はてなキーワード: 出生前診断とは
「生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった」
うちの子も、同じようにミルクも飲めないし、呼吸器が必要な子でした。半年過ぎて成長して変わってきたけど。
で、この記事にあるように出生前診断で判別できないケースが多いんですよね。うちの子も判別できないケースでした。なので、結果論ですが診断はやらなくて良かった。
妊娠している時から、「数百人に一人はダウン症として生まれる可能性があるみたいだけど、どんな子が生まれても大切にしようね」という話を妻と事前にしていたら、うちはもっとレアなのが生まれてきました。
話をしておいて良かったです。
障害児を巡る問題って、同じ「障害児」で全くひとくくりできなくて、それどころか同じようにミルクが飲めなくて呼吸に困難があっても、一人ひとり状況が違います。一見似たような症状でも全然異なったり、(当然周囲は、その区別なんて理解できるわけもなく)両親の働き方や職場の理解の問題だったり。
幸い、我が家はいろいろな幸運が重なってあっけらかんと楽しく生活しているのですが、自分が幸せだったり、何とかなってるから「あなたもどうにかなるよね。頑張ってね」なんて無責任なことは絶対に言ってはいけない。
状況が近い人の言葉は、大いに参考にもなるし、逆にそれゆえに参考にしちゃいけないこともあることが、私も数ヶ月の子育てで分かってきました。
そして、障害児について全く知識がない人からもたくさんの助けもいただけています。いろいろ話を聞いてくれたみなさんありがとうございます。どうせ知識がないから理解してもらえないなんて殻にこもるひつようもないし、理解してもらわなくてはいけないものでもないです。
この方は今は混乱の最中だと思うのですが、一つ一つ気持ちを解きほぐして前向きにすすめることを祈りたいです。世の中は残酷な面もあるけど、とても優しい面もたくさんあるのだから。
<元増田へ:追記あり>重度障がいの子どもを介護してかれこれ十数年経過の私が登場。
大丈夫?しんどいよね。産んでまだ数ヶ月じゃほんときついと思う。
ほんと、出生前診断にすがる人多いけど、あくまでマクロ的に捉えてないと、検査では分からないものの方が多いんだよね。
その辺理解してる人少ないんじゃないかな?自己責任だろとか必ずしも高齢だからとか一概には言えないのよ。
ウチもおもいっきり医療の必要な子だからもちろん外でなんて働けてないよ。
あんなに「無理、育てられない。もう死にたいし、死ぬ」って思ってたのに、今ではかわいいんだから人間って不思議だし厚かましいよね。
でも、それまで偽善的に繋がってた人間関係がすっごくクリーンになって、良い意味で人は一人で生きてけないんだなあ。って思えたかな。
それまで当たり前と思ってた価値観とかが覆るから、いろんな事がみえてきたりもするんだよね。
それと、こういう子がいるとほんといろんな人(保健師とかね)がうちに来るから、いい意味でも悪い意味でも放っとかれない。
社会で起きていることや、これからの国の行く末とか、嫌でも気になるようになるからおのずと人任せでいられなくなるよ。
まあ、他人からみれば「人生終わってる」ってことになるんだろうけども。
「子どもはあなたを選んでうまれてきた」って念仏みたいに言われる機会も多いと思うけど、とりあえず何も言い返さず口角だけ上げておけばいいから。
追記:
ただの通りすがりなのに、あけてみたらコレにもたくさんのブクマが付いててびっくりした。
読み返してみたら改めて口が悪くてごめん。昨日のあなたの最初の追記で最後の一行読んでちょっと安心した。
このままFOしようと思ったけど、元増田の後の部分の追記読んでもう少し。
事情があり現在の義務教育に再び触れる事になり数年ったが、ウン十年前とほとんど変わらないシステムに加え、相変わらずの金太郎飴教育。
変わった事といえば「特別支援クラスありますし、うちはインクルーシブ、やってますよ!!」と鼻息荒い自治体の教育関連のお偉い様。
せめて「特別支援クラスのある小学校」か「基本完全ごちゃまぜインクルーシブが基本の学校」と選択肢もございますが、どちらがよろしいですか?
