はてなキーワード: 君たちはどう生きるかとは
物語の方は実母を亡くした戦中の少年が謎世界を冒険して、継母を連れて帰る話なんだけど
「君たちはどう生きるか」というタイトルだが俺には何を伝えたいのか読み取るのが難しい
もしかしたら俺に向けて作られた話ではなかったのかもしれない
作中の「老い」は印象的だった、老人が多く出てそして老いと若さを感じさせるシーンがいくつも出てくる
老いて少年についていくのもやっとな老婆も謎世界に行くと若く現役の頃で頼もしい
誰しも若い頃はあるのだ
無くなったはずの実母も少女の姿で出てくる
これは俺にとっては意味深だった
死者と老い先短い老人は若い頃の姿で、まだまだこれからも生き続ける者は今の姿だ
今を生きてるか過去に生きてるのか、それとも老いによって体の年齢と自意識の年齢は乖離していくという話なのか
今の日本は新しい戦前と呼ばれてる事は宮崎駿も知ってそうだしな
実母と継母
何がしたいのかよく分からん
母親がヒロインと増田の感想で見たが、ヒロイン不在で青鷺や老婆たちの方がよほど印象に残った
結局何の映画なのか俺にはよく分からん作品だが、老いる前になんかしてえなと思った
具体的にはアーマードコア6
やっぱり、宮崎駿は凄い
この作品は話の筋だけ見ていくとまるで意味が分からないストーリーなのに、それでいて言いたいことがしっかり伝わってきて緩急がついている
セリフのたったひとつふたつだけで世界に深刻な緊張感を与え、それでいて主人公を破滅に導かない
単純にエンタメとしてコンテンツを消費してる人にとって「君たちはどう生きるか」がどう映るかは知らないけど、
「戦争はいけない」だとか「この世には差別が溢れている」だとか登場人物に言わせているライターは己の愚かさと間抜けさをこの作品を観て思い知ってほしい
だからあんまり言及されてない気がするんだけど、最初の5分くらい?最初のシーン。
度肝を抜かれたんだけど。
どうしよう、宮崎駿ってまだ成長するの…って引いちゃうくらい。
作品がどうとかは一旦置いといても、あそこだけでももっともっと薦められるべきなのでは?
あれを見に行くためだけでも行ったほうがいいよね。
ジブリってあくまで職人芸的な側面に評価が集まりがちな雰囲気があったし、
スパイダーバースを見た時に日本のアニメ表現ってもうとっくに負けてるのか…って膝が折れがちだったけど
あの映像を見た瞬間に現代のアニメのトップラインにいきなり躍り出た感じがした。
もしくは全然自分が知らないだけで、今のアニメってあんな映像が当然なの?
色々追記。下の世界=アニメの世界、塔=ジブリの世界という解釈の前提。
ペリカン=アニメーター?まだ世に出てないアニメや漫画の原作者?
であれば、ワラワラは上の世界で生まれる=現実世界でキャラクター(のアイデア)が生まれるという事?
ペリカンがワラワラ(アイデア)を運ぼう(盗もう)としたところ、ヒミによって焼かれたのは生まれそうになった=作品になりそうになったけど没になったキャラクター達?
魚はキャラに対する属性?魚が少ない=アニメキャラの新しい属性を見つけられない。食いつくしたという事?
死者は生きてるものを殺せない=アニメーターや原作者としての生を失った人?もう新しいアイデアを出せない人を表している?
キリコは設定=ワラワラ=アイデアを温めるような人?デザイナー?
主人公料理してを食べたい=降りてきたアイデア、設定資料から物語を作りたい?キャラ設定の咀嚼という事?
塔の世界で産屋で子を産むこと=アニメそのものが生まれる?アイデア?物理的な物?=全てを総括したアニメフィルム?ワラワラが上の世界で生まれるのとはどう違う?
タブーはというのは宮崎駿の仕事部屋に入るなという事?物理的な部屋じゃなくて脳内みたいな空間?通路の石が怒っているもの宮崎駿が良く怒るから?元ネタ(アイデア)を知られたくなくて怒ってる?
