「自己肯定感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己肯定感とは

2020-05-25

#SNS上の誹謗中傷が法に基づいて裁かれる社会を望みます

自分投稿絶対大丈夫」というそ自己肯定感が正直うらやましい

2020-05-24

エンジニアになれたけど、なれなかった

放課後、親に無断で学校先生精神科のような場所に連れられ、「それは鬱ではなく、思春期による一時的な悲しみではないですかね」と医者に言われてから10年が経った。

ブコメを見始めたのもその頃からだったかな。

あの頃から相変わらず、成長していない。

大学では情報系の学部卒業した。

プログラミング勉強することは好きだった。

高校での成績は上位10%に入っていて、4年で卒業することが難しいと言われた大学もなんとか4年で卒業できたので、決して頭は悪くはなかった。

ただ、人との会話は不得意で、友人を作ることはできなかった。

でもそういった人々はこの世にある程度はいて、みんなどこかで働けているかきっと大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

面接はことごとく落ち、大学卒業後も内定を貰えずそろそろ死のうかと検討した矢先に運よく入社したところは、後になって知ったが定着率が低い会社だった。

そこで気付いてしまったのは、自分エンジニアに向いてないどころか、社会人に向いてないことだった。

メール

一通書くのに最低でも30分-1時間はかかった。(相場が分からないけど長い気がする)

顧客メールを読んでも、内容がふわっとしていて意味理解できないことがあった。

ミーティング

何を話せばいいかからなかった。

相手が何を言っているかからなかった(要求だったり、用語だったり)。

なので何を実装すればいいのかも分からなかった。

からないことをそれとなく伺ってみたら「お宅の会社はその程度なんですね?分かりました」と言われ、会社の信用を下げてしまった。

その後、その顧客とのメールに怯える日々が続き、毎日嘔吐した。

電話

相手が何を言っているかからなかった。

自分自身も何を言っているのか分からなくなった。

周りに社員がいる中、泣きながら電話した。

上司ドン引きしていた。(見ていないけど、きっと周りも)

