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はてなキーワード: 指導教官とは

2013-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20130623171633

そういえば、

私大非常勤講師のなかには、ほぼボランティアに近い形で講義試験をやってる人がいる

なんて話を聞いた。その大学出身者で、研究職ではなく本業がしっかりあるらしい。

はい駐車場代すら出さないらしいので…

  

あんな杜撰仕事やっててよくくびにならないなと思う常勤講師もいる。

私の指導教官…さっすが私立文系学部教員だ。

2013-02-19

どんどん世間から遠ざかもうとしている

道を歩いていても、知り合いに見つからないように、顔を手でかざしたり目を背けたりしている。

どこかで情けないなとは思いつつ、ニートになっていた。

働いていないし、将来の目標のための勉強をしているわけではないので、ニート確定だよね。

眠い時に寝て、食べたいときに食べて、散歩したいときに外に出る。

ネットしたいときにして、本読みたいときに読む。

何かに属するって、規則正しい生活を送る上で必要なんだなって感じた。

自分で律するって、ムズカシイ

大学卒業後、院へ進むはずが、道を踏み外した。

自分でも不思議なくらい虚無感で何に対しても無気力になった。

たとえ院へ進んだとしても、ゼミの仲間にも指導教官にも迷惑をかけていた。

もう戻れないし、戻りたくない。

自分の選択が正しかったんだって、見返してやりたい。そんな気も起きたり起きなかったり。

だらだらニート生活続けている。

社会人が輝いて見える。

デパートファストフード店のねぇ様にぃ様方が素敵にみえる。

年金暮らしの両親をみても、すごいなって。

子育てしている同級生もすごいなって。

もちろん結婚する予定の方もすごいなって。

FB更新しまくっている遠い存在友達もすごいなって。

TED英語勉強する、

公務員試験対策を始めてみる、

国家試験対策をする、

なんでもいいか目標立てて、今のニート生活から離れなきゃ。

自宅で問題集開いて、解けないからって、ネットしてても意味ね~や。

逃げて逃げて逃げまくってもシャーね~や。と頭ではわかってい...。

親戚づきあい友達付き合い、なんか疲れた。

この先どーしよ。

とりあえず、スマホ解約しようかな。

なんか、シッチャカメッチャカな文章になった。

2013-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20130214073506

ああ、言葉足らずだったか

退学でレールを外れるのも難しいしラボの移動は現実的でない、

から投稿論文の代筆はさすがにどうかと思うが結局この指導教官がとった

下駄を履かせまくって学位を与えてやるって選択肢は間違ってないんじゃないと指導教官の取った手段を肯定したいんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20130213193100

そういう状況になったら自分でも落ち込むだろうけどいい先生じゃん。

自分もはじめはやる気を持っていたけど自分場合

指導教官が別棟、しかも扉を開けると扉に向く形でPC机置いているんで自分-机(の上のデスクトップPCモニタ)-指導教官

って形で私の話を聞いているのか簡単に言うとサインが出ていなくて、しかも基本的に報告事項に(いい場合も悪い場合も)コメントをもらえなかった。

そういうこともあって一年目の冬に入る頃には完全にやる気を失ったな。

自分院試の結果が悪くて元いたラボから放逐されて(教授にとってはどうだったかからないが自分にとっては居心地は悪くなかった)移ったパターンだったんで

今考えるとあのとき学卒で就職するのが正解だったのかも(院に行かないと結局競争のラインに立てないとはいえ結果は惨敗して院に行く価値があったのか疑問に思う内容の内定先)とか院試後にもうちょっとコミュニケーション取るべきだったのかもとか今でも色々と思ってしまう。

あと、元記事へのはてブ留年させろとかあるけど

卒業研究とか修士とかたかが1年の留年でどうにかなる内容じゃないよ。

今回の件は研究テーマラボが原因か(もちろん根本的な能力場合もあるけど)でたかが1年の留年で解決する問題じゃないよ。

解決する方法は退学させるかラボを移動してみるか。ただ、後者なんて2年制修士の所で入学後の相性不一致で移れるところなんて自分の知る範囲では残念ながら無いけど。

2013-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20130213020951

理論系は知らないが、実験系は兵隊が欲しいので言われた実験が出来さえすれば博士を薦める。

D論は一見するとちゃんとした論文の形だが、中身は指導教官というのが思考能力無い博士には多い。

下手に実績やコネはあるから研究職に就職はできるが、就職後使えないので子会社出向や営業へ配属転換が多い。

理系だって文系よりマシってだけで、全体の質は低下してるヨ。

上位の優秀層の数はそれほど変わってないケド。

2012-12-20

研究者ワナビ

大学院生です。

同じ専攻の人が迷走しています

指導教官も匙を投げたいみたい。

その人は「研究者になりたい」としきりにいいます

でも、どうやったらなれるのかは考えたくないみたい。

そういうのってワナビっていってもいいのかな。

2012-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20120422185333

私も院生時代あなたと同じような感じだった。別の側面から数年前にこんなことこんなことを書いたこともある。当時はトンチンカンなところで炎上させられてはてなの恐ろしさを思い知ったものだったが。

