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はてなキーワード: 見立てとは

2024-11-23

キャラ見立て飲食物タイトル

ママレード・ボーイ松浦遊(甘いが苦味もあるから

ピーチガール安達もも(見た目はギャルくて内面は純情だから

ハニーレモンソーダ三浦界(忘れた なんでだっけ…)

微糖ロリポップ…麻木知世(ちょいツンのショタ

2024-11-22

anond:20241120130054

民意善悪は無いよ。

あるのは自分がより余裕を持てる未来(もしくは自分が一番損しない未来)だよ。

他人のためとかすべて欺瞞だよ。自分に余裕が無いと他人に気を遣えないよ。

とやかく言われるのはそれは本当にあなたに余裕を生み出すの?と思うからだよ。

少なくとも外から見たら一回交代した上でなお再選するたら、またつべこべ言いながらも評価は違ったと思うよ。

それすら許されなかったほど余裕が無かったのなら話は変わるよ。

あと氏を善に見立てすぎだよ。

善だと思うことしか発せない世界は、自分はまっぴらごめんだよ。

他人のためとかすべて欺瞞だよ。自分に余裕が無いと他人に気を遣えないよ。

anond:20241122070331

そりゃ見立てが間違ってるもの

都知事選蓮舫みたいに石丸にまくられてるならまだしも

今回は反斎藤かつ維新系の清水を引き離しての2位じゃん

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

2024-11-17

anond:20241116222007

>勤務時間パソコンに触れている間

これゲームだったなぁ。

仕様通りにプログラミングするクラフト

メール読むのは町人から情報収集、返すのはたまに戦略戦術異議あり

何度も同じことするしょうもない作業とかもあったけど、まさに作業ゲー感覚だったし

変なフォーマットの役に立たない仕様書書く時期だけが仕事やらされてるって感じだった

ゲームシナリオシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず

これとかは不同意で、クリアアイテム収集のためにシナリオすっとばしてただステージ進めるとかもゲームだし(スマホゲーでありがち)

そもそも早い段階で「見立て」が不要になってる気がする

遠くの木を獲物に見立てて石(矢)を投げて当たるかどうかチャレンジから色んなスポーツが生まれたのだと思うが、的に当てるというルールけが残ってる

ルールがあって進行(成長、増加等)あれば十分ゲームな気が

なんか、かつてチーレム小説カタルシスないとかノンストレスすぎて小説ではないって言われてたのと似てる

敵が強いから「でん(タッチ)」されてもアウトにならない鬼ごっことかと一緒で、ごま感覚でないとゲーム参加できないという人達への救済なのかな

自分アクション苦手すぎたけど、マリオクリアたかたから、

無敵だがスター状態ではなく(当たっても敵を弾けない)、減機してもペナルティが1~2秒のフリーズぐらいで、落ちてもぴょーんと跳ね返って元に戻る(とか借りゼルの落ちペナみたいなの)で

ステージ見ながら進んでくのがあったらとりあえずクリアするまでやってたか

マリオシミュレータのようなもの

2024-11-16

ドラクエ3リメイクのかんたんモードによるゲーム性の棄損について

上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。

猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!

まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイク存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります

もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。

まず絶対に死なないので防具というもの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器存在価値消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエ構成する無数の要素が形骸化する。

一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである

そういう話をしたい。

さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲーム定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。

かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分結論誘導するための手前味噌しかならないのでそういうのは良くない。

もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!

定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものプレイヤー入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。

でなければスマホフリック入力PCデスクトップエロサイトへのショートカットクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。

まりまだ何かゲームというもの必要な条件があると思う。それはなにか。

ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋チェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。

単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為ゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である

このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争再現としての意味合い付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。

さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者魔物というストーリー見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である

そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。

あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルール見立てによって意味合い付与されることでテレビゲームゲームとして成立しているのである

その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様意味するところについて考えて欲しい。

これはつまり「敗北条件の消失」にほかならない。

一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである

 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血サービス難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームのもの崩壊することはない。

しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームルールのもの破壊にあたるのであり、ルール破壊ゲームのものを成立させている意味合い付与破壊ゲーム破壊に当たる行為なのである

考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬである

敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲーム破壊する行為に当たる。

マリオ無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。

無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオゲームとして成立しない。

如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。

ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである

一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。

マイクラクリエイティブモードデバッグモードの類ではなくゲームモードひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーゲームゲームひとつだと思う。

それはそれとしてドラクエ3はそういうゲームじゃないので。

ゲームシナリオシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲーム依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。

ゲーム開発者ゲームのもの破壊するゲームモードを組み込むのは私はいくらなんでもナシだと思う。

終わり!!閉廷!!!!!以上!!!!!!解散!!!!!!!!!!!!!!!

