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2022-03-20

弱者男性問題自分なりに整理して意見を書く。

> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎

https://anond.hatelabo.jp/20220319181840

そもそも、「弱者男性」の問題ってなんだろう?

トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?

ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズム解決すべき課題ひとつだと認識している。

異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。


弱者男性問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから

弱者男性存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。

彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初立ち位置だと思う。

トイアンナ氏の提案未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本理想主義体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。

ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。

自分団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。

収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。

弱者男性問題世代対立問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)

少子化問題年金問題所得低下・国力低下・世代対立ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本

ただ、男性弱者問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?

その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。

男性生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代200万人が結婚しないという計算になる。

https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/

KKO母集団200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)

見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。

社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいレベル自然解決することも、諦めるしかない。

200万人分が、家族を養えるだけの高収入仕事につくウルトラC法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。

ただ、考えてみてほしい。日本戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。

民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。

もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたかなのだと思う。

これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、

これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。

人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。

◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから

あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。

分断ではなく、共感を。

支援ではなく、協力を。

私はKKOおっさん共感する。

ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会包摂じゃないの。

そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。

まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会包摂意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。

と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBいいね!するぐらいしか出来ないし。

一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんちゃん挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。

KKOおっさんが居ても、差別しない世の中はまだ作れるだろう。

弱者男性問題自分なりに整理してみる。

> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎

https://anond.hatelabo.jp/20220319181840

そもそも、「弱者男性」の問題ってなんだろう?

トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?

ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズム解決すべき課題ひとつだと認識している。

異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。


弱者男性問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから

弱者男性存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。

彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初立ち位置だと思う。

トイアンナ氏の提案未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本理想主義体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。

ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。

自分団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。

収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。

弱者男性問題世代対立問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)

少子化問題年金問題所得低下・国力低下・世代対立ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本

ただ、男性弱者問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?

その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。

男性生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代200万人が結婚しないという計算になる。

https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/

KKO母集団200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)

見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。

社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいレベル自然解決することも、諦めるしかない。

200万人分が、家族を養えるだけの高収入仕事につくウルトラC法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。

ただ、考えてみてほしい。日本戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。

民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。

もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたかなのだと思う。

これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、

これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。

人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。

◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから

あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。

分断ではなく、共感を。

支援ではなく、協力を。

私はKKOおっさん共感する。

ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会包摂じゃないの。

そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。

まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会包摂意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。

と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBいいね!するぐらいしか出来ないし。

一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんちゃん挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。

KKOおっさんが居ても、差別しない世の中はまだ作れるだろう。

2022-03-04

ねこがガンになった

ねこかわいいねこ

世界一美人ねこ

生後5ヶ月で私が拾ったねこ

実家の子になったねこ

猫嫌いの母と弟を猫バカにしたねこ

実家とは疎遠になろうとしていた私を繋ぎ止め、家族のかすがいになってくれたねこ

頭良くて人の顔うかがいながらイタズラするねこ

18歳(人間なら88歳)なのにとても元気で、よく遊んで欲しがっていたねこ

病気という病気をしなかった。

甘えん坊なので皆が忙しくてかまってもらえない時にストレスでちょいハゲができるくらいだった。

毎日よく食べ、よく水を飲み、よく運動し、よく甘え、よく毛繕いし、よくンコもする健康優良猫だった。

もう、歳だからそろそろ覚悟をしなきゃと思ってはいた。

いや、正直10歳過ぎた頃から覚悟をしなきゃと思ってはいた。

でも、とても健康で元気だから覚悟なんてしていなかった。できてなかった。

ねこが8歳のころに私は生まれ故郷を離れ、帰郷するのは年に2回となった。

それでもねこは私のことをちゃんと覚えていてドアを開ければ鳴きながら走って出迎えてくれていた。

とても賢い。

親と電話すればその背後で鳴いてアピールをしていた。

とても可愛い

離郷して9年目、新型コロナウィルス世界蔓延し、突如パンデミックの災禍に巻き込まれた。実家に帰れなくなった。

その頃からねこは少し夜泣きをしたり、たまに乱暴になる事があった。

親は「痴呆では?」と心配していたが、名前を呼べば反応するしご飯もわかるし過剰に要求しないし、私は違うと思ったし主治医問題ないと言っていた。

今思えば身体異和感不安だったのだろうか。

一年半後コロナが少しおさまりかけ、実家に帰ったがやはりちゃんと私の事を覚えてくれていた。18歳だけど毛艶も良く、夜は昔からの習慣で布団に入ってきたので一緒に寝た。

