はてなキーワード: シノギとは
鉄腕アトム「透明巨人の巻」という話がある。若き天才である花房博士が物質伝送機のせいで、ウサギ、魚、ロボットの融合した怪物になってしまうエピソードで、「ハエ男の恐怖」が元になっている。その最終部で、博士が悪党を罰するために物質伝送機であちこちに飛ばしてヒーヒー言わせるドタバタがあるが、その中でラインダンスの真っただ中に飛ばす。悪党どもが冷や汗をかきながら一緒に踊ってごまかす横で、レオタード姿の女性が並んでいる。
また、これはどこで読んだのか忘れたのだが、手塚治虫が宝塚劇場を訪れ、レオタードというか舞台衣装の女性に囲まれて興奮のあまり卒倒しているコマのある漫画があったと記憶している。
つまるところ、こういうスカートやレオタードのラインダンスは宝塚が起源なのだろうか?
まずは基礎的な情報を手に入れるために、ウィキペディアで「ラインダンス」を検索した。すると、意外な事実に行きあたった。
ラインダンス(Line Dance)とは、ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス。主にカントリー・ミュージックやポップスなどの曲で踊られることが多いが、音楽ジャンルに特に限定は無い。
また日本ではポンキッキーズという番組で知名度を上げている。本番組の場合では、主に小中学生の女子は椅子を一列に並べた状態で、ポンキッキーズれていた[ママ]曲や洋楽を流しながら座ったり立ったりしてラインダンスを行う形だった。それに加えて普通のダンスを混ぜて行う為に非常に難易度が高かったが、成功すると非常に見た目がよく、放送当時はこのダンスを学芸会や体育祭で取りあげる学校も多かった。
ひらけ! ポンキッキ!から視聴していた自分のような人間からすると非常に懐かしい。しかし、あの女子たちの踊りは確かに脚を上げるものではなかった。
それならば、あの踊りの名前は何か? 散々探し回った結果、次のことが分かった。横に並んで脚を上げる踊りはロケットダンスと呼ぶそうだ。なるほど、このキーワードで探すとたくさん見つかる。リンクが多いと投稿できないので、冒頭のhを抜く。
ttps://www.youtube.com/watch?v=4i7y6XE7sz8
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm31659056
ttps://www.youtube.com/watch?v=fVewBno93RA&list=RDfVewBno93RA&start_radio=1&t=137
名称は、米国のダンスカンパニーロケッツからだろうか?(後ろの男性諸君の笑顔がいい)
ロケッツは、1925年にセントルイスで、「ミズーリ・ロケッツ (Missouri Rockets)」として結成された。創設者のラッセル・マーカートは、1922年にブロードウェイの「ジーグフェルド・フォリーズ」で見た「the John Tiller Girls」(英国のダンス・グループ)にヒントを得て、「もし、もっと背が高くてもっと脚が長いアメリカ人の女の子たちに、複雑なタップダンスと目の高さのハイキックをさせることができたら...イチコロだ!」と確信した。
だが、ここから名前が来ているとすれば、ラインダンスはフレンチ・カンカンではなくアメリカ起源ということになる。
第二次世界大戦終結後の1946年に、宝塚音楽舞踊学校を宝塚音楽学校と改称し、4月22日から宝塚大劇場で公演を再開した。再開第1作は『カルメン』『春のおどり』の二本立てで、大戦中に入団した計3期69名がラインダンスを披露した。
とある。ここまでは想像がついた。宝塚ではなく松竹のであるが、おおよそ同時代の写真がある。
1927年、岸田辰彌が欧米遊学から帰国。岸田はこの経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を日本人の世界旅行記をテーマにして制作する。同年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒット、当時としては露出の高い豪華な衣装も話題となった。ラインダンスを初めて演目に取り入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、少女歌劇のレビューに欠かせないものとして定着する。
つまり、ラインダンスは1927年にまでさかのぼるのだ! 実際問題、当時としては露出の高いと書かれているが、それがどの程度かはよくわからない。ウィキペディアに写真はあるが不鮮明だからだ。歯がゆい!
