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はてなキーワード: 正論とは

2018-06-12

anond:20180611221642

スクショ見ただけだけど、

あんな三下悪役みたいな台詞吐く役を一話使い捨てモブじゃなくてサブメインくらいのキャラやらせてたの?

うわー。

かつて彼女は、園児の泣き声で集中力乱れるから保育園クレームを入れ、その時のトゲパワワがオシマイダーの素体に利用されたことがある。

まり保育園騒音を嫌がる人は悪!って内容の話だったの?

うわー、うわー。

そこは「うるさくすると困る人がいるから静かにしましょうね」じゃないの?幼児向けで、幼児教育する目的ならさあ。

何か、ネットで拾った薄っぺらな「正論」を集めて

「今の母親はこういう事考えてるんだからそれに媚びてりゃ許されるだろw」と言うノリで作ってる感じ。

まあ分かるよ、育児なんてろくにやってないであろう男性育児という地雷原をテーマにして母親が見るアニメを叩かれないように作れと言われたら

今の育児界で話題になっている事柄リサーチして、そこで表向き「正論」とされてる事に従う、って方針になるだろうとは思う。

とくにうるさいtwitter民には全力で媚びるだろう。でないとすぐ「炎上」させられるから

でもこれ幼児向けアニメだよね?大人向けアニメじゃなくて。

幼児向けアニメでそういった政治的主張をしてしまうのが気持ち悪いし、そんな偏ったアニメなんか子供に見せたくもないわ。

2018-06-11

私はハグプリの正しさが少し怖かった

ネットでも割と話題になっているのでなんとなく知っている人が多いと思うが、今年のプリキュアはとりわけ出来が良い。

ベテラン佐藤順一監督がこれまでのキャリアを全部ぶち込んで全力で殴りに来ているような出来の良さである

ため息が出るほど感心してしま優等生ぶりである

ストーリーセリフキャラクター造形に関して、よく練られているというか、あらゆるツッコミを想定して作られているような盤石ぶりを感じた。

あらゆることに対して相当な配慮がなされている作品だと感じた。

しかし、それ故に私は少しその「正しさ」が怖かった。

そして、最新話で、その恐れていたことが表面化してしまった。

吉見リタがファッションショーテーマに「女の子だってヒーローになれる!」を掲げた時、私は「こんなにわかやすメッセージ性を掲げてしまって大丈夫?」とかなり不安になった。

もうこの時点で、放映後にはジェンダー論点から語る人がたくさん出てくるのが想像できて、いやになった。

そして、アンリに対してはなが「いいんだよ!男の子だってお姫様になれる!」と言ったとき、ああ、この回は「そっち」に持ってかれちゃうな、と思った。

どういうことかというと、

私が恐れていたのはこの三つである

一つ目。

この回では、「女の子だってヒーローになれる」「男の子だってお姫様になれる」という二つの言葉によって、「ジェンダー」という特定テーマばかりが強調されてしまっている。

しかし、物語特定メッセージを伝えるだけのものではないはずで、あらゆる側面を持っているはずである

この回はシリーズの第19話であり、当然それまでのお話と地続きの物語であるわけで、そのテーマ以外のあらゆる側面が存在するはずである

例えば、佐藤順一監督ツイッター言及していた、えみるとルールーの関係

この二人の、「ふたりプリキュアになる」という目標につながっていく感情の動きがこの回では描かれていた。

他にも、正人のトゲパワワをもとに作られたオシマイダーに対し、アンリが「君も苦しいんだね」「自分を愛して」と言ったこと。

一言では片づけられないような正人の苦しみが存在していること。

そして、「自分を愛する」という言葉に対し、ルールーが反応していたことにも、ジェンダーテーマ以外の側面が感じられる。

別にジェンダー的なメッセージは、お話の一つの側面に過ぎないわけで、その一つの側面のみで作品が語られてしまうのは、正直残念である

二つ目

ジェンダー」というテーマが独り歩きし、キャラクターに、そのテーマ対応する「役割」が付されてしまっている。

代表的な例が、えみるの兄、正人だ。

彼は「ジェンダー」的な観点でいえば、いわゆるステレオタイプな古い価値観を持った人間として見られるように描かれている。

だがしかしキャラクターは、物語を動かすための「装置」ではない。

否定されるべき古い価値観メタファーとして彼が見られてしまうのは、非常に残念である

キャラクターは、特定役割のために存在しているのではなく、あらゆる側面を持った生きものである

兄としてえみるに向ける感情一言で片づけられないものであるだろうし、ただ「男の子らしさ・女の子らしさ」の価値観に縛られているからそれを逸脱するアンリを敵視したのだと断言することも出来ない。