が、ここではその話を繰り返すのではなく、私のケースについて視点を変えて別の話をする。

まあ、私とあなたが似てるといっても、私の教官あなたのところほど放置型じゃなかったのだが、私の方が人間不信になっていて周囲の人間との間に壁を作ってしまった型だったかちょっと違う。

が、そんな私でも現在企業の中で一応研究職の真似事をして生きているので、一応当時のドツボからは脱却できたつもりだ。

そんな私からトラックバックで随分叩かれていてかわいそうだなと思ったのでちょっと擁護とアドバイス

ノウハウを知らないことは能力が低いことではない

 長くなりましたけど、B4達に私から出来るアドバイスとしては、

テーマよりも教員との相性等を重視したほうがいい」

「自発的に進める」

ぐらいです。

これは全くその通りなのだが、前者はまあよいとして後者が問題。

「自発的に進める」ということがどういうことなのか、B4当時のあなたが言われてわかる?そもそもどの程度のことをしたら「研究」として成立するのか、そのことすら理解できないでしょ。

何しろ、あなたの分野の主たる雑誌が何で、既知の手法が何なのか、そういった業界常識」を把握しないことにはその上に上積みなんてできないわけで。

問題は、B4なんてそういう「知るべきこと」が何なのかさえ知らないし、そういうことを知らないこと自体知らないわけで、そういうことは誰かが教えてあげないとダメ。変なプライド邪魔をしてB4あたりだとそういうことで教えを乞うことが恥だと思ったりするけど、違う。誰かが教えてあげなければ単に徒労を強いるだけということも世の中にはある。何でも自力解決するというのは賢いやり方ではない。そういうことを教えるのは「先達」の務めだ。

それが指導教官なのか先輩なのかは研究室によって違うから知らないけど、ともかくあなた場合にはそういうサイクルが働いていなかった。それは上の人の過失だと思う。

まり、上の人がやるべきことは、あなたが書いてるとおり

まさにこれ。特に「その方法を教える」が一番重要。こういうノウハウは「亀の甲より年の功」そのものだ。

世渡りが苦手なことも罪ではない。現時点では。

確かに、そういう孤立無援な状況で自力で巧くやれる人もいる。そのことを批判してるブコメトラバもあるようだ。

だが、世の中の人間はそういう人ばかりではない。そういうところで人間関係が器用であることは「できた方がよいこと」ではあっても、「大人なら誰もが備えているべき能力」というわけでもない。

だいたい、研究者は意外と「世渡り術」が要求される職業であるというのはその通りなのだけれども、その世渡り術」だって、かなりの程度は学んで身につけられるものだ。研究者としてのキャリアが0のB4がそれをできなかったのなら、それは必要なことを教えなかった上が悪いというだけのことだろう。

同輩から訊くことは得策とは限らない

あとこれは私の場合にあったことだが、余り様子がわからないうちに同輩の意見を聞かない方がいい。特に自分に自信をなくしてるうちは。

私の属していた専攻はけっこう色んな分野の研究室が混在していて、私の分野はその中でも一番理論系だった。理論系の研究というのは概して結果が出にくい。実験系の研究室では卒論の途中ぐらいで学会発表行けたりもする反面、私の研究室博士進学するM2修論提出後にようやくそんな機会を得られるという感じだった。

そんなとき、「自分は何の実績もないのに同輩や後輩は学会発表を重ねている。自分は負けている」などという風に勘違いして自分を責めてしまうとこれは単なる悪循環なので絶対にやらないこと。私は見事にこの悪循環にはまった(白状すると、一番上にリンクした増田を書いた時点でもまだ余り理解できていなかった)。そして、同輩から提供される情報なんて大抵は憶測込みの不確かなものだったりするのだ。

あなた指導教官が「研究者として」まともであるならば信じてついていくのがよい。疑問に思ったことはまず指導教官に聞いたり、研究室ゼミなどで他の人の意見をもらったりするのがよい。そうすれば修士までに「まとも」なレベルには必ずなれる。「まとも」ということは業界の様子がわかって、自分の興味に従って博士段階で研究テーマを選んだり、場合によっては指導教官を変えたりなど、そういう判断が一応できるようになるということだ。