電話業務は生涯向いていないな、と思った。

実際の業務

課題にあったようなプログラミングではなかった。

あんなに自信があったプログラミングだったのに、小規模システムコードでさえ想像を超える入り組み具合で読めなかった。

というのも、フレームワークといったものにも触れたことがなかったり、インフラ側は全く学んでこなかった。

オブジェクト指向」というような概念的部分はテストの為に暗記したことはあれど、実際に言語の特徴や構造の違いを理解できたことはなかった。

フロントエンドバックエンドの違いもよく分からず、自分が得意だったものがなんだったのか分からなくなった。

何よりも、自分には新しい知識インプットする力が驚くほどになかった。

最終的には、自分キャパを超える残業上司による罵詈雑言で数秒に一度頭がまっしろになって仕事に手がつかない状態になり、辞めた。

能力のある社員もすぐに辞めていることから会社にも改善すべき点はあったのだろうが、それが実際の問題ではなかった。

自分能力の無さはどこに行っても通用しないんだろうな、ということが分かってしまった。

スポーツをしていた人が採用されるのを話に聞くが、その理由が初めて分かった。

コミュ力も体力あるし、ちょっとやそっとのことでは根を上げないからだ。

自分コミュ力もないし、メンタルも弱く、自己肯定感もなく、唯一自信のあった学歴技術力も実際には意味をなさなかった。

私の考えはあまりにも浅はかで、高校大学でしっかり勉強をしていれば、あとは会社からサポート仕事をこなせるようになると思っていたことだ。

こんな人にどんな仕事も任せられるわけがなかった。

一応自分なりに努力はしたつもりだった。勉強も、精神的な面においても。

在学中や就業中に精神科に通い、鬱やPSTDと診断された。いろんな薬を試したことはあるが、薬の副作用の眠気や吐き気で通常時より無能になったので向いていなかった。

カウンセラーは話を聞いてくれることは有難いが、危険人物として扱われたりしたことがあったり、何の解決にも至らないのでお金もったいないな、と個人的に思った。

大学卒業して引きこもっていた頃、会話の練習をするためにひきこもり当事者会的なイベントに参加した。

それぞれ背景は違うが、頑張って外出をして知らない人と会話してみよう、と集まった人たちは皆、優しかった。

不審者のようにそわそわしてしまってもいじめられることはないし、互いが傷つくことのない当たり障りのない会話ができたし、人とゲームができて楽しかった。

同じ境遇にいる方たちと過ごして一番に感じたのは、自分はやはりこちら側の人間なのではないかということ。

学校インターネットで人と会話をして友人を作れるような人や、仕事をこなせている世間一般の人たちのようには到底なれない。

社会不適合者が運よく社会復帰することができても、精神が弱い上に周りに溶け込めない為、続きはしない。

少し前にとある記事に「生涯バイトなんて、将来のことを考えているの?」というニュアンスブコメがあったが、どんな形態であれ生きる為に働き続けてきちんと自立できている人がどれだけ偉いことか、と思う。

もしいつか真っ当な人間になれたら、あの時精神科に連れてってくれた先生に御礼を伝えようと思っていたけど、未だに連絡が取れていない。

生活保護の条件にも当てはまらいから、貯金が尽きたら死んでゆくと思う。

全然関係ないけど、昨日はスター3つもらえて嬉しかったの。ありがとうね。

2020-05-19

anond:20200519193834

全員お前レベルに賢いと誰を生贄にするか議論になったとき

当然お前が選ばれる確率が上がるけど種族として使い捨て集団がいれば、そこから選んで余計な争いしなくて済むだろ?

から世界底辺を救わないし救うと問題が起きる

ちょっと努力して地位能力手に入れたタイプは下を踏みつけて優越感と自己肯定感を得ようと躍起になる

なぜか?

それは自分底辺庶民からスタートたか意識がそこのままなんだな

ある意味、彼らには自分限界がそこまでなのを無意識で悟ってしまった結果とも言える

なまじ上がってしまたか天井みて絶望したというか

まれつきの金持ち庶民底辺意識すらしてなくて世の中の仕組みをどう自分の思うままに変えるかのほうに意識がある

anond:20200519121247

30過ぎてモテ始めた人と、

30過ぎてモテなくなった人、

世代的には前者のがいいだろうさ。

自己肯定感からなにから

言いたいのはひとつで、「どう考えても」みたいな口グセや思考習慣はやめた方がいい。

anond:20200519094733

さーてね

左翼自己肯定感右翼のそれ以上なんだからジャネーノ?ハナホジ

anond:20200519040632

自己肯定感」という言葉のものが囚われやすくて良くない性質をもったものだと思う。

一種流行言葉で皆使っていてよく見聞きする、誰にでも関係があって意味がわかりやすい。だから多くの人がそれに対して焦点を向けて、悩む。私もそう。なかなか一朝一夕はいかないだろうけど、この言葉から解放されればと生きやすくなるんじゃないかと思ったり。

anond:20200519040632

穴の空いたバケツとしての自己肯定感か。うう〜む、難しい問題だね。

個人的には誰かを褒めたり、慰めたり、ありがとう、おめでとう、などをいうと幸せ気持ちになる。でもこれは論理的な回答ではないな。

自分を好きになる・自分を認められることが自己肯定感だというあなたの推論は理屈の筋が通っているように思える。あなたは誰かが自分を好きになってくれる様をみて、周りから目線を学び、自分でも肯定できるようになるかも、という仮説をたてる。その上で、そういう状況になっても他人評価自体を信用できない、だから自己肯定感を高められない。この論理立てには説得力を感じた。

だが自分評価基準が一番信用できる、その状況は不変なのか。

そんなはずはない。その自分評価基準もまた幼少期からの誰かの評価の影響を受けて形作られたはずだ。例えば両親とか、教師とかだろうか。ならば彼らに認められれば自己肯定感は向上するのでは。

