はてなキーワード: コーヒー牛乳とは
ぼーっと見てたらまた増田書こうと思えたので自分用に書き出してきた
繰り返すが、もし仮にタイトルがちょっと面白そうであっても本文を検索するのはお勧めしない(投稿確認時に諦めていて投稿されてないかもしれない)
あとなんでこの人食べものの話ばっかしてるんでしょうね
アナログ選局ラジオを買ってしばらく経つがコミュニティFMがかかっている
イオンでこにく(🐔肩肉)がパックで売ってたので買ってきた
ウーバートーユ
くらえ420ルーメン
このタイミングなら聞ける! コーンフレークって「牛乳かけてもおいしい」ってあるけど
スキル分岐《人前でも個室トイレ(大)に入れる》を取得しました
その作品はネタ切れモチベゼロでもう書けないが、創作活動は同じ名前で続けたいとき
ただいま増田では淡水魚飼育やちくわ生食など魚に関する話題がホットです
ていうかミンティア過剰包装じゃね?
とうゆだいすき
ネトゲ内オークションで4,545,072ゴールドの値をつけたらリジェクトされた
ひなまつり向けのえび入りスナックが売ってる。去年買っておいしくなかったが残り3種ある
ヘイ増田UnityのC#エディタをVSCodeにする利点教えろ
また目薬どっか行った
ラジオを買ったのだが、オーケーグーグル再生ストップができないのでつらい
Rangeを表す変数名
3年ぐらい前にドンキでペーパードリップセットが特価販売してて衝動買い
超安かったという印象だけ残ってる
内容は以下
毎朝朝食のときに
飛び散ったり狙ったところに行かなかったり、なんかこう不格好
値段も1000円ぐらいで手頃だった(気がする)1.2Lのステンレスポット購入
細口のやつ
コスパ重視で500gとかを買ってたが一人暮らしだと結構減らない
必然開封後の日にちが経ってしまうわけだが、後半明らかにドリップするときに元気がない
味もなんか微妙気がする
もっと小分けになってるお高いやつを買うか迷う
いろいろ調べると豆挽いたら2週間とかで消費しないといけないらしい
豆で買って挽けばいいという結論
今だったらダイソーの500円ミルに飛びついてたと思う、が、当時なかった
実売価格的にはこれの上の大きさのやつでも良かったんだが、実物みて回しにくそうなので見送った
のちにこの判断が良かったと思うことに(後述)
入れてるときの粉の感じがぜんぜん違う、挽きたてすげーな
一人暮らしだと基本2杯分くらいを直接マグカップにドリップするスタイルに
4杯取り用に2杯分だと粉が少ない
小さいドリッパーを物色
ペーパーが台形のヤツのほうが入手性高し、そのへんのスーパーで売ってる
よきかなよきかな
とりあえず安いのを買って見る方針
豆や気分によるが20g~25g、90℃前後、出来上がり220g~300gでドリップ
夏にアイスコーヒーで飲むように
しかし一人暮らし用の冷蔵庫に自動製氷機能なぞなく作り忘れたり面倒に
水出しをやることに
50gも手動で挽くのしんどい
プロペラのやつはなんか評判良くなさそうだったので早々に除外
本格的なやつは置き場ないしお高いし除外
紆余曲折ありデロンギの四角いコンパクトなやつを購入5000円ぐらい
楽だし早い、よきかなよきかな、ただうるせー
前述の電動ミル値段なりのため少々粗もある
そうこうしてるときにハリオスマートGの電動アダプタの記事を見る
ちょっと悩む
電動部分だけも発売しはじめてセラミックスリムも対応していると知る
ポチる1万ぐらい
いいっすわこれ丁度いい
他のドリッパーも気になりだす
とりあえずハリオV60の小さいのを購入
メリタも気になりだす
やっぱり結局購入する
今はハリオ→カリタ→メリタ→ハリオ→・・・の固定ローテーションしてる
2杯取りに使いやすい0.6Lぐらいの鶴口ホーローポットを追加
他は片付けが面倒らしいと思い切れてない
ペーパードリップの片付けの楽さは神だと思う
現在に至る、結局楽なやり方に落ち着いた
