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2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。

村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。

といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」

実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。

彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。

この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。

驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。

「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事

村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。

2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である

車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。

村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。

こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。

こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。

世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

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2011-12-10

天空の城ラピュタエンディングテーマ君をのせて」の歌詞意味がわ

天空の城ラピュタエンディングテーマ君をのせて」の歌詞意味がわからない という声は、「君をのせて 意味」でぐぐっても見かけますね。

まぁ、歌の歌詞意味解釈すれば全部意味が分かるというものとは限らないのは前提でしょう。

はいっても、作詞宮崎駿その他関係者の発言を自分は手元に収集してるわけでもないので、調べたら参考資料はあるのかもしれません。

で、ぐぐって見つけたあるページ。

君をのせて授業概要

えーっと、小学生合唱意味をそれぞれにまかせて歌がまとまるんですかね、とか、映画は見てない子どもも多かったようで映画に引っ張られすぎてないなぁとか、それを置いてもこの解釈どうよとか気になる所がいっぱいありますが…。

起・承・転・結のそれぞれがmp・mf・f・mpになっていたのである

あたりは、楽譜も一つの歌詞解釈の資料になりうるなぁとか思いましたけど(常に正しいと主張するつもりはありません)。同様の背景資料で「よく知られている物」の中には、井上あずみがどのように歌ったか、というのはあるかも知れないなぁなどと思ったりするわけですが。

まぁ、それでも敢えて真面目に授業の解釈に突っ込むと

『話者はだれですか。』

 ぼく・ぼくらが出た。「ぼく」と書いてあるから、「ぼくら」と書いてあるからが理由であつだ。話し合ったが決着がつかなかったので次に進んだ。

については、後で映画解釈等で絞られて「ぼく」になっているが、歌詞だけ普通に見れば「ぼくら」は「ぼく+君」と解釈するのが自然だろうから、直前に「君」も出ているし、まぁ話者は「ぼく」でいいんじゃないですかね。地球のどこかにいる<君>を探す旅に出る歌とは言っていいのかしらん。

追記)

映画ラピュタもそもそも構想から完成まででストーリーに変更もあろうからあれなんだけど、少なくとも「公開版の映画ストーリーそのままを歌った」歌ではないものの、公開時点で作詞宮崎駿映画の内容とシンクロして聞くことは当然想定していたと思われるわけで(歌の解釈の唯一の意味というわけじゃなくて)、そのシンクロ解釈では「ぼく」はパズーでいいだろうし、「君」が微妙だけどシータラピュタとどっちもありなんじゃないかな(シータだと固定すると「パズーシータ存在を知ってから近くにいない状態で追跡している時間映画の中ではそう長くない」となって、ラピュタだと固定すると「灯がラピュタかー。空に浮いてるラピュタを乗せて地球が回るのかぁ」とかなる、日本語的には後者の方が矛盾が少ない気はするけどまぁあくまでそれはそれ)。歌の冒険映画の中身を指すのかその前後も指すのかはまぁ自由に、かな。

追記の追記)

映画を前提にした解釈としては映画の前と考えればシータラピュタも不可分な何かとかも言えますね。あと、最初の二行は地平線が輝くのは朝日とも見える、次の二行は灯は普通夜、という対比は何か意図してるやもしれないかなぁとか。

2011-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20111204125933

受付は、5000円ぐらいの謝礼が発生するならビジネスライクに引き受けられるし、親しくなくてもそんなに負担じゃないよ

今年行った4つの結婚披露宴のうち、オフィシャル二次会があったのは1つだけ(残り3つのうち2つは居酒屋で非公式二次会、1つは二次会なしで早々に解散)

披露宴の余興も、2つは姪たちの合唱とか新郎姉の楽器演奏とかあったけど、あとの2つはスライドショー上映だけだった

そんなにフル装備の式を基準にして考えることはないと思う

2011-11-15

ボーカロイド曲で「人間歌手での実現は難しかった」方向の曲?

