はてなキーワード: 二次方程式とは
自分にもそういう時期があったし、多かれ少なかれ誰だってそういう問題を持ってるものだと思う。
年次からして、まだ仕事の全体像や見通しが見えてないことが大きいんじゃないか?
分かりやすく、算数に例えると、仕事って、足し算や掛け算しか習ってないのに、急に二次方程式に直面するみたいな場面が多々あると思う。
そこで足し算や掛け算のような「既に理解してる」部分を拾って、分かったフリをしてるんじゃないかと思った。
少なくとも自分はそうだった。
録音したりメモをしたりしてるのは食らいついててすごく偉いと思うよ。
そうやって頑張ってるうちに、「二次方程式って、掛け算の延長か!」って腹落ちする日が来て、一気に視界が晴れると思う。
そうこうしてるうちに、おっさんになると、「この4次方程式は難しすぎるから、俺はいいや。若手になげちゃえ」って理解してないのに、見通しだけ立てられる日が来ると思う。
頑張れ!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
それを見ると狂熱ですぐに我が脳が震え、魂の血文字は我が目に飛び込んでぐいと離さず、妖怪のヘドロめいた深淵なる知識が自分の臓腑をとりこもうとする。
どこまでも逃げたくても、一切合切が破滅に導かれ、いつまでも回り込まれてしまう、崇高で獰猛で苛烈な文章が読みたい。
平凡な感性、ありふれた文句、いんた〜ねっとスラングばかりで構築された流転する冗句、そういうもので構成された人生を見かけると、書き手のちんこをもいでしまいたくなる。ちんこがなくてもだ。
我が文章にフォーカスしてみれば、未熟ながらも個人の人生を感じられはしないか。言っていることは大したことがなかったとしても、修辞はそれなりに独特だ。真似できまい。してみせらせ。
我が言葉の紡ぎ方に言語への愛しさを見い出せはしないか。他方、型にはまった文章は確かに読みやすい。誰もが読みやすいと思うものだ。
だがそれは読んでいるのではなく、既存の構造・既存のシステムに当てはまる情報を摂取しているのだ。二次方程式の解の公式にあてはめてキャッキャウフフしているだけだ。
解の公式を覚えているから、二次方程式のように書かれた文章中の情報は取得できる。だがそんな文章はおもしろくないし、その情報もパラメータが変わっただけで大しておもしろくない。
おもしろくないものを大層ありがたがっている。頭が悪いとしか思えん。「このおもしろくなさこそが偉大なのだ!」と言わんばかりにふんぞり返っている。
くだらん。くだらんぞ。
見るだけで歓喜にあふれ、目が輝く文章が読みたいものだ。おぉ、あぁ、この文章は我が感性を高みへと連れて行ってくれるのだなと気分も精気も高揚する、そういった文章はないのか。
なぜないのか。生み出せよ。なぜ生み出せないのか。お得意の型とやらでさあ今すぐ生み出せ。
大丈夫。できないことは承知している。わはは。わははのはっは、はははっは。はあ。
我は貴様らを嘲っているのだ。謗っているのだ。
さあ来い。読んでやるぞ。さあ来い。
平和だった時代の東京では、根画手部ふきちのように、知能指数の計算技術の方を用いて、現場を円満に解決し、拳銃や腕力は使用しない時代があったが、最近のように、
頭を使っても分からないバカが実際には多数潜伏しているような社会では、巡査の投げる力や、撃つ力の方が実際的であるような社会になっていると思う。
むろん、暴力団が1万人で向かって来て、数人の巡査では対処できない、という場合も想定できるが、1万人の暴力団が無線車に向かってくるなどという事例は最近の社会では
聞いたことがないし、高齢女性が包丁をもって近所誘い合わせて出てきたとしても、 発生しないことを考えても意味がないように思う。
魅力的な定理、魅力的な技術というのはたくさんあるものである。 数学の何が面白いのか。二次関数を書いて最小値を求める、二次方程式を解く、そういうつまらない作業ばかりで
面白い問題を体系的にやった経験がない。 数学は、定理を発見して証明し、技術を用いて大きな問題を完成させる精神作業である。
この石村智という裁判官の書いたものは、結局、専門知識や、解釈技術を企業秘密としたうえで、大分地裁に座っているだけのカスの書いたものであり、四囲の状況からすると、裁判官の
住所は、大手市付近のマンションの高層階にあることが想定される。
ところで、一般人の誰もしらない専門知識や解釈技術を企業秘密とした上、裁判所に座っているだけの犯罪者に魅力を持つものはいないし、そもそも、そのような職業を選択する者は
いないと解される。
少し前のもので悪いんだが、この↓まとめや、まとめについていたブクマを見ていて思った。
https://togetter.com/li/2151341
勉強が得意だった人は、いや特に得意だった人じゃなくてもいいんだ、お前らは大人になっても、学生時代にかつて勉強したことを覚えているか?
