はてなキーワード: ヤンキーとは
https://mitibatacul.hatenablog.com/entry/2021/11/15/020629
これ呼んでふむふむと思ったので自分も少し書いてみる。久しぶりに面白い番組だった。
いつまで見れるかしらないけどTverで見れる。https://tver.jp/corner/f0088865
思い出すまま書き散らしておく
個人的にあの回はとても面白かったけど、番組はほぼマツコと松永の2人の会話だけだった。
松永が「ミソジニーで炎上して~日本だけだと限界を感じた~」のくだりに関しては確かに日本のHIPHOPについての、まあガワの話。
比較対象としてアメリカはガチだからという意見にマツコも乗っかって、さらにR指定も「向こうじゃあるあるなんですよ」と同意する。
そりゃ向こうのHIPHOP、のギャングスタにしたらが言葉でのやりあいが撃ち合いに発展しちゃうんだからリアルではあるんだろうけど
それはあくまでギャングスタであって今のHIPHOPはもっと多様でかつ商品としての価値というのが大きくなってしまったんで
そこを熱く語れる時点で松永氏はやっぱりどこかピュアなとこがあり、R指定としてはそこはもう通過してしまったんだろうって感じがした。
あと日本のヤンキー文化と一緒で向こうのギャングだってみんな去勢を張って生きていると思うし、盛ってなんぼみたいなとこもあるだろうし
大きな違いがあるとしたら銃の入手性で、やっぱ著名なラッパーが撃たれて死んじゃったみたいなのは日本ではそうそう起きないと思うけど
まあとにかくこの辺はHIPHOPの中でも特定の(目立ちやすい)ギャングスタ的なものに限っての話をしていて、クリーピーは日本ならではのスタイルでやってるじゃん的な流れになる。
R指定も概ね同意しつつ少し軌道修正する形で、日本でもアウトロー的なスタイルで割とガチなHIPHOPをして成功している奴らもいると補足はしている。
自分は正直この辺の話はまあそうねくらいで見てた。
で、こっから先はテレビについて、及びメジャーになることについてなんだけど、ここが面白かった。
恐らく松永はクリーピーとしてのどうこうというより、自分の最近の状況というものに憤りだか困惑だか、とにかくかわいく悩んでいるようで
HIPHOPを本業としてどうこうというよりは、、より個人的なスタンスの問題を語っていて
実際このへんからはR指定も(いやなんの話・・・?)みたいな顔に時々なっていた気がする。
で、マツコはマツコでテレビタレントとしての色々な葛藤とか経てるからか、そんな松永のピュアな葛藤みたいなのに心をぐぐっと掴まれたようだった。
マツコが後になって「この涙の意味は見てるかたが色々好きに解釈してもらえばいい」的な事を言っているように
ここで松永とマツコは当事者(テレビタレントとして重宝されるという状況)同士的ななぞのシンクロを見せ一気にその感情を爆発させる。
実際はもっと長く語り合ってカットされてしまってる箇所が多いんだろうと思うが、ちょっとR指定がかわいそうなほど周り置いてきぼりで2人の距離は縮まっていくのだ。
そして松永がマツコに甘えてどんどん僕って、、僕って、、、となるのに対してマツコも全力で受け答えてしまった結果
時折挟まれるR指定の言葉はもはや空を切るパンチでしかなくなる。
テレビで消費されることをテレビ番組で話してる二重構造も面白ければ、
HIPHOPという枠で縛ろうとすればするほど自己矛盾が生じてくる、テレビで輝く男松永の面白さ。
と今のテレビについて言い切ったのがこの回の個人的なハイライトで
そもそもテレビってそんな感じじゃね?というのはあるんだけど、それを外野が言うのと当事者が言うのでは言葉の重みも違うというもの
一方でクリーピーというHIPHOPを生業としてるユニットがメジャーに打って出た結果
松永がキョドりながらその辺のタレントなんかよりよっぽど芯を食った面白い事を言ってくれる存在になっていて