元気な姿はそれが最後だった。

数ヶ月後、母からLINE

ねこの口腔内に腫瘍ができた。手術でとって病理検査してもらう」

即調べた。

手元の小さな箱で調べた。

猫 口の中 腫瘍

「猫の口腔内腫瘍は8割が悪性といわれています

「癌になったら余命は1〜3ヶ月ほど」

信じないでおいた。信じたらしまいだ。

残り2割の可能性がある。

結果は8割の方だった。

残酷

診断が出たのは昨年、2021年11月中頃。

それから3ヶ月半。

ネットで調べた寿命は乗り越えた。

主治医も言う「強い子だね。奇跡的だよ」

知り合いの獣医も言う「19歳で全身麻酔の手術なんて、それだけでも凄いよ」

手術も抗がん剤放射線治療も無しでの事だ。

何故なら手術で腫瘍を採るには目をとり顔を半分削ぎ落とすから。それでも完治は保証できない。

抗がん剤腫瘍の由来が不明のため効果的に投与できる薬を特定できず、放射線治療負担が大きい。

結果的に見守るしか無くなってしまった。

それからねこ可愛いお顔は左半分が少しづつ膨れ上がり、鼻は曲がり、左目はほぼ見えなくなった。

口の中も再び肉腫が大きくなり、鼻を圧迫して髭も抜けて無くなってしまったのでご飯が食べづらい。

口の下の腫れが気になるのか顔洗いながら爪を立ててしまうので毎日顔と両手が血まみれになる。血の海に浸したみたいに赤黒い。

あんなに沢山食べたご飯は1日にウェットタイプパウチ半袋。

ウンチも週一。

お水もうまく飲めないのか傷にしみるのか苦戦して量が減る。

癌診断の後、私は一週間の自主隔離PCRを駆使して月一で帰郷した。帰ったらリモートワークしながら一週間滞在してはねこと密に過ごした。

帰ると嬉しいのかご飯の量が増えたりしてくれた。

毎晩一緒に寝て、泣きながら沢山話しかけた。

沢山撫でた。

昼間も寝床近くで仕事してると寝床から「にゃーん」と呼ぶ。

元気な時はそんな事一切なかったのに、体力ないからか、寂しいからか、辛いのか、痛いのか。

どうしたの?と撫でてあげると安心してまた寝た。

それが2週間前。

昨日からまた食事量が減ったとの報告。

匂いを感じないからか、食べづらいからか、実家近辺にて買えるウェットフードで食べてくれるものが尽きた。

ネットでなんでもいいからウェットの食べやすそうなものを手配した。

体重は全盛期の2/3の2.6kg。

もう、近いかもしれない。

毎晩泣いてきたけど、いまだに涙が止まらない。夜になると考えてしまう。

何かできたことは無かったのか、事前にわからなかったのか、いや分かるわけない、人間でも予防は無理だ、でもあの子は左目に昔からアレルギーがあったからアレが遠因じゃないのか、その時の獣医アレルギーと言っていたから分かるわけない、内臓のガンの方がマシだったのか?、いやそれはお前のエゴしかない。

そもそも彼女は私に拾われてしあわせだったのだろうか?

よい猫生だっただろうか。

昔はねこ虹の橋を渡ったら遺灰を小さくて可愛い骨壷にいれて手元に置いておこうと思っていた。

今はそれすら良いのか分からない。

そんなものを今から手配するのもましてや探すのなんて体が動かない。

あなたが今、ただただ苦しんでいない事を。

痛くないことを。穏やかでいられる事を。

世界中の猫とこれを読んでくれた貴方貴方の猫が少しでも永く一緒に幸せでいられる事を。

祈るしかない。

2022-01-03

実家に帰ったら親がスーパーから水を汲んで暮らしていた

スーパーレジ近くに浄水器があるのを見たことがあるだろう?

