はてなキーワード: 変装とは
○ご飯
朝:たまごかけごはん。納豆。豚汁。昼:ニンニクのパスタ。コーンスープ。夜:ニンジンと長ネギとシメジと餃子の鍋。キュウリとモヤシのキムチとチーズのリゾット。間食:チョコ。柿の種。アイスクリーム。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみりー。
町の平和を守る系探偵ながら不運ばかりの天堂サイガが、路上生活をしている占い師のヒン・レイと出会い、様々な事件に立ち向かっていく短編連作式のノベルゲーム。
探偵、事件、捜査とミステリの要素を使ってはいるが、内容は完全にコメディ。
事件も現実離れした不可思議な怪事件ばかりで、上っ面の推理すらせず、とにかく体当たりで立ち向かうサイガの男らしさを楽しむタイプの作品。
不幸で貧乏なサイガを冷めた目で見るレイだが、時折見せるその漢気にキュンとくるという王道のパッケージをしっかりやり切っており、探偵と助手の関係値を見ると鳴き声を上げながら喜ぶ僕としては最高に楽しめた。
まず何といっても助手役のレイの可愛らしさで、本作の魅力の大半はこの子が占めている。
路上生活から脱するためにサイガに媚びるシーンからスタートするが、早々に立場が逆転して尻に敷く関係が面白い。
そんな関係値自体もさることながら、ビジュアルのルックも素晴らしい。
作中で男性か女性かをボカしているため、どっちの性別とも解釈できるデザインにする必要があるのだが、それが大成功している。
そんなレイの魅力をさらに引き立てるのが、恋のライバル役となる小学生女児のサナギ。
小学生ながら中年男性のサイガのことが大好きでお嫁さんの地位を狙っているサナギちゃん。
しかし、小学生であるため危険な捜査に巻き込みわけにはいかず基本的にはお留守番。
なのでサナギは助手のレイが現場に着いていくことに嫉妬してしまう。
それに対してレイはレイで割と満更でもない雰囲気なのが女性であっても男性であっても、凄く良い関係値で大好きなシーン。
サナギはレイのことを女性と考えているのか男性と考えているのかは定かではないものの、ライバルとして敵視するからこそ、レイとサイガの関係値が際立つ良い恋の鞘当て役だった。
他にも闇社会の凄腕たち、ハッカーでギャルのミルぽん、ドローンの使い手で爺のDG、変装の達人すぎて立ち絵がない謎の人など、魅力的なキャラクタが大勢いる。
特にミルぽんは出番も多いし、優秀の度がすぎてるのが楽しいキャラだった。
やっぱりハッカーキャラは「もうやってる!」って言って欲しいよね。
コメディなので、これらキャラクタが面白いことをするのが基本的な作劇になる。
ステレオタイプが過ぎると批判することも可能かもしれないけど、引用符付きな“普通に面白い”であることも事実なので、僕は好きが圧倒的に優った。
彼らのドタバタをもっと遊びたい、シリーズ化していつもの面々として何作も遊びたくなる良いキャラが揃っていた。
普段は不運で貧乏でダラシなくて頼りないが、どんなデタラメな事件であっても諦めない心の格好良さがたまらないキャラだ。
まあこれを「僕は何歳になっても冴羽リョウテンプレートのことを好きなんだなあ」としみじみ思うのは否定しないが、サイガは女性関係はしっかりしているのが好印象。
これはメーンヒロインのレイの性別が不定だからこその余白感もあるのがニクい。
キャラの魅力を彩る変なことが起こる「祭鳴町」の世界観も、コメディらしい良い世界だった。
開幕早々、明らかに尋常じゃない猫に始まり、巨大水棲生物、人語を介するネズミ、全裸の女性、淫猥な女性と、奇妙な生物をガシッと受け止められる変な町だった。
短編連作なので短いプレイ時間が気にならないし、それでいて縦筋もあってちゃんとフリとオチが決まっているし、スチル絵も豊富だし、キャラクタも可愛いしで、割と文句なしに好きな作品だ。
