はてなキーワード: 海辺とは
別にヘイトスピーチを見てみぬふりされてるのは、マイノリティだけではない マジョリティとて同じこと
拉致被害者やその家族がされてきた長年の誹謗中傷だって見てみぬふり
誰かが毎日悪口を言われていても対象が知人や政治活動家でなければ無感心(無関心)
そんな悲劇はそこら辺に溢れていてマイノリティだからと特別扱いして優先してあげる必要は無い
他人に何かを期待して書き込む人ほど、SNSに言葉を書き込めば書き込むほど満たされなかった時は
煮詰まり苦しむ
Twitterねぇ あそこは同調圧力と何も考えないエルンスト風にいえば再増殖の幽霊(「RT」と「何も考えず
TLコンテンツの情報を鵜呑みにして消費するだけの人」「見せ掛けの多重ID」)がたむろする
「つぶやき地獄」だよ 嫌な場所に留まり続けないといけないことはない
場所というものは自分で作るもので、基本無料のネットサービスコンテンツに頼り切って管理者にブーブー
いうのも的外れ 自分でホームページ作って自分で管理した方がいい
実名派はネットで実名書いて意見を物申す事がどれだけ怖いことか分かっていないフリしている
マイノリティや拉致被害者やその家族がされてきた長年の誹謗中傷など見てみぬフリしてるし
元増田も昔、友達と一緒に海辺で拉致されかけたことがあったというのは上記の事を見ると
2chや増田などの匿名の場所でしか書けなかった拉致の事書くと「荒らし」がくるし
ネットで実名実顔で意見を申したが最後、人格までコンテンツとして大衆に消費され貪りつくされ
後にはレッテルの他には何も残らないtogetterやまとめサイト、動画サイト、2chでコンテンツを消費されつくした魂の抜け殻になる
無料の情報ソースであるネットの発言にマスコミの一部のジャーナリスト(?)が自分で取材しようとせず安易に食いつくようになって
どんどん酷くなっていく
実名って他人を攻撃して圧力を欠け言論を封じる為にある物と勘違いしてる人達はどちらにもいるので
人間はパンのみで生きているわけではなく、他人の喜怒哀楽を感じて「魂」を喰って生きてる
「悲しみコンテンツ」を書いたぐらいだhttp://anond.hatelabo.jp/20120708053649
だからもう何も感じない何もしたくない 心の種は尽きた
増田で書けば良かったのに ネットで実名で書いたら悲惨なことになるという事が充分分かっていなかった
マジックワード「どっちもどっち」「悪口を言われる方にも悪いところが」「いじめられる側にも問題が」「喧嘩両成敗」
これらの価値観は全て日本の学校でサヨク教師に大衆が魂の髄まで植え付けられた価値観であり、被害者も常に叩かれる
この価値観を「革命」できない限り、反へイト連合の一部に勝ち目は無い
なぜなら「俳優騒動」の時に取るに足らないことで
『レイシスト』『ヘイトスピーチ』の言葉の濫用をやってしまい言葉の寿命を乱費したあげく辞職に追い込み
この程度のことで「レイシスト」「ヘイトスピーチ」認定されるんだ、自分達は他人を中傷しても他人を脅かしても
「マイノリティ」といえば大衆に許容されると勘違いしちゃったから。所詮狭いクラスタ内でしか通用しない理屈。あれ実際には「怖い」「言論弾圧」そのものだ
と元増田は思った。これまでの一部のクラスタの言動行動を「ティンダロスの猟犬」に目を付けられまとめられ対比させられたら
マジックワード「どっちもどっち」で将棋用語でいうところの「必至」に陥る
本人が書いたかどうかなんて関係なく何も考えない大衆は声の大きい人のRTや印象操作だけを信じる
それに法で裁いたり賠償を求める事はできても、悪口を書き込まれるのを止めることはできないというのを
実例何件も知ってる
人が憎しみをこじらせた時、罵詈雑言誹謗中傷暴力を止めることが出来る人はいない
正義でネットは動かない「正義ぶりたい人たち」「何も考えないままRTする人たち」にいかに共感
の波動を響かせるかが全てである そういう文才って「才能」だから反ヘイトクラスタの中では
SNSで煮詰まって苦しくなったら実名を捨てて増田に書きに来ればいい
顧みられることのない打ち捨てられる苦しみや憎しみが心の波となって打ち寄せた時増田にできるのは
ネットで「天気」「交通情報」「メール」「翻訳」「ファイナンス」「電子書籍」
彼らはネットを「道具」として使っているだけなので、地獄から程遠い