彼には彼の物語というもの存在していて、この回における彼の言動は、その結果でしかない。

また、「女の子だってヒーローになれる」を掲げたファッションデザイナー吉見リタにしても、単にこの回のために用意されたキャラというわけではない。

かつて彼女は、園児の泣き声で集中力乱れるから保育園クレームを入れ、その時のトゲパワワがオシマイダーの素体に利用されたことがある。

さらに、前回ではアイデアが浮かばないスランプのトゲパワワで再びオシマイダーの素体にされている。

そんな彼女が、今回のファッションショーでこういうテーマを掲げるようになった経緯についても、小さいながらも物語があるのだと想像できる。

特定テーマに対する「役割」という考え方では、人間的な深みがオミットされてしまうし、作品世界観を狭めてしまう。

最後に、「正論」をぶつけることで生じる様々なことについて。

私は典型的優柔不断で、断定するのが怖いタイプ人間である

それが原因なのか、今回登場したような、「人の心を縛るな!」等のメッセージ性がはっきりとした強い言葉が苦手だ。

彼女たちの言葉は正しい。しかし、正しいことを断言することで切ってしまう何かもある。

アンリというキャラクターが初登場時どうであったかを思い出してほしい。

彼は自分がいいと思ったもの、正しいと思ったことに対して真っ直ぐに行動する人間で、それは今回の話でも同様であった。

しかし、かつてアンリは、自分の信じる正しさでもって、ほまれをはなたちから引き離そうとしたことがある。

はなに正論をぶつけて傷つけてしまたこともある。

アンリは間違ってはいなかったが、その正しさで別の何かを切ってしまった。

ツイッターでよく「正論相手論破する漫画」を見るが、それに感覚としては近い。

正論をはっきりと示すということは、何かを正すことになる。

まり、正される「何か」が産まれしまう。

皮肉にも、今回アンリが放った言葉がそれを代弁している。

「僕は君のために僕を変えることはできない」

これは正人が、自分価値観に合うようにアンリを変えさせたかたこからくる言葉と捉えられるが、逆であっても同じことが言えるのだ。

正しさをもって他人価値観否定することは、「人を変えさせる」行為であり、攻撃的側面を持つのだ。

から、今回、メッセージ性がはっきりしすぎている言葉が出てきたとき、その正しさが、何かを攻撃することになるのではないか、と思ったのである

それが正しいのだとしても、それは自分にとっては少し怖いことでもあった。

まとまりのない文章だが、以上である

2018-06-10

お客様神様意識って

なんなんだろうなぁ。なんで客には正論を言えなくて常に愛想笑いで受け流さなくちゃいけないんだろう。上下関係しか築けなくてお金を払う方が偉くて上の人に反論はできないって文化から、かな?

2018-06-09

anond:20180609204512

正論書いても最後dis一行入れておくと全然食いつきが違うよ!

例)規則正しい食事をしていれば健康生活が送れるよ。

  まあてめえらみたいなネットしか人と繋がれないキモオタには関係ない話だろうが。

増田正論を書き込むとレスが付かない

正論判定機として使おう

anond:20180609110730

増田認識は素晴らしい。もし仮に専門的なナショナリズム研究に触れる事なしにこの認識に到達したのならその聡明さに拍手喝采したい。

こっちはバカから愛国心民俗学ナショナリズム伝統研究を長らくやって、ようやく増田と同じ境地に達したよ。古今東西の幾多の議論を眺めてきた虫魚の学の一専門家として、増田正論だと太鼓判押したい。

2018-06-05

カルビー会長正論言ってる!←言ってない

"裁量労働制にしたらいい。特にオフィスで働いている人たちは、「時間」ではなく「成果」で働いているのですから"(原文ママ

オフィス労働者は成果で評価できる職務業務を全員していると言えるか?→NO!

