はてなキーワード: 中毒とは
twitterをやめた。
僕はtwitter中毒とも言えるほど、twitterにハマっていた。
ハマっているという自覚もないほどハマっていた。
一種の麻薬のようであった。
ヒロポンの中毒者が一日何十本の注射をするように、僕は一日に何度もつぶやいた。
大抵がくだらない、誰のためにもならないことだ。
思った事をつぶやき、何百ものポストを読んで、退屈をしのいでいた。
ふと、「一体このことに何の価値があるのだろう」と思った。
僕は自分がtwitterにのめり込めばのめり込むほど不幸になっているのを感じた。
いや、自分が不幸な境遇にあるとtwitterをやりたくなるのかもしれない。
鶏が先か、卵が先か、みたいなどっちでもいい話だ。
ともかくtwitterと僕の幸福度は何らかの相関関係があるように思えた。
twitterをやっていると、ついのぞきたくなってしまう自分がいるのだ。
何度も何度も確認しているうちにどこか、空虚な気持ちが増していく。
特に何も反応がないと、
僕は自分の孤独を紛らわせたくて、twitterをやっていたのか。
きっとどこかに、「承認欲求」みたいなのがあったんだと思う。
誰かに認められたいのだ。
しかし、twitterをやっていても何の価値も生まないばかりか、
ここで自分の価値を認めてもらわなくても、他に方法はたくさんあるはずだ。
なので、一旦やめてみることにした。
アカウントはまだ消していない。
いきなり消すのはなんだかメンヘラみたいでかっこわるい、という気持ちもちょっとある。
あるいは、地震など災害においてtwitterは非常に役に立った経験があるので、念のためだ。
しかし、macのクライアントから、ipadのアプリ、androidのアプリなど、
また、成果があったらここに書きたい。
日本人はとかくファッションの一貫性に欠けると叫ばれる。確かに日本文化は和洋折衷、何でもありの文化であるな。例えば、仏教国の1つでありながら、年末になると突然「ジングルベ~ル」などとバカ騒ぎしだすwそしてどういうわけか年明けには神社で初詣。おめでてーな正月。
で、世界的に見れば一貫性がない、主義主張の曖昧なことは「ダサい」「気持ち悪い」とみなされることは知っておいて損はない。これは単なる主観ではなく明確な根拠がある。日本のような画一社会(個人単位では一貫性に欠けるくせに社会単位ではある意味一貫性がある)では想像つきにくいだろうが、欧米は基本的に多民族社会であって、国内の民族間対立や隣国との民族間対立が深刻な問題であるから、こと人間関係においても相手がどんな人間か知ることが差し迫った課題になるわけよ。だから、「はじめまして」の次には「あなたの宗教は何ですか?」などといった話題がポンポン出てくるのが常なわけ。日本じゃ「ご趣味は?」などと言えば「お見合いかよ」と思われる始末で、相手のことはある程度「お察し」するのがお約束になってゐるが、海外のほとんどの国ではまず初対面の人には最初に相手の思想区分を分類する作業がお約束なわけだね。そんなわけだから、日本人のようなスタイルのよく分からない謎タイプのキャラというのは、文字通り「えたいのしれない」人間として扱われるのよ。だから、もし貴方が日本人でこれから国際社会で活躍したいなら、まずスタイルを一貫させること、そこから始まると言って良い。ビジネスで信頼を勝ち得るには、もちろん人間性やコミュ力も大切だが、実はそれと同じくらい明確なスタイルを持っていることが大事なんだ。そもそも日本文化とは何なのか?自分はどんな人間なのか?そこから考えてみたらどうだろう?
