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はてなキーワード: アルバムとは

2016-10-23

宇多田ヒカルファントームが期待外れでせつない

全米1位とか、母親になって更に声がよくなったとか、世間の持ち上げが半端ないことに違和感を感じるのはわたしだけでしょうか?

日本アーティストで好きなの宇多田ヒカルぐらいだしアルバムで聞かない曲なくて全ていいって思うのも宇多田ヒカルぐらいだった。

からひっさびさにアルバム出るとかだいぶテンション上がったし絶対買うわ!て思ってたけどいざ視聴してみたら…あれ?なんか、あれ…?て思っちゃった。

みんな母親になって声が更に良くなったっていうけど、「道」とか声透き通り過ぎてなんかあれ?てなった。

曲も聴けば聴くほど癖になるってとこまでいきそうにない。

でも世間では絶賛されてるからわたしの嗜好が変わっただけなのかな…初めてアルバム買わなかった。

なんか悲しい。またあの頃のヒッキーに戻ってきてほしいな。。

2016-10-22

宇多田アルバムを聴いて母が死んだら私は悲しんでいいのだと思えた

私は「母」がテーマになっている曲が苦手だった。

理由世間で言われる「母」という存在に対する感情共感できないから。

そんな私が宇多田のfantômeを聴いて、少し母と自分について書いてみたいと思った。

私の母は私が甘えることや泣くことを嫌った。

今でも「私のび太みたいなのが大嫌い」とドラえもんを見ている私に言っていたことを覚えている。

小さい頃の思い出に祖父母や父に甘えた記憶はあっても母に甘えた記憶がない。

その頃の母の記憶はさみしくて構ってほしくて泣いている私が常にセットだ。

あと母親は私が何をしても褒めてくれなかった。

成績が良くても、何かで賞をとっても。

彼女教育方針がそうだったのか。

純粋にそれ以上のことをやってきたであろう彼女にとって褒めるべきことではなかっただけのことなのか。

それとも身近で私そのものを観ていて、表向きなそういう評価意味を感じなかったのか。

そういう諸々のせいなのか多分母が死んでも私は泣かないんじゃないか、悲しまないんじゃないか、と考えてきた。

物語現実の中で見かける「母が死んで悲しむ」ということが頭では理解できても感情的理解できない。

ハンターハンター最初のほうで「恋人母親どっちを助ける?」みたいなクイズがあったけど、選択余地なんてない、どう考えても恋人一択

更に言うと、介護しなくて済むようにぽっくり逝ってくれたらありがたい、くらいに素で思っている。

かといって、私は母が嫌いなわけではない。むしろ好きだし尊敬している。

仕事ができて、若々しくて、快活で、勉強も怠らない、等々…

母の好きなところ、尊敬しているところを挙げればキリがない。

逆なことを書くようだけれど決して私に冷たかったわけでもなく、放任主義でどちらかと言えば甘かった。

私が選ぶことは基本的肯定してくれるし、途中必要があれば金銭面でも助けてくれた。

今でも年に一回くらい「今度そっち行くからご飯どう?」と連絡が来て二人で食事に行くくらいの仲でもある。

ただし、「母」として私は母を感じきれていない、とでも言えばいいのか。そんな感覚

こういうことを30を過ぎてからよく考えるようになったのは、私という人間の諸々が色々な経験を通して少しずつ見えてきたときに、

母という存在を抜きに考えることができなかったからだろうと思う。

まあ、アダルトチルドレンとかパーソナリティ障害とか私なりに調べてみて論理的に思うところは色々あるけど、ここでは省く。

そんな私が宇多田アルバムを聴いたとき、やはり最初彼女の歌う言葉には共感できず、サウンド面だけをとって「いいアルバムだなぁ」と思って聴いていた。

それが何度か聴いているうちに少しずつ変わってきた。

アルバムの中の母に対する愛を表現した歌詞のところで私は何とも言えない感情を持っていることに気づいた。