とはいえ2時間と少しのプレイ時間じゃ物足りないのも事実で、もっと二人が接近するエピソードも読みたいのも本音だ。
なお路上生活を何ヶ月もしていたレイの入浴頻度に関する言及がないことは明確に欠点なので、早急に続編や番外編での言及を求めたいところだ。
カルロフもイクサランも肌に合わないせいでまたエルドレインやってる。だって勝てるんだもん。2や3勝だった最新二つと変わってブロンズ・シルバーだけど今、7勝7勝3勝(途中)だもん。そりゃエルドレインやるよ。
それで3参戦の気付きなんだけどぉ…。
緑やるというのは前回意識したから固定ピックだったが、今回は白緑固定にした。最初、白緑で7勝して似たようなデッキで10勝してるからこりゃ白緑かなと。むしろ前回書いた緑より白に勝たせてもらってる気がする。
というか、白というか…
これだけのために白してる気がする。
まずこれが沢山流れてくる。3,4枚来る。CPUに嫌われてそう。
で、やっぱり環境は雑な赤黒アグロが多いから、祝祭のlifelinkがハマる。
祝祭は赤白だけど役割と熊多めに組むと緑でもいける。
そもそもアグロ対策に除去より肉という方針がまず祝祭とあっている。
>地上を固め、白のコモン飛行とドラゴンでスカスカな空を攻めると勝利数が増える。
と前回書いたけど、これ白青だけの話じゃなくて緑でも勝ち筋。
緑だけの勝ち筋だと巨人を使うことになるんだけど、なんかこれがえらく人気で一枚も取れないことが多い。その点、こっちは三回参戦して8,9枚取れたんだから安定してそう。取れなかったら最悪魅せられた衣服商で代用だけど、緑だと代用が出来事のワームでかなりパワーに差があるからまだマシだし導き手が白に入る理由だから他の色行っちゃえばいいのでは。
lifelinkはダメージレースをぶっこわす。基本の基本ですな。
緑の強いのちゃんとピックできるかどうかで悩んでいた前回よりは導き手取れたから地上弱くてもなんとかなるかとメンタルの支柱が増えたのは嬉しい。
そしてエルドレインはピックも実戦もやることが単調で楽なんだー!
そして低ランク赤黒ネズミ使いの初心者さん、本当にありがとうございます。マルチよりエンチャばっかり見かけて着地ダメージもやっぱりしんどいけど、やっぱりテンポが殺がれるのは猶予もらってる感じです。生贄エンチャも結構使ってくれて、盤面のネズミ減るならワンドローに1ゲインも全然苦じゃないなと思います。
・よかった
・最初は期待しないで見てたがマキタスポーツ出てきて話聞き流しながら歩く杉本さんが実写に近すぎてそのあたりから引き込まれた
・アシリパさん(実写)の肌が透けるように真っ白なの雪国の人感あってgood
・原作読んではいたが「何がどうなってるのか」よう分からんまま脳死で面白がってたから実写にして頂いて「こういう流れなのか」ってわからせて頂いた
・画面に文字が出て「ドン!」ってなると気持ちいいのはワンピースアニメに刷り込まれてる抗えない
・俳優さん達の多くが最初の登場シーンの一番最初のセリフをアニメの声優さんの発声に寄せてて「いい…」ってなった ヒプマイのアーティスト提供曲を楽曲提供アーティストの歌い方に寄せて歌ってるのと同じ良さあったそして寄せ方が上手いさすがプロ
・まさか二階堂さんのアクションシーンが一番の戦闘見せ所とは思わなんだ 二階堂さん足長い
「ここまで見せて貰えるなら実写家永さんも見てぇ〜」からのセンキューエンディング
・梅ちゃん美人すぎやろ!からのまあ最終回であのたくましい生き様やし逆に説得力になっとるという解釈
・髪の伸びた杉本さん(実写)の野田サトル神漫画に出てくるイケメン感すご
・わがままを言うならば鶴見中尉のタラシっぷりをもう少し欲しかった
・あの海外コラの馬3分割して「漫画アニメ実写化全てが成功する稀有な例」の画像思い出した
・阿部寛?
