はてなキーワード: 会いたかったとは
少し違う気もするが、わかりやすいように例を示す。
例えば、生まれつきお腹が弱く、月の4分の1くらいの期間、お腹を壊して、その期間は毎日とてもつらいとする。
彼女もそのことを知っている。
ある日、つらい周期に入ってたけど、大好きな彼女に会いたかったので、彼女とともにつらいながらも一緒に過ごすことを選ぶ。
ところが、気を付けていたけど、漏らしてしまい、ソファを汚してしまう。
自分は男なので、何とも言えないが、この100倍増しくらいで想像すれば、多少実感できるんじゃないかな。
「スマホを見ていた」としか書いてないので、なんともだが、フォローもいたわりもなければ、「そんなやつ別れなよ」と言われても仕方ない気がする
今思い出してもとてもきらきらしていて、本当にあったことなのだろうか、と思うほど素敵な時間だった。
.
私は高2の時にいじめられていた。とはいえ、「いじめ」と聞いて想像しただろうものほど凄惨なものではない。
せいぜい"嘘告"(嘘の告白をすること)の標的になったりとか、単語帳を隠されたりとか、それくらいだ。
全ての声が自分を馬鹿にしている気がして、休み時間には机に突っ伏しながら耳を塞いで流れる血の音を聞いていた。
.
そんな私も、いわゆるいじめアンケート的なものでSOSを発信したことで、状況は変わった。2年生のうちはなにも変わらなかったのだが、これがきっかけで私が救われたのは間違いないのだ。
あと、いじめてきたやつらに謝られた気もするが、よく覚えていないなぁ、ということを今思い出した。
前提として、私の学校では2、3年のクラスは変わらず持ち上がりだった。
しかし、恐らくは私の救難信号がきっかけで、3年のクラスは変わることになった。
.
新しい環境を与えてもらった私は、自分を変えることにした。いじめられた原因は自分にあると思ったからだ。
ただ、いじめの原因はいじめてきた奴らにあるし、自分が"悪かった"とも思ってはいない。
しかし、当時の私が弱そうで、暗くて、ひとりぼっちで、抵抗しなさそうで、いじめてもリスクがなさそうなクソゴミ陰キャだったのは事実だったのだ。だから、変わることにした。
.
手本にしたのは自由奔放な友だちだった。人の目を気にする私に「他人のことなんてみんなそこまで気にしてないよ」みたいなことを言ったやつだった。いじめられていたときは「はぁ?」と思ったものだが、これを信じてみることにした。
他人のことなんてみんな気にしてないから、自分を卑下しすぎず、相手を信用して"対等に"いることを心がけた。
当時の日記を見たら、
とも書いてあった。
.
そんな感じで、ギャルとか、一軍女子とか、すごい明るい体育会系とかに話しかけられても、ビビっているのを隠して必死で会話した。
正直なところ、とても怖かったと思う。
変な人だと思われたらどうしよう、キモいって思われるかも、また人に笑われる、そういう気持ちとの戦いだった。
キモいとも思っていないようだった。ちゃん付けで呼んでも不快な顔なんてしなかった。会話を重ねていくと話しかけられる頻度も上がっていった。
.
本当に優しかった。
今でも涙が出そうなくらい、優しい人ばかりだった。
今までもそうだったのかもしれないが、高3で初めて気づいたのだった。
人は意外と優しい。
.
そんな環境で私は、
から、
"人間"
に戻っていった。
.
自分が人間に戻る中で、周りもまた人間だと気づいていったと、今思う。
"ギャル"は「掃除場所が一緒で破天荒なYちゃん」だったし、"一軍女子"は「体操でペアになるお洒落なTちゃん」、"体育会系"は、「席が近くの明るいMちゃん」だった。
.
そこに優劣やカーストなんかなくて、みんな対等だった。そして、クラスメートで、友だちだった。
.
彼女は"クソゴミ陰キャ"の私にも明るく話しかけてくれて、初めから友達のように接してくれた。その明るさと、多少の強引さが私を引っ張ってくれた。
Mちゃんがきっかけで、彼女の友達のNちゃん(彼女も運動部だった)ともぎこちない会話を積み重ねて仲良くなった。Nちゃんは今でも付き合いがある。
.
部活も引退して久しい11月には、私たちは"友達3人組"で、一緒に帰るようになっていった。
休み時間にお菓子を交換して、テスト難しかったね、なんて笑い合った。
それも1人じゃない。
小学校のときに『挨拶は義務』といい感じで半強制的に挨拶させられていたが、このとき初めて挨拶の価値に気付いた。
挨拶は友だちの確認であり、繋がりが切れないようにする小さなコミュニケーションだと感じた。
.