今のところシングルオリジンとかスペシャルティコーヒーとかはあまり興味ない
たぶんめっちゃ美味しいコーヒーが飲みたいというより作業が楽しいタイプ
インスタントコーヒーやコーヒー牛乳も定期的に飲みたくなる
これはこれで好きと感じる味覚
あえてアラビカ種ではなくロブスタ種の豆を仕入れてみるのもありか、値段次第
まだまだ全然沼にハマってないはず
うん万円する電動ミル買ってないし
沼は深いなー
わーめっちゃコメントついてるこんなに反応あると思ってなかった
流し見しただけだけどめっちゃ参考になりそうでありがたい
後で時間とってじっくりしっかり読ませていただきます、取り急ぎお礼をば
各地方の沼先人の方々お誘いありがとうございます
自家焙煎沼からの圧が強い気がしますがきっと気のせいですねたぶん
コーヒー沼広大すぎ
ほんとそう感じます、ありがたいです
おすすめされた豆屋を調べつつ、ハンドピックしてみたり近所によさげな自家焙煎店ないか探してみたりしようとかと
忘れてた水の話
とりあえず今のところは市販の浄水器つけた水道水で自己満足している
もっと豆にこだわり始めたら水もちゃんとミネラルウォーター使い出すんだろうなと思っている
そのときに水道水と軟水ミネラルウォーターとの違いがあんま感じられず今に至ってる
ドリップ時の粉の感じもぜんぜん違う
泡がもったりというかねっとりというかそんな印象
色もより暗い感じの泡
味は苦味がはっきりわかるレベルで強くなる
深くは調べてないけどミネラルのマグネシウムとか味覚的には苦味になるしそのへんと科学反応してんだろーなーとか考えておもしろかった
一晩中、気分だけは踊り狂うような状態になる。
体調にもよるが、コーヒー1杯でそうなる。
珈琲豆から挽いたコーヒー、インスタントコーヒー、缶コーヒーなどがキまりやすい。
コーヒー牛乳を飲んだ時はこうはならない。
昨日の昼についついドリンクバーで2杯ほど砂糖とミルクをたっぷりコーヒーを摂ってしまったのが原因だ。
味は好きだ。
久々にガンギマリ。
一晩中眠れない状態になって今に至る。
朝から掃除洗濯をしたり、みんなが寝静まっているというのに一時間以上グループラインで延々と投稿し続けるという醜態を犯した。
ラインで、お前やばい、とかつての同級生から指摘を受けて自分がカフェイン中毒でみなに迷惑をかけてしまったのだとはっと気づいた。
辛うじて分別は残っている。
いや、分別は残ってないのかもしれない。
どうなんだろう、よく分からない。
その差分を考えたら、根底に、誰かと声で話したい欲求や孤独なんかがあるんだろうな、と思った。
とりあえずカフェインが抜けるまでは、人と喋りたくても友人知人には連絡を取らない方がいいのだろう。
十年後に交友は復活できるだろう。
さらば友よ。
私が前回このカフェインフィーバーにはまったとき、世界が大回転して自室でぶっ倒れているのである。
簡単には死なないだろうと高をくくっているが、鼻血もどくどくと流している。
根拠はないが私は死なない。
しかしもしものことがあるので、警察や救急車の必要がある事態に陥るかもしれない。
逢える友人はいない。
家族はない。
仕事もしてないので顔を合わせて誰かと会話することもない。
カフェインは好きではない。
うっかり飲んでしまう。
アル中ってこんな感じかな。
さあ水を飲もう。
毒を出そう。
だけど周りにあるのがもっと健康に悪いものであるならそれの中の栄養価が高いものを主食にするしかない。
でも気をつけないといけないのは、同じような味であっても全く栄養価が違うものがたくさんあること。
シリアルバーの代わりにチョコバーを食べればビタミンが間違いなく欠乏する。
間食をメインにして生活するってのは、自分が今口にしてるものの栄養価をちゃんと確認する必要の高さを認識すべきってことなんだな。
恐ろしいことに、インターネットには栄養価の表記が義務付けられていない。
もちろん、相手が普通の食べ物であっても、毎日同じものばかり摂取してたらおかしくなるのは当然だ。