もしそうでないのなら…、指導教官を変えることをお勧めする。

休学はできればしないほうがいい

残念ながら、健康のことや留年・休学にたいしては世の中は理不尽に冷たい。

卒業研究で患ったうつ病(らしきもの)はまだ度々ぶり返すし、

いっそ就職する前に休学でもして治しておこうかな。

なのでこれはお勧めできない。休学したら就職企業だろうとアカポスだろうと)の面接で理由を聞かれることになる。「病気療養」という時点で「健康に問題がある」と判断されるとこれは大きなマイナス。ましてメンタルというと二重苦だ。

実は私の大学は専攻によっては半分ぐらい留年するところで、それでもどこかで立ち直って普通にやっていたりするのだが、就職後、他大出身の同期が「留年なんかする奴は人間としておかしい」とか平然と言いはなっているのを耳にして愕然としたことがある。良いかいかはともかく、世間にはそういう人がいるものだ。そして企業の人事部の採用担当など、率直に言って結構アホの集まりであることも多い(そうでない会社もあると思う)し、採用先の部署と意識のギャップがかなりあったりもするものだ。

いや、就職のことだけではない。新しい人間関係ができたときにもこれは黙っていなければなかなか厄介になりうるし、何より障害になりうるのは結婚ときではないだろうか。

から留年せずに通院治療で治せるのなら絶対その方がいい。でないと一生スティグマを背負うよ。その覚悟がないならその決断お勧めできない。残念だけれどね。

http://anond.hatelabo.jp/20120422185333

努力が足らん」って自分を責めてるみたいだけど、元増田はちゃんと指導教官アプローチを試みていたわけだし、コミュニケーションが噛み合わなかった不幸かなあ。

気になったのは、「横のつながり」がどうだったのかな、ということ。他の研究室に行ったB4とは話さなかったの? B4論文輪講で、後から他の研究室の様子を知ったって書いてるけど、発表前に「お前の研究室では今どんなことやってる?」みたいな話をしなかったのかなあ。

で、今はM2でしょ。そしたら学会大会とかで、他大学院生とも交流のチャンスがあるよね。同分野の他研究室院生と、どういう感じで研究を進めてるか、話したりしない? 国内学会全国大会研究会で他の大学に行った時に、その大学の同じ分野の研究室の人に連絡取って見学させてもらったりとか (まあこれは分野によっては秘密主義のところもあるとは思うけど)。

教員との相性にしたって、いろんな教員を比べて見ないとわからないし、自分とこの教員とうまく噛み合わないのは自分アプローチがずれてるのか教員の方が偏屈なのか、そういうのだって他を見て比較しないと判断できないでしょう。

自発的に進めるといってもB4じゃ右も左もわからない。研究室内の縦の人間関係だけでなく、横の人間関係を広くとって視野を広げておくことは決定的に重要だと思うよ。

2012-05-21

研究者口伝

人としての情けを断ちて、指導教官に逢うては指導教官を斬り、同期に逢うては同期を斬り、然る後、初めて極意を得ん。

2012-04-04

無題

助教さん・・・・・・オレにはわからないんだ」

「何がだ?」

「オレが何をすればいいのか。オレは学位が取れたとして、どんな研究者になればいいんだ?」

「何かやりたい研究はないのか?」

指導教官みたいな自己満足研究、とかか?ボスみたいに学生を育てるか?企業と組んで金でも儲けるか?ぴんと来ないんだよ、どんなことも」

「ぴんときて、それで研究しているヤツなんかいるかね」

助教さんはどうなんだよ。自分はい仕事している、とか思えない?」

「さあね。助教ってのは、大変な仕事だぜ。」

「そーか。」

2012-03-31

そろそろ大学も始まるころ。

新入生勧誘活動の時期においては、なかには履修相談をやるサークルもある。

私は勉強のことくらいしか助言もなにもできないんで、とりあえずここに履修相談の草稿のようなものを。

理系のおはなしもいろいろ聞いてはいるけれど、私自身文系私大生。

  