12月には「1秒でも長く、このクラスでいたい。」と記している。
毎日が本当に幸せだった。死にたいなんて全く思わなくなっていた。本当に眩しい日々だった。
うまく会話できたことが嬉しくて、幸せな気持ちいっぱいで帰った青空の日を思い出す。
きっと他の人には普通のことばかりだったけど、私にとっては全ての出来事が宝石のように輝いていた。
.
大学に入り、私はさらに変わろうと思い、自分なりの大学デビューをした。お洒落を一から勉強して、自分なりに陰気を消そうと努力した。入学してすぐ声をかけ、友達を作った。
優しい環境が私を人間にし、そしてそこで出会った人たちから様々なことを学んだからできたことだった。
.
成人式があった。
私はいかなかった。
いじめてきたやつらに会いたくなかった。同じ空間にも居たくなかった。今の自分が、高校時代の自分の顔や態度をするのも嫌だった。
.
高校3年生のあの1年間は、私にとってかけがえのない宝物である。
しかし、その日々はもう戻らない。
この先も同窓会には行かないだろう。
.
私の中だけで、過ごした日々も出会った人たちも永遠になっていく。
思い出は美化され、輝きを増す。
そうしてできた"夢のような時間"を思い出して、今これを書いている。
夢のようだけど、当時の日記見ると本当にあったんだなぁってまた涙が出てしまう。
.
.
.
就活、頑張るかぁ。
元々人と遊ぶことに積極的な人間ではなかった。小学校の頃も、中学校の頃も、高校の頃も、めんどくさいからと遊びを断っていたくらい。
LINEも返さない。文章を考えるのが面倒で溜まりまくって通知の数が大変なことになってきた。(それを見るだけで返信する気が滅入る悪循環、私が悪い)
最近コロナで友達と遊んでいない。というか半年弱、リアルで家族以外の人間と喋ってない。幸い家族と仲良しでつまらないとか、ストレスは一切感じてない。根っからのインドア派なので出歩けない不満もない。
が、とてつもなく友達に会いたい。よう言う、「ないものねだり」的感情なのかもしれない。会えなくなると寂しい、的な。
アニメ、ゲームオタクの私はTwitterで同じような趣味のリアルの友達と繋がっている。だからネット上だけど会話はする。あ、生きてるー。今はこのジャンルにハマってるんだ。課題大変そうだなー。と、日々ツイートを眺めながら思う。
で、ふと猛烈に会いたくたる。会いたいねー、なんてレベルじゃなくなる。会いたかった!!!って抱きつきたくなる。会いたい、とにかく会って話したい。
Twitterに「みんなに会いたいよ;;」と打ち込んでると会いたい気持ちがどんどん大きくなる。自分で書いてて気持ちが悪いけど、「好き」って気持ちがムクムク湧いてくる。いやなんで?って自分でも思うくらいに。
とにかく会いたい、遊んで話して抱きしめたい。抱きしめなくてもいいだろって思うかもしれないけど、めちゃめちゃ抱きしめたい。人肌が猛烈に恋しい。
会えない。感染者三日連続100人越えちゃった。ワイドショーで夜の街?のインタビューで喋ってたオニーサンが「かかりたくない人は出でこなきゃいい。かかってもいい人は出てくりゃいい」って言ってて泣きそうになった。
家族がいるんだよ。あなたがどういう所で誰と暮らしてるか知らないけど、私には家族がいる。体の弱いおじいちゃんおばあちゃんもいる。コロナにかかるわけには行かないんだよ。
「なら外出なきゃいいじゃん!俺は出るよ笑笑 かかってもいいからね!」
私だってあなたがコロナに感染しようがしまいがどっちでもいいよ。夜の街(笑)とかに?意地でも出かけたい人は勝手に出かければいいよ。でもそういう訳行かないんだよね。実際、その人たちが感染したら病院のベッドは埋まるし、通勤で使った交通機関、店に来た人が帰りに使った交通機関全てに居合わせた人が接触する。
本音を言えばマスクもせずに対面で飲み歩いてる人たちは狭い部屋に押し込めてポイすればいいと思ってる。実際は人権くんに保護されてるからポイできないみたい。
私はあなたの安否なんてどうでもいい。ただ、「俺はかかってもいいよー」って人も感染者数にカウントされるし、かかりたくない誰かに菌を撒き散らしてる。
感染者数が増えればまた自粛。私は大学にまだ一度も通ってない。サークル?何それ美味しーの?友達に会いたい、友達を作りたい。ネットがあっても実際会って話したい。おかしくなりそう。
とにかく友達に会いたい。ネットの通話と、実際対面するのは全く違う。楽しさが違う。
「かかりたくない人は出なきゃいい」
って仰ってたお兄さん。楽しそうだね。路上で仲良しの誰かと飲んで、上機嫌でおっきくなってインタビュー答えたんだろうね。いいな、羨ましいな。お兄さんがコロナにかかっても別に悲しくないね。だって若いし、死ぬ確率は低いって思ってるからね。
きっとお兄さんには何を言っても伝わらない。顔にモザイクがかかってたからどこの誰かもわからない。だからこの気持ちが無駄なのは十分に理解してます。
でも私はあなたが大嫌い。
頭が悪そう、あなたのインタビューがワイドショーで流れているのを目にした時、私は恥ずかして見てられませんでした。(見たけど)
それならセンスないからもう二度と言わない方がいいですよ😅💦😁💦
無理、嫌い、無理無理。
いいなー、羨ましいなあ。
どうでもいいっす。勝手にかかってください。
コロナで苦しめ!とは思わない。むしろ感染しないといいね、って思ってる。
おれゎ!ころなにかかってもいいょ!!!