自分が思いつける曲は2つ。

BPM は、BPM Analyzer(http://www.mixmeister.com/bpmanalyzer/bpmanalyzer.asp)で測ってみた。

Pane dhiria

ボーカロイドの声質があまり前に出てこない、不思議な曲。

音程上がり下がりの激しさが、ボーカロイドの音の特徴を隠している?)

youtubeミラー):http://www.youtube.com/watch?v=MeWXZw07oR8

niconico:http://www.nicovideo.jp/watch/nm9437578

初音ミクの消失

ボーカロイドファンのボーカロイドファンによるボーカロイドファンのための曲の嚆矢

youtubeミラー):http://www.youtube.com/watch?v=DouheoH8GTs

niconico:http://www.nicovideo.jp/watch/sm2937784

まとめてみて気付いた

歌える音域、

発声法、

息しなくていい、

ボーカロイドについてのメタ視点自分はこれはあんまりきじゃない)、

が、ポイントなのかな。ほかにももっともっとありそう。

 

(追加)機械ならではの耐久力や繰り返しやノーミスや複製

(追加)サイバーサンダーサイダー

ボーカロイドの声質の特徴、荒いスタッカート発声が高速で連続

(なめらかなスラーをさせることが難しい(これを巧くやるのが”調教”の第一歩?)ことを逆手にとったかんじ)

閃光のようなイメージイントロからそういう曲調を予感させて、最後まで統一感。

youtubeミラー):http://www.youtube.com/watch?v=IErCBi311tU

niconico:http://www.nicovideo.jp/watch/sm15440067

2011-10-25

TPPの件

その是非はさておくとして、一番気になるのが、これほどまでに頑迷に批准に固執する野田政権の動機がよく分からない点。

ただでさえ政権支持率政党支持率ジリ貧傾向で、今は少しでも国内の色んな勢力に良い顔をしとかなきゃならないのに、ろくに調整も根回しもしないままいきなりぶち上げて、逆に喧嘩売ってんじゃねえかと。

それを補って余りあるリターンが彼らにはあるの?

それとも、批准しない事で将来被るダメージに比べたら今の反対の大合唱って屁みたいなもんなの?

2011-10-11

天気

本日風景

マスカラ塗りながら「死ねばいいのに」の大合唱 in 法学部女子トイレ1F

人より言葉パンクチュエーションを無駄に(というのもそこには大した美学整合性もないから)気にするたちであるとは自覚している。

「死」という言葉の重さ云々と今更ここで滔々と述べても誰の為にもならないと思うのでそこは省略するが,     です

死ねばいい」という言葉彼女達にとってきっとジャングルジムてっぺんの様な誇らしいものなのであろう。

最初は「嫌い」「気持ち悪い」という言葉だったのがどんどん高いところへ憧れていき

死ねばいい」と飛び降りる瞬間その言葉の持つ危うさ,スリルを楽しんでいるのだろうか。

死ぬという言葉を否定しているわけではない。例えば「 」に描かれる死はまさに的確に人の死への恐怖や好奇心を描写していると思うし,その他私たちにとって乗り越えられない(そして乗り越えられないことが好ましいであろう)死について興味深い考察を残した作品は沢山ある

ただ,彼女らの「死ねばいい」は玩具を弄ぶようで悲しいな,と

地面から言ってやろう, マスカラ黒海に溺れて「死ねばいい」

2011-10-06

今日はじめて日常ってアニメエンディングが某合唱曲のアレンジと知ったんだけど、

あいつらどこまで幼児退行すれば気がすむのかな。

2011-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20090107103058

・俺が体験した葬式。年配の人は坊主と一緒に般若心経合唱してた。子供を抱えたおばあさんが紙を見せながら子供にもお経を教えてた。創価の「ナンミョー」ではなく般若心経でもドン引きしたのか?

・そのお婆さんはグズる子供をせかしてお焼香までさせてた。

四十九日まで毎週、親戚だけど葬式付き合いしかしない家へいって法事に参加して坊主のお経と説法を聴かなきゃいけない。

兄弟結婚式に参加したら、地元政治家から祝電届いた。親父がいつも批判している政治家なのにまんざらでもない様子。

選挙電話ウザすぎ、とかなら同情するけど、式典の仕方が違う、ではなぁ

新興宗教に限らず、宗派地域によっていろいろ異なるんだから、「へー、こういう葬式のやり方するんだ」って面白がるくらいが丁度いい。

2011-08-03

Brief report on the Sound Horizon Gathering!