専用の2Lぐらいの入れ物が1個500円ぐらいでそれを買えばあとは何度でも汲みに来れるっていうアレだ。

見るからケチ臭さそうなオバちゃんが専用容器に水をタプタプにしてはいるアレだよ。

あんものを使って水を汲むなんてまるでアフリカの恵まれない子供たちみたいじゃないか

僕とは関係のない世界の話だ。

そう思っていた。

帰郷した僕が勝手知ったる自分の家とばかりに実家冷蔵庫を物色しようとすると、ソレは冷蔵庫に収まっていた。

水としか思えないものが2Lぐらいの真っ白いポリタンクに入って2つ並んでいる。

冗談めかして

冷蔵庫の水って水素水?」

と聞いてみた。

親は答えた。

最近スーパーから水を貰ってきてる」

と。

我が家アフリカになっていた。

親が言うには浄水器フィルター減価償却される時間と値段を考えれば、スーパーで水を貰う生活を1ヶ月も続ければ元は取れるらしい。

なんだかんだ平均で1人2Lほどの浄水を毎日使うので毎日スーパーに行っているらしい。

両親揃って年金ぐらしに突入して暇しているから出来ることのようだ。

客寄せのためかいフィルターを使っていると言っていたが、たしか実家で飲む水の味は昔より美味しい気がする。

というか、実家で飲んだ水の8割ぐらいは使い古しのフィルターにまだ効果があると信じてほとんど何も濾過されていない水を飲んでいたのだと思う。

かにこれが僅かな初期投資でずっと飲めるのはいい。

有料のペットボトル水、たとえばコンビニの「霧島」なんかと違って妙な感じもせずタダすっきりとおいしい水なのも毎日使うことを考えると助かるだろう。

どうも話を聞いていると両親はその容器を購入してからほとんどその店で買物をするようになっているらしい。

図々しさを極めれば水だけ汲みに行って何も買わずに帰ることも出来るのだろうが、どうもそれは出来ずついでに何かを買ってしまうのだという。

僅かな投資で朝的な利益を得ているのはスーパーの方なのだろう。

固定客の確保という大仕事ボタンを押したら水が出るだけの機械がやってのけている。

両親は飲み水の確保をスーパー委託したことスーパーに縛られているのだ。

スーパーは水という最大の資源を利用して人々の生活支配しているのだ。

やはりアフリカだ。

我が家アフリカになってしまったんだ。

2021-11-20

難民帰省しないイメージがあったけどね

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211118/k10013350901000.html

帰省できるのなら戻ってくるな!」

一方で、トルコ政府はこれまでに難民46万人以上がシリア側に自発的帰国したとしています。それでも大多数はトルコにとどまっているのが現実です。

治安心配はあるものの、どうしても故郷の様子を見たいという人たちが選択するのが「帰省」です。文字どおり、トルコにいる難民たちがシリア反政府勢力支配する地域トルコ当局許可を得て一時帰国します。

イスラム教犠牲祭などの休暇をふるさとで過ごそうと、この時期になるとトルコシリア国境スーツケースを抱えたシリア難民が集まる様子がトルコ報道されます

そうしたニュースが出るたびに、トルコSNSでは「帰省できるのなら、そのまま戻ってくるな!」などと辛辣(しんらつ)なことばが飛び交います

シリア国境に程近い街で6人の子どもを育てるこちらの女性もそのひとり。2021年7月下旬犠牲祭をシリア北部テルアビヤドで過ごしました。

トルコ政府は、2019年10月国内テロ組織とつながる勢力シリア国境から排除するとして、シリア北部に侵攻し、国境沿いに「安全地帯」を作り、難民の一部を帰還させることを計画しました。その「安全地帯」となったのが女性故郷シリア北部テルアビヤドです。

待ち望んだ7年ぶりの帰郷、そして家族との再会。しかしその「安全地帯」で見たのは電気も水も学校もない暮らしだったといいます

取材中にテルアビヤドの今の様子を聞こうと女性に現地の友人たちに電話をかけてもらいました。しかし全員電波がなく、誰とも連絡がつかず、「故郷には何もない、これが現実です」と言葉少なに話しました。

移民だけでなく、難民母国と受け入れ先を行ったり来たりできるようになればいいと思う。

休みシーズンぐらいは難があっても地元で過ごしたい人もいるだろうし。

2021-10-04

恋をした

疎遠な遠方の友人だった。人生の転機にあたって悩んでいたので応援してあげたら、それが彼女の心に触れたようだった。人の心にふれる喜びを感じて、僕もとても嬉しくなった。その後幾つか内面を打ち明けるメールのやりとりをしたら、この人に久しぶりに会いたいなと思った。帰郷の折にグループで会ったけど話足りない。次の帰郷の機会に、今度は二人で会うことにした。