ころなにかかってもいいって思う人だけが出ればいいんスょ!!!!
爆笑〜
手に持ってる缶ビールを売ってる人もコロナにかかりたい人。あなたを乗せる電車の駅員もコロナにかかりたい人。あなたが捨てたゴミを回収する人もコロナにかかりたい人。
笑笑笑 マ?
あーあー友達に会いたいな。大学のキャンパスに通えるのはいつかな。
私はコロナにかかりたくない人なので!一生家にいないとね😅
愚か系人類お兄さんに届け〜✉️
おわり
タイトルの通り、先日推しに初めて手紙を書いた。推しはバンドをやっていて、初めて生で見た時からずっと好きだった。
ライブの後に撮影会とか握手会を割と頻繁にやるバンドだからライブを楽しんだ後に直接話して一緒にチェキを撮ったりしていたのだけど、私がコミュ障な上推しを見ると頭が真っ白になってしまうため直接話せる機会があるにも関わらずありきたりなことしか言えなかった。でもコロナの影響でライブは軒並み中止になってしまった。楽しそうに演奏する推しが大好きなのにそれを見ることができない悲しみ。コロナめ!推しが毎晩夢にまで出てくる。次会えたら会いたかったと言ってしまいそうなくらい会いたい。コロナめ!
そんな中推しが所属するバンドのメンバーがインスタでファンからの質問に答えていて、ファンレター送ってもいいですかという質問に事務所に送ってくれたら嬉しいみたいなことを返していて、書くか…手紙…となった。
手紙を書くのは本当に苦手。交換ノートとかも自分の番で何ヶ月も止めてたタイプ。そんな私が手紙。もう推しの名前を書くだけでドキドキした。でもちゃんと書きたいことはほとんど書けた。投函した後にあーあれ書けば良かったとか思うこと結構あったけど。でも読んでくれたらいいな。
私には彼女がいた、
すごく好きな人だった。
初めて付き合った人、
初めて体を許した人、
私はレズビアンでは無かったけど
お互いの事が好きになった。
資格取得の勉強に、楽しくない仕事、夢を叶えるための資格勉強、
慣れてしまって面倒になった私の事。
仕事を飛び出すように辞めて、
ふられるのは仕方がないと思った。
でもそれは最後まで叶わなかった。
彼女が望まないならと、その時は諦めた。
それでもやっぱり、
何も話してもらえなかった私は
諦められなかった。
何がだめだったのか、好きな人が出来たのか、私が悪いことをしたなら、それを弾糾されてもそれでもいいから、会いたかった。
好きになった人だ、一生大事にしたいと思った人の事を心から嫌いになんてなれなかった。
ましてや私は女同士で恋愛するなんて思っていなかった人間だ、他の人よりも深い繋がりが出来たと思っていた。
私の事を好きになった彼女が悪かった?
彼女の思いに応えて好きになった私が悪かった?
