はてなキーワード: 父子家庭とは
父親だけの子育てが失敗しやすいということについては全面賛成する。
知り合いに30過ぎの父子家庭で育った一人息子がいるが、見ていて情けないくらいに甘ったれで自己中のクズ人間だ。
そいつの親父のことはよく知っていて、近所でも評判のものわかりのいいおじさんだった。
小学校のころ、息子は親父の手作り弁当とか持って学校に来てたし、運動会とか学級参観とかも必ず身なりのよい姿でおじさんは参加してた。
大人になった息子は会えば「自分は不幸だ。誰も理解してくれない」「世の中間違ってる。権力者はクソ」と自分のクズぶりを棚にあげて被害者ヅラを臆面もなくしている。
特に女性蔑視がひどくて、リアルに「女はバカ」「女が悪い」「年を取った女に存在価値はない」とか口に出しちゃってる。当然彼女はいない。
たまにおじさんに会うとかなり申し訳なさそうにしているのがまた痛々しい。
そいつんちは自営業なんで、ドラ息子は多少自分が仕事しなくても将来社長と呼ばれる身分になれると思って世の中なめてんのもわかる。
女のどこが嫌いなの?
嘘つくところとか?頭が悪いところとか?痴漢冤罪するところとか?
でもさ、嘘つきなら詐欺師は女より男の方が多いし、短絡的に人を殴るのも男の方が多いし、そもそも痴漢冤罪より痴漢の方が多いんだけど、それについてはどう思っているんだろう?
あれ、そういうことじゃない?
でもでも、それってとっても合理的じゃない?
誰だっていずれ年をとるのに若さと可愛さで相手を選ぶ男の方が多いじゃん?そっちの方が、おかしいよね〜。
いやいや〜忘れているんですか〜?子どもを産んだあとは育てなきゃいけないでしょう。子どもを育てるのにはお金がかかるんですよ!だから高収入の男が人気なんですよ。
え?自分で稼げって?いやー、女が子ども産んだ後も同じように稼げるとは限らないじゃないですか。さすがにそれくらい分かっていますよね?
あ、じゃあ、女の方が社会的に優遇されている女尊男卑社会だから?
うーん、でも、レディースデーってもうほとんどやってないじゃないですか。それに、レディースデーのあるところって、ほとんどメンズデーもあるでしょう。あ、これはごめんなさい、全部の映画館を調べたわけじゃないから知らない!でもたかが数百円だよ!それくらいで女尊男卑だとは、さすがに、ねえ?文句言うなら女じゃなくて映画館に言ったほうがいいよ!
あとね、女性専用車両は痴漢被害のあまりの多さに設置されたんですよ。これって、もとは男が悪いんじゃないですか?
あれ、そういうことじゃない?
ん?それは甘えだって?女も働きやすい社会になってきただろうって?
いやいや、まだまだじゃないですか。本気でそう思っているんですか。
「まず制度を男女平等にしてから女も働きやすい社会を目指せ」ですって!?
ええ〜!じゃあ制度が男女平等になってから働きやすい社会になるまでの間はどうすればいいんですか〜!
え!?「女は体を売ればいいだろう」ですって!?ほ、ほ、ほ、本気で言っているんですか〜!?!?
っていうか世の中で犯罪犯してる割合って圧倒的に男の方が多いんだけど、そこも「女はストレスのない世界で生きているから犯罪を犯す必要がない。その証拠が男女の自殺率の差だ!」なんて言っちゃうんですかね。
本当に男の方が生物的に優れていると思っているのかな。
幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。
父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。
父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。
兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。
近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。
私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。
兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。
高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものだから、同じ大学に行きたいと思うようになった。
私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。
成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。
ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。
金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。
お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。
そのとき初めて、父に不信感を抱いた。
学校で友達に相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。
高校で学年1位の子は、東京大学も合格圏内なのに地元の公立の女子大しか認めてもらえないと言っていた。
彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。
担任の先生や進路指導の先生に相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。
成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。
地元にはいわゆる難関と呼ばれる大学がひとつあって、父はその大学を勧めてきた。
でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。
そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。
兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。
その日は全く話し合いにならなかった。
兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。
私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。
でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。
兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。
そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。
ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。