裁量労働制カルビーオフィス社員合法的適用できるか→9割9分NO!

裁量労働制残業手当カットのための制度じゃない

その副次的効果を狙って裁量労働要件なんてお構いなしに

裁量労働制にしたらいい」と語っている時点で論外

経営者の遵法精神の欠如、若しくは労働基準法常識を弁えない発言は厳しく糾弾されるべきである

カルビー社長働き方改革に精力的」だからといって「発言が全て正しいことの担保にはならない」という当たり前の理屈を捨て置いた擁護発言があまりに多い

擁護している人達は、発言趣旨や中身を本当によく確認して擁護してるのか怪しいし

仮に上記会長発言トンデモ間違いを認識した上でスルーしていたのであれば、その人もまた遵法精神が欠けている

anond:20180605162000

残業するかしないかを本人が決定できる裁量カルビーの全社員にあって

ある社員がやらなければいけない仕事量が完全に可視化されているんであれば正論

気軽にクビ切らせろってのも労働市場的にはまあそっちのほうが効率はいいよな、増田の総意はしらんけど

カルビーホワイトなんだが

会長残業代を無くして残業が割に合わないようにしないと残業はなくならない」

完全に正論なんだが、ボコボコに叩かれててワロタ

残業代って割高なんだよ

そりゃみんなやるに決まってる

かといって残業を完全に規制したら、仕事ができない無能会社にぶら下がることを許すことになる

求められる成果に対する正当な報酬とそれを達成できない人間には会社から退場ってのが当たり前にならないと企業ホワイト化は難しいだろ

から残業をがっつり規制するなら会社社員をクビにできるようにしないとだし

社員がぶら下がる余地を残すなら残業についてはゆるくして、必要な成果を出してもらうしかない

こんな簡単なことがどうしてはてな民理解できないんだろう

テキサス親父とは何だったのか

YouTubeにおいて人種差別民族差別ヘイトスピーチを行なっているチャンネル動画

5chハンJ民など有志らによって閉鎖やアカウント停止に追い込まれている件が局所的に話題になっている。

そんな騒動の中、ひっそりとテキサス親父チャンネルアカウント停止に追い込まれた。

これはある種のネット史上におけるマイルストーンであろうと思い、一ネット住民である名無しの感想という形でテキサス親父にまつわる思い出話を書き連ねたい。

テキサス親父は、そもそも冴えないアメリカおっさんだった。

いかにもステレオタイプ通りのアメリカ共和党支持者的、キリスト教的な言動を繰り返すだけの単なるおっさんだった。

そんな彼が日本で注目されるようになった転機はシーシェパード問題だ。

アニマルプラネットの放映する"Whale Wars(鯨戦争)"という番組アメリカにて2008年頃に大ヒットし、

シーシェパードと名乗る過激NPO捕鯨抗議活動海洋環境問題世間の耳目を集めていた。

テキサス親父はそんな潮流の中で「シーシェパードパフォーマンスに堕した差別主義者のテロリストだ」と早い段階でYouTube声明をあげた人物だ。

動画が発掘された経緯は定かではないが、これがネトウヨ層に大ヒットした。

字幕がつけられ、ニコニコ動画転載され、シーシェパード差別主義者で良識あるアメリカ人はそれを見抜いているのだと注釈をつけられ、ネットの至るところで動画拡散された。

少なくとも”Whale Wars”に端を発するシーシェパード過激傍若無人な振る舞いは日本でもある程度知られ、

その前身であるグリーンピースなどの諍いも含めて、捕鯨は当時のネトウヨ層にとって極めて重要問題だった。

そんな中でテキサス親父の力強い断言は、ネトウヨ層にとって大変感慨深いものだった。

テキサス親父は快刀乱麻を断つが如く「西洋的な価値観他民族伝統風習を野蛮だと断じるのは差別に他ならない」と論じた。この声明については今でも俺は賛成したい。

その後もテキサス親父シーシェパード批判する動画を相次いでYouTubeアップロードし続け、ネトウヨ賞賛される日々が続いた。

テキサス親父も人が良かったのだろう。ネトウヨリクエスト殺到したのか、共和党支持者らしい共産主義社会主義への批判を行うようになり、いつしか慰安婦問題にも触れ、ネトウヨ大好物の「マスコミ報道しない真実」に言及しはじめた。元々、陰謀論好きな一面も見受けられただけに必然的な流れでもあったかと思う。プロパガンダバスターが彼の二つ名だったし。

