はてなキーワード: 通勤とは
ただ人数と人の流れ、通路の状況とかだけが原因であるとすれば、
十数年に一度くらいは最悪の状況が重なって圧死事故が起こってもおかしくないはずだ。
しかし、実際にはそうはならない。
それはなぜかというと、その集団が馬鹿だけでは形成されていないからだ。
(最近は通勤がない人たちも多くてピンとこないかもしれないが)
何も考えず歩いている或いは考えたつもりになっているだけの人たちが、
混在していることには気づくはずだ。
大抵の場合、駅が大混雑している状況では前者のような人が
きちんと周囲を観察して、
人の動きを理解して、
極力適切な人の流れになるように舵取りをして、
おそらく先日の事故の際、
あのような事故は起こらなかっただろうと思う。
流石にあのような状況では
「ちょっと、あっちに行くのは無理っぽいですよ」
などと声掛けを行い
どうしようもない状況に陥る前に集団をコントロールしたことであろう。
(バカというのが言い過ぎなら、
と表現してもいい。)
動物愛護団体のブログ色々読めばわかるけど、独居老人が入院して放置されるペット結構いるよ
近所の人からの通報で愛護団体と行政連携でレスキュー案件よくあるもん
誰も通報しなかったら、そのまま死んでるね
そうじゃなくても、通勤中に倒れて意識不明で入院して目覚めたときはもうペット死んでるとか、よくある話だよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/7mKAyS/status/1584458760348540929
自分が部屋に帰れなくなり音信不通になったとき、自分の異常に能動的に気づいてペットの世話してくれる人がいない状況で飼ってる人がそんなに多いの?
薬物盛られて警察に捕まるのに限らず、
電車通勤してたら何もしてないのに(他の犯人との勘違い、気晴らしや示談金目当てのでっちあげ等で)痴漢呼ばわりされ警察に捕まるリスクを男性は常に負ってるし、
自動車やバイクや自転車で通勤してたら交通事故で意識不明の大怪我して長期入院したり、逆に飛び出した子供ひいて加害者として逮捕されることも有り得るし、
徒歩でも歩いてて脳梗塞で倒れたり転倒や落下物で大怪我して救急搬送されて長期入院することもあり得るよね。
ペットは基本家族で飼うものだと思ってたから、頼る家族や仲のいい隣人がいない孤独な一人暮らしでペット飼う人が狭い範囲にこんなにいるのにびっくりだわ。
みんな命を飼うってことへの責任感薄すぎない?
職場で60超えたおっさんに注意を受けた。おっさん曰く「制服で出社してはいけない」とのこと。
確かに就業規則にて「通勤は制服NG」との規定がある。だからおっさんの言っていることは正しい。
ただ、こちらは自転車通勤で、制服の上から制服を露出しないように夏でも長袖長ズボンを着用しており
それらを脱いでそのまま現場に行っているだけだ。制服での通勤はしていない。
確かにグレーな部分ではあると思うが、当方以外何人も同じような形で出社している人もおり
過去に管理職から注意されているのは、制服が露出した状態で出社している人であった。
草の根かき分け調べたわけではないが服装規定がしっかりしている会社で何人もの人が同じことをしていることから
制服を露出しないように出勤している人には未だ注意はいったことがないのだと思う。
納得できなかったので、上記に記載しているようなことを言った。管理職にも注意されたことがないと。
ただおっさんはいう「社会人として、着替え用のロッカーがあるのであれば使う、これが常識である」と。
おっさんは同時に余計な忠告であるかもしれないので、これ以上言わないといったのでこれ幸いと無視した。
これ幸いに「納得できなかったので無視しときます」と宣言した。
社会人として10年弱の日々を過ごしている中で、新卒ほど学生意識で仕事をしているわけではない。
ただ昭和の時代を生きてきた人たちに迎合するような価値観でもない、所謂ゆとり世代の価値観である。
「みんな苦しい中頑張っているんだ、お前もやれ」ではなく
「みんなが苦しいからちょっとでも楽になるようなやり方を考えよう」な価値観で業務改善に取り組んでいる。
超絶忙しい商品担当の人たちに手助けできることがないか聞いて回り、ツールやマクロを作成し、
少しでもみんなが定時に近い時間で帰ることができればいいな、を原動力に日々社畜している。
これが当方の物差し。困っている人がいたら助けようを社会人としてというより人としての常識として持ち合わせている。
だがこのおっさんにはそれがない。
自分はご意見番であるという自負でもあるのか、口は出すが手は出さない。
まあ言っていることは正しい。
「社会人として、与えられたロッカーで着替えることは当たり前である」というのは
「社会人として、業務過多で困っている人がいたらできる範囲でサポートする」に比べてえらいしょうもないと感じてしまったのである。
(´・ω・`)「…今井哲也『ぼくらのよあけ』マンガはオーパーツだとおもう!!明日の夜にレイトショー観に行くから、もう数年前に読んだ手待ちのを今朝がた通勤前に本棚ひっかきまわして引っ張り出して通勤電車&降りてからのカフェテリアで貪り読んでた。」
(´・ω・`)「諭吉3人、還って来なかったよ…」ナンデコノショクバハショッチュウカネガナクナルンヤ?
