はてなキーワード: メリットデメリットとは
これみんな警察行けって言ってるけど絶対行っちゃダメ
私は覚醒剤盛られた時体調不良で病院に行き、そこで覚醒剤が出てきたからお医者さんと相談して警察呼んだらそのまま逮捕された
自宅に2歳の犬が1人で取り残されて家宅捜索されるまで10日間糞尿にまみれて水も無く死にかけた
私は22日間勾留された https://t.co/dAnHV7ND8c— どうしたらよかったと思いますか (@7mKAyS)
結論から言うと、病院や警察に行くなとは言いませんし、そのような世の中になって欲しくはないですが、行く前に弁護士に相談できたらして欲しいということです。
(※単に売り上げのことだけ考えると事前に相談されるより関係者が捕まった方が期待できるので、衷心からの助言ですよまじで)
弁護士がいればそもそも逮捕の要件を満たしているか的なところで争うことも考えられます。(何もいないときと比べて警察はフリーハンドにはしないはず)
裁判員裁判も無罪事件も一応経験がありますが、自意識としては決して刑事弁護ガチ勢ではないので、さらに詳しい同業者がいたらどうぞ遠慮なく補足してください。
万が一捕まったら1にも2にもまず当番弁護士を呼んでください。
「当番弁護士を呼んで欲しい」を逮捕時点で言ってくれればいいです。
東京での運用は知りませんが、盆でも年末年始でもその日の当番の弁護士がまず接見に行くはずです。
最近の刑事弁護のトレンドは「どんな事件でも基本否認(※「黙秘」の誤記)」で「何を喋るかはメリットデメリット踏まえて弁護人と相談の上個別に解除」ということらしい(私も概ね同意見)ので、心当たりがあってもなくても身分関係以外は基本何も喋らなくていいと思います。
最近では、「裁判官が当たり」+「”要件”が揃っている」という両条件を満たすラッキーがあれば23日マックスではなく途中の不服申立て(準抗告)で勾留が認められなくて出てこられる場合もあります。
ただ、実際に自分で使用して錯乱して病院に行ったのか、本当に盛られたのか、客観的な状況からはわかりにくいのがこの件の難しいところですね。
覚醒剤中毒者の中には、実際にオーバードーズで対応に困って警察に通報しちゃう人もいるので、自ら病院や警察に行ったこと自体は潔白の証拠にはならないです。
「覚醒剤は口にしたらかなり苦いはずのになんで体内からたくさんの成分が出てきたの?」「少なくとも、何かしらの違法薬物を摂取したという認識はなかったの?」という疑問については合理的な説明ができる必要があります。(この方を責めているわけではないです。誤解なきよう)
覚醒剤の自己使用事案は、体内からそれなりの覚醒剤の成分が出てきた場合、合理的な理由を被疑者被告人側で反証する必要があるという構造にあります。
昔、「キムチをたくさん食べたから覚醒剤の成分が出たのだ」という言い訳反論が認められなかった裁判例があったように記憶しています。
申し訳ないですが、少なくとも私はワンちゃんもネコちゃんも対応しません(やる弁護士もいると思います。今はどちらが多数派なんでしょうか?)。当番~国選ならなおさらです。※当番弁護士と国選弁護人は立場とお金の出所が違うのですが、細かくは省略
もちろん、信用できると自分が確信できる方であれば誰かに立ち会ってもらった上で例外的に対応することもなくはないですが。
この方を信用していないわけではないですし、純粋な一個人としてはワンちゃんもネコちゃんも大好きなのですが、「大事な物がなくなった」「証拠を隠滅した」などなど疑いをかけられるリスクを踏まえると、自宅に行くのは職業生命が危ぶまれることもありうるからです。
ワンちゃんのいのちより自分の職業生命が大事なのです。ごめんね。私は身勝手ですよね。
