はてなキーワード: 麻痺とは
若者の就職難についてのネット上にありがちな無知蒙昧を論破しようと思います。
っていう義務でもあるかのように語られていること。
企業の目的は「金儲け」にあるっていう大前提を忘れてないだろうか。
今後今以上に深刻な少子高齢化に陥る日本で将来の利益が細っていくのは目に見えている中で、
わざわざ日本人の新卒をたくさんとるメリットがあるとは思えない。
(日本人は一人もとらないって程極端なことやるのも問題あるから、ゼロってことはないだろうけど)
まともな経営者ならそのくらいのことはわかるはずだ。
日本では「企業性善説」みたいなのが当たり前の認識としてあって、
昔海に水銀たれながして周囲の住民の脳を麻痺させた某社とか、煙出しまくって喘息にさせた某社だとか、
ITビジネスの若き旗手としてテレビにも出まくって派手に売名した裏でこすい粉飾決算を行ってた某社だとか、
そういう会社は忘却の彼方へ流して、「日本企業はあらゆる面で素晴らしい!」っていう信仰を抱いているようだ。
けど実際はアメリカ程露骨ではないにせよ、日本の企業だってホントの目的は「金儲け」にある、という前提を再確認しましょう。
この大前提が飲み込んでもらえると、ネットテレビで語られている「就職難批判」がいかに的外れで、非生産的かがわかると思います。
http://potemkin.jp/archives/50442691.html
経営者の目的は「お金儲け」であって、別に日本という国の利益を考えたり、若者の雇用を守ったりする義務はない。
だから日本の年功序列・終身雇用を改革して、もっとクビにしやすくしろっていう話なんですが、
転職市場があまり機能していない日本で、雇用制度だけアメリカ並にしたら、すさまじい社会になるとおもうんですが。
しかも使えない正社員切っていったら困るのは中年だけじゃなくて、そのバブル世代の子供で、彼らはどうやって学費を捻出するんでしょうか。
更に苦しむ若者が出てくることになるんじゃないでしょうか。
そもそもこの話は実現性ゼロの話で、多分主張してる人達も本気で実現するとは思ってないんじゃないかな。
この手の主張をする人って言うのは、
って相談されたら、
「とにかく数多くの女性に告白しなさい。10万人に告白すれば一人ぐらい付き合ってくれる人がいるはずです^^」
そりゃ正論なんだけど、お前本気で出来ると思ってんのかっていう。
・「ゆとり世代はゲームとネットでコミュ力がないからダメなんだよwwwwww」
ネット上では教育制度が変わると、それを受けた世代の人格は甚大な影響を受けるという信仰があるようです
一つ言えることは、若者の就職難は欧米など、先進国の大体の国で起こってる共通した現象であって、
スペインだと若年失業率が50%だったりして、それはじゃあスペインの若者がゆとりなのかというと甚だ疑問です
この手の主張をする方々は何か自信満々に主張するから、何か根拠があんのかと思ったら、
実はただの思いこみとか偏見とか、最悪の場合自分の願望が現実だと思って語ってたりするから、
真面目にとりあうだけムダなんでしょうね。。。
補足とか反論とかあったら答えるよ。
その現象自体は否定しないが、特定の勢力の「工作員」みたいな存在なんて都市伝説みたいなもんでしょ。
そういう手合いはスラドにすら居るよ。ゲーム系のトピックに必ず「和ゴミ」とか「洋ゴミ」ってワードでゲーム文化そのものを否定する書き込みする奴とか、Apple製品のトピックで「Macを持ってる人=人でなし」のレッテルを延々と貼り付けてる奴とか。
2chのゲーム速報なんて、毎日数回、特定のメーカーにポジティブあるいはネガティブなスレッドを新旧問わず何十個も同時にageる奴が、俺が知ってる限り2年くらい前からずーっと居座ってる。1年365日ほぼ毎日。
東京(頭)だけが、自分は特別って思っているからややこしいんだろうな。
いくらでも替えは効くのだし、これまでも言われてきたのだし、いい機会だよね。
直接被災していないでもこれだけ麻痺して大騒ぎ、という脆弱性が露見したんだから。
そして、東京(頭)だけが、他の地方を手足と思っているのもややこしさの問題で、多分地方は頭が東京じゃなくても構わない。
まあ、「頭や心臓が吹っ飛んで手足もろともまとめて全部死ぬ」なんて比喩は、東京だけが大事という極一部の人間しか考えてないとは思うけど。