自分のことを包み隠さず話せる人と、他人の耳を気にせず深い話が出来たら、最初はそんな気持ちだった。彼女もっと距離を縮めてくれていいよというサインを送ってきている...ように感じた。どこで会うか、そんな計画メールで立てているうちに、彼女からメールを待ち遠しく思っている自分に気付いた。僕は恋している、と思ったら、その恋に惹き込まれるのはあっという間だった。二人で会ってみたら、彼女も僕に恋しているのはすぐ分かった。世界がぐるんと回った。

家族のために、自分仕事のために、とても一生懸命に生きている人だった。若い時に一人旅をする中で自分のやりたい事を見つけたという話。その行動力が素敵だと思った。同じような時に同じような旅をした自分を重ねた。論理的に緻密に考える人ではない。自分感情や思いを言語化するでもない。それでいて大事な事はちゃんと分かる。翻って僕は自分の恋の話さえ文章に書かないとそれについて考えることが出来ない。地面を這い回っている僕には、空を翔ける鳥を見上げるような思いがした。そして、それなりに辛い経験自分の思い通りにならない事にぶつかってきたのに、そういう人生の転機にあたって、砕けるでも諦めるでもなく、与えられた境遇に新しい生き方を見つけていく様が、とても自由だと感じた。自分はこうであらねばならないという拘りがないから、どのような形に押し込まれても平気のようだった。そんな生き方があるのか。なんと美しい。それに加えて、分かりやすい可愛らしい弱点。方向音痴。虫が苦手。その落差が子供のようでとても愛らしかった。彼女の全てがとても大事で愛おしいものに感じた。自分の中に誰かを想う気持ちがこんなにも泉のように湧いてくるなんて、長らく忘れていた。

でも、遠距離の恋は難しかった。会いに行けるのはせいぜい三ヶ月に一回位。彼女彼女子供がいて時間ほとんど自由にならない。会えない間に少し遠ざかった彼女気持ちを温めて、打ち解けてきた所でいつも時間が終わってしまう。折角遠路会いに行ったのに、子供発熱して小一時間さっとお茶するだけで終わってしまった事もあった。そんな大変な中、出てきてくれただけでもありがたいことなんだ、そうは思う。そんな大変な時にありがとう、とむしろ僕が謝った。でも一方、急に空いた午後の時間を一人で埋めないといけないのは、とても寂しかった。本屋ちょっと立ち読みをしてみて、せっかく帰郷してきたのになんで僕はこんなどこでも出来ることをしているのだろうかと思う。地元で有名な日本庭園散策するが、どうしても彼女の事を考えてしまう。寂しい。今日どうしても銀行に行かないといけないか夕方じゃなくて午後早くにさよならしたい、と会ってから言われた時もあった。そういう事もあるだろう、頭では分かる。でも、よりにもよって、僕があなたと逢えるこの三ヶ月に一度の日でないといけないのか。彼女には何も言えなかった。そんな事を言って何になるというのか。でも、そうやって口に出来ないで自分の中に溜め込んだガッカリは僕を蝕んだ。

そして疫病が起こり、彼女さらに遠方の地に引っ越した。

逢えない代わりにと僕は手紙に心を託した。身の回りの事を、自分の感じたことを、昔の話を、彼女の素敵なところを、折りに触れて言葉にし、書き送った。自分手紙魔だと初めて知った。言葉にするようになると、心動かされる事に対するアンテナが敏感になる。世界が一段と鮮やかになったように感じた。しかし、彼女からの返信は段々間が伸び、短くなり、やがては会う算段や電話する時間の調整とかの実務的なやりとり以外はぷっつりと途絶えた。彼女には自分の思いを言葉にするのは大変な労力を要する事らしかった。素の自分さらけだして真心を込めて書いた手紙に何の反応もないのは寂しかった。僕に興味を失ってしまったのだろうかと何度も自問したが、届いた手紙大事に読んでいるという彼女言葉を信じて書き送り続けた。彼女を想う気持ち自分の中に確認するように言葉にして送り、手応えのないその行為の虚しさに絶望して傷つき、そんな循環を数カ月おきに繰り返した。

