はてなキーワード: 父子家庭とは
父 : 口数少なく内弁慶で社交性低め。昔気質の善人だが短気ですぐ拳骨が飛ぶ。子供の教育にはあまり関心がない。腹違いのDQN兄が2人いる。高卒。
母 : 口うるさいADHD。子供は褒めると付けあがるという信念のもとあら捜しに精を出し、思い付きで叱る。父子家庭でアル中の毒親に育てられた。高卒。
姉 : 生活態度がだらしなく注意されるも改めることができず頻繁に親の怒りを買う。母と折り合いが悪い。父の拳骨がトラウマ。成績は中の上。大卒。
弟 : 姉が常に親から攻撃されているのを観察して良い子を演じるが短慮でうっかりミスが多く頻繁に親の怒りを買う。陰で問題行動多し。成績は上の下。大卒。
こういう家庭で育った姉と弟は、無事に自己評価が低く人間不信で異性に縁もない大人になりましたとさ。
姉は働き始めたらさっさと家を出ていったものの、父親の拳骨のせいで男性恐怖症になりおひとり様まっしぐらのアラフォーになりました。
弟は30手前まで実家暮らしした後、数年間の一人暮らしでいつの間にか嫁を見つけてきた。現在一児の父。
振り返るにこの家族最大の癌は、やはり母親の絶え間なく一貫性もない叱咤と、絶対に子供を褒めないぞ、という共育方針だったように思う。姉は40歳を目前にして未だに母親への嫌悪感と、母とは仲良くするのが良い娘だという価値観の板挟みになっている。具体的に言うと、よせばいいのに一緒に旅行に出ては旅先で大喧嘩するということを繰り返している。
大人になるまで扶養してもらったことへの感謝はあるが、しかし、いくら親の顔色を窺い「いい子」でいようと努力し続けても一向に評価されず、一度の些細なミスで最低評価に転落するという親子関係は空しい。
まーでもいいよ、控除枠下がっても子供と食べていければ特に不満もなく幸せだし。
ただ一番やるせないのは共稼ぎ世帯に入った友達とうまく遊べないことだなー
あとその価値基準だと一番苦労するのが父子家庭だということも見逃せない。
母子家庭だと援助がまだある方らしい…。
上手く価値観の合う人がみつけられればどちらも同様に一気に解消するんだろうけど、
途中まで上手くいっている家庭ほど専業化しちゃうんで、片方欠けるとあとはうんだのみだわ。
ほんで育児・介護が仕事にカウントされない(家庭内ボランティアが定着、民業圧迫)していることで
http://toyokeizai.net/articles/-/33576 こういうゆがみもでてくる。
もうね、ほんと大変ですよねー
私は物心付いたときから家には母親しかおらず、兄弟もいませんでした。一人っ子です。
家は木造で、ふたつの家が繋がった長屋のような家で、トイレはくみ取り式。いわゆるボットン便所。
いつの時代かとおもわれるかしれませんが、それほど古い話ではなく、水洗トイレが当たり前の時代でした。
家庭における経済的困窮は、母子家庭であれば母子手当。父子家庭であれば父子手当があり、
最低限の生活が送れるようになっています。私の家庭も受給していました。
しかし私がおもう大きな問題として、今回知ってもらいたいことは、
『片親などの家庭環境は、人間が産まれながらにして置かれる、小さな社会を奪うことになる』
ということです。
一般的にいう社会とは、お金を稼ぐための会社であったり、勉強をするための学校であるとおもわれます。
しかし私がおもう社会というもののひとつに、家庭が含まれているとおもいます。
本来であれば両親が二人いて、もしかしたら祖父母もいるかもしれません。兄弟だっているかもしれません。
その家庭・家族の中で周囲の人との付き合いかたを学び、豊か人間性を形成していく場所。
二人きりの家庭で過ごした私の幼少時代は、母親が本当に恐ろしく、守ってくれる人や、擁護してくれる人はいませんでした。
たまに祖父の家に連れてもらったとき、祖父に告げ口なんかしようものなら、家に帰ったあとお仕置きが待っていました。
ある種タブー的なことかもしれませんが、片親で育った人はどこかおかしいとおもわれてる節があるとおもいませんか?