とはいえ知らんぷりをするわけにもいかず、家族や知り合いの人には私は極力取り次いで何とか手配はしますので、弁護士の連絡先は知らなくていいので大切な知り合いの携帯番号は暗記しておいてください。(LINE等のSNSだと連絡が取りづらいし、携帯電話本体は、このような案件で勾留がつくと基本鑑定に回されるはずなので、取下げしてもらったり捜査担当者から番号だけ聞いたりするのは時間がかかる)
少なくとも、ご自宅にペットがいらっしゃる方は、緊急のとき(警察沙汰じゃなくても地震や台風なども含めて)の対応をあらかじめ決めておいていただければと。
仕事柄、自白を取るために平気で嘘をつく姿を何度も見てきました。
「起訴するだけの証拠は全部あがっている。喋らないと不利になるだけ」⇒嘘。不起訴になった。
「俺はこの分野の事件には詳しいんだ。この件はまず間違いなく有罪になる」⇒嘘。不起訴になった。
「共犯者は全部自白している。お前だけ黙秘を続けていると不利になる。」⇒嘘。共犯者も黙秘していた。不起訴になった。
この場合、明確に味方にはなってくれないことは心にとどめてください。
特に”被疑者扱い”の人に対しては基本的に「誠実に喋ればちゃんとわかってくれる」タイプの組織ではないと思います。
(ザ☆ポジショントークですみません。ただ、国選刑事事件は社会貢献&自己研鑽のためにやっていて金銭面は度外視して対応しており、自分なりの正義感からの発言である点ご理解ください。)
この方の国選弁護人氏と同じく、私も誰に対しても無理と思います。
刑事補償法は「(裁判をして)無罪判決を受けた人」に対してのものです。
被疑者補償規程というのもありますが、「罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるとき」に限られます。
なお、似たような類型の事案で被疑者補償を請求したことが1回だけありますが、けんもほろろに担当者から鼻で笑われました(T-T)
盛った人に盛った証拠があれば請求できるかもですが、覚醒剤を盛るようなタイプの方が盛った証拠を残すことは考えにくいので難しいかと。
盛った証拠をお持ちなら私以外のお近くの弁護士に相談してみてください。
弁護士費用を踏まえると満足いく額が回収できるのは一般的にはかなり困難な事案と思います。(私はどれだけ着手金つまれても受任しません)
追記①「国選弁護人としてどこまでやるか、やるべきか」は解釈の幅があり、あくまで私はこうする、というだけの話です。「ペットの世話すらしない弁護士が偉そうに刑事弁護を語るのは許せん」という弁護士もいると思います。弁護士にはそれぞれ個別の思想信条がありますので、捕まったときに「増田にこうやって書いてあったからあなたも同じだけ動いてください」と言うのだけはやめてあげてくださいね。(※ちゃんと弁護人としてやらなきゃならないことは除きます)
追記②「なんでどれだけ着手金をつまれても受任しないんやろ」⇒幸いにも当面の資金繰りに追われているわけではないので、「結局負けたのにこれだけ弁護士にお金取られた!」と依頼者の方から恨まれるのが嫌だからです。純粋に貯金額は増えるかもしらんが精神衛生上非常によくない。断るべきときは断るのが自分なりの誠実さだというええかっこしいの部分もあります。
追記④「相談することのメリットをもう少し明確に打ち出した方がいいのでは。」⇒匿名とはいえ誇大宣伝はしたくないので言い方難しいですよねえ。私は経験ないですが、刑事弁護ガチ勢の私選なら任意取調べへの署内待機プランなどあるのかしらん。
追記⑤「確かに先に弁護士に依頼できればいいけど、現実的には医者より先に弁護士は難しくない?」⇒それはそうですね…
追記⑥「“最近の刑事弁護のトレンドは「どんな事件でも基本否認」で「何を喋るかはメリットデメリット踏まえて弁護人と相談の上個別に解除」ということらしい(私も概ね同意見)” えー」⇒えっ修習生からもそう教えられていると聞いたのですが違ってました?
