はてなキーワード: 神経伝達物質とは
ここ3年くらいほぼ毎日えげつない無気力に襲われていて、とても困っている
無気力なのは無気力なのだけど、1年前まではなんとか朝起きて、学校行って、課題やら研究活動やらが出来ていた。
しかしこの1年コロナで研究室にフレックスタイム制だとか登校規制だとかが導入されて、週2登校・毎日10時起きとかが許されるようになり、完全に崩壊した。
朝マジで起きられないし先延ばし癖が酷くなった。日が沈んでから焦ってものごとを進める癖が付いてしまった。日中はこたつか座椅子でスマホいじってる(どうしてもやめられない抜け出せない)
家族が自分を除けば全員うつ病を経験しているためその線も疑ったが、主観的には家の方々とは違い自己肯定感もバリ高で、強い不安とか希死念慮とかに襲われたこともない。ので色々読んでもあまりピンと来なかった
外的要因なくともやっぱり遺伝的に神経伝達物質が不足していて無気力に陥りやすいとかあるのか?と思い、
日光に当たって運動して、(実家なので)1日2〜3回健康的な食事をしているが、どうも酷くなっていくばかり。
スマホの触り過ぎで無気力、とかあるのかなぁ。悪循環にハマってる感覚はめちゃくちゃある。
もし半年後とかに世間がこれまでの日常に戻っていたとしても、自分の姿が想像できない。
困った。そろそろさすがに心療内科行こうかな
この1年で感じたことは、多くの親が感じていることだと思うけど、あまりに現代社会は育児するには環境が厳しすぎる。
近くに頼れる人がいない。
地元で就職できればよかったが、内定出た企業は一つだけ、地元は離れた。妻の実家はさらに遠い。
交通網、技術の発達で親元から遠く離れて住むことも多くなった現代、新幹線や航空機があるとはいえ
頻繁に、すぐに親に来てもらえる環境ではない。
保育園に入れない。
政令指定都市近くのベッドタウンに住んでいるのだが、周りにマンションとかが急増していて
まったくもって保育園が足りていない。
自分自身も住んでいるから人のことは言えないのだが、あまりにも鉄道沿線に人が集まりすぎていないか。
鉄道会社、不動産会社はこの戦略が儲かるんだろうけど、あまりにも過密に感じる。
日本国民もほとんどは声を上げてない、そういう私もインターネットの片隅に愚痴を垂れ流すだけ。
一人が立ち上がったところでたかが知れている。
自治体もしょうもない観光センターなんて作ってないで保育園に金を回してくれ。
まず妻の仕事先の上司が醜悪な人間らしく、仕事復帰の不安が募っている。
そんな職場ならそもそも辞めてもいいと言っているが、人出不足やら逃げたくないやらで続けることにこだわる妻。
出産後のホルモンバランスの崩れでただでさえイライラが募っているのに余計なストレスを生んでいる。
感情、もとをたどればホルモンだとか神経伝達物質だとかのごく微量の体内物質に帰着するのだろうが、
そんなちっぽけなもので普段の行動を大きく左右されてしまう人間。
人間は理性というものがあって感情、行動をコントロールできるのだろうが、
助けを求めるためのハードルが高い。
心を病んでいる人に、自治体の支援やこころの電話窓口やら地元の団体やら心療内科を調べて助けを求めるという行為はなかなかできない。
妻自身は全くできなかった。代わりに私が助けを呼ぶにも、平日の仕事は忙しい、家で気力はない。
家にいるときでも妻は不機嫌で、助けを求めることについての相談さえできないことばかり。
そんな中でも自分が動かなければと思って、近くの心療内科に予約のために電話した。複数の医者に電話したが、予約埋まりすぎ、混みすぎ。
コロナの関係もあるだろうが、なかなか都合がつかずに予約ができない。
でもわかる、こんなに複雑化した現代社会で、不完全な存在である人間が生きていくのは本当にしんどい。
ほとんどの一般市民は苦しみながら細々と生きて死んでいくだけだ。
そんなの大昔からそう。現代じゃなくてもそうだっていうのはわかっている。
でも、この数十年は46億年の地球の歴史の中でもあまりにも劇的な変化が起きた年代だったはずだ。
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tl;dr
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前提
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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。
基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題の文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判と非難の違いが一般に理解されにくいのは、批判の否定的な口上は例えばその場が学問的であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf. 元SPEED・今井絵理子議員の「批判なき政治」発言)。その意味で、プライベートなコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすさにのみ配慮して放置することは相手が反論したり、追加情報を提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定のバイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕で改善するものではない。そうならないためには相応の努力と知識が必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互の尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートでごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力や実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である。
ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来の自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質のバランスの改善を図るということも視野に入れるべきである。しかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互の尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的な肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さない人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的なものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。
少し話をもどして、プライベートなコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である。政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプでしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートなコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮が必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人の存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的な意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才の相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティックな対応は、相手を尊重しているのですか、と。
どっちも根治には遺伝子治療が必要かな。現在は技術的に不可能だけど。
細胞生理学レベルでは、活動能は主にイオンチャネルと受容体、神経伝達物質とそれを制御する分子群、
形態形成能は細胞骨格系の文字通り細胞の形作りをするための分子群が関わっていて、
前者は脳が発達しきった段階でも薬物でコントロールできる可能性は高いけど、後者は神経細胞同士がコネクションを作って脳が出来上がる段階に効いてくるから、
極端に言えば生まれて来る段階で手を打たないともうどうしようもない。
これはごく単純化した描像で、脳の発達には前者が、個々の神経細胞の活動には後者も絡んでくるから実際はより複雑だけど。
認知行動療法などの非薬物療法の生理学的な効果はまだ未知な点が多いけど、あくまでも「出来上がった脳の微調整」なので効果は薬物以上に個人差が大きいでしょう。
むずむず脚症候群(むずむずあししょうこうぐん、英: restless legs syndrome、RLS)は、身体末端の不快感や痛みによって
特徴づけられた慢性的な病態である。レストレスレッグス症候群(レストレスレッグスしょうこうぐん)、下肢静止不能症候群
(かしせいしふのうしょうこうぐん)ともいう。現在は周期性四肢運動障害(PLMD)と表裏一体の関係にあるとされている。
自覚症状として、じっとした姿勢や横になったりしていると主に下肢の部分に(患者によっては、脚のみならず腰から背中やまた腕や
手など全身にまで現れる)「むずむずする」・「じっとしていられない」・「痒い」だけでなく、「ピンでなぞられているような」・
「針で刺すような」・「火照るような」・「蟻やミミズなどの虫が這っているような」などの異様な感覚が現われ時には「振動」の
ような感覚まで感じたりする場合もある。また「激しい痛み」を感じるなどさまざま。この苦しさは「脚の中に手を突っ込んで
かき回したいぐらい苦しい」と表現する患者もいて、この症状の辛さを表している。
正確な原因はまだ解明されていない。
3. 脊髄や末梢神経の異常
4. 遺伝的な要素
などが考えられている。
ホントそう。
「脳の病気」も誤解ありそうだから、一歩進めて「中枢神経の病気」と呼んだらどうかな。というのも、鬱病が関わる神経伝達物質(セロトニンとか)を出すのは脳幹あたりで、新皮質じゃないっぽいんだよね。新皮質の主な神経伝達物質はグルタミン酸らしい。や、まあ「中枢神経」には新皮質も含まれるんだけど、受ける印象が違いそうなので。あと、素人がちょっと齧っただけの生半可な知識なので正確かどうかは知らん。(詳しい人いたら訂正なり補足なりよろしく)
だから、人類が進化の過程で新しく獲得した新皮質の部分は病んでない。動物にも備わっているような古い中枢神経が病んでいるだけ。だから心が壊れたわけでも自我が壊れたわけでもない。…と僕は思ってる。