適応障害から間もなく1年になろうとしていて、就業規則的には復帰するか退職するかの2択を迫られようとしていた最中急に元気になったターニングポイントは理解のある彼くんではなく理解のある友人との1日だった。
私の適応障害は仕事・家庭・趣味でのストレスが限界を超えたせいで発症したと思っている。仕事は月の残業時間が30時間程度なのでそんなに拘束時間は長くない。テレワで通勤も無いしカメラオフも許されるので5分前に起きても許される環境。実際やるかは別として。家庭のストレスは両親のうち父親との折り合いが悪く同じ空間にいることが苦痛。典型的な亭主関白。母の体に色々あって一人暮らしをやめて帰ってきて家事を手伝っているのに根性無し扱い。こいつの介護は絶対しないと決めている。趣味のストレスは締切に対するストレスなんで大したことない。なんならバフになるくらいの調度良いストレスだったんだが、高ストレス下に置かれた私には適応障害発症のトリガーになった。
適応障害の診断を受ける半年前から睡眠障害に悩まされ、仕事中息が詰まる(上手く息が吸えない)ので心療内科をひっそりと受診。仕事の繁忙期に差し掛かりとうとうベッドから起きられなくなった。目は覚めるのに動けない。申し訳なさに押しつぶされながら仕事を休むメールを上司に入れること3日。回復する兆しも無く1週間の有給を申請。いつも綺麗に化粧をして行っていた心療内科にすっぴん3日ほど洗っていないぼさぼさ頭スエットという格好で行き、適応障害の診断を受けて休職。
寝たり起きたりしながら死にたいなあと口にして水を飲んでトイレに行く生活。母の助けになりたいのに負担になっている状況も相まって希死念慮が強くなり、どんどん増薬。生きてる意味あるのか?と本気で思いながら動く気にもなれずそのままだらだらと生き続け、理解のある彼くんの家に泊まりに行ったりしたものの回復せず。当然セックスする雰囲気にもならなかったし無理強いされたところでどうとでもなれ状態だったので理解のある彼くんはできた人間だなと思う。他人に気遣うのも気遣われるのにも辟易して別れたけど。
症状は常に低空飛行を続けながら大体寝る生活をしていた。ベッドから出て毎日風呂に入っても、両親が仕事に出た8時から16時頃まで寝たり起きたりして、夕飯の支度をして、また寝た。寝すぎているので睡眠薬を飲んでも3時頃に目が覚めて6時まで寝られない。そのまま6時に起きて洗濯物と風呂掃除と朝食の支度をしていた。
結局冒頭の通り休職期間が10ヶ月を過ぎた頃、高校時代の友人から連絡が来て、会うことになった。お互いTwitterで繋がっているので興味のあるコンテンツやプライベートの状況はなんとなく分かっている状況。好きな物の傾向が6割くらい被る、高校生の頃から何となく鬱っぽい雰囲気のある友人。なんとなく会いたくなって、少し遠出したアウトレットに行くことになった。久しぶりに鏡でまじまじと見た自分が人間やめたブサイクで笑った。化粧の仕方も思い出しながら急ごしらえのややブサイク状態で友人と合流。
一緒に少し歩いただけで足がつる。慌ててレストランに入って近状報告。ご飯を食べて薬を飲んで、副作用でうとうとしながらコーヒーを飲んで、お互いの好きなコンテンツについて話した。好みがわかるからプレゼンされるものが魅力的に感じたし、半年くらい前に貰ったぬいぐるみのシリーズがあまりにも可愛いから写真を見せたらものすごく興味を持ってくれて嬉しかった。そう、嬉しかった。これが多分、ターニングポイント。