追記⑦ 「はてブは弁護士無料相談もやってるの?」⇒いつもくだらないブコメ書いてもほとんどスターもらえないのにこんな長文記事にこれだけ反応多くて舞い上がってます…
追記⑧「弁護士へのコネがない一般人が、いざと言うときに頼れる弁護士の連絡先を入手する方法を教えていただきたいです。」⇒私を呼んで!というのは冗談ですが難しいですよね。東京だと当番や国選やる人は熱心勢と非熱心勢が極端だという噂も聞きますし。
追記⑨「こういうの真面目に読んで「フムフム~」とかやるのはやめたほうがいい。これ誰が書いたかわからない匿名の怪文書です。」⇒増田に書いている時点でそう言われても仕方ないけど、偽物弁護士だったら「自分はガチ勢じゃないから詳しい同業者補足して!」とは書かないと思う笑
追記⑩「ベテラン弁護士だけど、そもそもこれが巻き込まれたって考えてる時点でアマチュアだな」⇒そうですか。じゃあ貴方で。皆さんこの人だそうです。(※だいしゅきホールド事件リスペクト)
音楽理論を簡単にでも理解すればギターが人間工学的ではないとは思えないんだけど…
ギターは6本(まあ12本とかもあるが)の弦で構成されているが、これはピアノの鍵盤が6個並んでいるようなものである
この鍵盤は白鍵盤と黒鍵盤がピアノのような配置ではなく、同じように一直線に半音ずつ並んでいることになる
ピアノの鍵盤が6本並んでいるということは、それぞれの音を鳴らすには6本の指がある大きな手が必要になることになる
しかし、ギターでバレーコードというような、人差し指一本で6弦すべてを押さえるような場合がある
これはつまり、ピアノの鍵盤が6本並んでいて、それを大雑把に縦一直線に弾くことでコードが鳴らせることに等しい
なぜそれが可能なのかというと、この6本のピアノの鍵盤はそれぞれが横方向にずれているからである
いわゆる開放弦の音が、この6本の鍵盤のズレを示しており、
片手で6本のピアノの鍵盤からコードを鳴らすようなことを可能にしているのである
もっとも、このしわ寄せのようなものが4弦と5弦だけズレ方が違うことに現れてしまうのだが…
いずれにせよ、ギターはこれまでの長い歴史で生き残ってきたものであって、人間工学的にも適っているように思う
上記から、ギターはコード、つまり伴奏には非常に向いた楽器であると言える
一方、ピアノのように両手で伴奏と主旋律を弾くような用途にはあまり向いていない
どうしても弾き方が特殊になったり、ピアノより制限のあるものになってしまう
しかし、上記のようにピアノ6本の音を同時に鳴らすと考えれば、ピアノよりもコードは重圧になる
追記:
コードやスケールを図形のように二次元で考えられるのがギターのメリットである
例えば、ペンタトニックスケールを、なんかツボのような形、と覚えることもギターなら可能なのである
他にキーを移動するのも横方向にズラせばいいだけだったり、ギターは非常に直感的な楽器である
意見の対立する二人であっても、それぞれ情報を出来るだけ多く収集し、お互いの意見のメリットデメリットを明らかにし、
いつまでに決めないといけない問題なのか期限を明らかにしたうえで、期限内で熟考したうえで合意点を見出す。
情報収集する過程で意見が変わることもあるし、出来る限りのことをして決めるのでたとえ得た結論が間違っていたとしても後悔の度合いはすくない。
今すぐ決める必要があると言い張り、相手に情報収集させる時間も熟考させる時間も与えず、
ひたすら、相手が指摘するデメリットに揚げ足取りのような反論をするだけ。
それであなたのあげるデメリットには全て反論したわ。これ以上話すことは無いでしょ?