恋という、人と気持ちを通わせることの美しさを一番感じられるはずの時に、僕は未だかつてない孤独を感じた。

長い文章から良くないのかと思い、メッセンジャーを試したこともあった。短い文章写真。重い気持ちを乗せるから筆が止まるのかと思い、もっと軽い話題を心掛けたこともあった。思いついたように返事が来る時もあれば、一週間経っても既読にさえならないこともあり、やはり僕は傷ついた。

電話、というかビデオ通話が出来る時はとてもよかった。画面に映る彼女は大体は饒舌で、鈴のように笑い、僕の贈ったアクセサリをいつも付けてきてくれた。僕は彼女の周りで起こっていることを聞き、昔話をせがみ、唐突に愛の言葉を呟き、はにかむ彼女を見て心を満たした。しかし、この大切な機会は中々回ってこなかった。

一方的関係の辛さに耐えられなくなると、僕は助けを求めるメールを送る。彼女時間を捻出してくれて、ビデオ通話で話し合う、そんな事が何度かあった。そうやって話し合って分かってきたのは、彼女が僕を大切に想う気持ちと、子供の手前罪悪感を感じる気持ちとの間で、葛藤があるという事だった。そうか、それで僕は混乱したシグナルを受け取っているのか。

しかし、この二年の間、彼女が僕を想う気持ちの波も、寄せたり引いたりしなが全体としては確実に下がっているようだ。葛藤というのは二つの相容れないものの間で選べずにもがき苦しむ事を言う。彼女が苦しんでいる様子は僕には伝わってこない。彼女は「二つの相容れないもの」の間の優先順位をハッキリ付けたように思える。彼女にとって僕が何なのかは分からない。彼女はそういう事を説明してはくれない人だから

ももう、彼女にとって僕が何なのかを言葉で確かめようとしてはいけないように感じている。もう何度も試したのに分からないままなのだ彼女には答えようのない問を投げかけたってしょうがないではないか。誰がそんなウジウジした話を何度もしたいと思うだろうか。僕だって彼女に喜んでもらえるような楽しい話だけがしたい。あの鈴のような笑い声を聞きたい。

から言葉で問う代わりに、僕は一生懸命アンテナを張って、ビデオ通話越しの声やボヤケた彼女の表情からそれを読み取ろうとする。でも考えれば考えるほど分からない。僕のことを特別に思う気持ちはある、という。でも、それは何か美しい花のように、あれば嬉しいけれども無いならないで構わない、そういう性質のものに思えて仕方がない。僕はもっと自分に自信がある方だと思っていたが、一週間経っても既読にならないメッセージに、返事のこない手紙に、僕の自信はすっかり打ち砕かれてしまったようだ。

僕が自分の愛を言葉にし続ける事をやめた瞬間に、僕と彼女の作ったこ儚い波打ち際の砂の城は波に呑まれて跡形もなく消え去ってしまうようにしか思えない。あの美しいものが、そんな風になくなってしまうなんて。こんなに大切な人が僕の世界からいなくなってしまうなんて。耐えられない。この人は僕の事を大切だと言ってくれているのに。

しかし、一方的に愛を伝え続けるのに僕はずっとは耐えられない。言葉にすることで研ぎ澄まされた、僕の大切な気持ちが路傍に打ち捨てられるように感じるたびに、僕は自分が、自分の愛がどんどん無価値なような気持ちになる。そもそも、そんなに一方的関係は、普通、恋ではなくて片思いと呼ぶのではないか

僕はどうしたらいいのだろうか。

疫病が始まって以来初めて、遠路を訪ねて、彼女に会いにいく事にした。

この恋は、どうなるのだろう。

2021-09-17

anond:20210917123500

お前みたいなやつがコロナをばら撒くんだよな

虫の息のジジイもお前のコロナ死ぬ

人殺しの顔をして帰郷しろ

2021-08-18

anond:20210818130116

地方都市から大学進学で上京して帰郷しない才能ある同年代の男をUターンさせて、地方都市サブカル女にあてがえって声をあげるべきだな

2021-08-10

anond:20210810132501

帰郷電車乗って、なんもせずに帰るならリスク低いよ。

電車乗ってなんもせずに帰るの? アホ?