こんな事を考え込むような幕引きになってしまったのが、本当に残念でしかたがない。
彼女と別れてしばらく、
傷はまだ痛む、でも前に進みたい、
また人を好きになりたいと思った。
私はレズビアンではない、
いつか男性に抱かれるのかと思ったら
水面に浮いているような、
死んでいるような生きているような、
男性が触るのか。
胸の無い体に抱き締められる日が来るのか。
今は顔も知らない男性に
身を任せる日が、私にも来るのか。
私はレズビアンじゃない、
愛してくれてありがとう、
でも貴女はとても罪作りな人だった。
推し、めちゃくちゃ好きで超会いたくて会いたくて気づいたら五年くらい経っていたんですが、ついに今年推しの名前が事務所から消えてテニパにもメッセージ無くてテニミュも全国立海後編始まったしこれ以上ないタイミングなのでさよならブログを書こうと思って書いています。
かなりとっ散らかった文章ですが、読んで頂ければ幸いです。
大好きなので、大好きなのは辞めないと思うんですが、思い出にして前に進みたいのでさよならします。
私が岡崎和寛くんを知ったのは高校三年くらいの時でした。当時、テニミュを好きな友達がいて、テニプリ原作が好きだった私はものの見事に引き摺り込まれました。
高校三年生は受験で遠征もできず(地方の貧乏学生だったこともあり)、短大の一年生になって初めてテニミュに行きました。最初に行ったのは公演ではなくて大運動会2014だったけれど。
そこで初めてテニミュを浴びて、目の前で動く推しを見て、岡崎和寛くんが好きなフォロワーとも会いました。幸せだったな〜〜楽しかった!障害物競走でビリになってみんなに見守られながらゴールする岡崎和寛くんの深司めちゃくちゃ可愛かった。本当に可愛かった。夜公演の前にブロマイドが売れ残っててフォロワーと落ち込んだのはいい思い出(よくないけど)(公演後は売り切れてた)
運動会に神尾が欠席で、公演の後に神尾のスペースを空けて不動峰で写真撮っててすごいほっこりしたなぁ。
その後、セカンド全国立海が始まって、岡崎和寛くんが好きなフォロワーや友達と観に行きました。実はその全国立海の公演期間中に私を岡崎和寛くんに肯定される出来事が起きてしまいました。確実に身バレするから書けないけど。
私は親やクラスメイトにずっとずっとそれを否定され続けていて、それをすること自体はすごく好きなんだけど、時々ものすごく嫌気が差すことがありました。しかもその出来事の直前に、ショックな事があったので余計にきつい時でした。
うーん、ぼかして書こうとしているので訳の分からない文章になっていて申し訳ないです。でも、とにかく自信がなかったとだけ分かっていただければ大丈夫です。
そんな時に推しに"それ"を肯定されてしまったんですよね。今考えればそりゃやばいですよ。ずっと否定され続けていたことを推しに肯定されたんだから。
それからはなんかもうすごくて、超しんどかったけど何とか立ち直ってそれを続けられて、今でも続けられています。こんな幸せなことあるか〜〜?!ない!
そのきっかけで不動峰のオタクのフォロワーができたし(それまで岡崎和寛くんが好きなフォロワーとリアルの友達くらいだった)なんなら今でも超仲良いフォロワーがいます。
高校の個人ホムペを見ていた頃、好きだった方と繋がれたりとかもありました。いや〜〜すごいな?!
岡崎和寛くんのおかげで、好きなことを続けようと思えて、狭いインターネットの世界がすこし広がって友達ができました。
全国立海の公演期間中、ほんとうにほんとうに幸せハッピークソ野郎でした。
所詮行く公演も少ない在宅オタクだったのですが、日替わりレポをチェックしたり、かずくんとゆうきくんの差し入れ合戦を見てニコニコしたり、体調を崩してるらしいかずくんを心配したり、バルズのお揃いのキャップに湧いたり、全部新鮮だったので在宅でも楽しかった。
俳優オタク一年生だった私は何もわかっていなかったので、金を出すべきとか、公演沢山入るべきとか思いつきもしませんでした。周りにもそういう人がいる訳でもなかったし。本当に何も知らなかったしわかっていなかった。
今思えば沢山公演入っとけって思うけど。結局こうなってしまったんだから。
いやでもかずくんの日替わり天才だったよな〜〜〜〜本当に大好きなんだよなぁ。日替わりで日吉や裕太と仲良くなっていく過程をやって最後には友達になれたりとか。『深司信じられない』もかずくんはゲームが元ネタって知らなくて、偶然思いついて使ったらファンレターでゲームのネタだと知った、みたいなのとか。日替わり毎日考えなきゃいけないのに、全国立海終わった後は楽しかったです!の一言で終わらせてるんだもんな。
やっぱ天才だよなぁ
全国立海の大千秋楽をライビュで観て、最後の日替わりで泣いて(本当にあれはずるいけど天才だと思った)、映画祭があって(ドラキュラのかずくん会いたかったな〜〜行けばよかったな………)、ドリライがありました。