大空小に感銘を受けて「こんな小学校をたくさん増やしたい!」って文科省のエリートたちに映画観せてた下村さんもオリンピックのせいで辞めたよねぇ。
現場では、落ち着きの無いこどもの親に対して副作用をリサーチもせずやたら薬をすすめてくる教員がいる現実。
それまではダメだったのに18歳からもお薬だしてもらえるようになったのがあるのってなんで?ってそこ掘り下げて一回考えてみたら?親に言う前に。
「あんたのせいで」って、子の一生が狂ってしまってその子にもその親にも一生恨まれるかも。って考えてみたらどうかな。
日本もそっち系お薬の巨大なマーケットなんだよね。親はそれこそ夜も寝ないで必死で調べまくって「お薬のめばこの子はみんなと一緒に置いてもらえるかもしれない」って一縷の希望を抱いてのませたあげく薬合わなかった時の親の気持ちちょっと考えてあげな?
日本は戦後アメリカを見よう見まねで頑張って来たんだろうけど、発達障害の概念ってもともと日本にはなかったし、なんでもかんでも真似すりゃいいんか?
多民族国家での概念と、基本「村社会・村八分」で生きて来た基本単一民族国家日本人じゃ、そもそもベースが違うんじゃね?
こないだDSMの診断基準が見直しになって、アメリカでバカみたいに「はいはいあんたも発達障害!」って診断しまくる医者が増えたから「よっしゃまとめてスペクトラムということにしましょーね」って日本人が大好きな「アスペルガー」も診断名から外れたよね。
ってなったのに、日本人アスペ大好物だからすぐアスペアスペとかって人いじったりいつまでもしてるじゃん。
どーすんのこれ、いつまでも消えないよ?日本そういうの大好きじゃん。いじめのネタばっか提供してんじゃねーよ。
ちょっと落ち着きが無かったり、個性的なこどもを持ったおかーさんたちがどんだけビクビクしてるか知ってる?
発達曲線ほぼ逸脱してなくて集団でもさわがなくておりこうさんな育てやすい子のお母さんに「あなたはラッキーですね!今の日本で堂々と子育てして下さいね!」
って祝福でもされてる気分にしてどうすんだよ?
でも、そういう子たちってイノベーションとかあんまり期待できないんだよね。残念でしたー
指示待ちは得意だろうよ!ずっとそうしてきたからな。厚切りジェイソンに突っ込まれても論破できるやついないじゃねーか。
産まれてまだ数年しか経過してない幼児に「空気をよむ」とか高度すぎる暗黙のスキルを求める日本社会氏ねよ。
そのうち誰かが言い出すよ?「出生前診断で分からないレベルの障害も分かる診断法を発見!」ってねー。コワイコワイ
で、産んだら産んだで保育園はないし、やっと見つけた保育園で「発達障害かもしれませんのでうちでは・・」って言われてみ?
