はてなキーワード: アタッチメントとは
奥さん→わたしから見たら境界線パーソナリティ障害、アダルトチルドレン、アタッチメント障害。しんどそうだが、そばにいる人間の方が大変だろう。
夫さん→長年のセックスレス、また奥さんの人間性に苛まれ愛情を失うも、くだらん見栄やプライドから自らは離婚に踏み切れないまま惰性で結婚生活を続けてきたバカ。
今まで2回離婚危機があったものの有耶無耶にされ、3回目があったらかならず離婚しようと決意していたらしい。
わたし→昨年末より夫さんと想いを通わす。正直夫さんに対して下心はあるものの、不倫する勇気がないため肉体関係は持たず。
この春くらいにいつものように奥さんに絡まれ、喧嘩腰の脅し文句で離婚を突きつけられた夫さんは、増田ちゃんもいるし乗ったれ〜つって離婚を快諾した。奥さんも「せいせいすらぁ!」と一致したらしい。
その足で夫さんはわたしの最寄り駅まで来て、「離婚することになりました!好きです付き合ってください」と告白してきた。
わたしは願ってもない展開に気持ちはついていけないまま、あとは届を出すだけだという夫さんの言葉を信じて快諾する。
初めて何も嵌っていない彼の左手を見て、わたしはえもいわれぬ幸福感を確かに感じていた。
しかし、その後何週間経っても届出を出した様子がない。
ちょいちょい様子は聞いていたのだが、
「協議で揉めてる」
↓
「やっぱめんどくさいし離婚しなくてよくない?って言い出した」
↓
「別れたくないって泣かれてる」
と、どんどん状況悪化している様子。
わたしから、「離婚しないことにするんならわたしたちの関係も精算しましょう。無かったことにしてあげますから。」と助け舟を出すも、「増田ちゃんを失うなんて無理だ!」とのこと。
わたしがそんなふうに夫さんを刺激したせいで、夫さんはより厳しく奥さんに対して離婚を迫った。
彼のネクタイで、彼がローンを支払ってるお家で、首を吊ろうとするらしい。
結果として、両家の両親も巻き込んで離婚と奥さんの自殺企図について話し合う事態に。
わたしは、「しんどいならもう諦めますか」と提案するも、わたしを失うことを極端に恐れる夫さん。
わたしが身を引くのは、ただでさえ抑鬱状態の彼から大切なものを奪うようで気が引ける。
わたしはさいわい、自身が機能不全家庭育ちでアダルトチルドレンだった過去を乗り越えた身分であり、彼から聞く限りの情報を元にではあるものの奥さんの状態についてなんとなく想像が及んだ(結果先述の人物紹介)。
「まず、自殺企図を繰り返すのと離婚は本質的には表裏一体のものではありませんから、自身を責めるのはやめましょう。
自殺企図を繰り返す人間は精神疾患があると見てほぼ間違いありません。かといって何も起こってない時に心療内科の町医者に行かせても、奥さんの状態ではまともに自分の問題点について適切な相談を医者に持ちかけることはできないでしょう。
そこで、次に首を吊ったら、119してください。警察も多分きてしまいますが、そうしたほうが然るべき医療につながるはずです」
実際彼はそうしてくれて、奥さんは搬送され精神病院につながった。
わたしはそれで措置入院になると思ってたのだが、保護入院扱いで、ヒステリーを起こし激昂しつつ入院を拒む奥さんを前に彼はサインができなかったようだ。
結果として自宅療養。通院は必ずさせると約束を取り付けているものの、彼の精神も限界だし、わたしもどこまで付き合うべきか悩ましい。
夫さんは恋愛感情ぬきにしても大切な人だから、彼を苛みたくはないんだが。
こういうの詳しい人いたら知恵を貸してくんねー?
