はてなキーワード: エジソンとは
言語は抽象化されたデジタルな概念だけど、それを出力するのに発生器官を用いるとアナログな情報が出力されることが辛い。
でも最終的にはそれをデジタルな情報に直していかないと会話は成立しない。
「浜田さん」と口にしたいとき、発音が悪いと「アマダさん」になり、さらに電話や相手の耳が悪いとそれが「ヤマダさん」に変化する。
もしもメールでやりとりしていればこれは起こらないし、もし起こっても「あなたは確かに「アマダ」と書いてますよね?」と聞き返すことが出来る。
音声はそれがない。
音は出した瞬間に消えるし、もしも記録されていても記録機器の性能によって劣化する。
人間の耳が持つカクテルパーティー能力のせいで除去されていたノイズがモロに乗ってくる。
だが恐ろしいことに発生した本人はその音から「ハマダ」を確かに拾ってくる。
いやそもそも、生まれてきた地区や育ってきた環境によって同じ音でも発生方法が違ったりする。
日本人はRとLを区別できずにすべて「ら行」にすることで知られているが、それは日本人の発音する「ら」がRとLの中間で行われるからであるが、これは外人からすれば理解不能の子音である。
標準語と呼ばれる実質的な東京弁は存在するにはするが、それだって完全に全国で同じ発音が用いられているかは怪しいものだ。
つまり、文字として思い浮かべた言葉を口を使って出力するというD⇔A変換が行われた時点で、その正確性はまずもって失われるのである。
これが本当に辛い。
なぜ、わざわざ正確性を下げてる必要があるのか?
人間はもっとデジタルなものをデジタルなままで出力することに対して拘るべきじゃないのか?
むしろアナログで出力することを有難がる節さえあるのは理解に苦しむ。
それは音楽データをコピーする際にCDのデータを直接パソコンに取り込む代わりに、スピーカーで再生したものをマイクで保存するようなものだ。
狂っているとは思わないのか?
私は思う。
「積極的に欲しいわけではないけど出来ちゃったら、その時は親になる時が来たって事で覚悟を決めてちゃんと育てるよ。少子化だしね」
「産める内に産んどかないと後悔するって聞いたことあるし。あの時産んどけばなーって後悔するのやだよね」
「両親も孫欲しがってるしね」
無理だーーーー
産みたくねえーーーーー
結婚して幸せな今でさえ「もし選べたなら生まれて来たくなかったな…」って思ってるのに
私の顔が遺伝すると考えると顔も期待できない=理解ある彼くんを捕まえるのも大変
ていうか理解ある彼くんが出来たところで普通の人生が歩めるわけじゃない
アインシュタインやエジソンやビルゲイツやスティーブジョブズみたいな特別な才能なんて、殆どの発達障害者が持ってないやん
産む気ではあったけどいざ妊娠となるとだめだー
おろすー
同じような人いない?
特許ゴロは悪い
単なる新規性のない特許であればそもそもニンテンドーはじめ他社が異議申し立てで潰せる
その説明をしてやろう
特許ゴロとは
・自分で実施しないくせに許諾料もバカ高いためにだれもがそこを意味もなく避けてとおらざるをえない
存在のことをいう。
ちなみに、アメリカで有名な特許ゴロは自動車のワイパーの仕組みで特許をとった人とか、ハッピバースデートゥユーの著作権ゴロとかがいる。
アメリカはエジソン、リンカーン、アインシュタインといった特許で国を立ち上げた人たちがいっぱいいるのでプロパテント政策といってゴロ化をゆるしていた
(というか日本など他の国でも本来はそのくらい創作者を尊重すべきなのかもしれない)
あと三匹のヤギのがらがらどんという絵本で橋の下から通行料を徴収しにでてくるトロールというのがいたのを覚えているだろうか。
これだけみると特許ゴロ死ね、実施しないなら商標みたく取り消せばいいジャンとおもうだろう。
ところが大学の先生とかTLOつかってるような(産官学の産じゃない)研究者だと、実施する資金力は最初からない。
あとライセンスということになれてなくて安いかとおもったら条件が厳しく、条件を緩めてもらおうとすると急にバカ高いというかへんに敷居を高くしてくる。
理由は相場観がなかったりいろいろだ。一応自社社員じゃないので文句もいえない。
ナチュラルボーン特許ゴロかな?みたいなケースになりかねない。
なのでちゃんとした研究者も研究成果を権利化してもらわないと外国に全部もってかれておわるだけなので制度改正はできません。
ゴロと非ゴロの努力家研究者は本質的に同じもので、外部が適当にレッテルを張るだけだからね。
おわり
妹の子供の「何で勉強が必要なの?学校の勉強なんか大人になって役に立つの?」という問いに
夫婦で「いい大学に行って、いい会社に行くため」と答える以外に、まともに答えられず納得させられなかったらしくSOSを受け取った。
俺の両親は、高卒。妹も高卒。妹の旦那は地方の私大卒なので、勉強する意味を聞く相手として、一応は東大を出た俺にお鉢が回ってきたと。
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勉強する意味が分からん、社会に出て役に立つとは思えない、と言って勉強を嫌がって、お母さんを困らせてるらしいなw
でも、偉いぞ。そう感じること、答えを知りたがるのは大事だ、勉強する意味はそこにある。
お前の疑問に対するおじさんの答えは、学校の勉強は意味はあるし大人になって役にも立つということだ。
じゃあなぜ?と、お前は聞く訳だが、まだ大学にも行ってない今のお前に、数学や物理を大学で勉強したことが、俺の仕事でどんなふうに役に立っているか?を具体的に説明するのは難しい。
幾つでも例は出せるんだけど、今のお前にはピンとはこないだろうし。
だから、もっと簡単で身近な例え話で説明する。なんとなくごまかされた気がするかもしれんが、とりあえず聞け。
そもそも勉強ってのは大人になっても出来るし、おじさんも今も勉強はしてる。
だけれど、子供の時ほど勉強する時間は、もう持つ事が出来てないし、知識が増えすぎてお前が持ってる様な純粋さは失ってる。
だが、子供の時に多くの時間をかけて勉強したことは、おじさんにとっては大事な財産だし、お前にも同じ財産を作ってほしいと思う。