私は直接聞いたことはありませんが、陰口は言われてるかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20140125043118
>女性は「別れた男が連れっていったクソガキのことなんて知ったこっちゃねえ」と思ってるわけでしょ?
>データはそう言ってるよ?
って書いてあるけど
表17-(2)-11 母子家庭の母が養育費の取り決めをしていない理由
表17-(2)-12 父子家庭の父が養育費の取り決めをしていない理由
をみると
母子家庭の場合、全体の7割を「相手に支払う意思や能力が無いと思った・相手と関わりたくない」を閉めており
父子家庭の場合、上記の理由だと5割を切り、父子家庭は「自分の収入で経済的に問題が無い」が母子家庭に比べて多く、全体の二割ある。(母子家庭の場合2パーセント)
こちらには就労や、収入格差も書かれており、母子家庭の平均年間就労収入が相当に低いこともわかると思う。
いろいろな理由あってのことだと思うので、一概に
>女性は「別れた男が連れっていったクソガキのことなんて知ったこっちゃねえ」と思ってるわけでしょ?
>データはそう言ってるよ?
みたいな事を言うのはどうかと思った。
養育費の話になると、なぜか母子家庭に話題を限定し、受給率19.7%という数字を出して、
いかに男が無責任で、甘い汁を吸ってて、女性が被害を受けているかを語り出す人がいる。
確かに、元夫の5人に1人しか養育費を払っていないのは事実だし、それがベストな状況だとはいえない。
でもね、実際はもっと女性の方がエグいことをやってるわけでしょう。4.1%だよ。25人に1人だよ。
それにはだんまりで、被害者ぶって男ばっかり攻めるのはどうなの?
養育費の受給は子供の権利だというけども、じゃあなんで、夫が子供を引き取った場合には払おうとしないの?
都合のいいことばっかり言ってるが、結局、自分の生活費としか思ってないんでしょ?
女性は「別れた男が連れっていったクソガキのことなんて知ったこっちゃねえ」と思ってるわけでしょ?
データはそう言ってるよ?
母親がいなくて「おふくろの味」とか「母の味」を経験していない人がいるから、そういう言葉を使うのはやめましょうなんて馬鹿なことを言うやつがいた。
実際、俺は父子家庭で育った身で一度も母親の手料理を食べたことはないが全然気にしてない。その代わり俺には「婆ちゃんの味」とか「父の味」があるのが多少の救いかもしれないが、それすらもない人達がいる。
そう、養護施設で育った人達。彼らは「おふくろの味」等がない。じゃあ、その人達に配慮して「家庭の味」ってのも言わないほうが良いわけ?
それ言い出したら、「彼女(彼氏)の~」ってのも経験してないやつに配慮するのってなるじゃん?