とくに1年生の前期くらいはまじめにやっておいたほうがいい。

手の抜き方を誤ると進級等々にかかわるので。

ゼミナールがある場合GPAなどの成績評価を用いるところもあるので、そのあたりも念頭おいておく。

勉強会を開くなら、ちゃんと講義に出ていたひと人、頭の切れる人とやるべき。

新歓期の履修相談では、楽な講義を紹介することも多々ある。それはそれで悪くないのかもしれない。

個人的には、興味の持てる講義を受けたほうがいい。

試験が難しいと噂されていても、面白ければ講義に集中できて、結果良い成績を得られたりする。

単位の取得が楽でも、講義のものがつまらないとサボることになる。もともとサボるつもりなら問題ない。

いちばん重要視するべきは教官だと思う。

この先生の下で指導を受けてためになるか?楽しいか?面白いか?よく考える。

決めて入ったあとは、自分の選んだゼミがいちばん、と思いこむ…

  • 語学の力はそれなりにあったほうがいい

文系、とくに書く作業が多い。論述式の試験レポート論文

もちろん文献資料にあたらなければならないので読む力も必要だけど。

作文できないと話にならないから、読み<書き、という重要度だと思う。

レポート論文の書き方、といったhowto本は1冊持っていてもいい。

ぜんぜん違う。

高校では底辺の成績でも、大学では奨学生。なんてこともある。

給付の奨学金ダメもとで申請してみるべき。

向き不向き、好き嫌いがはっきり現れるので分野の選択が重要

2012-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20120322000956

元増田です。

言い方が悪いかもしれないけど、イントロは『その系に注目した動機』を書く場所で、書いて、『動機とその自分がやった個所の結果を端的に(アブストラクトがあればいらない)』かとおもう。

少なくとも課題は余計。それは、それこそ考察に書くべき。

これは、何を動機と呼ぶか、なんですよ。

じゃあ、めーっちゃしょうもない例え話をするよ。

ドラえもんというマンガ研究をした人が、日本マンガ研究をする意義を述べた後、ドラえもん研究がどこまで進んでいて、

まだ何を明らかにする必要があるか、と書いたとするよ。

この場合、『ドラえもん研究がどこまで進んでいて、まだ何を明らかにする必要があるか』は、ドラえもん研究をする上での重要動機付けですよね。

それがなければ、なぜその論文で行っている実験をしていくかが本当の意味ではわからないはずなんです。

しかし、たぶん増田さんも、うちの教授も、『日本マンガ研究をする意義』を述べるだけで十分だ、っていってるんだと思うんだよね

これはとてもおかしなことで、明らかになってない部分を詳細に書くことがすなわち細かい意味でも研究の動機づけになってるはずなんです。



そして、門外漢を想定した場合のほうが、より詳細に書くべきなんですよ。

いや、増田さんの言うとおり、投稿論文なら、

この論文を読む必要性がある人、無い人を 振り分けるためのキー

であっていいと思うし、俺だってそこまで冗長に詳細に書かないよ。

今後 学会などで外の教授に読んでもらうときにコレでは重すぎると感じる人がいる。という指摘だと思って受け入れたほうがいいと思う。

学会発表でも簡潔に書くよ。

でも、今回は修論なんですよ。

門外漢が添削してる、とはいえ、同じ研究科の近い分野の教授が読むんですよ?

「背景を詳細に書いたらわかりにくい」なんて、言い換えたら、

「詳しく書かれてると読むのに骨が折れるから読みたくない」とか

学生修論なんかこんなもんでいいでしょーってノリで添削しようとするには難しかった」とか

難解なものは俺は理解できない」とか、言ってるようなもんだと思う。

それか、もちろん、文章が下手、っていうのもあるかもしれない。

から俺は、学生イントロが削られた、と言っているのを聞いて、

「じゃあ意義がもっとわかりやすくなるように、削れと言われた部分についてはより詳細に書いてみたらどうだろうか」

なんて言ってもみた。

でもやっぱ、そういう問題じゃないんだよね。




まりまあ、今回の一番のポイントは、今回が修論だ、ってことだと思うのですよね。

学生が積極的に努力した結晶を、個人的な趣味によって完全否定したことが問題なんです。

これでは学生の、若い人の積極性が育たないし、いいことなんてひとつもない。

学生が明らかに間違っていたり、指導教官の譲れない部分であったら、仕方ない部分もあるよ。

しかし、今回は全体を通して読みもせず、部分だけ見た思い付きで、「んーここ長いし細かいからわかんない、いらない」って否定しているんだよ。

これが許せると思う?

