天空の城ラピュタエンディングテーマ「君をのせて」の歌詞の意味がわからない という声は、「君をのせて 意味」でぐぐっても見かけますね。
まぁ、歌の歌詞の意味は解釈すれば全部意味が分かるというものとは限らないのは前提でしょう。
とはいっても、作詞の宮崎駿その他関係者の発言を自分は手元に収集してるわけでもないので、調べたら参考資料はあるのかもしれません。
で、ぐぐって見つけたあるページ。
えーっと、小学生の合唱で意味をそれぞれにまかせて歌がまとまるんですかね、とか、映画は見てない子どもも多かったようで映画に引っ張られすぎてないなぁとか、それを置いてもこの解釈どうよとか気になる所がいっぱいありますが…。
あたりは、楽譜も一つの歌詞解釈の資料になりうるなぁとか思いましたけど(常に正しいと主張するつもりはありません)。同様の背景資料で「よく知られている物」の中には、井上あずみがどのように歌ったか、というのはあるかも知れないなぁなどと思ったりするわけですが。
まぁ、それでも敢えて真面目に授業の解釈に突っ込むと
『話者はだれですか。』
ぼく・ぼくらが出た。「ぼく」と書いてあるから、「ぼくら」と書いてあるからが理由であつだ。話し合ったが決着がつかなかったので次に進んだ。
については、後で映画の解釈等で絞られて「ぼく」になっているが、歌詞だけ普通に見れば「ぼくら」は「ぼく+君」と解釈するのが自然だろうから、直前に「君」も出ているし、まぁ話者は「ぼく」でいいんじゃないですかね。地球のどこかにいる<君>を探す旅に出る歌とは言っていいのかしらん。
追記)
映画ラピュタもそもそも構想から完成まででストーリーに変更もあろうからあれなんだけど、少なくとも「公開版の映画のストーリーそのままを歌った」歌ではないものの、公開時点で作詞の宮崎駿が映画の内容とシンクロして聞くことは当然想定していたと思われるわけで(歌の解釈の唯一の意味というわけじゃなくて)、そのシンクロ解釈では「ぼく」はパズーでいいだろうし、「君」が微妙だけどシータとラピュタとどっちもありなんじゃないかな(シータだと固定すると「パズーがシータの存在を知ってから近くにいない状態で追跡している時間は映画の中ではそう長くない」となって、ラピュタだと固定すると「灯がラピュタかー。空に浮いてるラピュタを乗せて地球が回るのかぁ」とかなる、日本語的には後者の方が矛盾が少ない気はするけどまぁあくまでそれはそれ)。歌の冒険が映画の中身を指すのかその前後も指すのかはまぁ自由に、かな。
追記の追記)
映画を前提にした解釈としては映画の前と考えればシータもラピュタも不可分な何かとかも言えますね。あと、最初の二行は地平線が輝くのは朝日とも見える、次の二行は灯は普通夜、という対比は何か意図してるやもしれないかなぁとか。