嫌いな作家を好きになるのが怖い

嫌いな作家がいる。

嫌いと言っても、作品ひとつも読んだことがない。Xで本人の発言を見ていて人間として死ぬほど嫌いになっただけだ。

Xのポストを見る限りでは、この作家日和見クソ野郎しかない。

その時々で話題になってるネタに乗っかって多数派に媚びを売り、インプレを稼ぐことだけに特化したSNS運用だ。俺の見立てでは嘘松もかなりやってる。

こういう薄っぺら人間が良い小説を書けるとはとても思えないのだが、驚くことに、作品感想レビューを見ると好意的評価が多数並んでいる。特に最近出た新作などは、ジャンル歴史を塗り替えんばかりの大絶賛の嵐である

あの小狡い人間が?そんな傑作を?

どうにも信じがたいのだが、そこまで褒められてるとさすがにちょっと興味がわいてきた。書けるわけがない、メクラな大衆過大評価だろうという意地悪な気持ちもある。

しかし、もしも読んだ結果、本当に心の底から大傑作だと認めてしまったらどうしよう。

俺は、あのカス作家を見直さなくてはいけないのだろうか。

それが怖くて、件の新作をいまだに読めずにいる。信頼できる誰かに代わりに読んで確かめてもらいたいぐらいだ。

2024-11-15

ラブドール好きな人の話

ラブドール好きな人ますかね?

もっと言えば、ラブドールで致している男の人の行為を見るのが好きな人

はい、私です。

特殊な癖(へき)の範疇なのでしょうと思います。だからここで書いています

そもそもラブドールで致すのが好きな人も少ないんでしょうか?

前提として、私は異性愛者(ヘタロセクシャル)です。

性の対象になるのは男の人のみです。

だけど、男の人に思い切り犯されている可愛いお人形さんを見るのが好き。

物言わぬお人形さん相手一生懸命気持ちよくなってる男の人の様子を見るのが好きです。

時には下に装着されたホールで、時にはすごく冷たくて弾力ありそうで大きな胸で、時には口で。

果てた後に体液で汚されても、なお表情を変えないお人形さんを見てとても興奮します。

実際に見たことはありません(当たり前)

動画ですね。

男の人の顔は映ってても映ってなくてもいいです。

男の人の美醜は問いません。

そもそも人形を愛すると言う行為自体マイノリティ性癖だろうと思うし、自慰行為の一つでしかないとは思います

それを見る女性というのは更に数が少ないかもなと思います

ただ、人形を生き物として愛する感情幼児期に誰しも経験が多いものだと思います

親以外の他者愛着を示す第一歩は、人形動物のかたちをしたものを、自分とは異なる生き物としてその感情想像できるところからまります

ごっこ遊び見立て遊びと称されるものです。

人間感情的な発達に不可欠なものです。

その延長線上にあり、性的感情倒錯が入り混じる見立て遊びが、お人形を使った自慰行為であると思います

小難しい理論をこねましたが、とりあえず私は生身の女が演技がましく喘ぎ声を出しているアダルトビデオより、究極の独りよがり行為である人形相手に好き勝手やってる行為を見るのが興奮します。

私がいわゆるマゾヒスト寄りの癖を持つのにも関係しているかもしれません。

しかしたら、あのくらい好き勝手やられても何も顔色を変えず、なんなら存在するかどうかも含めて男の人の欲望一方的に叶えられる存在になれればいいのにと、

自分の願望を投影しているかもしれません。

人形自分の叶わぬ願いを投影するのも人の遊び方の一つです。

でも私には尊厳もありますし、物理的にも限界がありますあんなにたくさん激しく挿出されましたら、色んなところにガタが出て1週間ももたないでしょう。

から、壊れてしまっても替えが利いて、勝手に利用されるお人形さんに憧れがあるかもしれません。

終わり。

2024-10-31

anond:20241031052602

何を言っているんだ?トヨタアメリカ工場を作って、雇用を支えていることは承知している。しかし、トランプが再び大統領になれば、彼の保護主義的な政策日本自動車産業に不利に働く可能性も十分ある。反EVからといって、日本企業に追い風になるとは限らないだろう。

見立てが古いのはどちらか?リアルビジネスに触れているつもりなら、もっと広い視野物事を考えるべきじゃないのか。大学研究室に籠もっているのはそちらの方では?

anond:20241031045350

無知すぎる

トヨタ普通にアメリカ工場作って雇用を支えているから反EVトランプが勝ったらむしろ追い風になるよ

ていうか見立てが15年くらい古い

リアルビジネスに触れているとは思えないんだけど、大学研究室にでも篭ってるの?