・
・
・
・よかったけど何か心凪だなとは思っていたが
他の人の感想で「目茶苦茶良かったが原作以上のメッセージ性やオリジナル性はちょっと欠けてるかも」っていってそれやってなった
目茶苦茶再現度高いが映画で焼き直す必要…いや映画オリキャラとか謎展開とか入れられたら論外だけど
ウヌゥ…ってなった
バイオラ大学での福音学での恩師、カーティス・ミッチェル博士はよく言っていた。「救いの前に彼らを迷わせなければならない」と。もし人々が自分たちの生活に何か深刻に満たされていないものを感じていなければ、新たな信仰を受け入れるとは考えにくいし、まして神や救いを求めようとするはずもない。
ダニエル・L・エヴェレット(著), 屋代通子(翻訳)(2012年)『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房)pp.369
キリスト教が宣教師によって世界各地に伝播していく仕組みはこれだったのか。ローマやエルサレムとははるか遠くに離れたアジアや南米にまでキリスト教が広まっているのが不思議だったけれども。キリスト教には原罪というすべての人類に押しつけがましく罪悪感を植え付ける思想があって、個人的には気に食わなかったけど、宣教にはうってつけの手法だったのか。
著者のエヴェレット博士は、SILという米国のキリスト教宣教師の組織の一員として聖書をピダハン語に翻訳して宣教するために、ブラジル・アマゾンの少数民族ピダハンの集落へと妻子と共に赴いた。著書によると、聖書を翻訳してピダハンに理解させることはできたが、キリスト教信仰を受け入れさせることはできなかった。
ピダハンは特別に宗教を信仰しておらず、実際に見聞きした物事しか信用しない。あえて何らかの信仰があるとすればアニミズム信仰であり、あらゆる物に精霊が宿っていると考えている。さらには自らが精霊になったりもする。故人に変装して土葬されたときの気持ちをトランス状態で語ったり、精霊の名のもとに自らの雄弁さや教訓を語ったりといった具合にだ。日本で言うところのイタコ芸かと私は思った。ピダハンにとって精霊は、実際に見聞きできるものなのだ。
ピダハンにとってイエス・キリストは実際に見聞きをすることのできない存在なので信仰の対象たり得なかったのだ。翻訳された聖書の音声レコードを聞いて文化の違いに笑ったりもするが、聖書はエンタメとしか理解されなかったようだ。洗礼者ヨハネが首をはねられる場面を楽しみながら何度も聞いたという具合にだ。エヴェレット博士は宣教師だが、同時に言語学者として大学での研究も並行していた。実証されたことしか信じないピダハンの態度を目の当たりにして、エヴェレット博士は科学者としての自らの論理的思考の結果から、信仰に疑問を持って無神論者になったという。
聖書をアニミズム信仰者に理解させることができなかったことは、キリスト教宣教師が自らの信仰を喪失させるほどのことだったのだろうか。だとしたら、過去に世界中にキリスト教を宣教できたのはなぜだろうか。やはり、金や暴力といった強制力を働かせなければ宣教は難しいのだろうか。日本に対するキリスト教宣教師がそうだったように。冒頭で引用したように、強制力をもってして迷わせることが、キリスト教宣教による救いを与えるのに必要な前提なのだろう。ジャングルという恵まれた自然に満足して常に笑顔を絶やさないピダハンには、迷う必要がそもそもなかったから、キリストは不要だったのだ。
科学技術の発展にともなう人々の論理力の向上と、金や暴力による強制力を忌避する社会的な風潮によって、宗教の力は今後ますます縮小していくことだろう。日本において神道・仏教などの宗教の力が人々から薄れていくのと同様の運命を、キリスト教など他の世界的な宗教でも同様にたどっていくことだろう。
昔のアニメとかゲームとか触ってると、怪盗キャラがかなりの頻度でいるが
見かけるとしたら昔からの長期連載のキャラであることがほとんど
今でいうところの「異世界に転生した勇者」みたいな、あのとき旬なキャラクターだったんだろうか
怪盗大好きな知人は
自分は愛想笑いしながら内心「いや言うて犯罪者やん…」って思ってる
みたいなヘイトの逃がし方をしているのもあるけど
「悪徳企業に忍び込んで悪人の情報を盗み、それを公開して悪人を成敗する」
っていうのもこの前見たが
衣装が男キャラだとシルクハットにマントで見た目がかっこいいのは分かる
空飛べたり変装できたり、超能力使えるのも話考えるのに便利だなーって感じる
でも窃盗だよね…
こういう人を褒めちゃうと「俺はちゃんと女性に見えるんだ!」って勘違いしちゃうじゃん
肌を隠しても骨格は誤魔化せないしメイクしても顔のバランスが女性と全然違うのにね
見ればすぐわかるよ
男性って字が下手だったりネットで拙い絵を晒すのに抵抗ない人が多いなーと感じる
私ならやんわりと決して女性には見えないって伝える
「ぱっと見はだいぶ女性っぽくなってる」とか「でも女性と同じは難しいですよねー」みたいななるべく傷つけない感じで
ジェンダーレスの流行りで女装がポジティブなものとして題材になったりするけどあれはファンタジーでしかない
女装男子が女の子にしか見えないのはマンガかアニメの中だけなんだよ…
「完璧な女装に気づいてないだけでは?」と言われると全否定はできないけどたとえホルモン投与?までしても骨格も体格も顔の作りも変えられないからね
胸への視線が云々の話とはぜんぜん違うよ
とあるドラマでゴスロリの厚着した女性が出てきてマスクしてるのでメイクした目元しか見えないんだけど「ん?」と違和感があった
そうしたら後でそれは北村匠海の変装だったとわかって自分でも驚いたことがある
暗くてほんの数秒のシーンだったのに
彼のような目が大きくて小顔で美少女でも通用しそうな人でもやっぱり違いがある
女装と気づかずに後で知って驚いたって経験をした人、大体男性じゃないかな
女性は顔や身体をシビアに見続ける人生なので観察眼が違うんだと思う
違ったら申し訳ない
女装はもちろん好きにしたらいいよ!