だから私の勝ちね。
で終わらせる。
ただし以下の理由で反発を食らうことが多い。
・カルト構造と同じで、一般社会的には極端な思想であるから目立ちやすい。
・ヴィーガン思想はインテリがなりやすく、教条的で、教師のような口調になることが多い。
・肉を食わずに豊かな食生活が送れる、というのが理解されず、不気味に映る。
・動物を殺すべきではないという真理を、上から目線で言われると腹が立つ。
ツイッターなどSNSでは少数派の意見が目立ちやすいというのも理由だと思う。
そもそも動物を解放したいという思想は民主主義・リベラルに通じる。
人権・生きる権利を最重視するわけで、他人を暴力や権力で制約することに興味がない人がほとんどである。
その思想を動物と地球に拡げたのがヴィーガニズムだと個人的に思っている。
また、肉を食わないと精神が安定し、激高したり無駄なアグレッシブさを回避できる。(これはメリットデメリット両方)
信じられない人は、3日間完全菜食をして、自分で人体実験をしてみるといい。
驚くほどメンタルが変わると思う。
議論が怖いので多数決じゃダメですか?投票とくじ引き民主主義 | NHK | News Up
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220707/k10013706251000.html
多数決をとるなら議題についてみんなが深く理解してからにしなさいということ。
ある議題について理解度がマチマチな集団があったとして、いきなり多数決をとって全体のためになる結果が正しく出るかな?
シンプルな議題だったら、出ることもあるだろう。でもちょっと複雑な議題だったら?
たとえば、選択肢の中に「パッと見よさそうだけどよくよく考えたら実はたいへんまずいものだった」みたいなのが潜んでいたとしよう。
「いきなり」多数決をとると「たいへんまずい」ことにたまたま気づかなかった人たちがうっかり「パッと見よさそう」な選択肢に手を挙げてしまうよね。
そういう人たちも、「君は気づいてないかもしれないけど、この案はここがたいへんまずいんだよ」と教えてあげたら「えっ、そんなつもりじゃなかった!」と選択を変更するかもしれない。
そういう行き違いをなくすために、多数決をとるにしても事前に議論をして、選択肢の妥当性を共通認識としてしっかり煮詰めておくことがだいじなんだよ。
議論といっても、自分自身はそれに参加できなくてもかまわない。議論が公開の場で行われればいい。
意見の異なる者同士が公開の場で互いの意見の長所短所やメリットデメリットを指摘し合う。そうすると、マチマチだった集団の理解度が揃ってきて、ひとりひとりの判断がより客観的になる。みんなで同じものを見ながら多数決がとれるようになるんだ。
もっと単純な構図で
「差別」として撤回を求めてきているのだから、「表現の自由」として、撤回させたいなら裁判でもしてみろ、という提示がされているに過ぎない
チートスレイヤーの例を見るまでもなく、消費者が不快を感じたりした場合、簡単に消える可能性があるもの
でもそれは、メリットデメリットを権利者が勘案して判断するものだ
だが差別は違う
非難された側は、それを撤去することで、差別を容認しないという姿勢を見せる必要がある
法的に裁判にかけるでもなく、「差別」を掲げた踏み絵を行い、「社会的合意」の体で不快な表現を消そうというのは
それも賛同者は少数派で構わない
これほどの心地よい暴力があろうか
昨今、きちんと事例が詰みあがって、ツイフェミ側の暴論が残されるようになると、世間の反応も違ってきたが
「碧志摩メグ」は現地の海女を巻き込んで騒ぎ、公式辞退するはめになった
それがどうだ?
金になると分かったら、地元は大歓迎だ
良いのか?
差別じゃないのか?