Sound Horizon Gathering(サンホラファンの集い)がシンガポール7月16日に行われました。そのレポート海外サンホラファンのポータルサイトにあがってましたので、翻訳します。(意訳等含む本当に適当な訳なので、その点ご注意ください。)

http://sh-whitecrow.com/2011/08/brief-report-on-the-sound-horizon-gathering/

写真含むので、そちらを先に見てからがいいかもしれません。とても楽しそうです

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Brief report on the Sound Horizon Gathering!

シンガポールでの初めてのファンの集いがヨー・チュー・カン・コミュニティセンターで行われましたが、イベントは大成功だったようです!以下に短いレポートを紹介します。

全部で8つのMarchenのキャラクターを主題としたミニゲームクリアし、8つのローマ字を集めることが目標ゲームです。そして、参加者は集めたローマ字を組み替えて解読し、メインブースで賞品と交換します。最終的に8つの文字はgu-ro-ri-a-sa-n-ho-raGloria Sanhora)となり、賞品はファンアートバッジでした。

ゲームクリアした人たちは、続いて歌に挑戦ですスターダストコスの人が即興パフォーマンスをしたり、エリザベスコスの人が雪白の女王様のまねをしたりと、楽しかったです

最後に、Marchenキャラクターコスプレイヤーたちによる、ものまねをしての聖戦イベリア合唱などもありました。

  • らくがきウォール

らくがき用のゾーンが用意されていて、Tettere oujiのいたずら書きがたくさんありました。

それと、写真を見てもわかるように、たくさんの参加者たちがサンホラキャラコスプレをしてました!

Sound Horizonへ送るためのプレゼントが集められました。

英語版の歌詞(the 100 Laurant Chorusのために、Elica de Laurantがつくった歌詞を使用しました)でみんなで歌い、ファンの集いを終えました。

見てわかるとおり、とても楽しかったようです!きっと世界中の皆さんも、ローランのみんなと同じ時間を分かち合えば楽しいですよね!

イベント主催者のKanaunaraさんに感謝します!参加者の皆さんの協力で集められた、Sound Horizonへ送るプレゼントはもうすぐ日本へ送付されますので、それと同じように、ファンの集いとしては世界で初めてイベントの様子が、日本にまで伝わるように広めたいです

Gloria Sound Horizon !

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以上です。拙い訳ですいません。

2011-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20110727000046

増田は本当の合唱の恐ろしさを知らない。

一度、NHKで中継してる合唱コンクール見てみ?

クラス合唱なんてお遊び。あれとは別物。

http://anond.hatelabo.jp/20110726233052

軽音部がある学校はあまり多くないと思うし、

合唱部活というよりクラスでやるものという印象が強いかなあ

まあ学校によりけりというつまらない結論を排除した上での話ではあるけど

2011-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20110726231404

それならそれで軽音部を無視してるし、

合唱だって身体を楽器にしているので特に合唱部を除く理由はないのですが。

むしろ言うなれば楽器への投資が少ないだけ合唱部が強い学校吹奏楽部よりコスパがいいでしょうね。

はいえ、楽器演奏できるというのはそれ自体が魅力的ですから、他も負けず劣らずなのですけれど。

2011-07-01

今日職場の慰労会だったんだが、上司ふくむ同僚全員が某与党駄目だ駄目だの大合唱

ちょっとまて。会社組合的にそんなこといっていいの?と思ったが面白いので何も言わず聞き役に。

でも民○党がダメダメってそんなこと最初からわかってたことじゃね?