『今日駅で見た可愛い女の子』とか『かさねと昴』もいいよね(おすすめマンガ)
がんばった部分は褒めてあげたいとも思う
無断駐車に対して、法律上の正攻法でいこうとすると時間もかかってしまうし、お金もかかってしまうし、相手方からそれが回収できる見込みも決して高くない。
自分だったら、自分の駐車スペースに無断駐車された場合、その車に徹底的に嫌がらせをする。
ドラレコがついてないか確認して、ばれないように細心の注意を払いながら、ありとあらゆる嫌がらせをする。
ドラレコがついている場合でも、変装して顔を隠してやればばれない。
無断駐車したやつが自分に抗議してきたら、知らぬ存ぜぬで通す。「いやぁ最近このあたりで車にいたずらされるケースが結構あるんですよねぇ」とかいってとぼける。無断駐車したやつが裁判起こしてきても自分がやったということはどうせ立証できやしない。
反対に無断駐車したことについて駐車料金をその裁判の中で請求する。
TIGER and BUNNY の世界観や ONE PIECE のクロスギルドみたいに、私営の自警組織から契約中の人材に依頼が来るシステムになってそれを配信すればいいんだろうか?
捕まえた人は一躍ヒーローになれるし、処罰対象の人の精査や捕縛方法も定義できて多少は健全になると思う
行為自体のヘイトや法的な責任は自衛組織に向くから、自警行為をする人自体にヘイトが向かずよほど非人道的な事をしない限り活動は応援される
たまたま通りかかって助けて、「名乗るほどのものではない」って颯爽に立ち去る謙虚さがある人
もちろん現場に残って対応する必要はあるけど、「当然の事をしたまで」と恩義せがましくない人
毎度のことながら赤き◯チガイ集団こと例のサッカークラブファンが人類にご迷惑をおかけしているようで。
さてさてこの手の話題になる度にいつも言われているのが
で御座います。
これには立派な理由があるのです。
という類の話に帰結するのですよ。
無期限出禁にするということは、クラブが出禁にしたファンのコントロールを行う機会を完全に失うということです。
特定の試合数を出禁にした場合は、「大人しくしていたらまた来てもいいよ」という餌をチラつかせることが可能になりますが、無期限で出禁にした場合はそれは不可能です。
期限付きの出禁とは、「出禁の期間中は大人しくする」という行為に対してクラブが「大人しくしていたら許す」というインセンティブを与えて首輪をつけている状態なのです。
この首輪を手放してしまえば、相手は「どうせ真っ当にやっても駄目なら変装なり不法侵入なりをすれば良い」と考え始めます。
もちろん法的措置を取るという手段はあるのですが、これはクラブ側もかなりの体力を使うことになる。
そしてそこまでやってしまうと今度はフーリガン側が強い逆恨み意識を持って何をしてくるかわからない危険性が生まれます。
サッカーは遠征をして行うスポーツであることを考えれば、コントロール不能な暴徒のリスクを他所に押し付けるのは回避したいわけです。
期限付き出禁のメリットとしてファン同士の間に「大人しくしていれば良いじゃないか」という空気を醸成できるというものものもあります。
サッカーファンの中でもフーリガンになるような人種は得てして承認欲求が強く、サッカーやクラブが好きというよりも「応援を通して仲間意識を感じられるのが好き」という意識が強いものです。
こういった連中は仲間から「クラブもそう言ってるんだし大人しくしてなよ」という圧をかけられると黙って従います。
もしもここで完全に出禁にしてしまえば「そこまでするなんて酷いよね。僕たちが支えてきたのに」と勝手に盛り上がられる危険性さえあります。
期限付きの出禁というのは罰則としてはそこまで重くないわけですが、それが結果として罰則を回避した他のファンの警戒心を必要以上に煽らずに済むのです。
より厳格な罰則や法的措置を行ってしまえば、明日は我が身ではと怯えた一部のファンが逆ギレ的な抗議活動を始めるリスクが発生します。
最悪自分が同じ目にあっても大人しくしていればいいという安心感があるから、「今回は諦めて大人しくしていろ」と周囲が気軽に行ってくれるのです。
