2010-08-13

せんぱいの話。

先輩は、目も眩むような職に就いた。

紆余曲折あったが、「なかなかすごいね」と言われる僕らの大学の中でも圧倒的なところへ就職していった。

政治経済学部法学部をブチ抜いて、彼はたった一人そこに到達し、あっという間に辞めた。

先輩は、一言で言えばへんな人だった。

二年遅れで大学に入って来た彼は最初大学を「教授ケンカして」辞めたそうだ。

必修単位を取るために頭を下げるくらいなら、潔く大学を辞めるべきと考えたらしい。

そんなわけで、彼はウチに大学に来た。昔いた大学は教えてくれなかったが、

就職実績と反比例する形で偏差値の高止まりを続けるこの学部にあっさり入ってくるくらいだから

それなりのところから来たんだろうと思う。昔は法学をやっていたらしい。

先輩は大体喫煙所か、喫茶店か、本屋かあるいは酒のあるところにいた。

ロングピースが好きなのだが、予算の都合でエコーばかり吸っていた。でも、彼には煙草を恵んでくれる

先輩、後輩、友人がたくさんいたので、いつも楽しそうだった。高田馬場ロータリーで、たかれる相手を探す

先輩に気づくと、ぼくはよく逃げ出したものだ。あの人と話しているうちにいつの間にか僕は酒を奢ってしまうし、

なんとなくいい気分になって家に帰ってしまうのだ。そして、財布を見れば大体空だった。

あの人と喋っていると、あらゆる夢は実現可能に思えたし、実際に実現可能だった。

先輩は人をよく褒めた。今思えば、彼の才能で一番凄かったのはそこだろうと思う。

先輩と話していると、自分が本当に優れた人間のような気がしてくるのだ。彼は本能的になのか、それとも経験のなせる業なのか

とにかく「ここを認めて欲しい」と人が思う場所を的確に探り当ててつつくことが出来た。

そして、それを伸ばすことが出来た。大学時代、彼の周囲には夢追い人がたくさんいて、

彼らの夢はおおよそ叶った。司法試験に受かった人、国家一種に受かった人、うちの大学でもそうはいない人たちが彼の周りにはいた。

この二人はぼくの友人でもあるのだけれど、未だに先輩への尊敬を口にする。特に司法試験に受かった彼は、ロースクールの学費を先輩に工面して貰ったのだ。「足を向けて寝られない」そうだ。

先輩はたかり癖を持つ一方惜しみなく与える人だった。

車をぶつけて困ってる後輩がいれば走り回って金を工面し、不動産屋ともめている友人がいればニコニコしながらやってきて

マシンガントークで交渉した。そういえば、先輩は「俺は不動産屋と宗教勧誘が好きなんだ」と公言していた。

エホバの証人」の勧誘がついに来なくなってしまったと落ち込む先輩を見た時は、こんな人間もこの世にいるのかと驚いた覚えがある。日曜日の最高の楽しみだったらしい。そのために先輩は缶コーヒーを箱で買っていた。彼なりの歓待だったのだろう。

実は、車をぶつけて困っていた後輩とは僕である。

情けない話であるが、保険まで切らしていてにっちもさっちもいかなくなった。

先輩はどうやったのかわからないが、ポンと(当時の僕としては)大金を貸してくれた。

アルバイトするくらいなら飯を食わない」「奨学金以外の収入は汚れている」と主張してやまなかった人が

必要な時にはすぐにお金を工面できるのは本当に謎だった。

先輩は親に仕送りストップされており、奨学金の一種と二種と給付を併用して三畳間に暮らしていた。

彼の部屋は隙間無く本に埋もれており、留守か、と思ったら本の山が崩れて先輩の足が飛び出すといった感じだった。

その中に敷いた煎餅布団の上にガスコンロを一つ置いて、先輩はよくラーメンを煮ていた。よく火事にならなかったものだ。

そして、先輩は日々をなにをするというわけでもなく暮らしていた。たまに小説を書いているようなそぶりがあったり、あるいはふと何か実用的な勉強をしていることもあったが、およそすることと言えば酒をたかる、喫煙所煙草を吸う、授業で教授をおちょくる、本を読む、ラーメンを食う、マージャンをする、といったものだった。その大体に僕はついて回っていた。楽しかったのである。

先輩は四年生の夏、ふと僕に「スーツを買うから金を貸してくれ」と言い、一番安いツルシのスーツを一つ買って

企業の夏採用に突貫していった。あれは大体留学生枠の上先輩は二浪なので、どう転んでも無理だろうと思っていたら

彼はあっさりと内定、その後就職していった。その信頼を利用して金を引っ張り後輩に貸付けたのがその後のことである。

先輩は三年働くとあっさり仕事を辞め、会社を立ち上げた。

会社名を言うと先輩を特定されてしまうだろうと思うので、ちょっといえないのだが

今はかなり上手く言っているようで、一部では時々名前を見かけるようになった。

僕はと言えば、やはりある程度夢も叶って働いている。でも、理想現実は全然違う。

ところで、当時の仲間たちが、「せんぱい」を中心に未だに人間関係を持っていて、しかもその多くが収入をそこから得ているという事実に驚く。

未だに思うけれど、彼みたいになりたかった。

彼と居れば、世界は意のままになるような気がしたし、実際先輩はなにもかもそうしているような気がする。

水面下での苦労はきっとあるんだろうけれど。あれほど大きかった夢が今しぼんで、先輩のことばかり考えている。

そりゃあ、やりたい仕事ではあったけれど。労働環境なんてそれはそれはひどいものだ、収入だってかなり悲惨だ。

でも、こんなことを言ったら先輩は怒るだろうと思う、だから電話出来ない。

先輩と話したい、彼と話せれば何もかも上手くいく気がする。でも、こんな有様ではとてもそんなこと出来ない。

学生時代に戻りたい、仕事が、辛い。でも、望んで就いた仕事なんだし、背中を押してもらって得たものなのだから

誰にも不満なんかいえない。先輩の話を聞くたびに、辛い。あんな風になりたかった。

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