テキサス親父は一部のネトウヨに持ち上げられ続け、日本事務局なるものが発足し、

テキサス親父日本での講演会書籍出版される事になった。この頃すでに俺はテキサス親父への興味を失っていた。日本事務局幸福の科学の藤木なる人物が中心人物で、テキサス親父を取り巻く新興宗教きな臭い話を聞くようになったというのが非常に大きい。YouTube正論を言うテキサスおっさんは、そこにはもういなかった。

ハンJ板にてテキサス親父を振り返るスレッドが立ったので、別角度からの一意見としてレス転載したい。

テキサス親父ことトニー・マラーノ Tony Marano について記しておかなければいけないことがる

>あのおっさん自身は「差別主義者では無い」ということだ

>あのおっさんは、黒人の射殺に反対し、黒人教会から排除されたことに反対し

東南アジア人が災害にあって大量に死んだのを

キリスト教原理主義者が「あいつらはホモ売春ばっかやってるから天罰だ」と言ったのを反対し

フィリピンのドゥテルテ大領政策も「麻薬中毒の子供の母親気持ちになれ」と叩いてた

>もともと関心事はシーシェパード問題のほうが多くて

韓国叩きさえ、きちんと犯罪者個人国籍民族を分けて叩いていた

>じゃあ、なぜ、倒せたのか?

>他の奴もお分かりと思うが、日本スタッフのせいだ

>つまるとことろ、中国政体批判をトニーはやってるだけなのに

字幕では「支那支那!」と連呼

靖国の便所の屋根爆竹で破損させた韓国人を叩き

>トニーは「俺は韓国人全てが悪人とは言って無い」とか言ってるのに

字幕では「南朝鮮」「南鮮」とか連呼

ニダーの顔の絵や字幕を右上にもってきて「ウリたち土人から何もわかないニダー」と言わせたり

>トニーの言葉ではそこまできつくない言葉でも

字幕では「売春婦」とかなってたりな

>とにかくトニーと違い

日本スタッフ差別主義であることは明白だった

>そこに弱点があった

>トニー自身言葉ではなく、日本スタッフ字幕が俺の攻撃ポイントになった

このハンJ民は明らかにテキサス親父精通しているものテキサス親父動画通報を行なったと思われる事から

かつて愛した過去恋人の死に際を看取るような心境だったのではないかと察する。

そう。そうなのだ。かつてシーシェパード問題で先陣をきったテキサス親父は、もうどこにもいない。

パっとしないおっさん日常の延長で行なったYouTube時事問題評論極東島国特殊な層にウケて持ち上げられ、

やがては暴走して韓国人、中国差別に走り、YouTubeから動画チャンネルが削除された。それがテキサス親父歴史的経緯だ。

上記の内容を読むからテキサス親父差別主義者ではなかったという反論もあろうが、

近年は明らかに人種差別民族差別を率先して行なっていた。

その証拠はわざわざ挙げるまでもない。目を覆うようなテキサス親父差別表現を列挙するのは心苦しいし、YouTubeでのBANという事実だけで客観的評価は十分だろう。

(ちなみにテキサス親父自身個人アウカウントは今も生きている。BANされたのはあくまテキサス親父日本事務局だ。)

テキサス親父排他的で横暴、高圧的な価値観非難する良心的な一市民だった。

けれども彼はいしか排他的で横暴、高圧的な価値観を振りかざして民族差別をする側の代表になっていた。

深淵を覗く時、深淵を覗いているのだという名ゼリフとともに、テキサス親父の思い出をここに記しておきたい。

これはテキサス親父に対する個人的な弔文である

さよならテキサス親父

2018-06-03

幸色の◯ンルームの悲しい願望

『幸色の◯ンルーム』については前々から議論されている。

このお話について、個人的意見を述べたいと思う。こうしてブログに書くのは初めてなので、文章ぐちゃぐちゃだったら申し訳ないです。

このお話は、確かに犯罪肯定してしまうような面は無くはないけど、それは犯罪テーマに扱う物語では多少あっても仕方ないのかな、とは思う。名作と言われる物語にそれが無いとは言えないし。キモチワルイと思う人も居るだろうし、好きな人もいるだろう。それは個人の好みの問題だと思う。