この2人が絶妙なタイミングでリンクしてしまってお互いに泣いてしまうという
そこらへんがもうなんとも味わい深い神回と呼ぶにふさわしいテレビ番組になっていた
そしてじゃあなにがHIPHOPなのかクリーピーのやり方はどうなのか、という点については、
最後にマツコの言った
「伝わるのは熱量だけなのよ」
という一言に尽きるなとも思いました。
分断が激しくなったのと単純にヤンキーの数が減ったのが原因かなと思う。
晴れ渡った秋空の下。大きく「小・中学生の部」と「高校生・大学生・社会人の部」に分かれて、野外ステージでダンス・コンテストをやっていたので見物した。
自分は素人だから、良し悪しなど分からないまま「皆よく踊れるね〜、最近の若い子たちはすごいね〜」と、年寄り臭く度肝を抜かれて感心していただけであった。踊っている子たちは、いかにも現代の少年少女という感じで、スタイルもよく、衣装も凝っていた。それに加えて兎に角、どの出場者たちも楽しそうにしているので、観客として見ているだけのこちらも楽しくなった。
一応コンテストということで、プロのダンサーの人が審査員役を務めて講評していた。その話の中で、審査員が若い頃の思い出として「楽しく踊れてる?いいね〜!オレの若い頃なんかさ、ダンスの練習してるとヤンキーに絡まれたりしてたんだよね。君たちはそんな経験はしてないんだ。それは良いことだよね!最近は環境が良くなってきてる」と、ヤンキーに邪魔されて苦労した話をしていたのが印象的だった。確かに自分の若い頃に身近で見聞きしたことを思い出すと、ヤンキーという人種は、自分たちが愚かであるだけでなく、何かに打ち込んでいる他人の足を引っ張って自分のレベルに引き摺り下ろそうとするのが大好きであった。
もしかしたら、若者層へのダンス文化の浸透によって「ヤンキーが他人の足を引っ張る行為は格好悪くて迷惑」と見なされるようになったのだろうか。もしもそうなら、良いことである。
事件記者のパーカーは、連続殺人犯のリッキーを正義感から助けたが、恩を仇で返され殺されかけた。
再び収監されたリッキーだったが、ある日刑務所を脱走して行方不明となる。リッキーからの報復を恐れ、警察に付き添われつつ逃避行したパーカーだったが、護衛に着いてくれたスッタッグ警部補に好感を持ちはじめ……。
すごく面白い訳じゃないけど、つまらなくもない。終盤、もしリッキーが復讐に訪れたら、その時パーカーはスタッグ警部補に何をしてもらいたいと願っていたのか、その胸の内を白状するところが、人間臭くてよかった。
柴からのプロポーズを受けて、結婚するのもいいかなと思った、秋山くん。だが、自分と柴がふわっふわしていて地に足が着いていない有り様を仲間達に指摘され、自分がしっかりしないと、と決意したのだった。
進路選択を機に我に返って現実を見る、というのはあるあるだけれども、世間に歩調を合わせて妥協するのではなく、「結婚する」という目標はブレないまま、それぞれ成長していくところがよかった。
柴と秋山くんだけでなく、柴の友人のじおんくんやちえちゃん、秋山くんの悪友達も彼らなりに考えて成長し、互いに影響を与え合っている様もいい。
そして、地方のヤンキーや底辺高校生達の人生を回すスピード感がリアル。彼らは都会の大卒がアラサーで悩むような事に、高校在学中に悩み決断するんだよなぁ。
BL漫画を描くような人が、こんな感じの市井の人々にスポットを当て、「ヤンキー」という形だけでなく彼らの暮らしぶりのリアルを肯定的に描くのは意外な感じがした。
第1巻の、かなり酷すぎる性的虐めからのまさかの展開の時点では想像もつかなかった、大団円。よかったわねぇ、皆……と近所のおばちゃんの気分でほろりとしてしまった。
記念すべき第80号。飛ぶ鳥落とす勢いの人気小説家、凪良ゆう先生の作品をコミカライズ! というスペシャルな感じがあるんだけど、寄稿者の人数が今月も少なく、大丈夫なの……? と一読者の私は若干心配になるのだった。朝田ねむい先生の『スリーピングデッド』が2話分一挙公開! さもなければ雑誌がもっと薄くなってしまったよね。私は電子派だから、リアルに本の厚みに一喜一憂は出来ないのだけれども。
