や
岡野(共著論文あり/TWIns所長/日本再生医療学会理事長)の指導を受ける
・東邦大東邦の同級生によると、彼女は思い込みが激しく、好きな男子と付きあってもいないのに付きあっている記憶になっていた 「不思議ちゃん」
「当時は、後に国立医学部に進学したバレー部の秀才にずっと片思いしていました。彼にはその気がなかったようですが、彼女はとても思いが強く、
『もう諦めたほうがいいよ』と忠告する友人たちに『もう彼女だもん!』と泣きながら食ってかかり、ハラハラしたほどです」(同級生)
■小保方晴子 メモ ③
・ハーバード大に留学し、悪名高い麻酔科バカンティ(STAP共著)に師事し
「全ての面で成功し皆が憧れる人生を送りなさい」 と助言され、小島(STAP共著)の指導で万能細胞の研究を始める
・ハーバード大では、 「ドクター・バカンティーズ・エンジェル」 と呼ばれて(自ら名乗って)いた
「博士号もない学生を雇用するのは無理だ」 とも事務員に言われたのに、不思議な力で2009年冬までの1年半ほども滞在する
バカンティ教授が 『アイ・ニード・ハー(彼女が必要だ)』 と言って引き留める
・ハーバード大に滞在中の2009年8月、STAP論文の原型となる論文が完成し投稿するが2010年春に却下され
審査した研究者、ネイチャーから 「細胞生物学の歴史を愚弄している」 という趣旨のメールが届き、酷評されて泣く
・博士学位取得要件の雑誌に投稿した査読付き学位申請用論文3本で、不適切なデータ処理・加工・流用・捏造行為
・Ph.Dの肩書きを使って再度ハーバード大に行くつもりが就労ビザが得られず諦める
・ハーバードで知り合った若山(当時理研所属でSTAP共著)に口利きを頼み、
理研CDB次期所長で35歳の若さで京大教授(京医卒)になったES細胞の権威である理研の副センター長・笹井芳樹の推薦を受けて理研入り
(左から小保方晴子、笹井芳樹、若山照彦 ttp://imgur.com/Fz5xqlC.jpg)
「化学系の出身で、生物学の先入観がなく、データを信じて独自の考えをもっていた。真実に近づく力と、やり抜く力を持っていた」
「僕はケビンコスナー、小保方さんのボディガードだ」 と、笹井から支援を受け、強力な後ろ盾を得る。
■小保方晴子 メモ ④
・2011年末、「酸に30分浸すと初期化する万能細胞(STAP)を作製」 (本人談) とノーベル賞級大発見世紀の大発見()をする
「渡された細胞の万能性を何度も確認し間違いないと告げると小保方さんは泣いていた」 (若山談)
・2013年3月、29~30の若さで、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター・細胞リプログラミング研究ユニット・ユニットリーダー(教授級)になる
・「(STAP細胞は)マウスのリンパ球を弱い酸性の溶液に30分浸すだけで作製に成功した。
細胞を細い管に無理やり通したり、毒素をかけたりしても作製できた」(本人談)
・STAP細胞の名前を本当は「王子様にキスされて目覚めるお姫様」になぞらえた 「プリンセス細胞」(P細胞) と名付けようとしていた
・STAP細胞の優越性を説き、比較対象の山中教授のiPS細胞を貶め風評被害を与える(発がん性、研究の停止など)
小保方の誹謗を受けて、山中教授はiPS細胞の安全性を弁明する羽目に陥った
・「あきらめようと思ったときに、助けてくれる先生たちに出会ったことが幸運だった」(本人談)
「女」を使ったのか、権威ある男性に取り入るのが上手いのか、親のコネなのか
・現在は、小保方が笹井をセクハラで訴えている、との未確認情報も さんざん権威に媚びて取り入ってコネを利用して、用済みになったらポイ捨てか
・脊髄損傷のサルをSTAP細胞移植で治療したと発表したチャールズ・ヴァカンティ教授のグループの小島宏司の論文における不適切な画像流用が発覚
■小保方晴子 メモ ⑤
・小保方晴子が第一著者のNature Protocol誌の論文と、第二著者のTissue Eng Part A誌の論文において、利益相反事項の隠蔽の疑惑
・小保方晴子による博士号論文 『三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索 (2011年2月)』
その33枚、ほぼ全部がコピペだったことが判明 (3月11日)
米国立保健研究所(NIH)が幹細胞の基礎知識を一般向けにネット上に掲載している文章から、ごっそり剽窃している
