2013-03-11

復興再生

もうあの地震から二年も経つ。

この二年で、私の生まれ故郷は大きく変わった。

平たく言えば、完全に崩壊した。

もう戻ってこない。復興しない。

私の生まれは津波で被害を受けた。とはいえ、陸前高田市のような中心部ではなく、ギリギリの周辺部だ。

私も陸前高田市ボランティアをしていたから、あの惨状とは比べようもない。

しかし、津波がきたのは事実で、被害が深刻だったのも事実だ。

物事が移り変わることは止めようがない。

それこそ物心つく前から慣れ親しんだ景色はなくなった。

いつも学校へ行くために通っていたけもの道海辺の最早ひと気のない公園津波に飲まれ、道は寸断した。

もうこれらに人が戻ることはないだろう。

あれからというもの、多くの家族引っ越した。

私の生まれは古い古い集落で、番地より後ろの住所がないくらいだ。

今時長子相続と、一族由来の土地に固執する古い集落だ。

しかし皆その土地を捨て、高台引っ越していった。

空いた土地には建売のアパートが建った。

新しい住人には古い祭りが受け入れられなかった。夜中に大太鼓を持って歩くような祭りは、今の感覚からは受け入れ難いものなのは理解に難くない。

そして人が死んだ。

津波に飲まれた人間は然程いなかった。

しかし、その後の失業、家の立て直し、あるいはその後の人生絶望したのだろうか、自殺する者、生きる気力をなくした者がちらほらいた。

連綿と続いた集落は失われた。

復興、という言葉があるが、これら失われたものを取り戻すことができるだろうか。

私にはできるとは思えない。

私の生まれ故郷崩壊するのは、予期されたことだ。

皆がもう昔ながらの村の付き合いはできないと感じていた。

それが地震きっかけに表に出ただけだ。


私が懐かしむべき故郷はもう帰ってこない。

生まれ故郷に帰ると、涙が出てくる。景色は何もかも色褪せ、ゆっくりと死んで行くように見え、人にも気力がなくなった。

私は生まれ故郷が嫌いで東京に出てきた。

なのに懐かしさと悲しさを覚えるのは何故だろうか。


私は生まれ故郷にもう一度活気を取り戻したい。

しかしそれは復興ではなく、再生に近いものだと思う。

元に戻す、ではなく、新しくつくる、が必要ではないだろうか。

私には何ができるのだろう。

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