ちなみに、『Canna』のテイストはエロ大人しめで、青年漫画に近い感じかな。変わった作風のものが多いと思う。じっくりストーリーを楽しみたい人向け。
ではでは、作品ごとに感想を書いていくぞ。順番は掲載順。文章量があからさまに思い入れに比例してて御免。
昨今はあまりにも小説が売れないが、ストーリーを作れるのはやっぱり小説家、ということで、小説のコミカライズがお盛ん。しかし小説のコミカライズを読む度に、大体原作の方が面白いなって思う。やっぱ、漫画には漫画の、小説には小説のやり方があるんじゃないかな。
という訳で、この作品もやっぱり原作読んだ方がいいんじゃないかなという感想。私自身は凪良ゆう先生の作風が好きだけど、『積み木の恋』は未読。原作の方が好きになれそうと思った。
凪良先生の良いところは感情表現とユーモアで、ユーモアの方は台詞に出がちなのでいいとして、感情表現は地の文に出がち。しかも行間を読ませるというよりは分析的な文章なので、漫画の余白とか空気感で表現はしづらいんじゃないかなと思う。
コミカライズ担当者がまずいという訳ではない。漫画化との相性がいい原作を選んだの? と疑問に思うだけ。
現在、他誌でも凪良ゆう先生の作品が漫画化されているんだけど、そちらは近々ドラマ化される『美しい彼』で、コミカルな台詞回しが多く、少女漫画のセオリーを綺麗に踏襲しつつたまに強烈な逸脱を見せる作風で、より漫画向きな感じがする。
すごく評判のいい作品なのだが、私はつい最近(4、5号前かな)から読み出したせいで、話がさっぱりわけわかめ。最近までは悪魔Jの過去話で、現在は主人公のマコトちゃんがなんか生首持ってJの家に来たところ。
まあ、よくわかんないけど、マコトとJのどろどろの愛を楽しむ漫画なの? 今回はやばやばエロ回。Cannaの漫画っておかしな性癖のエロはあまりない感じなんだけど、本作の今回は若干アブノーマルかなぁ。最中の台詞を読んで、それ奴隷商人痴皇(@『幽遊白書』)が言ってた台詞のやつじゃん、とツッコミを入れたりなど。
ストーカー?×恋愛の美味しい所だけ味わいたいグラスハート のおっさんずラブみたいな感じ。画風がサラリーマン向け雑誌みたいだが、エロはがっつり腐女子好み。エロシーン多め。「×」というよりは「VS」が似合う関係性のようにも思ったが、受けの人は粘着されて嬉しそう。まじかよ。
第1話を掲載した後数回休むってすごいな! と、これまで読んできた漫画雑誌といえば有名少年漫画・少女漫画雑誌くらいの私は思うのだが、Cannaにはよくあることなのかもしれない。
別にBLでなくてもよくないか? と思った。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
相変わらずタイトルの響きが最高だなあ、ベルガモットアンドサニーデイ! 声に出して読みたいタイトル。
働く大人女子向け漫画っぽいもだもだした恋愛もの。別にBLでなくてもよくないかという気がしないでもない。
オメガバースって、二次創作においては行きつく所まで行ったニッチな性癖感あるけど、オリジナルBLにおいてはネタの範疇に妊娠と出産も一応入る為に社会派の側面もあるよねー。ということで、これもうっすら社会派っぽい雰囲気のある作品。
とはいえ、大概のオメガバースはαとΩのやり過ぎエロとかΩの業の深さを楽しむものだとも思う。本作も社会派っぽい面はあくまでおまけかな。
イエーイ今回一番楽しみにしていましたイエーイ!! 2話ぶん一挙掲載にしても凄い分量がある。全部で80ページ越えだもんな。
ネタバレをしながら書くので、ネタバレ無しで読みたい人は読み飛ばしてください。
今年の8月末日に刊行された第一巻の続き。殺人事件に巻き込まれて理不尽な死を遂げた佐田が、マッドサイエンティスト間宮に拾われ理不尽にもゾンビにされ、これまた理不尽にも食人をして生きることになったのが、第一巻までのストーリー。