しかし、うちの職場政治的なことを話す雰囲気はまったくなかったのに・・・飲み会の席とは言えこんなことが平然と語られるようになったのねえ・・・

それだけひどいってことか

2011-06-29

霧雨の中、校庭ではしゃぐ2つのグループがあった。

1つはタイヤの上に座っておしゃべりして、

もう1つはサッカーをしているグループ

おしゃべりしているグループは大勢いて、

サッカーをしているグループは2人しかいない。

だけど好きな子がいる。黒髪ショートの小さな子。

背は小さいけど誰よりも元気な子。

僕はそのどちらでもないグループ

真ん中にぽつんと立ってどっちに行こうか迷っていた。

おしゃべりしているグループの一人が歌い出した。

歌詞が間違っていたので、みんなが間違っている部分を歌ってみせる。

そのうち大合唱し始める。

きな子友達ボールを蹴り合っていた。

彼女から誘ったのだろう。

2人でボールを蹴りあいながら、校庭を目一杯使って、いきおいよくボールと跳ね回っていた。

ふと迷っているうちにボールが近くにとんできた。

ボールは高くバウンドしていて、いきなりだったので僕の頭上高く通り越してしまった。

きな子ボールを取りに行く。

僕は思う

ここで踏み出さなきゃダメなんだ、と。

小学校6年間と中学校3年間、ずっと思いを伝えられなくて、

あの子から声をかけられてもまともにしゃべれなかった。

高校生の頃、歩道橋であの子から声をかけられた時があったが、

その時の僕は判断する能力が鈍っていて、

なぜか誰かが横で歌っているんだろう、

変な子だな、とぼんやりとした頭で思いながら、

ふと信号が青になって横を見ると、うつむいたあの子の顔があった。

僕は動けなかった。体が動かなかった。

そのうち彼女が視界から見えなくなると、僕は自転車に乗って、

停めてあった車にぶつかって転んだ。

喪失から、ただただ、僕はもうダメだと思った。

あの子があんな顔をしている。それも自分のせいで。

そんな体験をしてもなお、また会える日をぼんやりと待ちながら、

また会ったらあの日の事を謝ろうとそれだけを思っていた。

彼女は忘れてるに違いないのに。

僕は思う

今ならまだ取り返せるんじゃないだろうか、と。

大人になった今ならーーー

と、その時、あの子が飽きたのか、ボールキャッチして別のグループに行こうとした。

瞬間、僕はまた臆病になって、声をかけようとしていた体勢を崩した。

そしてふと横を見ると、ボールを蹴った子が消えていた。いや、消えている最中だった。

霞のようにだんだんと見えなくなり、まるでこの世界には始めからいなかったかのように、消えた。

慌ててもう一度好きな子の方を見ると、

その子も、また、おしゃべりしていたあのグループも一緒に消えていった。

降っていた霧雨にさらわれたかのように、みんなみんな、消えてしまった。

しんしんと振る雨の中、僕は思う

最初から僕はどちらのグループにも属していなかったのだ、と。

僕は始めから傍観者であり、自分を大人だと自覚した時に、はっきりと、

もうあの輪の中にはもう加われなくなったのだ、と。

僕は今精一杯生きることができているだろうか。

あの子供達は今どうしているだろうか。

一人はここにいて、木偶のように突っ立っている。

あの日から動けないまま、ずっと、この校庭で。

2011-06-06

マスコミの「自民党が非協力的なのが悪い」の大合唱に騙される人たち

現在民主与党側でありつつ参院に過半数を持たないというねじれを初体験し、「上手く行かないのは自民が協力しないから」という恨み節をメディアに代弁させていて、メディア主語を書かないから【民主の窮乏】があたかも【有権者国民の窮乏】であるかのように誤解させられている。

ここがミソ。日本語は適度に省略しても大意が通じる言語だが、字数に制限がある新聞では、「(誰が)言った、行った」「(誰にとって)不利益である」の、【誰】をしばしば省略する。代わりに「苛立つ」「力なく」といった情感刺激の修飾詞を挿入する。

これによって多くの読み手は、【民主に起きている不利益が、自分自身に起こるのだ】と錯覚させられてしまう。この手法は本来小説ドラマで使われる技法で、読者を主人公視点に、視聴者カメラ視点に置くことで物語世界の相対的利益自分にとっての絶対的利益と誤解させられてしまう。

怪談主語を省略した文章を重ねていくと、読者は他の誰かが体験している出来事を、自分自身が体験しているように錯覚してしまい、没入感が刺激される。昨今の「主語目的語」を欠いた新聞記事の記者の大意は事実に基づいていても、読者は受益者を誤解するのと構造は同じ。よくできてると思う。

