はてなキーワード: 習い事とは
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
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共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
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そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
無駄でしょ。
(専業が前提の名門私立幼稚園入れるとか名門私立小学校お受験目指すとか月~土まで習い事びっしりとか?)をするんでなければ
まして親自身もそれを望んでなくて保育園入れないから嫌々やってただけってなら、全くの無駄でしかない。
諸外国だって、ここまで保育園充実してる国なんかあるんかいな。
「ピアノ教師が営業としてピアノ買わせるよう強要している」としか考えられんわ
だとしたら教室変えた方がいい
4~5歳の頃両親が別居し、私は母親に引き取られました。
別居の原因は私は正確には把握していませんが、
しかし父は数回支払ったのみで後は音沙汰無し、
母の実家に戻って生活をしていたため、極貧の生活ではなかったと思います。
普通に食事をして学校に行って友達と遊んだり習い事をする生活もできました。
自分のしたいと思っていることを仕事にすることもできています。(給与上げてください)
父親がいないことに苦労はしていません。
ただ、義務を果たしていないような人が自分の父親だということが許せないのです。
どういう心情で自分が契約して妻とした人を見放し、自分の行為で生み出した私を捨てたのか。
色々理解できない
実は"別居"と書いてある通り、離婚はしていないため、
父がどういう生活状況なのか気になって、先月に手紙を出しました。
なんとなく自分の住所は書かずに送りましたが、
もしよければ連絡をください、と適当に作ったgmailを添えました。
何も連絡はありませんでした。
このまえの日曜に近くに寄ることがあったので、
今度は家に行ってみました。
せめて顔が見たい。
私の顔に似ている人は60歳になったらどんな感じなのか、とか
太りやすそうな体質だったはずだからどんな体形になっているか、とか
本当に色々気になっているんです。
人の家に行くのだから、、と思って手土産のワッフルも買いました。
バスに乗り継いで、アパートまで歩いて、扉の前まで行きました。
昼頃だったので、キッチンでなにかを作っている気配がしました。
ビニール袋を開ける音
ドアの向こうにはバイクを維持できる程度の生活を送っている人がいる。
とても緊張しました。
そもそも中に住んでいる人が私の父親であることも確証はありません。
5歳から23歳になった私を見て娘と判断してくれるのかな、などと不安に思いました。
しばらくドアの前にいましたが、
他の住人の方に不審者と思われるのも嫌だったのでとりあえず少し離れました。
このまま帰ろうか?
ここまで来たのに。
何も収穫がないのは嫌だったので、もう一度玄関前まで戻りました。
これで違う人なら「人違いです、」など反応があるのかなという感じ。
ドアの前に10分くらいいました。
ずっと音は止まったままです。
ワッフルおいしい
毎日終電で帰る夫が、娘の習い事のある日だけ送迎のためにフレックスにしたら給料を月5万減らされ退職に追い込まれた話
https://togetter.com/li/1362815
カネカに便乗しようとしたんだろうけど、これについてはよくわからない
それを夜やらせるのは独身組の嫌がらせだけしからん!というノリではあるが、いや、朝から確認されて、OKを貰って次の仕事に取りかかる時間を考えると、夜確認して欲しいのでは?
あたりまえだろ
おまえがやるべきことは労基にひっかかりそうだから計算してフレックスにすることではなく、残業が増える根本原因を突き止め、残業が減るような部署の改革をすることだ
おそらく会社はそんな意味で労基ひっかかるといったわけではない
独身ゆうてるけど、内容的にこれ部下だよね?独身は早く帰りたい事情がないとでも?
部下が毎日9時過ぎまで残業してるのに、上司がさっさと帰るってどうなの
これが下っ端ならいいよ。
あのな。上司っていうのは「部下の面倒を見て部下が働きやすくする」のも仕事なわけ
その分給料が高いんだよ
この旦那がやるべきは、部下と自分が毎日残業三昧になる環境を改善することだ
なんで残業になるのか、何をすれば残業が減り、部下と自分が早く帰れるようになるのか
管理職ならそれを考えるのは当たり前だ
この旦那はそれを放棄して、部下に仕事を丸投げし、部下の残業原因も放置し、自分だけさっさと用事があるからと帰るわけだ
それを我慢して仕事があるから残業してるのに、上司であるこのツイ主の夫は、自分の都合だけ考えて帰るんだ
会社もだからやんわりと、労基ざたになるよ、と言ってるじゃねえか。
だっていうのにこの旦那は「そうか、計算して俺フレックスにして労基に引っかからないようにするぞ!」
いや、部下の労基はどうなるわけ? 自分のことだけ?