ドリライ、ライバルズの出番が鎬だけで謀反……って気持ちだったな。ソロ聴きたかったな。でもはじめてのドリライ楽しかった。
ドリライでは初めて岡崎和寛くんとハイタッチして驚きすぎて腰抜かした。いやだってまさかできると思ってなかったし俳優オタク一年生だったし。同行者の方にちょっと心配された(それはそう)
大好きだなぁ。
でもまさかドリライ2014が最後に岡崎和寛くんに会える機会だと思わなかったなぁ。
いや普通思わないよな?それで終わりだなんて。
確かにドリライの後に仕事決まってなくて不安だった気はするけど、元々仕事が多い人ではなかったし(書いてて悲しくなってきた…)そのうち決まるだろうと思ってたな。能天気だなその時の私。決まらないから安心しな。
ドリライが終わって、かずくんの仕事が決まらなくて不安で、サードのキャストが発表されて、そのなかに健人とまちゃがいて二人とも全国立海のアンダーやってて、サードのお披露目が近づいてて、かずくんの誕生日が近づいていった。
かずくんの誕生日にアメスタの配信が決まって、喜んで見た。すごい酔っ払ってたな笑 でも楽しそうでかわいかったな。
多分アメスタの次の日か前の日のどっちかだったんだけど、サードのお披露目にかずくんが行って、サード不動峰のキャストに囲まれててああもう先輩なんだなって思った。
健人とツーショット撮ってて嬉しかったけど複雑だった。多分まだいまいち健人を受け入れられてなかった。
それからはサード不動峰公演が始まって、チムライがあって、やっと健人の深司が受け入れられて、ルドルフ公演があって、ドリライがあって、サード不動峰が一旦テニミュから離れた。
かずくんはたまにツイッター更新して、その度に私はひっくり返るような気持ちになったりフォロワーからリプ飛んできたり、インスタ始めたり、インスタのお陰で数年ぶりに動いてるかずくんを見れたりした。
Love's by keyのパーカー買ったりもしたなぁ。まだ家にある。捨てられない。
なんか五年ってすごく長い時間のはずなのに、アメスタからかずくんのことで何があったかが数行で終わってしまうの、とても悲しい。数行ぶんくらいしか私は知らない。
当然といえば当然だ。その時から岡崎和寛くんは俳優の仕事をしないつもりでいたのだろう。むしろ気まぐれでツイッターを更新したり、インスタを更新していたことが奇跡だったのかもしれない。
インスタのタグ付け?で岡崎和寛くんが何か他の仕事してるんだろうなっていうのを知ったもんな。
岡崎和寛くんが今何の仕事をしているのか、結婚しているのか、してないのか、なにもわかんないけど、わかんなくていいけど、幸せに暮らしていてくれればいいなと思います。
話がすっ飛びますが、12月19日からサード全国立海後編が始まりました。ライバルズ、つまり健人の深司くんが出ています。
健人にとってはセカンドでアンダーで出ていた公演にようやく出るってことなんだなと思うと本当にエモすぎて死んでしまう。
ここまで長いようで早かったなぁ。いや長いか。
私の取れたチケットは12月23日の公演でした。あれだけの倍率で取れたチケットがこの日ってもうめちゃくちゃ笑ってしまった。だってこの日岡崎和寛くんの誕生日だよ、私早くこの日をなんでもない日にしたかったよと思った。軽い気持ちで申し込み出すもんじゃないなと学んだ日でもありました。(あとでにちかちゃんの誕生日だってことも知った。おめでとう)
今年もまた12月23日が特別な日になりました。きちんと岡崎和寛くんの誕生日ケーキも食べました。テニミュを観ました。凄かった。
もうね、私絶対これ岡崎和寛くんに観て欲しい。絶対絶対観てほしい。健人の中に岡崎和寛くんが生きているよ。本当だよ。でもそれを伝える手段が無いに等しいんだから笑っちゃうよなぁ。
次から少しネタバレなのでまだ全国立海後編を観ていない方は数行飛ばしてください。
まさかスポットをねらえが聴けるなんて思ってなかった。メドレーがファーストのままだからだろうけど。
あとやっぱり一番は日替わり………かずくんがセカンド全国立海で日替わりやってたシーンと同じシーンで健人も日替わりやると思わないじゃん。ビックリしすぎてひっくり返るかと思った。そんなのエモすぎて死ねるじゃん。それにまさかGMKKもやるなんて思ってなかったし。
健人が。セカンドでアンダーで出てた健人がサードの全国立海でGMKKやってるの、マジでマジでエモい以外の言葉でどうやって表せばいいんだ。こんなことってあるか。
とどめはGMKKのコールだった。深司だった。
都合のいい深読みしすぎなオタクだから、岡崎和寛くんが誕生日だから深司がコールだったんだなと思ってしまった。
本当にこんなの死んでしまう。
チケットはその日の公演一枚しかなくて、まあ実際観たらもっと観たくなるだろうなと思ってたけど、とんでもなく満足してしまったので今のところその欲があんまりない(いや、チケットがあれば行きたいけど………)