起きてしまった過去は変える事はできませんが、その過去の受け取り方は変えられる事ができます。
(知らない方は本屋で確認してみてはどうですか?ぐぐってもでてきますよ)
以前「3週間続ければ一生が変わる」と言う本が売れました。
これは「3週間続けば習慣になる、習慣になったら一生続く」という理論です。
さて原発の事故が起きてもう1ヶ月経ちました。3週間以上です。
つまりこの危機の状態に慣れてしまい、これが習慣になってしまったのです。
習慣や現状を変更する事は簡単ではありません。
しかし人間の心はこの不安定を安定させようとして試行錯誤します。
その結果が
「事故の対応をよくやってるから、事故が起きてからの1ヶ月も実は怖くなかったんじゃないか」
という考えになります。
自分が安心するために「原発対応をよくやっている」と思いたいのです。
つまり何が言いたいかと言うと「原発対応をよくやっていると感じる人」は、人生に置いて幸せを感じ易いというとても幸せな人なんです。
言い変えるとどんな環境でも適応できてしますドMの素質を持った人でしょうか。
これが悪いと言うのでも良いというつもりはありません。
自分が今なっている職業がこういうとき無力ってワケじゃないんだが
どうして自分は政治家にならなかったのだろうって、後悔を感じる。
別に政治家じゃなくたっても良いような気もする、今の職業のままでも
国と言う企業の経営に対して無関心でいられたんだろうって思う。
結局のところ、今までの自分たちの無関心が、
今回の福島の惨状と、計画停電による産業の麻痺を産んでしまったんだと
怒りで涙が出てくる。
現状、一番手っ取り早い解決は、アメリカかフランスの専門家チームに指揮権を全て明け渡すことだと思うけれど
家畜人ヤプー的だよね。そこまでひどい扱いをされることはないにしても
けれども私にできることは少ない。目下のところお金を送ることと、考えることしかない。お金は送った。けっこう懐が痛いほど送った。だから、あれこれ考えることを、どうか許してほしい。
考えているのは、こんなことだ。
「私たちは後の世代のために、M9.0に耐える準備をするべきなのか?」
今回の災害は1000年に一度、あるいは数百年に一度の規模だと言われる。おそらく私たちが生きているうちにもう一度遭遇するかしないかのレベルの災害だと思う。
私たちはおそらく、復興と言えるものを成し遂げることが「できてしまう」だろう。がれきを片付けて家や道路や鉄道を作り直す。それだけだ。みせかけの復興だ。けれども復興は復興だ。「やった。復興した。我々は自然災害に打ち勝ったのだ」と、そう言って災害のことを忘れてしまうことができるだろう。
私たちが天国に行ったあと、きっと津波がまた来るだろう。家や道路や鉄道が砕かれるだろう。原子力発電所から放射性物質が流れてくるだろう。大勢の人が亡くなるだろう。経済が止まり、職を失う人も大勢でるだろう。今回と同規模以上の悲惨なことが起きるだろう。
なんていうことだ。私たちが東京電力に吐いている言葉が、実はブーメランだったのだ。きっと私たちの身体を天国で切り裂くだろう。
残念なことだが、このままずるずると時計の針が進んでしまえば、きっとそうなると思う。それがいやなら、私たちはやり方を変えなくてはならない。
放射線の危険はいやというほどもう知ってしまった。だからすべての原子力発電所を閉鎖しなければならない。放射線の害からもう完全にさようなら、をしなければならない。安定した電力供給のため東西周波数の統一も必要だ。代替エネルギーの開発だって必要だ。安くて良い代わりのモノは今のところ存在しないが、それでも原子力とは手を切らなければいけない。
あの巨大な防波堤でも太刀打ちできなかったのだ。コンクリートで津波を防ぐのは無理と知ったのだ。もう海岸沿いの低地への居住は許されてはならない。
自治体の庁舎がつぶれることは、もうあってはならない。道路網も鉄道網も、より一層強い耐震強化が必要だ。
津波に砕かれた持ち家の住宅ローンを払いつづけなければならない人たちがいる。地震保険なしに住宅を建ててはいけない、という法律が必要だったのだ。ガソリンスタンドから油が消えた。非常時には一般車への給油を規制する、という法律が必要だったのだ。孤立した集落が問題になった。だから人の集まるところに必ず衛星携帯電話を置かなくてはならない、という法律が必要だったのだ。あの日、被災地も東京も通信が麻痺した。あの日のレベルに耐えるための準備が必要だったのだ。いくつもいくつもある。