それはどういうものか?
何でだろうってのを自分に問うということだな。
仕事を始めると、おじさんのお客さんなんかに「こういうことで困ってるんです。お金を出すので解決してください」と頼まれる様になる。
多くの場合、そういう問題は大人になってから勉強した事も解決の為の道具になる。だから、単純に解決するだけならば、テクニックは大人になってからでも間に合うよ。
だけど、その裏には何故そうなるのか?という本質的な問いが沢山含まれている訳だな。
何か仕事をするときに、どうしてそうなるのか?それは何なのか?をかつて疑問に思って調べた事があって、その知識を持って説明するのと、そうでないのとでは
説得力にも大きな違いが生まれるし、仕事をする上でも結果に大きな差が生まれる事になる。
もっと身近な話をしよう。例えばだ。
インフルエンザになったとしても、病院へ行って薬を飲んで寝てれば治るという対処方法を知ってれば、治るし、生活する分には困らない。
だけど、インフルエンザってのは、どんなウイルスが起こす病気なんだ?って疑問に思って、何故感染してしまうのか、どうすれば防げるのかを調べていれば、アルコール消毒するとか、マスクするとか対処方法をさらに工夫できる。
インフルエンザがどういうものか?を勉強した後に、ノロウイルスとのウイルスとしての構造の違いをしっていれば、ノロウイルスはアルコール消毒ではダメで、次亜水という別の薬品が必要だって事も分かる。
コロナウイルスのワクチンが、どんなふうに作られているかを知っていれば、HIV陽性判定が出たからと言っても恐れる必要もなくなる。
何故?という問いを持って答えを勉強したかどうかで、小さなことでも変わってしまうわけだな。
今、お前が勉強していることは、人間の何万年って歴史の中で、昔の人たちが「何でだろう?」って疑問に思って、答えを見つけて来た事の集大成なんだよ。
昔の人が、インフルエンザなんて治ればいいんだって思ってる人ばかりじゃなくて、インフルエンザとはそもそも何だ?と疑問を持って勉強した人が
インフルエンザの予防接種を作ってくれて、今生きている俺らはインフルエンザを予防する事も出来ている。多くの病気は、そうやって治療方法を発見されてきた訳だ。
教科書に書いてあるのは、昔の人が持った疑問の答えなんだが、勉強すると言う事は、その答えに至るまでの本質的な疑問を1つでも2つでも、昔の人と共有するという事なんだ。
お医者さんが学生の間に多くの事を学ぶのは、患者を診た時に症状から病気を診断して治すためだけど、試験に受かる為に教科書を覚えてるだけでは典型的で簡単な例しか治せない。
何故だ?何が違う?と色々考えている学生は、医者になった時に難しい症状でも対処出来て多くの人を救えるかもしれない。
でも、不思議に思って、考えて、間違えて、また考えてって繰り返すのは、とても時間がかかる。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
英語が話したいだけなら、大人になって海外にでも引っ越せばすぐに話せるようになる。
だけど、言葉がしゃべれるだけよりも、外国人の名前の由来とか語源とか、なんで?と思ったことをたくさん知ってる方がいい。
アメリカ人やイギリス人は生きてるだけで自然に子供の間に身に付く文化や教養だけど、俺たちは意図しなければ英語が話せるだけの無教養な外国人のままだ。
だけど、こんなとりとめのない疑問は、それこそ仕事に追われてる大人には追いかける余裕もない。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
今、お前が学んでいることはとても簡単なことだ。だけど、いきなり難しい事は分からないし、それに考える事も難しい。
難しいことを考える為には、簡単なことから考えている必要があるのは分かるな。
一番最初に小学校で教わる1+1=2 ってのいうのだって、当たり前ではない。
本当に、そうなるのかな?という事を、誰かが疑問に思って、そうなるよって答えを探してきたから、1+1=2ですと教わるんだ。
1+1=2になるのは何故かって?それは大学に行く年にならんと流石に難しいな(笑
だが、後で噛み砕いて教えてやるよ。でも、いいぞ。エジソンだって、そうやって疑問に思ったんだ。
答えだけを聞いて納得してはいけない。放射線が怖いものだって事しか知らない大人が
10年前に大地震があった後に、とんでもない嘘をバラまいてた。あんな風に、恥ずかしい大人になってはいけない。
不思議に思ったら、疑問に思ったら、それを捨てないで考えて、それでも分からなければ先生とか、大人に聞けばいい。
でさ、なぜ学校の教師の事を、先生と呼ぶか不思議に思ったことはないか?
昔の中国では老師とも言うんだが、昔の中国人が「先に生きて学んだ人を師としたい」という文章を残していて、先に生きたという言葉から、教えを授かる師を先生と呼ぶ
という言葉が生まれたと言われていると、何かの本で呼んだ。つまり、先生というからには、お前の持つ疑問も先に持ってきたはずだよな。
という知識も、俺も何で先生なんて呼ぶの?と、子供の時に思ったから知ってる。
勉強したくない、何で勉強するのか分からない、それはもっともなことだ。意味わからんことはしたくないよな。
疑問を持って自分で解決するってことを繰り返せば、自然に学ぶことが楽しくなる。
いい大人が、勉強しとけば良かったとか、今になって勉強が楽しいと言うのは、自分の疑問を自分で解決する喜びを改めて見つけたからだ。
お前は、今からそれを実感するといい。それがお前の一生の財産になる。
仕事をするようになった時に、勉強してきたことが自分を支えてくれてる事を実感するか、勉強しとけば良かったと思うか、それで人生は変わるよ。
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なんとなく分かった様な顔でふむふむと頷いてる甥っ子の横で話を聞いていた妹夫婦の方が感動していたという。
まぁ妹が理解したなら、後は何とかなるだろう。
四時から今朝けさも やって来た。
つめたい水の 声ばかり。
凍こごえた砂利じゃりに 湯ゆげを吐はき、
