はてなキーワード: じわじわとは
なのはそのとおり。
もろちんももろちん、低賃金でこき使ってる「オマエの代わりはいくらでもいる」系の経営者もいっぱいいーっぱい居るんだけど
保育士界隈はまだ公費補助が経営の柱じゃないみたいだけど、介護業界さんはガッチガチに固められてて厳しいみたい。
介護報酬そのものも減額されてるし、それ以外の部分で差別化して稼ぎを増やす、なんてのをできる経営はほんの一握り。
なので、介護報酬の減額で人件費UPは不可能な状況。これで人材獲得競争に競り負けてる上に、より高い方へ退職者もガンガン出る。
離職超過が定着してしまってるそうだ。
おちんぎんが多くの分野でじわじわ上がっていくのはきっと良いことだけど、その過程で削られるのは分かりやすい悪ではなくて、最低のコストで回してる社会の底の方なのかも、と思いました。
認知症にいいと聞いたのと、なんだか家の中が年寄りばかりで殺伐としているので犬を飼うことにした
昔飼っていたのは近所の人から貰った雑種だ。家族全員で世話をして20歳を超える大往生をした
ただあの時と違い、もう両親は年老いており散歩などの役には立たない
先代犬の時にメイン飼い主だった母は認知症で、足腰も弱っている
自分が全部世話するようになるんだろうなと言う覚悟をもって飼うことにした
保護犬とかがいいなと思ったが、保護犬は一から手なずけるのが大変である
自分が在宅勤務で、両親が若い頃なら多少がんばれたが正直こちらに人間を信用していない犬と一から関係を築くには我らはもう年老いている
めちゃくちゃかわいい
家に帰るととことこやってくる犬
甘えてボールを投げてと言う犬
そしてなんということでしょう
デイサービスに行く日以外はぼけーっとテレビを日がな一日見ているだけだった認知症の母が、犬の散歩したさに家を出て歩くようになった
物覚えがよくなった
鬱ぎみで「何も楽しいことなどないし何もやる気がない」と言っていたのに「今日はお花にいってくる!あとで犬の散歩!」「は?楽しい事なんてない? この子の世話するのに忙しくてそんなことかんがえてらんないよ!」
とかいいだした
家から出たくないとか言ってたのに、犬を連れて泊まりに行きたい遊びに行きたいとか言い出して自分で近場のドッグランしらべはじめた
時間があれば体力のありあまる柴犬相手にボールを投げたりして遊び相手になっている
すげえ
犬すげえ
認知症にいいとは聞いていたが、認知症ってじわじわ悪くなるとか言うのになんだこの劇的回復
ありがとうよ犬
先日、私が勤めている会社で「上司とのキャリア面談」というものがありました。
もちろん私もチームに部下がいる立場で働かせてもらっていますので、面談をする立場と面談をされる立場で視点の差があることは承知しています。
20代後半から現在にかけて約n年間、降格もしないが昇格もせずに働いてきました。
当時横並びだった面々や私が昇格をさせた元部下たちがどんどん自分を追い越して上の役職に就いていく背中を見送るのは、戦友や育てた後輩たちの功績が評価されたことを嬉しく思う気持ちや誇らしく思う気持ちもありながら、この人たちにできていて、私にできていないことは何なのだろうか?と考えることも多かったなと思います。
過去に、何度か組織の都合で上司も変わっているのですが、直接尋ねてみたこともあります。
「私は何ができるようになったら、昇格候補として検討していただけますか?」
「今の働きでなにか不足していることや、もっとこうしてほしいと思うことはありますか?」
「●●さんの部署でなかなか教育が難しい若手たちがいるので、その子たちが稼げるように教育してくれたら検討しますよ」
と言われたので、言われた通りその年は売上150%を達成し、他の部署で手を焼いていた若手の教育に力を入れ、相性の良いお客さまのお仕事を担当してもらうまでに成果を出しました。
しかしながら、その年の査定フィードバックでは「会社の人事規定が変わったので、色々頑張って成果を出してくれたみたいだけど、こればっかりはしょうがないですね」とのことで、約束を守ってもらうことはできませんでした。
代わりに私のチームで売上を牽引してくれていたリーダー格のスタッフが、私よりも40万近く高い給与オファーを受け、同じ組織の中で昇格となりました。