しかし、1930年の「パリゼット」の写真はあった。確実なことは言えないが、ほぼレオタードだ。日本国内で初めてバレエが演じられたのは1911年の帝国劇場であり、レオタード的なものに対する抵抗は、わずかながらも減っていた可能性がある。
今まで、同じ少女歌劇団としてこの二者を併記したが、それぞれカラーは大きく異なる。長くなるが、「松竹歌劇団」の項から引用する。
宝塚歌劇との比較では、松竹歌劇の方がよりスピード感と大人の男性の嗜好(色香)を優先した演出を行っていた。これは片や下町の浅草、片や山の手の日比谷(東京宝塚劇場)という、両者が拠点とした土地柄の違いによるものともされるが、前述のように、東京松竹が発足する以前から、松竹レビューの基本要素には「エロティシズム」が含まれていた。青地晨は次のように述べている。「昔はズカファンにとっては松竹は下品でみられなかったし、SKDファンには宝塚は気取って鼻もちならなかった。だが、二派に分れてシノギを削るほど、本質的な違いはなかったにせよ、宝塚と松竹と、それぞれのカラアと伝統があったことはいうまでもない」。戦後の占領期には松竹・宝塚両方を取り上げる雑誌が複数刊行されており、ある程度観客層の重複もあったとみられるが、戦前からのファンには、両方を愛好するファンを「節操がない」と批判する向きもあったという。
こうした説を補強する、次のような画像がある。
1932年、松竹の「らぶ・ぱれいど」公演の様子。 明確にレオタードを確認できる。
スポーツ新聞ではラインダンスを撮影するとき、たいてい脚を上げているところを映しており、これってどうなのか、と思わなくもない。最近、女子スポーツの写真をことさら性的に撮影することを阻むため、JOCが対策に乗り出すことにしたそうだ。いいことだと思う。女性がスポーツを思い切り楽しむとともに、写真を撮る楽しみも守られるよう明確なガイドラインを望む。それと同時に、スポーツ新聞のこういうチアのアンスコばっかり撮っちゃう傾向にも一定の歯止めがあってしかるべきだろう。ついでにノーバン始球式という表現もギャグが滑っている気がする。
しかし、自分も同罪かもしれない。ある程度読んでもらうためにはタイトルを工夫せねばならず、レオタードで読者を釣ってしまっている。
上記の松竹歌劇団の動画が含まれているリストをたどっていると、驚くべきものを見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=BVKkNAf1ruI&list=RDfVewBno93RA/
なんと、1940年代にはすでにチアの見せパンのようなものが存在していた! こうなると、見せパンの歴史はサーカスの衣装などにまでその調査を広げないといけない。もっとも、これは見せパンなのかスカート付きレオタードなのか判然としない。一瞬お腹は見えてるけど……。
英語版ウィキペディアのshortの項には、bun huggers(ショーツみたいなブルマー)について次の記載があった。
In 2008 it was noted that the International Volleyball Federation used to require that female volleyball players wear such garments while playing.
なんと、ブルマータイプの衣装の強制が21世紀になっても行われていたのである。にわかには信じがたい。以前にはビーチバレーの衣装の強制について調べたが、問題はここにもあったのである。
さいわい、こうしたことは昨今になって改善され、好きなものを着ていいことになった。動きやすいようにショートパンツが多いが、ブルマーが強制されなくて本当に良かった。
僕はブルマーが好きだ。だが、強制は大嫌いだ。ブルマーが好きなら嫌がる女性にはかせて喜ぶなどもってのほかだ。
それとは別に「Short shorts」と呼ばれる短パンがあることも知った。自分が以前の記事で1930年の The Women’s League of Health And Beauty=The Woman’s League of Health and Beautyのブルマー風のものやナチス時代にブルマーにカウントしていたのはこれだったかもしれない。やはり写真だけではわからないことが多いが、念のため訂正しておく。ブルマーの世界的な分布についても、再考を要する。
今回は、フレンチ・カンカンへの興味から派生して、ラインダンスについて調べた。1930年代にまでさかのぼることが分かったが、それがフレンチ・カンカンからの影響を受けているとはっきり示すには至っていない。彼がパリにいたのは名高いMistinguettが活躍した時期のことで年代に矛盾はないが、証拠は不十分である。
また、追加調査により、ブルマーや見せパンの広がりの年代がかなりずれる可能性が見つかった。今後も調査に役立ちそうなキーワードが見つかり次第、記録していきたい。
はてなー、詳しくない問題だと途端にアホな反応喚き散らすんだな……
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202005260000646.html
黒川前検事長の定年延長がそもそも違法だったとか、法務省の内規では懲戒のはずなのに訓告なのはおかしいとか、検察庁法改正案はおかしかったとか、そういう批判はいいですよ。賛成します。でも「2006年に賭け麻雀は違法だと閣議決定していたのに黒川氏の刑事責任が問われないのはおかしい!」みたいな批判はおかしい。
だって、政府が言ってるのは「レートはテンピンで高額ではない」ってことでしょ? 「テンピンは合法」なんて言ってなくない?
テンピンの麻雀でも賭博罪にあたるのなんて常識で、誰もそこは否定してないよ?