そのかわり、体を制御する重要器官である中枢神経が病んでいるので、自律神経とかホルモンとかに影響が出るんだと思う(自分の場合)。特に視床下部ていうところが超重要な役割を担っているみたいなので、ここが病んで身体的な症状が出るんじゃないかな。個々の臓器は病んでないのに体全体を統括する制御系が病んでしまうので、訳のわからない不定愁訴がたくさん出るっていう。
それはアレルギー症状を起こしているヒスタミンの体内濃度が高いのが原因です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3
血圧降下、血管透過性亢進、平滑筋収縮、血管拡張、腺分泌促進などの薬理作用があり、アレルギー反応や炎症の発現に介在物質として働く。ヒスタミンが過剰に分泌されると、ヒスタミン1型受容体(H1受容体)というタンパク質と結合して、アレルギー疾患の原因となる。
神経組織では神経伝達物質として働き、音や光などの外部刺激および情動、空腹、体温上昇といった内部刺激などによっても放出が促進され、オキシトシン分泌や覚醒状態の維持、食行動の抑制、記憶学習能の修飾などの生理機能を促進することで知られている。
遺伝的な個人差も大きいので、一概にそうなるとは言えませんが、アトピーや慢性鼻炎などのアレルギー持ちの人は、
ヒスタミンによる覚醒状態の維持効果のおかげで頭脳明晰になるのです。
1 ヶ月くらい前からサインバルタという抗うつ薬を内服している。これは SNRI という薬剤に分類されるもので、神経伝達物質であるセロトニンとノルアドレナリン、両方の機能を増強するものだ。かなりの劇薬で、この手の薬剤にはよくあるように内服開始すると早々に副作用が出てくるものの、患者が必要としている薬効は少なくとも 1 週間くらいは内服継続しないと出てこない。
これまで何年間も抑うつ状態から浮かび上がることができずに苦しんでいたが、サインバルタを内服開始してから 1 ヶ月ほど経過し、やっと副作用もやわらいで気分落ち込みのない "普通" の時間が出てきた。ただしそれが終日続くようなことはなく、せいぜい 30 分から 2 時間くらいのことであるが、それでも気持ちが穏やかな時間ができたのは本当に嬉しい。
今回改めて思うのは、自身のうつ病を薬物なしで、気持ちの切り替えなどの自助努力のみで良くすることは自分には無理だっただろうということだ。しかし今までも他の抗うつ薬を試す機会は何度かあったが、それらは全く上手くいかなかった。では何が違うのか、私的経験のみにもとづくものではあるが考察してみたい。
当然のことであるが、薬の合う合わないはあるかと思う。抗うつ薬は効果が出るまでに時間がかかる一方で、抗うつ薬の副作用は強烈であるし、うつ病患者にはトライアンドエラーができるほどの気持ちの余裕は全くないため、効く薬さがしは難儀することが多いかとは思う。また単剤で十分量を十分期間投与というのがうつ病治療の基本らしいのだが、十分期間を待つことも難しい。今回は日中の眠気が少ない薬剤を選択してもらえたのが継続できた理由のひとつかと思う。
いずれも抗うつ薬の治療効果をマスクしてしまう可能性がある。つまりアルコールや抗不安薬での気分変化のほうが大きいため、抗うつ薬が効いていたとしてもその変化を感じとれない可能性がある。かつての私はこの問題に陥っていた可能性が高い。今回はアルコールも抗不安薬も常用していなかったので僅かな気分の復調を敏感に感じとることができ、それも治療継続のモチベーションとなった。
運動によって自発的に脳内麻薬/エンドルフィンモードをつくり出せると、気分のよい時間を増やすことができる。有酸素運動で脳内麻薬を出すにはマラソンにおけるランナーズハイのようにけっこうな時間がかかってしまうが、短距離走ダッシュとか筋トレなど全力を出すような無酸素運動であれば比較的簡単にエンドルフィンモードに近づけるようだ。この状態にするには全力を出すことが肝心なようで、自重だけで十分負荷をかけるのは困難なので、筋トレするならジム通いが効率的だろうと思う。私は 10 回ギリギリできるくらいの負荷をかけ、時間をおいて 3 セット繰り返すようにしている。
ある時私は思い立ったのだった。
酒を飲んだあの、『饒舌かつ聡明』な状態を維持できたら 最高なのでは? と。
どうやら、脳の神経伝達物質である 『ドーパミンの効果』であるようだ。
しかし、お酒には問題があり、その効果は最初の20分しか得られないとのこと。
ちがう。私は心の中で叫んだ。
体内のドーパミンの平均生産量を上げたいのだ。それも、10%や20%ではなく、今の生産量の倍以上に!
気づけば、無心で『ドーパミンを増加させる方法』について、調べていた。どうやらドーパミンが出ていた。
ドーパミンを自然に高めるには、ドーパミンのもとになる、『アミノ酸チロシン』を多く摂取すれば良いようだ。
安い。信じられないほど安い。 迷わず、購入ボタンをポチった。それも、1度や2度ではなく、愛用のApple社製MagicMouse2のクリック機能が壊れるほどに。
…ふぅ。 これで1年間はドーパミンに困ることはない。
いや、まてよ。本当にチロシンだけで、ドパミンは増えるのか? 僕の目標は、今の量の10%や20%増ではなく、倍以上だぞ?
不安になってきた。そうだ、相乗効果だ。僕の目標を達成するには、よく聞く『飲み合わせによる相乗効果』これを複数かけ合わせて、効果を倍々にしていくしかない!
関連するサプリを夢中で調べた。
そうしてたどり着いたのがこれらのサプリだ。
安い。安すぎる。仮想通貨に20万円を投資して、数ヶ月でゴミクズに変えた私からすれば、あまりに安すぎる金額。(しょぼ
ええい。全部いったるでえ。ふははは。
こうして、ドーパミンを過剰に生産したおかげで私は、今この文章を書いている。
というのは嘘で、実際、飲んでどうなるかはこれからのお楽しみ。1ヶ月後にまた