私はこの話を読んで、

「これ、専業主婦願望の話じゃない?」

と思った。

もちろん、専業主婦家庭内監禁されている云々といいたいのではない。

この話を肯定する若い女の子たちのなかには、「専業主婦願望」が潜んでいるのではないかな、と思ったのだ。

ざっくり説明すると、以下のようになる。

ストーカーされるくらい愛される

愛や結婚というもの絶対的でなくなってしまった今、女の子たちは「自分盲目的に愛している存在」を「ストーカーして、攫ってくれる兄さん」に重ねているのではないだろうか。

②今の状況への不安、そしてここから抜け出したいといううっすらとした願望。これは所謂シンデレラストーリー」と似たようなものだ。ずっと不遇な状況下でいる「私」に「魔法使い」が現れ王子様と結婚する、成り上がり物語だ。

よくあるお話、誰にでもある願望である

本当のシンデレラストーリーと少し違うのは、「自分では何も努力しないで」というところだろうか。

誘拐」に努力必要ない。「ここから救い出して」「攫って」くれる「王子様」の物語をこの作品に見ているのではないだろうか。


被害者であること

主人公女の子虐待され、さら誘拐されるという絶対的被害者である。この「被害者であること」はとても強い。被害者加害者を組み敷くことが可能である。どんなに相手を責めようとも、言葉罵倒しようとも、(ある程度までは)物理的に傷つけようとも「被害を受けた」ことには変わりがない。その上、相手は「罪の意識」が存在するため、半永久的に上に立てる。

ドラマなどで加害者土下座する中被害者やその遺族が相手罵倒したり殴ったりする「当たり前の」シーンを見たことがあるだろう。

あれと似た構造がこの物語にあるのではないだろうか。

専業主婦になりたいけどなれない

今の日本社会共働きが当たり前専業主婦なぞ夢の夢というのは若い子にも痛いほどわかっている。働きたくない、ごろごろして生きていきたい。という願望は男女問わず誰しも持っているものだと思う。

しかし、それを口にすることは許されない。「働きたくない」と言おうものなら様々な方面から正論で殴られることは必至である。たとえそれが本心でなく、願望であれ、だ。

これらの①〜④が結びついたのが「幸色のワンルーム」ではないかと思う。

自分は何一つ努力しないまま、攫ってくれる「誰か」が現れて盲目的に愛してくれる。相手加害者であるので、(言動に出るかはさて置いて、気持ち問題として)こちらが圧倒的に優位である。そして、監禁されるというシュチュエーションにより、外に出ることができない(=働かなくていい)。

言い方は悪いが、「現実的な」なろうにある異世界モノのようだと私は思う。

異世界に行き、「無双する」ことで現実世界では叶えられないチート願望を叶える。

その「なろう」の構造をそのまま現実世界に持ち込むことはできないので、「犯罪」を持ち込み男女間の立場の不均衡という現実味を加えることで「働かない」願望を成立させる。

この物語を愛好する人たちの一部の意識にこの構造が潜んでいるのではないだろうか?と私は思った。

彼らはこんな「誘拐され」「監禁され」、自分がただただ被害者になるような状況でしか専業主婦である願望を叶えることができない、と考えているとしたならば。

犯罪者」と「被害者」の不均衡の上にしか成り立たない関係に「真実の愛」と「自分の願望が叶うこと」を見ているとするならば、これほど悲しいことはあるだろうか?

