はてなキーワード: ハンガーとは
物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた
狭いアパートに家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍の夫婦に預けられた。
今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦にお金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う
兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい
母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすいゲーム機で遊ぶことだった。
家に子供だけがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う
やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときにハンガーで叩いて言って聞かせた。
兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。
すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分だけが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない
兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまったから泣きながら母に兄のことを話した。
父は山に囲まれた田舎に住んでいた。亭主関白そのもののような人だと思う
私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている
まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話をわたしてくれた。父とは物心ついたときに父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物を父親だと私は認識して話していた。
そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。
例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。
そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。
まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う
もうその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。
たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う
父から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからはお金を頼む相手としか見てなかった
まだ園児だったころから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。
母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所のことなどを理解するのに苦労したのだと思う
持っていく必要なものや行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない
しかし他の子が不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。
それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。
兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。
小学生になった私と兄は多少物事を理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。
ここから母は私達の教育を学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるまで家事をすることだったかもしれない。
今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う
仕事をしなければいけない母は日本語を勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある
厳密には仕事で疲れて日本語を勉強することができないのが正しいかもしれなかった。
勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ
宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。
兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない
学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。
ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語を理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。
それだけはさすがに保護者が必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。
先生に宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。
親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。
勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。
1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。
それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的な高校生だった。
変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。
私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。
ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。
兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない
大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった
兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。
昔から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。
怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるときは自分を責めていた。
母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。
そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった
私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。
そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。
兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。
それからは半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。
引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。
仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。
まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない
電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金はたまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。
さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。
私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。
働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。
安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。
私は甘ったれなんだと思う
母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。
一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。
私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。
1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。
そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。
また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうその貯金もなくなってしまって今に至る。
よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語を理解できる親というのが私には羨ましかった。
私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなとカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。
故に学校で勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるから生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない
わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしまう
ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
二人とも残業多め。
一緒に住んでもう10年近く経つけど、最初は我が家も家事負担がぜんぶ自分に偏ってつらかった。ケンカもした。私が「あえてやらない」ことを徹底した結果、放置されたものに耐えきれなくなって夫も家事してくれるようになったよ。皿洗いとか洗濯(洗濯物放り込んで押すだけだけど)とか。やってくれたら大袈裟に感謝を伝えてる。
・掃除
風呂、トイレなど水回りは週1。トイレは汚れがつきにくいトイレスタンプをつけておく。風呂は自分が風呂入って出るときについでに掃除しておく。2ヶ月に1度防カビ燻煙剤。
・洗濯
ドラム式洗濯乾燥機一択。夫のシャツはユニクロのシワがつきにくいものに統一。靴下も黒に統一。洗った洗濯物はそのままカゴに放っておき週末にたたむ。夫のシャツは洗濯し終えたら脱衣所のハンガーにかけておき、シワ防止。