その感情を考えたとき、私がどうしても感じられなかった「母」という存在を少し感じられたように思えた。

それは多分、彼女の歌う「母」への愛が私にとって、純度の高い、人それぞれの「母」に対する想いの皮を捲っていった先にある「母」という存在理解させるものだったから。

私が、母が、お互いをどう感じ考えていようが、変わらないことがあって、それを30年以上生きてきてやっと素直に受け入れられた。

そう気づいて母の姿を思い浮かべると、私が踏み込み切れない何かがあることに気づく。

多分その先が「母」なのだろう。

その「母」は母自身の快活な笑顔が壁になっていて、どうしても私には踏み込むことができそうにない。

ただ、その笑顔が消えたとき、その壁も一緒に消えて、私は「母」に会えるように思えた。

そして、そのとき私は「母」を亡くしたことを悲しんでいいのだと思った。

でも、そのとき私は私側にある壁を自ら壊せるだろうか。

2016-10-20

Facebook自分の子供の陰部を投稿する親について

Facebook出産報告をする友人は多数いるが、一つ疑問に感じていることがある。

投稿する写真の中に産まれたての子供の全裸を載せるのは果たして是が非か。

赤子であれば何でもいいのだろうか。自分はその子供が大人になったときにかわいそうだと考えてしまった。

確かに私も家にあるアルバムくらいにならそういう写真が残っていたりするが、自宅保管と他人に公開するのとでは意味が違うのではないかとも思う。

それとも私が気にしすぎで、赤子の陰部が出てることに疑問を感じるほうがおかしいのだろうか。

いやでも自分大人になったときSNS自分赤ちゃんとき全裸写真投稿されていたら絶対嫌だ。絶対嫌だと思うのだけど。一般的にはどうなんだろう。

2016-10-19

世界1〜2位くらい過大評価されすぎてるかつて大好きだったアーティスト

復活してから発表した曲で一番よかったのはバラードの1曲だけ。

他はどれも凡作

どれも伝わるものがない。

ある曲はイントロを聞いただけで聞く必要ないわと思った。

アルバムは期待しないで待ってよう。

2016-10-11

絶対悪いじめを見た事が無い

今まで18年間生きていていじめられ側に非が無いいじめを見た事が無い。

小学校の頃は無条件にいじめはいけないと思い、いじめられ側に付いてみた事が有るんだが危害を加えて来るのが本人。

ふとアルバムを見て思った。

いじめは癌切除の自浄作用なのかもな。

2016-10-08

下川みくに南風

フルメタOPバージョンが好きなんだけど、どれに入ってるの?

アルバムに入ってるのは違った

あーわかったわ

2番のイントロが1番につかわれてるのか

2016-10-06

GUITAR KOZO

こんなアルバムあったんか!

youtube動画探してもオケつきのばっかで、俺は村下孝蔵アコギが聞きたいのにー!ってずっともやもやしてたからうれしい

2016-10-04

川谷絵音氏は真のロックスター

川谷絵音氏が売れっ子タレント不倫をしたり、Eテレ出演中の若いタレント飲酒問題を起こしたりしてメディア露出する。

論調は「川谷氏の不正行為は許されない」というものだが、メディアによる露出により彼が受ける利得の方が圧倒的に大きい。

今回も、新アルバム発売直前での発売延期でこれだけ報道され、アルバムセールスには大きくプラスに働くだろう。今日の朝の情報番組では新アルバムの曲の歌詞を紹介しており、これではもはや炎上マーケティングですらなく、ただの販売促進だ。

indigo la Endというバンド名も今回大々的にメディア露出し、セールスに大きく加担するだろう。僕も初めてこのバンド名を知り、アルバムを購入した。

メディアに取り上げられる背景に「本気で彼に制裁を与えたいと考える人々(正義感からなのか男に弄ばれた過去からかはよくわからない)」の存在もあることを考えると彼らには気の毒な限りだ。