それとは別に、一貫性を持つことは実を言えばとても気持ちの良い生き方だということも知っておきたい。一貫性がないとは裏を返せば裏表があるということで、表の時に裏が気になり裏の時に表が気になるという状態だ。遊んでる時に仕事が気になり、仕事の時に遊びが気になる。そんなんではダメだろう?いくら仕事ができてもダメ。遊びがいくら楽しくてもダメ。仕事も遊び、遊びも仕事と思えて初めて一貫し、そこで初めて心の平安が訪れる。断っておくが、ここまで来ると日本人だけの問題ではなく、全人類の存亡がかかった問題とさえ言えるものだ。この先人類が生き残るには、スタイルの一貫性いかんにかかっていると言っても過言ではない。というのも、今の情報社会において「気になる」ことが大きな文明衰退の原動力になっているからだ。最近スマホでソシャゲをやっている人をよく見かける。ソシャゲも一貫したスタイルの一部に組み込まれているなら良いが、多くの人はそうではない。「気になる」から続けてるのだ。古くは「mixi中毒」と言われた社会現象に始まる。本人は「遊び」「気分転換」でやってると主張するがその内実は全くことなる。「気になって仕方ない」のだ。GMailのinboxも気になって仕方ない。ケータイメールも気になって仕方ない。神経症は現代人共通の病と言っても過言ではなかろう。心の整理が我々人類の急務なのである。1つのことに落ち着いて集中できず絶えず気になることに囲まれた生活が本当に健全と言えるのか。それを今こそ問い直すべき時期に来ている。
問題を叫び立てるだけではあまり意味がない。ここに解決策を提案しよう。その前に一貫性の定義を確認しておこう。勘違いされがちなのだが、一貫性とは無駄なものを削って1つに絞ることではない。一貫性一貫性と繰り返していると、近視眼的なイメージを持つ人もいるようだから、このことは強調しておく。例えば、目標を1つ決めてそれに自分の全てを費やす人生はいかにもアメリカ的成功哲学で受け入れられないと拒絶反応を示す人がいるが、そういう話ではないんだな。それはむしろ最初から一貫性を諦めて、一貫性から外れた「気になる」ことがあっても気にすまいと頑張る行為だから、一貫性とはある意味真逆とさえいえる。「仕事一筋」「柔道一直線」と言えば聞えはいいが、それは微粒子レベルのシビアな見方をすれば一貫性とは言えない。なぜなら簡単なことで、厳密には仕事のことだけ、柔道のことだけ考えていては、生きていけないから。もう分かっただろう。そんなまがいものの一貫性を目指してはならない。一貫性というのは、既にあるものに「統合性」をもたせることでなくてはならない。
であるから、解決策もおのずと見えてくる。統合的な目的を持てばよいのだ。目標ではなく目的。低いレベルでは相容れないものどうしを高いレベルで統合させるにはそれしかない。ウメハラが著書において「目標はもたない」と書いている。目標をもたないのに何故彼のスタイルは一貫しているのか?それは高いレベルの目的があるからである。彼の場合、日々の成長がそれにあたる。とても簡単なことにみえる。だが、考えれば考えるほどやればやるほどこれが簡単ではないのが分かってくる。先ほど一貫性の定義を確認したのはそのためだ。ただ単に、成長のために全ての人生をなげうつ、持てるエネルギーの全てを投入するだけではダメ。それだけでも難しいじゃないかと思うかもしれないが、それだけ出来ても1%も出来たことにはならないという話である。無駄な努力乙というやつで、まるで方向性が違う。早い話、今日から成長という統合的な目的のために生きてウメハラになるぞと思った時点で、君は自分の多くの「無駄」を捨てるだろう。それは自分を削って見せかけの一貫性を作っているだけで、実際一貫性でもなんでもない。ハリボテのエレジーである。ハリボテだから必ずしわ寄せがくる。今日からソシャゲをやらないと決めた所で気になるものは気になるのである。ソシャゲ自体は気にならなくても形を変えて繰り返し噴出してくる。だから我々は「捨てずに」統合する必要がある。捨てて統合出来ましたと言ったってそんなの出来て当たり前であって統合でもなんでもない。
さらにもう一点、オレの目的は毎日の成長だといくら声高に主張したところで、中身が伴ってないと意味がない。我々のしないといけないのは広い目的のもとに自分という人間を「再整理」することであって、大風呂敷を広げることではない。何を整理するか?自分の全ての行動と状態である。それをパソコンのファイルを整理するように整理していく。ルートディレクトリにあたるのが先ほどの統合的な目的だ。そこに全部入れてそれでおしまいというわけにはいかない。それでは整理にならない。なぜ整理しないといけないかというと、殆どの人は自分の行動と状態を支離滅裂な判断でしか決めていないからである。人間完全に合理的な生き物ではないが、少しは整合性を持たせないとダメである。それが出来て初めてスタイルが一貫してくるのであって、単に「オレの人生は全てカネのためだHAHAHA」といったところでまるで一貫性は保証されないわけよ。だから、自分の(行動と状態の背後にある)考えを統合的な目的のもとに整理しなきゃ。そうして初めて、1つのことだけを考えれば良くて、他に何も気にしなくて良いタノシイ状態になれるのである。また、「君のこの行動はどんな意味あるんですか?」と聞かれた時につねに論理的に説明ができるので、「ああなんてスタイルの一貫した美しい生き方をした人なんだろう」という感動を呼ぶのである。これを少しゆる~く解釈すると、人生の限定的な場面において一部の価値観しか扱わずに済む時があって、そのときは一時的に1つのことだけを考えれば済むこともある。そういうときは、柔道一直線が真の意味で実現して、一見美しい生き方に見えることもある。ただしそれは一時的であって、まやかしの一貫性だということだな。これを永続化させるのが我々日本人の責務いや人類の責務と言えよう。
誰が?いつ?どこでも吸って下さいと言ったんだ?