それらすべての課題を克服しなければ、真の復興と呼べない。少なくとも私は、真の復興と呼びたくない。
だが、そのためには、私たちの財布からそれなりのお金を出さなければならない。金持ちから金をむしり取るだけでは済まないだろうし、薄く広い増税どころでは済む話でもなさそうだ。次の世代のことを思えば国債の発行は論外だ。厚く広い増税が必要だろう。電気料金が上がるだろう。物価が上がるだろう。当然の帰結として、生活は苦しくなるだろう。かなりの苦しいものになるだろう。リーマン・ショックがさざ波に見えるほどの不景気がやってくるだろう。
お金だけの闘いじゃない。強い政治家を育てなくてはならない。スキャンダルを狙うだけの野党も、ばら撒きしかできない与党も役にはたたないのだと、いやほど知ってしまったのだから。私たちは強い政治家が育つ文化を作らなくてはならない。もうスキャンダルに喜んではならない。ばら撒きにだまされてはならない。パフォーマンスに踊らされてはいけない。ウチの地域のために仕事をしてくれる、という人を選んではいけない。茶々を入れるだけのメディアを切り捨てなければいけない。私たちは、政治家の責任は我々の責任だという事実を受け入れなければならない。政治家の決断は我々の決断だという事実を受け入れなければならない。そうしなければ強い政治家は育たない。育てなければ、私たちは何も成し遂げられない。
残された放射性物質の管理のために、原子力技術者を育て続けなくてはならない。しかも、これから何十年、何百年と続けなくてはならない。消えゆく技術のエンジニアになるほど寂しい人生はない。けれども私たちは、若い優秀な人材を差し出しつづけなければならない。人身御供のように。
なによりも、生まれた街にもう住めないという苦しみを、被災地の(とりわけ海岸沿いの)人々に強いなければならない。
でも、後の世代がM9.0に耐えるためには仕方がない。
もちろん、すべてをやるべきかどうかは議論の余地があると思う。でも、それはまず私たちが
「私たちは後の世代のために、M9.0に耐える準備をするべきなのか?」
これに対して Yes あるいは No かを、決めなければならない。
Yes とも No ともつかぬまま進んではいけない。では、どうやって決めるか? 選挙だ。幸運なことに私たちは選挙というシステムを持っている。これしかない。今この手段を使わずにどうするというのか?
そして Yes が選ばれて欲しい、と強く願っている。それも、私たちにかなり辛い義務を強いる Yes であってほしいと思う。私は、真の復興のために人生を捧げたいのだ。
3月11日14時46分。
それは突然始まりました。
リアルタイムで生の声が目で見えるTwitterというサービスは、
各メディアの報道でもご存じの通り、ケータイの電話機能は制限を受け、
メールも麻痺しており、情報の入手は不可能かの様に見えました。
しかし、Twitterだけは震災後数時間に渡り、情報を得る事が可能でした。
・沿岸で大津波警報が出ている事。
・再び余震の可能性がある事。
・道路に亀裂が入っている事。
・水道管が破裂してるのか水が溢れている事。
実際に、自宅への帰路は車で埋め尽くされ、細い路地も例外ではありませんでした。
私は帰宅を一時諦め、会社の駐車場で待機後、渋滞の緩和を待って自宅へ移動しました。
夜8時の事です。
その間、Twitterの情報とラジオの情報を交互にチェックし、
Twitterは『個人』が、情報収集するうえで当時最適なサービスだったと思います。
県がFacebookを利用して災害の情報を公開しだしたのです。
私は何故Facebookをこんな時にわざわざ利用するのか不思議でした。
確かに日本のインターネット界隈でも一部で話題にはなっていますが、
PCを利用しない、または通常の業務レベルで利用する程度のユーザーにとっては、
未知のサービスであり、もしかすると名前も知らないモノなのです。
そんなモノをわざわざ県が情報公開のツールとして使ったのは一体何故なのか。
・大量のトラフィックにも耐えられるモノとして使った?
・コンテンツをシェアしてもらう為に、既存のサービスを利用するのが早い為?
・大人の事情が絡んで、なんとか使って欲しいと誰かに言われてる?