あれから数年が経ち、昇格へのこだわりも、正当な評価も薄れてきていたのですが、今年の住民税確定通知書を見て我が目を疑うような事実に気付いてしまいました。
コロナで会社の業績が悪かった時期も知っています。あのときたしかに、経営と管理職のボーナスから減らして従業員への割当金額を増やそうという方針になっていたなという記憶もあります。
ただ、去年、上司が代わったタイミングでも減らされているのはなぜだ……?と。会社業績は盛り返してきていたではないかと。
新米上司が困っているときにだいぶ、サポートをしたような気もするのになぜだ…・・・・?と。
しかしながら、直接上司にそんなことを質問するという行為は、あなたの査定結果に文句があります!と言ってしまっているようなものなので、冒頭で言及しました「上司とのキャリア面談」を通じて、情報収集に漕ぎ出しました。
ここまで前説が長くなりましたが、以下は面談の会話記録になります。
一部、個人を特定できそうな情報は伏せたり、フェイクを混ぜたりもしていますのでご容赦ください。
もちろん、フィクションとして読んでいただいても構いません。(楽しんでいただけたら光栄です)
X月X日
私「弊社の管理職はたくさんお金を落としてくれるお客さまのお仕事を担当できるかどうかででしか評価されないじゃないですか。従業員はこういうスキルを身につけた。とかこういう仕事もできるようになりました。という仕事における成長がちゃんと評価と給与に反映されますけど、私は管理職になって8年経って、もうそういう話を評価のフィードバックでいただくことはなくなりました。それでも3年ほど時間をかけて、給与が200万程減少傾向にあります。もしこういうスキルが身についていないから昇格や昇給の機会が与えられていない。とかがあれば教えて下さい」
※これは私よりも管理職経験の短い上司に対して意地悪を言ったような気はします。反省。
上司「えっ、そんなに減ってるの? でもたしかに管理職は収益成果だけで評価されがちですよね」
私(この人がそういう評価をしているのになんで他人事なんだろう……。しかも「えっ」ってことはこいつ昇進してから給料増えてるのか……?)
※私の現上司は前任の上司がX年前に不祥事で地方へ飛ばされたときに、私の役職を飛び越えて上司になっていたパターンの人です。
私「うちの会社は制度的にも昇給機会は年1回、業績連動賞与2回しかチャンスがないので、減った分を補填するには副業も視野に入れるしかないかなと思っているので、会社がもしキャリアのサポートを考えてくださるのであれば、余暇時間の確保とか副業規定の緩和を検討してもらえたらなと思います」
※弊社の管理職は裁量労働制のため、いついかなるときも呼び出されたら業務対応を優先しないといけない不文律がある。
上司「副業については、他の人たちからも要望が増えているところだから、会社としてゆくゆくは考えていく必要があることになるでしょうね。ただ、それとは別に、賞をとるとか、執筆活動をしてネームバリューをつけることで売上を伸ばしていく方向性とかはどうですか?」
私「それって、私個人としてではなく会社名義で名誉の労働ってことですよね? 弊社の規定では賞金や印税は個人で受け取れないルールになっていたかと思います」
上司「そうですそうです! 有名になって名前を売って、たくさん仕事を頼んでくれるようなお客さんを捕まえるって感じです」
私「それでたくさんお金を落としてくれるお客さまを見つけることができるんですか?」
私「なるほど。であれば上司は下位組織が収益達成に悩んでいるのに賞をとったり、執筆活動をして新しい仕事を獲得して分け与えることをしていないのはなんでですか? 選択肢として有効なんですよね? 下位組織のノルマが未達だと、上司も未達になっちゃいますから困りますし給料も下がっちゃいますよね?」
上司「……」
私「別に責めてないです。質問しているだけですよ。私はX年ほど前に違う上司の元で、賞をとったり講演会に出させてもらったり、広報取材を受けたりと社外活動をさせてもらいましたが、仕事を頼みたいので商談させてくださいというお声掛けはひとつもいただけなかったです。逆にうちはこういう仕事ができるので機会があれば発注してほしいです。という協力のお申し出はたくさんいただきましたけど……」