論文の冒頭、研究の背景を説明する部分がネット掲載の文章と単語の並びから句読点までほぼ同じ
文章の前後入れ替えや、見出しの変更、ネットで「この文書」と書かれていたのを論文で「この節」と書き換える、などの
つじつまを合わせた変更はあった。
小保方博士号論文のPDF: ttp://stapcells.up.seesaa.net/image/Background.pdf
剽窃された米国立保健研究所(NIH)の元の文章: ttp://stemcells.nih.gov/info/basics/pages/basics1.aspx
テキスト比較ツール difff《デュフフ》ver.6 : ttp://altair.dbcls.jp/difff/dev/obokata_copypaste.html
・博士論文、参考文献リストもコピペか、参考文献リストが他の論文と酷似している
第3章では38件の文献リストがあり、著者名、論文名、雑誌名、ページが列挙されている
これは10年に台湾の病院の研究者が医学誌に載せた論文の文献リスト53件のうち、1~38番とほぼ一致した
博士論文では一部文字化けしている文字があり、切り張り(コピペ)の可能性がある
リストは著者名のABC順で、元論文の38番はPで始まる姓のため、ありふれたSやTで始まる著者名が博士論文にはない不自然さがある
普通の論文では本文で文献を参照した箇所に(1)などの番号を添えるが
図を除いて 5ページある第3章の本文にはこのような番号はつけられていない
・小保方晴子による博士論文 P53, Endoderm(Figure 10)の実験画像は、コスモ・バイオ株式会社のホームページ掲載の画像からの盗用(3/13)
ttp://jump.2ch.net/?pbs.twimg.com/media/BijJAfvCcAAFE3d.png
■小保方晴子 メモ ⑥
・STAP細胞論文(Nature誌のArticleとLetter)
Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency (30 January 2014)において、不適切なデータ処理・加工・流用・捏造行為疑惑
・120日でSTAP細胞を10^60個(ベテルギウス750個分)もの増殖に成功したというデータグラフが存在
グラフc: ttp://www.nature.com/nature/journal/v505/n7485/images/nature12968-f5.jpg
(山中教授の論文に間違って10^60になっているグラフがあったらしい。それを丸パクリしたから悲惨なことになった?)
・自分で文章を作成せず、他の論文(ドイツの研究者らが2005年にIn Vitro Cell Dev Biol Anim.誌で発表した論文)からそのまま文章を剽窃した疑惑が
しかも、正しい表記が無意味な言葉に変わってしまっていたり、誤記誤用がたくさん (意味が解かってない?)
例)
盗用元論文(正しい表記): 塩化カリウムを意味する「KCl」 → 小保方論文(誤った表記): 「KC1」という無意味な言葉に
盗用元論文(正しい表記): 二酸化炭素を意味する「CO2(シーオーツー)」 → 小保方論文(誤った表記): 「C02(シーゼロツー)」という無意味な言葉に
EDTA (EDTA) と、ethylenediaminetetraacetic acidの略称であるEDTAを誤って連続して記載
■小保方晴子 メモ ⑦
・2005年のドイツの研究者らの論文からそのまま文章を剽窃した為に、現存しない機器やWindows98環境でSTAP細胞の実験をした状態になってしまっている
新規に購入する事が出来ない古い実験機器、Win98、と
論文を剽窃した対象と思しきドイツの研究者らと同じ道具やOSをわざわざ全部集めて、STAP細胞の研究をしていたとでも言うのか
小保方のSTAP論文の文章の中には、ライカ社(Leica Mikrosysteme GmbH)の DM RXA RF8 落射蛍光顕微鏡 (epifluorescence microscope )と
フォトメトリクス社(Photometrics)のSensys CCDカメラの実験機器名も含まれているが、
これは、小保方が剽窃した疑惑のある2005年のGuo Jianliらドイツ人研究者が用いた実験機器と同一のもの
ライカのDM RXA 顕微鏡も、フォトメトリクスのSen sys CCDカメラも、1990年代末~2000年代前半に販売されていたもので既に製造中止の機種