全部、兄は禁止されていなかった。
それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。
父は私を縛り付けたかったのだろうか。
そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。
毎朝の行ってきますのキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。
本当はずっと嫌だったけど、ルールだからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。
兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。
そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。
父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから。
親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。
でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。
父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。
2月、受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。
理系のキャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。
いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。
父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。
高校を卒業して、3月中旬、友達と卒業旅行に行くと言って東京に行った。
もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。
東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。
もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。
合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。
認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。
後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。
そのとき初めて、父を怖いと感じた。
宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。
私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。
支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから。
3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。
しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。
2度目の父の激昂だった。
でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。
帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。
後日、同じく上京していた高校の友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。
父も休日に上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。
入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。
自由になったような気がした。
熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。
いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。
兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。
私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。
だからと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。
結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。
成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。
ただただ自分が恥ずかしい。
あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。
親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。
でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。
このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。
俺25
父49
昨日、飯を食いに来るという父の恋人(?)らしき相手がきた。
お父さんが料理を朝から作っていて一緒に昼飯を食べようと言ってたので、ビールだけ俺は買い出しに出た。
帰ってくると家には客人が来てた。
相手は、すごいごついスポーツ系の30代半ば自営業。日焼けしてサーフィンが趣味だという。
挨拶してから未だ放心状態のまま俺はひきつった顔のまま無言で昼食を一緒に食べた。
会話が、どんどん変な話になっていた。
客人「○○(俺)くんってお父さんに似てますね」
俺「はあ」
父「母親に似なかったんだよ」
客人「かわいいですね。目元がそっくりだ」
父「未だに子供っぽくてねえ。家のこともろくになにもしない」
客人「お父さんの若い時は○○くんみたいにかわいかったんでしょうね」
かわいいとか小さい頃はどんな子だったのとか根掘り葉掘り聞かれて居心地悪かった。
初対面の年上にいきなりかわいいとか言われてびっくりした。
父親は仕事で忙しく、幼少時の僕の面倒は専ら祖母が見てくれていた。
天真爛漫に自由な軌跡を描く身勝手な性格はどうやら星の運命の下に決められていたようで、結局僕のどこをトンカチでぶん殴ってもその軌道修正はかなわなかったが、おかげ様で見てくれだけは立派な青年に育つことができた。