巻末辺りで、間宮が実は顔見知りだったことを佐田は思い出す、という謎めいた展開に。
今回は、佐田の記憶に結構ぼこぼこに抜けがあるのが判明しつつ、視点は佐田から間宮に移る。
これまでもっぱら佐田視点で物語が進み、佐田の人となりを読者は佐田の自己認識という形で知ってきた。ところが! 間宮の記憶に残っている佐田の人物像がとても意外。いや、表向きは佐田は昔から非の打ち所のない、ほどほど善良な人物だった。それを間宮はスクカー最底辺のひがみ根性から「偽善者」と決めつけていたのだけれど、あることがきっかけで、佐田の邪悪な一面を垣間見たのだ。
一巻までは、クレイジーな科学者間宮に翻弄されるごく普通の善良なスパダリ佐田、という構図だった。けれども一皮剥けば、間宮は科学的探求心に突き動かされていない時には案外まともな感性を持っているのに対し、佐田は無意識ながら自身の暴力性を発揮する隙を窺っているようにも見える。
理由も無しに暴力を振るわない間宮と、理由さえあれば嬉々として暴力を振る佐田。彼らは似ているようで根の部分は真逆。
佐田の仮面を剥がすと現れるのは、過去に間宮を虐めた奴らと同じような気性で、間宮が佐田に惹かれるのはストックホルム症候群のようなものに思える。お、これって同作者の『マイリトルインフェルノ』じゃん? 『マイリトルインフェルノ』のあとがきに、最初はいじめられっ子が悪魔の力を借りていじめっ子に復讐する話だったが暗くなりそうだからやめた、と書いてあったと記憶しているが、今回はそのテーマに再挑戦するということなのだろうか?
間宮と佐田の過去編にはBLなのに若干百合みを感じる。陰湿×陰湿だからかな。
感情を表情や言葉で表すのが大の苦手な間宮の、一巻までの言動の伏線は全部一巻内で回収(あーこいつ実は佐田のことかなり好きだな、と。)されたものだと思っていたが、そのなかでの特に重要な台詞や表情の一つ一つが、実は二人の過去(しかも佐田には綺麗さっぱり忘れられている)に掛かっていた、というのにはやられた。なんてすごい構成力なの……。
ここまで見てくると、間宮の佐田に対する一方的な想いが実にエモーショナルに感じられ、間宮の佐田に対する言動の一つ一つが愛らしく思えてくる。間宮が佐田の死顔を見、「……あまり変わってないな、キミは」と呟き佐田の頬を撫でるシーンにはちょっと涙が出てしまうな。一巻収録ぶんを未読な人には、変な人の変な行動にしか見えないかもしれないけど。いまだ紆余曲折の真っ最中にあり見た目にまで苦労の滲み出ている間宮が、昔のまま歪みなく順風満帆に大人になり夢も叶えた佐田に対し、羨望と嫉妬以上の眼差しを向ける、名シーンだ。
ところで、佐田が肝心の所をまるで覚えていなかったのは、何かの影響による障害にも読めるし、加害者と被害者の記憶のギャップにも読める。佐田は間宮を虐めた人ではないけれど、佐田の心根にはいじめっ子的な所があるというか。間宮が佐田のことで強烈に記憶している部分というのが、佐田にとっては他人に対する悪意を解放した部分である(佐田本人はスカッといい気分)であるから、そりゃ覚えている訳はないか。
間宮と佐田の過去と二人の関係性、そして間宮の佐田に対する想いは明らかとなった。だが、ゾンビ化が佐田に与えた影響という伏線はいまだ回収去れていない。これが今後どのようにストーリーに関係していくのか。ゾンビものの定石として佐田が人格を喪い人食いモンスター化し暴れ出すとかいう展開も予想出来る流れだし。
次回が待ち遠し過ぎる。
えっ、この漫画もう第5話なの? あらまあ! 時の経つのは早いなあぁ。そういえば、私が初めてCannaを買ったとき、ちょうどこの漫画が新連載として載っていたような記憶がある。