あるいはその路線現実的でないとしても、理屈の上でまだ救いはある。彼らの評価基準の強固さもまた、なんらかの何かに支えられているはずだ。親の言うことは正しい、親はいつも正しいことを教えてくれた。だから自分を認めてくれない親の価値観も正しい。背後にそういうナイーブロジックがあるならば、そこに付け入る隙はある。よく人気コメントに上がってきて、バチバチにキレるいい意見を言うが、どうしようもなくクズブックマーカーなどザラにいる。彼らが学びを与えてくれるよ。いつも正しい人間なんていない。

昼夜逆転自己肯定感

最近精神ゴミになる。

一体どうやって生きていけば自分自己肯定感が満たされるのかまったくわからないことに気がついた。もともと典型的自己肯定感が低いタイプで、一時期はそれで鬱になった。自分に取り柄がないと常に感じているし、普通の人から見たら被害妄想に見えることばかり考えている。

から漠然と、誰かに褒められたりしたら自分のこと好きになれるのかなあ、とか、そうじゃなくて自分自分のこと好きになれるのが自己肯定感なのかなあ、とか思っていた。

ただ最近、じゃあ逆に何をすれば自分自己肯定感は満たされるのだろうと思った時、まったく思い浮かばないことに気がついた。

何かしらの才能を認められた時? いやそもそも才能がないわ。

無条件に誰かに好かれた時? 一生来ないです。もし仮に万が一何かしらの奇跡が起こって街中で誰かに急に自分のことを好きと告白されても、絶対に怪しむし、その人がたとえ知り合いでもいやそんなことないだろと一蹴するに違いない。

何をしたら自分自分を認められるのか、そのビジョンが見えないのに満たされることばかり考えてた。

満たし方のわからない、底が見えなければおそらく穴も開いてる漠然とした「自己肯定感」という容れ物に水を注いでる気分だ。それにそもそも、水を入れるのが合っているのかすらも分からない。

「なんかよく分かんないけどこれ一杯に水を入れれば満足できるかな……?」と思って一生懸命自分なりに水を注いでいるけれど、永遠に満たされない。どころか、水を入れるという動作自体も苦しくなってきている。

助けてほしい。

釣り

エサを垂らしてかかるのを待つ

自己肯定感の低いチー牛ならではの対人交流欲求解消術

2020-05-18

anond:20200518225521

あの寄り添うつもりが乗っ取りになった顛末が、イタくて堪らない。

アイツはホンマに甘ちゃんだなあ・・・

あの無条件な自己肯定感というか、中流家庭的感覚というか、フツーの俗物感というか・・・

たまにゾッとするわ

anond:20200518083729

そりゃお前が実家嫌いなだけだろと思うけど

女性作家だし、結婚するとかいう話になったら夫に金巻き上げられたりしそう…

突然大金稼いだ女性結婚って大体失敗してる気がする(偏見

九州だし(偏見

作者自体がなんか謙虚で謝ってばかりで自己肯定感低そうってのも…

都会在住で強気な人だとさっさと離婚して金持ちシングルマザーとして楽しく生きて行ったりするんだけど

みんなコロナで死んでしまえばいい

もちろんこのみんなは自分自身も含む。誰でも構わない、無差別に、注意していたとか気を抜いていたとか関係なく、みんなコロナで死んでしまえばいいと思う。

毎日毎日毎日毎日ニュースでは新型コロナ話題がない日はない。避けようと思っていても、普通に生活していたら嫌でも新型コロナ話題が目に、耳に、脳に届いてしまう。twitterだっておすすめの隣はトレンドだったはずなのに、いつからCOVID−19なんてカテゴリができたのか。LINEニュースyahooニュースも、トップページの一番最初に新型コロナ関連情報まとめなんて作って、そんなもん牛にでも食わせておいてくれ。目に入るだけでイライラする。

テレビの中でもインターネットの中でも、国に政府都道府県知事市町村長にあれをやれこれをやるなだからダメだぼくのわたしのかんがえたさいきょうのしんがたころなたいさくはこれだって馬鹿休み休み言ってほしい。国も政府首長もそれを支えるスタッフも暇じゃない。そういうのはチラシの裏便所の壁に書いておいてくれ。目障りなだけなんだよ。