しかし成人してから数年が経ち、父は死に、祖母は痴呆で虚ろになった。
父は持病持ちで長生きできないことは分かっていたし、母代りをしてくれた祖母の事は幼少期の頃よりなおさら覚悟していたことだった。
一人立ちはしているので実生活はさほど変わっていない。
しかし、いざ仕事を辞めようとか、新しいことに挑戦しようだとか大きな決断を考えた時、理解して後ろ楯となってくれる人間を失ってしまったなあと強く感じる。
だから、だろうか。
「失業保険ニート最高だわwwwもう働けない身体になっちゃったww」
実家に戻り、旅行や惰眠を楽しみながら思い出したかのように転職活動をしている友人から社畜乙メールがくると僕は正義の怒りにうち震える。
時々正義を執行するため、朝早くから鬼のような着信をいれてやる。
採用通知の電話がいつかかってきても良いように音量をあげて枕元に携帯をおいているのは知っているのだ。
僕にはもうない。
母親は元からいないものだと思って生きてきたので、いままで一度として会いたいと願ったことはなかったが、天涯孤独となって初めて会ってみたいと思うようになった。
祖母には「家事もろくにできない、いい加減なダメ女」と聞かされていた。
僕はパチンコ店の駐車場で子供を蒸し焼きにするような人だと想像を膨らませていたが、祖母が昔ながらの頭の固い人間であることから嫁姑の関係を拗らせていただろうということや、敵と認識した人間をいつまでも誇張して悪く言う性格を踏まえても、別にダメな人間ではなくてただ父や祖母と合わなかっただけなのだろう。そう察することができるくらいには僕も大人になった。
結婚して一年で僕が産まれ、三年で離婚したことが記されていた。
親権をめぐって裁判をしていることもあって、失いたくないとは考えてくれていたようだ。
普通は母親が親権問題で負けることはあまりないが、共働きで面倒を祖父母がみていたようなので、父というよりは祖母が僕をうまいこと囲って親権を勝ち取ったというのが正しいのだろう。
再婚はしているのだろうか。
すると、僕に弟か妹がいるかもしれない。妹が良い。妹だろう。
いや、きっと妹に違いない。
兄弟がいたらとあれこれ仮定してシミュレーションを重ねていくことは、一人っ子に宿命付けられた悲しき人生の命題である。
僕も例に漏れず、これまで様々なシミュレーションを構築し、妹とは何かという研究を進めてきた。
弟である場合も仮定してみたが、僕の性格から割り出した弟のシミュレーションは、ほぼ全てのパターンで僕にリバーブローを打ち込まれて肝臓を破壊されている。理由はこざかしいうえに、生意気たからだ。
その点、妹は生意気でも阿呆でも根暗でも、僕には癒しとなり人生を一段上へとシフトさせる大きな力になるであろうことが多くのシミュレーションパターンからわかっている。
世の兄と呼ばれる人たちに「妹とは良いものか?」と訊ねると、多くが「そんな良いもんじゃねーよ、うざいし、面倒くさいし」という返答をする。そこで彼らは兄妹の折り合いが悪い様を例にあげ、さも不仲であるように印象を捜査する。
それは逆に、兄妹の仲睦まじい様を例にあげられたとき、我々が覚える激しい嫉妬の怒りからも見えてくる。
世の兄達は理解しているのだ。そして、我々に気を使ってくれているのだ。
それほどまでに妹がいる兄とは人間としての器が大きい。ひとつ上の男だ。
実際に僕の小学校から大学までの経験では、実家に遊びに行って妹が出てきた際、どの娘も兄とは不仲そうに見えてなんだかんだ仲睦まじく見える場合が多かった。僕はしきりに羨ましいと友人を憎んだ。
ただし例外もあって、おおよそファンタジー世界に出てくるオークのような妹が出てくるときもある。
妹がいるかもしれないという疑惑を抱いたのは母から何の連絡もないことからだった。
小学校入学の際、中学校卒業の際、僕が成人の際、手紙の一つや二つ出そうと思う節目はいくらでもあったはずだ。
新しい家庭を持ち、その家族のためにも僕のことは忘れて生きようと誓っていたに違いない。
母もようやく子供の手が離れ人生に一息ついた頃、ふと四半世紀ほど前に産み落とした子供の事を思い出す。
「あなたもいい歳になったし、そろそろ……」
兄の存在を妹に打ち明ける母。
兄弟がいたらとあれこれ仮定してシミュレーションを重ねていくことは、一人っ子に宿命付けられた悲しき人生の命題である。
妹も例にもれずこれまで様々なシミュレーションを構築し、兄とは何かという研究を進めてきているはずだ。
ああああなんかそんな感じで、気だるい日曜の朝とか急に妹ですって娘が訪ねてきたりしないかなあああ。
しかし、実際に僕が母を訪ねて行っても小汚い田舎のボロボロアパートに羅生門の婆みたいなのがひっそりと暮らしているだけかもしれない。会ってみて妙に縋られたりして僕はとてもみじめな思いをするのだろう。
そうして、僕の思い描いた可愛い妹は儚くも露と消えるのだろう。
だから、迷っている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20150225-00043319/やhttp://anond.hatelabo.jp/20150224230553
そりゃこっちだって満員電車どころかガラガラじゃない限り電車やバスも乗りたくないし、ずらす努力はしている。
あなたたちがその電車に乗らないと遅刻するように、こちらもその電車に乗らないといけない理由がある。
屁理屈というか愚痴になるが、抱っこがめんどくさいんじゃない、抱っこできないんだ
米5kgを袋にいれず片手で抱いて持ってくれ、空いてる手には3kgぐらいのかさばる荷物を持って
こっちの5kgは動くし、ぶつからないように抱えないといけないし、時には泣かないようにあやしてる
そういう意味では女の人の方がすごい人多いかもね、自分よりちびで華奢なのに平気な顔して抱っこしているから
そういわれると何にも言えないよ、だってホントに高くて乗れないんだもん
15分ぐらいでも2~3千円だよ、3千円あったら新幹線のって新横浜いけるよ
貧乏だから田舎に住んでいるよ、田舎者でも都会に行く用事ある、というか都会を経由しているだけだけど。
あなたたちだってお金がないから満員電車に乗らないといけないところに住んでいるんでしょ、
貧乏じゃないのなら歩いて行ける所に引っ越せば?
大体その電車に乗り遅れたら遅刻確定とかさ毎日そんなリスク追って通勤してるの?
大事なプレゼンや試験で「オンタイム」で移動するとか社会人としてありえない
大した用もなく、考えなしに満員電車に乗っている人がいることは認めるし
そういう人のせいで全体が悪くみられていることは同じ子持ちとして憤りを感じているけど
「俺は働いているから偉いんだー」「俺は毎日利用しているから偉いんだー」と言ってるだけに見える
「私は子供を産んでいるから偉いんだー」という人と同レベルになっていることに気づいて欲しい
-------
余談だけど査定する立場側なので一言言うと、「遅刻」と言う現象だけみて評価していないよ?