上司「あー……そうなんですね。でも執筆活動はしてないですよね? 本の出し方とかってご存知ですか?」
私「会社の広報からテーマに沿って、売り出したい人材に打診が来るはずです。最近は若い女性や働くパパ/ママが注目株なのでそういう人たちならお声がかかると思いますよ」
上司「なるほどですねー。勉強になります! あっ、そろそろ時間ですね。また何か困ったことがあれば相談してください。おつかれさまでした」
私の収入はこの上司によって、これからもどんどん下がっていくことになるだろうな。ということがなんとなく想像できてしまってとても悲しい気持ちになりました。
楽しいこともつらいことも色々あるけど、なんだかんだ嫌いじゃないなと思えたこの会社を思って1X年近く働いてきたので、給与以外で収入を得るという選択肢を常に近くにおいて置かなかった自分がバカで情けないなと。
そしてこれからも、みんなの背中を見送る人生を受け入れていかないといけないんだなと。
国の施策で今後増えていくだろう、女性管理職候補の方々の未来はどうか明るいものになるようにと願いを込めて。
賢い方ならきっと準備も当たり前にされるだろうと思いますが、女性の管理職を増やそう施策が注目されなくなったとき、一番最初に切り捨てられるのは女性管理職だろうなと思います。
結局のところ2003年から2011年頃までいちばん延べ計算量が必要だったのはリアルタイムの3Dグラフィックスのレンダリングだったんだ。そこではNVIDIAって会社がPCゲームのプラットフォームを握ってしまっていてそこで技術開発をめっちゃ進めてしまったんだ。
結果的にPlayStation2までは純日本設計だったグラフィックチップが、PlayStation3ではNVIDIAのGPUになってしまったんだ。そこで負けが確定してしまった感じだ。PlayStation3のCPU、CELLに内蔵されているSPUは、世代をどんどん進めていったら最終的にレンダリングもできるグラフィックチップに進化する可能性があったのかもしれないけど次世代が出せなかったのでそこで終わりになってしまった。
NVIDIAは先端を走っているユーザーが何を求めているかをめちゃくちゃちゃんと調査して、彼らがちゃんと新しいことを効率よくできるようなチップを開発してくるんだ。だからハードウェアTLが必要になってきたときにGeForceを出してきたし、その後ポリゴンへの複雑なマッピングを駆使してリアルなグラフィックスを構築しだしたらシェーダアーキテクチャを提案してきて、そのシェーダプログラミングでレイマーチングを遊びでみんながやりだしたらリアルタイムレイトレをハードウェアでサポートしたRTXをリリースしてきたしAIもそうだ。いまコンピュータを使っているユーザがどのようなことをやって、次に何が求められているのかを見極めるのが上手なんだと思う。
京の事業仕訳けの議事録を再度読み返したけど、確かにそこにはスーパーコンピュータのユーザーを見ておらず「国民に夢を与える、あるいは世界一を取ることによって夢を与えることが、実は非常に大きなこのプロジェクトの1つの目 的 」などとボケたことを言っている説明者たちと、いやいや実際のユーザはそんなのを求めてるわけないだろという金田先生の議論がつづいていて、そのへんが日本が負けた原因なんじゃないかなあーって思うんだよ。
ただ運も味方していて、NVIDIAが計算能力をバカみたいに使うグラフィックスを提案して微妙な感じになってたところに、ビットコインのマイニング需要があって、そのあとにAIが盛り上がった。計算能力をうまく価値にしてくれる応用がいい感じに出てきていまに至ってるんで、とりあえずやってみて一位とってみろよ、みたいな話が必ず悪いわけではないかもしれない。
Intelは偉くて、GPUでNVIDIAやATI(現AMD)に完全に負けていて後塵を拝していたにもかかわらず、じわじわとCPU内蔵のグラフィックチップの性能を上げていきディスクリートGPUも作るようになり、昨年ちゃんとその成果が世界2位のAuroraスーパーコンピュータとして実稼働を始めてたのですごいなと思ったよ。そのAuroraはGPUもCPUもIntel製で2位、1位のFrontierはGPUもCPUもAMDなんだけどね。結局のところ一般用途で台数が出てない状態ではスパコンを作れるような技術も養成できないってことだったんだろうと思う。