ということで、自転車にリクセンカウルのアタッチメントを取り付けるべく格闘すること5時間近く。
結局駄目だった。
リクセンのワンタッチバッグを高い金出して買ってしまったので、何がなんでも取り付けたかった。
クソ高い電アシケッタにはクソ高いバッグがお似合い…と思い、ケッタのオプションフロントカゴは買わずにリクセンに挑戦したのだった。
でも。私の電アシケッタはハンドルポストもステムも変則的なのでした。そしてとても滑るのでした。
ゴムシートを使っても魔法のテープを使ってもマウント部分がキュルキュル滑ります。
あとケッタにデフォで付いているサイコンが邪魔で、そもそもリクセンのフロントアタッチメントを取り付ける場所は無かったのでした。
だから頑張ってマウンターを買ってサイコンを付け替えました。配線がタイト過ぎて非常に難渋しました。
そんなに必死でやったのに。
途中でワイヤー受けのネジを飛ばしてしまい、這いつくばって探しまくったりしながらやったのに。
というかワイヤーが通らない。鬼の様に通らない。
通っても巧く固定されない。外してやり直し。ワイヤーが通らない。
リピート。
これでいいかな?と思ってアタッチメントにバッグを取り付けると下がりまくった挙げ句にすっぽ抜けてしまう。
バッグでの自重ですっぽ抜けるのなら、フロントカゴとしての機能はゼロというかマイナスである
(ちなみに今日取り付けていたのはKF864。最初に買ったKF810は径が足らずに取り付け不可の為返品。
次に買ったKR810もやっぱり径が足らず。長いネジをM4からM6まで買って試してみたが止まらなかった)
自力ではこれ以上無理なのでした。
(そしていつまでもフロントにカゴが付かない不便さとの格闘。リアに物積んでワイヤーで固定するの面倒)
後はもう、ケッタを売ってくれたお店に行って頼んでみるしか方法がありません。
プロならなんとかしてくれるんでしょうか。
無理な気がします…。
泣きたい。
もう朝だ。お風呂に入って寝よう。
まじで大した話ではないんだが、バリカンですね毛を梳いたら驚くほど気持ちが楽になったので聞いて欲しい。
自分は下半身が毛深くて、特にすね毛はけっこうゴリラ。蟻んこが50匹くらい作れる。血を吸いにきた蚊が絡まって逃げられなくなるちょっとした藪である。
ちなみに腕は多少濃い程度で髭は朝剃って定時頃にはちょっとジョリジョリしているくらい。お約束のように頭部はその恩恵をあずかれず、額が後退しはじめている。
別に気にしなければいいのかもしれないけど、汚いし人に不快な思いをさせると思うと辛くなっていった。
嫌だ嫌だと思っているうちに10年以上経ち心底嫌になってきて、最近は風呂で足を見るのも気が滅入るようになってしまった。
だからといって全部剃るのはなんか気持ち悪いし、生え始めがチクチクするのも嫌だった。
というか、30にもなってそんなことで悩んでいる自分が嫌になった。
しかし悩んでいても埒はあかないし夏はクソ暑いしで妻に相談した。
んで、バリカンのアタッチメントを6mmにして剃ることにした。そしたらなんとまあいい感じに薄くなるではありませんか。
あんなにジャングルだったすね毛が秋の芝生のような落ち着きに早変わり。かなり自然な仕上がりで目に入っても全然気にならない。
そして短パンの涼しいこと!すね毛を剃った一番の恩恵がこれかもしれない。マジで人目を気にすることなく短パンが履けるのが嬉しい。
堂々と脚を出して子どもと水遊びができるし、サウナにいっても人と比べないで済む。
朝日新聞の『布マスクの「漏れ率」100% すきまからウイルス侵入』という記事が批判されているけど一面的な批判と思うんだよね。
確かに批判の通り、無自覚な感染者が他人に移さないようにマスクを着けることが重要なのであって、他人から移されないようにマスクを着けるわけじゃない。
だからブコメなんかは漏れ込みのことなんてどうでもいい話って雰囲気になってるじゃん。
でもさ!今までずっと花粉やウイルスの除去率99パーセントのフィルタとかパッケージに大きく書いて花粉症患者に売ってた訳!