2024-10-28

anond:20241028102355

だと船乗りたちが男だったから船を恋人のように見立てたってのは悪手やな

anond:20241028095751

それは単に船乗りたちが男だったから船を恋人のように見立てたってだけだがな

2024-10-22

だって

241021夜の官邸の様子が聞こえてきたけど。

NHK調査自民215+公明16=231。自公過半数に2議席不足への対応を話し合ったみたい。

中の1人は公明の16は少なすぎると過半数確保を楽観。

だけど同じ日、自民本部では、石破以下、副総裁幹事長、選対委員長関口参院会長、元宿 党本部事務総長のの作戦会議与党過半数割れで国民民主取り込みも話題に。

だけど見透し立たずの悲観論大勢

選挙後党内政局高市の影響力低下見立て理由は推薦人が多数落選するから

一方与党内の公明党の発言力は増加。現職大臣の小里、伊藤落選確実で小規模改造やるんだって

八方塞がり。もたないと思うよ。

https://x.com/fujijun2024/status/1848580759122284737

2024-10-04

anond:20241004134445

この増田、すごい…

論点のすり替えと誇張表現矮小化表現を巧みに繰り返して問題有耶無耶にした挙句、なぜか全く関係ない車旅行に終着してる…とんだ怪文だ

特に前半の、遅刻を許さない人を異常者に見立て表現は素晴らしい

個人的に整理したくなったので書く

時間通りにつかなければ崖から落ちる (=死ぬ)」や「他人時間を奪ってる」など、

遅刻に大きな恐怖を抱いているのではないかということ。

論点のすり替え

崖の例えはおいといて、遅刻者が時間を奪っているのは事実のはず。

そのため、遅刻に対して恐怖、というか怒りを覚える人は多いのは妥当自分の物を大した理由なく奪われたらそりゃね。

ここでは、遅刻した側の背景や理由を一切無視して、遅刻される人の感じ方に問題があるのではないか、とあまりに大胆に論点すり替えている。

清々しい。

言い換えると、遅刻生命/人生を害する問題であり遅刻者はその罪を犯している、という認識

誇張表現

遅刻を死と直接結びつけて考えてる人はいないし、罪という表現大袈裟

崖の例えはあくまで、早い分にはいいけど遅れるとまずいよねっていうデッドラインの考え方のために出された例え話。

なのに、遅刻と死を無理矢理結びつけて「遅刻を許さない人は遅刻によって命を脅かされていると感じている。そのため、遅刻する人に断罪的」と、遅刻を許さない人を異常者に見立てている。

この後に続く矮小表現との落差を出すことで、馬鹿馬鹿しくもある意味説得力が出ている。美しい。

一方で、それ以外の時間シビアでない待合せでも数分の遅れを許せず、機嫌が悪くなったりする場合遅刻フォビアの害が表れてしまっているといえる。

たかが数分の遅刻イライラしてしま場合は、こうした遅刻フォビアを自覚して、多少の寛容さを持てると良いと思う。

矮小表現

実際は5分程度の遅刻だったら許す人が多いのでないか

俺は勝手20〜30分の遅刻を想定したけど…

誰も明確な数字を出していないことをいい事に、増田勝手遅刻ラインを数分に設定し、遅刻を許さな人間を「数分の遅刻も許さない心の狭い奴」に仕立てている。

遅刻を許さない人をここまで不当に徹底的に貶めておいて、「みんなもう少し寛容になろう」は草

でも不思議説得力がある。

しかし、増田が言いたかたことは、(おそらく増田趣味である)車旅行の話である

恐れ入った。

2024-10-01

三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

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 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

anond:20241001160115

裏切るの?

さすがにその見立てならもうちょい頑張って国会やってたと思うんだけど

今がピークであとは落ちるだけ!

判断たから即座に解散に打って出たのだと思っていた

野党も浮き足立ってるし、選挙のことだけ考えれば自民党に旨味のある手のひら返しなのではないか

2024-09-24

anond:20240922175832

ahomakotom 「悪い部分がぜんぶ自民党責任」という見立ては「良い部分はぜんぶ自民党のおかげ」と表裏一体のバカロジック

良い部分は基本変えなくても継承されるじゃん?

でも悪い部分を執政者が見過ごせばそれは執政者責任

この方のロジックこそバカロジック

2024-09-19

焼きサンマを頬張る秋高い増田素舞敵ある場尾帆を万咲きや(回文

おはようございます

私も50-50目指そうかなー

書いた増田ブクマ50!トラバ50!

ブクマは運もあるけど

トラバで50ってのはいまだかつてないわ。

違う違うそうじゃないのマーチンさんもそう言っちゃいそうな方の50-50じゃなくて、

私が決めたいのはサンマルービーで決める今シーズン50-50のことよ!