「それは誰が言っていて」「誰がそれによって得/損をして」「誰が窮地に立つことが、誰の利益になって」「自分はその利益余録を得る立場か、負担する立場にいるのか」を読み取るのが恐らく本来的な意味でのリテラシーはないかと思うが、提供情報に「誰が、誰に」がないだけでそれは困難になる

http://goo.gl/bW4hA

2011-06-01

あなた と 僕

あなたは、いつもそれが社会かのように僕へ圧力を掛けるよね。

つい昨日もそうだ。

僕がそばをすすって食べていたら「汚いからやめて」って。わびもサビもないじゃないか風流だよ風流

そういえばあなたひぐらし合唱にも苛立ちを隠さなかったよね。僕がクスッと笑うと鬱陶しそうに窓へ目をやったっけ。

その日のバーベキューはおいしかったよね。あなたはすっかり機嫌がおさまって。珍しく君から誘ってきたね。もたれてたんだけどな。



次の日は雨だった。せっかくの予定もキャンセルで、コテージでムスッとしてたあなた子供みたいで、つい頭撫でてしまった。

そんな僕らにも家族が増えて、色が鮮やかになった。よく暴れたよね。僕らも不慣れだった。週に一度はオムツのそれに足を突っ込んで手間が増えたっけ。



あなたはよく「つまんない」だなんてぼやいてた。天井と壁の境かそこらを見て。たしかに生活は平和で退屈だったけど。


家が静かになって、僕らも少し落ち着いたね。空気に飲まれた、のかもしれないけど。うまくやれるさ、大丈夫




白い部屋に来るたび、あなたは悲しい顔をする。愛を告白してくれる。僕も言葉をさしだす。つながった気がする。

僕らに、悔いはあっただろうか。やりたいことはぜんぶやったか。やるべきことに余しはないか



僕は、ひとつだけ。



あなた

2011-05-23

勇気を持ってとかデモとかの前に

福島の話。あちこちで逃げろ逃げろの大合唱で、デモなんかも散発している訳ですが。

正直その前にやる事があるだろうと思ってならない。

子供を持ったお母さんは親族なんかほっぽらかして、福島県外に逃げろということが

勇気を持って」って事なんだろうけど、足を停めているのは親族とは限らない。

いや、親族はこれから話す事に関しての大きなファクターでもありますが。

まず、逃げるにしても引っ越し代なんかの諸費用は嫌が応無しにかかる。

東電政府自治体に請求するでも、数ヶ月先になる。

このお金をどこからひねり出すのか。

正直デモやってる暇があったら、それ用の基金でもおっ立てて募金を募った方が

かにましなのではないだろうか。

自分で逃げていたら、自主避難という事で費用原発から遠隔地になるとよっぽどでないと

出てこない訳で。

すると親族の金を使わずに避難する事ってのは非常に厳しいのだが。

で、逃げた先で何をするのかというと、引きこもって、子供の面倒だけ見て食って寝てればいいとは自分は思わない。

だけど保育園とか預けて今までかかった諸費用とか旦那が働けない分稼ぐとかは大変。

まず保育園自体が待機児童てんこもり状態で、そこにねじ入れたとしても親族無しの

友人無しの保育園学童保育は相当に無理がある。

熱出したら誰が迎えに行くのか。世間の働く父母の一番のボトルネックはここら辺だと

思っているのだけども、同じ事は被災者だろうとなんだろうと降り掛かると思っているのですが。

そうすると親族こみで逃げてこられるような、働けるような体制を作らない限りは

彼らの役目を誰かがしないとならんのですが。

勇気を持ってなんちゃらかんちゃらと言っている人が正直そんな体制を作っているようには

見えない所が、責任を取らなさそうな所が、この勇気を持ってなんちゃらかんちゃらに

感じる自分としての不快感