さらには、Sensys カメラのウェブサイトには、「Then turn your computer back on and boot Windows 98/2000/ME/XP again.」と記載されており
Win 98が現役だったような時代の懐かしい製品
小保方らが研究室を立ち上げるときに、このような古い実験機器を新規に購入することは不可能であり、また中古品も出回っていない
■小保方晴子 メモ ⑧
・STAP細胞論文を、論文の価値を高めるために「簡単」と誇張していた (3月1~2日? 若山が毎日新聞の取材に対して告白して発覚)
・小保方晴子がSTAP細胞再現実験に成功した()と発表 (3月5日 理研発表)
・STAP細胞の公開した作成手順に新たな矛盾が浮上 (3月8日)
「一度T細胞に分化した細胞が初期化された結果生じた」(TCR再構成という“証拠”が「STAP細胞」のキメ手になった)という内容が
今回公開された作製手順では、「なし」と書いてある
・論文データ上のSTAP細胞とマウスのES細胞のDNA配列がほぼ同一だと判明
撮影した生の画像データではなく、紙の文書をスキャンするなどしてデータ化したものを切り貼りか (3月12日)
論文から写真だけを取り出して分析すると、写真の上の部分に別の写真の一部とみられる紫色などの線が入っているのが分かる
・STAP細胞論文の画像流用の問題を、1ヶ月前には、小保方と、理研の副センター長・笹井は把握していた (3月13日)
把握していた上で意図的に隠蔽か
・STAP細胞論文疑惑が生じると
「指摘されて初めて(ミスが)分かった。 全く気付かなかった。研究そのものを疑われるのは悔しい」 と
科学者なのに感情論を持ち出して悲劇のヒロインぶって若山に泣きつく
・弁明等はすべて他者に丸投げして、自身はファーストオーサー・ユニットリーダーの責任と義務を放棄して逃亡
理研神戸の広報担当者 「論文を書いた小保方晴子ユニットリーダーは休暇をとっており、同日中に結論を出す状況にはない」 (3/11)
まともな教官程言うよ、素直に。
今やそれ自体がパワハラになり得るからかなり慎重になるけども、でも、はっきり残るべきかどうか、
きちんとした教官ほどきっちりと言う。
てか、修論審査でも、博士に行く、ってやつに関しては指導教官意外もそれなりに気合入れて審査してくれるしね。
無理そうなら指導教官に対して無理そうだ、とかアドバイスすることもあり得る(まあ、指導教官が一番分かってるけど、普通)
博士論文に関してなんかは、論文としては博士にしても良いかな、ってレベルでも、業界に残っていけるかどうかってのはまた全然別の話で、
無理そうなら、そこでもある程度のアドバイス的な事をすることもあり得る。
コピペ論文で審査を通ることなんてまずあり得ない、というのがこれまでの常識。
早稲田では違ったらしいが。
STAP細胞の騒動を見ていて、自分の大学時代を色々と思い出して死にたくなったからここに吐き出す。
個人的なろくでもない思い出話なので、騒動の新たな情報を得たいとか、アホな人間の話にイライラする人はそっ閉じしてください。
私は小保方さんとほぼ同世代で、あの頃はバイオ系学科が雨後のタケノコのようにポコポコ新設されていて、私もそのひとつに入学した。私の入った大学では1・2年が基礎課程で、それが終わると研究室に配属される。大学院に進学しなければ、3・4年の2年間、研究に取り組むことになる。
配属された研究室の指導教官は合理的な人だった。入室後の面談でまず、進学と就職のどちらを希望するのかを聞かれた。公務員志望だと答えると曰く、2年じゃ大した研究はできない、まして就活が忙しい時期はほとんど学校に来られないだろう、だから、あなたにはまぁ厳しくしないよ、とおっしゃる。事実、2年間で叱られた記憶はほとんどない(何度か呆れた顔はされた)。一方で、進学する同級生は、かなり厳しくしごかれていたように思う。
「どうせ2年でいなくなる学生」の扱いに困ったのは教官だけではなかった。研究室に教員は1人しかおらず(もちろん研究員もテクニシャンもいない)、学生の指導は上級生が行った。私を指導してくれた先輩は、とりあえず実験をさせておこうと思ったようだ。私は、毎日言われるがままにPCRしまくり、ゲルを作りまくり、電気泳動しまくっていた。特技はチップ詰めだった。
