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はてなキーワード: 魏延とは

2023-03-30

anond:20230330154522

でもそこで馬謖を許すと「どうせ孔明は俺たちを殺せないんやから好き勝手やったろ」っていう魏延みたいな奴が大量発生してもっと早く蜀が滅んでた可能性もあるだろ

2022-09-21

anond:20220921150451

でも反骨の相があった魏延を重用したら反乱を起こされたから…賢者歴史に学ぶんだよ。

2022-07-07

魏延馬岱三国時代ぬるぽガッ

魏延が「わしを殺せるものがあるか」と言ったらなるべく早く馬岱が「ここにいるぞ」と斬り殺す遊び

2022-02-01

はてなブログ面白い記事を書ける人が本しゃぶりしかいなくなった

今日自分が読者登録してて面白いと思ってた人が

はてなブログをやめてnoteに移行しますと宣言されていた。

今のはてなブログ

諸葛亮孔明が死んでその後内ゲバ魏延殺してなんとか姜維ポジで本しゃぶりが頑張ってるようなもの

言うまでもなくはてなブックマーク劉禅

増田五胡

2021-11-11

魏延を評して反骨の相があるって劉備にとってはブーメランだよね

馬謖への評価といい劉備諸葛亮ってやっぱヤンキー高学歴の隔たりを感じる

2019-04-04

anond:20190403184726

三国志魏延エピソードで、頭に角が生えた夢を見たので夢占いしてもらったら「麒麟には角が生えているか縁起が良い」と言われて納得したけど、実は「角は刀を用いると書くから、頭に刀を用いればすなわち斬首だ」というのがあったな。

2017-07-13

糸よりも弓っぽい武器

https://anond.hatelabo.jp/20170711121943

これを見てふと思ったことだけど、弓っぽいの武器を使うキャラで一番に思いつくのってなんだろう?