っていうことなんです。

伝わればよいのですけど。


あとついでに。

わかっていないことを書かれても、それは、『私がわかっていないと思う。』ことでしかいからなぁ。

いえ、これは人類が未だかつて誰も明らかにしていないことです。

『私がわかっていないと思う。』ことでしか無いなら文献調査不足です。

僕ではわからん、すごいことをしているんだろうから、がんばってこの国を引っ張っていってくださいな。ただ、世の中には専門外とかFランもいるんだ。ということは忘れないでね。

これは、研究費調達のための申請書なんかは、まさにそういう書き方をするんですよね。

あと、合コンや、親せきのおばちゃんにたずねられた時も、そんな意識しますよね。

今回は修論の話なのでー。

2012-03-21

教授頭が悪い

修士の子の面倒を見ているポスドクですが。

指導教官が忙しくて、別の先生修論添削を頼んだらしく、学生修論指導教官じゃない先生が見ることになった。

しかし、その先生がひどい。

その分野を知らないくせに、関連論文を一報も読まずに指導をしてきた。

そして、修論ディスカッションを読んでないくせに、イントロの大部分を削除。

その理由が「これは不要」とだけ。

ディスカッションを読んでない段階で、専門分野外の話の要不要がどうしてわかるんだ?

そういうわけで、学生が頑張って勉強して書いた、とても重要な内容が削除されたのだが、マテメソに関しては執拗なまでに、モラハラなんじゃないか

と思うくらいに、プロトコール以上に詳細で具体的な記載をするように指示してきた。

イントロとマテメソのアンバランスさがすごく笑える論文にw

いやいや、せめて読んでから添削してよw

頭が悪いしか思えない。


研究なんて、論文なんて、自分自然観のようなもの表現するもので、統一性のある自分なり意図、主張があって論文を書くわけだけど、

通して読まずに統一感がまったくないバラバラな添削をされて学生が悩みまくり

しかもいい子だから気をつかって教授にあわせてあげようとしてる。

かわいそすぎる。


学生自分の信念を主張するのは当然の権利で、それが先生とかみ合わないならディスカッションをすればいいだけだから、間違ったこと書かれてる

なら一切無視してもまったく問題はないよ、と教えて学生は信念に基づいて修論訂正。


が、それが逆鱗にふれて最後恫喝

なんなんだ、これ。


最近起こった、そんな旧帝大物語

これで旧帝大かあ。

レベル低いなあ。

って自分職場なんだけどね…

2011-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20110707014449

そんなもん結論が出てるじゃないか

実力がないのに偉そうにしているのであれば研究発表なりなんなりでボコボコにすればいい

数十年の付き合いが確定しているから離れられないし

そいつはどうやら社会性のない屑っぽいので、なぜそういう受け答えがいけないのかを教えないといけない

親でもないのに躾けるのはくそ面倒だが

つーか、指導教官ってことは教えを請うていうるわけで、そんな態度ではデメリットしかないと思うんだがな、バカなんだなそいつ

2011-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20110412011709

元の記事を書いた者ですコメントありがとうございます

これはちょっと違います。理系(少なくとも数物系で超大規模な実験設備を要しない分野)では業績は主に「査読付き国際誌に第一著者として掲載されること(一部分野では査読付き国内誌・査読付き国際学会もそれに準ずる扱い)」で数えます。分野にもよりますが、これが2-3本あることが博士を取る条件で、まともな研究者なら年に1-2本は継続して査読付き論文を国際誌に出しているはずです。この際、単著であるかどうかは重要でなく、第一著者であることだけが重視されます(実際、第一著者以外の人は指導教官とかチームのメンバーとかで、ほとんど謝辞に近いです)。まあいずれにしても学術的な業績は皆無に等しいといえるでしょう。

叮嚀なご指摘をありがとうございます理系での1st authorやIFについては一応知っていたのですが、単著云々については完全に誤解でした

論文の査読有無について言及しなかったのは、私がその掲載誌名を見ても査読が付くのか付かないのか、どのくらい権威と定評があるかよく分からいからでした。ただ、改めてCiNii 検索 -  今中哲二 での検索結果を見ると、何だか権威も定評もありそうにない掲載誌ばかりだなとは思います。

以上、ただの言い訳した。他にも何か不適切な記述がありましたら、どうかご指摘ください。

というか、業績欄に査読付き論文がまったく載っていない研究グループのページなんて前代未聞もいいところで、この研究グループ自体が有り体に言えば「DQN飼い殺し用隔離病棟であるいい証拠です。こんなのが「原子力村に干された悲劇ヒーロー」として扱われてるんだから噴飯ものもいいところですよ。

ちなみに、「福島原発で再臨界の疑いが濃厚に」と警鐘を鳴らして早野龍五に「そう判断するのは早計」と一蹴された小出裕章京都大学原子炉実験所助教、61歳)も、同じく原子力安全研究グループの一員です。やはりそういう人たちばかりが集まった研究グループなのでしょう。