anond:20210810130816

同じ区内なら行動範囲内だし帰郷にならんだろ。

在郷とかだろ。

anond:20210810130120

お前らの勘違いだな

これは帰郷が悪いんじゃないだろ

間違えるな

anond:20210810125924

から降りたら感染かよ

そんなわけないだろ

旅行先でハメ外して飲み騒ぎするのがダメなんだろ

車で移動→チェックイン温泉のんびり、部屋夕食/朝食→チェックアウト→車で帰宅

もしくは

車で移動→帰郷(実家でおとなしくしている)→車で帰宅

これのどこにリスクがあるんだよ

anond:20210810104552

オリンピックバブル方式は失敗してコロナ拡散

帰郷は車移動ならバブル方式以上の効果があるし

新幹線飛行機空気の循環は約3分ですべての空気が入れ替わる。感染リスクは極めて低い

よってオリンピック開催には問題あったが

帰郷などの旅行問題にならない

但し帰郷して羽目を外さないこと

2021-08-03

オリンピック関係者帰郷できるのだろうか

めっちゃ危険東京株が発見されたりして、外国人スタッフも全国のボランティア警察官その他もみんな帰郷拒否されて、

彼らが集まって住む突き抜けて多文化オリンピック街が東京湾岸にできた未来が見たい。

ワクチン接種で生まれミュータントと、人工心肺でコロナも怖くないサイボーグ、貧しくて保守的旧人類が争うような、ギスギスした世界が見たい。

2021-07-31

勢いで脱藩したけど結局は何もしないままこっそり帰郷した。そんな人らもいたのだろうか?

2021-07-27

コロナ禍の今、県外に行く or 県外の人に会うというのがよくないという風潮

先日の連休中に、嫁が県外に行った友人が久しぶりに帰郷するので会ったという話を職場でしたら(職場の人もその友人とは知り合いのようだ)

そしたら職場の同僚に「県外の人と会うの怖くない?」と返されたそうだ。さら連休中はコロナが怖くて県内旅行だけしかできなかったと。

・・・まり県外に行ったり、県外の人に会うのはコロナに罹る可能性が高いが、県内なら逆に安心だ、ということだろうか。

この人に限らず、こういう考えに近い意見は何人か聞いてきた。

おかしくないか

なぜ県内なら安心で県外は不安ということになるんだ。

まあ、さんざんニュースやらで県外への移動を遠慮しろと言い続けた結果なんだろうが・・・それは移動を最小限に留めることで感染拡大を抑え込む目的だったはず。

それがどうして県外への接触コロナ感染危険性を高めるということになってしまったのか。

2021-07-13

俺はまたプッシュアップバーを買ってしまうのか?

もやしとかごぼうとか呼ばれていた高校時代

筋トレに目覚めた大学入学

運動部だったので高校から筋トレはやっていたが、明らかに栄養不足だった

毒親はこの世から消えろ

 

肥大意識して始めた腕立て伏せ

負荷を上げようと購入したプッシュアップバー

田舎大学近くのアパートに設置したベンチとダンベ

帰郷してから入会したゴールドジム

 

コロナや過労で遠ざかっていた筋トレ

すっかりだるだるになってしまったおれの体

今、もう一度立て直したい

あの日捨てたプッシュアップバーに、俺はもう一度お世話になるべきなのか

それともやっぱりジム通おうかなぁ

2021-07-04

東京大学を出て東京予備校で教えてていた先生が、地元に帰って講師をしていた。

その先生に習って、自分東京大学へ行った。でも、就職では地元に帰ろうとしている。

同じ大学の同郷の先輩も、すでに帰郷して働いている。

一方で、地元大学に行った人は続々と東京へ行っている。なんというか、皮肉めいたものを感じた。

2021-06-08

anond:20210607234817

満寵

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

満 寵(まん ちょう、? - 242年3月)は、中国後漢末期から三国時代の魏の武将政治家。字は伯寧。兗州山陽郡昌邑県の人。子は満偉・満炳・満氏 (司馬榦の妻)。孫は満長武・満奮。『三国志魏志「満田牽郭伝」に伝がある。