研究とはなんぞや、実験の意義とはなんぞや、データとは、統計とはなんぞや。アホで怠惰で意欲のない私は、そういったことに自ら興味を持つことはなかった。したがって、「質問には答えるけど、聞かれなければ教えない」というスタンスだった指導教官や先輩との相性はすこぶる悪かった。疑問も持たずにひたすらPCRをしまくり、気がつけば4年生になった。
4年生になると、教官にはっきりと「公務員試験が終わるまで、週1回の論文ゼミ以外は来なくていい」と言われた。どこまでもアホな私は、その言葉を額面どおりに受け取って、本当に週1回しか研究室に行かなくなった(就職希望の同級生でも、もう少しは行っていたように思う)。夏も終わり頃、公務員試験に全て落ちた私は研究室に戻った。その頃には、私は立派なお荷物学生となっていた。
復帰後は進学希望の同級生の下に付くことになった。相も変わらず実験の意義を理解していない私は、リクルートスーツに白衣を羽織り、ひたすら培地を作り、細胞の世話をし、あとPCRをした。
指導教官は就職希望の学生に対し、最終的に学科の卒業研究発表会だけ出ればよく、卒論を書かなくてよいと言っていた(カリキュラム上、提出は必須でなかったらしい)。が、4年生の初冬、全員提出するよう方針転換された。まあ当然だろう。私は大慌てで論文を書いた、というよりも、でっちあげた。先輩の修論をコピペし、よく撮れた泳動画像を使い、細胞の蛍光画像からは都合のいい部分を切り抜いた。私は、論文の書き方どころか、データの取扱いすら学んでいなかった。
こんな私でも卒業が認められ、なんとか就職も決まった。もちろん研究職ではない。その後いろいろあって、今は大学で学んだこととは一切関係のない職場に勤めている。
今でも、科学の話は好きだ。科学に関する本やテレビ番組は好んで見るし、科学館のようなところも行く。自分で言うのもなんだけど、これでも学業の成績は良い方だったのだ。要は、教科書的な「おべんきょう」は好きでも、自分で何かに疑問を持ち、それを追求することの適性はまったくなかったのだろう。
小保方さんの華々しい(今となっては物悲しい)会見の後、にわかに「リケジョ」という言葉がクローズアップされた。文系出身の同僚に「増田さんもリケジョだよね!」と笑顔で言われると、違うんだ、やめてくれ、と居たたまれない気持ちになった。私はただ理系学部を卒業しただけで、科学の作法も何も身に付けていない、ただのアホな女だ。
今回の騒動は残念だけど、これで「リケジョ」という言葉が巷で取り沙汰されなくなると思うと、少しだけホッとしている。
(念のため、この話は私というアホな女の一例であり、立派な女子学生・女性研究者は大勢おられます。どうか「これだから女は」と一般化しないでくださいね。)
(追記)
筆記は通ったんです(言い訳)
(追記2)
rosaline やりたい事もないのに何故その学部を選んだのか、なんてツッコんじゃいけないのかな(後略)
高校の生物IIで教わった内容をもっと知りたい、勉強したいと思ったのでバイオ系を選びました。
今から思うと、専門の教科書に基づく授業を受けて、どんどん新しい知識を吸収できた基礎課程が一番楽しかったです。
「やりたい事」が「研究」ではなかったということなんでしょうね。
今でも生物系の話は興味あります、ニュースになれば色々調べながら見てますよー。
(追記3)
話題になっている↓この記事に共感できる箇所があったので追記します。
研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は30人強いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。
早大ではない某私大でしたが、この人数比はおおよそ似たようなものでした。全体にもうちょい少なめ。旧帝大出身の人から、研究室あたりの学生数が2~3人/年だったと聞いて驚いたのを覚えています(向こうも驚いていた)。
今となっては、そりゃ圧倒的にリソースが足りないんだから、先生だって進学/就職でスクリーニングするわな…としか思えません(ちなみに、進学はさらに内部進学/外部進学でスクリーニングされます。これも仕方ない)。
ブクマたくさんありがとうございます。同意くださる方がいらして少しホッとしました。
同時に、じゃあ私たち(と言ってしまいます)のような「理系のテーマの『お勉強』がしたい」高校生は、どんな大学の、どんな学部を目指せばいいんでしょうね? 放送大学ぐらいしか思いつきません。
うん、まあ、おかしかろう。
後、すごく気になってるんだけど、如何に元々どこかに発表されてる文章だとしても、