不法行為があれば当局が彼に制裁を与えるだろうが、メディアは騒げば騒ぐほど音楽が売れる。

これこそ真のロックスターといものではないか

2016-09-30

あなた宇多田ヒカルありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

私の父は厳格な人だった

ゲームテレビ子供教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた

お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった

高校入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった

しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた

2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった

それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった

母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた

ゲーム漫画もうちにはなく、テレビ自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由時間を満喫していた

今考えれば迷惑子供だっただろうと思う

そして中学入学した頃、色々なことが変わった

私は休日に外出するのを禁止された

私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した

父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた

ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった

流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった

父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた

母は何も言わずに私を見ていた

父は家族食卓という時間を設けた

私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族食卓に遅れた

父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った

私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった

ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と

それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒病院に運ばれた

私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた

それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった

私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た

父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった

私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった

父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった

私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした

私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家平穏を取り戻していった

私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった

私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った

愚かな私は他人気持ちを考える事が出来なかった、自分気持ち正当化するために家族悪者に仕立て上げた

父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった

私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった

父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった

父の症状はみるみるうちに悪化していった

私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した

私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと

それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった

なのに私は全てを無視して、他人気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った

その日父は死んだ

私が高校2年生の春だった

父は書き置きを残した

私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった

知人だけでなく親族にも自死だという事は隠した

家族3人しか知らない

父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった

私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った

私には明確に父を殺したという意識がある

ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと

同時に思う、自分はそんな可哀想自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと

しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと

そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間死ねば良い、どちらにしても自分死ねば良いとそう思う

自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが

ひとえに母と弟のお陰だと思う

私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったか

高校に行きながらバイトをして、大学入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した

お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金実家まで持っていった

それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た

母は私が死なないように心配していたのだと思う

私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった

父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う

でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった

時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる

おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う

そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ち確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない

今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた

用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた

弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった

弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した

続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した

どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた

泣きながら、ごめんごめんと言っていた

ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた

兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった

ホントもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった

でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう

弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた

本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ち無視していた、自分のことだけを考えていた

弟は帰りに誕生日プレゼントをくれた

私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストアルバムをくれたのだくらいに思っていた

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った

しかしたら弟はこのプレゼント話題きっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが

とにかく、知ることが出来てよかった

衝動的に書いたので読み辛いだろうけど

ありがとう

追記

昨日発作的にこの文章を書いてから、少し後悔していました

笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした

父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです

意を決してこのページを開き、はてなブックマークコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました

おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした

結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません

もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分気持ちを本当にこんな簡単言葉で表す事ができるかは分からないのですが

今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます

改めて元の記事を書いてくれた方と宇多田ヒカルさんへ

そして優しいコメントをくれた皆さんへも

ありがとうございます

今日のクソトラバ20160930

Q:自死遺族宇多田ヒカルの新アルバムを聴いて思ったこと

 

A:何度読んでも宇多田ヒカルのその歌詞で救われた気になってるのかがわからない。

自死遺族宇多田ヒカルの新アルバムを聴いて思ったこと

18歳の夏、父が自殺した。

部活合宿中のことだった。

反抗期真っ盛り、いつも夜遅くに帰って来て母と口論してばかりの父と話すことなんてないと思ってた。

から最期に交わした言葉は覚えてない。

仕事トラブルから人知れずうつを背負い込み首を吊った彼は、棺の中で首元まですっぽり隠し、薄化粧の下でちょっと気弱そうな、いつもの父だった。

その顔を見た瞬間、思った。

「父を殺したのはわたしだ。」

もっと父の変化に気づいていれば、父を止められたかもしれない。

もっと父と話をしていれば、父は死のうなんて思わなかったかもしれない。

もっと父に笑顔を見せていれば、父はギリギリで思いとどまったかもしれない。

夜明けごろ、家族をかなぐり捨てても彼岸へ逃げたかった父は、どんな気持ちだったのだろう。

家族自殺者がいると知られたら、どんな目でみられるんだろう。結婚就活はどうなるんだろう。

自死遺族自殺する可能性は、通常の3〜5倍らしい。私もいつか父と同じ死に方をするのではないか

あの時から10年近くが経つが、後悔と自責不安は消えない。時間が経ち、考える頻度は減っても、その重みは変わらない。

父と死別していることは周りに言えても、その死因は恋人にも友達にも話せない。

このように自死遺族にとって、死者の話はタブーだ。その人を懐かしんで語ることは、見殺しにした自分には許されない。家族を助けられなかった罰として、あけない喪に服し続け、自分を守るために自死遺族であることを隠して生きている人が多い。