売り手市場なんだよ。なんとでも言えるんだよ。
少子化少子化って言ってんだったら、まず現場の教師に多様性とは何たるかを教えろよ。
↓これ読んだら居てもたってもいられなかったから、便乗して日記を書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
私は数ヵ月前に第一子を産んだ。
私20代、夫30代。
だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった。
医師や保健師からは、こういう状態の子供を産んで働いている母親はいないと言われた。
人工呼吸器をつけていたり、鼻に入れたチューブから栄養を取っている子はどこの保育園でも預かってもらえない。
みんな子供の介護をしながら、手当てをもらって暮らしている。それが当たり前だって。
片働きになれば、今の家には住めなくなるし相当切り詰めた生活をしなければならない。次の子を持つのも難しい。
だったら、死のうかなって思ったよね。子供と一緒に。
そういうの全部なくして、残りの人生、親を親と認識できるかも分からない子の介護をするのかと思うと、絶望が凄い。
あとさ、出生前診断ってよく話題になってるけど、分からない障害の方が圧倒的に多いんだよね。
特に呼吸器とかが必要になるような重い障害って、脳の機能の問題だったり、出産時の事故だったりが多いから
産んでみるまで予想もつかない。
こういう思わぬリスクもあるんだなって、産んでから初めて知った。
せめて、どんな子が生まれても普通に生活を続けていける社会になって欲しいと切に願う。
…ってなことを吐き出したくなったから書いてみた。
―――3月7日21時追記―――
凄い数のブクマついてて驚いた。
いろんな人が興味を持ってくれているようでありがたく思う。
医療ケアのある重度障害児育てていると、困ったことがあってもデモとかで訴える余裕もないし(そもそも物理的にあんまり外出できないし)、
どうしたって自分たちが少数派だからと、伝えることを諦めがちになっていた。
だからこういう形で吐き出した悩みに、多くの人が意見を寄せたり拡散をしてくれたっていうのは、本当にありがたい。
今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップルや夫婦が
いつか重症児の親になってしまった時、もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。
それと、いくつか寄せられた障害児の延命への批判や疑問について。
私のケースだと、出産後に異変がわかって、あれよあれよという間に呼吸器がついて経管栄養がついて、
延命について考える機会もなかった。
「命は助かりました。医療ケアがあれば生きて行けます。あとは親御さんが頑張って育ててください」っていう感じで怒涛の育児が始まったw
延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、発達が望めないような障害の場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。
そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。
(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)
どんな命でも大切に育てるというのはひとつの理想なのかもしれないけど、
現実を見れば、介護の担い手も福祉のリソースもすべて有限だから。
まあ、子を育てていくうちに考え方は変わるのかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20160229202916
―――3月8日0時追記―――
takehiko-i-hayashiさんにコメントして頂いたチャリティーのリンク先を貼っておきます。
すでに寄付してくださった方もいるみたいで、感謝の思いで爆発しそうです。
障害児保育問題@フローレンス http://florence.or.jp/solution/#col_3
重病児家族滞在施設@マクドナルドハウス http://www.dmhcj.or.jp/support/index.html
―――5月26日追記―――
TBS川畑さんへ、ご本人だという想定で返信
マスメディアにそのような情熱を持った方がいらっしゃることを心強く感じます。