悪いが、給料下げられたって仕方ないよこんなの
部下の評判だって悪くなるに決まってる
自分がフレックスで帰るなら、部下だってせめてローテーションでフレックスで帰れるようにしないと駄目だったよ
この↓元増田なんだけど、結婚相手の収入が自分の倍あるのに未だにお金を失う恐怖がなくならない。
https://anond.hatelabo.jp/20190521221332
https://anond.hatelabo.jp/20190515205003
このあと子供が何人か生まれたとして、今の時代に、都内の良い所に住んで子供に習い事を一通りさせて高水準の教育を受けさせて、なんてやっていたらあっという間にお金が無くなる気がする。
パワーカップルは保育園争いに参戦しないでベビーシッター雇えなんて言うけどさ、そんなことしたら平均的な家庭よりもマイナスになるよ。
家だってそれなりのところは賃貸でも高いし、かと言って購入できるほどのお金は無い。
今20代だから将来的にはもう少し収入増えるだろうけど、ずっと「まだ足りない、まだ足りない」って思い続ける気がする。
子供出来るかもしれないのに本当にこのまま23区内に住んでこの先大丈夫か?って疑ってしまう。
だけど何を削って良いのかわからない。
あれもほしい、これもほしいでは良くないと分かっているし、実際には上にあるように散財なんてしていないのに、ずっとお金の心配ばかりしている。
大人になり社会へ出てから、本人の努力よりも、どの土地のどんな両親のもとに生まれ落ちたのかという事が、人生の大きな部分を決めてしまうことを痛感した。
両親も含め、おそらく江戸時代に遡ったとしても、先祖代々この地を離れたことがないと思われる。
周囲も親戚も大学進学者はおらず、同級生のほとんどが地元の高校を卒業して、そのまま地元で職に就き、地元で配偶者を探し、そこで一生を終える。
別に、そのような生き方を否定するつもりはない。幸福かどうかなんて、全くもって主観的な問題なのだから。
ところが、自分は理系に憧れを抱くようになり、やがて研究者になりたいと思うようになった。
そのためには、どうやら大学へ進学しなければならない事もわかってきた。
でも、上述の通り理系はおろか、大学の出身者なんて学校の先生くらいしかいなかった。
田舎なので、大きな本屋へ行くには、チャリで30分の無人駅にたどり着いてから、さらに電車に乗って1時間ほどの街へ出るしか無かった。
そんなわけで、そもそもどんな勉強をしたら大学へ進学できるのかさえわからなかったが、街へ出る機会を利用して学習参考書をゲットしたりして、何とかやや都会寄りの国立大学に進学することができた。
大学時代の成績は学科でトップであったため、3年次で飛び級して1年分の学費を浮かせるという条件で進学を渋る両親を何とか説得して、大学院まで通わせてもらった。
大学院修了後は、運良くメーカーの研究職に入り込むことができた。しかし、周囲は東大・京大出の秀才ばかりだった。
同期もこの2大学だけで過半数、残りを他の旧帝大出身者が占めるという感じで、入社式の後に各大学出身者ごとに集まって歓迎会を開いたりしていた様だが、自分が出た大学の出身者は、未だに後にも先にも自分だけだ。
うちの会社も、就職氷河期のさなかに、よく自分みたいな人間を拾ってくれたものだ。
さて、入社当時は学歴コンプレックスを相当に感じていたが、彼らと付き合ううちに、能力的にはそんなに自分と変わるわけでは無いということに気づき、コンプレックスはだいぶ緩和した。
彼らの多くは都会出身者だったり、親が大学教授だったりするなど、単に自分とは生まれ落ちた場所や環境が違っただけだった。でも、彼らは、それは努力の結果であると信じて疑わず、運良く恵まれた環境に生まれ落ちたことには、あまり気づいていないようだ。
とりわけ、自分のような田舎者と大きく違うと感じるのは、文化への造詣の深さだった。
彼らの多くは、勉強以外に音楽等の習い事をさせてもらっており、大人になってからも趣味として続けている場合が多い。
そうした習い事ができたのも、実家に金銭的な余裕があったからだろうし、やはり生まれ落ちた環境の影響は大きい。
自分は習い事なんて一つもさせてもらえなかったので、その点、未だに彼らが羨ましいと思いつつ、自分の子どもたちは習い事に通わせている。
タイトル通り。よく言われているように、共働き世帯年収1000万は、片方が1000万稼ぐのにくらべて、まったく裕福ではない。