そんな中、宇多田ヒカルの8年ぶりの新アルバム「fantôme」の「花束を君に」を聞いた。

朝ドラ主題歌で耳では知っおり、柔らかな曲調とドラマの内容からほのぼのした歌と思い込んでいたが、改めて歌詞を見て、涙が止まらなかった。久しぶりにしゃくりあげて泣いた。

「今は伝わらなくても

真実には変わりないさ

抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」

それは、母を亡くした一人の自死遺族が、前を向く為に書いた言葉だった。

そして、わたし10年間、どんなに探しても見つからなかった、自分を許してあげるための言葉だった。

なにより、歌詞内の「ありがとう」という言葉

いままで父を思い出すとき、「ごめんなさい」という気持ちばかりで「ありがとう」って思ったこと、なかった。

ありがとうって言ってもいいんだって背中を押された気がした。

宇多田ヒカルさん。

ずっと、欲しくて欲しくて、でも自分では与えちゃいけないと思ってガマンしてた救いをあなたはくれました。

自死遺族団体寄付をしたとかしてないとか一部報道がありますが、正直どっちでもいいんです。

あなたがまた歌をうたいはじめてくれただけで、ここで一人の自死遺族がやっと死じゃなくて生のほうを多く考えて生きていけるようになりました。

ほんとうにありがとう

【追記】

いままでのいろんな感情が溢れすぎて、肝心の曲名で誤字をしていました…。

修正してあります

いろいろな反響をいただけ、とても嬉しいです。

2016-09-28

姉が某カルト教団に入信していた

1ヶ月ほど経過して気持ちの整理が付きかけたので書く

実家に帰ると姉が長期旅行に出ていた、もう1ヶ月以上家に居ないらしい

母曰く「韓国研修に行った」とのことだった

東京に帰る前日、姉の近況を聞かされた

・昨年末結婚相手を連れてきたがそれきりなんの進展もなさそうだったということ

マルチ商法っぽいことにひっかかっているのではないかということ

・定期的に変なNPOから封筒が届くということ

封筒にかかれている団体名を検索するとカルトっぽい匂いがぷんぷん(○○被害者の会とか集団訴訟とか

それで「ああ変なものに引っかかったんだな」とおもったが別に引き戻そうという気にはならなかった

姉は家族でもはみ出し者で、俺が実家に居たときでも俺含め家族とは殆ど会話はなく、仕事から帰っても部屋に居るばかり

俺が地元を出てからもそれは続いていたようで、結婚もせず、かといって自立するでもなく実家寄生する生活をおくっていたようだ

実家での最終日に母から姉の相談事をされ、それなら確かめスッキリしたほうがいいのではないかと姉の部屋をさぐってみた

姉の部屋など高校時代小沢健二アルバムを黙って借りて以来忍び込んだことはない

だって姉に家族の情も興味がなかったか

俺にとって姉はやたらとツンケンして黙ってるか、金切り声を出すかのめんどくさいだけの人間しかなかった

姉の部屋に入ると老人夫婦の写真が入った写真立てがテーブルにおいてあった

母曰く、この写真を拝んでいるところを何度もみたとのことだった

本棚にはあの時無断で拝借したCDの他に、いかにもマインドコントロールされてる人間が好みそうな自己啓発本数十冊

(というか、どうしてこの手の人間は「数十冊も読んでまだ足りない時点で自己啓発本意味がない」事に気づかないのか

写真立ての中の写真本棚写メで取り、後で本の題名を調べてみた

10年以上前にあれこれ騒がれたカルト教団関連のものだった、しかもその教団自体が発行しているもの

人夫婦は主題カルト教団設立者とその妻だった

こいつらに拝んでんのかよ、イカれてんなとおもいつつ、まあもう10年以上会話もしてないしどうでもいいかと思った

とは言えここ数ヶ月家を離れているというのが気になり、本棚写メに映る題名からヒントになりそうなもの検索していった

するとその教団には集団生活をする施設があるというのを見つけた

そこのウェブサイト集団生活に関するページを見ると、写真の中に姉が写っていた