普段は早く来ているが1回だけ遅刻した人と遅刻したことは無いが毎日ギリギリの人
遅刻という目に見える失点があるから何かしら評価を下げる必要はあるけど
追記
何で素抱っこ前提なんだよ。今時抱っこ紐使ってない人なんていないだろ。
(10kgの米袋って書いてたら、そんな大きい新生児いないよと言われただろうな)
抱っこしてるだけで機嫌が良いなんて、どこの天使だよ
そもそも素抱っこ前提じゃなく、前提はベビーカーね
「電車ではベビーカーを畳んで抱っこしろ、そもそも乗るな」に対しての見解だから
更に言うと少し想像して女性1人だったらベビーカー畳んで抱っことか大変で
大変って言ったら大変なら乗るなって言うのは想像力が足りなくね?って話です。
ついでに言うとベビーカーに乗せてたら抱っこ紐を用意していない人多いと思います。
毎日ギリギリに来てようが遅刻してようが仕事してればそれでいい、というふうにならん限りな。
日本企業の査定者は仕事内容の本質で人材を評価する能力がないから、遅刻やら労働時間やら勤務態度やらといったわかりやすい形式的なポイントでの評価に逃げる。
文盲乙
一文だけ抜粋した時の意味と全体を通した時は意味が変わるから、それこそ意味の本質を捉えましょう
H子ちゃん。この子もダイヤルQ2だった。某駅の南口に面した道路で、車で待っていると、H子ちゃんがやってきた。案外、可愛い。黒のセーターに黒のタイトスカート。スリムで、笑うと八重歯が覗く。茶髪で、地元でヤンキーをするまで悪くはなかったが、勉強はそれほど得意じゃなくて、地元の高校を卒業した後、地元の企業で働いて、普段は中学校や高校の時の友達とまったりと遊んでます、早く素敵な彼氏と出会って、結婚して子供が欲しいなあ、っていう感じの女の子だった。
そのまま、国道沿いの中国人が営業しているラーメン屋に行って、ラーメンを食べた。店員が「こいつ、また、違う女を連れてきやがって」みたいな表情をしたのを覚えている。
H子ちゃんとは、その日は何もなく、別れた。その夜とその後も数回電話があった。しかし、会うことはなかった。
H子ちゃんの家は父子家庭で、某自動車メーカーの工場勤務のお父さんと社宅に住んでいるらしい。そのお父さんのことが、頭に浮かんでしまって、いけないことはできなくなってしまった。もうひとつ、胃が悪いようで、お口が少し臭かった。ピロリ菌がいたのかもしれない。あそこの臭いのは好きなくせに、お口の臭いのは苦手な私であった。幸せになっているといいなあ。
I子ちゃん。この子とは、テレクラで出会ったと思う。渋谷駅のハチ公前で待ち合わせ。腰にもんちっちのぬいぐるみをぶらさげたのが目印といっていたので、見渡すと、一人いた。もんちっちをぶらさげているが、どう見ても高卒には見えない。意を決して話しかけると、約束したI子ちゃんであった。この子は、現在まで出会った子の中で一番可愛かった。丸顔にくりくりっとした大きな瞳。ショーットカット、ボーイッシュ。小柄でスリムなボディ。中学生でも通用しそうだった。その後の会話で、高卒というのは間違いないと確認できた。カラオケに行って、道玄坂の辺りをぶらぶらしつつ、ひょいっとラブホテルの入り口へこちらが入ったが、彼女はついてこなかった。結局、その日はさよならした。そして、二度と会うことはなかった。彼女はお父さんから家庭内暴力を受けているらしかった。このため、家にいたくなかったようで、友達の家を泊まり歩いていたらしい。こんな小さくて可愛いのに、苦労しているのだな。そう思うと何もできなくて、二度と会うことはなかった。まあ、ラブホに着いて来てくれれば、何していただろうけど。
J子ちゃん。この子はダイヤルQ2。深夜に某駅北口で待ち合わせ。どよよん系と個人的に呼んでいた、テレクラ体型。顔は今でいう腐女子タイプ。メガネに、地味な顔立ち。しかし、色白で、やはり、おっぱいは巨乳。星を見に行こうと言っていたので、某山中へ深夜に到着。星を観測した後、抱き寄せてチュー。ちんちんを触ってもらった。おっぱいをモミモミした後、下山してラブホへ行こうとすると拒否られた。結局、その子の自宅近くでバイバイ。この子もそれっきり。
職場で金銭トラブルがあり、退職。同僚のお金を取ったと疑われたとのこと。この他にもいろいろトラブルがあったようだった。負のオーラが漂う子だったな。出会い系にはそういう子が多い。
K子ちゃんとL子ちゃん。テレクラで、遭遇。これからカラオケして遊ぼうというので、某駅まで電車で1時間くらいかけて行ったら、どよよん系ヤンキーが二人。本当にカラオケに行こうという。知性を感じなかったので、突然用事を思い出したと行って、帰った。