ハードっぽい作風と画風で、日本の漫画という由りは海外の、フランスとかの漫画っぽい雰囲気なのだが、やっぱりBLはBL。急速に恋が始まり、油液が飛んだ。(←何かの隠喩ではない。)ここまで一応事件はあったものの凄い急展開が起こった感はないのだけど、もう5話。一巻以降も続く感じかな。次号とかで終わったら、何だったのかよく分からない漫画になってしまうし。
娼館ものでかつ猫耳獣人ものという欲張りセット。連載が長く続いているのもあり、私にはさっぱりストーリーがわけわかめ。
この間まではなんか過去の話をしていなかったか? 攻めの人がどっか遠い所に行っちゃうような話では? と、前回までの話を把握していないまま今回を読んでも理解出来るはずもなく……。絵が綺麗。しかし、何故レディコミではなくBLなのだろう? という疑問もなくはなく。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
イエーイ、これもすごく楽しみにしていましたイエーイ!! だが、ストーリーはそんなに進まなかったので、ネタバレのしようがない。
前回までの色々が解決も進展も後退もせず。フィーは子供時代に犯した過ちがシャングリラに及ぶことを恐れて怯え続けれており、一方アポロといえば、輝く白さのホワイト労働のはずがまさかの自身の性質によって馴染むことが出来ずに進退を考える局面に差し掛かっていた。
アポロが試情夫として正規雇用されて依頼、なかなか接点を持てないふたりは、それぞれの悩みを一人で抱え込んだまま、ひたすら悶々とし続ける。
精神的に詰みそうになったタイミングで、運良く二人きりになれたとこまでで次回を待て!
なんとも言いようがない。ただ、座裏屋蘭丸先生の描く、男子達がより集まってあーだこーだ言い合うシーンは最高だなあ、ということくらい。
絵柄がすごく綺麗なのに、背景を真っ裸で歩くフィーの超遠目に映ったおちんが白抜き修正されてしまうのが、地味に悲しい。全身クローズアップ絵では脚とかで隠し切っているのになぁ。
別にBLでなくてもいい気がするのだが、BLじゃなかったらこのモフモフが観れなかったので、BLでよかった。
つむぎの狐Ver.の口元のふにゃふにゃさと狐らしいお手々の感じが癒し。だが今回は人間姿でこってりエロ回。モフモフしっぽガードがよかった。
この作品はかなり人気があるようで、Cannaの代表作といえばこれ、みたいな扱いをされているけど、私はあんまり好きじゃないんだよなぁ。BLなんだけど、少女漫画特有のねっちりさがあるところが、あまり好みではない。そういうのが良ければ少女漫画を読むよ。しかし世間ではこれが王道綺麗めBLなのかもしれない。知らんけど。
***
個人的に、「BLなのに百合みがある」は正直な感想でありつつ褒め言葉でもある(と言いながら、私はあまり百合は好き好んでは読まないのだが)のだけど、「BLでなくてもよくないか?」は明確にdisりとして使っている。
せっかくの増田。何もしがらみのない場所なので、そりゃ忌憚のない感想をかくさ。
では今日はこの辺で。
これ見て思い出したので自分も書く
中2の頃にクラスメイト全員からいじめられてた。ついでに部活のやつらからもいじめられてた。高校のOBの先輩(勉強も出来なきゃ運動もヘタだった)にもいじめられてた
正確には主犯格(同じ部活)とその取り巻きがメインで、後の奴らは様子見て笑ってたりたまに便乗してくるぐらいだったけど
ほぼ全員にいじめられてた。いじめの後半は物が無くなるどころの騒ぎじゃなくて、リアルに「おめえの席ねえから!!」をやられたことがある
あのドラマが放映されるだいぶ前の話だったから、あのシーン見た時もいじめられてた当時を思い出した
夏休み終わって、2学期の途中ぐらいで真剣に不登校になるのを考えだした
学校に行くのが非常に苦痛だったし、一部の先生は見て見ぬふりをしていたので周りに味方は居なかった
ある日、登校中にふと「どうせ不登校とか転校になるなら最後に大暴れしても問題なくね?あれ??」というよくわからない発想に至り
その日の昼休みに、行動に移してみることにした。今考えるとただのやべーやつだった