それでもアホは口を閉じることをやめないから、飽きもせずに金金金金10万円100万円マスクマスクマスク金金消毒液マスクマスクマスクマスクって、せっかくお母さんがお腹を痛めて産んでくれたのにその小さい脳味噌とロクなことに使われていない口を他のことに使うことはできないの?その指先を少し動かす労力は、なんでもいいからとりあえずそれ以外のことに使うべき。ウンチを拭くのに使ったって、まだそっちの方が有意義な使い方だよ。

さらに、こういうときからこそおうちじかんを素敵に♡みたいな投稿SNSに溢れている。何がこういうときだ。社会の混乱に乗じて自己肯定感を高めようとするな。他人の不幸で飯を食うな。曖昧にみんなでがんばろうなんて、軽々しく言うな。その「みんな」の範囲を明示しろ。結局自分のお仲間しか入っていないんだろうが。わたしわたしの仲良しが幸せになりますように、くらいはっきり言えないなら、適当言葉で誤魔化して偽善者ぶるんじゃないよ。やらない善よりやる偽善他人迷惑を考えられない人間はすっこんでろ。医療関係者にエールを⭐︎も同様。忙しい医療関係者は、君たちの自尊心を満たすだけの自慰行為のような投稿を見ている時間はないんだよ。この現状に対して本当に真摯真剣に向き合ってくださっている人間を、「自分には無関係だけどそんな人たちのことまで考えて応援できるボク/オレ/ワタクシの器の大きさ」アピールのために使うんじゃない。気持ち悪いんだよ。

テレビ番組だって、収録を中断しているもの過去の総集編を流したり、新しいドラマが始まらなかったり、リモート出演だとか、わざとらしく距離をとって見せてみたり、いやいや君たちつい最近まで「体調が悪くても仕事を休めないあなたに」とか言っている薬のコマーシャルばんばん流していたじゃない。特に冬になるとその手のものは増えていたような気がしたのだけれど。どうしたの掌返したの?芸能人が亡くなるたびに涙と過去映像を織り混ぜて流して、芸能人以外が新型コロナで亡くなるニュースは少し顔をしかめてみせる顔芸で乗り越えて、そういう度に生命平等じゃないんだって思い知らされる。知り合いが亡くなって泣くなとは言わない。でもその涙を仕事にしてお金もらうのは違うんじゃない。プライベートで泣けよ。仕事で泣くなら、全ての死者に平等に涙を流せ。

毎日毎日浮かれポンチのお祭り騒ぎで、結局みんなみんな、非日常に当てられてくらくらしているだけだ。しょうもないことで馬鹿みたいに騒ぎ立てて、いつもと違うライフスタイルとやらを発見して、これまで出来ていた当たり前がなくなる生活を美化して、その不便を何とか乗り越える自分に、自分たちに酔っている。ポストコロナとかアフターコロナとか適当言葉を作っては各々好き勝手喋っているけれど、新型コロナ流行しようがしまいが、昨日今日明日と72時間あれば大体のことは変化するし、時間基本的に不可逆なので、変化してしまったものは大体元に戻らない。たとえば仲の良かった二人が喧嘩をして仲直りするのは、関係が戻ったのではなくて喧嘩を経て仲の良い状態に更に変化したのであって、仲直りをしたところで喧嘩がなかったことにはならない。事実としてあったわけだから。でも毎日ってそういうものでしょう。大なり小なりの変化を重ねて、いつしか大きく変わった自分になる。それが人生なのではないでしょうか。それは新型コロナがあるとかないとか関係なく。

今この瞬間も新型コロナ流行理由に本当に大変な思いをしている方がたくさんいらっしゃるのは分かっている。けれど、社会全体の雰囲気が、なんだか楽しそうにしか見えないんだよな。例えるなら、高校生の時、学校祭の準備のために毎日夜遅くまで学校に残って、少しずつ生徒皆がハイになっていったような。例えば、仕事で大きな案件を抱えて、毎日毎日徹夜を繰り返すことで少しずつ感情のリミッターが外れていくような。