当時の日本では携帯電話向けのプロセッサしか数が出るものがなかったから、そこに全力投球して、でもガラケーではグローバルに売れないからPDAに販路を広げてiPhoneやAndroidに採用してもらう、みたいな流れができれば最高だっただろう。でもそんな戦略を説明して実行に移せるトップが日本の家電メーカーのトップには居なかったんだ。だってあいつらテレビやブルーレイをどう売るかしか考えてなかったんだもん。PocketPCに載ってたIntelのXScaleが没落したときを狙ってちゃんとチップを出せてればチャンスがあった。でもそこに載ったのはSamsungやTI、そしてQualcommのチップだった。TIは撤退してしまったけどSamsungはまだプロセッサを作り続けている(これはGalaxyという大きな需要があるからできているのだと思う)。
三沢さん本人か三沢さんに興味あるという人だけが読んでくれれば満足です。
これが一番の進歩であり収穫であって
一般的な「文章を読めない人」と比べても更に何かがあるように見えます。
私ははてブ民の誤読なら大抵は何をどう誤読してるか秒でわかりますが
そちらの思考が長くなるため本の内容の受け取り方が歪む。
草薙さんの癖の強い経歴を見てください。
彼はいわばブラックジャック(医師会に属さない医師)のような僧侶です。
それで本が何十万部も売れるのだから作家の才能は保証つきですが
彼の本が身になる人って案外少ないのではないかと私は感じています。
彼が添加する具体性は常に、
仏教を理解させるより「身近に感じさせる」ことに重点を感じます。
いちいち冗長な具体性を与えて透明な抽象性を損ねているように思えます。
草薙さんと三沢さん2人の出会いが相性抜群で最悪だと感じるのは
教師の草薙さんは仏教を紹介する本にかなり自己流の工夫を入れる人で、
生徒の三沢さんは人の話の途中の浅瀬で自己流解釈を始める人です。
草薙龍瞬さんが提供する仏教は既にスパゲッティナポリタンになってる感じ。
三沢さんはそれを舐めて「このケチャップの僕流アレンジ」を考えている。
三沢さんが草薙龍瞬さんの本から得た「仏教」はお釈迦様のアイデアとは別ものです。
現に三沢さんの欠点・苦しみの元が少しも治っていないですよね。
せめてこの端緒にでもついていれば、三沢さんの病的な「自分自分自分自分」という文の(思考の)癖に変化の兆しぐらいは生じているはずです。
https://note.com/tm2501/n/n1c20fe51d4ec
現に三沢さんにそのような変化が見られないので、
草薙さんか三沢さんか少なくとも片方に重大なエラーが発生していると思います。
(たぶん共鳴し合っている気がするのですが)
三沢さんは執着せず眺めて手放すということが出来ていません。
「ん、これはアンタッチャブル」とか考えていたら出来ないですよね。
(私は草薙さんの「ジャッジメント」ですらなんだかなと感じましたが
三沢さんはそれをさらに俺流に「アンタッチャブル」に変えました。
二人ともなぜこんなことするんですかね。
草薙龍瞬さんの紹介と三沢さんの読解のタッグが仏法を損ないました。
二人とも勝手なアレンジを入れることの弊害への警戒心がなさすぎるように思います。
それをやると劣化コピーではなく根本的に機能を損ねることがあります。
というか私は草薙龍瞬さんの本はサンプルだけ見て閉じたきりでしたが、
今回三沢さんへの影響を確認するうえでアンリミテッドで読みました。
「反応しない練習」。
読んでいるだけでどんどん頭が悪くなるような感覚がありました。
知識の収集癖、羅列癖、過剰で無益な具体性、支離滅裂、あと鍵かっこが多すぎ。
書き手が実践して身についた知識について語っている感じがあんまりしない。
これ本当に三沢さんと同じ型の人ではないですか?
私はこのがちゃがちゃな本から読者が自分のためになるエッセンスを掴み取れる気がしません。
凄く売れた本らしいですが、買った人達はちゃんと読んだのでしょうか?