誰も言ってない。ルールも糞も無かった。ただそれだけ。
非喫煙者を弱者とすれば、無秩序に喫煙され有害な煙を発せられることによって
弱者が被害を被る。弱者の多くは女子供であり、喫煙者の多くである
大人の男に文句が言えなかった。
横だが。
たまたま、じゃねーだろw
「やれば確実に迷惑になると分かり切ってるのに自分の都合優先で行っている行為」だ。
「死ね!」と思ってナイフを刺すのと、「刺したら多分死ぬんだろなー」と思いながらナイフを刺すのの違い程度。
罪の度合は大して変わらん。
中毒性がある=歩きながら吸う、じゃねーだろ
元増田が文句を言ってるのはタバコそのものじゃなくて「歩行」喫煙だ
マナーを守って吸え、ってこと
まぁJTも広報活動はしてるようだし地方自治体によっては条例で路上での喫煙は禁止したりしてるが、マナーについて国や自治体にできるのはその辺までだろ
電車でクッサーイ化粧品広げて化粧するのは各鉄道会社または自治体、国に禁止にしてほしい。へんな粉飛んでるし、不衛生だ。化粧は便所でやってこいよ、ってなんでそうならないんだろう。
よっかかられるのが大嫌いなんで、離れてもらうにはどうしたらいいんだ。
変態のふりすればいいのか?
寝てるやつがグラグラしながら、体当たりするのやめてもらうにも、頭が変な奴のふりすればいいのか?
ぬれた傘を他人にあてたり、腕に傘をかけて座ってる人のひざにあてたり、腕に傘をかけたまま荷物を網棚に置こうとして顔面に傘の先をあててくるのはやめてもらいたいんだが、触れそうになる前に、俺の気が触れたように、頭が変な奴のふりをすればいいのか?
最近、スマホのバカ・底辺専用のゲームやってる奴、ひじを広げてくるのが多いんだが、あれうざいんで、マジやめて欲しい。
さらにゲームやLINEに夢中で、揺れる電車内でつり革につかまらないスマホ中毒者が多いので、つり革につかまれるのにつかまらないアホたちを法律で取り締まるようにするには、国会議員になるしかないのか?
そもそも家の外なのに、自宅で済ませておくべきことをわざわざなんで電車の中でやるんだ。
寝てない勉強してないアピールするのも、
現代では他者からの承認を得られる機会が多いから、割と簡単に手に入ってしまう。
でもそのうち物足りなくなってきてエスカレートしていく。
そうなるともうモラルなんて考えられなくなってしまう。ただ消費し尽くすだけ。
誰でもいいから認めてほしいという欲求がこれでもかというほど露骨に見える。
お互いに認め合って生きていけばいいのに「私を見て!」一辺倒だから顰蹙を買って人が離れていく、
もしくは類友で更に密度が濃くなり嫉妬が増える。病状悪化。負の連鎖。
私はそれが大嫌いだ。
なんで目標ばっかり見て自分の立ち位置を見ないんだ。周りを見ないんだ。
どうして他者に認めてもらおうとするだけで自分自身を認められるように努力しないんだ。
努力の方向性が合っていれば他人からの承認は後からついてくるはずだ。
自己を認められるようになったときの快感は他者からの承認による快感よりも大きいことを知らないのか。
消費することしかできないのか。
私はそれが大嫌いだ。嫌いというよりかは怖いのだ。
この世は承認欲求の檻だ。
それを何処かに吐き出したくてここに書き込んだ。
こんな風に誰に見せるとも意図していない長文を書いてしまうのもきっと同じ。
私もまた檻の中の住人なのだろう。
日曜日の深夜、こんな時間は危険だ。自分について考えてしまう。そしてそれがどんなことであっても、ただなんとなく息苦しくなる。自分の「これから」のことは、何もかもが未定で、だからなんとなくうまくいかなそうな気がする。自分の「今まで」のことは、もう取り返しがつかなくて、そして何もかもが失敗だったり間違いだったりしたような気になる。
だから他人がうらやましくなる。なんでもいいから、だれでもいいから、自分ではない誰かの人生がうらやましくなる。誰もかもがうらやましい。自分とは違う仕事を持つ人、自分とは違う家族や友達を持つ人、同じような環境にいてもみな私とは違う人生を生きている。たとえそれが日銭を稼いではすべて安酒に変えてしまう中毒者であったとしても。どんな人生でも、それが私の人生ではないというだけで、うらやましくなってしまう。私もそんなふうに生きたい、と思う。私は私ではない人生を生きたい。私は私であることをやめたい。
もちろんこの羨望はただの錯覚で、朝になれば、体の中からすっと抜け落ちていくんだって分かっている。だけど夜明けまでの数時間、どうやってやりすごせばいい? 酒を飲みたいけれど、もうそんなことも許されない時間だ。
