「宝くじを買うやつは情弱」と揶揄する人たちを見るたびに「野暮だなあ」と思う以上にモヤモヤとする嫌悪感のようなものがあった。
宝くじの期待値が~とかテラ銭が~という人は、投資としての宝くじに関して合理性がないと論ずるのだけれど、消費としての宝くじについては無視していることが多い。
宝くじに限らずギャンブルの回収率が1を超えない以上、それらを投資の側面だけから見て断じてしまうのはナンセンスに思う。
ギャンブルは参加すること自体が楽しいものだ。(もちろん人によるが。)投資に対する確実なリターンだけを期待するならギャンブルなんてしないだろう。たぶん。
ギャンブルを語るときには、投資性でなく消費性を主として語らなければ見誤ることがあるように思われる。
宝くじを買うかどうかは、消費としての宝くじに魅力を感じるかどうかに大きく左右される、と僕は思う。
消費としての魅力は、投資としての魅力よりもさらに属人的で、個人の性格による部分が大きい。
「宝くじに何万も使う奴の気がしれない」は「ソシャゲに何万も課金する奴の気がしれない」とか「車に何万もつぎ込む奴の気がしれない」
と言ったことと同列のことで、その違いは単なる嗜好の違いでしかない。
それを「宝くじを買うやつは情弱」派は単に自分が宝くじの消費に魅力を感じないというだけのことを、投資として合理性がないという理由づけをもって、
「宝くじを買わない自分=論理的」で「宝くじを買うやつ=非論理的」だ、という拡大解釈をして安易に見下しているのが嫌な感じのする原因なのかなと思った次第。
期待値の高い行為のみやる価値がある、という考えは情弱。 期待値が低くても最大値の高い行為を、それと知っててあえてやるのは意味がある。
そうだね 宝くじを買う情強の皆さんのおかげで天下り財団法人が儲かりいつまでも存続しているんですね 素晴らしい国ニッポン
宝くじ1回で3000円使うとして、貧乏な人は自分の生活を向上させるために使う方が効率がいい。金持ちは7億円当たってもはした金なのでやる理由がない。3000円捨ててもいいくらい裕福だ...
ソシャゲも宝くじも総合的な価値観の相違であって、判断基準は効率性だけじゃないよねってことかと。 あと7億円がはした金っていえる層から上流とすると中流以下で日本のほぼ全国民...
金持ちは7億円当たってもはした金なのでやる理由がない。 金持ちにとっても7億円ははした金じゃないけど、もっといい投資あるから宝くじ選ぶ理由はないな。