他人を自分の思い通りに動かそう、他人の承認や共感を得よう、他人の言動行動を制限しようと
するのが目的でネットに依存する人々にとってはSNSは生き地獄になるだろう
全部全部焼き払ってしまったと思っていたのに。アルバムから滑り落ちたのか、今日まで暗がりの奥に隠れていたようだった。
残っていた細々とした小物を整理していた私は、思わず感傷に浸ってしまった。
おい、忘れるなよって、どこからともなく野太い声が聞こえたような気がしたのだ。
もう二度と聞くことのない、おどけた調子で。声はダンボール箱をいっぱいにし続けていた私の手を引き止めた。
へたり込んだフローリングの床が冷たい。うららかな西日が射し込んでストーブがいらないほど暖かな室温なのに、押し入れからはひんやりとした空気が漂ってきている。
辛くて、悲しくて、忘れてしまいたくて、一つ残らず火にくべたはずだったのに。たった一枚の写真に引き寄せられて、記憶は鮮明によみがえってきた。
交わした笑い声が、他愛のない言葉の数々が、光を放ちながら胸に込み上げてくる。
些細な事で喧嘩して泣いたこともあった。二人押し黙ったまま手をつないで浜辺を歩いたこともあった。
切なくなるほど懐かしく、日々は私の中に大切に仕舞われていたのだった。
あいつが最後に部屋を後にした時の表情が、今更ながらに思い出せた。写真に涙がぼれ落ちる。あの日から一度も流れなかった感情が、ぽたりぽたりと堰を切って溢れ出していく。
いつもどんな時でも、あいつは私に微笑みかけてくれていたのに。
失くした現在が重たくて、私はもう二度とその場から立ち上がることができないような気がした。
声もなくしばらく泣いてから、聞こえた囀りにふと目を上げた。ベランダに顔を向けると、金属製の柵に二羽のツバメが留まっていることに気が付いた。
どうやら二羽はつがいであるらしい。巣作りの場所を探しているのか、一声鳴いてやにわに飛び立つと、相方を追って残りの一羽も素早く宙へと羽ばたいた。
もぬけの殻となったベランダには、柔らかな春の西日が射し込んでいる。
想い人はもう追いかけられないけれど。
この二年で、私の生まれ故郷は大きく変わった。
平たく言えば、完全に崩壊した。
もう戻ってこない。復興しない。
私の生まれは津波で被害を受けた。とはいえ、陸前高田市のような中心部ではなく、ギリギリの周辺部だ。
私も陸前高田市でボランティアをしていたから、あの惨状とは比べようもない。
物事が移り変わることは止めようがない。
いつも学校へ行くために通っていたけもの道、海辺の最早ひと気のない公園は津波に飲まれ、道は寸断した。
もうこれらに人が戻ることはないだろう。
私の生まれは古い古い集落で、番地より後ろの住所がないくらいだ。
新しい住人には古い祭りが受け入れられなかった。夜中に大太鼓を持って歩くような祭りは、今の感覚からは受け入れ難いものなのは理解に難くない。
そして人が死んだ。
しかし、その後の失業、家の立て直し、あるいはその後の人生に絶望したのだろうか、自殺する者、生きる気力をなくした者がちらほらいた。
連綿と続いた集落は失われた。
復興、という言葉があるが、これら失われたものを取り戻すことができるだろうか。
私にはできるとは思えない。
皆がもう昔ながらの村の付き合いはできないと感じていた。
私が懐かしむべき故郷はもう帰ってこない。
生まれ故郷に帰ると、涙が出てくる。景色は何もかも色褪せ、ゆっくりと死んで行くように見え、人にも気力がなくなった。
なのに懐かしさと悲しさを覚えるのは何故だろうか。
私は生まれ故郷にもう一度活気を取り戻したい。
元に戻す、ではなく、新しくつくる、が必要ではないだろうか。
私には何ができるのだろう。
しのうこうしょう私の学校では部落差別はいけない事だよーみたいな教育があった。
小さい頃はふーんって感じで聞いていたが、大人になってから市の開催する無料資格講座に参加した時に久々に受けさせられた。
市の部落差別担当の役場のお爺さんさんが「本当はこれやりたくないんですけどね、配属されたからね」みたいな自己紹介をゴニョゴニョしてた。
その後、中学生日記を死ぬほど安っぽくつまらなくしたような、部落中学生が根性悪い奴に差別されて、最後は夕陽に染まる海辺で「皆!ありがとう!」とか言って5人位で手をつないでアハハハーって走りだすドラマを視聴。
さっきの爺ちゃんが「部落差別はいけませんよ、部落の人も私達と同じ人間なのです、赤い血が流れているのです」とか言って終了。