相手が差別の踏み絵でレッテルを貼るなら、こちらは「表現の自由」で踏み絵をしてレッテルを貼るんだよ
それで面白くなったのが「たわわ」だ
という物だ
差別的で許されざる性的な表現なのに、作品は許容するという自己矛盾
これだけをもってしても
私は20代中盤のオタクだ。オタクの友人が多い。もちろん私自身もオタクだが、結婚を控えた恋人がいる。そうした立場の違いから、オタ活に全てを捧げる独身の友人にある疑問を抱いてしまうのだ。これを見下していると捉えられても仕方ないと思うし、私自身もそう自覚している。これは私が私の価値観で書く実に自分勝手な文章のため、人を不快にさせるだろう。その上で提起したいことがある。
そう思ってしまう理由は、自分の人生の幸せ=オタ活という構図への違和感だ。オタ活は推しを追い、ライブやイベントがあれば距離を厭わず向かう。私自身も好きなアイドルのライブに行った際は推しの姿を目に焼き付け、感動を胸に来てよかったと涙を流す。オタ活は人生を充実させると心から思うが、自分の人生に推しが直接関与することはないと理解している。いくら推しにお金を注ぎ込んでも恋人にはなれないし、推しに熱中する間にも歳をとる。推しは自分の人生を豊かにしてくれるが、注ぎ込んだお金と時間に責任は取ってくれない。同世代がこれから結婚、子育てとライフステージを重ねる中、推しの活躍を追うことが自分の人生の幸せという友人たち。オタ活は楽しいもんねと共感する反面、もっと楽しいことはあるのにと少し同情してしまう性格の悪い自分がいる。
恋人からの無償の愛や優しさ、笑い合う日常で得られる幸せはオタ活で得られるものとはまるで性質が違う。自分が一人の人間として愛される経験は、ファンとアイドルの関係ではいくらお金を積んでも得られないものだ。そして人に愛し愛される経験は自信へと繋がり、結婚すれば子供の有無にかかわらず、誰かと過ごし日常を共有する楽しみも増える。人生というハードなゲームは、一人で攻略するより二人の方が新たなイベントも発生し、やり込み要素があると思うのだ。
一人で生きるのは楽だ。誰かに気を遣わず自由度も高く、少ない稼ぎでも暮らしていける。結婚をメリットデメリットで語る人を見ると、この人はそれを厭わないほどの愛情を人に抱いたことがないのだろうと思う。結婚生活を検討した上で独身生活を自ら選択しているのなら分かるが、自分の現状から結婚という選択肢は与えられていないと諦め、見ないふりをする人は多いと思うのだ。人を愛し愛されながら送る日々は、一人で生きていく日々より豊かだと私は思う。その豊かさと自分は無縁だと諦めるには、20代や30代ならまだ早いと思わないか。推しがいれば十分幸せだと、人と生きる幸せを望まない方向に考えていないか。彼氏が欲しいと少しでも思うなら、オタ活の行動力を発揮してまずはマッチングアプリでも入れたらどうか。恋人がいて幸せそうな友人を横目に「自分はオタ活で充実してるから」と自分を納得させるのはやめにしないか。本当に推し活や趣味、仕事で充実している友達と話していてもこうは思わない。しかし多くの人は少し踏み込んでみれば会話の節々から満たされない寂しさを抱えていると分かるものだ。
誰かと生きるのに資格なんて必要ないし、結婚したからと言って推し活を100%諦める必要もないと思う。強者の立ち位置で弱者に説教かと思われるだろう。私は確かに恋人に恵まれ、オタ活も充実している強者だ。その両立が不可能でなく、さらなる幸せを獲得できる可能性があることを弱者に教えたいと思う傲慢な精神を持っているためにこのような文章を書いている。
まとめると、オタ活が人生のメインイベントであることに少しでも寂しいと感じるのであれば今から行動すればその後の人生が大きく変わると伝えたい。誰かに愛されたいという気持ちに目を背けながら推しに一方通行の愛を捧げるのは、どこか寂しいものだと思うのだ。
メリットデメリットを短期的な目線でしか見ないからそうなるんだよ
育休をコストと考えて削った方が良いと思うなら、例えばだ「ウチの会社は育休制度を利用する社員はおらず、従業員全員のフルタイム対応で顧客満足度一位です」って銘打ったとしよう
その会社どうなるとおもう?そんなところのコストカットしてるんなら絶対人こないでしょ
そういう制度は作らないといけないがあくまでも取る取らないは従業員の任意だ
だけどそれをコストだと考えて削減する向きになったり、従業員に取らせないようにするのは明確に会社として危険だ
親にしか出来ないことがあるのに、それより優先順位の低い会社の仕事をさせるってヤバいと思わない?
その人の仕事がとても専門性高くてその人にしかできない上に育児できる環境でもないっていうならわかるけど、そうでないことなら他の人が変わってあげようぜ
あんたにとっては育休がコスト以上に会社や他の従業員にとって有用なことを証明して欲しいんだろうね
残念ながらそんなものはない
会社として終わってるんだ