俺は高校生はおろか中学生のころに習ったことさえ今はほとんど覚えていない。
まあ俺の場合、中高生だった頃からわからないものや覚えられないものはそのまんまでやり過ごしてきたのであんまり参考にはならないと思う。
(いわゆる旧帝大に引っ掛かってる大学を出てるんだが、受験における英語と国語が抜群に得意だったので、そこで10割近く稼いであとは勘(運)、って方式で生きてこれてしまった)
学校の先生とか、塾講師とか、よくわからないが現在も業務でつかう内容以外の仕事をしてるお前ら、中学で習ったことを覚えてるか?
俺の場合は具体的に以下の単元がさっぱりわからない(単元はネットでざっくり調べた)。
・円錐の体積の求め方(おぼえてない)
・因数分解のやり方(当時からわからなかったので勘で書いてた)
・南北朝(っていつ頃だっけ?)
・◯◯文化みたいなやつ(飛鳥文化しか覚えてないので、選択式なら「なんか江戸っぽいな」とか勘で選ぶ)
・電力と電圧と電流?の関係(どれがなにでどうなるのかまったくわからん)
・元素記号(スイヘーリーベー…なんだっけ?それぞれが何を示してるのかも忘れた)
・細胞のつくり(核とミトコンドリアと葉緑体はわかる。あとは忘れた)
『恋愛は学生時代に済ませ』、40代前半のおっさん視点でのアドバイスはこれだ。
真面目になるな。
勉強するのが学生の本分とか、受験勉強で買ったやつが人生の勝ち組になるとか。
すべて取り戻せるし、社会に出たら、そういうのは一切関係ないからな。
コンパスと定規でホールケーキを三等分する方法なんて、分からなくてよろしい。
英語はAIが発展して通訳してくれるから覚えるだけ無駄だったのは…、当時の俺には知る由もなかったがな。
そしてそれ以上に重要なのが、学生時代は恋愛のチュートリアル最中だということ。
相手プレイヤーへのマナーなど考えない、荒っぽい振る舞いをする。
荒さが許されてる。
時期を逸してしまった恋愛初心者の振る舞いは、女性へのハラスメントになる。そして社会的制裁を受ける事になる。
小学校時代は宿題をよくサボったりしたけど、テストはどの科目も大体100点もしくは90点台だった
塾は公文に週一いかされてた。算数だけ。先生が厳しくて泣きながらやってた
小学校の成績表(あゆみだっけ)はAが基本でBだと親に詰められた。Cは見たことない。
英語が特に嫌いだった。覚える気がなかった。でも英語以外は何もしなくていいくらいだったからやれた
中学卒業まで勉強なんてラクだと思ってた。受験勉強はそんなにしなかった
高校はそこそこいいところにいけた
サボり癖がついていた
宿題は直接的に学力に結び付く一番の時間の有効活用かどうか、は判断できないけど、
ノルマに対する耐性はつく、と振り返って思う
数年前に結婚した妻を観察した結果をどこかに殴り書きしたく、結論のない文章を投下してみる。
良い国立大学の文系出身なので勉強はできたはずなのだけど、勉強自体にコンプレックスがあった様子。
まぁお互い30歳を超えているので、いい年の大人が高校の勉強どうだったのかなんて話すのはアレな気はするが、
思春期の記憶は強く人格形成に影響するらしく、数学っぽい話をすると拒否反応みたいなのが起きてしまう。
自分は理工学部の出身なので結構楽しく数学の話をする時があるが、そういうのを見て自分との差を感じて一人で辛くなってしまうらしい。
思い切って教科書取り扱いのある販売店に行き、数学の教科書を買ってみた。
ちなみに高校の教科書はすべての書店にあるわけではないが、教科書取り扱いの販売店なら一般の人にも売ってくれる。アマゾンでも買える。
買ったのは数研出版の高等学校シリーズで、教科書によって難易度の差があるのは知っていたが、何でもいいかなと思って目についた標準っぽいのを買った。
妻の数学理解度を確認してみると、数学1の二次方程式の解き方・不等式の解き方についてはかなり鮮明に覚えていた。
躓きポイントは数学2からの三角関数・指数・対数のあたりっぽい。
観察の結果、定義を定義として受け入れるときに、なぜそうなっているのか?というのを真っ先に考えてしまい、
あまり無味乾燥と感じる状態では理解を拒否反応を示してしまう、というのがあった。
例えば指数関数で、 (a^x)^y = a^{xy} なんだよ、というのを理解するのにどうして?というのが真っ先に思い浮かんでしまう。
初学者はまず定義を受け入れて、いろいろな練習や思考を重ねていくうちにどうしてその定義になっているのか、という順序で考えたほうがいいと思うのだが、
この順序でなかなか物事を考えられない。
定義がどうしてそうなっているのか、はある程度それ自体に親しまないとわからなかったりする。
こういう時は具体的な例を列挙して、これがただしそうだよね?という話をしてあげる。