やってるよ、って人もいるんだろうけど、君らのやってる事は正直押し流されていて

まったく福島に今居る人に届いてないのな。

それをデモとかで訴えても、東京とか京都とかでデモやってれば伝わるわけないじゃんよと。

安心して一緒に暮らせるように地場を整えるのがずっと先じゃねえかと

ヒステリックデモツイッター報道を見るたびに思う事。

彼らはどっか行くんじゃなくて、自分たちの所に来るんだから

2011-04-25

母乳採取の市民団体ディスるはてなー」は的外れ

市民団体授乳中の母親に対し母乳提供を求め、放射能検査したところ

微量のヨウ素が検出された。

首都圏水道水に放射性ヨウ素が検出された時期に採取した母乳のようである

で、この値について「高いとも低いともなんとも言えない」と団体は回答した

これについて「科学リテラシーが高いはてなー」が批判の大合唱を行っていた。

★そもそも団体が信用できない。中核派

★サンプル数が少ないし、計測方法が科学的かどうか疑義がある

★値について判断できない団体が、検査だけ行うのは無責任

 無用の混乱を与えるだけだ。

★1ヶ月前の結果を今頃公表するのは何事だ。意図的に発表遅らせたのか?

 今ならもっと数値も下がるはずで、社会不安を煽るだけだ。

水道水に若干の放射性ヨウ素が含まれているなら、多少は母乳に出現し、

 かつそれは期間を経ると減少していくのはわかりきっている。

 判りきっていることを検査する意味はない。

しかし、自分は、この市民団体の行動は、多少拙速な面は否めないものの、

検査を行い公表したこと自体は高く評価されるべき、と思料する。

というのは、この種の調査は、本来であれば厚生労働省が率先して行うものだし、

でなければ朝日新聞NHKが大規模な調査報道で行うものと考えるからだ。

しかし、これら公的機関や大マスコミは、失念していたのか手が回らないのか、

こういう調査を手掛けることを怠っていたのが実情。

であれば、

ママ不安に答えるために、こういう調査をすべきでは?」と問題提起を投げかけたということ自体を

高く評価すべきではないか

実際、日経新聞報道によれば、この市民団体の公表の1~2日後に

厚生労働省母乳調査を開始すると発表している。

そういう意味では、厚生労働省から行動を引き出した、という意味で、高く評価すべきである

団体が信用できない、サンプル数が少ないと言うが、であれば「信頼できる団体」に検査してもらえばいい。

厚生労働省が行わないなら朝日新聞が行うべき。

というか、今時点でこの動きを一切報じない朝日新聞はどうかしている。

「値について判断できないのに検査するのは無責任」という批判も的外れ

批判されるべきは「暫定基準を作成しなかった厚生労働省の側」のはずだ。

「1ヶ月前の結果を今頃公表するのは何事だ。意図的に発表遅らせたのか?」との批判もあるが、

これは悪意に解釈しすぎていないか

善意解釈すれば「検査機関が超込み合っていて、市井の団体の検査は後回しにされた」と解釈するのが自然だが・・

水道水にヨウ素が出たのだから、多少は母乳に含有されているのは当たり前で、

 かつ健康に問題ないレベルなのも予想されているのだから、そういう検査自体が無意味」という批判も当っていない。

かに科学的知見では「多少は検出されるだろうが、健康に影響ないレベルであろうと予想」されるが、

「実際に検出され、かつそれは健康にさほど問題ないレベルだった、という事実が確認された」

ということでは意味合いが全然違う。

母乳過程で濃縮されない」という「科学的予想」が「(人体実験的に)立証された」というだけでも、

科学的に意味ある事実じゃないのか?