マスクの横などから花粉がノーガードで入ってくるのに99パーセント防いでくれるみたいな優良誤認させる売り方はダメだろ。
俺はそういう企業の姿勢や今までそれをツッコまなかったマスメディアの姿勢に腹が立つんだけど。
花粉症対策に効果のないマスクを何年もつかまされ続けた俺は恨んでるからね!
別にすべてのサージカルマスクの漏れ込みをなんとかしろと言う気はないけど、
漏れ込みを考慮しているちゃんとしたマスクは高いしまだ手に入らない感じなので、
普通のサージカルマスクのフィット性を向上させて漏れ込みを抑えてくれるアタッチメント的な製品欲しいわー。
一生手放さないと誓う。噴きかけて1分置いて流すだけで浴槽がピカピカ。仕上がりはキュッキュッと鳴る。最初は週1で手でも掃除してたけど必要無かった。普段使わないスポンジで洗う方が汚いと思うくらい風呂が綺麗。スポンジを捨てた。
落ちない、すぐ無くなるのコメント多数。浴槽との相性がある。家は築3年、まだコーティングされてる可能性もあり相性が良いのかも。風呂入ってすぐ流してる。シャワーはお湯でジェットにしてよく流してる。ちなシャワーヘッドはサイエンス ウルトラファインミスト ミラブル。これも最高。
あと確かにコスパは悪い。毎日使って3週間で無くなる。多少高くても洗いたくない、時短したい人向け。
5回は余裕で洗えて非常に優秀。破れるより前に汚れて捨てる。ドラッグストアで300円弱で61カット。2・3日に1枚しか使わないので1シーズン持つ。数ヶ月使う布巾より衛生的な気がするしコスパ抜群。
コストコのバウンティとニトリの布巾が良いとコメントあり。使ってみたい。
ボディソープやシャンプーの詰め替えパックを吊るして使えるアタッチメント。
通常の3倍サイズを吊るして使ってる。半年くらい詰め替え作業無し。詰め替えても一瞬。風呂の棚も掃除しやすい。もっと早く知りたかった。
3倍巻きのトイレットペーパー。
トイレットペーパーの取り換え頻度が1/3になる。紙は凸凹があり普通に良い。ストックが嵩張らない。以前5倍巻きダブルを使ったが、ダブルなのにシングルと同じくらいの厚さでペラペラだった。3倍巻きがおすすめ。防災用バッグにも入れてる。
2週間に1回かけるだけでトイレの輪ができない。便器についた大も一撃。便座まわりはスクラビングバブルをキッチンペーパーに少し垂らして拭いてゴミ箱に捨てる。トイレシートもブラシも家には無い。
洗濯洗剤の代わり。
市販のマグネシウムを100円ショップの小さい洗濯ポーチに入れて使ってる。(ポーチに最初から入って売られているのが洗濯マグちゃん)洗濯約6kgで300gくらいでOK。汚れも臭いも問題無く落ちる。(激しい泥汚れは不明。トマトソースが付いたシャツは問題無く落ちる。)香りを残したい人は柔軟剤と併用すれば問題なし。シーズンに1回クエン酸を入れて表面のマグネシウムを溶かすと半永久的に使える。私は十分満足なので洗剤を暫く買ってない。
効果ないというコメント多数。マグネシウムの力ではなく普通に水だけで綺麗になってるとのこと。効果はよくわからないが汚れも臭いも気にならないので私はこれからも使う。水だけで洗うのは勇気が無いので気休めと思っておく。
母親に教えてあげたいのタイトルに深い意味はない。便利だから知らなかったら使ってみてと勧めたいくらいの軽い気持ち。母親は生きてるけど遠方で年1しか会わない。電話でわざわざ伝えるほどでもないから教えてないだけ。
世の中の母親に教えたいと思って書いたのではなく、自分の母親にいつか教えたいメモが誰かの参考になればと公開しただけ。父親は知らん。
いつも腋毛と陰毛が伸びてくるたびにメーカー不詳の電動ボディグルーマーで剃ってたんだけど、こいつの出来が悪くてたまに皮膚巻き込んで出血してしまう感じだったのでもうちょっと安心して使えるのが欲しかった。
そこで PHILIPS の BG1022/15 という 1800 円しかしないボディグルーマーを買ってみたんだけど、こいつが期待以上に優秀だった。
標準のアタッチメント(0.5mm剃り)がついた状態で無造作に皮膚の上を滑らせるだけですいすい剃れていく。
最初脇で試すときはおっかなびっくりやってたんだけど、思った以上に適当に剃れていくのでそのまま陰毛どころか太ももの体毛とかもかなり狩り尽くしてしまった。
「幼児型セックスドールの生産・販売・の廃止を求めます。」という署名活動がchange.orgで行われている。
①日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児型セックスドールの製造・販売・所持を規制すること
②小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組み
③ECサイトなどに未だ販売される【幼児型セックスドールや児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】
以上3つを求める署名活動だそうだ。
②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。
案の定Twitterでは「人形は実在の人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在の児童を守るための法律であり人形の摘発に労力を割かれているうち実在の児童を守れなくなる」「表現の自由の侵害だ」などの批判が出ている。
たしかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュアは非実在の人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(https://togetter.com/li/942630)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。
けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。
一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名に賛同した人たちから見れば「幼児型ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。
だから、私はこの署名に活動には反対である。彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナーの人形たちを守るためだ。
そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。
無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドールの規制は私にとってパートナーの喪失であり、個人の性的嗜好の否定に他ならない。性的嗜好は個人を構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。
だから、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナーの喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから。
当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。
もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。
身長・体型など、「その人形が幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。
ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。
基本的にドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したときは一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的な用途のない比較的小さなサイズのドールでも同じだ。