そこまでいくと言葉狩りどうこうのレベルじゃない。「万人が不快と感じない表現」なんてのは存在しない。
結局のところ、どこまでそいつらのことを考えてやりゃいいのさ。
二十歳くらいまで、時々、女の子に間違われることがあった。
小学生の頃、同級生にトイレで「本当に男かどうか」と下半身検査を受けたり、
「女がいるぞー」とかはやし立てられて仲間はずれにされたり、
短パン履いてたら、「女の子みたいな足」だねとか言われて若い兄ちゃんにチラチラ横目で見られたり。
あんまりいい思い出はない。
自分は、運動とか苦手だったけど、そいつは、運動神経良くて、顔もかっこ良くて、女の子にもモテてた。
うらやましかった。
自分も、男っぽくカッコいい顔で、運動も得意だったらよかったのに、と憧れるような気持ちで、そいつのことを見てた。
知らないうちに友達になっていた。
自分はすごく人見知りだったから、向こうから声をかけてきたのだったと思う。
家が同じ方面だったこともあり、放課後はよく一緒に帰っていた。
いろいろな話をした。
なぜ母親がいないのかについては、結局、聞けなかったし、教えてもくれなかった。
「お前は少し世間知らずだから」といって、色々と連れ回してくれたり、本やマンガ、CDやDVDを貸してくれたりもした。
生まれて初めて見たエロい系のあれこれも、そいつが貸してくれたものだった。
そいつが貸してくれた本の中に、いわゆる、男同士の描写のあるものがあった。
うわー、こういう世界もあんのか、程度の感想だったが、貸してくれるものの大半は健全な女の子のものだったので、そのうち忘れてしまった。
同じ高校に進学し、クラスも別々になって、以前よりは回数も減っていたけど、放課後、時々二人で帰っていた。
その日何があったのか、何の話をしていたのか、全く覚えていない。
自分の記憶は、そいつがいつもとは少し違うテンションで話始めた瞬間からしか残っていない。
その時、そいつは、突然、向き直ると、
「○○は、俺のことが好きなんだよね?」
「好きなんだろ?」
そして、小学生の頃、「女の子みたいだ」とからかわれていた記憶がなぜか蘇り、こいつも、自分のこと、そういういじり方するんだと、悲しく、悔しく思ってしまった。
友達だと思っていたのに、と。
「そんなわけないだろ!バカじゃないの?!」
それ以来、そいつとは、一緒に帰らなくなった。
もう、声もかけてこなかった。
そのうち、大学進学だなんだと忙しくなってきてそれっきりになった。
もしかしたら、
あれは、少しひねくれた、精一杯の、彼の告白だったのではないか?
そして、自分のその時の言動が、彼を打ちのめしてしまったかもしれない。
そんな風に考えられるようになったのは、何年かたった後だった。
それでも、友達として、もっと他のことが言えたのではないか、と。
嫁にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。
これ読んで思い出したので書いてみた。
http://totb.hatenablog.com/entry/2013/05/09/222135
男1人・女10人いれば1年間で子供が10人以上生まれる可能性がありますが、女1人・男10人ではありえません。また、男50歳・女20歳なら子供が生まれる可能性がありますが、女50歳・男20歳ではほぼありえません(精子の劣化は別の話)
まったく、そのとおりである。女10人に、男が1人いれば充分なのである。
女性が結婚相手を選ぶにあたっては、自分の教育水準(学歴)や経済力を基準にしますが、そうすると、「女性の地位が上昇→女性の男性への要求水準が高まる→女性の要求水準を満たさない男性が増える→結婚相手を見つけられない男女が増える」ということになってしまいます(1980年代後半以降に生まれた世代では、約3割が生涯未婚と推計されています)。未婚化を反転させるためには、女性が高望みを諦める必要があるということです。出生率低下の核心である「女性の高望み→非婚化→出生率低下」に口を噤んだまま、すべて政府の責任であるかのように批判するのはフェアな建設的議論とは言えません(政府が女性の地位向上に努めた結果が出生率低下とも言えます)。
あたりまえだが、人は誰でも優秀な遺伝子を残したいと思うものではないだろうか。生物学的(笑)に考えて。
とすると、学歴や経済力で人の能力を図るようになったこの時代にあって、女がその規準で男を選ぶようになるのも当たり前だ。
ここで思い出してほしい。
女は、高望みしてでも優秀な男の遺伝子を残したい。そして男は1人で女10人をはらませることが出来る。
ならば、優秀な男の精子を、複数の女達が分け合えるようにすれば良いのである。
そのためにはまず、一夫一妻制度の廃止(その後、多夫多妻にするか、一夫多妻にするかパートナー制度自体なくしてしまうかなど考えようがある)。
未婚での子育てを基本にし、女の賃金を男と同じ水準にまで上げ、シングル家庭でも子育てしやすいよう配慮する(父子家庭にもプラスになる)。
女の収入を低く保ったまま、一夫多妻にしてもあまり効果はないだろう。
いまの時代は、子ども1人にかかるコストが大きいので、かなり経済力のある男でも子どもを何人も養うのは難しい。
1人の親とその子ども、という家庭を基本形に社会を設計すれば良い。
女が優秀な精子を選び、子を1人で産み育てられる社会にすれば、
生まれてこの方、年上の女しか好きになったことないし、初恋は音楽の先生だったなぁ。
何度かデートしたことあるけどさ、知識も何もないし、それに緊張するのよね。
何話していいかわからないし・・・。弟キャラで甘えられる相手にしか積極的になれないのよ。
ああ、この人のおかげで生きていけるなって実感できるようなのじゃなきゃ、
25年間生きてきて3人と付き合ったけど、全員にそれ求めたよ。
だから、別れたのしれないけど、彼女いるときは精神が安定してたなぁ・・・。
みんな良い人だった・・・はぁ、何で別れちゃったんだろ・・・。
一人なんかさ、俺に内緒で留学の準備して、いきなり留学するからもう会えない、だよ?