マジかよ、いや、何となくそうかなと思ったけどこんな感じで分かっちゃうのか

っていうか数年ぶりに顔みるのがこんな形かよ

なに質素な服着て似たような幸薄そうな奴らと集団生活してんだよ

っていうか集合写真に写ってるけどよーくみるとお前他の奴らとちょっと距離あるじゃねーか、治ってねーじゃねーかよ

家族からカルト信者が出ちゃったよ

一族からタタリ神がでてしまった」っていうオッコトヌシさまの気持ち今なら分かるわ、クソったれ

俺まだ結婚してないのにな、兄弟カルト信者がいるとかマジ瑕疵物件じゃねーか

正直姉の目を覚まさせて家族に帰ってきて欲しいとか全然思わない

もともと仲良くないし、姉のために1ミクロンでも労力を割きたくない(カルトから脱会させるのって労力いるんでしょ?

姉が稼いだ金であればどれだけ吸い取られても別にどうでもいいし

あちらにそういう共同生活施設とかあるならさっさとそっちで暮らして欲しい(無いと思うけど

だが「姉が今後も継続して俺の姉である」というのだけは勘弁して欲しい

向こうから家出て絶縁するか何かの拍子に死んでくれないか

2016-09-26

子供アルバム作りたいと言ったら全否定された

今時データで十分っしょwwって

妹の旦那若いのは分るが印刷したアルバム携帯画像は俺らにとって価値が違う

2016-09-21

http://b.hatena.ne.jp/entry/smap25years.com/

SMAPの25周ねんベストアルバム投票できめるらしいけど、

どうせならシングルA面全部いれたビートルズみたいな3まいぐみくらいのアルバムにすりゃいいのに

そんでB面も3枚組くらいで

もう出ないんだからコンプリートベストとか銘打ってさ

美人なのとかわいいのと好きなのとセックスしたいのは違う

全部揃ってれば最高だけどほぼ不可能

から妄想する

中学生ときに、小学校アルバムの好きな子写真の顔の下に二次元エロイラストくっつけて抜いてたおれの妄想力よ

よみがえれ

2016-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20160918030231

結婚式した事のない奴の戯言だ、したことがあれば

俗にいう友人の三万なんて足りない事が理解できるはずだし

3000円のギフトカタログ限界なのがわかる

結婚式をした事があって言ってるのなら理解に苦しむ

大体1人呼ぶだけでこのくらいはかかる

招待状 500

席札 200

メニュー 500

ナプキン 600

卓上装花 1500

乾杯ドリンク 1000

料理 15000

飲み放題 4000

ケーキ 1000

引き出物 3500

引き菓子 1500

プチギフト 300

計29600円

他に一体どれだけ重量級の項目があると思ってるんだ

教会使用料、司会、カメラマン衣装衣装替えの衣装、ブーケ

メイク、会場利用料、音響著作権料、プロジェクター利用料

素人に任せる訳にはいかないんだからプロに来てもらうと

全ての項目がそれなりにかかる

これだけ追加しても中身の部分はまだ別にかかる

会場で流すプロフィールなどの動画キャンドルリレー

フラワーシャワーバルーンリリース、余興のお願い、

アルバム作成費、記念品花束贈呈、ピアノサプライズ

いわゆる友人が招待されるような一般的結婚式

どれほど金がかかっているのか分かってるのか

遠方の人にお車代なんて出そうもんなら突き抜けるマイナスしかない

2016-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20160915134116

歌手名忘れたけど such great heights と Glad you came

Pop goes Rockだったか、そんなアルバムカバーばかり収めたものがあってそれで聞いた。

もう解散しちゃったけどThere for tomorrowIce Boxもよかったな

2016-09-09

アルバムとか卒業文集とか

全部捨てるわ。

思い出は一切のこさない。

あれっていったい何に使うんだ?