あと、色々見てて気付いたことがあるんだけど、健人のなかに岡崎和寛くんが生きている。どうとか具体的にはあまり書きたくない…………けど確実にそうだと思う。
健人にかずくんの深司がどう写ってたのかずっとわからなくて、正直かなり不安だったけれど、健人のなかに岡崎和寛くんが生きてることが分かってすごく嬉しかった。本当にうれしい。
よかったな〜〜本当に良かった。
さよならします!思い出にします!って言ってここまで書いた癖に会いたくて仕方ないな。かずくん、本当にキモくてごめんなさい。
私はずっとずっと岡崎和寛くんに直接会って、私を肯定してくれたことにお礼を言いたくて5年も引きずっていました。もうここまできたら呪いだよ。どうしてこの程度のことぐらいが叶わないんだろう。不思議だなあ。
つくづくオタクと推しを繋げているものって脆いなものなんだなと思う。推しが行方をくらましたらもうオタクは推しが何をしているのか、生きているのかすらわからないままなんだよ。
改めて考えるとめちゃくちゃしんどいな。当然のことだけれど。
推しにはオタクのことなんて気にせずに生きていてほしいと思う反面、推しのことが知りたくて仕方ない生き物だから仕方ないのかな。矛盾しかなくて本当に面白い。
岡崎和寛くんがサード全国立海後編に行ってくれたらもう思い残すことがないので、安心して死ねるなぁ。人生短いけどできるだけ思い残すこと無い方がいいじゃないですか。自分ではどうにもできないけど。
どうにか行ってくれないかな〜〜そしてそれを教えてくれたらいいな………
だらだらと色々書いてみて、とんでもなく短い間だったけど私は岡崎和寛くんにいろんなものを貰ったんだなと思いました。
テニミュがめちゃくちゃ楽しいと思えたこと、付き合いが長くなるフォロワーと知り合えたこと、自己肯定感、幸せな思い出、沢山沢山貰いました。岡崎和寛くんがいなければここまで沢山幸せなことがあったかどうかわかりません。本当にあの時は幸せでした。岡崎和寛くんにはどんなに感謝してもしきれません。
岡崎和寛くん、本当にありがとう。あなたがいなければ私は今どうやって生きていたのかあまり想像ができません。多分今よりもっと死にたかったと思う。
直接会ってお礼を言うことはもう叶わないので、届きもしそうにないところからお礼を言わせてください。
Λ_Λ ('・ω・゛) 会いたかったわケン! (つ/ ) |`(..イ しし'
私には、もう大して好きではない推しがいる。彼の職業は俳優だ。
推し始めた当初は確かに夢中で、俳優をこんなにも好きになったのは初めてで、俳優に、映像の中だけの存在に「会いたい」と強く思うのも初めてだった。
それまで私は二次元ジャンルにしかハマったことがない漫画、アニメオタクで、中には舞台化、実写映画化しているものもあったけど、その類いには否定的な人間だった。
しかし俳優の推しは演じる役柄も私生活での言動も二次元のキャラクターなのかなと思う程に完璧で、いや、ファンではない人から見たらそうでもないのかもしれないが、計算のない失敗や、そういう人間らしい愛くるしさも含めて完璧だったのだ。
推しを好きになってからは彼の出演作以外の映画やドラマを鑑賞する時間が無駄に感じて、数ヶ月間はこの症状が治まらず、彼の出演作だけを観る日々が続いた。
それほど夢中になってから何ヶ月かが経った頃、彼の出演している最新映画が公開になった。
私の住んでいる田舎でも運良く上映が決まっていたので観に行った。
素晴らしかった。月並みなことしか言えないけれど、演技を超えて役になりきる姿に胸を打たれ、それから上映が終了するまで何度も何度もスクリーンの中の彼に会いに行った。
ツイッターで感想を呟かずにはいられず、独り言のつもりで呟いていると、同じく彼のファンであると思われる方々からRTやいいねがあり、フォローまでしてくれたのが嬉しくて感想を呟き続けた。
ここまでは純粋な気持ちで好きでいられたのに、ここからがいけなかったんだろうな。
「推しを好きになり夢中だったころ」 の日記の一部を記録として載せておく。
「最近Aが好きすぎてAが出ている作品以外は見る気がしなくなっている。Aが出ているだけでどんな内容でも好きって気持ちが上回って最高になる。」
「マジで一日中Aのこと考えててやばい。重症。知れば知るほど好きになってる。(好きなところの羅列)Aが誰かを演じているのも好きだけど、A自身が大好きになってる」
「○○(作品名)見た。好みじゃない役だったから興味がもてるか不安だったけど、話数を重ねる毎に好きになっていった。Aっぽさのある役じゃない。でも劇中の彼は彼として好き。もちろん顔も好き。」
「(自分が過去に飽きたジャンル名を挙げて)Aにもその内飽きるのかと考えたら恐ろしすぎる。こんなに好きなのに。Aを愛してる自分を信じたい。本気で好き。」
映画の公開から暫く経って、彼と監督の二人が登壇する舞台挨拶付き映画上映が東京であるとの情報を得た。