私個人の感覚としては、FacebookはSecondLifeブーム(?)の再来と感じています。
Second Life → Twitter → Facebookといった感じでしょうか。
私もFacebookアカウントを持っていますが、あまり利用したことがありませんし、
利用しようと思っても、ユーザーがまだまだ少ない様に感じます。
2010年10月時点で159万人のユーザーが居るらしいですが…。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1010/13/news078.html
Facebookは『県』が、ネットで情報を発信するうえで最適なサービスだったのか?
私は違和感を感じざるを得ません。
よしなしごとだが、今日18日午後、twitterで唐突に東浩紀氏が曰く、一昨日の晩から原発関連の報道が少なくなったかの印象があるとのこと。
もちろん、事実報道は絶えずなされている。ご本人も「放水してることぐらいは知ってます」と書いている。
事実そのものの緊迫度合いは変わっていない。事態の進行状況や対策対応を見れば情報を量的に計算しようともそれは変わるまい。いや、合衆国政府からの協力への強い要請(の露呈)や、IAEAからの情報開示要求というニュースを見れば、事態は以前を凌ぐものだろう。
東氏ご自身は政府が情報統制を始めたんじゃないかと書いていたので、ここに書くのは東氏の意図とは違う。もっと曖昧な「印象」についての話である。印象とは根拠のないものであり、帰納的にしか語ることができず、つまり「論」ではない。まさによしなしごと。
その印象が何を指しているか。
事実の質と量は充分であるのに、事実以上の報道はされていない?番組が少なくなった?という印象?
似たような話がある。
国内メディアの報道のトーンについては当初から、悲惨さに寄り過ぎる、自衛隊ほかによる救済など「いいニュース」が海外メディアにばかり流れている、避難所はもっと前を向いているのに伝えられない、等の批判が出ていた。twitterなどでも同様だったが、ロケ先で被災したコメディアンであるところのサンドウィッチマンによるコメントは、その国内メディアでも報じられたのでかなり広く知られるに至った。これらを受けてNHKでは編成方針を変更したようだ。
「ようだ」というのは、上記のようなことは定量的には前後比較できない、当事者の公表なしには視聴者の感想(の露出)によってしか測ることができないことだから。逆もまた真なり、敢えて書くことはしない。
それから、これも今回の震災に絡めてTwitterで見かけたエピソード。
阪神淡路大震災の折、被災地を放送エリアに持つ読売テレビが、番組編成を報道偏重からアニメやバラエティなど日常的なコンテンツを採り入れたものに切り替えたところ、賛否が多く寄せられたそうだ。不謹慎だというクレームはもっぱら被災地外からのもので、被災者からは「ひさしぶりに笑った」という感謝のメッセージが届いたという。
tweetの主旨は、悲惨な状況にこそ深刻さばかりでなく笑顔を生みだすようなものが必要だ、それを実現した読売テレビさんは素晴らしい、在京各局も続くべしということ。
それにしても、こうまで深刻である必要はどこらへんにあるのか。といっても「こうまで」の「こう」が曖昧至極であるが。
下位に対する憐憫という「善意」の発揮によって穏当裡に、普段は緩やかに規定される上下関係こそ、ここ最近のこの共同体を支える文化的精神的基盤だ。
もちろん、階級のないこの社会を円滑に運営するうえで有用だからこそ基盤たりえる。が、善意の発揮は多くを包み隠しもする。
女性差別を訴えられた男性は少なからず心外に感じるだろう。だって自分は女性を「弱き者」だと理解し、その通りに行動しているのだから。その振る舞いに、端から自立を放棄せよとのメッセージが含まれているとしても。
現在中年以上の大人であれば、街ですれ違う病者や障害者を「じろじろ見ちゃだめよ、可哀相でしょ」とたしなめられた記憶のひとつやふたつあるのではないか。乙武洋匡氏を引き合いに出すのは失礼と承知しているが、氏のような快活さをいまだに受け入れられない大人はいる。
それと同じように、被災地に救援物資と称してぼろが届く。「伊達直人」氏によって児童養護施設にランドセルが届いたのをきっかけに始まった伊達直人ブームも、しばらくすると最初の伊達氏の志とは随分違ったものになってしまったような印象だ。