火花を闇やみに まきながら、
蛇紋岩サアペンテインの 崖がけに来て、
やっと東が 燃もえだした。
鳥がなきだし 木は光り、
青々川は ながれたが、
丘おかもはざまも いちめんに、
まぶしい霜しもを 載のせていた。
やっぱりかけると あったかだ、
僕ぼくはほうほう 汗あせが出る。
もう七、八里り はせたいな、
今日も一日 霜ぐもり。
軽便鉄道けいべんてつどうの東からの一番列車れっしゃが少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車きかんしゃの下からは、力のない湯ゆげが逃にげ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突えんとつからは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
そこで軽便鉄道づきの電信柱でんしんばしらどもは、やっと安心あんしんしたように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木うできを上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
シグナレスはほっと小さなため息いきをついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞しまになっていっぱいに充みち、それはつめたい白光しろびかりを凍こおった地面じめんに降ふらせながら、しずかに東に流ながれていたのです。
シグナレスはじっとその雲の行ゆく方えをながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延のばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言いいました。
「今朝けさは伯母おばさんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」
シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。
「カタン」
うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスは急いそいでそっちをふり向むきました。ずうっと積つまれた黒い枕木まくらぎの向こうに、あの立派りっぱな本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車れっしゃを迎むかえるために、その上の硬かたい腕うでを下げたところでした。
「お早う今朝は暖あたたかですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊へいたいのように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。
「お早うございます」シグナレスはふし目になって、声を落おとして答こたえました。
「若わかさま、いけません。これからはあんなものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気を送おくる太ふとい電信柱でんしんばしらがさももったいぶって申もうしました。
本線のシグナルはきまり悪わるそうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消きえてしまうか飛とんでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。
雲の縞しまは薄うすい琥珀こはくの板いたのようにうるみ、かすかなかすかな日光が降ふって来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原のはらを行く小さな荷馬車にばしゃを見ながら低ひくい調子ちょうしはずれの歌をやりました。
「ゴゴン、ゴーゴー、
酒さけが降ふりだす、
酒の中から
霜しもがながれる。
ゴゴン、ゴーゴー、
ゴゴン、ゴーゴー、
霜がとければ、
つちはまっくろ。
馬はふんごみ、
人もぺちゃぺちゃ。
ゴゴン、ゴーゴー」
それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。
その間に本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、そっと西風にたのんでこう言いいました。
「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮やばんなんです。礼式れいしきも何も知らないのです。実際じっさい私はいつでも困こまってるんですよ」
軽便鉄道けいべんてつどうのシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低ひくく、
「あら、そんなことございませんわ」と言いいましたがなにぶん風下かざしもでしたから本線ほんせんのシグナルまで聞こえませんでした。
「許ゆるしてくださるんですか。本当を言ったら、僕ぼくなんかあなたに怒おこられたら生きているかいもないんですからね」
「あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困こまったというように肩かたをすぼめましたが、実じつはその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光しろびかりを出していました。
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次つぎの十時の汽車が来る時腕うでを下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言いっていた風が、この時ぴたりとやみました。
「あら、そんな事こといけませんわ」
「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言いうんです。僕あなたくらい大事だいじなものは世界中せかいじゅうないんです。どうか僕を愛あいしてください」