そんな経験なんて殆どしたことのない私だったが、考えるよりも先にチケットをネットで予約し、その日の予定を空けて、交通手配も済ましてしまったので行くという選択肢以外は存在しなかった。
元来飽きっぽい私は、この頃既に推しに冷め始めていたのだが、推しに熱くなっていた時の楽しさが忘れられずに「私がAに飽きるわけがない」と思いこもうとしていたのかもしれない。
舞台挨拶当日。映画の上映が終わって推しと監督が私のすぐ近くを通って行って、初めて肉眼で推しを見た。
興奮したけれど、これがあともう少し早ければという気持ちの方が強かった。
東京に行くのは疲れたし、お金もかかったし、そんなにしてまで推しに会いたかったのか、会えてよかったのか分からなかった。
ツイッターでこの日の感想を呟くといいねが沢山貰えた。ファンの人が喜ぶのを見ていると「行ってよかった」と思えた。
推しはそう頻繁に現場のある俳優ではなく、あの日から暫くは供給のない日々が続き、ツイッターで推しの過去作品の感想を呟いてばかりだったが、人気の根強い過去作品の感想を呟くと、推しのファンである人はもちろん作品ファンからもいいねを貰えた。フォロワーが増えていった。
元々は推しと同作品に出ていた共演者のファンであるCは、その共演作品を観ている内に好きになっていたと。
その共演者は推しと比べると人気が桁違いの人で、ファンの分母も大きく、故にフォロワー数の多いアカウントだった。
Cが推しのファンになったということで、推しファンの人達は大歓迎していた。私をフォローしていない古参達はみんなその人をフォローした。
Cは推しのことを好きになったと言いつつ、最推しにしか金をかけられないのであんまり追えないと公言していた。
にも関わらず古参はCが推しの話をする度にRTしたし、いいねをしたし、必死かよと乾いた笑いが出た。
私の方がよっぽど推しに貢献できる良いファンなのに、古参はフォロワー数の多さで人を判断して、その新規ファンをちやほやする。
Cがフォロワーを失いたくないが為に元々の推しのファン、私の推しのファンにも良い顔をするのが気に入らず、またそれを許している推しファンのことも気に入らず、匿名の箱でそれを指摘すると、Cは渋々アカウントを分けた。
Cはアカウントを分けてから推しのファン全員を自らフォローし始めた。私のこともフォローした。支配されているようでゾッとした。
Cは拾い画やスクショをよくあげるタイプのオタクだったので、そういうところも嫌いだった。
スクショは無断転載だからやめてって普段強く言ってる古参がCに限っては見逃すどころかRTしてたり馬鹿すぎる。
嫌がらせに近いことをやってでもCをここから追い出さなければならないと思ったのでCのやることなすことの揚げ足をとっているとその内にCのアカウントが消えた。
ほっとした。
数ヶ月間Cの動向を窺っていた癖が抜けなくて、全く推しの話をしなくなったCの新垢を今でも追っている。
これが悪意であるという自覚があるのと同時に正義だという錯覚もあった。正義だと思い込まなければ。
Cはいなくなったが、私の中の悪意はおさまらず、矛先が消えただけだった。
Cはいなくなったが、馬鹿な推しファンは蔓延っているのだ。今度はその矛先が馬鹿な推しファン達に向かって、嫌がらせじみた真似をするようになった。
一方で、馬鹿なファンしか着いていない推しが憐れになってきた私の中で私が推しの一番のファンでいなければならないという義務感が生じ、推し活に積極的になっていった。
行ける現場は全て行った。嫌がらせは全て匿名で行っていたので、嫌がらせに悩んでいる相手に現場で会って推し話で盛り上がることもあったし、ツイッター上でも仲良くしていた。今でもしているし、良い人だって言われる。
現場通いを続けているうちに推しファンの間で私の存在が認知されるようになって、仲の良いフォロワーも増えていって。供給がある度にみんなではしゃいで。
本当はフォロワーに合わせているだけで、もう推しの顔を見てもときめかない。
推しじゃない俳優を見ているときの方がときめいている。でも言えない。
「かっこいい」「かわいい」「好き」「最高」語彙力無しオタクのクソみたいな褒め言葉を羅列しておけばいいねが貰える。誰よりも早く推しの情報を提供すればいいねが貰える。現場に行ってレポを書けばいいねが貰える。
この数年間をこんなことの為に消費してきた。推しのことはもうとっくに好きじゃない。でも推しを推すことへの執着心を捨てられない。どうすればいいのか分からない。
現場に行く為に必要なお金は少なくなっていくのにまた推し出演作の円盤を購入して、ツイッターに報告して、満足感を得ている。
一人で狂っているだけなのに推しが私の人生を悪い意味で狂わせたと思う瞬間もある。憎悪が溢れる瞬間もある。どうしてこんなことになったんだろう。 本当に好きだったのに。