そりゃ赤い血の流れた人間なのは見れば解るわ…などと思いながらつまらなさそうに聞いていると「若い人には解らないかもしれませんが」と私の方を見て言ってきた。
参加者の中で一番役場の爺ちゃんが部落に差別意識持ってそうだった。
私が部落なら「この人だって私達と同じ人間なんです、赤い血が流れているんです」なんて言われたら腹立つけどな。
ポルトガル出身の彼は、1888年に生まれて、1935年に死んだ。
欧米圏では比較的研究が進んでいる人物なんだけど(wikipediaの日本語版と英語版を比較してみれば歴然としている。facebookで調べてみても、欧米系の人々からの評価が高い)、日本人にとってはあまり親しみのある人物とは言えない。
しかし、日本において人口に膾炙していようがいまいが、彼の詩人としてのセンスには類まれなものがある
今回はその一部を紹介したい
人々の、やりたかったけれど、やらなかったこと
心の中に仕舞いこんで、誰にもいわなかったこと
それらすべてのために
あの切ない気持ちがつくられたのだ
人生を過ごし、それを振り返ってみた上で、目に飛び込んできたその道のりを、極めて繊細な感受性によってえがきだした文章である
このような言葉をこそ、本当の意味での名言と呼ぶべきなのだと、私は思う
また、twitterにおいて彼の発言をまとめたbotが存在しているようなので、紹介する
https://twitter.com/#!/fpessoa_b
――もうずいぶん前から、私は私ではない
それdiscovery of oceanで見たな。
シャチが主役でゾウアザラシは脇役という一応位置づけだったけど、
むしろゾウアザラシのその生態の方が印象的で、子供アザラシや母アザラシを捕食するシャチが物語の引き立て役みたいな感じだった。
母乳が出なくなったために栄養を補給しに母アザラシが子供を海辺に置いて一旦海に戻ろうとするんだけど、
母親を失った子供アザラシは他の雌にお乳をもらおうとするんだけど、雌はアザラシは自分の子供でないと分かると追い払ってしまう。
母性本能が発動して異種の動物にまでも授乳する母親も珍しくないから、この光景には衝撃を受けた。
母性本能はやはり限定的に発動するものであって無差別ではないのかなあと。
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
小さな団地で、僕の家はその端にあって、すこし間を置いて工場が建っていた。準工業地帯で、他にもいくつか工場があった。何を作っているのかよく分からなかったけど、半々の割合で稼働していて、稼働している時はどこもそれなりに大きな音がしていた。
四六時中というわけではなかったので大して気にすることもなく、どちらかといえば実家を思い起こす時には静かな暮らしだったイメージ。
最近会社の近くで工事をしているのだが、五月なので季節柄窓を開けている。その工事の聞こえてくる感じが実家とよく似ていることに今日気がついた。
ずっと工事してたのに今日まで気がつかなかったぐらい自然に受け止めていたのかと思うと、人間の育つ環境っていうのは凄い影響力があるんだなと思う。
自分は雪国でもなければ海辺でもない、ど田舎でもネオンが光り続ける都会でもない、平々凡々な町で何の特徴もなく育ったと思っていただけに、なかなかな発見だった。
それだけ。
そこに住むキサラギは、小さな小学校の前で雑貨屋を営んでいた。店の前をほうきで掃除をしていたとき、この町では見ないようなパリっとした服装の男が現れた。
男は、大手ブランドのロゴが入った看板を指さして、「事務用の机とイスを探しているんだが」と言った。
キサラギは、その男の足元から頭の先までを怪訝そうに眺めた後、ひとこと言った。
「あいにく、在庫を切らしていてね。すまないが他を当たってくれないかい」
男は、「また、気が変わったら、呼んでくれ」と一枚の名刺を置いていった。
名刺には、「神羅カンパニー総務部備品係 宝条太郎」と書かれていた。
キサラギは、このときこの唐突な訪問者に対して、どのような感情を持って接すればいいのかわからなかった。
昼ごはんを食べていたとき、近所の服屋のおばちゃんが駆けこんできた。
「作業着が200着も売れたんだよ。前金で!」
一年の収入を一度に得たおばちゃんは、大金を目の前にして、正気を失っていた。
この噂は、この小さな田舎町をあっという間に駆け巡った。
本屋では、たくさんの雑誌が定期購読され、肉屋では、測量工事の弁当が定期契約された。