だいぶ税金取られるし。30代ともに専門職。財布は別だけど、基本は自分の財布から生活費が出る。
25万。高いが、2人とも通勤するので満員電車をできる限り避けたい。必要な出費。
5万くらいか。外食は昼食はあるが、夜の外食はあまりしない。家ご飯が好き。
子供が生まれてからは子供の世話をする必要があるという理由で飲み会を欠席するようになった。ハッピー。
毎月5万の化粧品と2万のシャンプーを妻が買っているが、これしか使いたくないというので買っている。
私としてはどうにかして安くその商品を買いたいのだが、日本国内のデパートでしか売ってなくて、
免税品などで海外出張時に安く買うこともできない代物だそうなので、放置。
妻が機嫌が良ければそれでよい。必要経費。
妻がずっとdocomoに毎月9000円くらい払っていたのを、なんとか説得し、自分が代わりに払うからと言って月5GB使える格安simに変更させる。
9000円から2000円くらいに減る。これは大きい。そもそもカケホーダイとか言ってるけど、電話なんて荷物の再配達のときしか使ってないじゃん…
私は1500円くらいの格安sim。家か職場でほとんど過ごすのでWiFi使うし。
基本はネットスーパー、パル(生協)、アマゾンで8-9割がた揃える。その他、足りないものが合ったら、近くのピアゴに走る。
頭が悪いので、二人とも5年以上アマプラに入っている。そろそろ自分は退会してもいいかな…
本を読むか、ゲームするか。スマホゲーはしない。多くても月に5000から1万くらいか。そんなに使わない。
子供が寝てから、深夜に夫婦二人でオーバークックして夜中3時くらいまで盛り上がることもある。
(単身時に)なんかよくわからないうちにプルデンシャル生命の生命保険に加入していた。
ほぼ投資型だが。毎年100万くらい払ってる気がする(ドル建てなのですごく振れ幅がある)
上記の化粧品とシャンプー、ヘアサロンを除くと妻は基本的に物欲がなく、自分はさらに物欲がないので、あまりお金を使わない。
だいたい散歩。適当に都バスに乗って、はじめて降りるバス停で降りてみて、そのへん散策して、
タピオカミルクティーとかを並んで買って、それを飲みながらだらだら家まで歩いて帰る。みたいな。
家では、コーヒー飲みながら妻とおしゃべりするとかそんな感じ。
「躾と虐待は違うのに」
児童虐待のニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛む。だって、誰かに親を批判してほしくて書くけど、私は親にそうされて育ってきたから。
いわゆる躾の一環、というもの
躾を理由にした虐待を肯定したくないし、なにが虐待なのかは分かってる、でも私1人ではそれを認められない。
私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて(言い分すら聞こうとせずに)へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。
それらは確かに私がいけない事をしてしまったのが原因だし、父の身勝手や気分、その他理不尽な理由でそれをされた事は一度たりとも無かったけれど、私は暴力を受け続けて辛かった。
勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc
私が悪かったのは理解しているけれど、だからって私はあんなにも殴られたり傷つけられなければならなかったのだろうか。誰か教えて欲しい。
私が父に酷く叱られるとき、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだったから、私が絶対悪で父は正しいという構図を否定することが出来なかった。
そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導し、指導という名のもと暴力がくり返された。常識では私が悪だから、やめてと言えなかった。
それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。分かるまで言葉をかけて欲しかったのに、獣扱いされ短絡的な暴力を与えられて苦しかった。
「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌやネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないかが問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」
こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。私が悪いことをして叱られているという前提があるから私は反抗できなかった。苦しい。誰か私の代わりに反論して欲しい。それは違うと言って欲しい。
怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画やゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止も普通にあったし、痛くてお風呂で椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。異常でしょう?私の父、おかしいですよね?でも私はこれを虐待だと認めるのが怖いから、どうか第三者のみなさんで私の父を叩いてください。
こんなの本当は虐待だって分かっているのに、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から褒められてきたのも事実で、親の教育が良かったからだと父の評価も高まっていったから私は父に従うしかなかった。
何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養、言葉遣いなどことあるごとに褒めてもらったけれどそれは、マナーや礼節、お稽古。教養、一般常識、これらを学ぶために私が何年も暴力に耐え、ずっと父に怯えながら申し訳ありませんと言い、殴られないように見捨てられないように必死で足掻いた末身に付けたもの。だからお願い、これ以上私の父の評価を上げないで。父の教育を正当化する理由を作らないで。
社会人になった今、こうして色々な場面で評価される度に私は苦しいんだ。
「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由は自分で気付ける」、本当はそんな事ない、今でも辛い、苦しいのに、逆らうのが怖くて理解したフリをしているだけなんだ。
だから私は自分で自分の子供時代を不幸だったなんて認めるのは怖いから、私の代わりに
父の躾を虐待だと言って怒ってくれる人を求めている。
私の父のやり方を「虐待」だと批判できる方はきっと暴力のない、ごく普通のご家庭で幸せに愛されて育てて貰った方なのかな、と感じる。悲しい。うらやましい。
そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、親に手を挙げられる事を躾だと言うのは絶対に違うと思う。思うけど、自分を被虐待者だと思いたくない。だってそれを認めたら私の人生はどうなるの?暴力を受けなくても真っ当な大人になれる事は気付いてるんだ、でも心が壊れてしまうから受け入れられないんだ。誰かが突き付けてくれないと認められないんだ。助けて。助けて。
私はきっと子供なんて持たない。虐待は連鎖するからどうせ私は父と同じ道を辿る。
最近の風潮では父のような「子供の為と称した」「過剰で短絡的な」躾は虐待で犯罪に当たるらしい。うらやましい。
言葉に筋が通っていても暴力に訴えて心身を傷付ける事が目的の躾なんて「虐待」でしかない。何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為なのに。感情のまま子供を虐げる最低な行為を許さない不特定多数の皆さん、どうか私の狂った父を叩いてください。嘘だけど子供がいるって書きましたよ。健全なご家庭を無礼な言葉で侮蔑しましたよ。許せないでしょう?見過ごせないでしょう?だから私を見て下さい、そして私と私をとりまく境遇を異常だと指摘し、怒り、私に対し施された「躾」「教育」を「暴力」「虐待」だと否定してください。
父の行いを誰かに否定して貰わないと私は自分を肯定できないし愛せない。
父とその教育を間違いだよと言われないと私は「つらかった」と声をあげられず壊れてしまう。
誰か助けて。気付いて。私を救ってください。お願いします。
本音はこんな感じなんだろうか…
勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc。
万引きしたとか、人に暴力を振るったとか、そういうことで殴られるのは分かるけど
ここに挙げられてる例ってほとんど、親にとって都合の悪いことをして怒られた事例だよね?