シグナレスは、じっと下の方を見て黙だまって立っていました。本線シグナルつきのせいの低ひくい電信柱でんしんばしらは、まだでたらめの歌をやっています。
「ゴゴンゴーゴー、
やまのいわやで、
熊くまが火をたき、
あまりけむくて、
ほらを逃にげ出す。ゴゴンゴー、
田螺にしはのろのろ。
うう、田螺はのろのろ。
本線ほんせんのシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事へんじのないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕ぼくはもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵ふちのようだ。ああ雷かみなりが落おちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火ふんかが起おこって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕くだけ。足もと……」
「いや若様わかさま、雷が参まいりました節せつは手前てまえ一身いっしんにおんわざわいをちょうだいいたします。どうかご安心あんしんをねがいとう存ぞんじます」
シグナルつきの電信柱でんしんばしらが、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍やりをぴんと立てながら眼めをパチパチさせていました。
「えい。お前なんか何を言いうんだ。僕ぼくはそれどこじゃないんだ」
「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申もうし聞きけになりとう存ぞんじます」
「いいよ、お前はだまっておいで」
シグナルは高く叫さけびました。しかしシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄うすくなって柔やわらかな陽ひが射さして参まいりました。
五日の月が、西の山脈さんみゃくの上の黒い横雲よこぐもから、もう一ぺん顔を出して、山に沈しずむ前のほんのしばらくを、鈍にぶい鉛なまりのような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重かさねられた黒い枕木まくらぎはもちろんのこと、電信柱でんしんばしらまでみんな眠ねむってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。
「ああ、僕ぼくはもう生きてるかいもないんだ。汽車が来るたびに腕うでを下げたり、青い眼鏡めがねをかけたりいったいなんのためにこんなことをするんだ。もうなんにもおもしろくない。ああ死しのう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷かみなりか噴火ふんかだ」
本線ほんせんのシグナルは、今夜も眠ねむられませんでした。非常ひじょうなはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向こうに青白くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便鉄道けいべんてつどうのシグナル、すなわちシグナレスとても全まったくそのとおりでした。
「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言いえないでお返事へんじもできないのを、すぐあんなに怒おこっておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様かみさま、シグナルさんに雷かみなりを落おとす時、いっしょに私にもお落としくださいませ」
こう言いって、しきりに星空に祈いのっているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸むねを張はって、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。
ふるえながら言いました。
「あたし存ぞんじませんわ」シグナレスは声を落として答えました。
「シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉ことばでしょう。僕ぼくはもう今すぐでもお雷らいさんにつぶされて、または噴火ふんかを足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒たおされて、またはノアの洪水こうずいをひっかぶって、死しんでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情どうじょうしてくださらないんですか」
「あら、その噴火や洪水こうずいを。あたしのお祈りはそれよ」シグナレスは思い切って言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。
「シグナレスさん、なぜあなたは死ななけぁならないんですか。ね。僕ぼくへお話しください。ね。僕へお話しください。きっと、僕はそのいけないやつを追おっぱらってしまいますから、いったいどうしたんですね」
「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配しんぱいありません。大丈夫だいじょうぶです。僕ちっとも怒ってなんかいはしませんからね。僕、もうあなたのためなら、眼鏡めがねをみんな取とられて、腕うでをみんなひっぱなされて、それから沼ぬまの底そこへたたき込こまれたって、あなたをうらみはしませんよ」
「あら、ほんとう。うれしいわ」
「だから僕を愛あいしてください。さあ僕を愛するって言いってください」
五日のお月さまは、この時雲と山の端はとのちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで顔色を変かえて灰色はいいろの幽霊ゆうれいみたいになって言いました。
「またあなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火ふんかか洪水こうずいか風かにやられるにきまってるんだ」
「あら、ちがいますわ」
「そんならどうですどうです、どうです」
「あたし、もう大昔おおむかしからあなたのことばかり考えていましたわ」
「本当ですか、本当ですか、本当ですか」
「ええ」
「そんならいいでしょう。結婚けっこんの約束やくそくをしてください」
「でも」
「でもなんですか、僕ぼくたちは春になったら燕つばめにたのんで、みんなにも知らせて結婚けっこんの式しきをあげましょう。どうか約束やくそくしてください」
「わかってますよ。僕にはそのつまらないところが尊とうといんです」
すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気ゆうきを出して言いい出しました。
「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡あかあおめがねを二組みも持もっていらっしゃるわ、夜も電燈でんとうでしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」
「え、ありがとう、うれしいなあ、僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来みらいの妻つまだ」
「ええ、そうよ、あたし決けっして変かわらないわ」
「結婚指環エンゲージリングをあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」
「ええ」
「あのいちばん下の脚あしもとに小さな環わが見えるでしょう、環状星雲フィッシュマウスネビュラですよ。あの光の環ね、あれを受うけ取とってください。僕のまごころです」
「ワッハッハ。大笑おおわらいだ。うまくやってやがるぜ」
突然とつぜん向むこうのまっ黒な倉庫そうこが、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。
ところが倉庫がまた言いいました。
「いや心配しんぱいしなさんな。この事ことは決けっしてほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込こみました」
その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。
今は風があんまり強いので電信柱でんしんばしらどもは、本線ほんせんの方も、軽便鉄道けいべんてつどうの方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽こまのようにうなっておりました。それでも空はまっ青さおに晴れていました。
本線シグナルつきの太ふとっちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼めを細ほそくして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。
シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日は巡査じゅんさのようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱でんちゅうに聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。
「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛いたみはしませんか。どうも僕ぼくは少しくらくらしますね。いろいろお話ししますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事へんじをしたって僕ぼくのところへ届とどきはしませんから、それから僕の話でおもしろくないことがあったら横よこの方に頭を振ふってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向むこうでは、僕たちのように仲なかのいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌ざっしで見たんです。ね、あの倉庫そうこのやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受うけたのなんのって言いうんですもの、あいつはずいぶん太ふとってますね、今日も眼めをパチパチやらかしてますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体ぜんたい、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚けっこんしたいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛いたくなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら」
それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。
シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待まっていました。電信柱でんしんばしらどもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。
シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛いたいのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊くまのように吼ほえ、まわりの電信柱でんしんばしらどもは、山いっぱいの蜂はちの巣すをいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届とどきませんでした。