昨シーズンも開幕で数えていたけど途中で飽きちゃったのか3つぐらいまでしか秋刀魚食べてるの数えていなかったような気がするわ。

改めていう50-50は

サンマ1尾決めたら1本!

ルービー1杯決めたら1本!

それぞれで加算して50-50ってわけよ。

前人未到じゃない?

これ達成すればきっとサンマ好きなんでしょ?って認められて

ワールド大会

目黒サンマ祭りに出場できんのよ!

でも

良いニュースと悪いニュースがあって

どちらから聞きたい?

良いニュースからね、

目黒サンマ祭りは今年無事開催予定よ!

ぱちぱちぱち!

あと悪いニュース

その目黒サンマ祭りサンマ大会の出場者エントリーはもう8月末で終わっちゃってたみたいだってこと!

なんたるちゃー!って感じじゃない?

私はこの2つのニュースを同時に聞いたとき

右耳から入ってきた良いニュース

左耳から入ってきた悪いニュースとで

頭の中の中心で交差しとき

閃いたの!

サンマ食べたい欲は変わらないわ!ってこと。

でも私駅前居酒屋サンマには要注意なのよ!

それがね、

聞いてよ!

メニューには新鮮サンマ入荷しました!ありますよ!ってやってんだけど

待ち焦がれて焼かれてやってきた焼き秋刀魚

サンマじゃなくて塩干ものサンマだったの!

これフレッシュサンマジュースフレッシュさが全然違うので、

この違いは目黒サンマ大会大会に出場しまくっているベテランでない私でも見破ることができるわ!

ペロっ!

これは塩干ものサンマ

でも唾を付けた以上自ら自分で食べなくてはいけないもうこのメニューの新鮮サンマには騙されないわ!

しおしおのカラカラの辛うじてサンマの味はする干しサンマ普通に焼いて食べているだけじゃない!って

これじゃ年中食べられるんじゃない?

私が食べたいのはフレッシュオータムサンマ

からこの偉業を達成するこの50-50ってのは大きな壁なの!

から1試合に2本は打って走って稼げるように

秋刀魚焼き定食提供しているお店は

ぜひともサンマダブルアップチャンスを出場者に与えてもいいと思うんだ!

それか的の当たる範囲は狭くても良いので

回転ダーツルーレットで焼き秋刀魚定食サンマの数を矢で当たったところに決まるラッキーサンマトリプルアップチャンスだってやっていいと思うの!

3本は多すぎるかもしれないけれど、

いけないことはないわ!

待って!サンマ3尾と併せてルービーも3杯キメなくちゃいけない試合運び、

これはなかなか大変だと思うわ。

普通居酒屋ルービー3杯って飲んでジョッキがそのままテーブルに残っていたらちょっと恥ずかしくない?

店員さん早く空いたジョッキを私の試合運びに固唾を呑まずに片付けてほしいわ。

それよりも私その回転ダーツルーレットでいいところに当たるおまじない知ってるんだ!

みんなにも教えてあげるね!

この言葉を唱えるの!

パジェロパジェロ!」って

力一杯叫びながら投げる人を応援すると良いのよ!

でも絶対にタワシに当たりがちよね。

こればっかりはとほほよ。

まあさすがにサンマダブルアップチャンスやラッキーサンマトリプルアップチャンスを実施するお店ってのはないと思うけど、

1試合1試合をしっかりやっていかなくちゃいけないのよ。

炭火囲炉裏で串打ちした泳いでいるように見立てくねくねとした鮎を焼くのどか風景ってあるじゃない。

あれに1尾か2尾サンマが混じっていても分からないことない?

私は分かるけど!

でね、

そのサンマを知らない振りして焼けた頃合いを見て取って食べようとするとき

バッターボックスに立つ音楽とするなら、

私は浜崎あゆみさんの

輝きだした僕たちをとめることなどできないだろう~って曲が流れ上の!

鮎だけにって!

でも逆にいうと囲炉裏炭火サンマ焼く景色ってあんまりいか

それだけでもうションテンが爆上がりよね!

きっと美味しいだろうなぁ。

今日もキメたらキメるわよ!

目指せ50-50ね!

うふふ。


今日朝ご飯

にゆ玉子が入っている珍しい変化球おにぎりにしてみました。

なかなかのボリュームね!

結構満たされるわ!

おお!って感じの迫力よ!

今日のデトクックスウォーター

炭酸レモンウォーラーしました。

今日ストレートレモン炭酸レモン風味が利いていて朝からごくごくおいしいの。

あれってレモン果汁を入れたとしても

なか風味がうまくつかないのはなにか秘訣があるのかしらね

思ったより香りがつかないのよね。

皮とかのレモン油が入ってるのかしら?