たとえ1円でもカネを賭けたら賭博罪が成立するのは明らかで、そこに争いはない。法解釈を持ち出して「たとえ1円でも賭博は賭博だ!」って言われても、はいそうですねそんなのは議論の前提ですね誰でも知ってることですね、としか言えない。2006年の閣議決定もそういうことでしょ。一般論としては当たり前だけどテンピンでも賭博罪にあたりますよ。
問題は、「従来はそのくらいのレートなら見逃されて、刑事責任を問われてこなかった」ということなのだ。
「レートはテンピン」というのは、「それは合法」ということではなく、「そのへんのリーマンがこのレートで遊んでる分には見逃してきたんだから、今回も刑事責任を問わなくてよくない?」ということだ。
そもそも賭け麻雀、というか単純賭博は昔から「犯罪ではあるが、基本的に立件はされない」枠だった。そりゃそーだろ。仲間内で合意の上でカネを賭けているだけで、失われるのは合意の下で賭けた自分のカネだけ。形式上はたしかに犯罪だが、誰の権利が損なわれているわけでもないんだからわざわざ摘発する必要性は薄い。レートもテンピンならせいぜい大負けして数万、このぐらいなら大人の遊びの範疇だろう。
賭博で警察沙汰になっているのは、単純賭博でめちゃくちゃレートが高かったり、闇カジノに通っていたり、胴元が決まっていて一時の遊びを越えたシステムになっていたりする場合だ。特にスポーツ選手が賭け事で捕まったとかいうのはたいてい最後のやつ。こういうのは単純賭博罪ではなく賭博開帳図利罪という別の罪になり、胴元としてヤーさんが絡んでくることも多いので仲間内で遊んでるだけの単純賭博罪よりも処罰が重くなる傾向がある。闇カジノに行く場合も同様。ああいうのって反社の皆さんのシノギですから。
だから「賭博で捕まったあのスポーツ選手は重い罪を食らってるのに、黒川検事長が無罪放免なんて!」みたいな主張はたいてい眉唾。そのスポーツ選手と前検事長とではそもそも適用されている罪が違う可能性が高い。違う罪なら科される刑罰も違って当たり前。大相撲の野球賭博だって、刑事罰とかの厳しい処分を食らったのは基本的に胴元やってた連中で、仲間内で数千円程度の賭け事やってた連中は厳重注意とかの軽い処分で済んでる。
もちろん刑法には常習賭博罪というのもあるわけだけど、黒川検事長程度の行状(つまり、顔見知りのお友達で定期的に卓を囲んでいた程度)が常習賭博罪として立件されるようになったら、いきなりお縄をかけられることになるそのへんの一般人がたくさんいると思う。年齢や社会的地位を無視すれば、友達の家で持ち寄ったものを飲み食いしながら賭け麻雀してるってだけで、こんなん麻雀好きの友達同士なら大学生やサラリーマンだってやってることでしょ。
政権に近い大物検事が同人作家やってたことが発覚して、「著作権法違反で処罰しろ!」って言われてるみたいな感じ、って言えば恐ろしさが伝わるかな?
「エロゲー割ってファイル共有ソフトで共有してた○○選手は有罪判決食らったのに!」って言ってるやつがいたら罪のレベルが違うって思うじゃん?
頼むからそこを政争の具にしないでくれよというか、安倍政権憎しでそのへんの麻雀好きがまとめて捕まりかねない主張をするのやめてくれとしか言えない。特に違法性を国会で言い募る立憲民主党とか、黒川氏を刑事告発した弁護士さんたちとか、あなたたちは善良な小市民の人権や自由のために活動してきたんじゃなかったんですか、っていう失望感がすごい。
いやほんと、これまでの慣例なら黒川氏くらいの賭け麻雀ならマジで刑事罰の対象になんてならないからね。知人や友人同士が、おうちで、テンピンで行う賭け麻雀なんて警察や検察からは黙認されてきたというか、処罰されることなんて基本的になかった。メンツにヤーさんが混じってたとかなら話は別だけど、新聞記者とかお堅い職業の人たちばっかりだったみたいだし。
検察人事ではあれだけ従来の慣例を尊重しようと主張してたんだから、賭博罪の立件のハードルについても慣例を尊重していただけませんかね。
もちろん、形式的には違法なので処罰がされるべきだ、という主張には一理ある。悪法もまた法なりってやつだね。当然こういうこと言う人はアラン・チューリングが逮捕されたのも仕方ないって思ってるんだよね? 当時のイギリスでは同性愛は犯罪だもんね。エルサルバドルでは中絶は犯罪で、中絶の罪に問われた女性は刑務所に入れられるんだけど、これも法律で決まってることだから当然だって主張するんだよね? 本気でそう思ってるなら一貫性があって尊敬に値するけど、そうは思わないっていうならなんでこの件では慣例を無視してまで法律の墨守を主張するんだよとは言いたくなる。
最後にちょろっと書いとくけど、俺はノーレート派。賭け麻雀ってちっとも楽しくない。だって手作りよりも失ったカネのことが気になっちゃってちっとも麻雀を楽しめないんだもの。賭け麻雀自体は好きな人が遊ぶ分には自由だし単純賭博罪を撤廃しろよと思うけど、それはそれとして「麻雀をするなら賭けて当然」みたいな風潮は滅びてほしい。