酒屋では、贈答用のワインが大量に発注され、タバコ屋でも、タバコの注文が大量に入った。
しかも、どの店でも前金だ。言い値をふっかけても、この街に突如してやってきた男は嫌な顔ひとつせずに金を置いていった。
町は突如としてやってきた「神羅景気」に湧いた。
おこぼれにあずかろうと、急に軒先に看板を出す者さえも現れた。
酒場では、漁師たちがあの男と盛大な宴を繰り広げる日が続いた。もちろんすべてあの男のオゴリだ。
キサラギは、嫌な予感を感じていた。こんなことがこの町に起こるはずがない。
ひと月ほどの時間が流れ、また、男がやってきた。
「顔を覚えてほしいと思ってね」と男は言葉少なに店を出ていった。
この男の行動が気になったキサラギは、そのあとをつけていくことにした。
男は次々と町内の店で前金で大量の注文をしていった。神羅の本店で使うのだろうか。異様な光景だったが、男の申し出を断る人はいないようだった。
買い物を終えると、男は町の長老の家へ消えていった。
キサラギもそのあとを追い、物陰に隠れ、男と長老の様子をうかがった。
男は長老に言った。
「この町の海辺に魔晄炉を作らせてください。お礼はうんと弾みますよ。これであなたの町での地位も安泰だ。」
「すぐには返事はできん。少し考えさせてくれんか」と、長老は男にいった。
「それでは、前向きなお返事を待っています。」
と、ひとこと言い残すと、男は長老の家を出て行った。
男が去ったあとで、町の重鎮たちが長老のもとへ集まってきた。
「神羅がやってきたのは、魔晄炉のことか」と重鎮のひとりが長老へ詰め寄った。
「これはこの町にとって願ってもない機会かもしれんが」と、長老はつぶやいた。
「これができれば、仕事がない冬にミッドガルへ出稼ぎへ行くこともなくなるし、悪い提案ではないと思うが」
「そうじゃ、そうじゃ。若い人も町へ残ることができるだろうし、ミッドガルから人もくる。」
「この申し出を断ったら、この町が注目されることはもうないだろう。」
「魔晄炉は動かし始めると1000年もの間、それを見守り続けねばならない。魔晄炉に何かあったときは、我々は運命をともにすることになる。何代もの子孫にかかわることを我々だけで決めて構わんのだろうか。子供や孫たちはわしらの決めたことをどう思うのか…。わしには分からん。」
重鎮たちの意見はまとまったが、神羅がこれくらいのことで諦めるはずはない。
魔晄炉のためにこの町が背負う十字架はあまりに大きすぎる。キサラギは、この小さな田舎町の行く末を案じずにはいられなかった。
ツイートもブログも、メールもない。電話だって出来ない。電気・ガソリン・ガスが失われ、津波に傷つけられた街では本当に昔からのやり方で物事が行われている -ペンと紙で。
コンピュータやウェブサイト、3G携帯はもちろん、20世紀の印刷出版は利用できずに、街唯一の新聞である石巻日日新聞では記事が大きな紙に黒のフェルトペンで書かれている。
現代のメディアとは思えないが、この方法は機能している。
「このような悲劇に苦しむ人々は食べ物や水、そして情報も必要としています」夕刊紙である石巻日日新聞にて主筆を務めるタケウチヒロユキは語った。「これまではテレビとインターネットでニュースに触れていた。しかし灯りも電気もなくなって、彼らにはうちの新聞紙かないんです」
近年のアラブ世界をまたがる政治的醸成が新しいメディアの持つ力を華々しく告げる一方、世界で最も「つながった」国である日本での悲劇は、時計の針を逆転させた。少なくともここ何日かは、印刷/手書きのことばが優位となった。
執筆・編集が終わると、タケウチと同僚が手作業で複製し、史上最悪の地震とそれに続いた死の津波に生き残った人々がいる避難所へと配られる事になる。
「情報を手に入れるのに必死なんです」津波が自宅の一階に押し寄せて以来、10日間オフィスで寝泊まりを続けるタケウチは語った。
16万都市の1/3に電気教kっゆうが再開され、タケウチの新聞はペンを置き、印刷を始めた。ネットはまだ使えない。月曜の一面では「奇跡の救出劇」、80才女性と16才の孫息子が瓦解した石巻の自宅から日曜日に救出された物語を讃えていた。
海岸線を仙台に下ると、かつて賑やかだった100万都市では、デジタルによる意見は停止している。「こんな状況では、紙(媒体)の力は他(のメディア)にはない」街を代表する新聞である河北新報の社長でありオーナーでもある一力雅彦は語った。ほとんどの店が閉じた今では、ラジオの電池を買う事ができない。