しかしそれを差別だと大っぴらに言うことは憚られる。なんといっても善意だから、悪気はないのに、それを責めるのか、ひどい。
翻って、在日朝鮮民族・韓民族に対する差別があからさまに起き続けるのは、彼等がこの不文律を共有しない、憐れみに対して首を垂れないからではないのか。いうまでもなく不文律とは心の中にしか存在しない。印象と同じようなものだ。
そのような一連の意識を反映するものとして、原発関連の報道が、少なくなった、印象だ。
憐れまれる側にまわった者に供給されるべき「深刻さ」の座興などないということだろう。
最後に、東氏が18日未明に書いたもうひとつのtweetを引用しておく。
このような表現を使うと不謹慎と怒る人もいるかもしれない。しかし、ぼくたちはこの未曾有の災害を「好機」として捉えなければならない。バブル以降の20 年間の停滞に終止符を打ち、麻痺から脱し、日本をまともな国に戻すための最後の好機として。この好機を生かせなければ日本は本当に終わる。
「街が大混乱し、平常心を失った人間が大勢居て、警察機能も麻痺している状態でレイプが起きない訳がない」と言う「常識」「ごく当たり前の推測」によるもの
実際には、阪神大震災に関して言えば、レイプは増えてないみたいだが(震災以前からあったものが急になくなったわけではもちろんないが)。
始めに。
みんなみんな、つぶれそうだと思います。
私にはそうできませんでした。
さて、以下に書くのは、
あまり精査していないことです。
それでも敢えて、書いてみます。
情報は、
自分や他の人がみて役に立つ⇔自分や他の人がみて役に立たない (意味があるないではありません)
などの軸があります。
・事実に基づいている
・自分が理解できる
・自分が判断できる
・自分や他の人がみて役に立つ
これらに傾いていれば傾いているほど、
つまり、
このような情報なら、
「他の人に聞かせて意味がある」
のです。
不安になったり、困惑するだけでしょう。
危機感がつのるのに、どうすべきかは、わかりません。
勢い余って、「こうすべき」と判断するし、行動するでしょうが、
果たしてそれは、
正しい行動なのでしょうか?
意味のある行動なのでしょうか?
また、
また、新しく出てきた情報をどう考えたらいいのか、判断できなかったり、
しかし!
だからこそ、
・知識のある人
・適切な判断のできる人
に判断を任せるべきです。
自分自身で理解できる範囲において、
情報が「確かなのか」「事実に基づいているのか」「その情報に基づいて考えたり行動して、意味があるのか」、
自分自身で考え、判断し、行動しなければいけません。
冷静・安心にプラスする方向の発言をするのか。
発言するご自身にも、周りの方にも影響があります。
混乱・不安がプラスされていくと、判断能力が徐徐に失われ、適切に行動できなくなります。
いま、twitterや、mixiボイスやら、マスコミやらをみていると、
原発の件、
マスコミや口コミの不確実だったり、不正確だったり、憶測に基づく発言によって、
徐々に質が変わりつつあります。
どこかで
それを防ぐために、
上に書いたような、判断を行動をしてください。
例えば東電発表が混乱していたりしていても、
現場の緊急な事件がいっぱいあって、
それを判断するために、必要な専門知識や設計関係の情報が膨大です。
将来の安全のための思考が完璧にできているとは到底言えません。
情報をもっているのは、現場にいるのは、現場を確認したり、操作するのは、
これに対し、次のように
・東電が、適切な判断や、適切な行動をするように、自分の言葉の影響力を使う
こうすべきです。
そうでないと、
現場がつぶれた時に、
これは
周りの人すべてに対して、同じことがいえます。
・その人が、適切な判断や、適切な行動をするように、自分の言葉を使い、促す
これだけで、
お願いです。
まずは、冷静になってください。
(私もですが)あなたが普段の生活からどれだけかけ離れた状態にあるのか、考えてみてください。
緊急に対応して行動していても、
長く続けることはできません。
その上で、
・ご自身が、安心・冷静になるように、普段のペースで物事が考えられるように
・周りの方が、安心・冷静になるように、普段のペースで物事が考えられるように
最後に私事。
私も、もう、つぶれそうです。
twitterのTLみてても、
私は、原発のサプレッションチェンバーの破裂のあたりまでは、まだ大丈夫でした。
流れてくる情報の確からしさや、大まかに予測できる背景、危機管理に携わる方々の感覚、