その較正する人の好みとかもあるから、これだけの文章があったらいくつか直されると思うんだけど。(trials->trialとかそう言うレベルじゃなくてもっと文章的な。そもそもこれも"1 trial"ってのが1つの単語だと思えばtrialsでも問題ないような?文脈読んでないから分からないけど)
つまり、この文章、誰も見て無い、って感がするんだけど?指導教官も他の人も誰も較正をしてない。
もし、この人が、もう論文何本も書いてて英語もばっちしで教官も論文について指導することなんて1つもない、とかいうひとならあり得ることだけど。。。
まあでも、実際問題、研究者としてまともな実績があれば、英語力がこんなもんでもハーバードに行くことはいくらでも可能かと。そこは全く別の問題。
実験の論文なんてのはその研究室に所属してなんらかちょっと関わっただけでも名前載せることもある。
勿論、Natureクラスになると載せる人吟味するかもしれないけど、
例えば学生の論文に指導教官が殆ど直接手を出してなくても名前を載せることはいくらでもある。
また、あるコラボレーターみたいになれば、そのグループから生まれた結果には全員の名前を必ず載せる、なんてのもいくらでもある話。
この手の細胞実験がどれだけ人手が必要なのかはよく知らないけども、多分、実質一人で出来る様な量でしょう。
それと色々管理なんかでもう一人くらいがまともに動けば十分出来るような。
なんだろ、プログラマ脳ってやつか?
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=92038
研究チームの同大医学部・小島宏司医師によると、脊髄損傷で足や尾が動かなくなったサルの細胞を採取し、
STAP細胞を作製、これをサルの背中に移植したところ、サルが足や尾を動かせるようになったという。
現在、データを整理して学術論文にまとめている段階だという。研究チームは、人間の赤ちゃんの皮膚から
STAP細胞を作る実験にも着手。得られた細胞の能力はまだ確認中だが、形や色はマウスから得たSTAP細胞によく似ているという。
http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/blog-post_26.html
二点ほど気づきました。
賭けに負けたらどうするんですかね?
20代という貴重な時期の,少なくない時間を費やすのだから,それなりの準備が必要でしょう。
人の伝たどったり,噂を集めたり,まあ可能な限り情報収集と根回しをしてください。
自主性を発揮して研究を遂行することがもちろん第一ですが,研究をブラックボックス化しても
良いことは一つもありません。ことあるごとに日々の進捗は報告していくと,アドバイスももらいやすいです。
投稿を読んだ感じ,この辺については大丈夫そうに思いましたが。進捗報告の習慣をやめると迷走しがちだと思う。
ちょっと楽観的すぎる面もあるけど,良く考えているなと思いました。研究向きかもしれません。
アカポス狙ってるの? それならいい論文誌にできるだけ多く論文を通すにはどうすればいいのか、を最優先で考えないと。教官がカリスマ的かどうかは置いといて、研究室の先輩たちは論文をがんがん生産してる? 良い論文誌に通してる? "Publish or perish" の歪みではあるんだけど、論文を書きやすい研究室の仕組み(大きな戦略の選び方、研究計画の立て方、資源配分)ってのは確かにあるんで、実績最優先ならそういう仕組みがあるかどうかを見た方がいい。
民間でとりあえず就職に困らないだろうし、研究者としてトップ争いをするよりは好きなことをまったりやれたらいいや、論文も自分がとことん納得いくのだけぽつりぽつりと出せればいいや、っていうのなら、マイペースでできることを優先したらいい。指導教官に構ってもらえないのはその場合かえってプラスになるかもしれない。論文にはつながらなくても、人脈を利用して学生の間に色々なところに首を突っ込んで活動してれば、就職やその後のキャリアもおもしろくなるかもしれない。
と
この辺一緒にしちゃうの?で、理物なの??乗っかてきた???ノーベル賞候補だった、ってお前だれのとこに居たんだよ。そんな居ないぞ、真面目にノーベル賞取るかどうかとか言われてた(る)人。
てか、最近でまともに考えられてた、つったらKEKだけど戸塚さんくらいだろ、東大関係者って広げたとしても。むかーしにまさか、戸塚さんのとこに居た人???神岡に居たん???