この地域の電気供給が崩壊し、仙台のコンピュータやテレビはシャットダウンされたが、一力が持つ仙台の新聞はその間も発行されている。津波の日には1ページの号外さえ届けている。
情報に飢える住民は、(一力)社主に「生活を守るために私たちの新聞に頼っている」と話した。大災害についてだけでなく、毎日の生活に関わる情報が提供される。どの店に食べ物があって、どの道で瓦礫が除去されたか、どの銀行に現金があって、有名酒販チェーンのどの店が再開したかなどについてだ。
石巻は仙台よりも小さく、被害は長引いており、日日新聞は津波の後の2日間は発行できなかった。6人いる記者のうちの1人は、仕事から戻る途中に車にのったまま飲み込まれた。彼は生き残り、数日を病院で過ごして現場に戻った。
主筆であるタケウチは、3月11日午後2時46分に地震に襲われた時にはオフィスにいた。その日の入稿を終え、紙面では1面には石巻の「隠れた魅力」についての記事が飾られ、役所の担当者は病院やその他の施設を改善する約束をしていた。
地震は2階建ての新聞社社屋を揺さぶり、激しさのあまり蛍光灯は天井~落ち、ファイルキャビネットは床の上で横滑りした。
最初の手書き版は3月13日に準備され、「可能な限り正確な情報を得られるよう努める」誓いが特集された。日本中から集められたレスキュー隊の到着と被災地域の広がりが伝えられた。石巻では海辺の家屋やビジネスはぶち壊された。3万を超える人々が避難所に逃げ込んだ。「今や被害の全貌が明らかになった」という見出しがつけられた。
明くる日、身元が確認された34地域の人々の名前と年齢が載せられた。絶望の兆候でもある、スーパーでの略奪も伝えられた。
しかし紙面では、打ちのめされた人々の気持ちに拍車をかけるようなものよりも、明るい話題が努めて選ばれたとタケウチは言う。「希望につながる事を探しています。これが私たちの考え方です」 「数が増えるばかり」という理由で、死者名の掲載は取りやめとなった。1300以上の遺体が確認されている。
「こうした努力が電子メディアの不在を補う上で役立っている。電気や水、十分ではない食べ物での生活はうんざりするくらい大変です」石巻の25才になる、イシカワユタカは言う。「でも最悪なのは情報がない事です」メールやネットサーフィンが恋しいと彼は語った。
タイの海辺の町なんて、一晩路上に寝転がってても大体大丈夫なくらい治安いいぞ。南の方の一部を除けば。
最近政治のアレコレでちょっとうるさかったが、あんなもん定期的に起こるお祭りみたいなもんだ。少なくとも国王が生きてるうちは大丈夫。バンコクは平均して歌舞伎町とどっちがマシかなって感じだし。和食ブームと日本人街のせいで日本のものは大概そこそこのお値段で手に入る。
まぁ、営業とかその辺の職種はともかくとして、プログラミングって作業は日本国内じゃなくても出来るよね。
日本に営業拠点だけおいて、物価の安い(でもITインフラはそこそこ)って国に作業所おったてて
「現地にいればけっこう良い暮らしが出来る」くらいの給料貰って働くってイヤかなぁ、と。
タイとかあの辺だと結構楽勝なんだけども。海辺の町かなんかで。
俺は全く持ってIT業界とは縁もゆかりもない投資屋さんなんだけども。
『作業部門を丸ごと海外に持ってって、そこで日本人を働かせたい』みたいな感じの話が出てる。
この案件はちょっとヘンな話で、「日本でやったらワリに合わない案件で利益を出す」って感じで
特段有能な人材は求めない。ただ、明日からタイに飛んで、屋台でメシを食って暮らせる人ならいい。
まぁ、俺は詳しくないんだけどIT業界には「びみょう」な案件がそれなりにあって、普通は受けないそういう「びみょう」なのを
一手に引き受けるようなことがやってみたいんだそうな。
んで、まー当面先の話だろうし実際にやってみなきゃわかんねーんだけども。
増田の皆さん、「タイでITドカタ!」って魅力感じる?仮にそれで行くとして、給料とかどのくらい欲しい?
円高だし、設備資金投下は結構小さくて済むし、「英語も身につきそうだし、現地でそこそこいい暮らし出来れば給料安くてもいいよ!」って人がいそうならやってみたいなぁ。
労働のインセンティブを金でなく時間にシフトしたらいいんでね?
って話だろこれ。どこをどう読めばそうなるのか理解に苦しむ。脳の具合が大分悪いんじゃないか?