久しぶりに分煙されてないレストランでランチを取って、あまりの臭いの強さにびっくりした。
彼らは哀れむべき中毒患者で、昼食がてらスパーッと一服(彼らは3本ずつくらい吸っていたが)吸える場所は貴重だという気持ちなのかも知れないが、やっぱり異常に臭いが強い。
「臭いんで止めてもらえますか?」と言う事は、喫煙者差別なんだろうか?結局、ゴタゴタが面倒なんで言わないかったけど。まぁ、若干恨めしい目で見ちゃいましたけどね。
分煙が当たり前になってしまうと、喫煙者の撒き散らす臭気や煙というのは強烈で、反対にこれが(昔の煙草はもっとキツいヤツが主流だったし)許容されていた時代というのは、いったいどんなに野蛮な時代だったんだろう?と思う。
喫煙者は、煙草を止められる事に自分達が迫害されていると、いい気はしないだろうし。まぁ、実際社会から迫害されてる訳なんだけど。彼らが迫害される事に、一欠けらも同情出来ない自分がいる事に気付く。
酒にも多少の臭気はあるし、酔っ払いが電車に同乗したりするとうんざりする事もあるが。彼らが泥酔していない限り、然程迷惑も無いし、中毒性も痛め付けられる肝臓も本人持ちだし、殆ど気にならないが。喫煙はヤバいね。あれは、本当に迷惑な趣味だよ。趣味のレベルで言えば、下着泥棒が趣味ですな位迷惑だ。いや、下着泥棒より劣悪な趣味だと言える。周りの健康まで害する。そんな趣味他に無い。
今は仕事と趣味にやりがいと楽しみを見出してるので、いたずらに時間を浪費してしまうゲームには近づかないようにしている。
RPGやアドベンチャーなどの物語があるものはまだ思い出が残るけど、
パズルやTD系の中毒ゲームに吸い取られた時間って、何だったんだろう・・・虚しさしか残らない。
ブラウザの拡張機能で、一日のうちある時間帯は指定したサイトにアクセスできなくなるような設定にすればいいのでは?
Firefox使いならLeechBlock、Chrome使いならChrome Nanny。
(もちろん、自分で設定するブロックである以上、オフにしちゃうこともできるのだけど、ただブックマークやURLを開くよりはアクセスするまでの手順が格段に面倒になるのである程度の抑止効果はある。)
以下参考リンク。
ヲチ気質の知人数人に言ったら既に知っていたのでその界隈では有名なことなんでしょう。っちゅうのは本の虫(http://cpplover.blogspot.com/)の江添亮くんは常習的にパクリをしています。他にもアテンション中毒者特有の歪曲(というか嘘?)を酷いレベルでしょっちゅうやらかしているけどそれは今はいいや。勘違いしてました、で言い逃れできなくないかもしれないし人間誰でも間違いは犯す。でもここまで明らかな剽窃はアウトだわ。上杉隆いうとこの「一発で終わり」ってやつだねwww
じゃあ明らか過ぎるやつをひとつあげるね。
江添亮くんがいつも誇らしく紹介、解説してくれるxkcdですがこのエントリ http://cpplover.blogspot.com/2013/09/xkcd-1337.html (魚拓:http://megalodon.jp/2013-1028-0814-11/cpplover.blogspot.com/2013/09/xkcd-1337.html)はほとんど全部explainxkcd.comからの盗用です。これね。
http://www.explainxkcd.com/wiki/index.php?title=1337:_Part_1
http://www.explainxkcd.com/wiki/index.php?title=1337:_Part_2
http://www.explainxkcd.com/wiki/index.php?title=1337:_Part_3
http://www.explainxkcd.com/wiki/index.php?title=1337:_Part_4
http://www.explainxkcd.com/wiki/index.php?title=1337:_Part_5
英語の解説サイトをこっそりまるごとパクって自分が解説してるって体裁に仕立てあげてるってわけ。これは相当恥知らずだねー。自由wwだの著作権wwだのについて日頃からご高説をたれているのに自分が盗作してるんだよーアハハハ。こういうときなんていえばいいの?「プギャー」でいいの?