理物で学部時代から論文投稿、って言うと、とある研究室で4年生実験で論文出してる人は居たねえ。
でも、それよか、素論へいったやつのが変態的だったけど。いや、すごいけどね。
まさか理論で論文出してた、とか言わないよね?wwwその論文教えてくれよ、是非ともwww
後、
これ、ウケるw
自己分析してたら、タイトルの考えが頭から離れなくなってしまった。
指導教官は尊敬しているし好きだ、この人の下でもっと学びたくて修士に進んだ。
でもM1になってから急にやることが難しくなって、B4と違って講義もあるし、アタフタしてたら就活始まるし。
ただでさえてんやわんやなのに、他大学の教授との共同研究が始まって、研究室の学生のうち関係しそうな専攻テーマなのが私だけで、
気付いたらB4の頃とは全然違う方向に研究が進んでて、ついていけない。
実際には「ついていけない」なんて言えない、研究者面してたいから。
研究ガリガリやって学会にもバンバン参加してドヤ顔したいから。
ただの出たがりの見栄王。
理解してない事を隠すのは無理があって、結果、論文が書けない。
内容が陳腐だ、何も伝わってこないと言われる。
自分で望んでついて行ってる指導教官でなく、共同研究の教授に言われるからなおさら傷つく。共著者怖い。
時間のない中添削して頂いているのだから、ありがたく頂戴して泣きながら論文を修正して、またチェック沢山頂いて、徹夜で修正して。
なんとか査読通ったけど、カメラレディ提出前もフルボッコされて、今は発表スライドをフルボッコされてる。
この分野に明るくない人でも何となくわかった気になれる、そういう発表にしたかったんだけど、それじゃ共著者はお気に召さないらしい。
多分この共著者と私は、もともと人間としての反りが合わないんだろう。
「反りが合わない」と思ってるから余計こじれるのもわかってるけど、どうしたって怖い。打ち合わせの日が憂鬱。行きたくない。
きっと頭悪いと思われてるんだろうな。
共著者へのただの愚痴になってしまったけど、厳しい添削も素直に受け取れないようじゃ研究者としてやってけないと思う。
学会発表へのモチベーションが下がって、それに伴って研究へのモチベーションも下がって。
こんなことでモチベ下げるぐらいだから、きっとそこまで研究好きな人間ではなかったんだ、私は。
そう考えたら就活も不安になってきた。今の希望職種って本当に私に合ってるのか?思い込んでるだけじゃないのか?
もうなんか色々めんどくさい。やりたくないのにやらなきゃいけない事ばかりだ。
それでもタスクをこなすのが社会人なんだろう。投げ出してしまったら私は研究者にも社会人にもなれない気がする。
だから早くスライド修正しなきゃいけないんだけど、「しなきゃいけない」と思うと息が詰まる。
研究からしばらく離れて、就活に専念したほうが精神的にもいいんだろうけど、何故か次の学会の予定も入れてしまった。
ちょっと前まで理系大学生(バイオ)だったけど、研究室や指導教官との相性は学生生活の質に直結しているので、駄目そうだったら変えてみるのは悪いことじゃないよ。
あと気になったことも書いておくよ。
・バイオに限らず、理系大学生は基本的に研究で忙しいものなので、研究室を変えてもアルバイトとかはできないと思うよ
・実験の待ち時間が決まってるなら、それを計画に組み込めばいいだけじゃないの?