こういうときは、実験を観察を繰り替えす自然科学のようなアプローチがいいと思っている。数学はもちろん論理的に厳密な学問なので定義の積み重ねの上だけでも議論できると思うのだが、高校の基礎レベルの理解だと体で納得できないといけないこともあると思う。
たとえば(a^x)^y = a^{xy} の正しさの確認なら、
(a^2) ^ 3 は a^2 * a^2 * a^2 = a * a * a * a * a * a = a^6 みたいに具体的な数をあてはめて、合っているねというのを見ていく。
なんとなくこの定義でいいんだ、というのがつかめてきたらそれを定着させるべくたくさん練習問題を解いてもらう。
大切なことは、一度挫折している人なので、事あるごとにほめること。
たすき掛け早い!理解が速い!いいね、合ってる、などとにかくポジティブにほめる。
逆にどれだけ学生時代に自信を失わせるようなことがあったんだと想像してしまう。
女子学生は昔から勉強してない自慢したり、集まってヤバイヤバイと言い合って安心する、みたいなことがあったと思う。
出来なければテストで悪い点を取り、親から・先生から怒られて、自信を無くすとどんどん数学自体に向き合えなくなっていってしまう。
数学に向き合えないと、勿論数学ができなくなっていき、授業も何言っているのかわからなくなり、ついていけている子から日を追うごとに差をつけられてしまう。
計算ミスが多いから、本質的な問題の理解に時間を割くことができず、学びもうまくいかない。
最初に数学が得意になるかどうかの分かれ目は、少しワーキングメモリーが大きいとか、少し注意深いとか、少し計算が速いとか、そういう差なのかもしれない。
とりあえず数2の範囲については章末問題が全て解けるようになった。
こころなしか、最初のころは私に「トラウマに向きあえ~~」と言われてイヤイヤやっていた感じがあったけども、自分ができるようになる過程を楽しんでいる感じがある。
別に彼女の仕事には今更高校数学を振り返っても役に立つわけではないが、週末には数学をやるのが定着してきた。
そのうちどこかの大学の入試問題を一緒に解いてみようか。自信にもなるだろう。
何歳になっても学ぶことは良い。
方程式を解く最中に自分が何をしているのか分からないということになっている。
数学においてはなんとなく生きてなんとなく死ぬという酔生夢死で終わるのではなかろうかという心地だ。
たとえば速度に関する関係式としてx(t+Δt)-x(t)≒v(t)Δtというのがあるわけだ。
ここから変位xを求めようという解法のテクニックとしてΔτ=t/nとおくとかΔτk=kΔτとおくとか、極め付けにはt=τkとおくことで区分求積法に帰着させる解法が載ってたりするわけだ。
しかしこうした変換式の設定が無意味ではないとどうして分かるのかと思ってしまうというわけだ。
もしそれぞれのtが出てる式についてt=と変形したとき、各式の左辺を等式で結ぶと恒偽式になるような状態だったら無意味な置き方だということぐらいは私にも分かる。
たとえばa=x+yと置く一方でa^2=x^2+2xy+y^2+1と置いたのではこれは1=0を導く関係式を導くのでこの置き方は無意味だと分かる。
他にも自明な例だけどもx=1と置きながらx=2と置いたり、x+y=2と置きながら2(x+y)=2と置くのも無意味だろう。
しかしこれらは経験的に自明なだけでなく各式をxy平面にグラフとして表したときに交わらないということでも視覚的に自明と分かる。
a+b=tとおくと同時に(a+b)^2=t+1と置いたらどうだろう。これは経験的には自明な無意味な置き方に思われるが実際にtだけの式に直すとt^2+t-1=0となる。少なくとも恒偽式ではない式が出てくるわけだ。
となれば経験的にそれとなく直感されない置き方についてはそれが無意味な置き方であるかどうかどうやって検討すればいいのかという話になる。
物理の式なんてものは多変数で高次式なわけだから恒偽式かどうか到底視覚化して判断できるものじゃない。もちろん経験的な勘が働くほど単純な式というのも多くはない。2aF/(M(a+b)+4ab)-gと(F+Mg)ab/(2ab+Ma+Mb)が常に等しいか常に等しくないのかなんて判断できっこないのだ。ある式で置くということにこうした複雑な式を出されたらその置き方が論理的に妥当かという検証などもうあきらめてとりあえず従っておくしかないわけである。
思えばなんで連立方程式は加減法や代入法で解けるのか、それをその方法で解くということの意味について深く教わった覚えがない。二元や二次方程式までならグラフなり平行移動なりの考えで方程式を解くことの図形的な意味合いの考察を垂らされた覚えがなくもないのだが、それは一般の方程式について解くことの意味の説明にはなっていない。