弓っぽい武器を弓矢を放つために使うのではなく、近接武器として使うキャラが好きなので、それが多いのか少ないのか気になる。

パッと思いつくのは三國無双魏延かなぁ。

次点仮面ライダーカリス

2016-09-29

転職すると忠誠が下がる

代わりに野望が上がる。

そう思うかもしれないが、そうでもない。

転職人というだけで不当な扱いを受ける。

行動範囲制限されていく。

ヘッドハンティングは専ら競合を弱めることが目標だったりする。

上司パワハラに耐えかねて呉に出たビ芳なんかも官職は高いが陰口がひどかったという。

劉備から曹操に行った徐庶なんかはひどいものだ。母親すら人質にとられた。

反対に、うまくいく例もある。

魏の反乱とともに蜀に行った夏侯覇は車騎将軍に命じられその後も重用されている。

海賊上がりの甘寧なんかは、元ヤンキーが改心した効果非難されることが無い。

果たして何が成否を決めるのだろうか。

例えば孟達挙動は当時どう評価されていたのだろうか。

また、魏延が魏に下っていたら…。

そのあたりに、ヒントがありそうな気がする。

2014-12-16

中国孔子が尊ばれる理由が分からない

斉の宰相妟子(妟嬰。春秋史上最高の名宰相妟管子の片方)に「コイツ理屈王侯貴族しか通じない」と称される程、

孔子(孔丘)の評価は実はあまり芳しくない。

それなのに弟子顔回あまりにも有名でその師匠曰くという所に魯の孔子が出て来るだけで、

中国では非常に尊ばれているのである

加えてこの孔子と言う人物は中国曰く聖人君子代表格とされるが、

呉の季札同様さして何かを成し遂げたでもないのにやたら持ち上げられる。

伝え聞いた所では……という塩梅で多少誇張された表現がこの孔子の周囲には多い。

更に孔子は当時仕官を断った妟子に対して、後に大した事がない奴だと扱き下ろしてる。

このように自分で何かを成し遂げていない上に傲慢人間にも拘らずやたら名声だけが付いて回っている人物が

中国では尊ばれる風潮がある(孔子の子孔融も同様)。

三国時代に目を向けると、劉備玄徳や関羽雲長諸葛亮孔明が「三国志演義」の影響から史実以上に聖人君子の扱いを受けており

これまた中国では尊ばれている。

逆に孫子兵法書編纂し、中国大陸の三分の二を掌握して漢王朝を永らえさせた曹操孟徳に対しては近年こそ

評価されつつあるが、それまでは悪逆非道代名詞とまで貶されていたのだ。

そう考えると中国では創作民話伝承の類が信じられやすい、言い換えれば単純な人間が多いために、このような誤解が

長らく国民感情として根付かれてきたのだ。

筆者が大好きな猛将魏延などの忠臣は演義のせいで墓まで荒らされて現在鉄道が作られている始末である

このように、中国史実に全く目を向けず自分たちにとって都合の良い虚構にばかり信奉しているのだ。

孔子が尊ばれるのも恐らくこの辺りが理由なのではないか?

そう思えてならない。

2014-10-12

何故魏延孔明に殺されなければならなかったのか、いまだに理由が分からない

明確に裏切るだろうっていう根拠がないし、ましてや張飛さしおいて漢中太守に任じてくれた劉備

魏が来たら必ず防ぎ、機会があれば戦線を押し上げ劉備の夢に全力を尽くすって宣言した魏延

攻略戦以降ずっと劉備に附き従って大いに戦功を挙げた叩き上げ軍人で、これは孔明も非常に認めてる。

でも孔明遺言魏延は裏切るから殺せと遺したのが解せない。

実際は当時敵対してた同僚楊儀何だかんだ理由付けて誅殺したのが正しいんじゃないかと思う。

その理由自分が実権を握りたいがため。

それが適わなかったので今度は自分が裏切ろうとして最後流刑になったのを踏まえると

どう考えても魏延が殺される理由というか彼は確実に冤罪だった。

そしてこれは孔明魏延を何度か庇ってる生前を見ても遺言魏延殺せと命じたとは考え難いんだよな。

一体全体何が起こったのか、三国志に詳しい人教えて下さい。

2012-09-02

諸葛亮は稀代の詐欺師

孔明は嘘を吐かせると右に出る者はいない。

かつて劉備の代理として孫呉に訪れた際、共に赤壁を打ち倒しましょうと言ってすり寄った。

実際には漁夫の利を得た形で約束違反である荊州簒奪した。漢朝廷にすら許可を取らなかったため、後に曹操に利用されて公式に周瑜を南郡太守、荊州総督を任せる等として荊州統治を孫呉に委ねたのだ。そうなると当然荊州の正当支配者は孫呉になり劉備違法にそこを占拠してるに過ぎなくなる。そこで孔明は一計を案じて周瑜を誅殺し孫権から荊州を借りる形を取って劉備を統治者とした。当然条件付きで蜀を取れば荊州を全て返還するという劉備孔明両名のお墨付きであるしかし蜀、そして漢中を奪っても返さなかった。孔明は嘘吐きである。これがきっかけで荊州争奪戦および関羽刑事件に繋がるのである。また、後継者問題では自身の優位を絶対にするため、劉備信者魏延らをあることないこと誹謗し続けたのである。これは一政治家としてあるまじき愚行であろう。ともすれば、これを手本とする日本の某政党は嘘吐きであることを肯定しているも同じである

孔明は人を見る目が皆無。

嫁に関して「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という諺が存在するほどで人を見る目が全くない。