それでも、緊張と疲労が心身に蓄積していて、それらが限界であることと、
一気に壊れました。
こうやって、麻痺させて、文章かいたり、冷静であろう・前に進む/未来へ生きることをしよう、というのを結構意地になってやってることで、
少し保ててるかな、という感じです。
大地震が起きてから円高は進んで長期金利は低下して日銀は最大規模の金融緩和したにもかかわらず、今まで「円高のおかげで資源・食料品が安くなって庶民は助かる」とか「これ以上金融緩和したらハイパーインフレ、国債暴落で銀行潰れて金融危機」とか「日本経済は余命数年でこれ以上財政赤字を続けると財政破綻」みたいなこと言ってた人が何も反論や説明をしてない。
彼らの言うことが正しければ、震災で国民生活が苦しくなってるのに金融緩和で食糧高騰起こしたら、追い打ちをかけることになるはず。それなのに不思議と日銀批判を一切言わない。本当にインフレや金融緩和をだめだと思ってるんじゃなくて日銀のやることに盲従してるだけなんじゃなかろうか。本当に今まで言ってきたことが正しいと思うなら被災者のために今こそ声を大にして大規模な資金吸収オペとかドル売り介入を主張すべきだろう。
これだけ大規模な災害なら復興用の歳出増加は避けられないし、首都圏の停電で経済活動麻痺したら明らかに税収は減る。だからさらに日本の財政が悪くなって余命が縮むのは明らかなのに、破綻論者の言ってたこととは逆に国債価格は暴落どころか上昇してるのが現実。いったい彼らの頭の中ではこの現象をどう解釈されてるんだろうか?本当に今まで言ってきたことが正しいと思うなら今こそ全力で国債を空売りして外貨買いまくるべきだろう。
スーパーにモノがないのは、別に買い占めの影響だけじゃないと思う。
というより、買い占めの影響よりも他の影響が大きいのではないだろうか。
雪印集団食中毒事件がそうだったように、数時間の停電といえど食品工場や医薬品工場では大事故につながる。
当然、地震が起きたときに製造していた製品は出荷できないし、倉庫の原料も使えるかどうかわからない。
もちろん今もメンテナンス中だろう。
空調や水質が以前と同じ水準である確認をしてからでないと製造できない。
たとえメンテナンスが終わっても、ある種の製品を作る工場では輪番停電が行われる期間はほぼ稼働出来ないだろう。
多くの港が使用不能になっているし、普段このへんを走るトラックは物資を運ぶため東北と長野に向かってる。
そんなわけで、ミネラルウォーターや乾パンだけでなく、生洋菓子とか肉や牛乳もスーパーでは不足してる。
モノ不足を煽るつもりでも買いだめを肯定するつもりではないけれど、単純なパニック買いの結果としての物不足なのか、そうではない物不足なのかは遅かれ早かれわかってしまうことなんだ。
しかし、それを認めてなお、被災者たちのことを考え節約し必要以上のモノは買わないというのが正しいあり方なんじゃないだろうか。
物流に深刻な問題は無いと思うよ
現に生鮮品は通常にちょっと少ないくらいで並んでるだろ
生鮮品は買いだめするわけには行かないからね
物流に問題を抱えているところもあるけど、ガソリンスタンド渋滞とかで
http://b.hatena.ne.jp/entry/okuzawats.com/archives/465
http://okuzawats.com/archives/465
http://twitter.com/fromdusktildawn/status/43614834679496704
ベーシックインカムの失敗例としてナウルが久々に話題になっている。この国がネットで話題になったのは今から8年ほど前、スラッシュドットジャパンで取り上げられてから。
その当時、こんな国があることに驚愕し、まとめを自分のサイトに置いておいたところ結構話題になった。その時にまとめたものに加筆して、ここに再び載せておく。更に調べたい方は日刊ベリタで調べていただければ、詳細なことが分かる。
燐鉱により南太平洋一の豊かな国であり、国民全員に年金が支給されていたが、それがたたって国民は生活力皆無。労働どころか家事すらしない。労働者もほとんど外国からの出稼ぎ。ナウル人はひがな遊んで暮らしている。 国民に就労の意志はありません。
燐鉱は露天掘りされており国土である島はクレータ状になっており荒廃している。