つまり、ドールの体型というのは不定であり、「幼児型ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児型ラブドール」の出来上がりだ。
また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後のドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドールを性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的なものではない。念の為に付記しておく)。
この1/3ドールは身長約50cmと新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児の身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすさから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。
また恐ろしいことに、ほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。
だとしたら、性的用途でないドール、高身長かつ成人体格のドールでも「幼児型ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか?
これが、私の恐れている規制の形だ。
私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児型ラブドールの規制がなされ「身長●cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長の人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女の本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。
けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児型ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能な人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。
また、ラブドールは基本的に重量がある。シリコン製のものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。
「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間が意識的に動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかしドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要なものだ。40kg台ドールのオーナーの中には家の天井にウインチを設置している人もいるという。
私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。
ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。
けれども、私は人形性愛者なのだ。人形は人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmのドールを迎えることにした。
130cmのドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛者なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。
けれども、知っておいてほしい。幼児型ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。
純粋に幼児の外見が好きなもの、自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。
持病のために重いものを持ち運べず人間のパートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズの人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。
つまり、「幼児型ラブドール」という曖昧なものを批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。
②人形への愛のなさ
この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつの無意識がみられる。「ラブドールは実在の人間に向くはずだった性欲をぶつける代替物である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児型ラブドールを持つものはいずれ実在の児童を害すると考えている。
私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそれ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女の意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやかな幸せを得ている。それはエゴでしかないかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしかに彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能なものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。
彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。
ここに、全ての人間の性的嗜好の対象は人間であるという傲慢さを感じてしまう。
また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情が法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか。
以上が、私が幼児型ラブドールの規制に対して感じた違和感についてである。
もっと述べたいこともあるが、話がまとまらず蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。
大前提であるが、私は現実の児童への虐待は絶対にあってはならないことだと考えている。
私自身はラブドールの彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりである。しかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対に犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟で制裁を加えるつもりだ。
人形と人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形を人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。
そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。
また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人形性愛者に対するカウンセリングやセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。
人形と生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから。
【5月27日再付記】