「ね、僕ぼくはもうあなたのためなら、次つぎの汽車の来る時、がんばって腕うでを下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心けっしんはあるでしょうね。あなたはほんとうに美うつくしいんです、ね、世界せかいの中うちにだっておれたちの仲間なかまはいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命めい、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全まったくチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲まげていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」
「若わかさま、さっきから何をべちゃべちゃ言いっていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情ふぜいと、いったい何をにやけていらっしゃるんです」
いきなり本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらが、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方とほうもない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青さおになってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直なおしました。
「若わかさま、さあおっしゃい。役目やくめとして承うけたまわらなければなりません」
シグナルは、やっと元気を取り直なおしました。そしてどうせ風のために何を言いっても同じことなのをいいことにして、
「ばか、僕ぼくはシグナレスさんと結婚けっこんして幸福こうふくになって、それからお前にチョークのお嫁よめさんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下かざしものシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながら思わず笑わらってしまいました。さあそれを見た本線ほんせんシグナルつきの電信柱の怒おこりようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上のぼせてしまい唇くちびるをきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下かざしもにいる軽便鉄道けいべんてつどうの電信柱に、シグナルとシグナレスの対話たいわがいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。
ああ、シグナルは一生の失策しっさくをしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信柱がいて、知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経へて本線シグナルつきの電信柱に返事へんじをしてやりました。本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらはキリキリ歯はがみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでばかのようになってどなりました。
「くそっ、えいっ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生いぬちくしょう、あんまりだ。犬畜生、ええ、若わかさま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまっているとお考えですか。結婚けっこんだなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱の仲間なかまはもうみんな反対はんたいです。シグナル柱の人たちだって鉄道長てつどうちょうの命令めいれいにそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父おじですぜ。結婚なりなんなりやってごらんなさい。えい、犬畜生いぬちくしょうめ、えい」
本線シグナルつきの電信柱は、すぐ四方に電報でんぽうをかけました。それからしばらく顔色を変かえて、みんなの返事へんじをきいていました。確たしかにみんなから反対はんたいの約束やくそくをもらったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼たのんだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに今さらポカンとしてあきれていました。本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備じゅんびができると、こんどは急きゅうに泣なき声で言いいました。
「あああ、八年の間、夜ひる寝ねないでめんどうを見てやってそのお礼れいがこれか。ああ情なさけない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない、メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界せかいをお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」
風はますます吹ふきつのり、西の空が変へんに白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやって参まいりました。