m9(^Д^)プギャー
急に動悸が来たり、何もないのに変にそわそわしたりしてた。
聞きかじった程度だけど、そういう症状は脳内物質の分泌過多であったり、
過小であったりするのが原因だと聞いていたのでセロトニンという安定作用のある脳内物質の発生を促すサプリを飲んでみた。
そしたらまぁあれだけ苦しんでた動悸やら不安感がめっきりなくなり、しばらく安定していた。
精神ってのはそういう物理的な世界から離れた神秘的なナニカみたいなイメージがあったので何とも拍子抜けしてしまい、興味を持っていろいろと調べ始めた。
調べるうちにいろんな事がわかり、人のいろんな行動や欲求にも脳内物質で合点がいくもんだから笑ってしまった。
所詮ネットソースの知識だから多少の間違いや解釈違いもあるかもしれないけど。ってかかなりあると思う。
大雑把に一部だけ紹介したいと思う。
ドーパミンが出て痛くない、なんだか興奮するとかノルアドレナリンが出て不安感を吹き飛ばすとかが有名なのかな。
知ってる人には何を当然って感じなんだろうが鬱とか躁鬱もこいつらの分泌の偏りのせい。だから薬で無理やり分泌させたりする。
他にも健康的な出し方だとスポーツとか周りからの承認欲求を満たすことで分泌される。だから気持ちいいって感じる。
麻薬とか、セックスとかもそう。結局気持ちいい、よっしゃ生きるかってのは脳内物質が出てるから起きる。
個性の差異も結局脳の構造と脳内物質が上手い事出るかどうかだけなんじゃないかと思った。
いつも思慮が浅いけどニコニコしている人達と思慮深いけど卑屈な人達の違い。
いわゆるセックスに依存するメンヘラ女や人と上手くかかわれないコミュ障とか世間的に言えば危ない人達。
なんとなく脳の構造が違うとは思ってたけどこれがあまりにもはっきり見えてきてとても驚いた。
たとえば、考え過ぎる人は下手すると思考のド壺にはまるもんだからどんどん気分が落ちていく。
考え過ぎる事が出来るってのはある種の才能なんだけれど、考え過ぎる人は内容のほとんどが悲観的でそれがドンドン膨らんでいって現実にも影響を及ぼすようになってしまう。
だから上手くガス抜きできない人は頭がいいのに社会に適応できないという状態になる。考え過ぎて悲しくなれば脳内物質がドンドンそのように変えていく。
逆にあまり考えない人達は思考量が少ないから強烈な個性があったりはしないけど毎日幸せそうにニコニコしていて精神疾患にはかかりにくい。(例外はあるにしろ)
人と話して認められて、承認欲求も満たされて脳内物質はガンガンでる。目標のハードルも日常のささいな事で満足できるから上手く幸福中毒にハマれる。
恋愛期間は脳内物質が異常なバランスになる。何かがきっかけで好意をいだけばドーパミンが分泌されドキドキして、夜はセロトニンが足りなくてそわそわして眠れなくなる。
んだよ、愛だのいっておいて神秘じゃなくて結局機械仕掛けなのかよって思った。
人は安定したいから自分の理解者を作る。生存確率を高める為でもあり、子孫を残すためでもあり、脳内物質の快感にうまい事はまるためでもある。
というか、当たり前の事をひたすら書き連ねているけど結局人って幸福中毒に過ぎないのかと思ったら神秘的でよくわからないナニカが、パズルの中身を見たようにつまらなくなってしまった。
散々叩かれるメンヘラや誰とでも寝る女だって、脳内物質が足りてないからセックスやらで脳内物質を無理やりでも出そうとする。
今まで否定的だったけど、あの常に不安感でたまらない状態や不安感がセックスや人からの承認で解消できるなら、と思うと納得がいく。
これは経験した人にしかわからないし、常に幸福中毒にハマってる人にはわからない。分子ですら安定したがってるんだし、人も当然安定したがるわけだ。
でも、結構な人は自分の心の弱さのせいだと思って、ホントはなんでもない機械仕掛けだと気付かない。
一緒にラーメン食っても酒を飲んでも出る。出産だって子供を愛するように脳内物質がでる。
首を絞められて死ぬ寸前、ノルアドレナリンが分泌されて気持ちよくなる。リストカットだって脳内物質が出る。やめられないわけだ。
快感の共有をした分だけ人は仲良くなっていく。快感や感情には全て脳内物質が付きまとう(当然だけど)
なんだ、こんなもんか。って思った。あれだけ神聖化されててもただの機械仕掛け的な反応が起きてるだけなんだなって。
なんだかそう思うと少しつまらない。わからないから面白かったのに、わかってしまったとたんあんまり面白くなくなった。
一緒に友達とバカやるのも、ラーメン食うのも、恋愛するのも楽しい。けど、頭の裏でなんて事のない科学反応が起きてるだけだと思うと何だかさみしい。
最近アスペルガーやら鬱やら精神分野については理解が深まってきた。