2016-09-03

新海誠映画がどうしようもなく気持ち悪い

映画は観てない。彼氏映画を観ないので、私も映画に行く機会がない。

新しい映画ができたのは知ってるけど、一日も早く終わって人目に触れなくなって欲しい。

山崎まさよしファンだった。兄が貸してくれたHOMEというアルバムが刺さった。FAT MAMAって曲が好きで「お、私のテーマソングかな?」って感じで聞きまくった。

で、そうしているうちone more time one more chanceに嵌った。こんなふうに愛されたい。当時好きな人桜木町でばったり会って告白されるみたいな想像しまくってた。

だがしかし、世の中の受け止め方が違うことが徐々に分ってきた。その最初カラオケ。今で言う虚路充が感情込めて謡いやがんの。「はぁぁぁ」って感じ。マジやめて欲しかった。

なんてこったい。男もまさよし聴くかい。よりによって、女子が探して欲しくないであろうタイプの男に限って聞いてるらしい。うげえ。でも、まあ、これは仕方が無い。と思ってた。

こうした私のもやもやとした気持ちトドメを刺したのが新海誠なるクリエイターの秒速5センチメーター。観たよ、一応は。YouTubeだけどね。

キモイ。こんな幼稚な観れんタラタラ小僧の話がいいのか。わおわお。酒の場で額をテカらせながら語るオッサンも目撃した事がある。まったくの他人だけど、そんとき私物凄い嫌悪感を露にしてアンタの顔、つーか生え際、を凝視してたと思う。すまぬ。そんなとこにいるはずもないのに。

ううううう、何しやがんだよ、私のまさやん名曲に、テメーら何しやがんだ。やめて本当、お前に探して欲しくない。いつでもって、冗談じゃない。あれは女子自分を追い求める男子想像するための歌なの。いい、よく聞いて。「お前」じゃないから。お前じゃないんだよおおおお。ぜえぜえぜえ。

と、新海誠とその劣化クローン達にめちゃくちゃにされた私のOMTOMCだが、その後は秒速の話題も消え去り、私の心は平和を取り戻しつつあった。

しかし、しかしだ、奴が帰って来たのだ。ネットプロモーションされる彼の映画電車中吊りに掲げられる「新海誠」という文字。そういえば映画タイトル忘れたけど、検索するのも嫌だから省略。でさあ、京浜東北線とかでいるわけよ。四五十歳ぐらいのおっさんが。見てんだよ、その中吊り。うわあああ。こいつも秒速観てて、その監督作品から観ようかとか考えてんのかよって。消え去れ。お前が何を失っても許さねえ。どれだけ痛んでも会わねえ。いいか、テメエの人生no more time no more chanceだ、そいつと向き合え父ちゃんボーヤ。

ごめん、ひどい文章だ。でも、どうか一日も早く消え去って欲しい。受け入れられない、どうしても。

2016-08-29

最近車で安室アルバムがずっと流れてるんだがよく聞くと歌詞がけっこうダサい

2016-08-25

曲順へのこだわり

歌手がよくアルバムの何曲目にはどんな曲を、というのを語っているのを聞く

ただ自分は大抵シャッフルで聞いている

同じ順番で聞いていると飽きてしま

2016-08-22

EGOIST」ってアーチストお気に入りでかなり聞いてるけどアルバム全曲Google Play Musicにあるから一枚もCD持ってないよ? ファンを名乗ったらいけない?

EGOIST」ってアーチストお気に入りでかなり聞いてるけどアルバム全曲Google Play Musicにあるから一枚もCD持ってないよ?