かくして応用が利かない中途半端な説明しか教授されてない結果として自分が何をしているのかも分からず形式的に方程式を解くだけかあるいはその連立方程式の妥当性が検証できないような悲しい人間が出来上がってしまっているわけである。
とはいえ任意の個数だけそれぞれが任意の関数であるもの同士が任意の個数の任意の演算子で結びついている表現されている何ものかについて、それを解くことの意味を解説されても分かる気がしないわけだけども(たとえば∫a+bはaという関数に一項演算子の積分演算子が作用した後、二項演算子+によってbと結び付けられ何がしかの値を示している、みたいなことをものすごく抽象化した話を言っている)。
この問題の難しさは、ある変数が変化すればそれ以外の全ての変数が変化する一方である変数以外の変数が変化した場合もある変数を含む全ての変数が変化するというその挙動の掌握することの難しさにあるのだろう。これが変化したらあれもこれも変化するという条件の中で論理的整合性を考えるというのは変数の数だけ変数の挙動を追跡する考える余力がないといけないというわけで凡人なら簡単に頭がパンクしてしまうわけだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210907184611 の続き
たとえば、以下のような問題を考えます。演習問題に限らず、教科書の本文や、解答の一文一文も「証明問題」だと捉えてこのような態度で読み解く必要があります。
x2 - 2a|x| - b = 0
それほど典型的な問題ではありません。少なくとも、何か簡単な公式があって2aやbなどを代入すれば答えが出てくる、というものではありません。
この問題を解くには、左辺の式が何を意味しているのか理解していなければいけません。これは、何か上手いやり方があって機械的に解ける場合でもそうです。
とxの二次式になるので、既に知られた方法で解の個数を求めることができます。ただし、たとえば方程式f≧0(x) = 0の解は、x≧0を満たすものだけを数えることに注意が必要です。したがって、単に判別式の符号を調べるだけでなく、二次関数f≧0(x)のx≧0の範囲での増減を調べる必要があります。x<0の場合も同様です。
結局、この問題を解くには
ということができる必要があります。特に前者を理解していないのは、問題文の式が何を意味しているのか分かっていないということですから、解法を覚えるとか言う以前の問題です。当然、これらが分からなければ調べたり他人に聞く必要があります。その際は、定義の数式を形式的に覚えたり当て嵌めたりするだけではなく、具体例を通じて、その意味を理解する必要があります。絶対値記号|x|であれば、xが正の数ならどうなるのか、負の数ならどうなるのか、y = |ax + b|や、y = |ax2 + bx + c|のグラフの概形はどうなるのか、等。
もし二次関数を調べた際に平方完成が分からなければ、それも調べる必要があります。平方完成を調べて文字式の展開で分からないところがあれば、それも調べる必要があります。そもそも、二次方程式を解く際になぜ(一次方程式では必要無かった)平方完成をするのか。そういった問題が解ける理屈(あるいは類似の問題と同じやり方では解けない理屈)を理解している必要があります。
また、自分で問題を解いて、たとえば場合分けの仕方が解答と異なるならば、それらが本当に同値なのかをきちんと確かめる必要があります。最初のうちは計算ミスをして符号などが逆になることもあるでしょうが、それもどこで間違えたのかをきちんと確かめる必要があります。
そういうことをすべて完璧にこなして初めて、この問題を理解したと言えるのです。
以下、解答例を載せます。匿名ダイアリーなので文字のみですが、実際は図を付けた方が良いでしょう。
f(x) = x2 - 2a|x| - bとおくと、
f(x) = 0の実数解の個数は、y = f(x)のグラフと、y = 0のグラフの交点の数であるから、これを求める。
とおく。y = f≧0(x)のグラフは、(a, -(a2 + b))を頂点とする下に凸な放物線で、y軸との交点は-bである。一方、y = f<0(x)のグラフは、(-a, -(a2 + b))を頂点とする、下に凸な放物線で、y軸との交点は-bである。
したがって、y = f(x)のグラフは、y = f≧0(x)のグラフのx≧0の部分を、y軸に関して対称に折り返した形をしている。
f(x)は、x = ±aで最小値-(a2 + b)を取る。したがって、y = f(x)のグラフとy = 0のグラフの交点の数は、