・ドクターや教授と上手くいかない人なんてごまんと居るし、大体相性の問題だからそれを我が儘って言うのは違うと思うよ
・一人じゃ研究できない学生が、実験の手柄を自分だけのものにするというのは無理がありますよ
・外部の大学院への進学はドロップアウトではないです。私の周りだと勇気ある行動として尊敬される風潮すらありました。内部進学より相当大変なので頑張ってください
・企業の優劣を何で決めてるのかはわかりませんが、あなたの考える良い企業に就職するのが進学の目的ならば、バイオに来たのは間違いです。来世に期待しましょう
真面目にやってきた。他大学の友人より社会舐めてないとのことですが、理系大学生がバイトの暇も無い程忙しいのも、バイオ系が就職難なのも、少し調べればわかることです。高校生にもなって、自分の希望している学部学科がどんなところなのか、卒業生がどんなところに就職しているのかも調べずに進路決めるなんて真面目でもないし、社会舐めてるように見えます。
id:lovelovedogは本当にネウヨらしい。
id:hazama-hazama-hazamaの過去の指摘を引っ張っておく。
最後にもう一つ、歴史修正主義とポストモダンの関係についての述べておこう。lovelovedog氏は、時に不可知論に近い言動も見られるようだ。*3Apeman氏も指摘するように、この態度で一貫していれば論理的には正しい。しかし、ここで論理的に正しいことは倫理的に正しいことなのかという問題が浮上するのだ。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20080329/1206773121
lovelovedog氏の議論は典型的な歴史修正主義者のそれであることは、本人の自覚はともかく、もはや明確だろう。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20080329/1206773121
しかし、愛・蔵太氏の主張は仮説段階にも至っていないと思われる。もし、これが大学の学部生のプレゼミ発表であれば、多分、指導教官に怒られる。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20080404/1207304127
入学してから4ヶ月くらい経つが,自分の研究生としての素質の無さに悩む日々である.
自分は大学院に入学してから,これまで研究してきた分野とは違う分野の研究を始めた(どちらも情報系の分野ではあるが).
研究室に配属されてからは論文を読んだり書籍を読んだりしていて,読んでいておもしろいとは思っているが,そこから疑問や問題点を見つけることができない.
読み終わった後は,たいてい「こんな研究もあるのか」「xxxとoooの関係はこうなっていたんだなぁ」と思って,終わり.
一方で,先生や先輩方は「この論文ではaaaについて分析している.僕達は一歩進めてbbbについて分析してみよう」「じゃあoooとyyyの関係はどうなっているのだろう」などと議論している.
私もなんとか提案を入れてみようとするが,何も浮かんでこない.結局,相槌を打つだけである.
次に,研究のサイクルを見通して作業することができない.
研究テーマに関しては上記の始末なので,現在は指導教官から提案されたテーマで研究している.
結果,軽いパニックになって手が動かない.
それでもどうにかこうにかデータを取ることはできたが,先日,そのデータが実は研究に必要なデータとは微妙に違うことに気がついた.
ちなみに,指導教官にはそのこと(自分がとったデータと,本来とるべきデータが違うこと)は言い出せずにいる.
それにしても,こうやって書き出してみると自分が思ってた以上に自分ってバカなんだな.
大学にいたころはそれなりにデータもとれたし,研究発表もしたことあったんだけど,結局は当時の研究室の先生が手取り足取りやってくれたおかげだったんだよなぁ,
自分自身には何一つ身についていなかったのかと今更思う.