話を聞かせて欲しいとの件は、大変ありがたいお話なのですが、今回はお断りさせていただきたく思います。
ひとつの理由としては、子供の医療ケアが頻回で、時間的にも体力的にも余裕がないこと。
もう一つは、この投稿を通して私の状況が多くの人に届いた結果(それ自体ありがたいことなのですが)
副産物として、まとめサイトや匿名掲示板などで、私だけでなく障害児の親全体を叩くような書き込みが多く寄せられ、少し参ってしまったことです。
マイノリティが世の中に理解を求めるならば、このようなことも覚悟して声を上げていくべきだと頭では分かっているのですが
私が一時、電話で相談をしていた重度障害児の親の団体に「社会福祉法人 全国重症心身障害児(者)を守る会」というものがあります。
http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/
こちらに取材を申し込まれたら私と同じような立場の方がいらっしゃると思います。
私がお話しした方は、入所施設の空きがなく産後30年近く子供の介護をされているという話でした。
「子供を捨てやすくするべき」こんなことを書いても無意味なのだ。
ごく最近、出版されたフランスにイスラム系の内閣が誕生するというお話レベルにありえない。
子供が捨てやすくなったら、まず障害児や病気の子供はとことん捨てられるだろう。
育てるのに手間がかかるし疲れるだろう。育てがいがないかもしれない。金もかかる。
出生前診断ができなかったり眼中になく、ダウン症の子供が生まれてしまった親のほとんどがダウン症の子を捨てるだろう。
たとえ、そうならないだろうが社会がダウン症の子供がまだ育てられる社会になっても捨てられるだろう。
親にとって子供というのは自身のステータスになるし、ペットにもなる。
つまりステータスにならない子供 容姿が良くない子供は障害や病気でなくてもとことん捨てられる。
女の子が欲しかったのに、男の子が生まれてきてしまった親は男の子を捨てるだろう。
もし、徴兵制の様なものができて、もし男よりも女の方が生存に有利なら、男の子がとことん捨てられるかもしれない。
子供を捨てた親は、自分が望んだ子供が当選するまで子供を産み続けるだろう。リセットマラソンだ。
可愛い顔をした白い肌の健康な女の子で、頭が良くて、運動ができて、、、、というような条件の子供を望む親が一番多いはずだ。
体や経済的な事情で産めなくなったら、今度はたくさんの捨てられたこの中から自分の希望の条件の子を貰おうとするはずだ。
とにかく、病気の子供はほとんどもらわれないだろう。奇形、疾患などで顔が可愛くない子は絶対に貰われない。健康でも可愛くない子は人気がないだろう。
今、病気やら、染色体からの出来損ないや、障害持ちや、顔が良くない子供を仕方なく育てている親はいるだろう。
そんな子を好んで育てたい子などいないだろう。
貰い手がいなくて辛い思いをするか親に仕方なく育てられるか。どちらも仕方なく育てられていることにかわりはないのだ。
こっちは顔が悪い。誰も羨まない容姿だ。鏡を見たら、膿が浮かんできている、ボコボコなとても汚い肌だ。ダラシンやらディフェリンを塗ってもとてもとても汚い。持病持ちで仕方なく生きている感が強い。捨てるより、殺してくれ。
「障害者は生まれてくるべきではない」という命題を、増田を納得させる形で否定するのは難しい
しかし、「出生前診断を行い、障害者だと分かったら生むべきではない」という命題ならどうだろうか
たとえ障害者として生まれてくる命であっても、両親にとっては間違いなくかけがえの無い我が子である
社会にとって迷惑だから、自分たちが苦労するからなどといった理由で我が子を殺す行為を、他者が強制なり強要なりするのが正しいだろうか
たとえ障害を持って生まれてくる事が確実でも、子どもを授かり夫婦で愛情を持って育てたいという両親の願いを、それが子ども自身であっても否定する事が正しいだろうか
きっと今日までいろいろなご苦労をされているのだと漠然と想像します
親や社会を恨むなとは言いませんが、せめて親の愛情だけは信じてあげてください
もうすぐ初めて親になる私からのお願いです
自分は障害者として生まれてきた。自分を産んだ時、自分の親は、まだ次の子を作れる年齢だった。
自分はほっとけば数歳で死んだのに、親は自分に手術を受けさせ、助けた。手術がよほど大変だったのか、親は次の子を作らなかった。
自分の障害は遺伝性ではない。親が手術を受けさせずに自分が死んでいれば、親は次の子を作ったはずで、その子は健常者だったはずだ。