本当に、見ていて不愉快。みんなコロナで死んでしまえばいい。

2020-05-16

自撮りが嫌いな人は自己肯定感が低い → 自撮りをすると自己肯定感

90日続けると変化があるらしい

最近髪が薄くなって、自撮りが超嫌いな49歳のおじさんが今日からやってみる

自己肯定感が低いことがすべての引き金だと思うんだけど自己肯定感って努力してあげられるものじゃなくない?どうしたらいいの?もうはやくしにたいんだけど

anond:20200516172407

>「家庭の事情実家帰らなければならないか東京漫画家は長く続けられない」

そうなの? 大抵のことは金で解決できると思うけど(逆に言うと、金で解決できないなら何をしても無理)、

そうしたくない気持ちがあるのかね。

コミックスの著者コメントでいつも「迷惑かけてすみません」て謝ってて、自己肯定感低めの人なのかなとは思ってるが。

東京住みの関西弁の人

私は名古屋出身東京住み。両親も名古屋出身実家に帰れば尋常ではない名古屋弁になる。

しか東京にいると、イントネーションがやや名古屋弁がかるものの、標準語になる。無理やり標準語をがんばっているわけではない。周りの地方出身者、関西圏の人も大体同様だと思う。

しか方言絶対に諦めない、一部の、何故か関西圏の人がいる。

私も含め、地方出身者は自分方言を恥じているわけではない。標準語に囲まれていれば自然方言は消える。順応性だと思う。

これだけ周りが全て標準語の中で、1人だけ自分方言を貫き通すのは、逆に意識して話さないと難しい。

お笑い芸人は良い。自分言葉お金を稼ぐ人たちは自分の才能を最大に引き出せる方法の一つとして方言を使う。

関西お笑い芸人テレビの中で日本中へ向けて関西弁でみんなを笑わせ人気者になる。

これは市井面白くない関西人には全く通用しないのに面白くない奴に限って東京関西弁を使う。

結局はこれが言いたかった。

東京に住んでいて無理やり関西弁を話す人は本当に面白くない。自己肯定感が低く、自分に自信がないためテレビ中の人気者との唯一の共通点、生まれ持った方言ゴリ押しして自分を飾る。

関西弁でワーワー言われると何となく盛り上がった気がすることもある。それを勘違いした奴が結婚式二次会の司会を買って出た。二次会は全く盛り上がらず滑りまくり失笑すら出ず時間より早めに終わってしまった。

動画を整理していて見つけた。

私の二次会わやだがね!

2020-05-13

anond:20200513225718

誰かの為に行動して、その誰かがきちんと評価してくれたら自己肯定感は多少は上がるかもね

一人では難しい事なんだけどね

どうしてここまで自己肯定感ゼロなのか

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

----

tl;dr

----

前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

----

「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-05-12

流されて結婚出産をしてしまい今とても後悔をしている

元々ひとりでいるのが好きだったしな。

なんでかというと人間関係が苦手なのである

母はヒステリックに私を叱ったし

妹は負けん気が強くて私はいつも泣かされていた。

お互い嫌っていてずっと仲が悪かった。

幼なじみ友達にもいつも意地悪されていた。

仕方なく行った成人式で馴れ馴れしく声をかけてきたけど

はいじめられたこと忘れてねーぞって思った。

から自己肯定感は低い。

いつからかずっと にたいって思ってる。

まあ自己肯定感が低いので彼氏必要だった。

結婚願望はなかったけど。

だけど何か勘違いした彼氏結婚しようと言った。

断れなかった。

あとは流れである。

子供は二人。

2歳前と4歳。

子育てしんどい

保育園行けなくてでも家で仕事しないといけなくてしんどい

仕事をしていると秒で子供がギャーギャー言ってきてしんどい

なんで作ったのって言われると世間に流されたから。

あと子供がいないと夫親族との付き合いが辛かったから。

でもさ、今なんだか結婚しない、子供いないでもいいじゃない!