別居して一年、家を出てから一回も会わなかったし、一回も話合わなかった。このままもうすぐ離婚する。
私が家を飛び出したわけで、私がもう無理かもと言い出したわけで。
別れるのにわかり合う必要なんかなくない?と夫は言ったけど、私は最後に一回くらいきちんと話がしたかった。ありがとうなのかごめんねなのか、それとも不満をぶちまけるのか、もう一年話してないと自分が何を言いたいのかもわからないけど。
一緒に住んで10年、結婚して7年。ずっと一緒にいたし、ずっと一緒にいるような気がしてた。それでも私が家を出たことでもう2度と会えない人になるなんてな。
自分から別れたいと言ったくせに会って話そうなんて向こうからしたらワガママなんだろーな。
きれいな思い出にしたいわけじゃないんだ。罵りたいわけでもない。
結婚して一生一緒に生きようと思った夫に、一目会いたかったんだ。
10年間、お世話になりました。どうかお元気で。
初めて会ったのは旦那の友達同士の飲み会に呼ばれて参加した時だ。
見た目と違って大人っぽい考え方の人で、頭も良くて話も楽しかった。
その後も何かと旦那を通じて一緒に遊ぶことがあり、だんだんその人に惹かれている自分がいて、旦那の手前自分を抑えていた。
ある時、その人が転職するために少し離れたところに引っ越すことになった。それをきっかけにだんだんと疎遠になり、いつしか全く会わなくなった。旦那も連絡が取れないらしく心配していたが、時間が経つとともにその人のことは考えなくなった。
その後、旦那が仕事で地方へ単身赴任した時に、その人から連絡があったと旦那から聞いた。結婚していたらしく、新しい仕事と家族のことで手一杯だったそうだ。最近落ち着いたのでまた会いたいと言っていたそうだ。
それを聞いて、いてもたってもいられなくなり、旦那からその人から連絡が来たというメールアドレスを教えてもらい、連絡してみた。
すると返事がきた。
直ぐにLineの登録をお願いして、何度かやりとりした。職場は東京なので家から近いこともあり会う約束をした。
会ってみると、昔よりも少しだけ丸くなった彼がいた。話してみると全然変わってなくて、嬉しかった。
彼に触れたくて、歩きながら少しくっついてみた。彼も寄り添ってきた。手を繋いだ。我慢できなくて、ずっと好きだった、会いたかったと言ってしまった。それからはもう止められなかった。
行為をしてから、旦那への罪悪感はあったけど、それ以上に気持ちは満たされていた。
それから月に数回彼と会う日が続いている。
今日は40回目を観てきました。
その前に少しだけ思い出を残しておこうと考えてこの記事を。
私とうたプリの出会いは偶然、Amazing Ariaでした。パッケージには青いおかっぱの人、それが気になったのが入口でした。
そしてその人を今までずっと応援してきました。きっとこれからも。
ゲームでは真面目でツンケンした性格の割には進めていくと照れたり笑ったり悩んでいる事を話してくれたり、音楽に対しても精神的な面でも色んな事をスポンジみたいに吸収していく彼がとてもカッコよくて大好きです。
アニメではライバル視(?)するオレンジ色の髪の毛、綺麗な青い目をした彼と最初はお互いいがみ合いながらも結局は一緒に学んで、同じステージに立っている事が嬉しかったです。
グループ内では真面目かと思いきや少し抜けている一面があるのが可愛いと思います。
映画では「グループの垣根を超えて略」という発言をしていました。彼の真面目さ、好奇心が強い事が前面に現れている言葉だなあと感じます。
硬派なキャラクターって真面目一直線だったりするじゃないですか、でもそれだけじゃなくて愛嬌があったり天然だったり、斜め上のコメントをしたら、とっても生身の人間のようなんですよね。
オタクは推しが生きてるって言いがちだけど、私も彼は生きてるって言ってしまいます。
それも上に書いたみたいな要素があるからなんですよね。
それから、「アイドルになれなかったかもしれない」(細かく覚えてないです)このセリフ、込み上げて来るものだらけでどうしようもない気持ちになります。でも同時におめでとうの気持ちも。
1000%、6人共バラバラな性格で、それぞれ違う悩みや不安の中早乙女学園で学んでデビューして、
白く綺麗な気持ちを大切に持ち続ける彼、
もう1つを失う訳でなく1つになって強さを手に入れた子、
鋭い目つきだった子は優しく微笑みかけられる子に、
努力を続けて夢を叶えている子、
そして、2000%からは誰よりも人の良いところを見つけられる子が加わりました。
そんな7人が今では沢山の人の歓声を浴びて一緒にステージを創り上げて、今回はお城まで造ってしまって、最後には鳴り止まない拍手。そんな光景を見るだけで幸せです。
今までの9年間、私たちがずっと会いたかった彼等が笑顔でステージにいる。それだけで胸がいっぱいになってしまいます。
そして彼等が大好きなあの子へ、アイドルとしての輝きを日毎に増していくのはあなたのおかげです。