彼らは社会失望し、人間絶望していると言えないだろうか。そうだとしたら、とてもつらいと思う。





最後に。

もちろんこの考察はふと思い至って書き付けただけの与太である。この考え方が真だとは露ほども思わないし、『幸色のワンルーム』をいいな、と思う人たちはこんな怠惰人間だ!と非難するつもりもない。(というか、誰にでもある願望だと思う)

ただ、ほんの少しでも「この話を持て囃す人たちの意味がわからない」と思う人たちへの助けになればな、程度の書き散らしである


最後まで読んでいただいてありがとうございました。

2018-06-02

https://anond.hatelabo.jp/20180602011328

こういう記事正論で叩きにいかず、自制できる大人になりたいと思った。

つうかね、増田ちょっとまずいなって自覚してるって話なのに、そのまんま人格批判したら情報価値ゼロだろ

芸人の難しい立ち位置

前々から気になっている女芸人立ち位置バラエティでの振る舞いについてダウンタウンの「朝まではしご酒」でとても象徴的な場面があったので少し書いてみる。

朝まではしご酒はダウンタウン坂上忍女性タレント1人の計4人が、色んな芸能人著名人と一緒にお酒を飲むというロケ番組だ。ダウンタウン坂上忍レギュラーだが女性タレントは毎回違う人になる。そしてその回の女性タレント田中みな実だった。ちなみに自分坂上忍は嫌いだがダウンタウンはもろ世代でずっとファン、この番組基本的に好きでよく見ている。

さて、その回のゲストの1組が尼神インターだった。誠子と渚という女性コンビ芸人だ。渚はヤンキーキャラで顔も可愛いが、誠子は以前から自身のブスいじりを武器の1つとしている。ダウンタウンは同じ事務所の大先輩になるが、さほど緊張した様子もなく、ダウンタウンからかわいい後輩という空気が出ていて会話も弾んでいた。そしてその会話の中では誠子の武器の1つであるブスいじりが何度も行われる。松っちゃんはブスと何度も言うし浜ちゃんも髪の毛を引っ張ってみたりして、誠子も面白リアクションをしていく。

ある会話の流れの中で少し空気が変わる瞬間があった。

松本「誠子は心、心はキレイなんか?」

誠子「心キレイですよ私」

松本「えーと、乳首キレイなんか?」

誠子「あ、乳首めっちゃキレイですよ!」

必死で答える誠子に場は大笑いで盛り上がるが、そこで田中みな実がこんな感じの事を言う。

田中「え、こういうのテレビでいいんですか?」「(乳首キレイとか)そんなの言ったらダメですよ」「女の子がそんな事言ったら…」

場の空気を悪くしないようトボけた感じで言ってるが素直な気持ちという感じだった。

そこで松本はいや、(田中みな実は)バラエティ空気を読まないとダメ、みたいな事を言う。坂上忍浜田同調。そして誠子が田中にこう言う。

「アンタがそれを言う事が1番私を傷つけてんねん」

これがまさに、今の女芸人立ち位置の難しさを象徴していると自分は感じた。

芸人として笑いを取るためにブスいじりを受けて立つ誠子に対し、田中みな実という一般的にかなりきれいな女性から「かわいそう」的な目線を向けられると、誠子としては1番腹が立つわけだ。しかしそれは同時に、ブスいじりで笑いを取るというやり方の危うさをあらわにされる事でもある。暗に「そんな自分を蔑むやり方で笑いを取ってはいけない」という事も言っているから。これ自体正論であり、理想としては男だろうか女だろうがブスいじりで笑いを取るのは褒められたもんじゃいかもしれない。でもダウンタウンや誠子にしてみれば、ブスを笑いに変える事で俺らは戦ってるんや、これで稼いでるし自らやったるんだ、上っ面でやりたくない、ある種の正直さというプライドすら持っていると思う。

松本の言う「バラエティ空気」とは女芸人成功するためのひとつパターンの話でもある。明石家さんまダウンタウンのような吉本芸人が作ってきた歴史でもある。それを考えると時代の節目としてなかなか象徴的な場面だったと思えた。今までは単純にブスである事で笑ってもらうというやり方でうまくいく事もあったが、これから先ブスいじりで笑いを取ろうとする女芸人は、かなり頭が良くないと難しいのではとも感じた。

2018-06-01

世の中には「自分も含めた集団」を対象とした批判のほうが多いのだが(いわゆる「自戒を込めて」というやつ)、

誰かから批判されたときに「むこうは自身をより高みに置いてこちらを馬鹿にしているに違いない」という劣等感(いわゆる「上から目線」というやつ)を抱えてしまう人も多いんだよね。

評論家学者知識人などが正論を言うと「偉そう」「自分を正しいと思ってる」「こちらを馬鹿にしている」と錯覚してしまうのはこれが理由だ。

気をつけなきゃいけないね自戒を込めて。

anond:20180601100423

正論言われて息苦しいって思うなら黙って窒息死すれば?