失敗を隠したり、勉強をさぼったりしたことくらい普通の人なら誰でも一度は経験あるだろうし
それを暴力で正すことが躾とは私にはとても思えない…。
児童虐待のニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛むものもある。だけど、批判覚悟で言うけど、正直私にはそう思えないものも時々ある。
いわゆる躾の一環、というもの
躾を理由にした虐待を肯定したいんじゃない、そもそもなにが(どこが)虐待なのかが疑問。
私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて、へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。
だけど、それらは皆私がいけない事をしてしまったのが原因で、父の身勝手や気分、その他理不尽な理由でそれをされた事は一度たりとも無かった。勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc。
父に酷く叱られるときは、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだった。そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導された。それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。
「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌやネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないかが問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」
こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画やゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止も普通にあったし、痛くてお風呂で椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。
だけど、これ読んで虐待!って騒ぐ人もいるかも知らないけど、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養、言葉遣いなどことあるごとに褒めて頂けている。マナーや礼節に厳しかった父の教育と、父がさせてくれたお稽古や必要だからと身につけさせてくれた教養や一般常識、これらの賜物だと私は思う。社会人になった今、こうして色々な場面で評価して頂けるたびに、父に対する感謝の気持ちでいっぱいになる。「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由は自分で気付ける」、本当にその通りだったから。だから私は自分の子供時代を不幸だったなんて全然思わないし、父の躾を虐待だと言われたら真剣に反論すると思う。
むしろ、失礼な言い方をして申し訳ないけれど、私の父のやり方を「虐待」だと批判する方はきっとあまり厳しくないご家庭で甘く育てて貰った方なのかな、と感じる。
そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、少し手を挙げられただけで虐待認定する今の空気は甘すぎるんじゃないかと私は思う。
私には現在2歳になる娘がいるけれど、きっと父と同じように厳しく躾けると思う。お稽古も作法も、父が私にしてくれたようにしっかりやらせると思う。だけど、最近の風潮では父のような「子供の為を思った」「真っ当な」躾ですら虐待と同一視してしまう。好き放題、まるでイヌやネコの放し飼いのように、家畜の放牧のようにさせておくだけのただの怠慢を「のびのび育てている」と正当化する親すらいて、叱りもしなければ自分の管理不行届に責任も持たず、そして父のように真剣に躾や教育に取り組んでいる親を批判し、その子供を無責任に「可哀想」と呼ばわる。きちんと筋が通った躾は「虐待」とは明らかに違うのだけれど、何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為だけど、感情のまま子供を虐げる最低な行為と必要な躾・教育の区別もしない最近の風潮、ともすれば子供に対し「厳しい」ことすら悪とみなしかねなくて怖い。
比較的裕福で教育水準の高い家庭に生まれ育ったおかげで中学から私立へ行った。
子供の頃習い事にたくさん通っていたので突出して不得手なこともあまりない。
生まれてこの方、一度もお金に不自由したことないのに、貯金が増えれば増えるほど「ここまでお金の貯まる人生送れるのも、そもそも最初にお金のある家に生まれついて高水準の教育を受けたからに他ならない。」という考えが根本にある。
だから、何かのはずみでお金が無くなれば今の生活を保つことが出来なくなって全て終わりなのでは?という恐怖がある。
拒食症の人が、痩せても痩せても「もっと痩せなければ」と思ってしまうように、お金がいくら貯まっても「もっと必要なのでは?」という考えが捨てられない。
GUの服すら買おうかどうしようか悩みに悩んで結局買わない。ブランドバッグの1つや2使っても全く痛手じゃないぐらいの貯金と稼ぎがあるのに。
6年間ありがとう
くだらない話、沢山したね
沢山笑ったね、かけがえのない日々
決して戻れない大切な時間だった
本当にありがとう
↑までは伝えた
今だから言うけど、
見せつけられるなんて思って無かったよ
こちらに来たいと一度も言わなかったね
交通費分も全く考えないでいつも割り勘だったね
いつも来てくれてありがとう、とか一度も言われた事がなかった
そこで過労問題にぶつかって本格的に体調崩した
でもその後の対応も全然心配してくれてないし変わらず放置だったよね
一切私のことを紹介してくれなかったね
紹介してとお願い、何回もしたのに、いつも笑って誤魔化して
言ってない、忘れてたって、事後報告だった
そのたびに、自己肯定感も心も壊れていくのがわかったよ
それで、好きとか言わないし、自分の気持ちを伝えてくれなかったのも辛かったよ
尽くしているのが馬鹿らしく思えてきたんだ
大切な話とか、将来の話をするといつも笑って誤魔化すか、スルーするよね
それでいて私から愛情表現がないと文句言うの、何なの?ってずっと思ってたよ
どんだけ自分が偉いと思ってるの?
あとわざとぶつかろうとして避けるの、修行とか言ってカッコつけてたけど
あれダサいよ。35歳にもなって何やってるんですか?
それに熱中するあまり私を放置してどんどん前に行くのキモかったよ
きっと、合わなかったんだろうね
根本的な何かが
彼の愛情表現をしないことや自分の意見を伝えられないのも含めて
彼の持ち味だと思ってたから許せてたけど、もうなんか疲れちゃったんだよね
都合の悪いことからの逃げ癖とかさ
35にもなって実姉と殴り合い→1年間口をきかないとか、大人のすること?
6年間返して
もう30になるんだけど
責任取れよと言いたいけど
もうこれ以上傷付くのは嫌だからさ
おつかれ