取り敢えずこれ読んでおちけつ
http://d.hatena.ne.jp/next49/20081019
以下、かつて元増田と同じような状況になったことのある俺からの個人的なアドバイス
同期に相談するのが情けなくて、「こんなことも知らないのかよ」と言われそうで怖くて、俺は自分の殻に閉じこもって悶々としていた。
それを今は公開している。同期は自分が思っているほど俺には興味はないし、他人だからこそ相談に乗ってもらえる相手だ。テーマが違えば尚更。
そして指導教官や先輩に不安を話す。そして「次の一手」を一緒に考えてもらう。これが大事なんだと思う。
まあ、ラボの雰囲気とか千差万別だから、一概には言えないんだけれど。でもラボ内に居場所ができると、少なくとも大学には行きやすくなる。
俺は元増田と同じバイオ系だけど、結局のところバイオ系は才能云々というより、愚直に好きで居続けられるかってなことが大切なんじゃないかと思う。興味を持ち続けられるかということ。
元増田は研究に固執しているように見えたんだけど、研究への向き不向きとそのひとの人間としての評価は別だし、バイオ系出身者は必ず研究職に就かなきゃクズだというわけでもない。少なくとも俺はそうであってほしいと思っている。
研究室暮らしは独特だから、学部のカウンセラの方と話していてもなかなか具体的な解決は見いだせないことが多い。
そういうときは他のラボの同期や、先輩や、あるいは逆に大学とは無関係の社会人の人間と話してみたりすると視野狭窄を補正できる。
まあ俺は結局クズ院生だったんだけど、それでもなんとかなったよ。
元増田もそれなりにがんばれ。
所属しているのは実験系の研究室なのだけれども、実験の進捗があまりにも無く先日指導教官が叱ったらしい。
叱られた後、もともとそんな元気じゃなさそうな顔してたのが、更に元気がなくなったような顔だった。
というか「変な気おこさないといいな。」と思うレベルの顔になっていた。
彼は研究室に来てない訳じゃなかったが、毎日机に座ってずっと携帯みてるとかだった。
「実験どう?」ときいても「ヤバいっす」とか「まぁまぁっす」などしか返ってこなかった。
こっちから実験以外の話を振っても、その質問には答えてくれるが、回答がぼんやりとしていて、のれんに腕押しのような感じだった。
指導教官は匙を投げかけてる。
後輩を研究室で孤立させたくないけど、あっちは私のことをおせっかいと思ってるのかもしれない。うざったい先輩だと思ってるのかもしれない。
これからどう接すれば良いのだろう。
実験もない、研究室というか指導教官さえ決まっていない経済学研究科の修士一年だけど
大学にかなりの頻度で泊まり込んでいる。深夜2,3時に電気がついているのなんて毎日で、
休日もよくいる。やっているのはコア・コースワークの勉強と関連論文の勉強会みたいなもので
実験施設もいらないから家でやれなくもないが、人に聞けるというメリットが大きく
自然と一年生の半分くらいが集まってきていた。コア科目で優を揃えないと
海外の院にいくのにまともな推薦状を書いてもらえないどころか、同じ大学の博士にさえ進めない、
そして優を取るには毎週の宿題でコンスタントに良い成績を取らないと厳しいので
協業が大いに助けになっている。それで皆、あまり不満があるようには見えない。
分野にもよるし、書き手にもよる。
東大の学部最優秀の論文とかだと、そこそこに意味があったりするし、
早慶とかでも、たまに学部生の卒論に手を加えたものが出版されたりすることはある。
まあ、でも大半の学部生が、卒論の単位が必要で書いた論文とかは、まあ、なんだ…あれだよ、
ぶっちゃけ「ああ、論文ってこういうものなんだな」ということを学んでいただくプロセスだというのが正直なとこだろーな。
日本の科学リテラシーを高めるという意味では、非常に有意義だと思うよ。
「有意差」とか「相関」とか「因果」とか「妥当」とかって言葉の意味が多少でもわかってくれる人間が
日本に1人でも増えたら、それはけっこういいことだと思うけどね。おれは。
無いというのは指導教官から丸投げをされて、お前自身で勝手にやればということ。
指導教官は教授ではない。有期で雇用された助教だ。今でもバリバリ自分で実験している。
指導する気がないのか、それとも俺の態度が悪かったのか、もともと俺のスキルが無くて失望したのか、わからない。
教授に相談したいがいかんせん多忙で、俺のことなどほとんどきにかけてないようだ。メールは見ている。
俺には能力がない。この3ヶ月でわかった。
しかも指導されて当たり前という態度をとっていた。今、反省して指導教官にも謝ったがもう丸投げされてしまった。
学費を払う余裕も、もう無い。2年で卒業させてくれ。
今現在データが全くない。同期は4年からの研究の延長でかなりしっかりとしたデータを出しているらしい。セミナーでもはっきり発表をしていた。