今夜はぐっすり寝て、たまにはダラダラした方がいいぞ。
例えば、9ヶ月稼動(週休一日)→三ヶ月休暇のローテで給料は安く固定。
休んでる間も雇用保険他の社会保障費は継続。ってのなら双方に旨みが発生するかもしれない。
もちろん待遇は正社員扱いでそう簡単に解雇はなし。休みの間はアジア圏でマンションでも借りて暮らしなさい。
みたいな感じだと、結構動機付けになる上に労働力を安価に得られるのではなかろーか。
ホワイトカラーの中層以上でもこれに魅力を感じる人はそこそこいるかもしれないね。
ま、この働き方が増えて来ると内需にボディブロー炸裂だが、それはそれとして。
こういう繰り返しに生きるってのも、結構多くの人にとって悪くないだろうね。
「陸上自衛隊准陸尉(51) 女装してケーキ店で注文しながらワンピースまくりあげ下半身を露出」
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2854.html
ひどすぎると思ったらこんなのはかわいいほうだった。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1274021896/
番付を以下に抜粋。
10 :水先案名無い人:2010/05/17(月) 21:49:26 ID:aABkZMQl0
【横綱】
・女子高生の上履きを盗みコピーしたものを見て楽しみ、逮捕→大関昇進後、今度は女子中学生の上履きを盗みコンビニでコピーし、再逮捕。ついに念願の横綱に昇進を遂げる
【大関】
・男子中学生に「マスターベーションだ。お前らも見せろ。100円やる」とオナニーを見せ付けた83歳の「マスターじじい」
・19~71歳女性に一瞬で精液をかける18歳少年「早撃ちマック」
・「セーラームーン」のコスプレで女性に近づき網タイツ越しに下半身を露出
・女性用下着を頭にかぶり「パンツ交換して」、女子中学生に下半身露出
・釣り竿を改造して、500枚もの女性下着を引っぱり上げてきた釣りキチ助平
【関脇】
・女性宅に侵入し何も盗らずPCのスクリーンセーバーをエロ画像に変えた男
・男児4人をトイレに連れ込み、自慰行為見せた奄美大島の男性教諭
・自分に浣腸をしてPAの排水溝に排泄を3年間続けてた北海道の男性教諭
・女子中学生がランニング中、男が「パワーつけろよ」と言って下半身を露出して走ってきた
・三角フラスコとタッパーを持ち歩き、女子高生にチラシを配った男「おしっこ高価買い取り中」
・下半身に直接黒いスプレーをトランクスの形に吹き付け街中を歩き回っていた男
・約1400枚の下着を窃盗→お気に入りを○×で区別。鍋敷きなどにも使用
・自宅ベランダで全裸になって腰掛けのような台に乗りライトアップ[↑]
・オークションで購入した女性の衣服を着て撮影、出品者に「おはよう かっちゃんです」と送信。通称かっちゃん(45)[NEW!!]
11 :水先案名無い人:2010/05/17(月) 21:50:55 ID:aABkZMQl0
【小結】
・「大便もらしたので、拭くの手伝って」女子学生を車に連れ込み性器見せる
・Tシャツをまくり上げ、下に着用した女性用下着を小6女児に見せつけ
・「服を脱いで襲った方が興奮した」目出し帽をかぶり裸の男、40代女性を襲う
・船橋市内の小学校に侵入し、教室を徘徊して男児の体操着のにおいを嗅ぎまわった男
・徒歩で通行中の女子中学生2名に対し男が「かゆいからけつの穴かいてくれ」と声を掛ける男
・電車車両内にミールワームの幼虫数千匹をばら撒く、「女の子が虫をぶちっと踏み潰す姿に興奮」
・女子高生に道を尋ねて教えてもらったお礼に下半身露出 食品製造販売業男
・女性用下着売り場の試着室で下着を4枚ズボンの下に着込み、万引きの男
・車から降りて「カルピス飲むか」「見せたろ。ソーセージ見せたろ。」と巧みな話術を駆使し、幼女に性器を露出
・「みんなもこんなの着る?」と女子高生に声をかける小太りツインテールのスク水男
・ふんどし姿を男子中学生に見せて『変態が来た』と思わせた男性職員懲戒[↓]
・「中学生なら男子でも女子でも…」下半身露出60~80回の学習塾塾経営の男(27)。前科あり。[NEW!!]
・「おれは足フェチだ」などと言い女子中学生の左足ふくらはぎを触った公立高校1年の男子生徒(15)[NEW!!]
【前頭】
・セミロングのカツラ・赤いワンピ・ロングコート、女装して陰部を露出。「びっくりする姿見たかった」
・「つばの曲がり具合に興味があった」ので野球帽398個、他グローブやジャージー、サッカーシューズ、テニスボール310点を盗んだ男2人 [NEW!!]