理解のある彼くんは、病状に理解もあったし家庭の状況にも理解があった。オタ活の内容にも理解があったし、何ならイベントの手伝いもしてくれていたし、切ったネームの添削も手伝ってくれていた。私の好きな物を知っていた。だけど、この状態になった私は彼と話していて、嬉しさを感じられなかった。
明確な違いは分からない。もしかしたらタイミングだったのかもしれないとも思う。でも、私がぬいぐるみを彼くんに教えたところで、彼くんがそのシリーズをググッて、自分の好みを教えてくれたところで、私はきっとここまで嬉しい気持ちにはならなかった。
体力が無さすぎるので日が暮れる前に解散して、家に帰った。なんだか嘘みたいに疲れているのに体が軽くなった気分だった。
翌日からも調子が良く、朝起き上がれた。今も相変わらず入眠と中途覚醒には問題があるけれど、仕事をしていても楽しいと感じられている。この先も急な気分の落ち込みがないとは言いきれない。だけど、あの日あの友人と会ってから間もなく1ヶ月半。地獄の10ヶ月が嘘のように、私は毎日を過ごしている。
だからイキるべきだ。イキれるようになるべきだ。
そしたら、世界が変わったよね。
ガタイが良くなると「大抵のやつには負けないな」って、気が大きくなれる。
女性相手もさあ、「いざとなれば、ぶん殴れば勝てるな」って感覚はとても大事だと思う。
うちの近所の駅にキチガイのババアがよくいて、汚らしいコンビニ袋持っててさ。
昔の俺はビビってたけど、今は違う。俺の方が強いし、なにかあっても頭ぶん殴れば殺せるなって思うと可愛く見えてくる。
今じゃ、「今日はキチガイババアいないかな」って、通勤時の楽しみにすらなってる。
こういうことだよね。大事なのって。
何か言われたとき、相手を殴って勝てるかどうか、それが強いということだ。
喧嘩慣れしてるやつは普通に刺してくるから相手は勿論選ぶんだけどさ。
まあ逆に、なんかあったら刺せばいいんだよね。もっと気軽に人を刺す心が大事なのよ。
そう考えると、世の中の人間は雑魚ばかりだ。刺されたくらいで死ぬなよ。
近所の工事現場で、老人ホームができるってのを見て爆笑してたんだけど、その時、チャリに乗った女二人組が笑いながら「キチガイ」とか言ってきたことがあってさ。
「よし、刺すぞ!」って思って走って追いかけると、
やっぱり自信になる。そういうコミュの練習をすると、会社や婚活でもうまく立ち回れるようになる。
「顔覚えたからな!」って捨て台詞をアドリブで吐けたのも、弱者男性だったころの俺からするとすごい成長だった。
もしかしたらあの人が突然襲ってくるかも…と思わせるだけで精神的には勝ったも同然だ。
「お前ん家行くからな!」を追加できるとなお、良かったな。敵が家にいる時の安心感も奪えたのに。
いざという時、暴力という手段を取れるかどうか、選択肢にあげられるかどうか。それが強さだ。
今じゃ、俺は何も我慢してないし、我慢してないから毎日ぐっすり眠れるし、
ぐっすり眠れるから仕事も快調だし、仕事が快調だからデートなんかも余裕を持ってできるようになったよ。
で、余裕あるとやっぱりなんか、モテるようになるんだよな。
強くなると、全てうまく行く。
友達が最近藤村シシンさんがFGOをギリシャ史と絡めて解説する動画にハマったらしい。ヲタトークをしていたらシシンさんの動画が面白かったという話をしていて、それはいいんだけど、「古代スパルタだとお金をわざと重くして人々が堕落しないようにしてたんだって!」と楽しそうに語りだしたので「そんなことある???」と思ってしまった。古代ギリシャ史については素人だけど、流石にちょっと胡散臭くないか?
ということで調べてみました!