目次

1 生涯

1.1 酷吏として出世

1.2 軍人として活躍

1.3 呉との攻防

2 三国志演義

3 脚注

生涯

酷吏として出世

身長は8尺(約190cm)あったと伝えられる。18歳の時に県の役人(督郵)になった。郡内で私兵を率いて乱暴していた李朔という人物は、二度と乱暴しなくなったという。高平県令を代行した際、督郵張苞張飛の子とは別人)の横暴を見てこれを逮捕し、その場で拷竟(=拷問致死)した上で、そのまま自ら官職を捨てて帰郷したという逸話を持つ。

その後、曹操に仕えた。曹洪配下の将が曹氏の権勢を笠に着て略奪を行った時、満寵は速やかにこれを逮捕した。そして曹洪から曹操への働きかけがあった事を知ると、直ちに処刑した。この行為曹操に大いに賞賛された。

楊彪逮捕された際、荀彧孔融に手心を加えるよう頼まれたが、満寵は規則通り(注によると、笞打ち)に訊問した上で、曹操に「処罰するなら罪を明確にすべきである」と直言した。このため曹操楊彪赦免した。

これらの事からわかるように、満寵は于禁と同様に誰に対しても公明正大で法に厳しかったが、傲慢ではなかったので人からまれることはなかった。

軍人として活躍

官渡の戦いの時期には、袁紹郷里である汝南太守を務め、袁氏与党の軍を滅ぼし、農耕に従事させた。

曹操荊州征伐に従い、曹操が帰還すると奮威将軍兼務し当陽県に駐屯した。

孫権国境に攻め入ると、曹操は満寵を召し還して再び汝南太守とし、関内侯の爵位を与えた。

後に、曹仁参謀として樊城に駐屯した。219年、劉備軍の関羽が攻めて来た時は、救援に来た于禁ら七軍が洪水により壊滅し、樊城も水没して崩壊しつつあった。ある人が曹仁降伏を進言したが、満寵は「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」と反対した。曹仁は満寵の意見を良しとした。徐晃の援軍を得て関羽撃退されると、満寵は安昌亭侯に進封された。

呉との攻防

曹丕(文帝)の時代には揚武将軍となり、三方から呉を攻撃したときも、それに従軍した。呉との江陵での戦いで功績を挙げて伏波将軍に任命され、新野に駐屯し仮節鉞となった。半年曹真・夏侯尚・徐晃張郃・文聘らとともに朱然交戦したが、戦死者も数多となり、江陵を攻められなかったので撤退した。また、曹丕の南征に従って、敵の夜襲を見破り散々に打ち破ると、南郷侯に進封されたが、最終的に魏軍は呉に敗れた。224年には前将軍に昇進した。

曹叡(明帝)が即位すると昌邑侯に進封された。

228年、曹休司馬懿・賈逵が揚州荊州豫州雍州涼州の五軍の指揮を執り、石亭・江陵・濡須東関三方から侵攻した。満寵は賈逵の軍に胡質達と共に監軍として従軍し、武昌を目指し進撃していたが、揚州方面の軍の指揮を執っていた曹休孫権の計略にかかり大敗したため、犠牲者も数万人以上となり、敗れている(石亭の戦い・「賈逵伝」[1])。また、司馬懿張郃らも江陵を攻め落れずに退却した。

同年、曹叡は濡須東関に賈逵・満寵らを命じて再び攻めてきたが、陥落させることができずに負けた[2]。

曹叡は呉・蜀漢に対して完全に専守防衛に行い、賈逵の死後に豫州刺史兼任し、曹休の死後に都督揚州軍事となった。揚州への転勤の際、汝南の民や兵士の多くが満寵を慕って勝手についていったため問題になり、詔勅により親衛兵千人を率いていく事が許され、その他一斉が不問とされた。

230年には征東将軍となった。冬に再び孫権合肥に攻め寄せる気配があったため、兗州豫州の軍を召集する事を上奏し侵攻に備えた。孫権撤退する気配を見せたので、こちらも撤退するよう詔勅が下ったが、満寵は孫権撤退偽装と読み、引き続き備えを怠らなかった。孫権10日ほどしてから再び来襲したが、合肥を攻められなかったので無事に撤退した。

231年、呉の孫布という武将投降を申し入れてきた。王淩がこれを出迎えたいと申し出たが、満寵は投降偽装と読んだため、王淩に自重を求めた。偶然入朝する用事ができたため、留府長史には王淩が兵士要求しても与えてはならないと厳命しておいたが、王淩は自らの督将軍に僅かな手勢だけを与えて孫布を出迎えに行かせた。王淩は呉に敗れ、孫布の夜襲により兵の多く失うことになった。