・「水を出しっぱなしにすると興奮した」ので蛇口を盗んだ男
12 :水先案名無い人:2010/05/17(月) 21:52:21 ID:aABkZMQl0
【十両】
・服の下に女子児童用体操服を着用し、小学校に侵入。「体操着を着て小学校へ行くと快感が得られる。」
・下着窃盗。「とても良い体形を想像します。次は上下セットで干しておいてください」とメモを残すトラック運転手。
・ワンピースで女装して更衣室に侵入、両手に靴下をはめて立っていた所を逮捕(再犯)
・極細水着を着て海辺ではしゃぐ男 画像:ttp://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/2/2/221d26ce.jpg
「……う、ん」
藻屑は渋々、認めた。
沈黙が落ちた。しばらく逡巡してから藻屑は、ものすごく大事な打ち明け話をするように、あたしの耳元に色のない唇を寄せて、小声でつぶやいた。
「ぼく、おとうさんのこと、すごく好きなんだ」
「うへぇ!」
「……なに、うへぇって」
「いやなんとなく」
「好きって絶望だよね」藻屑はわけのわかんないことをつぶやいた。
生暖かい、夏の終わりの風が吹いた。
絶望だ
望んだ事が絶えるから絶望だ
一面の砂漠で死に絶え朽ちて行く何かを見つめ続けると云う事だ
灰暗く蒸した海辺に立つと、遥か水平線の向こうから伝わる大津波の潮騒が伝わってきてしまう事だ
それは夕暮れと朝焼けの間にある
それはこちらをじっと見ている
それは音もなく近づく
好きは、絶望だ
証明になるかはあやふやだが、海辺の殴り合いのラストでポルコが先に立ち上がった後、カーチスが浮かび上がって目を開けて水を吐くシーンがある。
その後、カーチスは再び立ち上がりファイチングポーズを取って殴る素振りをみせ、ジーナに「もう終わったのよ」と言われてるが、もしカーチスが本当に勝負が終わったと気づいてなかったら、その前に目を開けるシーンがあるのはおかしい
カーチスは初めから勝負によってヒロインのフィオを貰う気がなかった可能性がある。しかも、それを誰にも悟らせないよう、さらにジーナの前におどけてファイチングポーズを取ってみせたりする。ここは、根本的に女性の前でおどけずに入られないような、結構あまのじゃくな性格なんだな、カーチスは。
そういう、あまのじゃくな所がポルコと少しにている部分がある。
じゃあカーチスはただポルコと勝負したかっただけってこと?
紅の豚のラストシーンで紅の豚ことポルコと、アメリカ野郎ことカーチスの殴り合いのシーンで
最後にポルコが勝つんだが、実はこの殴り合いの勝負はカーチスが勝っていたと思われる。
おそらく年齢的な事を考えても、殴り合いで勝っていたのはカーチスで
飛行艇の勝負で勝っていたのがポルコだろう。
証明になるかはあやふやだが、海辺の殴り合いのラストでポルコが先に立ち上がった後、カーチスが浮かび上がって目を開けて水を吐くシーンがある。
その後、カーチスは再び立ち上がりファイチングポーズを取って殴る素振りをみせ、ジーナに「もう終わったのよ」と言われてるが、もしカーチスが本当に勝負が終わったと気づいてなかったら、その前に目を開けるシーンがあるのはおかしい
カーチスは初めから勝負によってヒロインのフィオを貰う気がなかった可能性がある。しかも、それを誰にも悟らせないよう、さらにジーナの前におどけてファイチングポーズを取ってみせたりする。ここは、根本的に女性の前でおどけずに入られないような、結構あまのじゃくな性格なんだな、カーチスは。
そういう、あまのじゃくな所がポルコと少しにている部分がある。
ポルコがかっこいい、っていう視点が大きい気がするが、オレはマンマユート団(海賊)のオヤブンの豪気さや、カーチスの三枚目でありながら、実力と哀愁を背負ってる所とかがかっこいい。
実は、もうこういう本とか買って来て読んでみて欲しいと何度か伝えたりはしているのですが、
もうずっと後回しにされている状況ですね。。
プログラムに興味があっても女性の身体に興味が無くなっているのは切実ですね。。
ストイックである事に美学を見出し始めたり、快楽を求める事に嫌悪感を覚えると
理性が性欲を抑えてしまう印象があります。
それと距離を置くよりも近づいた方が良いと思います。
スキンシップをとる機会を増やしたり、二人で自然の中に出かけたりしてみてはどうでしょうか。(山登りとか海辺を散歩とか)
食事も性欲増強の効果があるらしいので、こっそり食べさせましょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214327057
こんなに楽しい組み合わせはないと思うんですが、
とにかくなんとかその気にさせる努力を頑張ってみてください。
二時間近く経っていた。 吐きそう。 きもちわるい。 内臓が重い。
思わずひきこもっていた部屋を出て、好きな音楽を聴いたりして、