もっとも、あえて厚生労働省を「擁護」するならば、こういう母乳検査で異常値が発生した際に

あなた母乳から異常値が検出された」と「残酷事実を本人に告知する」ことができるのか?、という重い課題がある。

加えて、母乳採取というのは、ある意味でセクシュアルな話なので、男性職員だと対応できない等の問題も生じる。

その面で「必要性はわかっていてもなかなか踏み切れなかった」という可能性はあるので、

その点は同情すべきかもしれないが・・・

2011-04-09

何故日本人原発では『最悪』を考えられるのに銃規制では考えられないのか

>「絶対安全だから事故が起こった時にどうするか考えておく必要はない」とかいうアホみたいなことだけはもう言わないようにしたいです。

という一文がはてサな人々の共感を得ているようです

自分危機管理の為に『最悪』を想定し、備えることには大賛成なんですが、日本人がそれを大合唱する風景はとても奇妙に見えます

原発治安に置き換えてみましょう。

すると途端にはてサな人々は『最悪』を想定することを避け始めます

日本人は銃規制派がほとんどであり、規制派というのは『「最悪」を想定し銃を備えることは治安悪化に繋がり危険だ。考えるのも口にするのも許されない』と考える人です

そして『最悪』の想定も碌に考えたこともないくせに、拳銃が必要な事態なんて絶対起きないよとか平気で言っちゃいます。

国や電力会社が『原発は安全です』と言うのと同じように。

いや、『最悪』を考えることすら忌避する分、規制派の方が性質が悪いか。笑

今回の福島原発事故で国や東電に『ちゃんと「最悪」を想定して対応しろよ!』と文句言ってる日本人たちには同じことを銃所持についても言って欲しいものです

「銃が必要な事態なんて起きないんだから、起こった時にどうするか考えておく必要はない」とかいうアホみたいなことだけはもう言わないようにしたいです、からね。笑

http://anond.hatelabo.jp/20110409004159

2011-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20110329085002

日本社会は隠蔽体質になりやすいんだよ。ミスしたらものすごく叩くから

今回の原発だって、詳しいことはまだわかってないのに「東電けしからん」の大合唱じゃん。

津波が来るのは計画段階でわかっていた筈だ!とかさ。マジ結果論

洗い浚い発表した東電社員一人残らず刺し殺されちゃうよ、と思って発表できないんじゃないの?

医療崩壊に先立つ医療不信も同じ風潮の一断面だよね。

2011-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20110327212814

まさしく甘え。

これがもし落ちまくって就職できないニートなら、親くらいにしか迷惑かけてなくても甘えの大合唱フルボッコなのに、

どうして大勢の国民に迷惑かけた東電だと庇う奴が大勢いるんだ?

なんでこう上に甘く下に厳しい国民性なんだか。

両親が放射性物質にやられる前に自粛ムードに殺されてしま

両親がビストロをやっておりまして。両親が放射性物質にやられる前に自粛ムードに殺されてしまいそうです

震災直後、予約は全てキャンセル食材はなんとか確保できるものの、客が全く来ません。

ランチは多少来るものの、夜はさっぱり。売上が8割から9割の減少です。店あけている意味が殆ど無い。

キャンセルした方は単に楽しむ気分じゃないという方もあれば、せっかく予約してあったしこんな時だからこそ美味いもんでも食べて元気だしていこうかと思っていたにもかかわらず周囲の人に「不謹慎だ」の大合唱をされて断念した方も。震災後に予約して同じようにキャンセルするはめになった方も。

本人が食事する気がしないのはそれは仕方ないです。でも人が空元気を振り絞るきっかけにしようとしたことを、「今楽しむなんてクズ」って叩き潰すのやめてよ。

近隣の飲食店にも、厨房をカラにしてでも呼びこみに行く状態になっている知り合いが多いそうな。

このままだと私も両親に仕送りを再開するはめになるので、貯金が底を付くのと残業代を稼ぐ体力がなくなって倒れるのとどっちが早く訪れるかという状況。

そりゃあさ、津波来たところはひどい状況だとは思うよ。その地域のことを思いやるのも良いよ。でもさ、わざわざ被害を拡大させるのってどうなのよ。自粛自粛って叫んでまわれば被害広がるんだよ。勘弁してくれってんだ。

2011-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20110303111608

「もともと一般うけはしないゲーム

だとか言い出すんだけどそろそろ負けをみとめろ

「一般受けはしないゲーム」を言いながら

マニア層の悲憤には「細かい」「心が狭い」「きもい」とか言うのがダブスタすぎるよな。

はてなではアンチアイマス2批判が多いけど

あれってはてなが飲食や福祉の話題でよく大合唱する

「寛容な社会を!」的な気分のベース

よく知らない世界にも乱暴に当て嵌めてしまったとしか思えん。

その背景には勿論

マニアックオタクどもの注文の多い楽しみ」への蔑視と敵意もある。

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