おっしゃるとおり。王様は裸なのです

http://anond.hatelabo.jp/20110409164209

よい記事ありがとう。ある程度の知識がある冷静な人ならわかることとはいえ、これだけまとめる労力は大変だったと思います。お疲れ様でした。ぜひ私からも知人・友人に紹介しましょう。

しかし一点だけ補足。

理系業界には疎いので断言は出来ないが、途中どこかの企業研究していた形跡もなく、60歳の助教単著なしというのは研究者としての実力をかなり疑わせる。

これはちょっと違います。理系(少なくとも数物系で超大規模な実験設備を要しない分野)では業績は主に「査読付き国際誌に第一著者として掲載されること(一部分野では査読付き国内誌・査読付き国際学会もそれに準ずる扱い)」で数えます。分野にもよりますが、これが2-3本あることが博士を取る条件で、まともな研究者なら年に1-2本は継続して査読付き論文を国際誌に出しているはずです。この際、単著であるかどうかは重要でなく、第一著者であることだけが重視されます(実際、第一著者以外の人は指導教官とかチームのメンバーとかで、ほとんど謝辞に近いです)。

あいずれにしても学術的な業績は皆無に等しいといえるでしょう。というか、業績欄に査読付き論文がまったく載っていない研究グループのページなんて前代未聞もいいところで、この研究グループ自体が有り体に言えば「DQN飼い殺し用隔離病棟であるいい証拠です。こんなのが「原子力村に干された悲劇ヒーロー」として扱われてるんだから噴飯ものもいいところですよ。

2011-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20110217213719

ひとつ気になったのがあって

そして実はある程度フリーランス職業で働いた方がリスク自分コントロールできる分、将来性があるのではないかと思っているのです

他の方も言っているけどこの考え方だと

博士卒-アカデミックには行ってはいけないと思う。

博士まで行ってフリーランスで働いてリスクコントロールは、日本では出来ないでしょう。

海外へ骨をうずめることをいとわないならば話は別だと思います。僕も海外経験はないのでわかりませんが。

職業として食べながらを考えると、博士後期まで行くのはよっぽどアテがない限り保証はされないかと思います。

働く先が全く無いとは思わないけどね。けれど、それは研究に関係ない分野に行くこと大いにある話。

僕も結構上の大学で文理問わず博士行く人は話に聞くけど

やっぱり皆就職は苦労してます

むしろ話をしていて思ったのは皆就職の苦労<研究せねばならない っていう意識がある人が殆ど。

まともに働いて生涯賃金を得たいと、リスクを減らしたいと思う人は、普通に就職を選ぶようです

ただし、文系でも修士まで行って就職する人は多いですし研究に触れるならば一度行ってみては。

もうひとつ決定的に大事なのは指導教官です

わかってると思うけど、アカデミックで生きるならば人脈が全てと言ってもいい。

キチンと貴方を客観的に評価して現状の厳しさを偽りなく教えてくれる教官でないと後々困ると思います。

それは元増田しかからないので、直接就職を含めて話を聞いてみては。

そういう話をできない指導者のしたにいるのは怖いかなー、と個人的に思います。

2010-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20101231100609

横だけど。

俺の指導教官は60だったけど頭のキレ半端なかったなあ。

ノーベル章候補になったことがあるような人。

あの人の30代はさらにぶっ飛んでたのかもしれないけど、30代が一番ってのは見聞狭いと思うわ。

2010-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20101009105612

だから、アメリカ大学は無条件で日本大学より優れているという思いこみはやめろよ。

中国では優秀な人間からの需要(単純に考えて日本十倍いる)に対して優秀な指導教官供給が追いつかないし、先進国に生活の基盤を置くことで生活レベルやその他(政治的自由を含む)の上昇が見込まれるから必然的に外に出ようという意欲が促進される。

対して、日本では既に高いレベル指導教官が有り余るほどいるわけだから、何が何でも外に出ようという必要がない。ある程度自分専門性が固まってきた段階(普通修士を出て以降)で、その分野の権威外国にいるならばその先生の門を叩いてみようかなどとなって、はじめて外に出ようという動機が芽生えるのが普通