くだらないテレビでわらいながら両親とどうでもいい話をしたり、
重圧しか感じないし、まだ不安は消えない
けど、これはこれでいい傾向なはずなんだ。そう言えよ誰か。
高校の時メンヘラってた頃から筆をとりはじめて、一二年狂ったように小説を書きまくった。
短編を一週間にひとつは書いた。三百枚だか四百枚の長編を書き上げた。
自分の肉を削っては丸めて、自分の血を吐いては塗り固めて、そうして無様に書き続けた。
幼稚で稚拙だったけれど、身内はこぞって賞賛してくれたし、涙を流したひとさえいた。
祈りながら書いた。海辺で砂のお城を建てるような、緻密な指先で。その城で暮らせるあの子を思い浮かべて。海抜数十メートルからの景色をまぶたの向こうに見やりながら。
オリジナルの文芸理論を組み上げて、誰でも小説が書けるシステムを構築した。 科学的に考証した設計図は、何よりもの安定剤となった。
これさえあれば、人の心をつかめる。だれかの心の中にいられる。 この城はじょうぶできれいだから、みんな安心して暮らせる。 みんなよろこんでくれる。
そう思い込んだ。 価値創造だと言いくるめた。 自分の身長ほどもない砂の城にしがみついた。 ひとりぼっち夕暮れの海。
つもりだった。 図に乗った。 しがみついたら、くずれ落ちた。 日は落ちていた。 なぜか震えている僕。 かじかんでキーボードがうてない。
受験勉強に追いつ追われつしてうまく合格してそれから半年以上経って、いま僕はなにも書けていない。
無い能力が枯渇したら自分の存在意義さえ否定されそうで……っていうのは、うそだ。
でも書くべきだし、書きたい。何より、自分の書いたものを僕自身が読みたい。超読みたい。
だからこうして、また苦しみはじめた。砂浜に、引き戻した。11月8日。つめたい指を 必死で もみほぐす。
音楽でも絵画でも、創作せざるを得ない人間が生み出した作品は 圧倒的 だ。
程度の差こそあれ方法論なんかより“作者を潰しかねないほどの必然”こそが傑作を生むのだ。
卑近な例で申し訳ないけれど、僕だって安定剤におんぶにだっこだった頃が一番活動的だった。
だから、 つまり、
こうして気分が悪くなってることは からだ が創作意欲に燃えはじめたって解釈していいはずだ。
他人を困らせたり迷惑を掛けたりしなければいい。それは十分学習した。なんなら体罰も再履修する。
そこさえ注意すれば、そろそろすごいものが作れるはず。 シンデレラ城だって夢じゃないのさ。
言い聞かせる。火を灯すように、指先をもむ。
ていうかそれを信じなきゃやってらんねえんだってば。
トムヨークは『病気と芸術を結びつけるのはアホだ』みたいなこと言ったしそれはそうだけど。
そういうのじゃなくて、一応 生みの苦しみ ←これでいいだろ?
彼女から連絡が薄くなったのとか友達がいろいろ勤しんで離れていくこととか他人への信じられなさとか臆病とか自己嫌悪とか駅のホームでなんとなく身を投げたくなることとかメールの来ない携帯電話をベッドにたたきつけたこととか正しさとか愛とか自分の中の暴力性とか卑怯さとかこんなやり場のない自己陶酔とか腐臭漂うナルシシズムとか癒しなのか慰めなのかわからない日々のオナニーとか不感症とか人格障害とか甘えとか足りない皮膚感覚とか愛とか = 生みの苦しみ
いいって言えよ誰か。誰か!
こんなものを書いてるエネルギーをどっかにちゃんと使用してればいいのに。
疲れていて、でも身の回りの人は心配させたくないから増田にこう書いて自分を癒す (汚いもの見せてごめんなさい)。
よかったら、今までの文章なんかぜんぶ無視して誰か僕に「おつかれさま!」と言ってください。みなさん迷惑かけてごめんなさい
サンシャイン牧場に最近ハマって毎日せっせと世話してたんだけど
mixi以外のSNSでもこのアプリがあるらしいのを知りどんなものかやってみた。
その感想をちょっと書きます。
・中国の51なんとか
中国語がわからず苦戦したけど操作の仕方は同じだったので問題なし。
いきなりレベル6で、作物の育てられる畑だけでなく鶏や羊が飼える牧場もできた。
育てられる植物や動物の種類が多い、と聞いていたが確かに多い。
バンビが飼えるよ!でも高いよ!
詳しくは中国語苦手だからわからない。
・facebook版
始めに畑を牧草地、海辺、メキシコチックな3種類から選べます。
あと初めから数種類の作物が植わっているのですが、
それが他の2つより豪華でした。バラが可愛かった。
アイテム袋にも豪華な種が沢山。
ただ、そういった豪華な種をお店で買えるのかと思ったら、
あとルーレットみたいなアイコンもあったのでfacebook版独自の何かがあるのかな?
まだなんだかわかりません。
・やってみて思ったこと
どちらも基本的な操作はmixiのと同じ。
本物のお金使わずやるなら大した違いはない。
友達いた方が楽しめるので、友達を作りやすいSNSで遊ぶのが一番。