動画はこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=1R-hpr7FJdI
まあトーク番組だから出典をいちいち挙げないのは当然として、じゃあ何がソースなんだろうと思ってちょっと検索してみたら、元ネタはプルタルコスの『英雄伝』なのね……『英雄伝』はギリシャ・ローマの英雄たちの逸話を紹介してる本で、日本語訳も複数出てるけど、増田は素人だから手元になくて近所の図書館にもなさそうなので、ネットで英訳版を見てみることにする。具体的にはリュクールゴスの章に書かれているらしい。
Not contented with this, he resolved to make a division of their movables too, that there might be no odious distinction or inequality left amongst them; but finding that it would be very dangerous to go about it openly, he took another course, and defeated their avarice by the following stratagem: he commanded that all gold and silver coin should be called in, and that only a sort of money made of iron should be current, a great weight and quantity of which was very little worth; so that to lay up twenty or thirty pounds there was required a pretty large closet, and, to remove it, nothing less than a yoke of oxen. With the diffusion of this money, at once a number of vices were banished from Lacedaemon; for who would rob another of such a coin? Who would unjustly detain or take by force, or accept as a bribe, a thing which it was not easy to hide, nor a credit to have, nor indeed of any use to cut in pieces? For when it was just red hot, they quenched it in vinegar, and by that means spoilt it, and made it almost incapable of being worked.
In the next place, he declared an outlawry of all needless and superfluous arts; but here he might almost have spared his proclamation; for they of themselves would have gone after the gold and silver, the money which remained being not so proper payment for curious work; for, being of iron, it was scarcely portable, neither, if they should take the means to export it, would it pass amongst the other Greeks, who ridiculed it. So there was now no more means of purchasing foreign goods and small wares; merchants sent no shiploads into Laconian ports; no rhetoric-master, no itinerate fortune-teller, no harlot-monger, or gold or silversmith, engraver, or jeweller, set foot in a country which had no money; so that luxury, deprived little by little of that which fed and fomented it, wasted to nothing and died away of itself. For the rich had no advantage here over the poor, as their wealth and abundance had no road to come abroad by but were shut up at home doing nothing. (...)
なるほど、シシンさんのトークはプルタルコスの記述に忠実だ。少なくとも彼女は盛って話していたわけではない。
で、プルタルコスの『英雄伝』が書かれたのは後2世紀初頭と言われているんだけど、ここで逸話が語られているリュクールゴスはだいたい前9世紀頃に活躍した人物と言われているのね。彼はスパルタの半ば伝説的な立法者。要するにプルタルコスは直接スパルタで鉄貨を見たんじゃなくて「1000年くらい前のスパルタではそういうことがあったらしいよ」っていう伝承を語っているのよ。古事記かな?
ところで根本的に、古代ギリシャでは鉄の棒を通貨として使っていた地域があったらしいんだよね。「わざと鉄の棒を通貨として採用した」んじゃなくて「もともと鉄の棒をお金として使ってた」だと、かなりイメージ変わってこない?
https://www.brown.edu/Departments/Joukowsky_Institute/courses/greekpast/4792.html
ちょっと古い文献だけど,Charles Seltmanっていう貨幣の専門家が書いたA Book of Greek Coinsっていう本にも次のようなくだりがある。
Certain it is that before coined money was used in Greece other states as well as Sparta, chief among them Sparta's great rival Argos, regularly employed iron spits as currency.(34頁)
なんでかというと、スパルタがあったラコニア地方は単純に鉄が採れる地域なんだってさ。そら、鉄が採掘できるなら鉄貨使うわな。
Iron was mined in Laconian territory, in the southern spurs of Taygetus and Parnon which end in Capes Taenarum and Malea. It was, therefore, but natural that the Spartans, with the wealth at their disposal, should employ bar-iron as currency; and their conservatism, combined with their lack of any more precious metal, led them to continue the employment of iron money for four centuries after other Greek states had adopted coin(33頁)
さらにこうも書かれている。
a currency which was possibly kept in use for reasons of economic convenience rather than for the enforcement of a stern rule of life(34頁)
要するに、
ってことね。
「質実剛健さを重んじてわざとコインを使わなかった」のが仮に史実だとしても、「あえて鉄の棒を採用した」んじゃなくて「鉄の棒を使い続けた(=コインを採用しなかった)」というのが本当のところなんだろうなぁ。
あと,「偉い人の論文読んでみたら、普通にスパルタでは外国の通貨使ってたらしいよ」というブログ記事も見つけた。ただ元の論文がなかなか見つけられないので確定的なことは言えないけれど……
https://hoferjonathan14.medium.com/the-iron-money-of-sparta-likely-a-myth-97d95d431a62
このエピソード、英語で色々ググってみたけど全部出典がプルタルコスに行き着くので、考古学的裏付けはあまりないっぽいんだよね。まあプルタルコスはおもしろネタが満載なわけだけど、そこしか出典がないとなると結構胡散臭いんじゃないかな。
もちろん増田は古典ギリシャ語とか読めない素人だから、実際には他のところにも記述があったり、考古学的証拠が見つかっていたり、リュクールゴス時代の古文書が発掘されている可能性もあるわけだけど、個人的にはシシンさんのスパルタの鉄貨に関するトークを信じる気にはなれないかなと思いました。
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2907/
この記事に鉄の串の写真があって、シシンさんが解説を寄せている。解説の文面はまあ納得のいく見解なので(串がコインに先立つことや、コイン出現後もスパルタでは串が使われていたと書いている。そこに異論はない)、動画でのトークはネタに振り切った感じなんだろうか……
シシンさんの動画のそこ、笑ったw 増田も調査サンキューやで / その上で、動画はFGOというゲームを楽しむユーザー向けで、論文ではない。そこでネタとして紹介してくれたものに目くじらを立てる気に私はならんな
FGOファン向けなら史実かどうかは怪しいおもしろエピソードを史実かのように話していい…ってコト!? ワ…ワァ…FGOファンにもシシンさんにも失礼すぎて泣いちゃった!