シグナルは力を落おとして青白く立ち、そっとよこ眼めでやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣なきながら、ちょうどやって来る二時の汽車を迎むかえるためにしょんぼりと腕うでをさげ、そのいじらしいなで肩がたはかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙なみだを知らない電信柱どもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。
似たような子供だったと思っているけど実際にお前の子供のことは知らない素人の意見、程度に全く当てにせずに聞いて欲しいんだが……。
結局のところ、ギフテッドだとしても、エジソンやジョブスになることじゃなくて、生活費が稼げて友達が作れる人間になることが大事だ。
そうするためには、確かにお前の言うように、授業のときは授業できるようになるべきだ。
誤学習を排除して全部うまくやるとか、社会との軋轢を全部無くしてあげるとか、そんなの無理だと思う。むしろ社会と上手くやれないって前提で、それなりに上手くやる方法を学ぶしかないんだから。ああ、あれは誤学習だったんだなあ、って中学生ぐらいになってからでも分かるならそれでいいわ。
先生方がいまやろうとしてるのは、その準備なんじゃないかね。ちょっと叱られたぐらいで、自分に価値がないとか思われたら困るわけで、そのならないためにはまず自己肯定感、っていうか、肯定された経験だよね。
どうせ貴方の子供は、これから死ぬほど怒られていくんで、いまから完璧なトレーニングが出来るようにしたいとか、考えなくていいと思う。
俺もわりかし苦労したけど、まあどうにか食べてるよ今は。
乙武やパラ選手、カナー自閉症などの人達は生得的な困難だけど「生きてるだけで辛い」とかじゃないぞ。
アインシュタインやエジソンやビルゲイツの類の成功者たちも「生きてるだけで辛い」とか言ってないし、ALSでもそんな奴は多くない。
「辛い」っていうラベリングは文化から後天的に学習した心理的なもの。
だからメンヘラよりも酷い境遇の、死ぬレベルの虐待児童・やまゆりレベルの障害者でも「辛い」と訴えることがない。
これを言うと我々の先天的な乙武レベルの脳障害を理解してない!!とボコボコにされるが
自身の面倒をみろと政府に要求するようなメンヘラは、後天的な問題だ。
トイレトレーニングしてもらえなかった子どもは俺のオムツを変えろ!と泣き喚くしかないのだ。
同レベルの能力・精神年齢の人達でも実家の太さ時代の良さで成功安定しているのだから、俺にも下駄を履かせろ俺をジャンプさせろっていう主張は一理ある。
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。
子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。
子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。
まさに自慢の作品たち!って感じなのよ
仕事を辞めて心血注ぎ込んで大事に育てたものだから、子供の成長が自分のキャリアみたいなとこあるのよ
子供なんて勝手に育つものだから手柄にしちゃうのも図々しいけど
立派に育ってくれて
長男長女は生徒会長を務めるし、部活や習い事も結果を出して官僚、医者、大企業×2と親としては自慢したくなるようなところに勤めてくれて
いやーやりきりました!って感じなの
だが、なんだか何も残らなかったなーと虚しい
言っちゃ恥ずかしいが、子育てって頑張ったら子供はエジソンになるんだと思ってた
どっちも東大行って
みたいな
医者って、世の中に山ほどいるし
あっ普通じゃん、って
就活だって勉強だって並々ならぬ努力してたのも知ってるし、すごいんだなってのは自分もわかる
けど、なんだろう
子供らは普通に幸せそうにしてくれていて、母親としては嬉しい限りなんだけど
普通に優しくて、普通にいい仕事について、普通に生きてくれてるけど
元が良くて、頑張っても
普通の人(特上)になるだけだった
子供に習い事させたり学費を出したりしてると、家計は普通に庶民。毎年海外旅行に〜なんて無理だし、一生堅実にコツコツ生きてローンを返そう、みたいな。せいぜい学校が私立になるぐらい。
スーパー経営者になって毎年海外旅行に行って欲しいわけじゃない。そうなってもきっと今とおんなじ気持ちだろう。
子育てって、普通に育って御の字だということを育てきってから知った。問題ばかりの子供だったら、今の姿にすごく感激するのかもしれないが、幸い特に問題児という子はいなかった。
自分の夢に向かって努力するのは相応の夢が見れたんだけど、なんだかなあ。
わたしが期待しすぎなのだけど、ほんと、こんなもんかーって拍子抜け感が半端ない。
というか何を期待して育てたんだろう……。
何になってもきっとこんなものだったんだろうな。
子育て、楽しかったけど残るものはないな。「お盆は車で帰省します🚗」とか長男のお嫁さんからLINEきてるから、またフツーの若夫婦がフツーに孫連れてフツーにやってきて
魔法使い、革命家、とんでも発明家…とかだったら楽しそうなのに。
歳のせいなのかな。サラリーマンも退職後、人生が虚しくなるっていうし。子育てを通して自己実現、とかわたしには無理だったわ。子育てで実現するのは子供の人生であって、わたしの人生ではなかった。こんなことなら、花道の先生にでもなりゃよかった。
再就職目指せるぐらい若かったらなーと思いつつ、Pythonを勉強してるけど昔ほど楽しくない。
この先も大したことなさそう。人生見通したっちゃって飽き飽きする。若いうちに世界一周とか、もっと素敵なことしてればよかった。この歳で、アフターコロナじゃ無理だわ。
平凡を望む性質でもないのに、平凡に生きて、平凡なハイスコアで、でもやりたいゲームじゃなかったから全然満足できない。
時代的に子供産んだけど、そんなに望んでなかったのよね。旦那大好きだけど、医者じゃなかったらなあ。
人生普通なのってつまらないのね。子供がいるうちは何かとバタバタしてて気付かなかった。子供の成長だけがギャンブルだったわ。あとは犯罪でも犯さないことを祈りながら消化するだけ。