●21の大学生。男。
●ずっと良い子として生きてきた。親の要求に従う良い子、出来の良い子。
ま、能力の問題があるから、良い子として出来る範囲でしか行動しないし、親もそれを望んでいた。
そして、兄が不登校・引きこもり、弟が非行に走ったり、親は離婚しているのだが元母親がクレイジーだったために、
自分は良い子でいなければならなかった。もともと性格的に悪い子でなかったからそうなったのだ、と言えばそうかもしれないが。
それから、父子家庭で、兄に虐待まがいの暴力的支配を受けて育ったために、
兄の機嫌を損ねないような「良い子」
父に気に入られるような「良い子」
として生きてきた。
●虐待をされないために嗜好・思考を兄に同調・迎合させるように生き、その過程で感情の表出が薄れ(泣くと殴られる)、
さらに教師である父に気に入られるために、極めて常識的な・普通な、そして出来の良い子としての役割を与えられている、そんな人間として育ってきた。
家庭環境はめちゃくちゃで、血のつながらない母・姉がいたり、うつ病の祖母がいたりで、
プライベートも極力隠しながら生きてきた。
権威に媚びるし、常識を逸脱しないようにたえず自分を検閲するし、感情は薄いし、自分のことは話せないし(聞かれたら死ぬ・人生おわると本気で思ってた)
、「いかに自分が「普通の人」として生きるか」が絶対であり、会話においても・人間関係においても、それをコントロールしようと努めてきた。
それが絶対だった。
●結果大学に入り、コミュ障・ぼっち。当然童貞。 ルックスは普通以上なだけに質が悪い。なんで彼女いないの? 知るかボケ…。
●すっげーつまんない人生生きてた。2ちゃんで誰かを叩いて、自分は普通だ・良い人間なのだという確認作業に追われる日々。
自信?皆無だし、 自分だいっきらいで自己否定感半端無いし、生きててもつまんない。自分から動かなければ余計な気を遣って・精神エネルギー浪費する必要もないから引きこもり、、、。
●初めは、そういうのが自分はクズだからって思ってた。自分がクズで無能で愚かで浅はかで、常識の欠落した人間であるからこうなのだ、と。
じゃあ、無理じゃん、一生このままじゃんって。
●でも、授業とか本とか某知恵遅れとかで、AC(アダルトチルドレン)の存在を知った。
そこから本気で自分の過去と向き合って、いかに育ちが・兄が・父が今の自分の思考・行動に影響を与えられてきたか知り、
思考・行動が自由になった。(自分の感情・気持ちがあるからそれ優位)
…っていうけど、そうは問屋が卸さない。これ容易なことではない。柵って深くて、なかなか逃れられない。
しかし、父や兄・自分の育ってきた環境に疑いの目を向けて、それを相対化したことで、「絶対視」がはずれ、悪いところが目につくようになった。
そしたら出てくる、出てくる。悲しくなった後、不満、怒り、嫌悪感。 ふざけんなってぶっ殺したくなったし、 今までの自分がいかに愚かだったかという自分に対する嘆きのようなものも。
●まー結果的に反抗期ですよねw 父親みたいな型にはまった考えなんてクソ食らえ!!! つまんねー。ださい。 無価値。
一方で、父が育ててくれたことに対する感謝と尊敬は常にあるけど。
兄の過去の行為はまぁ許せる。次殴ってきたら絶対にゆるさないけど。もうそんなに弱くないから。
●僕みたいな人はね、一度過去・自分の常識と向き合ってみるといいよ。徹底的に。 メンヘラがハイパーメンヘラになるから、ただでさえいない友達失うかもしれないけどw
自由になれる。 自分ベースで考え・行動することって楽で素晴らしい。ま、100%自分だけのそれなんてないけどね。
でもその占める割合が変わる(変える)だけで、人生変わると思う。
でも、親の呪縛(AC)から逃れることが出来ないでドツボにはまる人もいるみたいだから、安易には勧められないのだけれども。
●1つ言うなら、テレビ見よう!! 超、良いから!! (ネット捨てようっていっても無理でしょ?w
芸能人って頭ぶっ飛んでるから、明るいし、平気で家族とか過去の、自分だったら絶対に話せないようなこと話したり、常識に囚われていなかったり。(価値規範が自分の気持ち)
ネットだと同じような人間ばっかりじゃん。内輪の慣れ合いじゃん。そこにある価値観なんて、クソみたいなものだったりする。(だからこそクソ居心地が良いんだけど。)
