私は20代中盤のオタクだ。オタクの友人が多い。もちろん私自身もオタクだが、結婚を控えた恋人がいる。そうした立場の違いから、オタ活に全てを捧げる独身の友人にある疑問を抱いてしまうのだ。これを見下していると捉えられても仕方ないと思うし、私自身もそう自覚している。これは私が私の価値観で書く実に自分勝手な文章のため、人を不快にさせるだろう。その上で提起したいことがある。
そう思ってしまう理由は、自分の人生の幸せ=オタ活という構図への違和感だ。オタ活は推しを追い、ライブやイベントがあれば距離を厭わず向かう。私自身も好きなアイドルのライブに行った際は推しの姿を目に焼き付け、感動を胸に来てよかったと涙を流す。オタ活は人生を充実させると心から思うが、自分の人生に推しが直接関与することはないと理解している。いくら推しにお金を注ぎ込んでも恋人にはなれないし、推しに熱中する間にも歳をとる。推しは自分の人生を豊かにしてくれるが、注ぎ込んだお金と時間に責任は取ってくれない。同世代がこれから結婚、子育てとライフステージを重ねる中、推しの活躍を追うことが自分の人生の幸せという友人たち。オタ活は楽しいもんねと共感する反面、もっと楽しいことはあるのにと少し同情してしまう性格の悪い自分がいる。
恋人からの無償の愛や優しさ、笑い合う日常で得られる幸せはオタ活で得られるものとはまるで性質が違う。自分が一人の人間として愛される経験は、ファンとアイドルの関係ではいくらお金を積んでも得られないものだ。そして人に愛し愛される経験は自信へと繋がり、結婚すれば子供の有無にかかわらず、誰かと過ごし日常を共有する楽しみも増える。人生というハードなゲームは、一人で攻略するより二人の方が新たなイベントも発生し、やり込み要素があると思うのだ。
一人で生きるのは楽だ。誰かに気を遣わず自由度も高く、少ない稼ぎでも暮らしていける。結婚をメリットデメリットで語る人を見ると、この人はそれを厭わないほどの愛情を人に抱いたことがないのだろうと思う。結婚生活を検討した上で独身生活を自ら選択しているのなら分かるが、自分の現状から結婚という選択肢は与えられていないと諦め、見ないふりをする人は多いと思うのだ。人を愛し愛されながら送る日々は、一人で生きていく日々より豊かだと私は思う。その豊かさと自分は無縁だと諦めるには、20代や30代ならまだ早いと思わないか。推しがいれば十分幸せだと、人と生きる幸せを望まない方向に考えていないか。彼氏が欲しいと少しでも思うなら、オタ活の行動力を発揮してまずはマッチングアプリでも入れたらどうか。恋人がいて幸せそうな友人を横目に「自分はオタ活で充実してるから」と自分を納得させるのはやめにしないか。本当に推し活や趣味、仕事で充実している友達と話していてもこうは思わない。しかし多くの人は少し踏み込んでみれば会話の節々から満たされない寂しさを抱えていると分かるものだ。
誰かと生きるのに資格なんて必要ないし、結婚したからと言って推し活を100%諦める必要もないと思う。強者の立ち位置で弱者に説教かと思われるだろう。私は確かに恋人に恵まれ、オタ活も充実している強者だ。その両立が不可能でなく、さらなる幸せを獲得できる可能性があることを弱者に教えたいと思う傲慢な精神を持っているためにこのような文章を書いている。
まとめると、オタ活が人生のメインイベントであることに少しでも寂しいと感じるのであれば今から行動すればその後の人生が大きく変わると伝えたい。誰かに愛されたいという気持ちに目を背けながら推しに一方通行の愛を捧げるのは、どこか寂しいものだと思うのだ。