継母はアイデアの元ネタ?元ネタの設定資料?ネタ帳やスケッチブック的な物?ペン?なので産屋では紙が襲ってくる?
鍛冶屋に継母いたというくだりも昔宮崎駿が元アニメーターで、その身分だった頃からアイデアを練っていたことを示唆?
子がいる人間を食べられないのは、子=上の世界で生まれたもの=既存のアイデア=食べると盗作?
インコの育て親(繁殖させた人物)=大おじ=駿だとしたら食べられないというより、食べるなと命令した?駿のアイデアをパクるなという事?
裏切りではないか!=ファンたちへのメッセージ?ジブリスタッフとしての別観点からの意見?
綺麗な積み木だけではファンから見放されて身を亡ぼすという事?
お守りのババアは何?
キリコ人形が現実世界で本物になる=寝てるときに周りに会ったババア達のお守りも本物?
ポニョを見た時、「もう宮崎駿は見ないぞ」と誓ったのに、風立ちぬは見てしまった。
あの後悔があるから、今回は踏み留まっている。
もうガッカリしたくないんだよ。
負けないぞ😤
何故か言及してる人が少なくて、増田でもあんまり書かれてなかったから、唾つけとく的な意味で書く。
今回の映画は意図的に多義的に解釈できるように作ってあるし、ある種童話や寓話的な作品なので、物語の中に何を見出すかは人それぞれでいいというのが前提ではある。
でも、一つだけ言いたいのは、これ、明治維新以降の日本と太平洋戦争の話だよね??ってこと。
・石の積み木→大本営発表だよね?
・石積みません→人間宣言だよね?
ってこと。そんで世界が崩壊すると同時に戦争も終わる。なんか他にもあると思うけど。
そもそも現実パートは戦時中だしわざわざ何年かも説明されるし。
なんか詳しい説明は賢い人に任せる
映画そのものの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。
映像の奥から「表現したかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象そのものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。
それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。
眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿の引退詐欺が元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。
そもそも「人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にアニメ映画の監督だけに限らない普遍的な出来事であるというのは落ち着いて考えれば分かることだ。
巨大な塔が存在し、その支配者は老いて後継者を探しているという話について、ジブリの内情をモチーフにしていると言い切れる要素はどこにもない。
アニメ業界全体の話かもしれないし、昭和から平成まで続いてきた価値観が変わりつつあるという話なのかも知れない。
作品が何を語ろうとしているのかを考えるときの補助線として造り手の実情を考えるのはいいのだが、「答え合わせが出来ない以上は試し書きの補助線でしかない」ことはちゃんと意識するべきだ。
元ネタ探しをしても仕方がないとは言ったが、物語からメッセージを受け取ることを完全に拒否するのも間違っていると思う。
多くの物語はそこに寓話性があり、造り手なりの思うところがあって語られている。
たとえその始まりが「戦闘機をカッコよく飛ばしたい」「戦車を戦わせたい」のような画作りを主目的としたものであっても、その中で人間を動かしていくうちに「戦争の悲惨さを描こう」「戦いを通じて育まれる友情を描こう」といった方向性が生まれてくるものだ。
実際の所、それらは多くの場合祈りのようなもので「勇気を持てば道が拓けると信じたい」「本質を見抜けないものは失敗して欲しい」「誠実であるものが救われて欲しい」といった願いの共有に近い。
時にはそこから反転して「でも現実はそうじゃないよ」「悪い奴ほどよく眠るんだよ」といった嘆きが語られることもある。
物語が一貫性を持つためにはそういった精神的支柱が必要なのだ。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」という支柱がなければスパイダーマンはスパイダーマン足り得ないのである。
それを受け取ることを拒否すれば、鑑賞者の頭の中で物語を崩れないように積み上げていくのはとたんに難しくなる。
このタイトルに過剰反応して「うわーお説教だ―」となっている人をちょこちょこ見かける。
名前の元ネタとなった本もそうだったし、この作品もまたそうなのだと感じる。
そしてその答はなんでもいいんだと思う。
主人公は「汚れ無きものを時間をかけて積み上げることは理想かも知れないけど、そうはならないから清濁併せ呑んで生きていく」と決断した。
無数の有象無象が生きる世界を見て回った後に、詐欺師のような友人を引き連れてそう宣言したたことで物語の方向性が確定した。
より理想的な世界を求めた大叔父の夢は壊れてしまったが、その夢を実現する手段に辿り着けなかっただけで夢を持ったことそのものが間違いだった訳ではないのだろう。
インコの王は本質を見つめることを理解しないまま大雑把なことをして塔を壊してしまったが、それでも塔の外でデカイインコとしてそれなりに暮らしていくのだろう。
自分の理想通りに生きられるかは分からないけど、決断が迫られるときは来るから自分なりの準備はちゃんとしておいた方がいい、でも出来なかったからと言って何もかもがお終いではないよというぐらいの感じか。
何が元ネタだったかを考慮するのではなく、描かれようとしてた哲学が何だったのかを考えていくのならば。
自分の気持ちをがむしゃらに伝えれば、まだ生きている母親を取り戻すことは出来た。
必死に頑張ったけど、もう死んでしまった母は取り戻せなかった。
アオサギとは敵同士のようでもあったけど、最後には友人になれた。
最初の印象に引きずられてずっとアオサギといがみ合っていたらこうはならなかっただろう。
でもアオサギがその気持ちに応えてくれたのは嘴の穴を埋める木を直した後からだ。
本当にアレは偶然の出来事で、もしも最初からピッタリ嵌っていたらアオサギは本当に飛び立っていたんじゃないだろうか。
たまたまもう一度作り直して貰おうとしたことが、あの二人が友人になるまでの最後の一押し分の時間を与えたように見えた。
あの友情は偶然の産物でもあるし、同時に二人の意志によるものでもある。
自分の意志で変えられるものと変えられないものがこの世界にはあるが、もしも手に入れたいものがあるなら諦めずに進まないいといけない。
「それは宮崎駿が結果を出した人間だから言えることなんだよ」と言いたい気持ちはあるにはあるんだが、結果を出している人間の口から聞かないと受け入れにくい言葉でもあるなと。
作品をどう解釈していいか迷ったとき、元ネタを探せばいいんだという風潮がいつからか生まれていた。
それはエヴァンゲリオンの解体新書が日本中で書かれ出してからいよいよ熱病のように広まったように思う。
特に最近は庵野監督が何かと話題になったので、作品の考察とは元ネタ探しであるという考えはオタク業界において根強い。
それは一つのゲームとして面白くはあるんだけど、考察とはそういうものであるとは思わないでほしいんだよな。
まして単に感想を述べたいだけなのに元ネタ探しをする必要があるなんて勘違いは絶対にしないでほしい。
世の中にある物語の95%は元ネタなんて探さなくてもストーリーの背骨さえ見いだせれば話の内容はなんとなく分かるように出来ている。
確かに途中で話が変な方向に向かうことはあるけど、展開の矛盾だとかご都合主義だとかの野次を飛ばしたい気持ちを抑えて、大筋自体を素直に受け入れれば自ずとそれは見えてくるように思う。
考証ぶったクイズごっこや、食通ぶった矛盾探しばかりしてないで、まずは物語を素直に楽しんで欲しい。
『君たちはどう生きるか』の感想を見ているとついついそう感じてしまう。
Tweetをこっそり消すなら今のうちだぞ。
鈴木敏夫と宮崎駿が10分ぐらい「パクさんには本当さ~~~」ってアレコレ言い合って、そのあと個別インタビューで「でもあの人(鈴木敏夫・宮崎駿)も人の事言える義理かなとは思うよね」って今度はお互いにDISりあうような感じの奴。
スタジオ案内しつつ過酷すぎて死んだ目になってるアニメーターの姿をサブリミナル的に入れるのも頼む。
たしかに死んでるけどさ。
だが『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』によれば、『君たちはどう生きるか』の中には、高畑勲と思しきキャラクターが登場すると記されている。
宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』で高畑勲が描かれる?…その「驚きの理由」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースより引用
当てずっぽうでクイズごっこしているのを「考察」「分析」と言い張るのってやっぱ無駄だわ。
この映画はひとつのSNSの崩壊とそこからの解放を暗喩している。
蒼鷺はツイッターバードを表している化身のような存在なのは確定的に明らかだし、
塔の中の世界は自由に発言(ツイート)できるSNSの世界を表している。
鳥の住人が多いのは自由な世界を象徴しているのと、アバターとしての匿名性を表している。
SNSの製作者(大叔父)は自由で平和な発言を出来る世界を夢見てこの世界を作るが、
義母は気丈な態度を崩さないが、姉(主人公母)に対する負い目や、眞人が心を打ち明けてくれていないだろうということ、
そしてマリッジブルーや妊娠によるホルモンバランスの変化などにより内心はグズグズと傷ついていってしまう。
そんな時に自由に発言できる世界としてTwitterというSNSにハマってしまい、抜け出せなくなってしまう。
蒼鷺は大叔父の命で維持できなくなったSNSを管理する後継者にするために主人公をどうにか招き入れようとする。
しかしそこには母親はいなく、過去の母親が存在するだけだった。
そう、SNSには過去のツイートが残されているのだ。眞人は過去の母親のツイートから母親の気持ちを知ることになる。
蒼鷺の羽根を持っている、つまり公式バッジの付いている主人公を食べることはできなかった。
ユーザーの純粋な気持ちの象徴であるわらわらは、攻撃的なユーザーであるペリカンに食べられてしまう。
大叔父の血族であるヒミはモデレーターとしての役割があり、ペリカンを炎上させることで規制している。
インコたちはSNS内に溢れる自己主張の激しい民衆で、彼らは勝手に自治を初めて排他的な社会を築き始める。
義母は自身の暗い感情を隠すため、鍵垢の岩戸へと引きこもっている。
しかし主人公はヒミという運営権限の一部を持つユーザーの助けを借りて義母の部屋へとたどり着く。
結果的に義母の本音を見た主人公は義母と心を通じ合わせることができるようになる。
まだ明確に権限を持っていないユーザーに他ユーザーの鍵垢の中身を提示するのは私的利用職権乱用であり、
元々運営に文句のある声がでかい自治厨の村長(インコキング)はキングといえど元々ただの一般ユーザーでしかないため
文句をピヨピヨ垂れ流すだけであったが。
しかしモデレーターの不祥事を見つけたことで、鬼の首を取ったかのようにそれを武器に運営へ直談判しにいく。
主人公は元々自己主張が苦手で寡黙であったが、義母との一件で本音をさらけ出してぶつかり合うことの大切さを学んだ。
そのこともあり、自由だが閉じた世界であるSNSの継続は拒否し、本当の世界で生きていくことを選ぶ。
そして、偶然積み木というあまりに杜撰な管理体制を見てしまったインコキングは激昂し、それを糾弾することでこの世界が崩壊してしまう。
個人個人がよりよい生き方を目指すことが社会全体をいい方向に向けていくという社会科学的な思考についての内容がある。
インコたちは真逆で、自身の主張をし続けた結果SNS世界の崩壊という社会全体への崩壊へと結びついてしまったのだ。
一回観ただけなので、細かいところ間違ってたらごめんなさい。ようするに君たちはどう生きるかを読めと言われている気がするので、みんなで読もう!
別にそんな難しい話でもないよ。
倒すべきラスボスがいないだけで、十分にエンタメだったし楽しかった。
少年の成長を描いた話で、話の流れも千と千尋みたいなもんだし、難しくもなんともない。
近年レベルの上がりまくった日本アニメ界の他の映画と比べても、作画は滅茶苦茶いいし相変わらず久石譲の音楽はすごくよかったし。
別に、あの映画を作るのにそれほど莫大な予算をかけた訳じゃないと思うよ。「広告しない」というのも、「広告しても売れないだろうし、広告費は節約して、ジブリブランドの威光に頼って赤字にならなきゃ十分」くらいの判断じゃないかと邪推。
「2日で描いた絵を1000万円で売るなんて」と非難された画家は、「この絵を2日で描くために、人生を掛けた」と反論した。
エンドロールを見ればわかるが、「君たちはどう生きるか」の作画スタッフはそれほど多くない。ただ一流の人だけを集めている。
この映画一本を作るために殊更苦労したってわけじゃないと思う。ただ、「アニメ」を作るために人生を捧げて、これからも「アニメ」を作るために人生を捧げ続ける人が、この映画を作ったんだと思う。
いつもみたいに派手に宣伝してたらジブリブランドに傷がつくところだった
鈴木敏夫も困っただろうね
こんなもんをファミリー層にはお見せできない、でも宮さんは功労者だから最後に思いっきりテクノブレイクさせてあげたくもある
内容が理解不能でも一生懸命理解しようとしてくれるアニメオタクだけが見て、一回見たらギブアップしちゃう普通の人達の多くが存在に気付いたときには公開終了しているのがベスト
台風が過ぎ去るのを家の中でじっと待っているような、そんな感じ
いやわかんないんだけどね。
わかんないだけど、このタイトルがかなりミスリードなものになってるんじゃないのか?ってことはある。
見えない何かと戦ってしまっている人がたくさんいるような気もするんだよね。
これ実はわりと、「郵便印配達は2度ベルを鳴らす」的なタイトルであって
君たちはどう生きるか(仮題)、的な印象なもののような気がしないでもない。
あくまで仮題であって、とりあえずつけられたタイトルがそのまま残ってしまったてきな。
なんかね、君たちはどう生きるか?という問いかけの作品ではないような気がするんだよね。
わかんないんだけどね。
『君たちはどう生きるか』を見ながらボロボロと涙がこぼれていた。
それは内容に感動したからではなく、「あ、自分は救われないんだな」と思ったから。
それから感想をいくつか読んだけど、「老人になったパヤオがオタクを裏切った」みたいな評は間違っていると思う。
そもそも過去作からして「お前ら大人になれ!」ってメッセージばかりだったじゃん。
だって、当時のオタクは生活の余裕から大人にならない選択をした人々だったからね。
でも、そのメッセージって今のアラフォーになったオタクには残酷すぎないか?
「異世界に飛び込め!」「自分の力で切り開け!」「君たちはどう生きるか!」っていくら言われても、今さら恋人や家族を作る経済力は俺にはないのよ。
ほんと見終わって脱力したよ。パヤオは家族もスタジオジブリも作れたかもしれないけど、それは才能があったからでしょ?
この映画を絶賛しているやつって、なんだかんだ結婚して子どももいるんでしょ?
独身で、年収300万円台で、アニメ見るぐらいしか娯楽がないアラフォーに、「君たちはどう生きるか!」って言われても……もう手遅れすぎて今さら言われても悲しいよ。
『君たちはどう生きるか』で満足できた人はいいよな。
おれは一生覆せない格差を見せつけられて突き放された気分だわ。
ここで書かれてる疑問はぜーんぶぜーんぶ「見てる側の理解力が低いから分からなかった」だよ。
目ん玉かっぽじってよーく見ろよ。
→宮崎駿のアニメーターとしてのルーツの一つとして兵器に対しての憧れがある。風立ちぬ見てるなら分かるよな?あーそもそも主人公が宮崎駿のメタファーであるって話をそもそもいちいちやらないと駄目なの?マジで?
・いいとこの子供
→自分が掴んだ成功は単に天運に恵まれていただけの部分があるって話を、生まれつきの金持ちって設定で表現してる。
→ジブリにおいて宮崎駿が置かれている立場のメタファーだよ。なんか持ち上げられて隅っこに押し込められてますっていう。
→ずーっと言ってるじゃん。「僕はマザコンだから母さんを探してます。どっちの母さんもマザコンの心をくすぐって尊いので、僕はどっちも探してます」って。あそこまで露骨にやられて分からんのか?ジブリの主人公がマザコンなわけないだろって勝手な思い込みをしてない?まあこの辺はマザコンというのが「幼少期から刷り込まれた謎の憧れ→アニメーターとしての執念」みたいなメタファー構造であるんかも知れぬし、単にマジでパヤオがマザコンでロリコンなのかもだが。
・後妻による拒否
→危ないからこっち来んな!でしかないのでは?一見拒絶に見えるものが実際には愛情だったという物語を描こうとした理由については深く掘り下げんよ流石に俺は。
・弓矢を作る話
→長い時間を掛けてアニメーターとしての牙を研いできたって話だよ結局は。ナウシカの段階で40越えとるしな。
・ヴィランの不在
→インコこそがどう見ても悪役だろ。塔の中で勝手に権力構造を作り出して、その塔の支配者である宮崎駿に対して脅しをかけようとしてくる不届き者だよ。アレこそパヤオにとっての最大のヴィランであり、今まさに直面している最大の敵。老い・後継者問題・内政に立ち向かうのが大叔父パート宮崎駿の物語だからな。
→セオリーを守らなきゃ駄目だよってことに対して過剰に気にかけて縮こまるなって話なんじゃねえかな。愛情を持って丁寧に扱う分には触っても大丈夫。雑に扱って蹴っ飛ばすなら災いが起きてたかも知れないけどって話。自分の経験としてそういうのがあるんだと思う。インコ共聞いてるか?ルールの実態を捉えず形だけ守ることに固執するのが王国を守ることちゃうんやぞ?って話だよ。宮崎駿目線で見たら、インコ共はマジでここちゃんと聞いてないと感じてるんだと思う。ぶっちゃけこの映画の核の一つじゃねココ?見落とすなよ。
→それがババアこけしやインコの話につながるんすよ。その絶望がこの映画を宮崎駿に作らせた。アオサギとの騙し合いみたいな協力関係だけが物語を完成へと導くんだよ。インコ王国との対立構造じゃ塔は滅びに向かうばかりさ。って話がしたいんだろうな。だからなんだってんだよまともな映画見せろバーカバーカって気持ちはわかる。でもそれ言う前にもっとちゃんと見てやれよ。死にかけのジジイの遺言だぞ?
いまから「君たちはどう生きるか」についてたいへんキモい話をする。
劇中の具体的な描写についても言及するので映画に余計なイメージを付けたくない奴は今このウィンドウを閉じろ。
増田は普通の人体にはいっさい欲情せず、繭状に包み込まれてもがく人体の画像や動画を集めてはシコるという特殊性癖がある。
例えばこんな感じのやつだ。(リンク先は一応アートなので18禁ではない)
https://www.marcuscoates.co.uk/projects/118-moths-mayfly-butterfly-and-slugs
最近になってようやくそんな人生を受け入れ、飼い慣らして折り合いを付けた。
そんな増田が前情報一切無しの「君たちはどう生きるか」を見て驚愕した。
主人公の全身がカエル責め、内臓責め、はては包帯責めに合う描写がストレートに、何の曖昧さも無く描かれていた。
ナウシカでの人体が触手に覆われる描写は幼心に大変興奮したのだが、今回はさらに濃厚な描写だった。
映画の後トイレに行ってガマン汁が出ていることに自分でも驚いた。
自分にとっては最高にエロい描写で思わぬ眼福ではあったのだが、こういう描写を含む映画について皆がわいわい感想を述べている所を見るに付け、違和感を感じざるを得ない。
普通の人はああいう描写をどう思ってるんだろう。触れないようにするんだろうか。
どうしても拭えない疑問としては以下のようなものだ。
・なぜあそこまで主人公の人体を執拗に塗り込めるような描写をする必要があったのか。
・ああいう描写を何十人もの他人に「ここはこういうかんじで」てなかんじに指示して何百万人に見せる神経はどうなってるんだ。
感想を言い合う仲の人間関係は無いが、この映画の感想を聞かれたら自分にとってたいへん厄介だ。ズリネタに近い描写を含む作品だからだ。
観てないフリをするか当たり障りの無い適当なことを言うしかないだろう。本当の感情を隠しながら。そうやって増田は生きていく。