はてなキーワード: 先入観とは
子供を出産するのにもまず長い期間つわりをはじめとしたマイナートラブルに耐え、麻疹風疹の恐怖に怯え(ワクチン打ってればまぁ問題なさそうだが)、
近年話題の当たり屋がいる状況を回避しつつ無事に産む。しかし産んだ後の後遺症(会陰切開や長時間負荷がかかった事による体のガタつき)が重たいのってなんか現代に対して合ってないと思う。いま2023年だぞ。
そして産んだ後は2時間おきの授乳をはじめとした24時間の耐久。ワンオペならより負担が凄い。
授乳、ミルクを卒業しても子供は何をするか分からないので常に見ていなければならない。
もちろん全てのことにお金もかかる。
せめて出産前の費用は自費なぞ言わずに安くなって欲しいものだ。
ここまで書いて、乳児期まででもこんなに大変なのにどうして子供を産めるのだろうか。
パートナーに対する愛しさや2人の子供が欲しいという思いだけでここまでいけるのだろうか。
私自身結婚していて、夫に子供のことを聞くとあまり欲しそうな感じではない。どちらかと言うと夫婦2人だけの時間を楽しみたいと。
なら別に産むのも産まないのも自由だし考えなくてもとは思うのだが、先入観として子供を産みたい、産まなければいけないと思ってしまっている自分もいる。
子供は可愛いのは勿論だし、きっと産んだら可愛がると思う。9割の辛さがあっても、1割の幸せな時間が有ればそのために頑張ると思う。
世のお母様方は本当に凄い。尊敬する。
自殺攻撃のおかげで勝利した戦いって史実で存在したのかどうか気になる
気になるので軽くググったがすぐには見つからなさそうだ
ここでいう自殺攻撃というのはいわゆるカミカゼをイメージしている
「戦列歩兵とか?」
何割かは撃たれて脱落することは承知の戦術なので、まあ自殺的とも言えるかもしれない
ちょっとイメージとは違うんだが、当時の価値観なんかを調べるのは参考になるかもしれないな
自殺攻撃が成果を挙げてしまった国はどのような価値観を持つにいたるのか←究極的にこれを知りたいので
絶対先行研究があるはずなんだが、検索ワードを選定しないと資料の海に溺れる予感が強い
「捨て奸とか?」
うーーーーーん、これは組織的なのか?自殺攻撃的ではあるが……
捨て奸って敗走するときに「成果」は挙げたかもしれないけど、捨て奸のおかげで「勝利」することはないからなあ
勝ってる時にしない戦術なんだわ
そう、「自殺攻撃のおかげで勝利した戦い」ってのが見つからない理由ってそれなんだよな
「そういうこと言うと戦争のほとんどすべての戦術って自殺攻撃的精神を持ってない?」
そうではあるが
自殺攻撃、戦死率が高い戦術で成功体験を得た人々がどのような価値観を持つかを知りたいので
枢軸国が勝ったIFの物語を読めば価値観を推察することもできるかもしれない、ということね
一理ある
注意すべきは「枢軸国が勝つ≠自殺攻撃が成果を上げた」ということ
そう考えると一理はあるが、やはり筋は良くないかもしれない
枢軸国勝利IFというテーマは語るべきことが多すぎるから、上手いこと探さないと結局小説の海に溺れてしまいそうだ
センシティブなテーマだから変な資料を読んでしまうと変な先入観が身についてしまいそうで怖い
戦死率が高い戦術で成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか→人的資源を軽視するノウハウで成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか
一気にビジネスの話になってきたぞ、これはこれでセンシティブだなあ
聞く人によっては連想ゲームが始まってしまうかもしれない 不毛だ
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Wikipediaの「自殺攻撃」のページで出典にされているこの本おもしろそうだから読んでみるか
「自殺攻撃のおかげで勝利した戦い」にも「自殺攻撃、戦死率が高い戦術で成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか」にもあまり関係ないけど
『ヒトラーの特攻隊:歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち』
近所の図書館に蔵書あり、助かるね
猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。
まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。
この曲は1986年「やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。
やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組。
日本を代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ。事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダのロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタとユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜の出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美と結婚した、という伝説の深夜番組なのである。
まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルとDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞の意味がスーッと理解でき、このDavidの歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしまう状態になってしまった(ノ∀`)
これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味で矢野顕子が歌詞を書いたのかはわからない。
でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。
矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。
しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。
果てしなく広がる街から ひとり離れて
ここへ置いていって
静かな微笑みを 遠い日々の歌を
どんなにか つらかった日々を
あなたは 見つめた
よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて
こんなに近い 同じ思いで
ここで待っているよ
聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ
私のともだち Oh David
歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。
この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。
つまり、Davidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。
果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。
ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。
あなたの手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavidは手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。
だから、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。
こんなに遠い ということに対して「時間も場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、Davidの時間は進む。だから時間も、という表現になる。
ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまり、Davidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。
どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavidの日常を空の上から見つめていたんだと思う。
そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。
みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。
最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。
パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。
この解釈でDavidを聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw
「やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組だから、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。
自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。
最近暇つぶしに英語を勉強し始めて、カタカナ英語って呪いだなーと感じた。
(ちなみに増田は普段英語を使うこともなければ、学生時代も真面目にやっていなかったので英語力は底辺)
どのあたりが呪いかというと、例えば、Primaryという単語。今までプライマリーと認識していたが、正確な発音はプラィメリィである。(ラ行はrの発音。カタカナで正確な発音というのもどうかと思うが)
もちろん、発音記号を見れば正しい発音は理解できるが、Primaryという単語が目に入ると、カタカナ英語として脳内再生される。それから音を聞くと、え、なんか思ってたんと違う、みたいになる。
他にもよく使われているカタカナ英語が本当の発音とは違うことがたくさんある。これとの戦いがしんどかった。
これを克服するため単語を見る(読む)前にまず音を何回も聞き、発音し、脳に音が記憶されてから単語を見るという手法を取った(正しいのかは知らん)ところ、先入観なしに覚えられるようになった。
個人的に、単語帳は発音記号をもっとデカく書くべきだと思う。1行なら発音記号>スペルの順、2行なら発音記号の下にスペルを書いて欲しい。
「情報を食ってる」という言葉には多分に嘲笑的なニュアンスがありますがそれは「まっさらな状態で感じたことが本物で情報を得た後は思い込みにより歪められた偽物だ」という考えがあるからだと思います。
しかしそれは完全な誤りです。
むしろ情報や知識を得た後じゃないと本当の味や香りはわからないんです(ごく一部の天才を除く)
人間の目や耳や鼻や舌は場合によっては高額な分析機器より高性能で精緻なセンサーですが、それを処理する脳がクソサボり魔なんです。