ここでいう福祉ってのは、もう老人福祉から医療費から子ども手当から、ついでに年金まで含むもんだと思って下さい。
もう国債もじゃんじゃか刷れません、と。
よって、福祉は収入の範囲でやらなきゃいけません、とこう単純にやって欲しいわけ。
もちろん、年金にしてもそう。
あまりに少なくなるようなら、皆さんで相談して受給年齢上げるなり、それなりに資産のある人は我慢してもらうか決めて下さい、と。
その上で、消費税上げます?このままにしときます?ってやると実感として分かりやすいと思うんだよね。
福祉系の中でも、国として考えて、リターンが見込まれるもの。
例えば不妊治療であったり、まぁ子ども手当てでもいいや、あとは母子やら父子家庭への援助なんかは、消費税外から出してもいいことにしましょうってしてもいいかもしれない。
あとは、きっちり調査した上で支給しますよという約束のもと、セーフティーネットとしての生活保護も消費税外からでもいいかな。
あとは、もう完全に使うのは、普通の税収のX%プラス消費税収を全部あてるって感じのルールにする、と。
その上で議論して、消費税そのままか、もしくは下げてしまって、年寄りの医療費とかイラナイんじゃね?とか、80歳過ぎたら高度医療禁止ねとかいう意見も出てきていいし、もうこのままだと足りないから消費税15%だよとか、今以上に福祉を厚くするために消費税30%にしちゃおうよって意見が出てきてもいいと思うんだよねー。
とにかく、カネの入りと出が見えにくいから、議論がややこしくなってる気がするんだわ。
いや、それ父子家庭側に有利すぎるだろ。
初めは、子供がなれるかどうかを、住み込みではなくパートで見てもらって。
なれるようなら デートして 結婚まで持っていくものだ。(なくても内縁の妻だろ常識的に)
その間に家政婦なんて単語は普通 常識的には言い訳として使わないし お給料という名目では払わず 名目を変えるのが普通。(感謝の気持として払うのが普通)
なぜ家政婦やるときに間に会社が入るかといえば、余計なトラブルが起きるから、トラブル防止で間に会社が入るんだよ。5年10年だと いろいろな軋轢が生まれるだろ。(家政婦がほしいなら家政婦を雇え そして、数年で交代というのもありえるだろ。人間関係が揉めたら)
雇い主は先月、父子家庭になったばかりの43才。大学時代の同級生、恋愛感情はなかったけど、話は合う感じ。
子どもが小学校卒業するまでの約10年間、住み込みで家政婦をやってほしいとのこと。現状年収300万弱で、キャリアらしいキャリアもなく卵子が老化して久しい42才独身オバさんにとってこの条件ってどうなんだろう。
やることは、子供二人(男5才、女3才)の世話(食事、遊び、勉強、行事の参加)、家事全般、生活費の管理。休日は自分が休みの日(基本的に土日、だけど金曜の夜と月曜日の朝はいてほしい)。
住み込みの間、家賃光熱食費はかからないし、女性の生活に必要な費用(服、髪、化粧、小遣い少々)も生活費の中から5,6万/月ぐらい出してくれるらしい。家事に支障がでない範囲なら、アルバイト(内職とか)をしてもいいし、遊びに行ったっていいとのこと。
彼の直面している最大の問題は子供の面倒をみる人がいないことなんだけれど、中学以降は全寮制に入れる予定でその問題は無くなる。中学以降、もし気が合えば、給料の10万は払えなくなるけど(学費がかかるため)そのまま住み続けても構わないと言っている。
再婚は、今のところは考えていない(まだ考えられない?)とのこと。
普通の家政婦を住み込みで雇ったら、1日2万以上かかるらしくて月10万とか有り得ないってところなんだけど、なぜか妙に魅力的で、とりあえず今週末彼の家で子供達と会う約束をしまったんだけど、これからどうなることやら。。
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一日たって開けてみて、レスポンスが予想以上についていてびっくりした。
お金とか契約内容云々とかって本当はとっても大事なことかもしれないけれど、いまの自分にとってはそれってそんなに大事じゃない。今までもこれからもずっと女一人で干からびて死んでいくだけって考えたら、人生にちょっとぐらい変化があってもいいんじゃないかって考えている。