だからこそ思う。普通ってなんなんだ。異常って言われても機械仕掛けなんだからしょうがない。脳を丸ごと交換するわけにもいかない。
ここまでわかってるくせに肝心の自我がどこにあるかってのがわかってないから脳の交換もできない。まったく使えない奴だ。
運よく大きな異常をきたさなかったけど、俺が異常に生まれたらどうすればよかったんだろうと思う。
人を殺すことでしか、陥れる事でしかドーパミンが分泌されず生きる気力が湧かないのなら。
それでも中途半端に脳内物質に左右されない理性が残っているなら、死ぬしかない。
それでも世間は死ぬなという。無茶言うなや。ガソリンが足りないのに走れるわけがない。
中途半端に自我と精神がリンクしてるくせに、中途半端に隔離していて余計つらいだろ。
でも、世間がいわゆるメンヘラや発達障害に求めてるのってそういう事じゃないのか。
薬のおかげで多少まとも?になれるようになったけど、寛解はしても完治という物はないらしい。
じゃあどうすればいい。高度に医学が発達してみんなが普通になれる方法が出来たとして、みんなが上手い事幸福になれる脳になったら。
なんだそれ、全然面白くない。無個性もいいところだ。それこそ今より機械と変わらなくなってしまう。
結局八方ふさがりでどうしようもないのか。
何となくはわかっていたけど、こう自覚してしまうと何ともつまらなくなってしまった。
この事を知ったらなんだか、いろいろとつまらなくなってしまった。
なんとなく口寂しくなって煙草に火をつけた。ニコチンが血液を回って脳に作用する。
脳はそれに応じてドーパミンを吐き出す。なんてことはない、投げたボールが落ちてくるようなものだ。
少し気分が晴れやかになった。タバコが体に悪いのなんて知っている。無理やり脳内物質を出して体を傷つけてるんだ。
それでも、なんだかさみしくなって無理やり煙草の火をもみ消した。
お寒いようだけど、中途半端に残った自我での俺の精一杯の幸福中毒への抵抗のつもり。
明日もきっといろんな脳内物質によって俺は幸福中毒に振り回されるのだろう。
でも、タバコはもうやめようと思う。
「週刊文春」(2013年10月17日号)でCHAGE&ASKAのASKAは「シャブアス」騒動の顛末について語っている。
私がこれから書きたいことは、これまでの騒動の経過も含めて、この一連の騒動について客観的にどう理解すればよいのか、ということ一点に絞られている。それゆえ、既存の情報以上のハナシは一切存在しない。
まずはことの経過をまとめよう。
事件の前哨をなったのは、7月24日の「東スポ」であった。「超大物シンガー深刻な薬物中毒」という見出しをつけ、「超大物シンガーXの名前を公表すれば、日本中が大ショックを受ける」というスクープを掲載したことであった。そこには、そのシンガーのものと思われるシルエットも載せられ、2ちゃんねるをはじめとし、麻薬中毒とされた「超大物シンガーX」とは誰か、とおおいに波紋を呼んだ。しかし、宇宙人やツチノコの存在までも「発見」し、「スクープ」にしてしまうこの三流紙には、誰かを犠牲者にして盛り上がりたいという品性のものや、冷やかし半分の野次馬根性の持ち主しか、まともには反応しなかったであろう。
事件が大きく進展したのは、8月1日発売の「週刊文春」(2013年8月8日号)によってである。「シャブ&飛鳥の衝撃 飛鳥涼は「覚せい剤吸引ビデオ」で暴力団に脅されていた!」というあまりに衝撃的な見出しとともに、ASKAが暴力団から覚醒剤を手に入れ、それに完全に依存し、またその吸っている姿が盗撮され、その盗撮ビデオをもとに脅迫をうけているといった話が、圧倒的なリアリティをもって、書かれた。そこではまた、文春記者のインタビューに答えるASKAもあたかも中毒によって精神不安定であるかのように、揶揄的に誇張された姿で描写されていた。その記事は「Yahoo!Japan」や「MSN」のトップニュースにも載せられ、日本全国に「シャブ&飛鳥」というイメージが伝播された。
CHAGE&ASKAの事務所は、即日、その記事について、「事実に反しており、大変遺憾です。弊社としてはこれらの報道に対し、厳重に抗議いたします((なお、2013/10/9現在この事務所コメントは削除されている。))」と、これを否定した。
後追い記事もでた。東スポ((8月2日・3日・4日・5日・6日))やフラッシュ((「FLASH」(8/20・27号)・8/6(火)発売))がそれだが、それについてはまともに相手にする人は少なく((後者に関しては内容がそれ自体としてあまりに齟齬のあるオソマツなものであった。))、それは今のところは脇に置いておこう。