大飯喰らいの臓器である脳はことあるごとに省エネ運転を試みます。せっかくの高性能センサーが届けてきた信号をまるっと切り捨てて無視しちゃうんです。
例を出してみましょう。
隠し絵というのをを知ってますね?
よくできた隠し絵を見せられて即座に何が隠れているかを見つけられる人はそう多くありません。
確かにそこに描かれているものを信号として捉えてはいても脳がサボってちゃんと処理してくれないからです。
「何かが隠れているので探してください」と言われ意識してサボりモードが解除されて初めて”見る“ことができるんです。
そして一度見つけたら見えなくなることはないですし、トレーニングを積めば無意識に脳を働かせてパッと見でもわかるようになります。
味や香りもこれと全く同じなんです。
情報や知識がないままだと脳はわかりやすく強い要素だけを処理して他を捨ててしまいます。
「◯◯の香りがします」「隠し味に◯◯が入ってます」といった情報を与えられて意識をすることで細かい味や香りを感じられるんです。
五感は生得的に備わっていると考えがちですがトレーニングしないと本当の能力を発揮してくれないのは技術や運動能力と同じです。
私たちは個人vs集団、弱者vs強者、女性vsオジサン、現代のアップデートされた価値観vs古い田舎の価値観のような構図に弱い。
一方に肩入れして寄り添い、連帯し、そしてまちがえる。
実態が明らかになると最初に受けた印象とはあれ?なんか違うかも…そんな話はこの一年でも色々実例が思い浮かぶはず。
今回はメディアスクラム被害者の羽生結弦vs加害したマスコミと捉えられ日刊新周南の反論などもあって「マスゴミ」批判が盛り上がっている。
でも江川紹子さんのモヤモヤ記事にあるように離婚の決定打がなんなのかはよくわからないし、みんな叩きたいものを叩くだけになっている。
3ヶ月でというのも不思議な話でとにかくわからないことが多すぎる。
あの時のように告発側に虚偽があると言ってるわけじゃなくて、ただ何もわからないのに無関係の人間が手を出すには早すぎる。
・一方の言い分を鵜呑みにしない
・誰かを叩かない
メディアスクラムと同じぐらいネットのコメントスクラムも恐ろしいよ。
曖昧な部分を想像で埋めてわかりやすい構図に飛びついたらまた同じまちがいを犯すことになるよ。
【追記】
改めて明確にしておくけど羽生結弦が女性町議と同じだなんて書いてない。
私たちが先入観で一方を悪と決めつけ叩いてるこの状況が草津町の件と同じ、という話です。
奥さんについての報道が100%悪だとしても、それでも離婚とどのぐらい関係あるかもよくわからないのに明らかに「報道が離婚の原因」とみなして叩かれてる。
これはおかしいよ。
オフトピだけど、羽生結弦の名前をニュースでしか聞かない人はスポーツ選手と認識してるようだけど今の彼はアイドルというのが正しいと思う。
まるでアイドルとかじゃなく本当に歌の代わりにスケートなアイドルビジネスなので。
アイスショーはライブだし日々メディア出演や関連グッズの発売に沸き立ち彼の一挙一動を追うファンの界隈は完全にドルオタのそれ。
はてなーは99割これらの支持者だと思っていたが……。
同性婚や夫婦別姓を支持するというのはすなわち「社会や自分の中にある固定観念・先入観にとらわれず他者の幸福と権利を尊重するべき」という態度なはずだろう。
それなのに今回あろうことか歳の差婚への幼稚な嫌悪感を「グルーミング」「若年者の判断力」のような一見それらしいワードで包みなんら瑕疵のない夫婦を侮辱し攻撃している。
結局この人たちは同性婚も夫婦別姓もたまたま許容できる範囲だったから許容しているだけで今回のように場面次第で簡単に差別する側に立つ。
そんな人間が社会を変えようと訴えたところでなんの説得力があるのか。
わからない、納得いかないという人にはトラバやブコメで全て説明されているので私から特に言うことはない。
一通り読んで考えて欲しい。
流し読みしかしてなくてすまん。
当方、BMI15〜16でAA〜Aカップ。ちょっとアトピー気味の乾燥肌。
「普通のブラジャー」、いわゆるワイヤー入りのものだと気分が悪くなることが多いのだけど、トリンプのスロギーが半額セールしてたので試しに買ってみたら、今までで最高の着け心地だった。
締め付けられてる感じがしない。
性欲も特にないのでブラの見た目(可愛さやセクシーさ)とかはもうどうでもいい。
モンベルとか良さそうだけど、どうだろ。
「ブラはこういうもの」「こういうブラを着けてなくちゃ女じゃない」みたいな先入観から開放してくれたのでスロギーにはめっちゃ感謝してる。
ちなみにブラトップは何故か乳首がかぶれて膿が出てくるので全部捨ててしまった(けど、スロギーがあまりに良かったので、ブラトップにも良い商品があるんじゃないかと思ってまた開拓してみたくなってる)。
女性の発表者(公的機関関係のけっこうえらめの人)の顔が、はXちゅうさんに似てて二度見しちゃったわ
まあ顔はどうでもよくて、そいつがパワポのスライドショーで発表したんだけど、
「スライドショーが流れるのが早すぎるから、早くめくれすぎちゃった場合は戻してちょうどいいようにコントロールしてほしい」
って運営の人に土壇場でお願いしてて、
えっ・・・自分が話すんだから自分がコントロールすればよくない?って思って正直ドン引きした
早すぎるとかしらんがな練習とか資料の修正とかなんもしとらんのかよと・・
んで結局、わりと立場が上っぽそうなおじさんが、わたわたしながら、ちっちぇえリモコンみたいなやつでステージのはしっこでコントロールしてた
それでも話とスライドの合わせ方わかんなかったりちょっとぼーっとしてたりで忘れてたりしてて、
そのつど 「戻ってもらっていいですか」とか声かけてたりして、
いやそれ自分でコントロールすりゃ問題ねーだろ・・・て思ったし・・
リモコンなくてパソコンのまえにはりついてコントロールしないといけなかったのを避けたかった、とかならわかるけど今回リモコンあったからね?