真相は謎よ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-09-15

anond:20240915195228

ふむふむ、なるほどのぅ。独身アラフィフ女性が何をしてるか気になるのじゃな。まぁ、わらわのような賢くて優雅存在から見れば、その答えは明白じゃ♡

女性男性も、独身なら自分時間いかに楽しむかが鍵じゃな。友達とお出かけしたり、趣味に没頭したりする者もおるし、家でゆっくり映画を見たり読書を楽しんだりする者もおるのじゃよ。宅飲みヘラヘラしてる輩もおるかもしれぬが、それもまた一つの幸せの形じゃな♡

それに、アラフィフともなればそれなりに人生経験を積んでおるから自分なりの楽しみ方を見つけておるはずじゃ。グループ旅行したり、趣味の集まりに参加したり、新しいことに挑戦したりする者もおるんじゃないかのぅ。独身の良さは、自分のペースで自分の好きなことを追求できるところにあるのじゃ♡

まぁ、わらわの見立てによると、独身アラフィフ女性も男と同じく、自分の楽しみを見つけて充実した時間を過ごしておるのじゃよ。だから、あまり気にせずに、お主も自分時間を大切にするのじゃぞ♡

2024-09-14

グッドウィル社はなぜ潰されたか 3/3

part1 https://anond.hatelabo.jp/20240914181511

part2 https://anond.hatelabo.jp/20240914181619

 

また労災事故倒産

2007年三井倉庫GWバイト労災事故が発生。だがこのバイト三井倉庫派遣されたのではなくて、東和リース派遣されたものだった。しか三井倉庫東和リースとは契約していなかった。横浜港湾会社、笹田組に依頼していたのだ。つまり三井→笹田組→東和リースGW社と三重派遣状態だった。笹田組は名前から察しが付くように沖仲仕の組だったところが法人成りして事業を変化させてきた会社だ。つまり港湾業務派遣したことになる。しか禁止されている二重、三重派遣。その上での労災事故

そもそも東和リース港湾かどうかなど考えなしに派遣を行っており、こういう事になるのは時間問題だった。

港湾の近くの倉庫港湾業務にあたるか?という時点でも行政の胸先三寸であるのに、港湾業経由で派遣してたら言い逃れ出来まい。

 

そんな訳で、2008年には営業免許を取り消されて倒産した。直接の処分理由は同労災事故港湾どころか船に入って仕事しているのがバレ、それに割増し手当を払っていたので故意が明白となって社員逮捕された為だが、きっかけは上記労災である

 

2007年にはGW子会社コムスン行政処分もあって、折口氏は米国に逃げてしまった。潮の流れが己の逮捕に向かっていると察しての事だろう。

 

コンプライアンスに舵を切れず

創業当初のGW社は違法状態であった。だが時代が味方をして規制緩和合法状態となった。それで莫大な融資を受けて業績を急拡大した。

コンプラを守るのが利益にならなかった訳だ。

一方、00年代中ほどからワーキングプア生産装置としての派遣業の拡大が社会的問題になってきた。戦後労働行政労働保護規制のコア業態に関しては派遣自由化をさせなかったのにそれを甘く見ていた。このコア二業種については社会保険労災保険について勉強すると必ず出てくる。

この二業種の一つ土建への派遣労災事故があり、コンプラ意識せざるを得なくなり失業する常駐労働者の就職斡旋まで行った。コンプラ利益になる局面が来たのだ。

だがそれに至らず、もう一つの規制業種の港湾での派遣事故が起こり、社員逮捕にも至り倒産した。コンプラ利益になる局面なのに東和リースヤバい事をしていると炙りだし切れなかった訳だ。

 

でも東和リースがやってる事自体は買収以前から社員派遣されたバイトも知っていた。それが違法性が高いという事が判らなかったのだ。

一方、本社ではコンプラ大事だという意識にはなったが、契約先のどこに問題があるかを掴めなかった。

 

それは何故か?