・料理
平日)
昼は出社時は買って食べる。在宅時はそうめんとか、うどんとか。
夜は週末に作り置きした自家製冷凍ミールキットをホットクックにぶちこんで、ホットクックが動いている間に残務処理。やる気がないときは汁物はレトルト。ご飯は朝にタイマーをセットor忘れたときはレトルトご飯。
ホットクック買うまでは市販のミールキットを買いだめor惣菜買って帰ってきてた。
あと、スープ+パン+サラダみたいなヨーロッパの夕飯みたいな食事や、レトルトカレーにすることもある。
どうせ成人2人なんだから平日は多少栄養偏ってもokにしてる。休日で帳尻を合わせる。
休日)
朝は気が向けば夫がパンとベーコンエッグを焼いてくれる。私も無理して用意しない。
昼は私がパスタなどつくったり作らなかったり。食べないこともある。休日日中にネットスーパーが届くようにしているので、食材が届いたら下拵え、冷凍。野菜や肉はカットして1食ごとに袋にまとめておけば平日鍋にぶちこむだけでいい。ここで平日用のミールキットも一緒に作る。
夜は30分くらいかけて一汁二菜、三菜つくる。余裕があれば翌日用の副菜を1品作り置き。レシピ本2〜3冊買っておいてそのレシピをルーティンしてる。やる気があればネットで新しいレシピに挑戦することも。
・その他
犬の散歩は朝は私、夜は夫。ただし仕事の関係もあるからここは適宜。
食材や日用品の在庫管理はtodoリストを夫婦で共有しておき、仕事帰りなどにお互いチェックして買って帰る。すぐ必要でないものはネットスーパー。洗剤や犬のごはんなどはAmazonの定期便。
自分はやらないのに相手の家事に文句言うのは言語道断だから、だったら自分でやれと言うしかない。それか相手がやらざるをえない状況に追い込む(ex.相手が我慢できなくなるまで放置)。
けっきょく元増田がやってくれるという甘えがあるから文句を言うと思うし、そこはぶつかること覚悟で話し合わないと、たぶん元増田が壊れると思う。きついと思うけど話し合いがんばって。
やりたくもないことを毎日強いられるのは疲れるよね。
夫の方が労働の強度が高いんだとしても、そもそも仕事してる時点で疲れるし…
文句言うなら自分でやるか、文句言わずに相手に任せるか、得意不得意で分けるなりして二人で協力して終わらせるかのどれかじゃないといつか破綻しちゃうと思う…という前提のもと、かなり時短重視のうちの家事のこと書くね。
・ごはんはホットクックに任せる。切るのも面倒臭い時用に冷凍野菜も買っておく。肉は爆盛りみたいなやつを買って、机中に適当にラップしいて手袋した手でどんどん分けて冷凍する。使い捨てのニトリル手袋あると手がヌルヌルにならないし捨てればいいから気分がマシ。あとそもそも料理は得意不得意激しいから、向いてる方か、こだわりがある方がやることをおすすめする。
・朝ご飯はそれぞれ食べたいなら食べる。子供の分だけ用意して、お互い自由。
・買い物行くのがだるくなりそうな気配や、家の誰かが体調を崩したらまず余裕のあるうちにネットスーパーで適当にいろいろ買っておく。受け取るだけで冷蔵庫が潤う。
・食洗機をマストで買う。新古品なら1万ぐらいで買える。食洗機に入らないもの、食洗機が使えないものは買わない。
・全自動ドラム式洗濯機を導入する。高いけど、洗剤も自動投入のやつだとベター。シワがついたシャツができてしまったら、乾燥の温度を最高温度に設定して氷を3個とシワシワのシャツだけぶち込んで10分ぐらい乾燥かける。アイロンかけなくてもシワがまあまあとれる。あとそもそもイージーケアの服を選ぶのをおすすめする。
・畳んで収納するものをなくす。うちは服を減らしてすべての服をハンギングにした。子供用の小さい服とかパジャマ用の服、下着類はたたまずにそれぞれの場所にぶちこむ。
・無洗米にする。無洗米がイヤな人がいるなら、米を炊く担当はその人にする。
・お掃除ロボットを導入する。家具はすべてお掃除ロボットが入れる脚がついたものを買うように心掛ける。
・お風呂用の洗剤はこすらず落ちる系を選ぶ。我が家は浴室に適当に水をかけたあと、バスマジックリンのエアジェットを使っている(レバーを引く回数が少なくていいのが楽)。適当に放置して流す。
以上を全部導入するとこうなる。
朝起きたらホットクック準備→炊飯器に無洗米ぶちこんで水いれて予約→洗濯機に全部ぶちこんでスイッチON→お掃除ロボットON→出勤→帰宅→風呂場に水かけてエアジェット→服をハンガーにかけてしまう→風呂場の洗剤流して風呂いれる→作らずとも飯が出来てるので、ホットクックから取り出して食べる(余裕あればなにか1品足してもいい)→食べ終わったら食洗機で全部洗う→夜ネットスーパーの食材が届いたら冷蔵庫にしまう
うちは子供もいるので、子供との時間と自分の時間を買うつもりで家電と時短にフル投資している。
結果、二人ともフルタイムで働いていても、1個1個の家事のハードルが低いので二人で手分けしてやればそこまでしんどい思いをしなくても家がちゃんと毎日まわる。
朝はだいたい、片方が家事という名のぶちこんでスイッチを押し続ける作業をやり、もう片方は子供にご飯をやったり、オムツをかえて着替えさせて、登園準備や連絡帳書いたりを分担し、全員一緒に家を出ている。
さらに家事にクオリティを求めたい場合は、クオリティを求める方にやらせるか、ちゃんとお願いして分担するのが筋だと思う。共働きなんだから、どちらかだけが家事にまでコミットしたら気持ちの余裕なくなると思う。
パートナーさんと一緒にサクサク済ませられるぐらい家事が楽になればそもそも揉めないで済むかもしれないと思って書いてみたけど、何か参考になれば幸い。
共働きなんだったら、できる範囲で家事折半したらいいじゃん。自分だったらこうする。
>毎日食べてた朝食メニューにある日いきなり飽きて食べなくなる…といったことが起こる
知ったことではない。朝食なんてそんなに手がかかるもんじゃないので食べたい物を帰りに自分で買ってきてもらうとかすればいい。
>夫の胃腸の調子が悪くなった。肉中心かつ外食多めの食生活が原因っぽい
これは、ちょっとメニューを変えてあげたほうがいいかも。食事の用意は肉でも魚でも野菜でもそんな手間はかわらない。メニュー考えるのが面倒なら老人向けのミールキットとか使うといい。