もしもこれがファン活動の死刑宣告に等しい無期限出禁となれば、ゴールラインが自分たちに伸びてくるよりも前に先に死刑宣告を食らった仲間を扇動して「このようなクラブの措置に我々は講義をするものである」と活動を行わせようとする圧をかけてくる者たちが出てくるでしょう。
罰則処分というのは誰かの公正世界仮説を支えるための手段ではなく、相手をコントロールして再発のリスクを下げるための手段です。
ここを見誤っている人が結構多いんですよね。
ここを区分けできないと近代社会における罰則の本質を見誤ることになる。
TBSの報道番組で、プーチン影武者説を検証していて番組内では影武者を使ってるだろうって雰囲気。
AIを使って顔認証やら耳の形を比較したり、声紋鑑定したりしてる。
鑑定方法によって、影武者説が肯定されたり否定されたりまちまち。
専門家が肯定してるのに素人が「ねえよ」って否定するのもなんだが、人間がパッと見た目で判断できないくらい高技術の整形とかあるのかね。
喋り方にしても、声紋鑑定にかけないと違いがわからないまで似せるとか。
プーチンさんにしても金正恩にしても「健康不安説→実は相当やばいらしい→いまメディアに出てるのは影武者だ」っていうのを以前から繰り返してただの願望なんじゃねーかって気がしてならない。
いつお亡くなりになるんだよって感じだわ。
http://senninn.blog.fc2.com/blog-entry-771.html
こんなにも知能の低い人間が、日本にたくさん存在していることが怖い。ネットリテラシー云々の問題ではなく、説得力ありそうな動画を見て、一瞬で心のカードを切られてしまっているようにみえる。
この手の低脳タイプの母集団は、サンプルから推計するに日本に数百万人は存在していることになる。知能が未発達の子供や高齢者も入れれば、1千万人以上いるかもしれない。こうした簡単に操れる母集団というのは、地政学的な観点からはかなりのリスクとなる。敵国からすれば、お手軽に操れる1千万人がそこにいるのならば、それを利用しない手はない。
歴史を振り返ると、城攻めでこのパターンは頻出する。住民に変装したスパイが城内に入り込み、住民にあらぬ噂を焚きつける。そして内部から崩壊させ、城門を開けさせる。戦術的には初歩的なものだが、いつの時代の戦争でも効果を発揮する。ネットによって情報の垣根がなくなったことで、こうした心理戦は世界的に通用しなくなると言われていた。だが、実際には昔と大差はない。
低能な母集団にとってのネットとは、ただ口を開けて、誰かが何かをしてくれる便利なものでしかなく、知的な生産性という意味ではむしろ退化を促してしまっている。
ゼルダの多様性: 黒人のゼルダ姫の必要性
プリンセス・ゼルダは、助けを求めるお姫様から、力強い政治家、研究者、魔術師、戦士、リーダー、そして伝説へと成長した多面的なキャラクターです。その複雑さによって、ゼルダはゲームごとに性別の役割を打破する、刺激的な女性キャラクターです。シリーズ35年の歴史を通じて多くの変化がありましたが、ゼルダは常に白人であるという点は残念です。これは遺憾なことですし、有色女性に彼らが伝説的な存在になる可能性を示すための逸失した機会でもあります。
アメリカの黒人女性は現在、彼女たちが重要ではない、劣っている、尊敬に値しないといった内容や声に絶えずさらされています(社会の最高層まで)。黒人パワーの象徴は、これらの攻撃を和らげるために大いに役立ちます。そのため、黒人のプリンセス・ゼルダは、黒人女性が単なる脇役や敵対者ではなく、重要な存在であり複雑な英雄的な人物であることを伝えるメッセージとなります。
変化の必要
ゼルダとリンクが常に白人として描かれることは、白人だけが世界を守ることができ、そして正当にそれを支配しているということを暗に示唆しています。これは、任天堂のゲーム制作者たちの意図ではないかもしれませんが、制作者の間に暗黙的な偏見がある可能性を示しているかもしれません。この変化は、同じキャラクターが毎回登場するのではなく、主要な三人組が時間を超えてトライフォースの独自の具現化であるこのシリーズでは特に可能です。さらに、元の女神、勇者、邪悪の存在と血のつながりを要求する解釈であっても、これらの人物により多様な表現が排除されるわけではありません。なぜなら、血統が時間を超えて全く異なる人種間の交配を経験しないとするのは非常に不可能だからです。また、過去の存在とは異なる人種的な体を持つ同じ精神が宿ることはできないとは言い切れません。