2018-05-31

正論系とか風刺画気取りはシネ

風刺画気取ってキャラや白いハゲ悪人論破させたりする絵を描く奴等だよ ツイッターによおいるわ

ヘドが出る 厳しいこと言われりゃイジメられたと思ってそういう絵描く

そして信者の集まりに慰めてもらったり 「う~ん、深い絵だ!」って称賛されるの求めてんだ

ああムカつくなあ ホントにムカつく

俺に言われた事を絵として描いてキャラに成敗させるのもいたわ

じゃあ無視すりゃいいだろって 関わんなきゃ良いだろって

やーだなぁ・・・俺を悪人として描いた事が単純にムカつくんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ブッ殺すぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ノイローゼになるまで粘着してやるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!俺はキチガイだもんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

なんとなくで仕事をするのは悪い事?

なんとなくで仕事するなと怒られた。

しかし、この世のほとんどの出来事はなんとなくやその場の空気などで決定していると思う。

私も含めみんな本気で考えいているようでなんとなくしか考えていないからこそ、

こちらもなんとなくでいいと思っているのだが違うのだろうか。

なんとなくこっちは売れなそう、なんとなくこっちのほうが売れそう。

そんな考え方がよくない、という正論は格好良くて気持ちはわかるがなんとなくでいいんじゃないか、とも思っている私はダメなのか

2018-05-29

アニメ見るのは体力使うとか言ってたけど

スタートすら切れていない状態には草が生える。いや、生えない。

社会人始めてから6年以上は経ったわけだけど、アニメを見る本数は減るどころか消えた。

対して、胃はキリキリするし、朝起きたら死にたくなるし。

入社して数年経った頃だかにtwitterブログかで「アニメが見れない」と愚痴たことがあったけど、フォロワーさんの一人が「何かを捨てないと何かは拾えない」(意訳)とマジレスしてくださったことをなぜかよく覚えていて、そりゃ正論だなと思いつつも、結局現状はアニメを拾えていないわけで。

年齢を重ねるに連れて、できることも増えたけど考えなければならないことも増えた。考えなければならないことが増えたけど、できることも増えた、だけどもやっぱり考えることが増えた。

ちょっと前に新海誠展に行ったが、言の葉の庭のコーナーにて、映画クライマックスEDに入る直前の、あの作品の最も熱量が放たれるあのシーンの映像が流されていて、やはり惹きつけられてしまっていました。

タカオとユキノ関係性とかどうこうではなくて、ユキノが心を病んでしまった、歩く練習をしている……そういったユキノ境遇が胸に刺さりすぎて辛く、涙が出てしまう。同時上映のだれかのまなざしも同じ。

「何かを捨てないと何かは拾えない」はそりゃそうだと思うけど、実際はなかなかどうして、上手く決断できないことが多い。

結局、30も超えているのにまだまだ子どもなんだなとも思うけど、それを言い出すとますます何もできなくなる気もする。

とは言いつつも、こうやって逃げられる場所が一つでもあるのは本当に助かる。

なので頑張ろうと思う。

anond:20180529144709

それはどちらが?

LGBT性的指向尊重すべき、ただしロリコンはしね」みたいなダブスタ正論じゃないのはそうだが。

2018-05-28

anond:20180528114829

あなたは冷静そうなので返信するよ。

おそらく、これはワクチン接種に対するスタンスと同種のものだと思う。

「痛い思いをするのは理不尽だ」「副作用が出るのはベスト処置じゃないからだ」

というのは、まあ、個別には正論だと思う。

ただ、その時点でのベターワクチン接種、異様な風習)を止めさせるだけのクリティカル批判では、おそらくないよね。

ただ、「もっとみんなが幸せになれる方法があるはずだ」の姿勢を持つことは、

科学医療の発展において重要なことだと思うし、その点、自分は硬直化してるのかもな、と思わされたよ。

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