社会全体で考えれば、自分が生まれてきたために、社会は健常者を一人失い、障害者が一人増えた事になる。
社会に迷惑をかけるべきではない、というのは、小学校で教わる道徳の基本だ。自分は生まれてきた事によって、健常者を一人奪い、障害者を一人増やし、社会に損害を与えた。社会に迷惑をかけた。自分は、生まれてきた事自体が罪だった。罪を一生かけて償わなければならない。
補足2:
「すごいデタラメな論理で清々しい程に突っ込みどころしか無い」と書かれている方他、間違っていると思われる方は、どのへんが間違っているのか教えてくれませんか。少なくとも、自分は真剣に悩んでいるので。
ブクマ出来るなら増田でもトラバ出来るでしょう。「間違っている」という結論だけを書くことは誰にでもできます。理由を説明して下さい。
補足の要約:
「死んでいい」とは言ってない。「死ぬべき」とも言ってない。「生まれてくるべきではなかった」と言っている。
あと、ロングフル・バース訴訟の話も関係ない。あれは、あれは、「間違って自分を産んだ賠償をしろ」と訴えた話。金の話も法の話もしていない。道徳の話をしている。
補足:
ブコメ読んでると誤読してる人がかなりいる。自分は「生まれてくるべきではない」と言っているだけで、すでに生まれてきた障害者をどうこうする、みたいな事は一言も言っていない。自分も痛いのは嫌だ。自分が今から死んでも、自分の死を悲しむ人がでてきてしまう程度には、社会とつながってしまっている。
だからこそ、障害者が生まれる前に、例えば出生前診断みたいな方法で、障害者が生まれてくる可能性自体を排除できれば、社会はハッピー、親もハッピー、そして、俺は最初から存在しないので、わざわざ痛みを感じて死ぬ必要もなく、ハッピーだったのだ。仮に俺が感じている罪の意識が社会通念上受け入れがたいものだったとしても、社会の中で社会通念上受け入れがたい意識を持った人間の比率は減った方がいいので、やはり、俺は生まれてくるべきではなく、代わりに健常者が生まれてくるべきだったという結論に代わりはない。
健常者も多様だし、障害者も多様だ。無能な健常者もいれば、優秀な障害者もいる。仮に、知的能力も身体的能力も障害者は健常者と平均的には変わらず、障害者の社会への貢献度は健常者と同じだったとしよう。だとしても、障害者は治療のために健常者より多くの医療費を使う事は確かだ。障害者本人の貢献度が同じでも、障害者を生かす事自体にコストがかかる。だから、社会は、健常者と障害者を選べる場面では、健常者を選ぶべきだと思う。
成長過程で障害を持ってしまった人については、俺は何も言っていない。ここでの障害者は、先天的障害者に限定させて欲しい。成長過程で障害を持たないようにする技術が発達すればよい、とは思う。
親不孝コメントもいくつか頂いたが、「俺の代わりに健常者が生まれてきた方が良かったよね?」という見方を否定する事は、親が俺を治すためにかかった苦労に対する冒涜だと思う。今は、出生前に障害児と判明しても、中絶と再妊娠しか方法がないから、親不孝に見えるだけだ。将来的に医学が発達すれば、妊娠中の子を完全に治療する技術も出来るかもしれない。その場合でも、障害者が生まれてくる可能性を回避して、健常者を産んだのだから、「障害者は生まれてくるべきではない」事には代わりはないと思う。
掲題のとおりだ。
特別支援学校の教師が友人にいるのだが、出生前診断で陽性で、羊水検査までしてクロだったので中絶を選んだ。
職場が同じというわけではないけど、彼女の仕事ぶりや学生時代のボランティアの様子などを見ても、
障害のある子供本人や、その保護者の人にも対応が良くて、まるで天使のような娘だった。
自分自身は障害者なんて外れくじ、自分は引きたくないなぁと思ってるくらい心が荒んでいたので、
びっくりした。
なおさらびっくりした。
話を聞いてみると「仕事として面倒を見るなら構わない」「むしろ仕事をしているからこそその親たちの苦労がわかる」「私はああなりたくない」という、私とほとんど同じような「障害者の親なんて不幸だ」という理由だった。
障害児は税金などで優遇され、親の(特に母親の)労働力を一気に奪うもので、
身近に接している人すら「いらない」と断言してしまうものなのだ。
で、料理なら生ごみに捨てられるけど、障害児は捨てられるどころか、
強制的に食わされる。人生をなげうってでもその尻拭いをさせられる。
税金や親の人生をかけてまで残す価値などないのに、世話をしなくなったら育児放棄などと言われて下手すれば犯罪者だ。