しろ独身勝ちでしょ!みたいな人たちいっぱいいるよね。

私はそういう意思の強い人になれなかった。

だって自己肯定感いから。

本音は今ひとりで暮らしたいって思ってる。

それか早く にたいって思ってる。

子供嫌い。ずっと話しかけてきてうるさいから。

旦那嫌い。リモートワークになってずっと会議で結局昼間の保育は私だから

早く一人になりたい。

ずっと一人になりたい。

2020-05-11

自己肯定感に関しては男の方が不利だろ

とずっと思ってる

容姿とか振る舞いがマトモな場合の話ね

たとえば「街中で突然声をかけられ、食事に誘われた」って状況を考える

男→女への声かけだったら十中八九ナンパ 身体目当てのクズ行為とはいえ、一応目的声かけ対象女性自体にある

女→男への声かけだった場合は多分詐欺とか宗教とかそういうことだ 逆ナンパなんてそうそうない 目的は本人じゃなくて持ってる金

ナンパ主体的についていってワンナイトラブを楽しむ」って発想はあっても、「詐欺寄付感覚主体的についていって金を失うのを楽しむ」ってやつはなかなかいるまい

匿名チャットサイトとかをやってると男女の価値の差をかなり感じる まず開口一番「女の子?」って聞いてくるやつがメチャクチャ多くて、男だというとその時点で会話を切られる ひとこと罵倒があったらまだコミュニケーションがある方

ここで女ですと答えてみるとまあ会話が続く 興味をもっていろいろなことを聞かれるし、よかったら会ってみませんかとも言われる まあやりたいだけなんだろうけど、罵倒を浴びせて一方的に会話を切るよりはずいぶんマシだ

ーーー

とにかく、男には価値がない し、価値がないってことをガンガンすりこまれながら育てられる 

男が女の着替えてる部屋にうっかり入ったら同情されるのは女、女が男の着替えてる部屋にうっかり入ったら同情されるのは女

 

何が言いたいかわかんなくなってきた とにかく、男は男だってだけで「需要のなさ」みたいなものをぶつけられ続けられているのだということ キモい男に言い寄られるほうが嫌だわというのも分からんでもないが、じゃあお前はそうやって人間自分を求めてくるということからほんの少しも自己肯定感を高めていないのか?と聞きたい

anond:20200511011023

まず飯を作れ。飯が美味いというのは人生の喜びであり、自分の手で美味いものが作れたというのは自信に繋がる。特にカレーはいいぞ。こだわり甲斐がある。簡単な奴から始めていこう。

次に筋トレしろ最初からできる奴なんていないし正しいフォームなんて気にしなくていい。腹筋とスクワット腕立てしろ毎日なんてやらなくていいか筋肉痛が治ったらまたやれ。気づけば限界までの回数が増えていくのは喜びに変わる。

そして最後によく寝ろ。美味いものを食って適度な運動をしたらぐっすり眠れるはずだ。睡眠不足筋肉を始め色々なものへの大敵だ。薬に頼ってもよいから7時間は寝ろ。不安で眠れないんじゃない。眠れないか不安なんだ。寝ろ。

この3つをやっておけば少なくともやる前よりかは自己肯定感が大きくなる。騙されたと思ってやってみては

自己肯定感を高めたい。できる人とばかり比較してうつになる。

2020-05-10

自己肯定感が低くて就活ができない

21卒。

いい加減就活しなくちゃと思ってるんだけど全然できない

自分なんかが全く知らない会社に入っていいんだろうか?迷惑になるんじゃないか?と思って尻込みして動けない

そもそもネット上によくある適正診断でも芸術家タイプまり社会不適合者なので例えどこかに入れても数日でバックれる自信だけある だから余計迷惑になると思ってエントリーできない

それでもなんとかエントリーしても予想通り面接にも進むことなくお祈りされて、逆に安心した

もうこれで僕の就活は終わりを迎えそうだ

今後の人生どうなるんだろう

2020-05-08

自己肯定感の低い独身者結婚話題に出るとすぐキョドる

好きで孤独してるなら胸張れば良いのに、一々他人価値観と擦り合わせようとすんな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん