はてなキーワード: 冗談とは
私は友達が好きだ。趣味を話すでも良いし、近況報告やちょっとしたどうでも良いことでも共有するのが楽しい。(もちろん相手に無理強いはしない) 自分の話で笑ってくれるのが嬉しいからというのもある。毎週末休みの日はほとんど人と会う予定を入れている。誘ったり誘われたり、どちらもある。平日は3日くらいは夜誰かと電話もしている。おかげで一人暮らしでも全然寂しいと感じることはなかった。
そんなわけで友達と遊ぶのが楽しくて独身のままいつのまにか20代も後半を迎えたが、周りの友達たちがぽつぽつ結婚をし始めた。自分自身も将来を考えて誰かと家庭を作ることもしたい、と思った私は婚活をし、恋人ができた。私が友達との予定を詰めまくることは先に伝えていたので、会うのは2週間に一回くらい、友達たちと遊ぶサイクルの中に加わったような感じ。先に誘われた方を優先するので、恋人を特別優先して約束することもない。これは友達の方も同じ。
今まで彼氏がいたことはあったものの、明確に結婚を見据えたお付き合いはこれが初めてだった。
既婚の友達や婚約者の居る友達は私に恋人ができたことを素直に祝福してくれたり、喜んでくれた人が多かった。嬉しかった。独身で恋人の居ない友達たちも祝福してくれたが、裏切りと言われたり、もし結婚しちゃったらもう遊んでくれないんだねと言われたりもした。これがちょっと辛かった。私に恋人ができても友達との付き合い方を変えるつもりはないし、すぐに結婚をする予定も子供をもうける予定もないのにそんな風に言われてモヤモヤした。なんでそんな極端な言い方をするんだろう。もちろん冗談なんだろうけど、冗談でもそういうこと言わない友達はもうみんな結婚してた。
裏切りと言うけど、趣味に熱心な独身の友達の多くは共通の趣味の話は盛り上がってくれるけど、私の個人的な近況には露骨に興味がなさそうだったりする。が、自分の話は結構したり…。恐らく本当に悪気がなさそうなので普段は気にならないが、私個人に興味がなさそうな人に裏切りと言われる筋合いがなくてこんな時は頭に引っかかる。
気を許してくれてるんだろうけど、疲れたりイライラしてたら顔や態度に出やすかったりする。
結局他人にあんまり興味がないから細かいところで気を遣わない、これが全てなんだろうけど、せめて言い方はどうにかしてほしかったな〜とか思った。
まず生活水準が目茶苦茶下がる
今月に自由に使える金額は50万くらいあるが、既婚者のお小遣い(笑)は4万らしい
長すぎたし読みづらかったので結論だけ先に書く。
(追記)それでも読みづらかったので改行を入れまくった。
それを満たせるだけの大物という意味では、やはり池田大作はひとかどの人物であったのだろうとは思う。
しかしそれだけで内閣総理大臣名で追悼文を出すレベルの文化人だったと言えるだろうか。多分言えないんじゃないかな。
結論終わり。
この結論になった経緯を以下にだらだらと書いているので、暇な人は読んでみてほしい。
---------------
岸田首相が内閣総理大臣名で池田大作への追悼文を出し、賛否両論を浴びている。特にX上でこれを擁護するポストには大まかな類似性があり、興味深い。
彼らの言い分はこうだ。
池田大作は世界中の著名な大学からおびただしい数の名誉博士号を、そして国連から国連平和賞を授与された世界的な文化人であるからして、総理大臣が追悼文を出すのは妥当である。
このうち名誉博士号についてはしばしば「金で買った」という噂が飛び交っている。ディプロマミルと呼ばれる詐欺的な学位授与団体が現実に存在することを踏まえての推測だろうが、真偽は判然としない。
そもそも池田大作は創価大学の創立者ということになっているのだから、提携している大学に要請すれば名誉学位程度は手軽に得られるのではないか。正規の手段とまでは言わないが、少なくとも大手を振って見せびらかすことができるルートで手に入れた学位なのではないかと思われる。
とはいえ、いくら数百もの名誉博士号を持っていても、それだけで現役の総理大臣が追悼文を出すのは尋常なことではない。
そのシンプルな文字列からは権威性がほとばしってやまない。誰がどう見たって「国連が平和活動の関係者に対して贈る賞なのか」とひと目で分かる。
X上では「国連平和賞だけはガチの実績がないと取れない」「国連平和賞が金で買えると思ってんの?w」等のポストが散見される。
ただ引っかかるのは、私が「国連平和賞」なる言葉を知ったのは今回が初めてだということである。
俺が知らなかったのにネットで逆張りイキりしてる有象無象が知ってたわけねえだろ。
そう思ったので少し調べてみた。
皆も検索してみてほしいが、まず国連平和賞をGoogleで検索すると以下のような検索結果に大別される。
実質的にwikipediaくらいしかまともな情報源がないので眺めてみる。
概要についてはこうあった。
> 国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ。国連ピース・メダルとも日本語表記される[1]。受賞者には、ミュージシャン、文化活動家、政治家、宗教家、映画監督などがいる
「国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」とはっきり書かれている。これは驚いた。本当に国連が授与している賞らしい。実はまともな賞なのか?
沿革について。
> 第3代国際連合事務総長ウ・タントによって創設された[2]。各国代表が習慣的に贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになった[2]。また、国際連合総会総長として尽くしたものにも授与される[2]。
ごめんやっぱりまともじゃないかも。
贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになったって......もしかしなくてもコネってこと?
まあコネは金で買える場合とそうでない場合があるので「金で買えない」のは部分的に正しいのかもしれない。
日本人受賞者を眺めてみると、政治家は岸信介、福田赳夫、笹川良一など錚々たる顔ぶれ。宗教関係者では池田大作と立正佼成会青年部......どっからどう見ても国際勝共連合で草生える。これにはマザームーンもニッコリ。てかマザームーンいないの?逆に。
まあ共産主義と戦うことは、広義の平和活動なのかもしれない。国連は立場的にそれでええんか?
冗談はさておき芸術家系の受賞者はあまりそういった政治色はなさそうなので、そういった政治性のある賞ではないようにも見えた。
海外の受賞者にもそういった激烈な党派性は見当たらないので、やはり仲良しグループでコネコネしたという方がしっくり来る。
日本語ではこれ以上まともな情報が出てこなかったので英語で検索することにした。
幸いなことに日本語版wikipediaには "United Nations Peace Medal" という英語表記が載せられている。これで検索すれば国連公式の受賞者リストや受賞基準などが出てくるかもしれない。
United Nations Peace Medalが大量に出品されている (https://jp.mercari.com/search?keyword=united%20nations%20peace%20medal)。
いやそうはならんやろ。何で急にそうなるんだよ。
もしかして界隈では昔から有名な案件だったりするのか?わけがわからん。急に胡乱な話になってきたな。
商品紹介ページを見ていると「国連本部のビルで売ってた」とか「昔は国連に寄付すると記念品としてもらえた」という話が出てきた。なるほどね。なるほどね?
そしてやはり、国連公式の説明文書が引っかからない。United Nations Medalについてはヒットするものの、これは国連の平和維持活動に参加した軍人や警察官に贈られるものと記述があるため、明らかに宗教関係者が授与されるようなものではなさそうだ。
実際日本語版のwikipediaにも「国際連合がPKO要員へ授与するUnited Nations Medal(国連メダル)とは別物である。」とある。
> The United Nations Peace Medal is a commemorative medal produced by the United Nations to promote peace. First made by Franklin Mint in 1971,[1] a new design is produced annually, with limited editions offered for sale in gold, silver, and bronze.[2] Gold medals may be formally presented by UN officials as a diplomatic gift to heads of state, former UN Secretaries-General, and dignitaries visiting the UN Headquarters.[3][4]
「国連平和メダルは、平和を推進するために国際連合が制作した記念メダルです。(中略)。毎年、新しいデザインが制作され、金、銀、銅の限定版が販売されています。金メダルは、国連の高官によって国家元首、元国連事務総長、国連本部を訪れる要人に対する外交的な贈り物として公式に授与されることがあります」
なるほどね。完全に理解した。
私は国連平和賞を胡散臭い賞ではないかと推測したが、それは誤りだった。そもそもこれは「賞」ではない。何というかその......メダルだ。
この訳は流石にミスリードを狙っているとしか思えない。訳した奴は一生反省し続けてほしい。
「国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」
この日本語版wikipediaの記述があまりにも味わい深い。
なるほど、嘘は書いていなかったのだと深く理解できるし、叙述トリックを受けていたかのような感動がある。wikipediaで叙述トリックをするなナメてんのか?
流石に爆笑しかけたが、英語版のwikipediaの内容が捏造されている可能性も当然ある。
そもそもこれを外交的な贈り物としていたのなら、国連の公式ソースがあってしかるべきだ。しかしそれが見当たらないのはどういうことか。
wikipediaの脚注を見ると、公式文書があるようだがリンク切れしている。
幸いなことに国連のデジタルライブラリー (https://digitallibrary.un.org/) にあったので見てみると、なるほど確かに一般人にも売っていたらしい (https://digitallibrary.un.org/record/98028?ln=en)。
メダルの図柄が記載されているほか「国連の職員は20%割引があるよ!」とか書いていて少し笑える。どうも注文書らしいフォーマットだ。
また公式ではないが1981/10/18に書かれたNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/1981/10/18/arts/numismatics-the-value-of-smart-long-term-investments.html) にもメダルについての記載がある。
この記事は「堅実な投資先としてコインって案外良いんじゃね?」という少し頭の悪そうな内容の記事だが、そこでUnited Nations Peace Medalについての記載があった。
「1981年の国連平和メダルはフランクリン造幣局によって製造されている。(中略)。この作品は、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長が各国首脳やその他の訪問高官に公式に贈るために鋳造されているほか、コレクター向けに限定販売されている」
「ゴールドとシルバーのバージョンはどちらも直径39ミリで、価格はそれぞれ1200ドルと55ドルである」
どうやらそういうことらしい。
また、Encyclopedia of Violence, Peace, and Conflict という書籍のp.799でもその旨の記述がある。
URL: https://books.google.co.jp/books?id=TG2kN033mDkC&lpg=PP1&ots=6bsz6qC8-W&dq=Encyclopedia%20of%20Violence%2C%20Peace%20and%20Conflict%2CAcademic%20Press%2C&lr=lang_ja%7Clang_en&hl=ja&pg=PA799#v=onepage&q&f=false
> It is presented to heads of state in the course customary exchanges of gifts, and to those who have served as president of UN General Assembly
「恒例の贈り物交換の際に各国首脳や国連総会議長を務めた人物に贈られる」とある。
高官たちの贈答品交換の際に、国連側の贈答品のオプションとしてあるのだろう。つまり寄付の代価ということにもなりうるのか?
しかしそうなると芸術家に対して贈られているのはよく分からない。というのも、このメダルは元々パブロ・カザルスという著名な音楽家に対して贈られたものらしい。
もしかして平和活動を行う芸術家に対しては真面目に選考して授与しており、政治家たちには贈答品として授与しているということだろうか。
ともあれ特段表に出ている授与基準はなく、もっぱら国連事務総長をはじめとする高官がわりとノリで渡せる程度のものであるらしいことは分かった。そもそも同じ物を1200ドルで売っていたのだから......。
岸田首相が内閣総理大臣名で池田大作への追悼文を出し、賛否両論を浴びている。特にX上でこれを擁護するポストには大まかな類似性があり、興味深い。
彼らの言い分はこうだ。
池田大作は世界中の著名な大学からおびただしい数の名誉博士号を、そして国連から国連平和賞を授与された世界的な文化人であるからして、総理大臣が追悼文を出すのは妥当である。
このうち名誉博士号についてはしばしば「金で買った」という噂が飛び交っている。ディプロマミルと呼ばれる詐欺的な学位授与団体が現実に存在することを踏まえての推測だろうが、真偽は判然としない。
そもそも池田大作は創価大学の創立者ということになっているのだから、提携している大学に要請すれば名誉学位程度は手軽に得られるのではないか。正規の手段とまでは言わないが、少なくとも大手を振って見せびらかすことができるルートで手に入れた学位なのではないかと思われる。
とはいえ、いくら数百もの名誉博士号を持っていても、それだけで現役の総理大臣が追悼文を出すのは尋常なことではない。
そのシンプルな文字列からは権威性がほとばしってやまない。誰がどう見たって「国連が平和活動の関係者に対して贈る賞なのか」とひと目で分かる。
X上では「国連平和賞だけはガチの実績がないと取れない」「国連平和賞が金で買えると思ってんの?w」等のポストが散見される。
ただ引っかかるのは、私が「国連平和賞」なる言葉を知ったのは今回が初めてだということである。
いや国連平和賞って何だよ。俺が知らなかったのにネットで逆張りイキりしてる有象無象が知ってたわけねえだろ。絶対胡散臭い賞だってこんなの。
そう思ったので少し調べてみた。
読者の皆さんも検索してみてほしいが、まず国連平和賞をGoogleで検索すると以下のような検索結果に大別される。
実質的にwikipediaくらいしかまともな情報源がないので眺めてみる。
概要についてはこうあった。
> 国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ。国連ピース・メダルとも日本語表記される[1]。受賞者には、ミュージシャン、文化活動家、政治家、宗教家、映画監督などがいる
「国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」とはっきり書かれている。これは驚いた。本当に国連が授与している賞らしい。実はまともな賞なのか?
沿革について。
> 第3代国際連合事務総長ウ・タントによって創設された[2]。各国代表が習慣的に贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになった[2]。また、国際連合総会総長として尽くしたものにも授与される[2]。
ごめんやっぱりまともじゃないかも。
贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになったって......もしかしなくてもコネってこと?
まあコネは金で買える場合とそうでない場合があるので「金で買えない」のは部分的に正しいのかもしれない。
日本人受賞者を眺めてみると、政治家は岸信介、福田赳夫、笹川良一など錚々たる顔ぶれ。宗教関係者では池田大作と立正佼成会青年部......いやあのこれどっからどう見ても国際勝共連g(ry)。これにはマザームーンもニッコリ。てかマザームーンいないの?逆に。
共産主義と戦うことは、広義の平和活動なのかもしれない。実際一理あるかもしれない。国連は立場的にそれでええんか?というツッコミは置いておこう。
冗談はさておき芸術家系の受賞者はあまりそういった政治色はなさそうなので、そういった政治性のある賞ではないのだろう。
海外の受賞者にもそういった激烈な党派性は見当たらないので、やはり仲良しグループでコネコネしたという方がしっくり来る。
日本語ではこれ以上まともな情報が出てこなかったので英語で検索することにした。
幸いなことに日本語版wikipediaには "United Nations Peace Medal" という英語表記が載せられている。これで検索すれば国連公式の受賞者リストや受賞基準などが出てくるかもしれない。
United Nations Peace Medalが大量に出品されている (https://jp.mercari.com/search?keyword=united%20nations%20peace%20medal)。
いやそうはならんやろ。何で急にそうなるんだよ。
もしかして界隈では昔から有名な案件だったりするのか?わけがわからん。急に胡乱な話になってきたな。
商品紹介ページを見ていると「国連本部のビルで売ってた」とか「昔は国連に寄付すると記念品としてもらえた」という話が出てきた。なるほどね。なるほどね?
そしてやはり、国連公式の説明文書が引っかからない。United Nations Medalについてはヒットするものの、これは国連の平和維持活動に参加した軍人や警察官に贈られるものと記述があるため、明らかに宗教関係者が授与されるようなものではなさそうだ。
実際日本語版のwikipediaにも「国際連合がPKO要員へ授与するUnited Nations Medal(国連メダル)とは別物である。」とある。
> The United Nations Peace Medal is a commemorative medal produced by the United Nations to promote peace. First made by Franklin Mint in 1971,[1] a new design is produced annually, with limited editions offered for sale in gold, silver, and bronze.[2] Gold medals may be formally presented by UN officials as a diplomatic gift to heads of state, former UN Secretaries-General, and dignitaries visiting the UN Headquarters.[3][4]
「国連平和メダルは、平和を推進するために国際連合が制作した記念メダルです。(中略)。毎年、新しいデザインが制作され、金、銀、銅の限定版が販売されています。金メダルは、国連の高官によって国家元首、元国連事務総長、国連本部を訪れる要人に対する外交的な贈り物として公式に授与されることがあります」
なるほどね。完全に理解した。
私は国連平和賞を胡散臭い賞ではないかと推測したが、それは誤りだった。そもそもこれは「賞」ではない。何というかその......メダルだ。
この訳は流石にミスリードを狙っているとしか思えない。訳した奴は一生反省し続けてほしい。
「国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」
この日本語版wikipediaの記述があまりにも味わい深い。
なるほど、嘘は書いていなかったのだと深く理解できるし、叙述トリックを受けていたかのような感動がある。wikipediaで叙述トリックをするなナメてんのか?
流石に爆笑しかけたが、英語版のwikipediaの内容が捏造されている可能性も当然ある。
そもそもこれを外交的な贈り物としていたのなら、国連の公式ソースがあってしかるべきだ。しかしそれが見当たらないのはどういうことか。
wikipediaの脚注を見ると、公式文書があるようだがリンク切れしている。
幸いなことに国連のデジタルライブラリー (https://digitallibrary.un.org/) にあったので見てみると、なるほど確かに一般人にも売っていたらしい (https://digitallibrary.un.org/record/98028?ln=en)。
メダルの図柄が記載されているほか「国連の職員は20%割引があるよ!」とか書いていて少し笑える。どうも注文書らしいフォーマットだ。
また公式ではないが1981/10/18に書かれたNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/1981/10/18/arts/numismatics-the-value-of-smart-long-term-investments.html) にもメダルについての記載がある。
この記事は「堅実な投資先としてコインって案外良いんじゃね?」という少し頭の悪そうな内容の記事だが、そこでUnited Nations Peace Medalについての記載があった。
「1981年の国連平和メダルはフランクリン造幣局によって製造されている。(中略)。この作品は、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長が各国首脳やその他の訪問高官に公式に贈るために鋳造されているほか、コレクター向けに限定販売されている」
「ゴールドとシルバーのバージョンはどちらも直径39ミリで、価格はそれぞれ1200ドルと55ドルである」
どうやらそういうことらしい。
また、Encyclopedia of Violence, Peace, and Conflict という書籍のp.799でもその旨の記述がある。
URL: https://books.google.co.jp/books?id=TG2kN033mDkC&lpg=PP1&ots=6bsz6qC8-W&dq=Encyclopedia%20of%20Violence%2C%20Peace%20and%20Conflict%2CAcademic%20Press%2C&lr=lang_ja%7Clang_en&hl=ja&pg=PA799#v=onepage&q&f=false
> It is presented to heads of state in the course customary exchanges of gifts, and to those who have served as president of UN General Assembly
「恒例の贈り物交換の際に各国首脳や国連総会議長を務めた人物に贈られる」とある。
高官たちの贈答品交換の際に、国連側の贈答品のオプションとしてあるのだろう。つまり寄付の代価ということにもなりうるのか?
しかしそうなると芸術家に対して贈られているのはよく分からない。というのも、このメダルは元々パブロ・カザルスという著名な音楽家に対して贈られたものらしい。
もしかして平和活動を行う芸術家に対しては真面目に選考して授与しており、政治家たちには贈答品として授与しているということだろうか。
ともあれ特段表に出ている授与基準はなく、もっぱら国連事務総長をはじめとする高官がわりとノリで渡せる程度のものであるらしいことは分かった。そもそも同じ物を1200ドルで売っていたのだから......。
結論:
「国連平和賞」は賞ではない。普通に買えるし、コネがあると貰える。
「国連平和賞はマジで実績が必要」は完全な間違いであることが分かった。何故ならそのような賞がないので。
「国連平和賞が金で買えると思ってんの?」はジョークとして奇跡的な完成を見せている。United Nations Peace Medalはまさしく金で買えるものだった。インターン生も含めた国連職員にはディスカウントもあるよ!
「池田大作は国連平和賞をもらえるほどの文化人だった」という主張には一考の余地がある。というのも、United Nations Peace Medalを「もらう」ことは一般人にとって極めて難しい。それを可能にする人脈と知名度、そして最低限与えても問題ないだけの外面が要求されるだろう(A級戦犯被疑者の岸信介と笹川良一がもらえるんだから大抵の瑕疵は何とかなるのだろうが)。それを満たせるだけの大物という意味では、やはり池田大作はひとかどの人物であったのだろうとは思う。
弟はいまだに天邪鬼なのか厨二病なのか、わざと場が白けるようなことを言ったりやったりします。
たとえばちょっと悲しい話をテレビで見た時に、フィクションにしろノンフィクションにしろ、お笑いを見ている時のように面白おかしく笑ったりはしないじゃないですか。でも弟はわざと笑ったり茶化したりするのです、フィクションならまだいいのですが、ノンフィクションでそれをやられると正直引くというか。たとえるなら、戦争の話でよくやった!お前らのおかげだ!とわざとらしく面白おかしく言われても周りも反応に困るじゃないですか。本気でそう思ってるのではなく冗談的なノリのようなんですが、毎度場がしらけています。つまんねーよ、と兄が言ったことがあるのですが、その時だけしおらしくなってまた同じことをやります。
また構ってほしいのか、聞いていることに対してわざと返事をしない節があります。たとえば何時にここに集合するのでいいか?と聞いたとしたら、他の人はいいとか遅れるとかここの方がいいとか言うのに、弟だけは既読にはなるけど返事がありません。まあ返事がないけど既読になっているし来るのだろうと思ってみんなで待ってもなかなかこず、約束の時間が過ぎてから今何駅(弟の最寄りから待ち合わせ場所への途中)です、とだけ送られてきます。
これについても両親から注意したことがあるのですが、はいはい、みたいな感じであしらわれてこちらについても結局同じでした。
親戚の集まりの食事会でイヤホンをしてVtuberの動画を観ていて1人でくすくす笑っているので大変恥ずかしい思いをしました。親戚の集まりがつまらないのかもしれませんが、年に一回たかだか2時間ほどのものです、大人ならそれぐらい適当に話を合わせておけば良いのです。いやなら最初から都合が悪いと言って来なければいいのです、そのように言いましたが来ると言ったのは本人です。頭に来てマナーが悪いいい加減にしろと注意してやっと渋々やめる、人としての何かが欠けているのでしょうか。我々兄弟はだいたい同じように育てられており、私と兄の感覚も一緒にいると同じだなと思うのですが、弟だけは理解ができません。
別にいろんな家族行事に参加したくないとか興味ないとかではないようなのですが何を考えてこのようなことをしているのかさっぱりわかりません。
もう社会人のはずなのに、外で同じことしてないだろうかと考えるとゾッとするし、いくら家族とはいえもう大人でこのようなことを続けられると嫌になります。そのため私からは弟に連絡することはもうやめたのですが、連絡しないと拗ねてあとからぐちぐち言うので今は母親が連絡係になっています。
最後まで!読んでね♡
特に女なんだけど、全然冗談が通じなくて話をしていて疲れる人がよくいる。
相手「ぜひ来てください。こちらの美味しいものをごちそうします」
私「お茶漬けとかたくさん食べさせてください!」
ということを冗談で言ったら急に機嫌が悪くなった。
なんか「今どき京都でも慇懃無礼にお茶漬けを出す人なんていない」「私のことを口先だけでもてなすような人に見ていたのかと思って傷ついた」とかなんとか。
他にもなんかこっちの冗談を真に受けすぎるというか、いちいちまじめに返される人とたまに会ったりして、そういうときには会話に言葉を選ばないといけなくてすごく疲れたりする。
不思議だ。
それが確定で分かる描写は作中に一切ない。
それなのに我々の多くが「嫌韓流は本気で韓国アンチを正しい行為だと思ってやっているガチ嫌韓だが、テコンダー朴は韓国アンチと韓国を同時に馬鹿にしている全方位冷笑型である」だと感じている。(「察している」と書きそうになったほどだが、察しているという表現は少なくとも自分の中でその内容が正解であることが99%確定しているような状況で使うべきなので、この状況にはふさわしくないと思い、「感じている」とした。)
不思議だ。
作中の人物は誰もが本気でその瞬間瞬間を必死に生きているのに。
それなのに我々はそこにそれらが単なる冗談に過ぎない世界観を感じ取るのだ。
どこでそれを切り分けた?
謎だ。
岩井勇気・奥森皐月両氏が結婚するのを知ったのは月曜深夜、伊集院光のラジオだったか。その後、ホッテントリで anond:20231113211455 を見た。
で、ゆうべ、妻となんともない会話をしているときにこの話になって、妻は2人の結婚がどうしても気に入らないという。
というのが主な主張だった。
自分は奥森皐月のことはお笑い好き・ラジオ好きの女子高生として数年前に色んなところに出ているのを知っていたので、まあ、そういうこともあるだろうなと思って、特に何の感想も持っていなかったが、なんとなく次のようなことを話した。
そして、「じゃあ俺たちもおかしいってことか」と冗談交じりで言ってみた。
自分と妻は同じ会社に、こっちは院卒、あっちは高卒で入った。27と19くらいで別部署の人間として知り合って、その後あっちが20になってから交際し、その後結婚したのだ。(当時の成人年齢は20歳)。今、40と32。子どもはいない。
「成人する前に知り合って、成人してから交際して、結婚したのがあり得ないなら、自分たちの結婚もあり得ない、ってことか」と半ば論破するかのように言ってみたところ、妻はしばらく黙り込んでから「増田君のことは好きだけど、一方で岩井の結婚のことは許せない、この気持ちを自分の中で首尾一貫させるために自分たちの結婚は間違っていたことにせざるを得ない」と話し、その日のうちに荷物をまとめて出て行ってしまった。実家に帰ったのかどこかのホテルに泊まったのかはわからない。
今はお互い転職していて会社も別々なので、昼間に会社で探すというわけにも行かなかった。昨日から電話もLINEも返事がない。
どうしたらいいだろう。
ジャニーズ問題はついにファンによるセカンドレイプで自殺者を出す最悪の事態を招いてしまった。
本当に悲しいし本当に怒っているので書き殴る。
前々から「誹謗中傷はジャニーズファンのごく一部」「事務所に批判的な良心的ジャニオタもいる」などの謎の擁護がある。
えっ冗談でしょう?
彼女たちは何度も団結して「#ジャニーズがんばれ」「#ジュリー社長を応援します」みたいなハッシュタグをSNSでトレンド入りさせてきたよね?
告発者を「金目当て」「虚偽」と非難する投稿には日々何千何万ものリポストやいいねがついてるよね?
それに対して身内を批判したり事務所に改善を求めるような運動はどれだけ起きたの?
「一部」以外の大多数なはずのファンは何をしてたの?
何もなかったよね。
性被害を訴えた人に仲間が大量の石が投げつけているのをただ傍観して、止めもせず呼びかけもせず、黙ってるだけ。
これのどこが良心的だよ。
Xでは今回のニュースにすら「批判が原因の自殺とは限らない」「一方的な言い分を鵜呑みにするな」とジャニオタがコメントをつける。
人が1人死んでてなおこの反応っておぞましいとしか言いようがない。
誹謗中傷をやめさせるどころか「虚偽の話をしているケースが〜」の声明でファンを煽った。
ジャニタレは何してたの?
でも何もしなかった。
P&Gや不二家は売り上げ惜しさにあの手この手で契約を継続してジャニーズを甘やかした。
彼らが社会的な責任ある企業として「誹謗中傷をやめさせないなら契約継続しない」と毅然とした対応をとっていれば今回の悲劇は防げたかもしれないのに。
良心的なジャニオタなんていないし事務所もタレントもスポンサーもみんな良心のかけらもないじゃんこの界隈。
社名変更や新会社で来年からは何事もなかったかのように元通りですか?
宝塚と同じ。
この狂った界隈とビジネスを完全に解体しないならきっとまた人が死ぬよ。
そんなものが存在しないかのように毎日流れるジャニーズの華やかなエンタメニュースや関連ワードのトレンド。
あまりに落差のあるこの光景を見て亡くなった方は何を思っただろう。
たったひとりで、山の中で。
これを見て諸君はどう思う?
その通りだと思うかい?
しかし、差別とは、プレ暴力であるから、言う人間の主張主義が何かという話で扱いが変わることはない。
「人権を語る人間にだけ差別語を使わないことを求めている」とは、
言い換えれば、
「人権を語らない人にはそこまでの厳格な差別語の忌避を求めない」「人権を語らない人へは、もっと寛容に多少の差別語は見逃してもいい」という事だと言えるよね。
あれ?おかしいことに気付けるかな?
という構図なことに気付けるかな?
全く許さないか、それ以外か、の2つしかないんだ。少しでも許してしまうなら、結局、差別の許容でしかないからね。
「どうせネタだから、悪気のない人にまで厳しく言うのはさすがに空気が読めてない」という考えは、実は差別主義者の本質のひとつである。
冗談やネタは「差別が受け入れられやすくなるための戦略」として意図的に使われるくらい、「典型的な」差別の方法なんだ。
匿名ネットで差別語を言っちゃいけないのは「人権語ってる奴」「人権を説くなら人権に配慮しろ」と言ってしまうこと自体が、差別への寛容さのあらわれ、差別の許容の裏返しであること
はわかったかな?
だって、本当に差別がいけないと思ってたら、相手の属性なんか関係ないはずだからね。誰が言っててもダメだ、と言うはずなんだよ。
こんな言葉が出てくるはずがないよね?
「全員」「すべての差別を言う人を、冗談でもネタでも許さないこと」「悪気の有無や主義主張に関係なく、徹底的に排除」
差別をする奴でも、人権について語ってない人はなあなあに許されてしまう空気自体がすでに差別の肯定、差別への加担だってことが、わかるかな?
これを見て諸君はどう思う?
その通りだと思うかい?
しかし、差別とは、プレ暴力であるから、言う人間の主張主義が何かという話で扱いが変わることはない。
「人権を語る人間にだけ差別語を使わないことを求めている」とは、
言い換えれば、
「人権を語らない人にはそこまでの厳格な差別語の忌避を求めない」「人権を語らない人へは、もっと寛容に多少の差別語は見逃してもいい」という事だと言えるよね。
あれ?おかしいことに気付けるかな?
という構図なことに気付けるかな?
全く許さないか、それ以外か、の2つしかないんだ。少しでも許してしまうなら、結局、差別の許容でしかないからね。
「どうせネタだから、悪気のない人にまで厳しく言うのはさすがに空気が読めてない」という考えは、実は差別主義者の本質のひとつである。
冗談やネタは「差別が受け入れられやすくなるための戦略」として意図的に使われるくらい、「典型的な」差別の方法なんだ。
匿名ネットで差別語を言っちゃいけないのは「人権語ってる奴」「人権を説くなら人権に配慮しろ」と言ってしまうこと自体が、差別への寛容さのあらわれ、差別の許容の裏返しであること
はわかったかな?
だって、本当に差別がいけないと思ってたら、相手の属性なんか関係ないはずだからね。誰が言っててもダメだ、と言うはずなんだよ。
こんな言葉が出てくるはずがないよね?
「全員」「すべての差別を言う人を、冗談でもネタでも許さないこと」「悪気の有無や主義主張に関係なく、徹底的に排除」
差別をする奴でも、人権について語ってない人はなあなあに許されてしまう空気自体がすでに差別の肯定、差別への加担だってことが、わかるかな?
こんな感じの、
テレビ千鳥 か 千鳥かまいたちアワ〜 の導入がありそうだなぁという妄想です。
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ノブor濱家「どしたん」
ノブor濱家「え、そんなんあったっけ」
大悟or山内「雅さんや」(※ここ、黒文字でかい明朝フォントみたいなのと、宣材写真)
ノブor濱家「あ……w」
大悟or山内「せやねん(※ここ、テロップで「関西の情報番組」と入る)で、大谷翔平のグローブ配布に文句言ったみたいな形で炎上しとったのう、」
ノブor濱家「せやせや、学校も困るとか3個じゃなく100個やいうて」
大悟or山内「漫才師のボケやん。切り取りってやつは怖いのう。『100個もらったほうが困るがな』ってツッコミ待ちちゃうん?」
ノブor濱家「冗談なん!? 見出しみたらなんか、ほんまに雅さん年重ねてボケはったんかと……」
ここ、大悟or山内が笑顔でノブor濱家をグーで頭向こうにやる
大悟or山内「ちゃうわ!w 雅さんのめっちゃ面白い最高のジョークに決まってるやろ!w」
ノブor濱家「まーボケか。それもそうか。雅さんあんだけ毎週大谷褒めてて大好きそうやのに…w よりにもよって大谷ファンに叩かれてんのホンマ……w」ここめちゃくちゃ濱家の含み笑いでの言い方似合う
ノブor濱家「なにを?」
大悟or山内「言い訳の練習会場です 【ここもっと何か面白いフレーズにしたい】」
【オープニング的なやつ挿入】
【企画スタート。スタッフが事前に番組内(これまでの放送回)でのノブor濱家の発言を悪意をもって切り取っている。
それを大悟or山内が指摘し、ノブor濱家が言い訳する(最初は、いや切り抜き方に悪意あるやろ!とツッコむ)みたいな流れで】
【前半は、リビングでくつろいでいたら妻からスマホ画面見せられて、これあなた炎上してるけど何?みたいな状況のコント。何個かぶん行う】
【後半は、前半で取り上げたうち最後の問題発言が大炎上したみたいな形で、謝罪会見コントへ。鉄板だけどやっぱ架空謝罪会見が一番面白い】
……
…
って感じ。