結果として、米国への留学生の数を比べれば中国の方が日本より圧倒的になるのは当たり前の話であって、それがどうしたとしか言いようがない。

2010-10-08

ずるい女

…なんて、一昔前の歌謡曲みたいなタイトルで書いてみる。

私の周りには、ずるい女が多い。

友人たちを「ずるい」と形容するなんて、私の方が性悪女かもしれないけど。

私の所属する学科の私と同学年の女子生徒は、約八分の一が精神健康に異常をきたし、留年・休学をしている。

別にスパルタ指導教官がいるわけではない。校風も、この街自体も、とてもゆったりした時間が流れていて、どちらかと言えば学生生活を送りやすい街だ。

生徒間の仲も悪くないと思う。

けれど、精神に異常をきたす割合が高い。

理由はそれぞれだ。私にはわからないこともたくさんある。

だから、こんな感情をもってしまう私が全て悪いのだと思うけれど。

友人たちをずるく思う。

調子の良い時も悪い時も、周りを振り回して。

誰かに心配してもらって。誰かに構ってもらって。

自覚があるのかないのかは知らない。

彼女たちの周りには、いつも誰か傍に居る。

そして私も、その一人。

彼女たちを見放すことが出来ず、

こうしてずるずると構い続けてしまう。

多分、ずるく思うのは、私にもちょっとだけそういう性質があるからなのかもしれない。

でも、自分は周りを振り回せるほど理性が崩壊していないし、何より周りが構ってくれるほど魅力的な人間じゃない。

そんなことしたら、すぐに見放されてしまう。

彼女たちを心配する気持ちと、憎み、羨む気持ち。

これからも、この相反する気持ちを抱えて彼女たちと友人関係を続けていくのだと思う。

2010-07-18

修士課程はつらいもんです

http://anond.hatelabo.jp/20100717014653

苦労しているのは本当だろうし、それに「頑張れ」なんて無意味な励ましはしたくないから言わないけど、一つだけ言っておくと「修士課程は辛いのがデフォルト」だということ。逆に言えば、それを乗り越えることに価値があるので、辞めることはお勧めできない。多かれ少なかれ、大抵の人は辛さを感じているものだし、逆に辛いと思わない人は運がよいか何か重要なものをやりすごしてしまっているかのどちらかだよ。いずれにせよここで辛い目に遭っておくと今後の人生の糧になるので、そう思ってなんとか凌いで欲しい。

以下は散発的なアドバイス。これで問題が片付くというよりも、ひょっとしたらなんかのヒントになるかもしれない程度に読んでほしい。

ボスの言われるままに進学したが、僕のレベルは周りよりはるかに下だった。

周囲が優秀に見えるのがデフォルトです。見えない人は本当にすごく優秀か、余程の楽天家か、でなきゃアホです。どっちにしても、一つ言えることは普通修士学生は、他人の能力を評価できるほどの経験を積んでいないので自分レベルが下だとか上だとか評価できる域に達してません。他人が自分より上に見えるとしたら、「自分のできないことをできる他人がいる」ということを自覚しているからこそで、そしてそれは当たり前のことです。そうやってお互いを見習いあって一通りの能力を身につけていこうとすることこそが大切なんです。

まず英語ができない。まわり頭いい。英語論文の訳なんてできるわけがない。

英語は「訳」してはダメです。というか、訳なんてしてたら読めるわけないよ。だって同じ分量の文章を書く労力がいるわけだし、読むときに一切のごまかしがきかないでしょ。むしろ、重要なところにだけ食らいつき、どうでもいいところは読み飛ばすという斜め読み能力重要。そういうわけで「訳」は百害あって一利なしと思うべき。

さて、リクナビでも見るか。

就活は騙されたと思ってOB指導教官を利用すべき。あなたの専門が何かしらないけど、それらの人はあなたの専門が生きる就職先を知っている確率が一番高い人ではあるよ。

2010-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20100717120851

大学院の相性と指導教官との相性は別に考えた方がいいんでない。

勉強仕事は違うけど、繋がりはあって、勉強仕事に生かされることもあるし、仕事勉強になることもある。

このところの修士は「誰でも取れる」状況だから、企業からは学士と同じとしかみなされない(博士はさすがに違う)。

修士を取らないと理系場合就職厳しい。

博士日本企業ビジネスに使えない限り雇わない。

もし、大学院に既に進学してしまっているとしたら、僕からのアドバイスは「逃げ切れ」というあたりになる。修士なら逃げきれるから。

そりゃさ、あんたが元増田就職先を紹介できんならそうだろ。

そうでなきゃ、無責任極まりない発言。

2010-06-30

日本人英語をできるようになる日は永遠に来ない

今日今日とてはてなのトップを開いたら

http://d.hatena.ne.jp/ktdisk/20100629/1277761901

こんな記事が上がっていた。

また英語に関する記事である。

今回の記事は

私は社会人になってからずっと外資系企業なので、彼らが言わんとしていることがわからんでもないが、英語ができるだけで生き残れるほど残念ながら甘い世界ではない。

(中略)