後に重用された悲劇の名将魏延も反骨の相(史実では不明)としており、一方で劉備が重用するなと言っていた登山家馬ショクへは自身の片腕以上の待遇だった。また、後蜀将として蜀漢を直接滅ぼす原因を作り滅んだ後も劉禅迷惑を被って死んだ姜維へも彼は特別待遇にしていた。そう、孔明は老練の将軍よりも口先だけの若造を重用する傾向にあったようだ。だがそんな彼でも老練を重用することがあったのである名前李厳。後に李平と改名する政治家である。彼は孔明いわく「陸遜匹敵する名相」だったが、才覚は確かにあったらしい。しか性格に難があり、孔明はたびたび彼への諫言を聞くことになるが無視し重用し続けた。その結果231年の北伐の大惨敗を引き起こすことになる。とんだ見立てである。実は李厳だけではない。後に魏に投降したのち蜀に再び寝返り新城の戦いで司馬懿に瞬殺された孟達孔明は重用した。実は孟達も才能はあったが、李厳同様性格に難があった。日本プロ野球選手に例えると中村紀洋である孟達面白い所は劉備に信任された上庸を守らず更に関羽からの援軍要請を無下に断り見殺しにした所であろう。彼は李厳と同じく才覚はあったが考えるところは常に目先の小利だけである。その結果、関羽は死にその責任を負わされることになった孟達曹丕の元へ逃げそこで厚遇を受けた。しか曹丕死ぬ冷遇された孟達は蜀に帰りたいという非常に自分勝手な判断のもと蜀に保護を求めて降伏してきたのである。それを大いに喜んだ孔明は自らドツボにハマる事に気付かず結局孟達の死をきっかけに北伐は失敗に終わる。逆に彼が冷遇し続けた魏延は殿軍を務めるなど蜀を守る役目に徹して彼以上に功績を挙げてしまった。孔明自分が貶めようとした者が成功するのを見ていられなかったのだろう。死の間際にこれまた後に蜀を滅ぼした姜維に後事を託して五丈原で病没した。その託した後事が問題で当時重用していた文官楊儀確執のあった名将魏延を排除したのである。これを機に蜀は滅ぶ道を辿ることとなる。オチとしては魏延を廃した楊儀も後に謀反を起こして流刑となったことくらいか

結局孔明は人を見る目が皆無で、結果として劉備に信頼されておいて蜀を守りきれず滅ぼす遠因を作ったのである

孔明は内政は超一流だが外交軍事も他国どころか身内にも劣る

漢の四相と称される孔明だが、それは内政だけの話でこと軍事においては亡きホウ統法正に劣る。後の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名になる司馬懿電撃戦を得意とし曹操にも警戒された天才普通な孔明では太刀打ち出来ない相手なのだがここでも孔明は嘘吐きの才覚を遺憾なく発揮するのだ。また、火刑オタク陸遜孫武に勝るとも劣らないと称された天才孔明も対呉では慎重論を唱えたほどだ。実際には孫呉派閥政権なので内側から崩せば安易に滅ぼすことも可能だった。また曹魏にしても司馬懿の専横を煽る批判文を口先だけは超一流の馬ショクがやって見せたように続けていたら内部亀裂は免れておらず面白いことになっていただろう。孔明は情勢音痴だったのだ。また地理にしても荊州益州では無双だった孔明長安への道についてはこれまでにない慎重な姿勢を貫いていた。これを地理に詳しい魏延にたびたび批判されていたことは有名で、子午谷を通る国士無双の名将であった韓信攻略法を提案し続けたものの、却下し続けた。その結果が成果の見えない3度の北伐であるしか孔明は人を見る目がなかったので要所要所を劉備にすら諫言された将を大将に据えて任せており、その都度名将魏延を殿軍にするなどして引き離すといった愚行を演じている。こと軍事においては後世の学者からしても魏延の方が上回っていたと指摘されることがあるが、実際その通りだったのかもしれない。孔明は何も成果を挙げられていないのだからしかも北伐にかまけて劉禅教育を怠り漢王朝滅亡の原因である宦官制を敷いていたことが後に蜀を滅ぼすのだから孔明は実は内政も言われてるほど優秀ではなかったのかもしれない(宦官劉備提案かもしれないが)。

結論として孔明は、無能だが口先だけは一流の人間を重用し、まともな武将を片っ端から左遷ちゃうクソ政治家である。ま、そんな政治家を神としちゃう政党も流石だとは思いますけどね。

以上、孔明歴史捏造が生んだ最大の恩恵者であり、また稀代の嘘吐きである。某政党もこれを真似たのだから面白い。後に筒井康隆がその政党政権を取ると日本が終了するといった旨の小説を書いているが、これは単なる偶然の一致なのだろうか。

 
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