f(x)は、x = 0で最小値-bを取る。したがって、y = f(x)のグラフとy = 0の交点の数は
以上、(1-1)〜(1-5), (2-1)〜(2-3)がf(x) = 0の実数解の個数である。
上の解答例ではy = f(x)のグラフの位置関係を用いましたが、もちろん、f≧0(x) = 0、f<0(x) = 0の解を実際に求めても解けます。
この場合は、それぞれの解がx≧0、x<0を満たすかどうかを確かめる必要があります。そして、それぞれの場合でf≧0(x) = 0のx≧0を満たす解の個数とf<0(x) = 0のx<0を満たす解の個数を足したものが答えになります(x≧0とx<0に共通部分は無いので、これらを同時に満たすことはありません)。
f≧0(x) = 0の解は、
x = a ± √(a2 + b)
である。同様に、f<0(x) = 0の解は
x = -a ± √(a2 + b)
である。
とおくと、ra(b)はa2 + b≧0の範囲で定義される。また、ra(b)はbに関して単調増加であり、ra(0) = |a|である。つまり、f≧0(x) = 0およびf<0(x) = 0の2つの解が同じ符号を持つか否かは、b = 0を境界にして分かれる。
したがって、a2 + b≧0のとき、f≧0(x) = 0の解は
同様に、f<0(x) = 0の解は、a2 + b≧0のとき、
また、D < 0の場合は、f≧0(x) = 0、f<0(x) = 0ともに実数解を持たない。
以上をまとめると、f(x) = 0の解の個数は、以下のようになる。
(1-1) a2 + b<0のとき、0個
(1-2) a2 + b = 0のとき、2個(③と⑥でD = 0場合)
(1-3) a2 + b>0かつb<0のとき、4個(③と⑥でD>0の場合)
(2-2) b = 0のとき、1個(②と⑤で D = 0の場合)
何度も書いているように、たとえばx2 - 2ax - b = (x - a)2 - (a2 + b)などの式変形の意味が分からないのであれば、二次関数の復習をする必要があります。解答文中に出てきた「単調増加」などの用語も分からなければ調べる必要があります。
上記の場合分けが(a, b)のすべての組を網羅しているのか、と言ったことも注意する必要があります。
解答例2の①〜⑥の場合分けは、y = f≧0(x)およびy = f<0(x) のグラフとy軸との交点を考えています。これの符号と軸の位置で、どの範囲にy = 0の解が存在するかが決まります。たとえば、下に凸な放物線がy軸と負の値で交わるならば、x軸とは必ず正負両方の値で交わらなければいけません。逆に、y軸と正の値で交わるならば、x軸とは交わらない(D<0)か、放物線の軸がある方で2回交わります(D = 0の場合は1回)。解答例2ではra(b) = √(a2 + b)という関数を用意しましたが、このy軸との交点と軸に関する条件を代わりに説明しても良いです。このように、数式や条件が図形のどのような性質に対応するのかを考えることも数学の勉強では重要です。
また、「二次関数f(x)が下に凸で最小値が0以下であれば、f(x) = 0は実数解を持つ」ということを認めています。これは明らかに思えるでしょうが、極限を習った後であれば
実数値関数fが区間[a, b]で連続であれば、f(a)とf(b)の間の任意の実数γに対して、γ = f(c)となる実数c∈[a, b]が存在する。
という「中間値の定理」を暗に使っていることを見抜けなければいけません。このような定理が出てきたら、Part1でも述べたように、具体的な関数でどうなっているのか(たとえばf(x) = x2 - 2に対して、f(a) = 0となる実数aが存在することなど)、仮定を緩めたら反例があるのか(たとえばfの定義域が有理数ならどうか、連続でなければどうか)などを確認する癖をつけましょう。
y = x2 - 2a|x| - bのグラフとy = 0のグラフの交点を考える代わりに、y = x2 - 2a|x|のグラフとy = bのグラフの交点を考えても良いです。これは、本問と同値な方程式
x2 - 2a|x| = b
を考えていることに相当します。記述量はそれほど変わらないでしょうが、こちらの方が見通しは良いかも知れません。
仮に本問と異なり、aが定数の場合、たとえばa = 1であれば
y = x2 - 2|x|
のグラフは変数に依りませんから、y = bとの交点を考えるのは容易です。
実際、y = x2 - 2|x|のグラフは、頂点が(1, -1)、y軸との交点が0の、下に凸な放物線のx≧0の部分をy軸に関して対称に折り返した形です。
したがって、この場合は
です。
以上のことは、問題を解く際だけに行うのではなく、教科書本文、問題文、解答例の一文一文を「証明問題」だと思って常に意識する必要があります。