様々な論点があるので100字に入りきらないが,スパルタは貴金属貨幣を禁止していたということと,リュクルゴス制の成立を前9世紀とするのは後世による「伝統の創造」であるこことは指摘したい。
書き方が悪かったかもしれませんが、鉄貨の存在や貴金属貨幣の禁止は否定していません。
動画では、シシンさんは「スパルタはお金をどんどん重くしていって、賄賂や贅沢を抑止していた脳筋国家である(少しでも金額が大きくなると持ちきれないほどの重さになるから袖の下は渡せないし、持つことで鍛えられるから)」と言っています。
これ、前提知識なしで聞くと「バーベルのような鉄貨は堕落を嫌ったスパルタの発明」と聞こえるんですよ。実際に増田にこの話を面白そうに話した友人もそう理解していましたし、増田もトークを聞いてそう理解しました。そして実際にプルタルコスはそう書いています。
でも実際には、単にコインの発明前からスパルタやその周辺地域には棒状の貨幣があって、スパルタはそれをコインに置き換えなかった、という話なんですよね。で、参考文献に挙げた本にも「マッチョイズムじゃなくて経済的だから使ってたんじゃない?」と書いてある(最後に引用したセンテンス)。これ絶妙に史実を勘違いさせるトークになってません? って思っちゃうんですが、どうでしょう。
(もちろん、副次的効果として賄賂の抑止や筋力増強はあったかもしれませんが、それが主目的であるかのように論じられると……都会民は電車通勤ゆえに自家用車通勤の地方民より体力があったりしますが、都民の体力を増強させるために都はメトロを整備したんだ、と言い出したら違う話になるでしょう?)
今住んでるところもまあまあ気に入ってるんだけど
親の所有マンションだし、兄弟夫婦も同じ建物に住んでるから会うのが嫌なんだよなぁ
でも家賃は相場より3割ぐらい安くしてもらってるし、建物の造りは悪くないし、職場から徒歩通勤圏内なんだよなぁ
でもでも家建てたいなぁ
でも大型モニター置いてソファーでゆったりできる部屋は欲しいなぁ
いったいいくらかかるのだろうか
でも家欲しい
とある高原の山奥で近くのコンビニまで車で40分かかるようなところ。
(車で20分のところにスーパーはあるし、近くの集落に雑貨屋みたいなところはある)
子供の頃はいい場所だと思ってたけど大人になってから生活してみると、なんでこんなところに引っ越してきたのか後悔しかない。
東京に戻りたいけど家買っちゃったし。。
引っ越したきっかけは子供育てるなら自然が多いところがいいかなと思ったこと。
最初のうちは子供と川で釣りしたり山で遊んだりして楽しかったけど、それも日常になり飽きた。
刺激が全くない。
平日も週末も変わらないような生活してるし。
いいことといえば、野菜も肉も安くて美味しいことと、水が美味しいってことと、夏に畑でもいで食べるトマトはうまいってことと、山でアケビ見つけて食べると楽しいってことと、夏も涼しくて家の前の小川で足つけながら蛍見ると綺麗だってことと、山でとった猪をお裾分けでもらって味噌たっぷり入れてボタン鍋やるとうまいってことと、家が広いってことと、道路の真ん中に寝転がって空見ると星がすごく綺麗ってことと、リモートワークで自宅から業務委託の仕事できてるから収入は都会にいる時と変わらないってことと、生活費が安いから東京にいた時の倍ぐらいお金がたまることぐらい。