>・夫にハウスダストアレルギー疑惑(検査はしてない。喉の調子が悪いらしい夫が「ホコリ原因かも〜」と言っていた)
自分もハウスダストアレルギーだが、掃除しなければホコリは塊になって舞い散らなくなるからアレルギーにはかえって良いんだぜ。病院にいって診断してもらったほうがいい。ダニとかのアレルギーの場合、掃除よりそっちの対策が先。
>・洗濯物にシワが残るのが嫌だと言われた
変に取り込まず、自分の服は干したハンガーから自分で取り込むシステムにすれば良い。
>・掃除を放置しておくと「家の中に蜘蛛がいた。掃除が足りてないのかも」「風呂場のカビが気になる」「俺掃除しようかな〜」という発言が起きる
自分は気にならないから気になるほうが掃除するルールに変える。蜘蛛はホコリから自然発生するもんじゃないから、掃除と関係ないだろ。
ダスキンのモップおいとけば、夜中でも気になったほうが掃除できるよ。
あ、風呂場のカビは風呂上がるときに水気をちゃんと拭き取る運用にするとかなりマシになるよ。
たいがいの男は「頼りにしてやってもらう」→「むちゃくちゃ感謝する」のサイクルで化けるんで、旦那のほうが綺麗好きなら、ぜひ頼りにして「掃除はあなたじゃなきゃダメねー」って感じにするといいよー。
勧められたから第一期見たけど、ガキのケンカを利用して大人がMSをオモチャ代わりに渡して決闘ごっこしてるだけやん。
なんか「気に食わない!決闘だ!」ばかりでストーリーというか何がしたいのかわからん。
MSはお人形感覚で自由に持ち込むわ、これはガンダムじゃないとかなんとかどうでもいいわってなるわ、
持ち込みMSの維持費とかハンガーってどうなってんのかも不明瞭だわ、
決闘のクセにMSの性能で優劣付いてるわ、修理は勝手にやってくれるし・・・。
全員デミトレーナーでええやん。カスタムしたけりゃデミトレーナー買い取って規則内でやってね位の感覚で。
キャラやメカデザは良いのに・・・。ラストで平手のシーンは話題になったけどだから?って感じだし・・・・。
面白くてあっというまに見たというよりは、つまらなくて勝手に時間が流れた感じするわ。
通りで2期以降も基本キャラとか戦闘のカッコよさ位しか話題にならんわけだ。
ガンプラの出来は良かった。
自分のブログも持っているけれど知人にあれこれ言われたくないので匿名にて失礼します。
■ 健康な人へ
心当たりが一切なくても健康診断は毎年受けるべきだし、付けられるオプションはなるべく全部付けるべき。時間とかお金とか恥ずかしさとか痛みとか、いろいろハードルはあるんだが、健康には代えられない。あ、今はとても元気です。大丈夫。
他の人の体験記を参考に入院準備を進めたので、これも後続の助けになれば幸いです。後続なんていないのが一番なんだけどね。
身バレを防ぐために若干ぼかしたり時期をズラしたりしています。
■ 概要
・開腹して左の卵巣と卵管を摘出した
・入院期間は7日間(月曜入院→日曜退院)。手術は入院2日目(火曜日)の午前中
・パジャマとタオルはレンタルサービスを使ったので持って行かなかった
■ 大まかな流れ
・月曜日:入院。昼食と夕食は普通に食べる。シャワーも浴びる。夕食後は食事禁止。
・火曜日:朝6時以降は水も禁止。午前中に手術を受ける。気付いたら終わってたしベッドから起き上がることも禁止されていた。微熱があったため隔離されてPCR検査を受ける。正直傷口よりPCRの綿棒の方が数倍痛い。あいつは一体なんなんだ。
・水曜日:朝、上半身を起こしてみる。立ってないけど立ちくらみみたいな状態。時間と共に和らぐ。昼から食事再開(重湯)。コロナでもインフルでもないと分かったので昼過ぎには隔離が解除され、自分で歩いて病室へ戻った。その後尿カテーテルを抜いてもらい、蒸しタオルで身体を拭いてパジャマに着替える。
・木曜日:メモによると1日中ハイラルに籠もっていた(ブレワイをプレイしていた)らしい。痛み止めが背中のカテーテルから飲み薬(ロキソニン)に切り替わる。
・金曜日:この日の朝食から普通のメニューに戻る。午前中の回診で諸々の管やテープを取ってもらい、シャワーが解禁される。
・土曜日:またハイラルにいる。こいつハイラルに居座りすぎではないか? 傷口(というより上に貼られたテープ)がかゆくて看護師に訴えるが「カサブタなので我慢するしかない」と言われて絶望する。それでも諦めず主治医の先生に訴えたらかゆみ止めの塗り薬を処方してもらえた。効き目が薄くてさらに絶望した。かゆみとの戦いは退院後も1週間ほど続いた。
看護師さんからも主治医の先生からも「珍しいくらい順調に回復している」と言われたので、普通はもう少しゆっくり良くなっていくのかもしれない。
■ 持って行ってよかった
今回のMVP。Switchとスマホの命をつないでくれた。ベッドの頭の方の壁にコンセントはあったものの、スマホの充電ケーブルが短くてギリギリ枕元までしか届かない。ベッドを起こしたらもう無理。延長コードがなかったら電源の取り回しに苦労したと思う。退院したら自宅の古いものと交換するつもりで買ったので、入院生活だけを考えるなら1.5~2mで大丈夫そう。
・小さめの紙袋
ベッドサイドに置いて細々したものをまとめる用。高さ15cm×横15cm×奥行き5cmくらい。化粧品買うともらえるような、しっかりした作りのものがおすすめ。折り畳めるから入退院時にじゃまにならない。ある程度高さがあるとペンを挟んでおけるので便利。
入院した後も書類は増える。一度目を通せばいいもの(処方薬や麻酔の説明書きなど)と、繰り返し取り出す必要があるもの(食事や飲水量の記録表など)を分けるために最低でも2つほしい。
・メモ帳
気になるから後で看護師さん来た時に聞いてみよう→忘れる、のループから脱却したい時に使う。気になることは際限なく増えるから覚えておくのは無理。別にスマホでも構わないがフリーハンドで好きに書ける紙の方が便利だった。
髪が長い人向け。手術後しばらくはお風呂に入れず髪も洗えないため、次第にベタベタテカテカして気になってくる。そういう時にさっと留めてとりあえず遠ざけておくと気持ちが楽になる。ヘアゴムでもいいんだけど、バナナクリップの方が圧倒的に手軽。