黒人女性への影響
黒人女性は何でもできる存在であり、私たちが共有するメディアもそれを反映すべきです。『ブレス オブ ザ ワイルド』のゼルダは知識欲の旺盛な頭脳派であり、彼女に自分自身を重ねることで、黒人の女の子たちも同じように知的好奇心を持つようになるかもしれません。特に、ゼルダは家族やコミュニティに献身的であり、制度的な不平等に立ち向かおうとする多くの黒人女性と同じように、重い負担を背負っています。ゼルダの政治的な手腕も彼女のキャラクターに自己を反映させる素晴らしい要素であり、幸いなことにアメリカの政治もそれを反映し始めています。
ゼルダが一般的に超能力を持つことも重要です。黒人女性は、黒人のゼルダが光の矢を放つか、スーパースマッシュブラザーズで競争相手を圧倒する姿を見ることで、自分たちも力と魔法を駆使できる存在として感じるでしょう。そのため、プリンセス・ゼルダが黒人であれば、スピンオフ作品やカメオ出演、マンガ、ファンアートなどで彼女が黒人である可能性が出てきます。この重要なキャラクターが黒人として描かれることは、単一のゲームや単一のメディアでの表現以上の意味を持つかもしれません。
このシリーズは、最も重要なキャラクターの人種を変えることが比較的容易でありながら、ほとんど説明を必要としません。ただし、プリンセスの人種を物語の一部にすることを避けるとは思いません。彼女の性別は過去に問題になったことがあり、兄が自分自身がトライフォースの力を持つ権利があると考え、ゼルダIIでは彼女が男性のシーカーに変装しなければならなかったことがありました。したがって、ハイラルの王族の一員が黒人である場合、任天堂が人種の問題を繊細に扱うことに関して、任天堂がためらいを示すことはないと思います。
話は変わりますが、ハイラル王国を統べる王族を黒人として描くことは、黒人が王族として描かれる数の増加に貢献します(『ブラックパンサー』、ビヨンセの『Black is King』、『She-Ra and the Princesses of Power』、『ブリジャートン』など)。これらすべてが、黒人であることが特定の経験に限定されるものではなく、人々に白人によって伝統的に描かれてきた役割を占めることを許してくれるものです。
広い意味での影響
同じ質問をリンクについても簡単にできます(実際、2013年に行いました)、その分析結果も似たような結果となり、黒人男性を勇敢で決断力があり、忠実で親切で、時に愚かで善行を行う人物として描くものになるでしょう。これらの質問は特に意義深いものとなります。トライフォースを持つ唯一の非白人キャラクターが権力に飢えた敵役として描かれる場合、メディアでは人種やLGBTQ+の個人を陰謀を企てたり、非道な攻撃者として描くことがよくあります。人種の異なる人々がよりポジティブな役割で描かれることは、ステレオタイプの払拭と、それらを代表する人々の自己イメージの向上に大いなる助けとなるでしょう。
アメリカにおける黒人と白人の関係がこの文化的瞬間にどれほど困難であるかを考えると、黒人のプリンセス・ゼルダを見ることは、勇敢で優れたヒーローである黒人女性を堅く認めるものとなるでしょう。それは任天堂からの連帯の声明であり、また、ビデオゲーム業界ではしばしば十分に評価されていないコミュニティに対する、非常に目立つかつ大きな影響力を持つ肯定的な表現となるでしょう。最終的には、プレイヤーに黒人の女性キャラクターに共感し、彼女を気にかけ、彼女が重要であると認めることを促すでしょう。
「ゼルダの多様性」は、レジェンド・オブ・ゼルダが包括性に取り組むアプローチを紹介し、関連するキャラクターを重視し、マーガライズされたコミュニティのゼルダのファンと対話するシリーズです。このシリーズのインストールメントが開かれた心で受け入れられ、読者間での建設的な議論が奨励されることを望んでいます。
「NEED」を「SHOULD」と捉えてるんすか?