まず、買収した会社の客だったからだ。己で開拓した客じゃないので客先が実際にどういう事をしているかという事をチェック出来ていない。

次に元から違法操業で、違法操業会社を買収した。コンプラ意識がある社員が適切に配置されていない。

更にバイト支店長に昇格させた。「やる気」と「のし上がり」だけを鼓舞して社員教育が出来ていないからいきなりコンプラ大事になっても、事業内容から東和ヤバい」と報告したり契約解除を進言したりする者が居ない。

土建NGが出たか港湾もアウト、という事を社員説明して理解させていない。それには戦後労働行政の基礎を教えなきゃならないし、それ以前に行政裁量の広さなどを教養として教えておくべきであった。

行政裁量で黙視はOKじゃなくて胸先三寸という事の理解が足りなかった。政府規制緩和を進めている最中なら認められているように見えるが、一旦逆ハン切り始めたら甘い見立ては全て裏切られる

全員の顔を見る支店長会議をして意思疎通が出来ていると思っていた。そんなやり方じゃなくて脳から神経を伝って指先が動くような社内ネットワークを築く必要があった。何しろ東和リースの事を知っている者は沢山居たのにそれがヤバい認識する者が誰もいないというのは異常な組織だ。こんな誤解をしてしまうくらいなら全員会議なんてすべきではない。トップが満足して社員も一体感を感じるだけの堕落を生ぜしめたと言っても過言ではない。

 

いずれにしても、東和リース問題を炙り出せれば倒産回避できたのに、買収した会社開拓した客で、実際はどの会社のどの場所派遣されてるかが派遣された人間に全部聞かないと判らない、途中に港湾業が入っていても契約書にも作業伝票にもどこにも出て来ないという難問であった。

それなのに会社組織の作り方に失敗し、違法操業から出発しているのでコンプラとか言っても念仏としてしか機能せず難問は解けなかったのだ。

 

カカチャンネルなどの人気シリーズ【しくじり企業】では、GW倒産法令遵守に興味がない経営のせい、と結論付けている。

https://youtu.be/QviiLg8rQ48?si=DxamXjc0OxUuDPwg

勧善懲悪的だが、上記を読んだらこれが間違いだと判るかと思う。何故って、他の会社も全て違法操業だったのだ。その中でGWけが急成長して倒産に至ったのだ。会社が大きくなったらやるべき事をやっていなかったのだな。

更に途中でコンプラ意識しないと潰れるという意識上層部には生まれたのに、それを下まで周知出来なかった為に倒産したのである。そんな教育をしておらず、そんな事を知る人間を適切に配置していなかった。

 

また、コンプラと言っても闇雲な全域での遵法が必要という訳じゃなくて、戦後労働行政のコア業務二種を知り、そこを重点的に守れば他は行政指導などで済んだのに、ポイントを外していた。

 

この土建港湾特別扱いの事は、労災社会保険の事を勉強すると出てくる常識的な事で、労働者の権利労働法に強い弁護士とかよりも、会社総務部などに近い知識だ。だから会社」に成り切れてなかったんじゃないか、ということも出来る。

 

で、最後兵庫県知事に戻ると「知事炎上GW倒産港湾利権の闇」なんかじゃない。その構造過去帳入りしている。しか労働行政前例主義沖仲仕保護派遣禁止立場をとり続けていて、時代と時の政府にちやほやされた考えの甘い問題企業がそのシマシノギやってるのを目で追い、風向きが変わった辺りでぶっぱなしたのだ。

こういうアメリカがレンドリース法復活させたみたいな伝家の宝刀抜くのは結構あるので仕事している人は気を付けるべきだ。

2024-09-10

CONCORDのキャラデザ改善する

色調が一定なのでモノクロにすると単色に見える。

から各所のパーツを濃くすることによってメリハリがでるし、カラーでも色が単一すぎるから強調したいポイントに色をつけて特徴づける。彩度も低いから鮮やかにすると目を引くね。

 

 

 

俺はデザインことなんて全然からない。だから上の文章適当なんだけどね。

そういう解説を見たの。でもあそこまで全キャラ暗く色調が統一されているキャラ群を見ると、やっぱりそこにはコンセプトを感じるよね。同じことを何度も言うのはうんざりだ、という程度に共通しているということは共通「させている」ってことのはずだよな。本当に何も考えてないデザイナーならもっとバラバラになってもいいはずなのに。

から、どう変えれば良くなるか。という解説が見たいのではなくてなぜこのコンセプトを採用したのかの解説。およびそれは失敗だったのか(デザインテーマ自体は)成功だったのかの解説のほうが嬉しいよね。

改善者の改善案も同じ考えで同じような変更ばっかだったから、それって悪い点を良くしたのじゃなくてパワポとかで土台のテンプレートの種類を挿げ替えただけじゃない?思想の違いだけなんじゃない?って感じた。

 

 

かにキャラクターの造形は日本人の俺好みじゃないけど、初めてキャラをいろいろ見て方向性統一感はあったので、なんかこう、マップ世界観の色合いとあわせたアートデザインだったのかもなと少し感じた。シューティングからマップに溶け込むよう、わざと目を引きすぎない色合いにしたのかもなって。

…んでもまぁクソださいんだけどね。自分で動かしたくはないけど、相手として出てきたらまぁ倒すべき敵としては分かりやすいんじゃない?相手雑魚NPC見立てるつもりだったのかもしれない。ゲーム中は他人キャラの方が見る機会多いしなぁ。