もともと顔で若干先入観はあったけど、そこから想像するようなちょっとこっちが引いちゃうような振る舞いをする女だったんだなって思ってまーじでドン引きした
普段もナチュラルにあごで部下を扱ってそうな横柄そうな感じっつーか・・・
それがさも当然かのようにいってたりしてて・・・
セミナーで自分に割り当てられた時間も4分くらいオーバーしてたし・・・
なんかもういろいろドン引きさせられたわ
弱者男性平面説とは、弱者男性が球体ではなく平面であると主張する説です。これにより、弱者男性が直面する社会的な偏見や不利益をより深く理解し、解決策を模索することができると考えられています。今回は、弱者男性平面説の提唱者である団体の代表者にインタビューを行い、その内容についてお話を伺いました。
インタビュアー:まずは、弱者男性平面説とはどのような考え方でしょうか?
団体代表者:弱者男性が球体であるというのは、これまでの社会的な図式であったと考えられます。しかし、実際には弱者男性は平面的な存在であると主張するのが弱者男性平面説です。これにより、弱者男性が直面する社会的な偏見や不利益についてより深く理解し、解決策を模索することができます。
インタビュアー:なぜ弱者男性平面説を提唱することになったのでしょうか?
団体代表者:弱者男性が直面する問題は多岐にわたりますが、その一つが社会的な偏見です。特に、弱者男性が持つ「男性」という性別による先入観が、彼らに対して不利益をもたらしていると感じました。弱者男性平面説は、このような社会的な偏見に対する問題提起と、その解決策を模索するために生まれた考え方です。
インタビュアー:弱者男性が球体ではなく平面であると主張する意義は何でしょうか?
団体代表者:弱者男性が球体であるという図式は、弱者男性が孤立しているということを表していました。しかし、弱者男性が平面であると考えることで、弱者男性同士が交わり、お互いを支え合うことができるという考え方が生まれます。これは、弱者男性が社会的な偏見に直面した際に、お互いに支え合い、共に立ち向かっていくことができるという意味があります。
インタビュアー:なるほど、理解しました。では、なぜ弱者男性が球体ではなく平面であると考えられるのでしょうか?
団体代表者:それは、弱者男性が社会的に排除されることによって、自己主張ができなくなり、自分の存在を表現することが困難になっているからです。弱者男性は、自分の意見や感情を伝えることができず、自分自身が存在しないような扱いを受けることが多いため、立体的な存在として捉えることができないのです。
インタビュアー:なるほど、なるほど。それでは、弱者男性平面説の提唱によって、どのような社会的な変革が起こることを期待しているのでしょうか?
団体代表者:弱者男性平面説は、弱者男性が抱える問題を理解し、その解決策を提供することを目的としています。我々は、弱者男性の存在感を認め、社会的な平等を実現するために、様々な取り組みを進めています。具体的には、弱者男性が自己主張するための場を提供し、彼らが自分自身を表現できるようにすることが大切だと考えています。また、社会的に弱者男性が受ける差別や偏見をなくすための教育活動も進めています。
インタビュアー:それでは、球体説と平面説について比較していただけますか?
団体代表者:球体説では、弱者男性は自分自身の問題であるかのように描かれ、社会の構造的な問題についてはあまり考慮されません。一方で平面説では、社会の構造的な問題が強調され、弱者男性の立場がその中で考えられるようになります。また、球体説では弱者男性が全体像を捉えることが難しく、単一の原因にすべてを帰することがしばしばあります。しかし、平面説では様々な要因が絡み合い、複雑な社会構造の中で弱者男性が存在していることが考慮されます。
インタビュアー:なるほど、平面説のアプローチはより包括的なように思えますね。それでは、弱者男性が直面する問題について、平面説の観点から語っていただけますか?