満寵と王淩はこれ以前から対立しており、満寵が召喚されたのも、王淩の息のかかった者が満寵を老いと疲れにより耄碌していると讒言たからであった。満寵と目通りした曹叡は、満寵が壮健なことを確認できたため[3]、任地に返そうとした。しかし満寵はこのまま朝廷に留まることを願った。曹叡は満寵を馬援・廉頗に準え鼓舞した。

232年、呉の陸遜が廬江に侵攻してきた。部下達がすぐに救援に赴くよう勧めたが、満寵は落ち着いて対処すれば良いとした。軍を整え、陽宜口まで赴いたところで呉軍は既に撤退した。

233年、孫権は毎年のように合肥侵攻を企てていた。合肥城は寿春の遠く南にあり、江湖に近接した位置にあったため、過去の攻防戦においては呉の水軍の機動力の有利さが発揮されやすい展開が多くあった。満寵は上表し、合肥城の立地の欠点を指摘した上で、北西に30里の地に新たに城を築くことを進言した。蔣済がこれを弱気作戦であり、味方の士気を削ぐことになると反対したが、満寵は重ねて上奏し、兵法道理を引きながら築城長所を重ねて主張した。尚書の趙咨は満寵の意見を支持し、曹叡の聴許を得た。こうして合肥新城が築かれた。建設に莫大な費用がかかることもあって、合肥城ともども廃れていった。

同年、孫権合肥に攻め寄せたが、合肥新城が岸から遠い場所にあったため、敢えて上陸しようとしなかった。しかし満寵は、孫権武威を振るっているので、必ず陸に上がることに違いないと判断した。伏兵として歩騎兵を6千用意したところ、果たして孫権上陸したため、伏兵により百人の首を斬った。

234年、孫権は十万の軍勢である呼称合肥新城に攻め寄せてきた(「明帝紀」)。蜀漢諸葛亮の北伐(五丈原の戦い)は孫権呼応して(「満寵伝」)、二十万の軍勢である呼称し祁山に攻め寄せてきた。合肥魏軍が苦戦に陥り、これを恐れていた満寵は合肥新城放棄し寿春へ撤退する作戦を願い出たが、曹叡に拒絶されている(「明帝紀」)。満寵は、合肥新城へ救援に赴き、数十人の義勇兵を募り、松と麻の油を用いて風上より火をかけ、呉軍の攻城兵器を焼き払った上、さら曹操孫権の甥孫泰を射殺した。張穎達とともに力を尽くして戦ったが、呉軍は依然として頑強に猛攻した。魏の中央大軍が迫ったので、孫権は大損害を受ける事を避けて、曹叡の援軍が到着する前に撤退した(合肥新城の戦い)。

235年春、孫権江北に兵を送り屯田を始めさせた。満寵は、収穫の時期に屯衛兵達が各地に点在し、陣が伸びきったのを見て、これを襲撃すべきと判断した。また各地の県長に軍を率いて東上させた。さらに各地の屯衛を撃破させ、穀物を焼き払った。詔勅により軍功が称され、鹵獲品は全て将兵恩賞とされた。

曹叡が没し曹芳(斉王)の時代になった238年3月[4]、老年のため中央召喚され太尉となった。家には余財がなかったため、詔勅により特別物資が下賜された。加増による領邑は9600戸になり、子と孫2人が亭侯とされた。

242年3月[5]死去した。景侯の諡号を贈られた。

子孫の満偉(子)・満長武(孫)・満奮(孫)もまた、身長が8尺あったと伝わる。満偉は人品に優れており衛尉まで上り、満長武は満寵の風格を有していたという。しかし、司馬昭に疎まれ殺害され、父の満偉もまた失脚し、平民に落された。満奮は満偉の弟の子であり、やはり満寵の風格があったという(『晋諸公賛』)。西晋時代尚書司隷校尉となった。

また、満寵のもう一人の子満炳は別部司馬となった[6]。

三国志演義

小説三国志演義』では、劉曄の推薦を受けて曹操の家臣となり、楊奉配下だった旧知の徐晃曹操陣営に引き入れることに成功するなど、物語の初期においては弁舌の士という描かれ方がされている。

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