とはいえ失うものも特になかったので、いじめっ子(と取り巻き)が恒例行事のようにいじめ始めた瞬間に
「てめえらふざけんじゃねええええ」みたいなこと叫びながら教室で大暴れしたらえらいことになった
様子を見てたクラスメイトはどよめくし、別のクラスから来てた生徒は逃げ出すし、取り巻きも一緒になって逃げようとしたので、走り出した瞬間に取り巻きの横頬に筆箱を全力で投げつけてやったら取り巻きだけは止まった
主犯格のいじめっ子は最初こそ余裕があったが、こっちがマジギレしてると分かった瞬間にちょっと怒りだしたが、それ以上にこっちがまくし立てて相手を黙らせてしまったので怒るに怒れてなかった
そんなこんなで昼休みの時間中はずっと大暴れして、だいぶスッキリしたので
よし、明日も元気に学校行くか!と思ってその日は帰宅。翌日になって普通に登校したら、全校生徒を巻き込んだ全校集会が始まった
内容は忘れたけど、許されざるイジメがあってどうのこうの、というお決まりの内容で当事者の自分は職員室に呼び出されて事情聴取された
親を巻き込んで大騒ぎになるかと思ったが、意外とそこまで大騒ぎにならないで、いじめっ子が自分にごめんなさいをして終わった。いやイジメは終わらんかったけど
部活では先輩に嫌われてたし、部活でのいじめは相変わらず続いていたので、部活でもマジギレした自分は部活に行かなくなった
新任の20代前半だか後半ぐらいの若い美人の先生には申し訳なかったが、行きたくないので行かなかった
そんなこんなしてたら周りからは腫れ物扱いされ
マイルドヤンキーみたいなやつからは「お前、やるじゃん」と肩を叩かれ知らない間に仲間認定され
将来どうすんだろうって感じのヤンキーからは「タバコ吸うか?」って誘われていた。ちなみに今でもタバコは嫌いだから未だに一本も吸ったことはない
中3になったら皆興味が無くなったのか、一部の暇そうなやつら以外からはちょっかいを出されることもなく
一応同じクラスメイトだから誘ってやるかってノリで誘われた打ち上げに参加したら
「あの〇〇の私服が意外とカッコイイ」とかいうすごいしょうもない評価のされ方をして、クラスメイトとも仲良く話せるようになって
なんなんだろうね。
女性特有な気がする。男の人って「消費する側」だから、奉仕してくる彼女らの事をうっすら見下してるというか、金稼いでても底辺にカテゴライズしてんだよね。
だから風俗嬢の彼女がいるっていうと「あ……察し、包容力あるね」で終わる。
売れてる経営者も、金持ちの社長も風俗嬢はあくまで「備品」で、同じ階級とは考えてない訳よ。
でもどうも、女性全体の中でキャバ嬢とか風俗嬢とかは「華やかな職」みたいな意識があって、例えば男で言う「ヤンキー」とか「暴力団」みたいな、見下されつつも権威のある、一種の憧れになってる気がする。
そしてその風俗嬢達の中には変な階級意識を持ってる奴が居て、ほぼ性奴隷で生産性が無いのに自分が社長や経営者と同じカテゴライズに居ると勘違いしてるのよね。
成長には痛みが伴うことがあっても改革が必要だ。体たらくになっている自民党にガチンコでぶつかり合っていく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1234417ec64d4cedcc9300e4336a0a242a890dd3
この「体たらく」はおかしい。「様子」とか「ありさま」を意味する言葉なのだから「体たらくになっている」では通じない。
おそらく「なんという体たらくだ」「こんな体たらくではいけない」といった用例を見聞きするうちに「ひどい状態」という意味に取り違えたのだろう。
知事だけではなく世間的にもこの誤用は広まっているようで、検索してみると10年以上前には既に日本語の乱れ的な記事で取り上げられているのが確認できた。
アンテナの低い私は知らなかった。
で、これ何かに似てるなーって考えて気づいたんだが、関西のヤンキーが言う「ヤカラ」もこれだったんだな。