ファンを名乗ったらいけない?

http://anond.hatelabo.jp/20160822195524

2016-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20160816160932

いや、香取はずっと仲悪いって言ってたじゃない

付かず離れずな雰囲気グループだったからそれも魅力に見えたし

活動が困難になってもB'zやラルクみたいに、

数年ごとに集まってアルバム出したり歌番組出たりライブやるようになるのかなと思ってた

から解散するのはびっくりというかあれだけ貢献しながらあんまり権限ないのかと残念だった

2016-08-16

お暇ならちょっと付き合って欲しい

ちょっと前に「はてなー最近の曲を聞かないワケ」なんて増田ホッテントリ入りしてたけど

実際どの程度のバンドを知ってるのかな?

最近の曲」ってあるのに「最近バンド」にしちゃってるのは私の個人的な嗜好です。


S・ファンです

A・アルバム自発的に聴いたことがある

B・逆引き出来る曲が1曲以上ある。

逆引きは、有線などで曲が流れた時にそのバンドだと確信を持ってわかる事を指します。

→その曲はアニソンだ YES:B1 ・NO:B2

C・名前だけ知ってる

D・名前すら知らん


1・ONE OK ROCK

2・[Alexandros]

3・UNISON SQUARE GARDEN

4・SiM

5・KEYTALK

6・BLUE ENCOUNT

7・THE ORAL CIGARETTES

8・WANIMA

9・04 Limited Sazabys

10・Mrs. GREEN APPLE


一応、近年のフェス常連だけどどうだろ。

初めてSMAPを見た時は4人だった

アラサーになってもまだジャニヲタやってるなんて笑う。

今はSMAPの後輩のグループを追いかけているけど。

2001年ウラスマツアーだった。

もう今から15年も前になるんですね。

当時の私は13歳。中学1年。

同年誕生したばかりの札幌ドームコンサート

母の友人がジャニヲタだった。

経緯は聞いていないがその友人から急遽チケットが余ったから来ないかと誘われて行った。

当時の人気から考えれば相当なラッキーだったが、

今考えると吾郎ちゃんが例の謹慎で参加しないことがわかったから急遽余ったのかもしれない。

少し母の話をすると母は元々郷ひろみが好きで、

たぶんその流れでSMAPも好きだったんだと思う。

所謂「誰担」かというと中居くんだと思う。たぶん。

でも「木村はやっぱかっこいーわー」と現場に行くと言うタイプ

そんな母の元に生まれた私は

気がついたら当たり前にテレビSMAPを見ていて、

気がついたら慎吾ちゃんが好きだった、俗に言うジャニヲタ英才教育タイプだと思う…

相当早くから茶の間ファン(他ジャンルでいうと在宅ヲタというやつ?)はしていたか

森くん脱退時のスマスマを見た記憶も残っている。

話を戻し、2001年に始めてドームに足を運んだ私は

まれて初めてジャニーズを生で見る。

しかも今思い出すと座席アリーナBブロあたりだったと思う。

当時まだ150センチほどしか身長がなかった私は必死で人の間から見たのを覚えている。

周りのお姉さん方、開演前に厚底ブーツに履き替えてたのよく見かけてた。笑

初めていったし、今みたいにSNSが発達していたわけでもなく

アルバムを事前に予習して現場に行く、なんて当たり前の現場ライフハックも当然知らない私。

しかも「ウラスマツアー」は「ウラスマ」というカップリング曲ベストアルバムツアーだったため、

本来ツアーよりもおそらくメジャータイトル曲は少なかったはずなのである

それでも私は今でも当時のブロンズみたいな髪色でロン毛の慎吾ちゃんがかっこよくて、

とにかくかっこよくて、手を伸ばしても届かないのにすぐそこにあった眩しいステージに引き込まれて魂ごと持っていかれる経験をしてしまった。

色々拗らせて、それなりに色んなグループを見た今とは違う、

まっすぐにエンターテイメントに心動かされた初めての経験SMAPだったのは本当に贅沢だけど本当に良かった。

15年立ってもかすかに映像として記憶に残ってるんだから、たぶん死ぬまで忘れないと思う。

そのあと超名盤だと今でも思っているDrink SMAPツアー慎吾ちゃんがTarzan企画ダイエットして

めちゃくちゃイケメンだったMIJツアーと足を運んだ。

Drink Smapツアーでやっと5人揃ったSMAPを見られたし、仲間って強い、SMAP強い!と

グループとはなんぞやというものを教わった気がする。

ただ、実を言うとこの後デビュー当時からSMAPと平行して茶の間ファンをやってた嵐に降りてしまい、SMAPからは少し遠ざかった。

MIJの後のツアー個人的事情で急遽いけず

さらにその次もチケットが取れず現場に実質4年ぐらいいけなくなったこととそもそも長く続いた世界に一つだけの花ブームうんざりしてしまったことが原因)