石鹸やシャンプーや歯ブラシなど濡れたものを雑に突っ込んで、サイドチェストの手すりにくくりつけて干した。ベッドサイドが広く使えるしすぐ乾くし、地味に便利だった。メッシュ生地に限らず巾着は「くくりつける」という選択肢が生まれるからポーチよりおすすめできる。
説明不要。これを書いている今もまだプレイしている。ティアキンに移るタイミングを見失っている。手術直後はただ草原を走り回って採集活動に勤しめばいいし、回復してきたら弱そうな敵や簡単そうな祠に向かえばいいし、病状に合わせてプレイスタイルを変えられるのも良かった。
■ あればよかったなぁと思う
・充電ケーブルの先を保持できる仕組み
延長コードを使うと発生するデメリット。ちょくちょく充電ケーブルの先が床に落ちるし行方不明になりやすい。クリップ的なもので留めておきたかった。
入院して初めて、自分は白米が単体で食べられないらしいと知った。おかずも山程あるんだけどそれ以上に白米が多くて苦労した。残すのも忍びないから毎食フードファイト状態。ふりかけでもごま塩でも、とにかく白米に味がつけられるアイテムがほしかった。
・マスク置き場
感染症予防の観点から、ベッドにいる時もなるべくマスクをつけておくよう求められていた。そうは言っても寝る時はさすがに外したいし、食事時はもちろん外す。そういう時にちょっと置いておける場所がほしかった。
出歩く時、スマホはパジャマのポケットに入れていたが、ふとした拍子に落ちるんじゃないかと不安になった。背中の痛み止めが繋がっている時は痛み止めを入れる巾着(紐が長く斜めがけにできるもの)にスマホも押し込んでいた。看護師さんにはちょっと笑われた。でもあのスタイル超便利だったな……ロッカーの鍵も入れてたし……。痛み止め取れた後も巾着は残してほしかった。
・クリップボード
入院中は毎日「ごはんをどのくらい食べたか」「水はどのくらい飲んだか」「お手洗いに何度行ったか」を記録する必要があった。用紙はクリアファイルに入れておいたんだけど、書く度に出してしまってを繰り返すのはちょっと面倒だった。
シャワー解禁があと半日遅れていたら、なんとしてでも髪を洗おうとしたと思う。髪、想像以上にベタつくし重くなる。
■ なくても別に困らなかった
・ハンガー
備え付けのハンガーで十分事足りた。
巾着のところで書いた通り、洗ったものは巾着に入れてくくりつけて干したので「何かを引っ掛けたい」と思う場面がなかった。
・ウェットティッシュ・汗拭きシート
病室には手洗い場が備え付けられていたし、看護師さんが毎日蒸しタオルを持ってきてくれたので使う機会がほとんど訪れなかった。
起き上がらずに水を飲めるから便利という体験記を読んで買っていったが開封もしなかった。起き上がれない時は水も禁止されてたし、飲めるようになる頃には問題なく起き上がれた。これが一番の想定外かなぁ。
・スーツケース用の鍵
事前の説明では「鍵をかけられる小さな引き出しがある」としか言われなかったので、引き出しに入り切らないが盗まれたら困るものを管理する目的で持っていった。しかし引き出しは十分に大きかった(Switchをケースに入れた状態でしまっておけた)し、引き出しの他にも高さ1m×横20cm×奥行き50cmほどの鍵付きの棚があったため使う必要がなかった。
こんな感じです。参考になるといいなぁ。ともかくみんな健診には行こうね。
親元離れると快適すぎる
けど快適
部屋の隅に埃は落ちてるし、クリスマスケーキも餅もひなあられも柏餅も自分で忘れずに用意しなきゃ無いし、Amazonの箱が床に転がってるし、机の上に食器が出しっぱなしになってたり割り箸と紙皿の使用率が上がったり洗濯して干して取り込まなきゃ服が無かったりするけど、格段に快適
歯を磨かなくても食べた後食器を片付けなくても帰りが遅くなっても誰にも何も言われない
歯を磨かなかったら翌日口が臭くて歯磨きに時間がかかるだけ、食べた後食器を片付けなければ翌日起きた時に机の上に食器が残っててカピカピして洗いにくいだけ、帰りが遅ければ睡眠時間が短くて次の日眠いだけ
余計に怒られて不快な思いをせずに済む
ていうか毎回母親にめちゃめちゃ不機嫌に用意されて若干嫌な思い出のほうが強い
今思うと用意するのが負担だったんだろうけどさ、そこまでしなくていいって
ただ嫌な気分になるだけ
それより一人暮らしさせて「食べたらさっさと食器を片付けなさいってこういうことかー」って実感させたほうが100倍生活力付く
大好きオーラを出されて露骨に嫌えるほど胆力のある爺婆は都会にいない(田舎はいる)
義実家まとめとか見てると勝手に子供の服買われたり要らないものもらったりでブチ切れてる嫁いるけど、一緒に買いに行けば全部解決する案件 車出しまーすって伊勢丹連れてきゃいい
ただし連絡方法だけは夫を絶対に通すといい 言った言わない、行く行かないの最終決定をするストレスを全部丸投げ出来るのは楽
2 家事を期待しない
これはわたしがやってあげてもいいかな、わたしがやったほうが効率いいなってことはまず夫の役割にしない
これはわたしの性格もあるけど、わたしがめちゃくちゃ忙しく家事してる間にゲームしようが寝こけてようが全く気にならない 何故なら夫の時間を制限する権限はわたしに無いので…逆もしかりで夫が棚の整理してるときに昼からビール飲んだりとかする 手伝ってーって言われたらするけど、勝手に不機嫌オーラとか出されても絶対に手伝わないって態度でいたらちゃんとお願いするようになった
目に見える指標じゃん?尊敬出来ない男とか一緒に過ごしてて楽しくないし…
稼げない、すぐ行動しない、勉強する意思がない、出来ない言い訳だけはいっちょ前
文字にしたらわかるけど同性でも嫌じゃない?結婚する前に自分が男だとして、この人と友達になりたいな〜って思えるかは大事な気がする あと深い付き合いしてる親友が1人でもいるかでだいぶ違う
基本家でも外でもなにかして貰ったらありがとうっていう 迎え来てくれたり帰ったらお風呂入れてくれてたり、なんならリモコン取ってもらったときでも絶対いう ありがとうってひと言の積み重ね大事よ〜子供も真似して最近ハンガー持ってきてありがとう待ちするようになった 子供めちゃくちゃ家での親の行動見てるし、保育園とか幼稚園で嘘だろってくらい喋るから人様に聞かれて恥ずかしい行動は家でもしないように気をつけてる