幼い頃から学校が嫌いで運動音痴な上に頭の回転も遅かったんだけど歳を重ねていく事に学校嫌いが悪化してから学校に付随するものが全て嫌いになってきて中学上がったあたりから人付き合いとか勉強に酷い拒絶反応起こして1日12時間とか寝たり仮病使ってたら親に家から叩き出されて家の近くのお墓で座り込んで蹲って1人で泣いてたりしてたら中学生ながら親よりも白髪が増えてしまってそんなこんなで高校受験迎えて偏差値40の高校に合格見込み無しとか言われてさっさと落ちて通信制の高校行きたかったから家から1番近い偏差値48の高校受けたら受かってしまって行きたくない行きたくないと駄々こねながら入学する羽目になって相変わらずサボり癖が抜けなかったり人付き合い悪いまま卒業を迎えて成績も悪いし家貧乏だし学校嫌いだから進学しないし働くのも嫌だから楽な仕事で検索したら「市役所は楽」って聞いて親に公務員になる旨伝えて公務員浪人させてもらって2年間のモラトリアム獲得して公務員試験の勉強して今まで勉強してこなかったから教養問題(いわゆる国数理社英のことで主に自然科学と社会科学が得点源とされている)とかちっともわかんないし馬鹿だから頭に入らなかったんだけど知能問題(パズルみたいなやつで二次方程式出来るなら解ける問題が多い)が何故か得意だったのとコミュ障だけど愛想だけは良かったのが功を奏して地元の市役所合格したけど社会不適合者なのは全く変わってない俺が仕事続くはずもなく人付き合い苦手で頭悪すぎて仕事も理解できないし周りが何言ってるのか理解できないしで皆は普通に仕事できてるのに自分だけ1人常時パニック状態精神が壊れてしまって周りも家族も困惑させて5年ニートした後今は地元で流れてくるダンボールにガムテープをはる日雇い派遣をずっとやって実家暮らししてる今年35の男だけど俺見たいなやつの話ききたい。
数学や理科を教えても、何の効果も無い。こんなことに税金を費やすのは無駄であるから、やめるべきである。
一般的に言って、学校教育に数学や理科などの専門学問の基礎科目を課す理由は、以下の2つである。
現状、国民に学校教育を施しても、このどちらも成果を上げていない。
将来、研究者や高度な専門技術者になる人はごく一部であり、その一部を輩出するために、全体に教育を施すのは無駄である。
また、このような専門家(具体的に言えば大学教員や有名大企業の研究職・技術職など)になる人たちは、全国レベルの有名進学校出身がほとんどである。そういう人たちは最初から学問への関心が高く、学校の勉強など課せられなくても、勝手に才能を伸ばしてくれる。
それ以外で学校の勉強が役に立つケース、つまり「学校の勉強がきっかけで学問に関心を持ち、優秀な研究者や技術者になる」などというケースは無視できるほど少ない。
第一、二次方程式や三角関数などを教えても社会に出てから使う人は皆無である。つまり無駄である。
また、日本(に限らず先進国)の国民の約3割は小学校3〜4年生レベルの数理的能力しかなく、PCを使った基本的な業務ができる人は1割しかいない。電磁波有害説やがん放置療法などの社会的に問題のある疑似科学を信じる人も後を絶たない。国家規模のコストをかけた教育の成果がこれでは、やる意味は無い。
そもそも、数学や理科に限らず、義務教育の公民で選挙について教えたって、投票率は半分もない。国民の3割は簡単な短文すら読めない。あらゆる領域で学校教育のコストは無駄になっている。
学校教育から数学や理科を無くしたところで、何か問題が生じることは無い。
上に述べたように、研究者や高度な専門技術者になるような人は最初から優秀なのであり、学校で教えなくても、勝手に才能を伸ばす。したがって、学校教育から数学や理科を無くしたところで、そういう人材が減ることはない。
また、国民のほとんどは、数学や理科を習ったところでその素養を日常生活の中で活かせていない。そして現状、日本にはそういう人たちにもちゃんと仕事があり、ほとんどの人は不自由なく生活が営めている。つまり、学校教育から数学や理科を無くしたところで、職を得たり生活することが困難になる人が生じることもない。
たとえば、数学がまともにできる人で、(a + b)(c + d)の展開公式を覚えている人はいないだろう。分配法則を知っていれば計算できるからだ。そして、多項式に対して分配法則が成り立つことは(もちろん厳密に証明することはできるが)自然な感覚であり、これも覚える必要はない。
こんな自明な例に限らず、数学で何かを覚えることが、遠回りであり、本末転倒であることを説明する。