人間関係が偏ることほど恐ろしいことはない。
だが、気をつけなければいけない。
増田は旅の本質ってやつに少し手が届いていると思う。自覚がないだけで。
名所旧跡を見たとか写真撮ったとか、確かにそういうのは旅の本質じゃない。つーか、パッケージ旅行で到着した名所旧跡なんてただのコンテンツで、はっきり言えば編集したビデオ映像でも見る方がなんぼか意味ある。それでも、建築物とかは内部の構造や音の反響とかを体感できるという意味はあるんだけど、それはまあ興味があればって話で。だいたいのところ、意味ない。「有名なアレの本物を見た!」つー感動はあるだろうけど、だいたい「写真で見るよりちっちぇーなぁ……」とかだったりするので、それなら写真で見てワクワクしてた方がいい。
でもさあ。むしろ「詰まんない」とこに、旅ってものの本質があるんだと思うんだよ。コンテンツにならない違和感、非日常性。ただ「そこにいる」ということの価値。たとえば自宅に「場所としての特別感」があるなら、当然、どこか別の場所には別の場所なりの「特別感」はあるんだよ。旅行者にとっては、街がまるごとテーマパークみたいなもんだよ。海外に行けば言葉違う、通貨違う、町の人が食ってるもんも違う、隣を歩いてるおっさんの顔も違えば職業も違う。聞いたことのない人生、生活、常識がそこにある。街角で喫茶店に入る。さて何を頼むべきか?観光客がなるべく戸惑わないように、観光地のソレは「よそ行き」な顔をしているけど、本当の地元の喫茶店は「よそ行き」の顔なんかしてない。その街に行かなければ分からない「顔」をもってる。それを見て、すげえ詰まらないんだけど「おぉ~」とか思う。そういうとき、「ああ旅だなあ」って思うんだよ。
だから、
温泉だってどこのやつに入ってもそんなに違いを感じねえし、すぐのぼせて上がってしまう 脱衣所のすのこ(?)の床の質感とかはすげー好き
いいじゃんか! すのこも街によって違うぞたぶん。コーヒー牛乳が全国にあるとも限らんしな。地元の「当たり前」が旅人にとっては「当たり前」じゃないんだよ。
メシにしたって貧乏性でつい旅先でも安いものを求めてしまう いやいや、せっかく来たんだから奮発しようぜ!とときどき思って高いものを食うと、まあうまいんだけど、そりゃ高いんだしな…という気持ちが先に立ってしまって満足度が低い
いやいや、それでいい。安いものでいいんだよ。観光客向けのよそ行きのご飯じゃない飯。地元の古い店に入ってみれば、ただのカツ丼にも地元ならではのこだわりがあるかもしれんよ? しょうゆの味一つ、塩加減一つ、カツは卵と煮るかあとからぶっかけるか三つ葉載せるか、街によって好みは違うもんだ。
旅行でいちばん好きなのは宿の部屋に入る瞬間 部屋の鍵をあけ、薄暗い部屋に入っていって電気をつけるときのワクワク感はかなりある
荷物置いてそのまま寝るってことはほぼなく、そのあともう一度出かけないといけないから、あんまり気を抜いてダラダラはできねえんだけど、だからこその良さがあるというか、外出着のまましばらく横になるあの気持ちよさは替えがたい
そう、宿はいいんだよな めちゃくちゃ良い
いや、分かってるじゃねえか。自分の家ではないところで、仮の宿にいる。なんなら、そのまま宿で三日ほど過ごしてもいい。主人に謂われを聞いてみたりしてな。昔誰が泊まっただとか。実にぜいたくだ。
とにかく少し腰を落ち着ける。空気を味わう。地元の人と会話する。地元の飯食う。寝る。そして起きたら知らない街。それが「旅」情ってもんだと思うぞ。あー旅はいいなあ…。
いろんなものを「母語が何か」で分ける風潮はクソだと思ってます
他にもたくさんあるだろうけど、こんな感じで言語が違うと別のものとしてとらえる傾向があるのは、本当に嫌い。
「イメージが違う」のは別に良いだけど、語義を勝手に別ものにして「この二つは本当は別物です!」とか言うの本当に勘弁してほしい。