そもそも彼はそんな嫌な人ではない。今のかれにとって一番大切なのは幼い二人の子どもであって、二人にご飯さえ食べさせてくれるなら基本的に自分の好きなようにやってくれてもいいっていうスタンスで、10万じゃ足りなければ家計をやりくりして自分の取り分を増やしてもいいし、家の中をどういじってもかまわないとのこと。それって結婚とどう違うのかって聞いたら、(奥さんを亡くしたばかりの)今すぐには結婚とか考えにくいし、なにより子どもたちへの(お母さんが死んだら新しいお母さんがくるの?みたいな)影響が心配だって言われた。
ただ、子供たちには、成長した時本人たちのアイデンティティをしっかりさせたいってことで、本当のお母さんと自分を区別できるようにお姉ちゃんって呼ばせるらしい(自分はオバちゃんでいいよって言ったよ)。
子どもを中学から全寮制にいれるって話は、彼が面倒みれないから全寮制にするしかないってことだから、もし自分が面倒みるなら別に全寮じゃなくてもいいんだとおもう。
ちなみに彼は普段はほとんど朝9時から午前0時過ぎまで仕事してるような人なんだけれど、奥さんが亡くなってからは親戚に来てもらったり会社休んだり家で仕事したりヘルパー頼んだり一時保育頼んだり、子供寝てから会社にいって朝までに帰ってきたりとかありとあらゆることをしてるれど、そろそろ会社も大目にみてくれなくなるかもしれないし、なにより子どもに毎日バタバタとしたストレスのある生活からはやく落ち着かせたいって言っている。
いい年した男と女が一つ屋根の下に暮らせば、体の関係にもなるかもしれないけど、その時はその時でわざわざ今から取り決めなんかしておく必要はないよね。
子育て簡単に考えるな!(しかも他人の!)とか言われるかもしれないけれど、実際やってみないことにはどんなんだかわからないし、本当はすこし楽しみでもある。
もし途中でなにかあって放り出された時は、その時考える。ちなみに今のところの持ち金は現金千万弱+貯蓄保険。最悪無職だとしてもつましく暮らせば5年ぐらい持つでしょう。
とかなんとか頭の中でごちゃごちゃ考えてるふりしているけど本当は、一番困っている時に一番最初に声をかけてくれたことがジーンときちゃって頭がおかしくなっちゃってるだけかもしれない。
まずは本当に妊娠三カ月なのか、本当にお前の子なのか裏を取れ。
そして最終月経日だとか医者の診断だとかで確定、かつ「自分にも責任はある」「自分の子だ、という気持ちは変わらない」と思うなら、
「罰の子ども」になるよりは、生存を望んだ片親家庭に育つ方がいくらましか知れない。
両親揃ってはいたとしても「お前がいるせいで」「お前のために」と生きてるだけで子どもがギスギスを背負わされるとしたら、誰が罰ゲーム食ってんのかわかりゃしない。
彼女と子どもと三人でってのはまず無理だ。お前にとって、もう一度彼女を信じるというのが不可能だからだ。
まだ「父子家庭で頑張っていたら全部承知で嫁ぎに来てくれるという人が現れた」というおとぎ話級のハッピーエンド期待する方が希望が持てるレベル。
2週間くらい前の話。
隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュックと通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄の階段をのぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。
その翌日の話。
私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。
この頃、夫の帰りが遅くて家事も育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。
娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。
忙しかったけど、娘のごはんは栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。
自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。
色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。
いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。
1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険だから歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。
大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。
怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。
100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。
だから、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。
自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。
しかし、父子家庭で育った私にはドラマや映画や小説や育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。
変な話だが、母親もウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。
とはいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂の時間は楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。
ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。
色々な所で語られているほど華やかな場所ではなかったが
少なくとも給料は2倍になった(以前は手取り20を切っていた)。
マスコミはみんな1000万プレーヤーなんてのはバブル期以来の幻想なんだけど
それでも額面で自分の父親を上回るほど、立派な仕事をしているとは思えなかった。
兎に角、僕は子供の頃からの憧れだったテレビ局で働くことになった。
そして今、言いようのない閉塞感と絶望に打ちひしがれている。
時代を覆う閉塞感、いまを生きる方なら少なからず共有出来るものだと思う。
バブル崩壊後、右肩下がりの時世を過ごしてきた僕も同様、
表現し難い恐怖感、いや、得体のしれない魔物「ぼんやりとした不安」が常について回った。
直接の危害がすぐに及ぶ訳ではない、けれど穏やかに沈んでいく日常が怖かったのだ。
在りきたりな言い方すると「沈みゆく船に乗り合わせた不幸」とでも表せるのだろうか、
常に「何か」から追いかけられている様な恐怖がいつも隣り合わせにあった。
僕は父子家庭で育った。
そんなに賢くはなかったけど、要領がよかったので中学受験をすることになった。
第一志望の麻布中学は不合格、けれどそれなりに名の知れた進学校に進学した。
中高と奨学金を借りながら進学し
今に至ることになる。
こんな奴に何が分かるんだと怒られてしまうかもしれない。
お前は日々の生活に困ったこともないじゃないか、とか
かつて生活保護貰っていたこともあるけど、それでもやはり今の僕は恵まれていると思う。
常にアタマの中には「もう少しマシな日常があるんじゃないか」との思いがあった。
何というか、今日よりステキな明日があるのではと幻想を抱いていた。
けれど現在の職場へ転職してきて、その可能性も閉じてしまったのだ。
結局こんなもんかよ、との理解は想像以上にキツいものだったんだ。
夢すらも描けなくなったとき、絶望の波は一気に押し寄せてくる。
現実を知って夢を打ち砕かれるくらいなら、テレビ局なんて入らなければ良かった。
僕は今、ホンキでそう思っているのだ。
(追記)
どなたかが仰られていましたが、別に主語は「テレビ局」でなくても良くって
それこそ「起業する」だろうが「モテる」だろうがそこは本質でないと言うか…
具体性を敢えてなくしたのも、もうちょっと普遍的な悩みというか
「現実を再認識して夢が閉じてしまうこと、それが一番キツかった」
そんなに先の先まで夢や目標を描ける人ってこの世の中にどれくらいいるんだろうか?
そんな在り来りな夢を描くのが精一杯でした。