それでも一線で活躍している彼らの活躍テレビで、CDで定期的には見続けていた。

そんな彼らの新たな一面を見られて、また魅力を感じたのはKis-My-Ft2(以下キスマイ)のデビューが大きかった。

デビューする少し前からキスマイ応援し始めた私だったが、(ちなみにキスマイデビュー後に前述の嵐からキスマイに降りています

デビューするとSMAPの後輩としてテレビに出るようになる。

所謂バーターというやつである

賛否両論あったし相当露骨バーターだったので私自身も首をかしげることもあったが、

SMAPが先輩として後輩を可愛がる姿というのは新鮮だった。

あの頃よりおじさんになっていても、やっぱり圧倒的オーラそのままで、やっぱり格好よかった。

露骨バーターのおかげか、歌番組の観覧にキスマイ目当てで応募し、SMAPも一緒に見るという(世間価値は逆なのでしょうが私の価値としてはこの感覚なのです。笑)

一石二鳥経験をしていくうちに、やっぱりもう一度SMAPコンサートに行きたいか・・・と思うようになった。

そして私は2012年Gift of SMAP東京公演に足を運んだ。

圧倒されるばかりだった。あの頃もすごかったけど、やっぱり今もすごかった。

しろ今の方が、すごかった。痺れた。震えた。

あの頃と違ったのは周りの観客におばあちゃん達が増えていたことぐらいか。笑

脳天から突き抜けて舞台上の眩しい光の中に魂ごともっていかれそうになるあの時の感覚

初めて足を運んだ2001年からはもう10年以上経っていたのに、まだその感覚味あわせてもらえるんですかと驚いた。

興奮しながら母に連絡したのを覚えている。

母は嵐にはてんで興味を持ってくれなかったが、SMAPと一緒にいるキスマイには少し興味をもってくれるようになり

上京して離れて住むようになった私と連絡することが増えていた。

その後のMr.Sツアーチケットが取れず、足を運べなかった。

でも、次は母と入りたいし、2年後は25周年だし、こりゃあ次は楽しそうだな~と呑気に考えていた。

そしたらこうなった。

今年の1月の時点から母とは色々話していた。

どれが本当の話でどれが嘘なのか陰謀なのか陰謀なんてそもそもあったのか、本当のことは知りえない。

母は例のマネージャーさんの話も副社長とその娘の話も通じるので

あーでもないこーでもないと話していたが

ぽつりと、もう解散でいいよ・・・と言っていた。

諦めではなく「もう痛々しくて見ていられない」という意味でそう言っていた。

どんな形でも残ってさえくれればと願うファンがいる一方で

もう無理してまで一緒にいることないよと思うファンもいる。

私も母と似たような感覚でいる。

元をたどればメンバー内の確執なんかではないことくらいわかってる。

それでも結果こうなった。

一緒にい続けるって労力がいる。

仲良しこよしの飲み仲間ではなく、一緒に戦うパートナーからこそ

妥協した関係じゃないからこそ、我々の想像を超えた関係からこその結果なのかもしれない。

年末までまだどうなるかわからないし

復活を期待する声もある、本当の原因ってやつを探している人もいる、

だけどそんな周りの状況を含めて、「もういいよ無理しないで。」と思う人もいるんです

しかったあの日の思い出を傷つけられたくないだけかもしれないですけどね。

私と母の大事な思い出ですから

何もまとまっていないけどとにかくつらつら吐き出したかったのでここで。

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