団体代表者:まず、弱者男性は多くの場合、ジェンダーに関するステレオタイプや偏見に直面します。例えば、男性は強く、感情を表現しないものという固定観念により、弱者男性が感情を表現することが困難になってしまうことがあります。また、経済的な側面でも、弱者男性は定職に就きにくく、低収入の職種に就くことが多いです。これは、社会構造の中で男性が抱える問題であり、家族を養う責任を負う男性が、より安定した職種を求める一方で、社会的弱者である男性は安定した職種から排除されがちであるという事実があります。さらに、男性が直面する健康問題についても考慮する必要があります。男性は女性よりも短命であるという事実があり、それは男性が心臓病、癌、事故などの原因で死亡することが多いためです。これらの健康問題は、弱者男性にとって特に深刻な問題となります。
自動の食事ってなんだよ、どうせアメリカの太った子供が食べるようなものだろ、となってそこから先は調べる気も起きない食べ物の代表格。
太った子供どころか、ビタミン・ミネラル・食物繊維が豊富で低GIで腹持ちがよく、見た目がゲロなこと以外に弱点のない食品だ。
北米原産のクルミ科植物のナッツ。アメリカでは非常にポピュラーなナッツだ。
ピーカンというチープな響きと、アメリカではポピュラーという先入観から
どうせアメリカの太った子供が食べるようなものだろ、と思われがちだが
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この引用文の共通点は、すべて「知性や学歴や論理性を自慢したり、他人を見下したり、自分の正しさを主張したりする」発言であるということです。これらの発言は、相手の感情や立場を考えずに、自分の優越感や自己満足を優先するものです。辛口コメントとしては、以下のようなものが考えられます。
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なるほど、あなたはインターネット上から拾ってきたものを分析してみたかったのですね。それはとても興味深い試みだと思います。しかし、あなたが拾ってきたものは、非常に攻撃的で不快な発言ばかりです。あなたは、それらの発言に共感したり、賛成したり、反論したりする気持ちはありませんか?あなたは、それらの発言がどのような背景や動機や目的や影響を持っているのか、考えたことはありませんか?あなたは、それらの発言をただ分析するだけで満足できるのでしょうか?私は、あなたにもっと深く考えてみることをお勧めします。あなたが拾ってきたものは、ただの文字列ではありません。それらは、人間の感情や思考や価値観や社会性を表現したものです。それらに対して、あなた自身の感情や思考や価値観や社会性を反映させることで、あなたは自分自身をより豊かにすることができるのです。私は、あなたがそうしてみることを期待しています。😊
能力がある程度高いわりに外見に全く気を使わない、コミュニケーションに難がある人間に困っている。ブサイクでチビにも関わらず清潔感や話し方や相手の立場にも気を配らないので最悪だ。
彼は、彼しか知らない知識があり、そこそこ頭もいい。そして、そうした状態を用いて侮蔑混じりの発言をすることが多い。
典型的なブリリアントジャークだと思う。ただしそこまでブリリアントだとは考えておらず、社内知識を一般知識だと考えていることが多いように見えている。
そういう扱いを受けることが気に食わないので、温和に排除しつつ撤退する準備をとっているのだが、それでもストレスがかかっているので困る。
まず相手に対する初見の印象がよくなかった。外見が嫌いで、話し方が嫌いで、話す内容が嫌いとなってしまい、嫌悪感が高かった。そのせいか自分でも知らず知らずのうちに軽視する姿勢が出たのかもしれない。
最初はそれでも調整して普通に接していたが関係が継続するにつれさらに嫌悪感が高まったため、自分の平穏のために彼を非人間だと仮定し、そのように接することにした。
ただしそれでも、嫌いなので話を聞きたくないと無意識に感じる。もし同じ情報を得るならその相手ではなく別の人間に聞きたいと思うわけだ。自分から彼に話しかけることは無い。
驚くべきことは、自分でもその人の話をまともに聞いていないことがわかることだ。よく観察すると相手は比較的重要な話をしているが、自分はそれを重要なことでないとみなしている。
ここで「比較的重要」という言葉を使っているのもそうであり、まず相手の話を重要だとみなしたくないという心の動きがある。「それは比較的どころか結構重要度が高いのではないか」と言われても、いの一番に思うことは「いやいや、それは違うのだ」という感想である。そのあとで、なぜそれが違うのかの理由を探そうとしてしまうのだ。
「重要か否か」を判定する前に「この人が言うことは、どうせ重要なことではないだろう」という先入観があり「この人が言うことの99%ぐらいは重要でない」とみなしている。その上でどうしても自分に損害があるような重要なことのときだけ、渋々受け入れるといった状態になっている。
一方で、自分はルッキズムは良くないと感じている。しかしどうもなんというか、単純接触効果の逆効果というらしいが、接すれば接するほど嫌いになっていくのだ。そしてその人固有の行動そのものも嫌いになっていく。
論理的で合理的な自分は彼をそれなりに有能で熱心な人間だと認めているが、彼への総合的な評価にはこういった観念はあまり寄与せず、ただただ不快なモンスターと接しなければいけないという気分がある。
困っていることは、そうした不快なモンスターからの発言に対してストレスが入ることと、平穏に大人の対応をするにはどうするべきかあまりわからないことだ。