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こんなことを書き連ねる自分が一番気持ち悪い
気持ち悪い
気持ち悪い
Twitterで偽装妊婦と、満員電車で通勤する本物の妊婦を非難する人のツイートを読んで。
一度妊娠した上で、マタニティマークを「中出しマーク」と揶揄する人や妊婦を嫌悪する人の悪意のある仕打ちを受けて、
職場でマタハラを受けて、あるいは出生前診断で障害の可能性を指摘されて、流産(中絶)することが最適解だと思うようになった。
義父母には、子どもを産もうとしたとアピールできる。
職場や友人・知人には、気の毒な人と思われ、以後、子どもの話題は避けてもらえる。
自分自身は、苦しいといわれるつわりや出産、育児を経験せずに済む(時期によっては流産後の処置も苦しいらしい)。
首都圏の場合、住宅費が高く、一生涯フルタイム共稼ぎを続けなければ、もはや普通の生活は不可能。
今の日本で子どもを育てる責任とリスクを考えると、産まないのが一番。
でも、対面的に子どもは欲しい。
「授からなかった」ではなく、「授かったけど産めなかった」ならば、仕方ない。
http://anond.hatelabo.jp/20130628194054を読んで。
なぜならイギリス政府の考えでは「障害者向け福祉サービスのコスト>診断+中絶費」だから。
日本の場合、厚労省の見解によると「胎児の先天異常を理由にした中絶は堕胎罪に抵触する」ということらしい。(優生保護法では可能だったそうな)
まあ「母体の健康」とか「経済的な理由」を理由にして中絶することは可能だろう。
もし自分が障害者だったとしても生まれたい。生きたい。絶対死にたくない。
でも、もし自分の子どもが障害者だったら、その子を幸せにできるか不安。
それ以上にその子を受け入れ守り育てて行けるか(物理的にも精神的にも)不安。
いやそもそもいつから「人」なんだ?
中絶が禁止されている22週以降と、その前の違いは何だ?
早産の胎児が母体外でも生きていける状態になったら中絶不可ってあるけど
そもそも「私という意識」は本当に生まれた瞬間からあったんだろうか。
成長とともに脳が発達し、体と一緒に「意識」も育まれるんではないか?
「会話」
考えれば考えるほど泥沼だ。
結論としては
絶対死にたくないけど「お前仕事できないし結婚して子ども作る気もないなら社会の役に立たない。死ね」って言われて包丁で刺されても
絶対死にたくないけど文句言えないのかなあ。
というか数日前のログをみるに生まれた子が男だったら
障碍児を産むくらいなら産まないほうがマシと言う言葉について考えてみた
ある程度自立できる障碍児でも国から補助がおりたりする。
あるいみメシウマなんだよね。
重度の身体障害はどうだろうなー。
お世話とかたいへんんだろうね。生きる意味=親の存在価値みたいになりそうでやっぱりやだな。
小学生のころ班の日記さぼったの重度の身体、知的障碍者のせいにしたことがある。
うちは弟が中程度の知的障害だがしゃべれる。動ける。一生独身だろうけど。
やっぱり動いたりしゃべったりできないで鼻からチューブとか、本当に親親親親親の存在価値示してる気がする
最近出生前診断はやってて産むか産まないか選択肢が増えたわけ。
でもまー、意志があるなら生きるべき、生かされるべき。
出生前診断のニュース見てたら、キャスターが「病気や障害も個性だと思って~」っていってた。
すでに生まれている病気や障害の人がどうとかじゃなくて、単純に、「それが個性だとして、お前はその個性が欲しいか?」と思ってモヤモヤした。
すでに生まれた、病気や障害の人は、それと折り合いをつけるために病気や障害を個性ととらえ、それらとうまく付き合っていくのは必要だし大事だし尊重することはすばらしいと思う。「障害を持っている人になにを言うんだ!」ってことじゃなく、それが個性で尊重すべきだという人にすごくモヤっとする。
出生前診断自体は禁止されるようなことじゃないと思うんだけど。もしそれで障害があるってわかったら、それでもそれをその子の個性だと思い生まれてきて欲しいと願ったときに準備が出来るだろうし(知識をつけたり、環境を整えたり。金銭的な問題もあるだろうし)。
「病気や障害も立派な個性である」→「出生前診断は悪」って考える人は「病気や障害があるとわかったら中絶されてしまう(可能性が非常に高い)」と決め付けているわけで、きれいごとを言いつつおまえらは誰になにを求めてるんだ、と非常にイライラする。