近年の燐枯渇により財政状態悪化。海外投資や航空会社運営、タックス・ヘイブン的な金融業、更に国籍売買などをするが、ことごとく失敗。折しもイラク戦争時で、テロリストのマネーロンダリングや、国籍売買をしていたためアメリカの怒りを買う。
オーストラリアに庇護を求めてきたイラク・アフガン難民約1100人をかわりに受け入れ(オーストラリアによる難民の横流し)、オーストラリアから経済支援を受けるも治安悪化。
アメリカの非公式な「制裁」により国際電話が不通となり(唯一の国際電話につながった電話機が壊れたという説もある)、国ごと音信不通に。隣国のオーストラリアが国際救助隊を派遣するも通信がうまくいかない情況に。
難民キャンプではデング熱の流行などもあり、政府の混乱に対して合を煮やした難民たちが反乱を起こし、自主管理となる。
混乱が始まった2003年当時大統領選挙が行われたが、ハリスとドウィヨゴの二人が互いに正当な大統領を主張し政府が分裂。しかも二人とも肥満が原因による腎疾患を患っており、一年の大半を海外で療養生活をして過ごしていた。大統領官邸が焼き討ちされる、洪水の発生など、国内は混乱状態に。後にドウィヨゴはアメリカに事実上の亡命、亡命先のワシントンで腎疾患により死亡。その後再び選挙が行われるも、議長が選出されず議会が麻痺状態に。3ヶ月の政治的空白の後、スコッティが新大統領として選出される。このスコッティ内閣も議会の混乱により半年で崩壊することとなる。
その後も国民全員のオーストラリアへの移住が検討されたり、カジノとの吸収合併案(一主権国家がカジノに吸収合併!)、難民キャンプの暴動など政治の混乱は続いているが、当のナウル人はどこ吹く風の状態。日本も2005年に1億円の援助を行なっている。これは日本の捕鯨への支持に対する見返りと言われている。
そもそもこの国、外交関係も適当で何回も「二つの中国(中華民国と中華人民共和国)」への承認を変えていて、その度に承認先から援助をうけている。その割に、ナショナリズムというものは、そこら辺のミクロネシアにある大国の属国(ニウエとか)よりも有るらしく、オーストラリアからのナウル人への市民権付与の申し出も断っている。
http://b.hatena.ne.jp/simulacre/20110304#bookmark-32547325
↑ブコメでベーシックインカムの失敗例としてあげたけど、失敗国家の典型例というべきもの。更にアメリカやオーストラリアなど大国の意思に翻弄されたり、イラク・アフガン戦争に関わったり、国内の事情だけでなく国際情勢にも翻弄されて駄目になった国だ。アフリカは資源の取り合いで内戦が起こったりして貧困状態だけど、ナウルはその逆。争いすら起こらない(争っているのは権力者と難民だけ)。豊かさによって滅ぶ国もあるんだなと思った。
ナウルはたしかにベーシックインカムの極端な失敗例であるけれども、ナウルが失敗したのはベーシックインカムの失敗だけではないということを示しておきたくて、このまとめを書いた。
「争いすら起こらない」なんて書いたけど、争いは起こっていたようだ。
http://tekigi.hiho.jp/blog/archives/2008/10/post_1595.html
さすがのナウル人も暴徒化したようだ。ただ自業自得な面が大きいので同情はしないけど。
246から道玄坂、ハチ公前を左折して公園通りをNHK前までのわずか数百mの間に、
マンガ喫茶、アイドル、バイト募集サイト、出会い系、ギャル向けのモバイルサイト、etc。
当然、駅周辺は常に渋滞。本来なら幹線道路のはずの246も渋滞気味。
もちろん今に始まった話じゃないんだが、こういう宣伝トラックを仕込んでる連中というのは、
意図的に渋滞を巻き起こしていることについて、どう思ってるんだろうか?
あと10台同じサイズのトラックが渋谷をぐるぐる旋回し始めたら、おそらく駅周辺の交通は完全に麻痺する。
というか、今も既にそうなりかかっている。
ああいうトラックって、交差点に長く留まって人目を集めるために、ほぼ全ての交差点を右折するルートを設定してるんだと。
トラックにとっちゃ、渋滞してるほうが通行人の眼にとまるわけだから広告効果もあるだろう。
でも、そういうトラックが常にレーンをふさいでるおかげで、自家用車だけじゃなく、バスやタクシーも
「アドトラックで効果的な屋外広告を!」なんて売り込んでる代理店や、それにホイホイ乗っかるようなアホな広告主は、
自分たちの宣伝が街に不快の種をばらまいてることについて、どう思ってるんだろうか。
ま、どうでもいいんだろうな。
不快だ。