カフェオレは牛乳入りコーヒーという意味のフランス語。カフェラテはコーヒー牛乳という意味のイタリア語。何となく、感覚として、カフェオレがドリップコーヒーを使ったコーヒー牛乳で、カフェラテがエスプレッソを使ったコーヒー牛乳だと思っている人がいるけれど、どちらも同じ意味。
ちなみに「コーヒー牛乳」と表現すると乳製品扱い、つまり牛乳にコーヒーの風味ををちょっと加えたものだと思っている人もいる。
どっちもスペルは同じなんだけど、ピザははフランス語読み、ピッツァはイタリア語読み。何となく、ピザはパン生地に近く、ピッツァは生地が薄いイメージ。ちなみにピザカッターが一緒に出てくるのはピッツァ呼ばわりされる。
ちなみにこの二つはもちろん同じ意味。
どちらもスペルは同じcurryなんだけど、カレーは日本語読み、カリーは英語読み(タミル語読みでも可)。何となく、カレーは白いご飯にかけるジャガイモ入りのもので、カリーはサフランライスやナンと一緒に食べるタイプのイメージがあるけれど、どちらも同じ意味。
他にも「家庭料理はカレーで、本格派のものはカリー」と分ける人もいる
ちなみに、鍋で茹でるものをライス、鍋で蒸すものをご飯、とも呼びますね。(ライスの作り方だとでんぷんがお湯に溶け出して、それが最終的に破棄されるため、米がパラパラになる)
今日は非常にだらけた1日を送っている。
実家にいたら親に「あんた1日何もしないでよくいられるね。少しは動いたら?」と言われるだろうぐらいにだらけている。
YouTubeでやりもしないだろう5分で簡単DIYの動画を無感情でみて、なのに何か甘いものが食べたいなー。と惰欲求だけは立派に働いている。
ACだかが戦下にいる子供たちの事をCMしているのを見てもなお、だらけた格好で甘味を求めている。
清々しい程に晴れた格好の散歩日和。歩いて5分のコンビニにいけば求めてるだろう甘味は手にはいる。それすらする気になれず、ただただ部屋でだらけている。
隣の家の洗濯物を干しているあの洗濯バサミがいっぱいついているアレが、ベランダの金属か何かにあたってカチカチ言っているのが少し腹立たし以外にはなんの感情もなく、だらっと時間が過ぎている。
世の中の人達は今、何をしてるんだろうか。
きっと歩いて5分のところにあるコンビニの店員達はせっせと接客をしていて、近くを通る路線バスの運転手は、乗車する人もいないのに定刻通り運行する為に働いているのだろう。
頭が下がるばかりだ。
今日、珍しく甘い物が飲みたくなって滅多に踏み入ることのない給湯室へ何度か行ったんですが、そこで2回ほどバッタリ鉢合わせた人がいて「今日よく会うね!」なんて言われました。
甘い飲み物カロリーとか気にする?って尋ねたら「食べ物は気にするけど、飲み物のは全然気にしない!甘い糖分はイライラを沈めてくれるのよ!」とその人は自分のストックから甘いコーヒー牛乳を、ほれ飲めと1つもらってしまいました。
そんなつもりじゃなかったんですが、自分が飲もうと思ってた飲み物はそっとまた冷蔵庫にしまいました。バーンと勢いよく冷蔵庫の扉を閉めていったので、そうだったんでしょうか?今度からその人をなだめるために何かスイーツのストックでも忍ばせておいた方がいいのかなと思いました。
「コーヒー」と表現される飲み物は、実は種類がとてもたくさんあると感じている。
コーヒーにまつわる議論が尽きないのも、自分にあったコーヒーがわからないのも、
大抵の場合は対象がきちんとフォーカスできていないからだ、と言いたい。
「お茶」は緑茶、紅茶、ほうじ茶などの大まかに味のイメージが湧く名前があり、広く認知されて使い分けされているように思う。
抹茶・玉露・深蒸し茶などと、抽出方法、品質、加工の種類などでも名称が変わったりして多少は混乱するが、それでもその飲み物がどういう味なのか大まかな共通認識があるのではなかろうか。
一方コーヒーの場合、缶コーヒー、コーヒー牛乳、インスタントコーヒー、レギュラーコーヒーなどをすべて「コーヒー」と言いがちだが、それぞれ別のジャンルの飲み物なので話が合わない。