遠い未来、人類は究極の監視社会を構築していた。日常生活から親密な時間まで、人々の生活のあらゆる面が監視され、記録されていた。政府は「公共の安全のために必要」と主張するが、多くの市民は懐疑的だった。
ある日、ボブという名の不器用な政府職員は、監視システムから逃れようとする反抗的な市民グループの監視を任された。ボブは熱心だが、どこか抜けていて、ミスをしがちな職員だった。
グループの活動を監視していたボブは、誤って監視システムの不具合を引き起こし、誤動作させてしまう。突然、街中の監視カメラにボブの顔がライブ映像で映し出されるようになり、ボブは恐怖を覚えた。
パニックになったボブは不具合を直そうとしたが、事態はさらに悪化した。この不具合は他の都市にも波及し、人々は自分のプライベートな瞬間が映し出されることに気づき、混乱に陥る。
事態が制御不能になるにつれ、ボブは自分の手に負えないことを悟った。監視していた反抗的な市民たちと手を組み、監視システムを完全に停止させるため、荒々しい冒険の旅に出る。
監視システムを停止させようとするボブと反乱軍は、さまざまな困難や障害に遭遇する。
まず、監視システムのメインコントロールセンターにたどり着くには、迷路のような官庁街と地下トンネルを通り抜けなければならない。
ところが、そのコントロールセンターは、武装した政府職員が巡回する厳重な警備が敷かれていた。
しかし、ボブが誤ってアラームを作動させてしまったため、連鎖的に捜査官たちに気づかれてしまう。
必死の脱出で、ボブと反乱軍はハイテクな変装、偽の身分証明書、さらにはホバークラフトなど、あらゆる種類のガジェットやギズモを駆使して捜査官から逃れることを強いられた。
ある時は、監視システムをハッキングするための試作品を盗むために、政府の研究室に侵入しなければならなかった。
そして、その旅の間中、彼らを何としても阻止しようとする政府のエージェント・チームが執拗に追いかけてきた。
しかし、ボブと反乱軍たちは、監視システムを停止させ、人々に自由を取り戻すという目標を決して見失うことはなかった。
そして、彼らの努力と決意は実を結んだ。監視システムを停止させ、その背後にいる腐敗した役人を暴くことに成功したのだ。
そして、最初はしがない政府のエージェントだったボブは、監視とコントロールによって抑圧された世界の希望と勇気の象徴として、人々の目に映るヒーローになった。
そして、監視社会の市民は、ボブとその仲間たちの不運にも善意ある努力によって、真のプライバシーと自由を享受することができたのだ。
塵も積もれば山となるで、ボブと反乱軍は国民から英雄として讃えられた。政府はこの事態を計画的なテロ行為と言い逃れようとしたが、圧倒的な証拠があり、市民はそれを受け入れなかった。
監視システムが解体され、その実施に関与した政府関係者が裁かれたことで、社会は再生し始めた。人々は互いにつながり、社交し、プライバシーを楽しむようになった。
ボブは、ある種の有名人になった。行く先々で人々が彼を呼び止めて自撮りをし、彼の姿がTシャツやポスターにプリントされ、街中に溢れた。
当初、ボブはその注目度の高さに圧倒され気味だった。しかし、時間が経つにつれて、彼は自分の名声を楽しむようになった。プライバシーと自由の大切さを説く講演家として、全国を回るようになった。
監視システムについては、再建されることはなかった。その代わり、政府はより伝統的な法執行や情報収集に投資するようになり、侵略的な技術ではなく、人間の知性や探偵業に頼るようになった。
結局、監視社会の人々は、プライバシーと自由はどんな犠牲を払ってでも大切にし、守るべき貴重なものであるという重要な教訓を得た。そして、すべてはボブという名の不器用な政府エージェントの不運から始まったのである。