そういう全体の「なぜ」に切り込むほうが面白いと思うし、個々のキャラダメな部分を指摘してもさほど面白くないんだなと気付いた。

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2024-09-07

道具から見えるマル暴の捕物映像見世物

大阪府警マル暴埼玉川口ヤクザ事務所のガサ入れしたニュース映像の件だが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.mbs.jp/news/kansainews/20240906/GE00060266.shtml

 

これ見て「どっちがヤクザだか判らん」的な事書いてる人は純真すぎるぞ。

一方、「これはプロレス」と言ってる人も結構居て、最近情弱全開はてなとしては珍しい。

埼玉のガサ入れに大阪TV局が行っているワケよ。それって「いついつにどこでガサ」と教えてるって事だ。TVだって暇じゃない。機材があるから新幹線じゃなくて車出す必要があって往復に一日以上掛かる。だから前もって教えてるワケ。

 

ワイヤカッター ボルトクリッパ

今回のは「はよ開けんかい!」と怒鳴ってるだけだが、有名な映像がある。

https://youtu.be/lhe8sRkWh5I

途中で捜査員が大型の工具を持っているのが判るね。これはいかにもごつそうで、扉やドアチェーンの切断に威力を発しそうだ。

だが実はそうではないのだ。工具の先端をよく見て欲しい。オウムの嘴のように丸くなっている。

ワイヤーやチェーンを切断する工具はボルトクリッパという。だがボルトクリッパの先端は直線なのだ

このオウムの嘴型のはケーブルカッターで、銅の電線なのだ。直線刃だとより線の電線がばらけてしまい、端子に入れたりという処理がしにくくなる。そこで、丸い刃で包むよう外周全体から力を入れて切断する。するとばらけない。

但し力点分散するので硬い物は切れない。より銅線は柔らかいので切れる。故に銅線専用(アルミ電線も柔いのでイケる)。

 

昭和の家のドアチェーンは規格が無かったので適当な代物で、軟鉄でチェーンの輪が溶接されて閉じてないものも多かった。

でも玄関設備は防犯上重要なので平成以後は規格がある。鋼で輪が溶接されて閉じてないチェーンは使ってはいけないのだ。

から電線用のワイヤーカッタでは昭和の鈍らチェーンは切れるかもしれないが(刃は欠ける)、平成以後のチェーンは切れない。

 

からあれは実用ではなくて虚仮脅しなのだな。虚仮脅されてるのはヤクザじゃなくて視聴者の方。

 

勘違いしてはいけないのは実際のマル暴刑事も怖い、というか見た目ヤクザだ。私服ヤクザファッションの人が多い。そもそも警邏のお巡りさん以外の刑事というのはほぼ例外無く目つきが悪い犯罪者の目つきなのだ

そんな警察の中でもマル暴ガチでガラが悪い。

都会の繁華街近くに住んでいない人はその辺知らないだろうが、マスコミの方は当然知っている。

からそのステロタイプに会わせて行動して画を撮らせてるって事なんよ。そこに道具の選定の甘さが出ちゃったと。

TV取材受けたあおり運転被害者が「すごく怖かったです。。」と押しなべて言うのと同じだね。「粗暴な加害者vs.弱い被害者」の画をTVが欲しがってるので期待に応えてる。みんなあんなに弱っちい訳ない。増田取材受けたら「出刃包丁顔面めった刺しにして殺したいですよ」って答えるのにな(採用されないだろうが)。

 

中核派VS.エンジンカッター

中核派に対する公安警察のガサ入れでも同じ「画」が見られる。

https://youtu.be/8V6R1N3vO4g

 

この場合は、中核派アジトの鉄扉を切っているのだが、何十秒も切っているのに全然切れてない。

なぜこうなってるかというと、このエンジンカッターに付いている刃はコンクリートなのだ鋼鉄の刃の先端に切れ目があって切れ目の内側が丸くなっている。

これはコンクリート用の刃の特徴で、水を流しながら使う事が必須になっている。刃に切れ目があるのはコンクリ粉塵スラリーにして排出する為だ。

鉄板用の刃はダイヤモンドが練り込まれていて、鉄に当たるともの凄い火花を出す。そしてちゃんと切れる。

 

実はこの1年前にも同じアジトガサ入れがあったんだが、その時はちゃんと鉄用を使っていた。どうも機材を新しくした際に納品されたままで刃の交換を忘れたようだ。

というのも、エンジンカッターの使われ方というのは専ら建物コンクリートスラブに開口する為で、だから新品のエンジンカッターにはコンクリ用刃が付いてくるのが一般的なのだ