また、読解力の低い奴のために補足しておくが、「覚えなくていい」というのは「勉強しなくていい」ということではない。まあ、こういう勘違いをする奴らはこの一文自体読めないから無駄なんだが、少なくとも俺が「ここに書いてあるだろボケ」と言うための根拠にはなる。
無い。
「定義や公理は他の事実から導かれないので覚える必要がある」という意見があるが、間違いだ。
それは単に論理的に導かれないというだけであって、考えている問題に対してそのように概念を定義すべき理由は存在するからだ。
たとえば、複素数は実数係数の2次方程式の解として生じるからi^2=-1と導入するのは自然であるし、三角形は2角と1辺の長さが決まれば決定されるから三角比の定義は自然なものである。
そもそも、どのような経緯でそのような概念が導入されるのか理解することは、別に数学に限らず重要である。
無い。
数学の公式はすべて論理的に導出できるのだから、覚える必要はない。特に、高校数学程度の定理・公式などに大して証明が難しいものは無いのだから、瞬時に正しく導けなければいけない。
また、大抵の公式は、その意味が理解できていればいくつかの具体例で試せば分かる。たとえば、三角関数の加法定理は、cos(π/2+θ)とsin(π/2+θ)さえ分かれば求められる。
無い。
用語などはどうでもいい。
たとえば、平方完成という名前を知らなくても、二次方程式の解の公式の導出や、二次関数の極値問題が解ければ全く問題ない。
無い。
集合Kが2つの二項演算+: K×K→K、*: K×K→Kを持ち、以下の性質を満たすとき、Kは体であるという。
K, Lを体とする。K⊂Lとなるとき、LをKの拡大体という。L/Kが拡大であるともいう。もちろん、これはLの部分群Kによる剰余群のことではない。
C/Rや、C/Qは体の拡大の例である。K(X)/K(X^2)なども体の拡大の例である。
L/Kを体の拡大とする。任意のa∈Lに対して、K係数の多項式f(X)が存在して、f(a)=0となるとき、LをKの代数拡大体、またはL/Kは代数拡大であるという。
そのような多項式が存在しない元が存在するとき、LはKの超越拡大体、またはL/Kは超越拡大であるという。
なぜならば、任意のz∈Cはz = x + yi (x, y∈R)と表わせ、z* = x - yiとおくと、zは二次方程式
X^2 -(z + z*)X + zz* = 0
の解だから。
Kを体とする。K上の任意の多項式F(X)に対して、Fの根を全て含む体Lが存在する。言い換えれば、FはLで
と一次の積に分解する。このようなLのうち最小のものが存在し、Fの(最小)分解体という。Fの分解体はKの代数拡大体である。
LをFの分解体とする。Lの部分環Vを
K[X1, ..., Xn]→L (f(X1, ..., Xn)→f(a1, ..., an))
の像とすると、VはK上のベクトル空間である。各aiはn次多項式の根であるから、aiのn次以上の式はn-1次以下の式に等しくなる。従って、VはK上高々n^2次元の有限次元のベクトル空間である。
Vは整域であるから、0でない元による掛け算は、VからVへの単射線形写像である。したがって、線形写像の階数と核の次元に関する定理から、この写像は全射である。よって、Vの0でない任意の元には逆元が存在する。つまり、Vは体である。
Lは、Kと各aiを含む最小の体であり、V⊂Lなので、L=Vである。
さて、Lの元でK上のいかなる多項式の根にならないものが存在したとし、それをαとおくと、無限個の元1, α, α^2, ...は、K上一次独立となる。これはVが有限次元であることに矛盾する。□
L/Kを代数拡大とする。LはK上のベクトル空間となる。その次元をL/Kの拡大次数といい、[L : K]で表す。[L : K]が有限のとき、L/Kは有限拡大といい、無限大のとき無限次代数拡大という(上の証明でみたとおり、超越拡大は必ず無限次拡大である)。
M/K、L/Mがともに有限拡大ならば、L/Kも有限拡大であり、[L : K] = [L : M] [M : K]。
α∈Lとする。K上の多項式fでf(α)=0をみたすもののうち、次数が最小のものが定数倍を除いて存在し、それをαの最小多項式という。
[K(α) : K]は、αの最小多項式の次数に等しい。なぜならば、その次数をnとするとαのn次以上の式はすべてn-1次以下の式になるため、[K(α) : K]≦n。1, α, ..., α^(n-1)が一次従属だとすると、n-1次以下の多項式でαを根に持つものが存在することになるので、[K(α) : K]≧n。よって、[K(α) : K]=n。
Lの自己同型σでKの元を固定するもの、つまり任意のa∈Kに対してσ(a)=aとなるもの全体のなす群をAut(L/K)と書く。
任意の有限拡大L/Kに対して、#Aut(L/K) ≦ [L : K]。