むしろファンたちに打撃を与えたのは当の事務所コメントであった。というのも、完全に事実に反しているのであれば、名誉棄損で訴えてもよいレベルの記事を書かれているのに、「厳重に抗議」だけで済まそうとしているからだった。さらに、ASKAが直接メディアに姿をあわらし、たとえば記者会見などをするなど、本人からの釈明がないことが、結果的にはさらなる不信感を募らせ、疑惑を深めることになった。
そこにあらわれたのがASKAの友人であるNAOMIのブログである。NAOMIは、ASKAとメールや電話などでコンタクトをとれる状態にあること、さらに「北海道時代に反社会的な友人など一人もいない」とASKAが述べ、ASKA自身はいたって普通の生活を送っていることを発信した。ファンクラブからまず発信されないことに憤りを感じるファンも少なからずいただろうが、しかしNAOMIの言葉はASKAが無実であることを信じるファンにとっては喜ばしいものであっただろう。
8月7月発売の「週刊文春」(2013年8月15日・22日 夏の特大号)では、スクープの第二弾を読んだものの、新しい情報や決定的な情報はほとんど存在しない、いわば前回のスクープの焼き増しのような内容であった。唯一見るべき内容といえば、チャゲアスサイドは事務所コメントに反して「抗議」などを全く行っていなかった、ということだった。
チャゲアスサイドのあまりに弱腰な対応に、ファンたちは、ASKAの無実を信じたい気持ちを持ちたいと思っただろう。「信じたい気持ちを持ちたいと思った」というこの言い回しは、しかしながら、維持されるべきものであるとおもう。ファンたちもまた心から何の疑惑ももつことなしに信じることが難しくなっていたのである。
膠着状態は長く続いた。twitterやblogを頻繁に更新していたChageも、ぱったりと更新をやめてしまっていた((しかし、8月25日にはBlogを更新した。鳩の飛ぶ様子を写したその写真は、ASKAの歌った「廃墟の鳩」をあらわし、「人は誰も悪いことを覚えすぎた」という冒頭の歌詞を示唆している、と推測する記事も出たが、むしろこれは「飛ぶ鳥=飛鳥」ということで、ASKAのことを暗示しているに過ぎないのではないか?))。8月中ごろから9月下旬まで、決定的な証拠がでてくることもなく、また無実の証明((だが、それにしても、なべて、無実の証明などどのようにして可能なのだろう!))になるものもなく、疑惑のみが独り歩きをしていた。
ASKAからの直接の否定コメントがでたのは、9月27日のことである。そこで語られたことは、「記事にあるような、違法なことは一切やっていない」ということ、「音楽関係者といって近づいてきた人」と金銭トラブルに巻き込まれていたこと、これが最も大きなものである。
9月27日に発表したのは、ファンクラブ会報発行の時期に併せてのことであろうが、この対応の遅さに「シャブ抜き」をしていたのではないかと訝しむものもあり、後味のわるい終結ではあるものの、これで、一応事件は終結するもののように思われた。しかし、10月9日発売の「週刊文春」(2013年10月17日号)で、事件の全貌についてASKAは告白することになる。
「週刊文春」(2013年10月17日号)によれば、文春記者を呼んだのはASKAだった、「男と男の話し合いをしたい」。
・「覚せい剤を売ってた」とされる山本が北海道時代の同級生というのは間違い。山本は北海道で仲間と飲んでる時に知り合った人。
・覚せい剤をふくめ、非合法とされる薬物を使用したことは生涯を通じて一度もない。
・ある時、寝起きが悪いASKAに山本がお土産として「アンナカ((正式名称は「安息香酸ナトリウムカフェイン」。ねむけ、倦怠感などに通常用いられ、医院で処方される薬である。))」を融通したことがあり、山本が薬事法違反に抵触する((「薬事法」第24条第1項および第84条がそれに該当するものである。なお、ここで違法とされるのは「買った側」ではなく、「売った側」すなわち山本である))
・盗撮ビデオは存在するが、それはガラスパイプなどを準備してきて、これを使えば少量の「アンナカ」で済むと言った山本に従ってガラスパイプを使って一度吸引したところを盗撮されたものである
・その盗撮ビデオをもとに、五千万円を貸してくれ、と言われていた((「貸してくれ」だからASKAは脅迫だとは思わなかったとあるが、盗撮ビデオをばらまくと言われ、金を貸してくれと言ってくる行為は立派な脅迫であり無理がある))
・今までこの事実を言わなかったのは、弁護士など身の回りにいる人々と相談した結果である
といったことである。
これらのことをASKAが「週刊文春」から告白したことは今現在、ファンも含めてネガティヴに大きな波紋を呼んでいる。次にそれらに対して答えよう。
Q.1)ASKAは覚せい剤をやっていたにも関わらず、今さら覚せい剤ではなく「アンナカ」だと嘘を言うのは白々しいのではないか?