外人にうまくとりいって採用されても、メッキがはがれたら、あっという間に見切られてしまう。成果がでなければいつ職を失ってもおかしくない世界で、英語だけできれば仕事はできなくても大丈夫などありえないのだ。

日本人英語が使えないければ駄目であるという論調である。

かしこれは断言するが永遠にありえない。

そもそも内田先生日記引用しておきながらあの先生の言わんとしていることを理解していないのが駄目すぎる。

あの日記

http://blog.tatsuru.com/2010/06/24_1311.php

引用すべき一番の点は

日本人教師たちのほとんどは最後のグループに属するので、教師が授業で何かを訥々と話しても、ネイティブが滑らかな英語でそれを遮り「あなたは間違っている」というと、クラスは一斉にネイティブに理ありとする雰囲気になってしまうのだそうである。

であり、これは先日益田ブクマを稼いだ

http://anond.hatelabo.jp/2010062014325

これと一緒である。

ひとつめ。在学中に指導教官英語ネイティブ)と共著で論文を書くことになった。俺が最初ドラフトを書き、指導教官がそれをチェックするという形で、共著と言っても実質俺の論文みたいなものだ。しかし、ドラフトを書き上げ、指導教官に送って、それが戻って来たのを見て愕然とした。ほぼ全文、誇張じゃなくほぼ全文に渡って英語表現が訂正されているのだ。論文の主張や論の構成はそのまま、しかし英語表現は徹底的に変えられているのである。そして、元々俺が書いたドラフトと、指導教官による修正版を並べて見れば、その差は歴然としていた。俺のドラフト英語表現は拙く、いかにもネイティブじゃない人間が書いたのがはっきりと分かるようなものだった。

ふたつめ。TA(ティーチングアシスタント)としての仕事の一貫として、学部生相手の授業を何コマか受け持つようになった。授業自体は問題なく進んでいた。しかし、学期末の学生による授業評価がかなりきつかった。学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。「頑張ってるのは分かるけど、英語があれでは尊敬できない」とも書かれた。

そう、いくつかの論調でいわれる"英語ができる"というのは英語により意思疎通ができるのでなくSinglishやEngrishでなく英米文化における発音および、慣用的に正しい英語表現のことなのだ。

そして英語ができるができる人が高い格付けを得るというのは

"母語話者に非母語話者が話す論理的に正しく十分に意味のある内容ではあるが慣用的に正しくない表現が用いられている文章に「慣用的に正しくない」文章があるだけで話を止めそれを批判する権利を与える"ということである。

もちろん永遠にできないとかいてはいるがその文化圏教育を受ければある程度は習得できるだろう。

だが平均的な日本英語教育を受ける場合その日は永遠に来ないと思われる。

いくつかのブログなどでは触れられているが

日本外国語習得(主として英語)に関する論議として

「非母語話者間の意思疎通の問題」と「対母語話者に対する最低限の意思疎通のレベルを超えた問題」が存在

その両者が違うものであると多くの人に認識されることなく話題になっている。

そして残念ながら

そして、「通じる英語」と、「上手に伝える英語」の間には、ものすごく深くて広い河がある。そこそこ英語のできる日本人、TOEIC900+ぐらいでちょっとした留学経験のある人には、往々にしてこの認識が欠けている。

という危惧は少なくとも上の人は記事中には公用語共通語の問題のみ書かれていることを見るに意識されてないようである。

繰り返しになるが俺は何度でもいう日本人英語ができるようになる日は永遠に来ない。

2010-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20100626161007

指導教官で選ぶのはリスクがあるのでは? 移っちゃうかもしれないからね。

日本国立大学間同士だと研究指導委託という制度があるので

先生についていくけど、元の大学学位を取るということが可能

http://anond.hatelabo.jp/20100626165933

指導教官で選ぶってのは教官単体でなくそ大学が拠点になっているかどうかって意味も含まれてると思うぞ。

そうでなくても外部への院進学を考えるなら受ける前にあらかじめアポを取るものだし自分はそういう経験はないが

そうかもしれない。おれも経験がないのでわからない。

まあ、「弟子入りする」的なニュアンスでもとの文を読んだのがダメだったのかもしれない。

そういうことであれば、地方大の大学院行くのも、アメリカ大学院行くのも、等価だろうと思う。分野によるが。

アメリカ大学のほうがよい」という傾向は、化学とか生物とかの分野が強くなっている(というか儲かる)ということに影響されてのことだと思う。たぶんおれもそれに影響されている。

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