またレギュラーコーヒー以外は、ベースのコーヒー自体は味の傾向がほとんど同じで、深く焙煎した香りと苦味を特徴としていることが多いため、「コーヒー」の中では狭い範囲の飲み物だ。これを「コーヒー」と認識している人も多かろう。
実際の「コーヒー」には深煎りも浅煎りもあるし、エスプレッソもドリップもある。品種や産地、加工方法などで分類することもあるし、加糖やミルク、クリーム等で調味することもある。それぞれ全然違う味・香りの飲み物になるのだけど、「コーヒー」と呼ばれちゃう。
「ワイン」と言って赤ワインと白ワイン、スパークリングワインなどを一緒くたに語ることはあまりないのに、コーヒーではそれが起きているのではなかろうか。
言葉は文化的・歴史的にどのようにその対象と触れ合ってきたかが影響するし、地理的な差も大きいので仕方ないのだけど、なんだかなぁ・・
コーヒーが飲めない。
美味しいと思えない。苦いよね。
でも大人ってコーヒー飲める人が多い気もするし、なんやかんや差し入れとかで貰うのも缶コーヒーだったりする。
これ言うとコーヒー好きに「それはコーヒーじゃないww」って言われるけど、あんだけ甘くないと飲めないんだよ、ってだけ。
差し入れでコーヒーを貰うと誰かに飲んで貰ってるし、喫茶店とかは抹茶系か紅茶類。
コーヒーが飲めたらもっと色々飲めるし、フードメニューが気になっててもコーヒーが売りだからって行けないままのカフェにも気兼ねなく入れるんだろうなぁ、と思う。
もうじき30になるけど、今後「コーヒー美味しいな」って思う年齢が来るんだろうか。
それともやっぱりずっと飲めないままなんだろうか。
美味しいと言われるコーヒーを飲んだら変わるんだろうか。
それともどれを飲んでも苦手な物は苦手なままなんだろうか。
飲めなくたって支障はない。
でも飲めたら良いな、と思う。
追記。
夜食を食べに行って満腹で寝て起きたら反応来ててビックリした。
しかも辛口かなって覚悟して読んだら甘口ばっかで更にビックリした。ありがとう。
ちょうど旅行先だったからホテルのラウンジでコーヒーもらって飲んでみた。
やっぱ苦いや。でも成人前とか、母から一口もらって飲んだ時に比べたら苦くない気もした。豆の種類もあるのかな?
職場でこういうこと聞くと「わざわざ飲めるようにならんでも良いじゃん」って笑われて終わることが多いから、コンビニとかでコーヒー買って色々試してみようと思う。
甘いお菓子と、ってコメあったからココナッツサブレでも食べながら飲むよ。
飲めなくたって支障はないよね。
でもなんだろう、母がコーヒー派で、私はお茶派で、家で何か飲む時はあれもこれも1人分を作るのが面倒だからって私に合わせて紅茶やら緑茶を飲んでたらしい。
嫌いなわけじゃないしね、って言ってたけど、私が家を出てからはコーヒー生活を満喫してる、って聞いて、じゃあ次は私が母と一緒にコーヒーを飲んで美味しいね、って言うのも親孝行になるかな、って思ったのもある。
そう言えば、コメ見て気付いたけどルイボスティー飲んだことないや。ハーブティーが苦手だからルイボスティーは飲まず嫌いしてたな。結構周りで飲んでる人多いし美味しいのかな?
牛乳は元来白い食品であるのでパッケージも白一色、文字だけ黒、とする素直なパッケージングも発想としてあり得るし実際そう言った商品もあるが、それでは目立ちにくい。
そこで色を使うことを検討するが、牛乳は様々な食品ないし飲料と混ぜて飲まれる習慣があるため、例えばパッケージに茶色を使えばコーヒー牛乳を想像されてしまうかもしれない。またピンクを使えばいちご牛乳、黄色を使えばフルーツ牛乳(これも少し疑問だが)など色によって味への先入観が生じてしまうのである。
こういった先入観が少ないもの、つまりなるべく食品には存在しない色を使用した方が誤解も少なく無難である。よって淘汰され残った青が必然的に選択されたのだ、なんて説はどうだろうか。