A.1)やっていたという確証はどこにあるのか? やっていない確証をだすことはほとんど不可能に近いけれども、やっていたという確証は掴めるものである。また、疑惑だけで人を貶めることは私は正義だとは思わない。本人が「やっていない」と言うのだから、それに対して反論を唱える者は、まず、やっている証拠をださなければならない。
Q.2)ASKAは嘘をついていた!
A.2)「嘘」の具体的な内容とは具体的に何を指すのか? 「週刊文春」(2013年10月17日号)で語られたASKAの言葉が正しいのであれば、私見の限りでは、嘘は一切存在しない。ASKA本人は、事務所コメントに書いてあった通り、何一つとして違法なことをしていない。
Q.3)ASKAにはやはり「黒い交際」があったから、芸能界から追放されるべきではないのか?
A.3)そうではない。たしかに、山本は客観的には暴力団関係者であったけれども、それをASKAには話していなかった。それゆえ、その時、ASKAの主観的には山本は暴力団ではなかった。その時に客観的に知ることができないのであれば、それを客観的に知ることを要求することは人間の能力を超えており、神しか成し遂げることのできないことだ。それゆえ、暴力団と知りつつ交際している別の例との比較は成り立たない。また、ASKAはこの事件のうちで、主観的に悪をなしたことはほとんどなく、ASKAは誠実な態度を保っていると評価するべきであろう。唯一あるとすれば、それは山本の薬事法違反を容認していたことであり、もちろんそれについては反省をしなければならないであろうけれども。
Q.4)事件が収束したかに見えたのに、よりによって「週刊文春」に独断でインタビューを受けて、文春記事について一部認めるのは、よりイメージがわるくなるのではないか?
A.4)そのとおりであるように思う。もし記事にされることを承知の上でインタビューを受けていたのであれば、事務所などイメージ回復に努めようとしている周りの人びとに対しての配慮に欠けていて、またイメージ回復のための戦略的部分に関して致命的に悪い対応をとっている。戦略的部分においては、行為の動機ではなく行為の結果のみが通用する((「週刊文春」は今回の記事によって、事実上、前回の記事への自己否定をおこなっている。「週刊文春」は謝罪記事を乗せることなく、事実訂正に成功している。これを戦略的勝利とよぶのである))。それゆえ、ASKAは事務所などに対して謝罪をする必要があるように思われる。もし記事にしないことを条件にしてインタビューを受けたのであれば、あまりに人を誠実に信じてしまった「善人」である。イメージ回復という「戦略的部分」でしかない領域から見れば、やはりASKAは配慮に欠けていたと言わざるを得ない。しかしながら、人を誠実に信じる者と、誠実でない者の、どちらが「悪人」なのであろうか?
超わかる
俺もモンハンに何の興味もなかったけど付き合いで手をだしてみたけど
同じ状況で面白くない
で、面白くない状況から始めてるから面白くないところばかり見つけちゃうんだよな
結局代わり映えしないステージででっかいモンスター倒して武器防具作ってまたモンスター倒してで
永久にその繰り返しだけなんだよなー
そういう要素があればまだちょっとは自分なりの楽しみが見つけられたかもしれないけど
技量に差があればとりあえず粉塵使って避けるだけのゲームになるし
相手側も気を使って自称「お前のためにランク上げるの手伝ってやる」って大きなお世話だし
ともかく爽快感が全くない
ゲームやってる時まで
「お前何やってんの馬鹿じゃねえの?」
とか罵られたくねーわ