L/Kを有限拡大とする。#Aut(L/K) = [L : K]が成り立つとき、L/KをGalois拡大という。L/KがGalois拡大のとき、Aut(L/K)をGal(L/K)と書き、L/KのGalois群という。
L/Kを有限拡大、[L : K] = 2とする。#Aut(L/K) ≦ [L : K] = 2なので、Aut(L/K)に恒等写像以外の元が存在することを示せばよい。
[L : K] = 2なので、α∈L\Kが存在して、1, α, α^2は一次従属。したがって、α^2 - aα + b = 0となるa, b∈Kが存在する。解と係数の関係から、α, a - α∈Lは、2次方程式X^2 - aX + b = 0の異なる2解。
α∉Kより、K⊕KαはK上2次元のベクトル空間で、K⊕Kα⊂LなのでL=K⊕Kα。
σ: L→Lをσ(1)=1, σ(α)=a-αとなるK線形写像とすれば、σは全単射であり、Kの元を固定する体の準同型でもあるので、σ∈Aut(L/K)。□
C/RはGalois拡大。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lに対して、αのK上の最小多項式が、Lで1次式の積に分解するとき、L/Kを正規拡大という。
L=K(α)とすると、L/Kが正規拡大であるのは、αの最小多項式がLで一次の積に分解するときである。
K(α)/Kが正規拡大で、さらにαの最小多項式が重根を持たなければ、αを他の根に写す写像がAut(K(α)/K)の元になるから、Aut(K(α)/K) = αの最小多項式の次数 = [K(α) : K]となり、K(α)/KはGalois拡大になる。
nを自然数として、ζ_n = exp(2πi/n)とする。ζ_nの最小多項式は、Π[0 < m < n, gcd(m, n)=1](X - (ζ_n)^m)であり、Q(ζ_n)/QはGalois拡大である。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lの最小多項式が重根を持たないとき、L/Kは分離拡大という。
体Kに対して、1を1に写すことで一意的に定まる環準同型f: Z→Kがある。fの像は整域だから、fの核はZの素イデアルである。fの核が(0)のとき、Kの標数は0であるといい、fの核が(p)であるとき、fの標数はpであるという。
F_2 = Z/2Zとする。F_2係数の有理関数体F_2(X)/F_2(X^2)は分離拡大ではない。
実際、XのF_2(X^2)上の最小多項式は、T^2 - X^2 = (T - X)(T + X) = (T - X)^2となり、重根を持つ。
L/KをGalois拡大、Gal(L/K)をGalois群とする。
K⊂M⊂Lとなる体Mを、L/Kの中間体という。
部分群H⊂Gal(L/K)に対して、L^H := {a∈L| 任意のσ∈Hに対してσ(a)=a}は、L/Kの中間体になる。
逆に、中間体K⊂M⊂Lに対して、Aut(L/M)はGal(L/K)の部分群になる。
次のGalois理論の基本定理は、L/Kの中間体がGalois群で決定されることを述べている。
L/KをGalois拡大とする。L/Kの中間体と、Gal(L/K)の部分群の間には、以下で与えられる1対1対応がある。
- H'⊂H⊂Gal(L/K)ならば、K⊂L^H⊂L^H'⊂L
- K⊂M⊂M'⊂Lならば、Aut(L/M')⊂Aut(L/M)⊂Gal(L/K)
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、#Aut(L/M)=[L : M]。つまり、L/MはGalois拡大
- 部分群H⊂Gal(L/K)に対して、#H = [L : L^H]、#Gal(L/K)/H = [L^H : K]
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、M/Kが正規拡大(L/Kは分離的なのでM/Kも分離的であり、従ってGalois拡大)であることと、Gal(L/M)がGal(L/K)の正規部分群であることが同値であり、Gal(L/K)/Gal(L/M)〜Gal(M/K)。同型はσ∈Gal(L/K)のMへの制限で与えられる。
K=Q, L=Q(√2, √3)とすると、Gal(L/K)はσ√2→-√2とする写像σと、√3→-√3とする写像τで生成される位数4の群Z/2Z×Z/2Zである。
この部分群は{id}, {id, σ}, {id, τ}, {id, στ}, {id, σ, τ, στ}の5種類があり、それぞれ中間体L, Q(√2), Q(√3), Q(√6), Kに対応する。