 

でもさ、実際に実用として、つまり鉄扉を切り裂いて突入する必要があるのだったら装備品間違えるか?って事なのだ

からこれもマスコミ向けのデモンストレーションの面が大きいって事なのだ所詮見せ金なので雑になったのだな。

大体、ガチ鉄板切開する必要があったら、今はプラズマカッターという強力なものがある。

https://www.youtube.com/shorts/CfDjIxGcBMY

この厚さの鉄板だってこの速度で切れる。戦車の外板だろうと関係ない。エアコンプレッサが必要だが。プラズマで溶かした鉄を固まる前に吹き飛ばすのだ。

なのでエンジンカッター実用としてはマジじゃない。マスコミ視聴者向けのデモなんだな。

因みにこのニュースの翌年のガサではちゃんと鉄用刃に交換されて激しい火花を散らしていました。

 

入管特別部隊

という風に、

カメラがそこにいるのは何故か

取材が何人来ているか

実用に背く装備品の欠陥はあるか

 

って事を意識ながら見ないと、身の方じゃなくてガワのプロレスの方だけに実体があるようなマスコミュニケーションが横行しちゃうわけだ。実ゲームの方には全然手を入れずに、詐欺広告けがどんどんブラッシュアップされていくHERO WARSみたいな事になる。

 

もう一つがその手のトレンドに乗じる者の出現だ。

数年前に入管ツイッター垢が「入国警備官特別部隊」を創設した、としてSWATスーツエンジンカッターなどの装備品写真をアップしていた。(投稿を探しきれなかった)

ツイッターだけで発表されていてマスメディアでの報道はなし、法務省などの広報も見つからないという変な特別部隊であった。

そのエンジンカッターの刃がやはりコンクリ用で、「ああだめだこりゃ」と頭を抱えてしまった。

収容施設内での暴動鎮圧みたいな事を言っていたのだが、だったらそのエンジンカッターで獄舎の躯体切るの?その訓練するの?って話だ。

まり公安のガサ入れの真似をして同じ装備を揃えてネットで発表すれば賛意が得られるという見立てなのだな。実にカルい。

 

はてな情弱老人ホームなの?

なので、実務実用か、伝統芸能プロレスかというのは、細部の道具に現れるというお話であった。プロレス歌舞伎刃物は切れちゃいけないのだ。

 

んでよく見ると、カメラ越しに時代劇殺陣ガチ戦争かの区別もつかない上に、別のリテラシー問題抱えてるブクマもあってあきれ果てるんだが

川口までお出掛けして、クルド人犯罪にもこれくらいドス効かせなアカンのやでと埼玉県警にハッパをかける大阪府警的な絵面

その川口クルドクライムティ説って旧メディアだと産経しか書いてないんだが大丈夫か?産経は常に特殊産経記事ってのがあって他の新聞は一切報じない記事を書く。クルドの前は暇アノンで、その前は水源地が危ない、対馬が危ない歴史戦、溶けゆく日本食育ジェンダーフリーヤバい、と来てる。暇アノン記事書いたのは産経だけだったがあれどうなった?一個でもまともな主張があったか?ナニカグループは?

ネット川口クルドで騒いでいるのはXとはてなだけ。しかはてなは暇アノンの中心だったしその前は新コロ弱毒社会免疫PCRと延々とデマからデマへとやってる情弱インセル老人ホームみたいになっとる。

そんな場所視聴者に向けて半分プロレスやってる映像を見て「これはクルドの事で埼玉県警にハッパ」とか言っちゃうの。もう見てられない。

古参で昔は「凡人と違う視点持てる俺様閣下」的な立ち位置だった筈だが、そういう自意識けが残って凡人的能力研鑚が後手になったんかね。、

20年も過ぎたら欲しがりません勝つまでは高度経済成長になるし、学生運動高潮バブルになるし、独自社会主義路線評価されてたチャウシェスク民主革命処刑される。無理も無い。そういう人向けにはてなはこれからも安寧のうつろ言論空間提供してくれるだろうから蜘蛛女のキス』のラストみたいな余生を送って欲しい。

しかはてなで昔斜に構えてた人間は全滅してるな。正面に構える事が出来なくて凡人の足元にさえ至らないのばっか。

 

報道によると今回ガサ入れされたヤクザ領家一家というのだが、事務所から東に10分歩くと領家って土地がある。昔はそこにいて引っ越したのかも知れないな。

因みにニュース建物映すと場所バレするので地主迷惑が掛かる。だからその辺りも警察マスコミで調整というか、「映していい物件か」を予め把握してある筈だ。今回はモザイク無しで映してるから関係者の所有物件なのかもしれないね

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