草薙龍瞬さんはプロの作家でお坊さんですから偉そうな意見は言えませんが、
三沢さんは34歳ニートなので多少の助言はしても良いと思います。
三沢さんは「有能な人っぽく振る舞うこと」に神経を使いすぎです。
三沢さんて「有能な凄い人にならなければ自分の願いはかなわない」と思い込んでいませんか。
全然そんなことはありません。
能力的に凡人でも凡人以下でも願いをかなえて生きている人は沢山います。
三沢さんの大言壮語や意識高そうな口調はただの自己否定や現実逃避に見えます。
凡人だと生きていけないという強迫観念があるためではないですか。
三沢さんは普通でないくらいに自信がない人で、しかも自信欠如への対応がおかしい。
「自分と乖離した凄い人の虚像を作って身にまとう」という対処のせいで
実像とのギャップが生じてますます苦しみと自信喪失のループに陥っていますよね。
たまに三沢さんの文を見かけるだけの人間でもそういうことを濃厚に感じます。
俗世間の熾烈な競争に負けない「凄い人」になる必要があったかもしれません。
しかし34歳にもなればそんなものを追い求める虚しさは感じられているでしょう。
四国に住んで創作活動人生を送るという願いは素敵だと思います。
叶うと思います。
ただ、その願いの実現ためにまず「凄い人」になる必要があると考えていると
10年後も同じ部屋に住んでると思います。
三沢さんが「凄い人」になろうとする必要性や焦燥は何のためにありますか?
そういう「凄い人」になるための焦りの所産と言うか
人と違うバリューを出すんだという間違った取り組みに見えます。
本を読んでるあいだずっと「面白い独自の感想を言わなければ」とか考えていますよね?
これは大きな間違いで、
本をただきちんと読めて書いてあることを受け取れるなら
高学歴なはてなブックマークの人達だって新聞記事すら読めていないでしょう?
ひときわ壊滅的な集中力しかない三沢さんも苦しみの構造自体は同じです。
三沢さんが人並以上に集中力が欠損しているのも、頭があんまり良くないのも、(本当はなんらかの自覚はある筈です)
本の内容と一体化すべき時にいちいち自分自分をやっていれば本など読めるわけがありません。
おそらく「批判的に読書をする」のようなアイデアをまた草薙さんのようなアレンジをする人から受け取って、
ものごとを正しく見て正しく知ることができ、
というのが仏教です。
三沢さん好みの具体的過ぎる話をするなら
何と言うこともなくすらすらと内容が頭に入ります。
概念を手放していくというのはたぶん三沢さんの溜め込んだメソッドと正反対でしょう。
だから三沢さんが本当に仏教と出会えばじわじわと別人になってしまうはずです。
でもそうならないのはおそらく草薙さんと三沢さんの自我のせいです。
何と出会ったって自分の概念九龍城へ組み込むパーツとしてしか見てないために
まとめると
「自分は有能な凄い人だ」という妄想概念をくみ上げて常にそれを体の周りに装着しています。
このために何を見ても何を聞いても何を読んでもその妄想を通しているために情報が壊れてしまう。
これが自我です。
人の話を聞いてるときに、相手が何を言っているかも何を感じているかもわかりにくくないですか。
もしそうならそれは自我がずーっと邪魔をしていて心が目の前の情報を取れないためです。
全人類がこの病気ではあるけど三沢さんは少し程度が強いのではという印象です。
仏教にはこのガスを取り払うための実践的で研ぎ澄まされたメソッドがありますが
草薙龍瞬さんの本を読むとそういうことまで辿り着けないと思うし
三沢さんは「特別な自分」「オリジナルな自分」について考えこむことが自分の強みであり突破口だと思っていそうですが
そこが一番の間違いであることは仏教なら本当は30分でわかります。
本を読むのにも文をバズらせることにもそんなこと考える必要は一切ないです。
四国へ行きたいならまずその自我妄想と別れを告げることだと思う。
ところでお坊さんを軽々に否定したりしちゃいけないという道徳が自分の中にあるんですが
でも草薙龍瞬さんの本はなんか…。デタラメを言っているとかでもないからなんとも言えないんですが。